ベースはギターの従兄弟なんだよ
マイケルの夢を見ました。
といってもご本人はそう簡単にお出ましにはなりませんよw
わたしはどこか屋上みたいなところから夕陽を見ていました。
薄い水色と薄い紫とオレンジと薄桃色が混ざったような色の空で、それはそれはきれいで。
同時に月が空の中に透けて見えていて。
誰かの声がして
「きれいだね。こんな空は好き?」
わたしは多分「うん」とか「はい」とかとにかくYES的な返事をしたのかな
そしたら姿の見えない声がまた
「太陽と月が交代するんだ」
「そのことを空が祝福しているみたいだね」
「だから朝焼けと夕焼けは美しいのかな」
朝起きてこのフレーズがはっきりと耳に。
なになになあに?ステキなセリフ~
なんだかすごくマイケルっぽい~
てか、これマイケルじゃね?
マイケルだよね?
よし、マイケルだってことで!\(^o^)/
と勝手に思ってうっとりんこw
でもがっつり日本語ww
夢ですから実際はわたしの脳内の妄想が勝手にこんな映像や言葉を生んだのでしょうけれど、我ながら詩的なセリフです。

詩的といえば。
過去に書いたものですがポール・マッカートニーが言った言葉をすぐに思い出しました。
His advice to musicians are not technical but poetic.
Things like:
"When you take this note on the piano, do not be hard, play as if you had the most beautiful sunset in front of you.
You'll see it will sound totally different."
マイケルのミュージシャンへのアドバイスは技術的ではなく、詩的なんだ。
こんな感じだよ。
「ピアノでこの音符を弾くときは強く弾かないで、きみの目の前にとても美しい夕やけが広がっていると思って弾いてみて。
全く違うのがわかるから」
-----------------------
そこはピアニッシモで、なんて言わないんだな^^
この過去記事でも書いてありますが、このようなマイケルの詩的な、あるいは映像や情景が思い浮かぶような表現をするアーティストは珍しいのかもしれませんね。
それは時にとても抒情的で繊細な表現と言いますか。
TIIでベアデンに指示をする、わたしの大好きな彼の表現。
Just bathe in the moonlight. You have to let it simmer a bit, you know?
月光を浴びて・・かすかにきらきら光る感じを出さなきゃ・・わかる?
Simmerは映画では「余韻」、この部分では「静寂が染み渡る」でしたよね。
それで全然いいのですが、わたしの大好きなUS在住のMJファンの方が、映画公開後すぐに「ここはこんなニュアンスのことを言っててね。Simmerを使う表現がとても彼らしい」と教えてくれて、それ以来このマイケルの表現が大好きで。
The way you make me feel の最初のとぅる~というコーラスが終わって、イントロが始まるまでの短い間(ま)。
コーラスが創りあげる情景が目に見えるよう。
雲一つない夜空にくっきりと浮かび上がる月。
長い影を落として歩いている一人の主人公。
コーラスが終わった後の静寂。
そこにはかすかに月の光を受けて輝く主人公しか存在しない・・
きらきら、きら・・
で、
ぱん!ぱん!ぱぱぱん!
て、わかります?(笑)
ここでも何拍おいて、じゃないのですね。
ベアデンがインタビューでこんなことも教えてくれていました。
(source:Movies Online_Michael Beardon Interview, This Is it)
マイケルらしいって印象に残った言葉はありますか?と聞かれて。
There were a lot of MJisms that we just “simmer,” “bathe in the moonlight,” “I’m sizzling.”
That is my favorite, “I’m sizzling.” I can’t think of it. There’s so many.
There’s so many and we would just talk.
There’s one moment in I Wanna Be Starting Something. You can see him talking to me.
“I don’t hear that [beat boxing].” And he would talk to me like that.
So one day he and I were in his room and he said, “Yeah, so you know that part? It needs to be louder.”
And he said, “You know, that’s like his cousin. It goes through the guitar and his cousin is there.
His cousin is running up right next to him. So you got to heavy him and then you have a cousin.”
He would talk to me like that. That’s a Michael Jacksonism.
Just regular, you know, nothing big, just something simple that everybody’s able to understand.
MJイズムは沢山あったよ、“simmer” “bathe in the moonlight” “I’m sizzling”このあたりが好きだね。 I'm sizzlingなんて考えたことないよ。沢山あったね。※SimmerとSizzlingに関する過去記事「Michael's sizzle」
沢山あったし、ちょうどそういう会話もしたよ。
Wanna Be Starting Somethingでそんな瞬間があった。(映画で)僕に話している彼を見れるよ。
「聞こえないよ、ここ(ドゥドゥドゥドゥンドゥドゥンとビートボックス)」こんな風に僕に言うところ。
※実際はI'm not feeling that part enough (このパートまだ物足りないな)

ある日彼の部屋に一緒にいて、彼が言ったんだ。
「そう、あのパートわかってる?あそこはもっと大きい音がほしいよ」 とね。
「(ベースは)ギターの従兄弟みたいなものなんだよ。わかるかな?ギターがいて、従兄弟がいて。
従兄弟はギターのすぐ隣に駆け寄ってくるんだ。だからギターをヘビーにすれば、自然に従兄弟もそうなるんだよ」
こんな風に言うんだよ。まさにマイケル・ジャクソンイズムさ。
ただ普通に、おおげさじゃなく、誰もがわかるようにシンプルに。
------------------------
ベースはギターの従兄弟!
ギターが走れば同じように従兄弟が駆け寄ってくる。
同じことを従兄弟はしたがるって感じ?
ギター兄ちゃんのまねっこしたがる従兄弟のベースくんってw
なんてかわいい表現するんだろう^^
実際映画ではその会話の後だったのかわかりませんが、おそらくそうじゃないかしら、ベアデンがちゃんと「駆け寄ってくる」という表現をしているのですよね。
MJ:It's funkier. I'm not feeling that part enough.
もっとファンキーに このパートまだ物足りないな
[BASS GUITAR Beat boxing]
BEARDEN: As in running next to him.
彼(ギター)の隣に走ってくるみたいに、だね
MJ: It's not there.
まだ来てないね
BEARDEN: Okay, it should be.
オーケー、そうしなきゃね
MJ: It should be. I know, it's all for love.
そのほうがいい わかるよね、もっとよくなるためだから
BEARDEN: It's coming there.
よくなるね
MJ: We'll get it there.
うまくいくよ
ここではマイケルのIt's all for loveがどどーんとクローズアップされてたので全く気が付かなかったw
英語わかる人ならとっくの昔に知っているやりとりってことかぁ。
うへ~今さら~でも面白い~ww
実はこんな裏話があった場面だったんですね^^
まぁとにかく、マイケルのこういった表現をベアデンはMJイズムというぐらいですから、本来はただベースの音をもっと大きくとかもっと強く、ていうことなんでしょうけれど、感覚的な表現をするという意味で、やっぱり彼は特別だったのでしょうね。
よく言われることですが、腕や指の組み方で右脳的か左脳的かがわかるといいますね。
血液型占いに近い感じで、そういわれればそうかなっていう感じではありますが、ことマイケルに関しては「はぁはぁ確かにね」なんて思ったのです。
指を組む(お祈りするように指を組む)だとか腕組みする時に、左右どちらの親指や腕が上になるかをみます。
指組みはその人の物事の捉え方を示し、腕組みは表現方法を表すとされているらしい。
例えば、指組みも腕組みも左親指、左腕が上になる人は、直感的に物事を捉え、感覚的に表現する人なんですって。
マイケルはこのパターンの人。

左の親指が上~

お行儀よく左の親指が上~

麗しく左の親指が上~

左腕が上~

楽しそうに左腕が上~

リラックスして左腕が上~

真剣に左腕が上~
ちなみにわたしはどちらも右(/_;)
右親指+右腕:論理的に考え、文章などで伝える人
右親指+左腕:論理的に考え、映像や音など感覚的に伝える人
左親指+左腕:直感的に考え、イメージや音など感覚的に伝える人
左親指+右腕:直感的に考え、言葉で論理的に伝える人
面白いのは、こちらで「カラダ心理学」という記事を見つけたのですが、ここに書かれている腕組みの際、左腕が上になる人の特徴、というのがマイケルにぴったんこでw
一部だけ引用させていただきますとね。
相手に名前で呼びかけることが多く、言葉以上に、相槌やうなづきなどをうまく使います。感情表現が豊かで、基本的に相手の役に立ちたいと思っているので、自然、会話は盛り上がります。
会議や商談の場では、参加者の気持ちや状況の推移を注意深く見守っています。たとえ腕を組んでいても、相手の主張を出来る限り聞くようにつとめています。
会議や商談が全体的にうまくまとまるように、どのように自分の態度を効果的に作用させるべきかを考えています。その場に合わせて発言できるので、次第にその場をリードする存在になります。
親しみやすく、社交的な人が多く、「やさしい人ですね」と言われるとうれしいです。ただ、表面的な態度や言葉遣いがソフトであっても、自分の主張や意見には絶対的な自信を持っています。
話題がどうあれ、この場をまとめ、最後に主役になるのは自分だという強い自負を持っていたりします。
その場をうまくまとめたいがゆえに「ウソも方便」となることがあります。また自分の個人的な話には、驚くほど頑な態度を見せることがあります。
--------------------------------
うんうん
ね?ね?
もちろんわたしが知る限りの勝手なマイケル像ですから、実際はわかりませんけれどね^^
ちょっと脱線しましたが、マイケルが完璧に右脳型である=直感的に物事を捉え、感覚的に表現する人だというのは、あながち当たらずとも遠からずだなと。
彼は実際相当量の読書家で、読書から多くのことを学び、知性も教養も備えた人ですから、言葉を操ることが不得手とは思えないし、どちらかというと使い古されたような言葉たちであっても、彼の高い感性にかかるととたんに心に響く詩に姿を変えてしまう。
そういう意味では彼は本当は、右脳も左脳もバランスよく使うことができる全脳の人ともいえるかな。
だけれども、結局彼が小説家にならなかったのは、最終的にはイメージや映像的な表現を好む人であったからかもしれなくて、理論立てて文字や言葉で表現することよりも、目で見て耳で聞いて感情を呼び覚ませて心で感じてもらう方法、つまり歌とダンスで表現することを選んだのは必然だったのかしらとも思ったり。
そして誰でもが幼い子供の頃は、右脳が左脳よりも発達傾向にあるらしいのです。
確かに子供は、直感的に物事をとらえますし、それを表現するための言葉を豊富に使えないのだからおのずと感覚的な表現になりますよね。
論理立てるという技術がないのですから、いうなれば無意識の直感による発想とでもいいますか。
だからこそマイケルは子供の持つ創造性にインスピレーションを感じ、その感性を大切にしたのでしょう。
子供はたとえ歌詞がわからなくても、メロディやリズムなら理解できますし、子供が直感で受け入れるものは、しちめんどくさい評論家がしのごの理屈をつけて評価するよりも、きっといいものだと確信していたのでしょうね。
マイケルが使う表現がどことなく詩的なのは、感覚や感性が優先される右脳人間の特徴なのかもしれません。
でもそれだけではなくて、例えば「そこはピアニッシモで」とか「そこで3拍おいて」とかいう、ただ弱く弾くとか、ただ機械的に3カウントしたら音を出すとかいう無味乾燥な印象を受ける言葉ではなく、美しい夕陽を目の前にした静かな感動や、月の光のみが存在している静寂・・なんかを、相手にイメージさせることで、本来の技術にプラスアルファの力が引き出されることをわかっていたのでしょうね、きっと。
マイケルはずっとベースとギターは従兄弟のような間柄だって思ってたのかな?
どちらも弾けないけれどなんだか妙に納得してしまったw

こんな風にマイケルのことを想ったりしているから
詩的なフレーズの声が聞こえたのかな
その人の姿は見えなかったけれど
あの声はきっと マイケル あなただって
えへへ
そう思えたら
ほらこんなに幸せ
といってもご本人はそう簡単にお出ましにはなりませんよw
わたしはどこか屋上みたいなところから夕陽を見ていました。
薄い水色と薄い紫とオレンジと薄桃色が混ざったような色の空で、それはそれはきれいで。
同時に月が空の中に透けて見えていて。
誰かの声がして
「きれいだね。こんな空は好き?」
わたしは多分「うん」とか「はい」とかとにかくYES的な返事をしたのかな
そしたら姿の見えない声がまた
「太陽と月が交代するんだ」
「そのことを空が祝福しているみたいだね」
「だから朝焼けと夕焼けは美しいのかな」
朝起きてこのフレーズがはっきりと耳に。
なになになあに?ステキなセリフ~
なんだかすごくマイケルっぽい~
てか、これマイケルじゃね?
マイケルだよね?
よし、マイケルだってことで!\(^o^)/
と勝手に思ってうっとりんこw
でもがっつり日本語ww
夢ですから実際はわたしの脳内の妄想が勝手にこんな映像や言葉を生んだのでしょうけれど、我ながら詩的なセリフです。

詩的といえば。
過去に書いたものですがポール・マッカートニーが言った言葉をすぐに思い出しました。
His advice to musicians are not technical but poetic.
Things like:
"When you take this note on the piano, do not be hard, play as if you had the most beautiful sunset in front of you.
You'll see it will sound totally different."
マイケルのミュージシャンへのアドバイスは技術的ではなく、詩的なんだ。
こんな感じだよ。
「ピアノでこの音符を弾くときは強く弾かないで、きみの目の前にとても美しい夕やけが広がっていると思って弾いてみて。
全く違うのがわかるから」
-----------------------
そこはピアニッシモで、なんて言わないんだな^^
この過去記事でも書いてありますが、このようなマイケルの詩的な、あるいは映像や情景が思い浮かぶような表現をするアーティストは珍しいのかもしれませんね。
それは時にとても抒情的で繊細な表現と言いますか。
TIIでベアデンに指示をする、わたしの大好きな彼の表現。
Just bathe in the moonlight. You have to let it simmer a bit, you know?
月光を浴びて・・かすかにきらきら光る感じを出さなきゃ・・わかる?
Simmerは映画では「余韻」、この部分では「静寂が染み渡る」でしたよね。
それで全然いいのですが、わたしの大好きなUS在住のMJファンの方が、映画公開後すぐに「ここはこんなニュアンスのことを言っててね。Simmerを使う表現がとても彼らしい」と教えてくれて、それ以来このマイケルの表現が大好きで。
The way you make me feel の最初のとぅる~というコーラスが終わって、イントロが始まるまでの短い間(ま)。
コーラスが創りあげる情景が目に見えるよう。
雲一つない夜空にくっきりと浮かび上がる月。
長い影を落として歩いている一人の主人公。
コーラスが終わった後の静寂。
そこにはかすかに月の光を受けて輝く主人公しか存在しない・・
きらきら、きら・・
で、
ぱん!ぱん!ぱぱぱん!
て、わかります?(笑)
ここでも何拍おいて、じゃないのですね。
ベアデンがインタビューでこんなことも教えてくれていました。
(source:Movies Online_Michael Beardon Interview, This Is it)
マイケルらしいって印象に残った言葉はありますか?と聞かれて。
There were a lot of MJisms that we just “simmer,” “bathe in the moonlight,” “I’m sizzling.”
That is my favorite, “I’m sizzling.” I can’t think of it. There’s so many.
There’s so many and we would just talk.
There’s one moment in I Wanna Be Starting Something. You can see him talking to me.
“I don’t hear that [beat boxing].” And he would talk to me like that.
So one day he and I were in his room and he said, “Yeah, so you know that part? It needs to be louder.”
And he said, “You know, that’s like his cousin. It goes through the guitar and his cousin is there.
His cousin is running up right next to him. So you got to heavy him and then you have a cousin.”
He would talk to me like that. That’s a Michael Jacksonism.
Just regular, you know, nothing big, just something simple that everybody’s able to understand.
MJイズムは沢山あったよ、“simmer” “bathe in the moonlight” “I’m sizzling”このあたりが好きだね。 I'm sizzlingなんて考えたことないよ。沢山あったね。※SimmerとSizzlingに関する過去記事「Michael's sizzle」
沢山あったし、ちょうどそういう会話もしたよ。
Wanna Be Starting Somethingでそんな瞬間があった。(映画で)僕に話している彼を見れるよ。
「聞こえないよ、ここ(ドゥドゥドゥドゥンドゥドゥンとビートボックス)」こんな風に僕に言うところ。
※実際はI'm not feeling that part enough (このパートまだ物足りないな)

ある日彼の部屋に一緒にいて、彼が言ったんだ。
「そう、あのパートわかってる?あそこはもっと大きい音がほしいよ」 とね。
「(ベースは)ギターの従兄弟みたいなものなんだよ。わかるかな?ギターがいて、従兄弟がいて。
従兄弟はギターのすぐ隣に駆け寄ってくるんだ。だからギターをヘビーにすれば、自然に従兄弟もそうなるんだよ」
こんな風に言うんだよ。まさにマイケル・ジャクソンイズムさ。
ただ普通に、おおげさじゃなく、誰もがわかるようにシンプルに。
------------------------
ベースはギターの従兄弟!
ギターが走れば同じように従兄弟が駆け寄ってくる。
同じことを従兄弟はしたがるって感じ?
ギター兄ちゃんのまねっこしたがる従兄弟のベースくんってw
なんてかわいい表現するんだろう^^
実際映画ではその会話の後だったのかわかりませんが、おそらくそうじゃないかしら、ベアデンがちゃんと「駆け寄ってくる」という表現をしているのですよね。
MJ:It's funkier. I'm not feeling that part enough.
もっとファンキーに このパートまだ物足りないな
[BASS GUITAR Beat boxing]
BEARDEN: As in running next to him.
彼(ギター)の隣に走ってくるみたいに、だね
MJ: It's not there.
まだ来てないね
BEARDEN: Okay, it should be.
オーケー、そうしなきゃね
MJ: It should be. I know, it's all for love.
そのほうがいい わかるよね、もっとよくなるためだから
BEARDEN: It's coming there.
よくなるね
MJ: We'll get it there.
うまくいくよ
ここではマイケルのIt's all for loveがどどーんとクローズアップされてたので全く気が付かなかったw
英語わかる人ならとっくの昔に知っているやりとりってことかぁ。
うへ~今さら~でも面白い~ww
実はこんな裏話があった場面だったんですね^^
まぁとにかく、マイケルのこういった表現をベアデンはMJイズムというぐらいですから、本来はただベースの音をもっと大きくとかもっと強く、ていうことなんでしょうけれど、感覚的な表現をするという意味で、やっぱり彼は特別だったのでしょうね。
よく言われることですが、腕や指の組み方で右脳的か左脳的かがわかるといいますね。
血液型占いに近い感じで、そういわれればそうかなっていう感じではありますが、ことマイケルに関しては「はぁはぁ確かにね」なんて思ったのです。
指を組む(お祈りするように指を組む)だとか腕組みする時に、左右どちらの親指や腕が上になるかをみます。
指組みはその人の物事の捉え方を示し、腕組みは表現方法を表すとされているらしい。
例えば、指組みも腕組みも左親指、左腕が上になる人は、直感的に物事を捉え、感覚的に表現する人なんですって。
マイケルはこのパターンの人。

左の親指が上~

お行儀よく左の親指が上~

麗しく左の親指が上~

左腕が上~

楽しそうに左腕が上~

リラックスして左腕が上~

真剣に左腕が上~
ちなみにわたしはどちらも右(/_;)
右親指+右腕:論理的に考え、文章などで伝える人
右親指+左腕:論理的に考え、映像や音など感覚的に伝える人
左親指+左腕:直感的に考え、イメージや音など感覚的に伝える人
左親指+右腕:直感的に考え、言葉で論理的に伝える人
面白いのは、こちらで「カラダ心理学」という記事を見つけたのですが、ここに書かれている腕組みの際、左腕が上になる人の特徴、というのがマイケルにぴったんこでw
一部だけ引用させていただきますとね。
相手に名前で呼びかけることが多く、言葉以上に、相槌やうなづきなどをうまく使います。感情表現が豊かで、基本的に相手の役に立ちたいと思っているので、自然、会話は盛り上がります。
会議や商談の場では、参加者の気持ちや状況の推移を注意深く見守っています。たとえ腕を組んでいても、相手の主張を出来る限り聞くようにつとめています。
会議や商談が全体的にうまくまとまるように、どのように自分の態度を効果的に作用させるべきかを考えています。その場に合わせて発言できるので、次第にその場をリードする存在になります。
親しみやすく、社交的な人が多く、「やさしい人ですね」と言われるとうれしいです。ただ、表面的な態度や言葉遣いがソフトであっても、自分の主張や意見には絶対的な自信を持っています。
話題がどうあれ、この場をまとめ、最後に主役になるのは自分だという強い自負を持っていたりします。
その場をうまくまとめたいがゆえに「ウソも方便」となることがあります。また自分の個人的な話には、驚くほど頑な態度を見せることがあります。
--------------------------------
うんうん
ね?ね?
もちろんわたしが知る限りの勝手なマイケル像ですから、実際はわかりませんけれどね^^
ちょっと脱線しましたが、マイケルが完璧に右脳型である=直感的に物事を捉え、感覚的に表現する人だというのは、あながち当たらずとも遠からずだなと。
彼は実際相当量の読書家で、読書から多くのことを学び、知性も教養も備えた人ですから、言葉を操ることが不得手とは思えないし、どちらかというと使い古されたような言葉たちであっても、彼の高い感性にかかるととたんに心に響く詩に姿を変えてしまう。
そういう意味では彼は本当は、右脳も左脳もバランスよく使うことができる全脳の人ともいえるかな。
だけれども、結局彼が小説家にならなかったのは、最終的にはイメージや映像的な表現を好む人であったからかもしれなくて、理論立てて文字や言葉で表現することよりも、目で見て耳で聞いて感情を呼び覚ませて心で感じてもらう方法、つまり歌とダンスで表現することを選んだのは必然だったのかしらとも思ったり。
そして誰でもが幼い子供の頃は、右脳が左脳よりも発達傾向にあるらしいのです。
確かに子供は、直感的に物事をとらえますし、それを表現するための言葉を豊富に使えないのだからおのずと感覚的な表現になりますよね。
論理立てるという技術がないのですから、いうなれば無意識の直感による発想とでもいいますか。
だからこそマイケルは子供の持つ創造性にインスピレーションを感じ、その感性を大切にしたのでしょう。
子供はたとえ歌詞がわからなくても、メロディやリズムなら理解できますし、子供が直感で受け入れるものは、しちめんどくさい評論家がしのごの理屈をつけて評価するよりも、きっといいものだと確信していたのでしょうね。
マイケルが使う表現がどことなく詩的なのは、感覚や感性が優先される右脳人間の特徴なのかもしれません。
でもそれだけではなくて、例えば「そこはピアニッシモで」とか「そこで3拍おいて」とかいう、ただ弱く弾くとか、ただ機械的に3カウントしたら音を出すとかいう無味乾燥な印象を受ける言葉ではなく、美しい夕陽を目の前にした静かな感動や、月の光のみが存在している静寂・・なんかを、相手にイメージさせることで、本来の技術にプラスアルファの力が引き出されることをわかっていたのでしょうね、きっと。
マイケルはずっとベースとギターは従兄弟のような間柄だって思ってたのかな?
どちらも弾けないけれどなんだか妙に納得してしまったw

こんな風にマイケルのことを想ったりしているから
詩的なフレーズの声が聞こえたのかな
その人の姿は見えなかったけれど
あの声はきっと マイケル あなただって
えへへ
そう思えたら
ほらこんなに幸せ