MJ と PEPSI (2)
さて、続きです。
MJにひどい火傷を負わせる結果となってしまったことで、MJとPEPSIの関係は終わるかに見えました。
しかし、MJは自身がうち立てた「スリラー」の世界記録を越える作品を作られねばならず、しかもそれまでジャクソンズの一員としてのツアー経験はあっても、ソロツアーは未経験、世界中が待ちわびているMJの新しいアルバムを引っさげてのソロ・ワールドツアーは絶対に成功させなければなりませんでした。
そのためのサポートができる企業として、彼はPEPSIとの契約更新を承諾します。
しかし、今回はジャクソンズとの契約ではなく、MJ個人です。
MJはPEPSI 側に「次は世界中を燃え上がらせよう」と言い、ただのCM契約ではなく、ワールドツアーのスポンサーとしての統括的な契約の提案をしたといわれています。
この言葉は、世界中にMJ&PEPSI旋風を巻き起こそうという意味と、前回MJが燃え上がった事故にひっかけた意味がうかがえ、PEPSI側にすれば当然選択の余地はなかったでしょう。
1986年、MJとPEPSIは正式に契約更新し、来たるべきソロ・ワールドツアーの宣伝・公演の全てをPEPSIが受け持つ事になります。
MJの初めてのソロツアー「BAD World Tour」は1987年9月にスタートします。
当時日本ペプシコーラの副社長であった秋元征紘氏によると、約1ヶ月にも及ぶ14回の日本公演のスタートと同時に、前回お話した「コーラ戦争に勝った!」著者のPEPSI社長、ロジャー・エンリコ氏のまさにこの本を、日本でも発売するプロジェクトが進んでいたそうで、戦略としてやはりツアー開始に合わせるようにMJのPEPSI のCM(前回冒頭のCM)をいっせいに流すようにしたそうです。
しかも、コンサート会場の一つであった横浜スタジアムの巨大な特設ステージバックにあった「コカ・コーラ」のスコアボードのネオンサイン全面を、黒幕で完全に覆わせることもやってのけ、ここでもいわゆるコカコーラとの「コーラ戦争」は繰り広げられていたのです。
このツアーの結果、「コーラ戦争に勝った!」(日本語)は30万部近くを売上げ、日本でのPEPSI知名度もMJ人気と共に急激に上がり、日本ペプシ・コーラの売上は、前年費40%増という記録的売上を達成したそうです。
BAD Tourは世界15ヶ国で123公演、440万人の観客動員を記録し大成功をおさめました。
と、同時にPEPSI も世界的なシェア争いに勝ったといえます。
MJとPEPSI の目的は一致し、この両者の契約はその後7年間絶えることなく継続される事になります。
マイケルは何本もPEPSI とのCMを作成しましたが、わたしが一番好きで、またまた観るたびに目頭がアツくなるCMがこれ。
最初がオリジナル、次がCM、最後はショートバージョンのCMです。
ピアノを弾き語るマイコーの前に現れる小さな頃のマイコー。
二人が「I'll Be There」をデュエットするところが最高!
I'll be there, I'll be there,
Just call my name, I'll be there...
ぼくはいるよ そばにいる
ぼくの名前を呼んで そばにいるんだ すぐそこに
しかし、この美しいCMまでもが、わけわかんない噂のネタになるんですね。
もうここまでくると本当にUSのメディアは、マイコーになら何を言ってもいいと思っていたとしか思えませんね。
過去記事でも書いた93年の「オプラ・ウィンフリーショウ」でのMJインタビューで、オプラが
「最近のPEPSI CMで出てくる小さな男の子のことだけど、実はあなたが白人の子供を起用したいって言ってたというのは本当なの?」と質問します。(はぁぁぁぁ?!?)
MJはキッパリと答えます。
「まったく馬鹿げてる。今まで聞いた中で一番馬鹿げたおぞましい話だ!
クレージーとしかいいようがないね。
どうして、だいたいあのCMで映っている子供の顔は僕自身の小さな頃なんだよ。
どういう訳で僕が白人の子供に僕を演じさせたいとおっしゃるんです?
ぼくは黒人(ブラックアメリカン)だ!
僕は黒人であるということに誇りを持っている 。
自分の人種について誇りを持っているんだよ。
僕は僕自身が何者であるかについて誇りを持っているんだ。
僕は強くプライドと尊厳を持っているんだ!」
話は一瞬PEPSI からそれたかにみえますが、大丈夫。つながっています。
このオプラのインタビューが放送されたのは1993年2月。
バカバカしい噂はありましたが、この時期このPEPSI の美しいCMはばんばん流れていました。
しかし、93年の夏。
さまざまな諸悪の根源ともいえる、あのゆすり目的のでっちあげであるチャンドラー訴訟が起こります。
始めの頃はDANGEROUS Tour中でもあったことで、PEPSI は静観の構えでした。
しかし結局DANGEROUS Tourは11月メキシコで中断・終了を余儀なくされます。
そして・・。
PEPSI はMJとの翌年の契約更新をすることはありませんでした。
企業としてはやむを得ない選択だったのでしょうが・・。
そして2009年。
あれから15年の月日がたっていました。
PEPSIは、自社のHPにあるメッセージを載せました。
そこにはこう書かれていました。

きみはいつだってぼくらのキングオブポップだよ
ありがとう マイケル
何年月日が経とうとも、PEPSI は忘れなかった。
MJが自分たちのコーラ戦争大勝利の大きな立役者だったという事を。
これはPEPSI のMJへの感謝のメッセージだとわたしは思っています。
ただ、もしも出来ることなら彼が生きている間に・・。
再度両者が手を携える事ができていたなら・・と、いまさらですがふとそんなことを思います。
・・・
てことで、これからもわたしはコーラはPEPSI!
美味しいとこがイイ!
ね。
MJにひどい火傷を負わせる結果となってしまったことで、MJとPEPSIの関係は終わるかに見えました。
しかし、MJは自身がうち立てた「スリラー」の世界記録を越える作品を作られねばならず、しかもそれまでジャクソンズの一員としてのツアー経験はあっても、ソロツアーは未経験、世界中が待ちわびているMJの新しいアルバムを引っさげてのソロ・ワールドツアーは絶対に成功させなければなりませんでした。
そのためのサポートができる企業として、彼はPEPSIとの契約更新を承諾します。
しかし、今回はジャクソンズとの契約ではなく、MJ個人です。
MJはPEPSI 側に「次は世界中を燃え上がらせよう」と言い、ただのCM契約ではなく、ワールドツアーのスポンサーとしての統括的な契約の提案をしたといわれています。
この言葉は、世界中にMJ&PEPSI旋風を巻き起こそうという意味と、前回MJが燃え上がった事故にひっかけた意味がうかがえ、PEPSI側にすれば当然選択の余地はなかったでしょう。
1986年、MJとPEPSIは正式に契約更新し、来たるべきソロ・ワールドツアーの宣伝・公演の全てをPEPSIが受け持つ事になります。
MJの初めてのソロツアー「BAD World Tour」は1987年9月にスタートします。
当時日本ペプシコーラの副社長であった秋元征紘氏によると、約1ヶ月にも及ぶ14回の日本公演のスタートと同時に、前回お話した「コーラ戦争に勝った!」著者のPEPSI社長、ロジャー・エンリコ氏のまさにこの本を、日本でも発売するプロジェクトが進んでいたそうで、戦略としてやはりツアー開始に合わせるようにMJのPEPSI のCM(前回冒頭のCM)をいっせいに流すようにしたそうです。
しかも、コンサート会場の一つであった横浜スタジアムの巨大な特設ステージバックにあった「コカ・コーラ」のスコアボードのネオンサイン全面を、黒幕で完全に覆わせることもやってのけ、ここでもいわゆるコカコーラとの「コーラ戦争」は繰り広げられていたのです。
このツアーの結果、「コーラ戦争に勝った!」(日本語)は30万部近くを売上げ、日本でのPEPSI知名度もMJ人気と共に急激に上がり、日本ペプシ・コーラの売上は、前年費40%増という記録的売上を達成したそうです。
BAD Tourは世界15ヶ国で123公演、440万人の観客動員を記録し大成功をおさめました。
と、同時にPEPSI も世界的なシェア争いに勝ったといえます。
MJとPEPSI の目的は一致し、この両者の契約はその後7年間絶えることなく継続される事になります。
マイケルは何本もPEPSI とのCMを作成しましたが、わたしが一番好きで、またまた観るたびに目頭がアツくなるCMがこれ。
最初がオリジナル、次がCM、最後はショートバージョンのCMです。
ピアノを弾き語るマイコーの前に現れる小さな頃のマイコー。
二人が「I'll Be There」をデュエットするところが最高!
I'll be there, I'll be there,
Just call my name, I'll be there...
ぼくはいるよ そばにいる
ぼくの名前を呼んで そばにいるんだ すぐそこに
しかし、この美しいCMまでもが、わけわかんない噂のネタになるんですね。
もうここまでくると本当にUSのメディアは、マイコーになら何を言ってもいいと思っていたとしか思えませんね。
過去記事でも書いた93年の「オプラ・ウィンフリーショウ」でのMJインタビューで、オプラが
「最近のPEPSI CMで出てくる小さな男の子のことだけど、実はあなたが白人の子供を起用したいって言ってたというのは本当なの?」と質問します。(はぁぁぁぁ?!?)
MJはキッパリと答えます。
「まったく馬鹿げてる。今まで聞いた中で一番馬鹿げたおぞましい話だ!
クレージーとしかいいようがないね。
どうして、だいたいあのCMで映っている子供の顔は僕自身の小さな頃なんだよ。
どういう訳で僕が白人の子供に僕を演じさせたいとおっしゃるんです?
ぼくは黒人(ブラックアメリカン)だ!
僕は黒人であるということに誇りを持っている 。
自分の人種について誇りを持っているんだよ。
僕は僕自身が何者であるかについて誇りを持っているんだ。
僕は強くプライドと尊厳を持っているんだ!」
話は一瞬PEPSI からそれたかにみえますが、大丈夫。つながっています。
このオプラのインタビューが放送されたのは1993年2月。
バカバカしい噂はありましたが、この時期このPEPSI の美しいCMはばんばん流れていました。
しかし、93年の夏。
さまざまな諸悪の根源ともいえる、あのゆすり目的のでっちあげであるチャンドラー訴訟が起こります。
始めの頃はDANGEROUS Tour中でもあったことで、PEPSI は静観の構えでした。
しかし結局DANGEROUS Tourは11月メキシコで中断・終了を余儀なくされます。
そして・・。
PEPSI はMJとの翌年の契約更新をすることはありませんでした。
企業としてはやむを得ない選択だったのでしょうが・・。
そして2009年。
あれから15年の月日がたっていました。
PEPSIは、自社のHPにあるメッセージを載せました。
そこにはこう書かれていました。

きみはいつだってぼくらのキングオブポップだよ
ありがとう マイケル
何年月日が経とうとも、PEPSI は忘れなかった。
MJが自分たちのコーラ戦争大勝利の大きな立役者だったという事を。
これはPEPSI のMJへの感謝のメッセージだとわたしは思っています。
ただ、もしも出来ることなら彼が生きている間に・・。
再度両者が手を携える事ができていたなら・・と、いまさらですがふとそんなことを思います。
・・・
てことで、これからもわたしはコーラはPEPSI!
美味しいとこがイイ!
ね。
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