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リズではなくエリザベスへ その1

ハリウッドにあるWalk of Fame

The Walk of Fame_Mickey
ミッキーの番地は6925Hollywood Blvd

The Walk of Fame_MJ
マイケルのは6927Hollywood Blvd

結構近いw
きっと彼は喜んだに違いない^^


マイケルは譜面のおたまじゃくしとにらめっこしながら曲を作る人ではありませんでしたし、若い頃から神様がすでに完璧な状態の音楽を自分のひざに落としてくれるから、自分はただそれを具現化するだけなのだと話していましたよね。
具体的には神によってもたらされるメロディを自分で口ずさんだものを録音していく方法(あとからしかるべき人が譜面におこす)でしたが、専門家に言わせると、彼の曲の中には緻密な計算に基づいて作ったとしか思えないようなコード進行があったりするらしく、それらを譜面に向かわずに生み出せるという事が天才たるゆえんなのだと聞いたことがあります。

そんな風に生み出される彼の曲の中で「ディズニーエッセンス」みたいなのもの、ディズニーのミュージカル曲を思い起こさせるような曲が何曲かあるのですが、おそらくわたしだけではなく多くの人が同じように感じていると思いますけれど。

わたしにとってそれの代表曲は「CHILDHOOD」です。

Childhood (Theme From Free Willy 2) (with Lyrics)


この曲自体は彼の失われた子供時代がテーマとなったものですから、切なくてついつい涙があふれてしまうのですけれど、曲全体は最初から最後までひたすらに美しい曲ですよね。

斬新なビートやリズムよりも優先される美しい旋律。
起伏のあるドラマティックな展開。
奇をてらわない心地よい構成。


その次に思い浮かぶ曲が実はこれなのです。
彼の大好きな大好きな、一番の理解者であり生涯の親友であり同志でもある人に捧げた曲

「Elizabeth, I love you」

マイケルの初めてのわが子プリンスくんが生まれて2日後の1997年2月16日。
エリザベス・テイラーの生誕65周年祝賀会に彼女のエスコート役として出席します。

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会場であるパンテージ・シアターは、マイケルのWalk of FameがあるHollywood Blvd沿いにあって、1995年にSF「You Are Not Alone」の撮影でも使われたホールです。
最近では「Hollywood Tonight」のミュージックヴィデオ(あれはもうショートフィルムとは呼べないから・・)がこのホール前で撮影されましたよね。

この日マイケルはエスコートだけではなく彼女のために作った曲を捧げました。
商用としてリリースなどしない、エリザベス一人に捧げるために彼女へのありったけの愛情を紡いで作られた歌・・

最後に彼女とハグをしながらマイケルが「I love you more」と言うのをどうぞ聞き逃さない様に^^


Elizabeth, I love you



Elizabeth, I love you
You're every star that shines in the world to me
Elizabeth can't you see that it's true

エリザベス 大好きだよ
僕にとってあなたは世界をその輝きで照らす星
エリザベス 本当だよわかってくれるよね

Remember the time when I was alone
You stood by my side and said:
"Let's be strong"
You did all these tings That only a true friend can do

僕が孤独だった時を思い出す
あなたは僕のそばで言ってくれたね
「一緒に強くなりましょう」って
あなたは本当の友達だけができることを全部してくれた

Elizabeth, I love you
The world knows your work now
Of all the things on earth now
I pray one day I'll be just like... you.

エリザベス 大好きだよ
今世界中が、今この地球上の全てのものがあなたの成し遂げたことを知っている
僕は祈るよ、いつかあなたのようになれますようにって・・



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自分の孤独も痛みも悲しみも何だって理解してくれたひと
エンターテイメントの素晴らしさも恐ろしさも一緒に分かちあえた人
陥れられ根も葉もない疑いをかけられ身も心もずたずたになった時に駆けつけ支えて守ってくれたひと
初めてのクリスマスをプレゼントしてくれて一緒に祝う勇気をくれたひと
自分を傷つけようとするものに決して負けない強さを教えてくれたひと


エリザベスへの絶対的な信頼と愛情をストレートに歌い上げる美しいメロディ。
ディズニーミュージカルのような曲調は、もう奇をてらわない、新しい試みもなにもない、素直に純粋にただただまっすぐに、それはマイケルの彼女への小細工など一切ない正直な想いを投影するかのようです。


とはいえ、エンターテイメント界の大先輩でもあるエリザベスに見せるからには、彼女に「やるわね」とうならせる演出をする冷静さも忘れていないところがさすがKing^^
このまま何かのミュージカル曲にしても問題ないクオリティですよね。

これよりさかのぼる事7年前、やはり心から尊敬し憧れた、すぐれた黒人エンターテイナーの草分け的存在だったSammy Davis Jr.の芸能生活60年を祝うステージで、やはりこのとき1回だけ、サミーに捧げる為だけに作られた「You Were There(あなたがいたから)」過去記事はこちら
この曲も、やはり美しく心が洗われるようなメロディです。

Sammy Davis Jr. 60th Anniversary TV Special


その人への気持ちを込めながら、その人へ想いをはせていると、インスピレーションと共に頭に浮かび上がるメロディは、結局は単純に純粋に心地のよい安心感のある美しい旋律となるのでしょうね。


エリザベス・テイラーはわたしが物心ついた頃はハリウッドを代表する大スターでしたけれど、すでに頂点を登りつめ、映画女優というより恋多きかつての大女優と言うイメージしかなかったのも事実です。
マイケルが歌った歌詞があらわしているように、メディアは彼女の素晴らしい演技力の行方よりも彼女の恋の行方ばかり追いかけ、今で言うところの「お騒がせセレブ」という扱いであったようです。

彼女も9歳の頃にはその美貌でチャイルドスターとして多くの銀幕を飾っていました。
殺人的な撮影スケジュールのため、普通の学校に通う事はもはや許されず、MGM撮影所の中の学校で最低限の知識を学び、あとはすべて大人の勝手な都合で決められたスケジュールの中で働き、厳格な父親からの虐待や撮影の都合で生じた昼夜逆転の生活に順応させるための睡眠薬の乱用など、およそ子供らしく過ごす事等できない過酷なストレスのかかった状態で大人になった人でした。


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アルコールに逃げ薬物に頼った経験を持ち、だけれどもそれらを見事に克服した強い精神力をも持っていた人だったからこそ、93年にマイケルを支えてあげることができたのでしょう。

都合のいいときだけ持ち上げ、少しでも価値がなくなったとみるや手のひらを返すように攻撃にまわるメディアをジョークで煙に巻き、決して弱さを見せずに、時としておおいに利用するという、ハリウッドと言う魅力あふれる魔境で幼い時から培ってきた強いバイタリティがあったからこそ、マイケルにも「一緒に強くなりましょう」と励ますことが出来たのでしょう。

彼女の代表作品のひとつ、映画「ジャイアンツ」で共演したロック・ハドソンがエイズを発症し、同性愛者であることを公にした時、セレブとして初めてハドソンやエイズ患者を支援するために声を上げ、エイズ研究のための基金を設立し、英国王室からデイムの称号を与えられたほどの人道主義者であったからこそ、マイケルの子供を守るための活動が誤解を招く事を何よりも悲しみ、常に彼への擁護を先頭に立って毅然と行うことが出来たのでしょう。

そんな彼女のそばにいたマイケルが「いつかあなたみたいになれるよう祈るよ」と歌った言葉は、彼の心の底からの本心で、彼女の強さやしたたかさや聖母のような優しさすべてが、彼にとって必要だったのかもしれません。

Elizabeth is like a mother.. & more than that.
She’s a friend.
She’s Mother Teresa, Princess Diana, the Queen of England & Wendy.
エリザベスは母親のような・・それ以上だね
友達であり、僕にとってはマザーテレサ、プリンセスダイアナ、イギリス女王、そしてピーターパンのウェンディでもあるんだよ


We have great picnics.
It’s so wonderful to be with her.
I can really relax with her, because we’ve lived the same life and experienced the same thing.
僕たちはとても楽しんでいるよ。
彼女といると本当に素晴らしいんだ。
彼女とは心からリラックスできる・・僕たちは同じような経験をし、同じような人生を送ってきたからね




長くなりました。

続きます。

アルバム「MICHAEL」に携わった人々とHis message(2)

前回の続きです。

お待ちかねのマイケルのメッセージです。
Neff-Uがメッセージの説明をしてくれています。



Neff-U: 僕はピアノのところに居て彼はブースに居て、そのとき彼は感情が溢れてきたみたいで、世界に対してどう感じているのかを語り始めたんだ。

"It's like..when..when.. a Mother sends her child off to war they don't know if they're ever gonna come back..you know.
How can we look at such things happening and not...you know..wanna do something.
How can we turn our heads and pretend as if we don't see it...you know.
I can't see people in pain or pretend as if it's not there..."

それは、また家に無事に戻ってこれるかどうかもわからない戦争に、自分の子供を送り出さなければならないお母さんが居る世界・・わかるかな・・
同じ地球上で起きているこうしたことに僕達はどう目を向けるのか、それとも・・・わかってくれるよね・・僕は行動を起こしたいんだ。
どうしたら見てみぬふりから考え方を変えていけるのか・・痛みを抱えている人たちを放ってはおけないんだ・・わかるよね
何も起きていないような態度を取ることなんて僕にはできないよ・・


Neff-U: 彼に嘘はなかったよ。助けを必要とする人には手を差し伸べて、出来る限りの手助けをしようとしていた。チャリティーやいくつもの団体への寄付活動を見ればわかるよね・・

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Neff-Uは番組内のインタビューでもわかるとおり、マイケルがビージーズのバリー・ギブと2002年12月、「All In Your Name」のデモ・セッションをしているスタジオ(Middle Ear Studioはバリーの持つスタジオでマイアミにあります。)で彼らと一緒に仕事をしています。
この曲はバリーとの共作で、アメリカのイラク侵攻に抗議して書いたといわれています。

911の悲劇が起こってすぐの2001年9月16日には、早くも犠牲者や遺族救済の目的で収益金を全て寄付するチャリティソング製作のため多くのアーティストに呼びかけを行ったマイケル。
10月21日には、30THライブで競演をしたばかりのインシンクをはじめ、マライア・キャリー、カルロス・サンタナ、セリーヌ・ディオンら25組以上のアーティストが参加する大規模なチャリティーライブを行います。もちろんその収益も全てテロの犠牲者、遺族に寄付されました。
そのエンディングで歌われたのが、What More Can I Giveでした。
当時アメリカでは、卑怯なテロに屈さずに立ち上がる強いアメリカを多くの国民が欲する気運に満ち満ちていたように、日本にいるわたしでも感じたぐらいですから、ある意味この曲の持つメッセージは物足りないと思う人もいたかもしれません。
犠牲になった愛する家族や友人や知り合い・・そんな人たちのために、彼らの死を無駄にしないために、そして自由の国アメリカのために、テロリズムと言う悪を全て根絶やしにすることこそ正義。
そういった正義感、愛国心、忠誠心を鼓舞する歌ではありませんでしたから。

s-What More Can I Give on 10_ 21_2001 01


How many times can we turn our heads
And pretend we cannot see
Healing the wounds of our broken earth
We are one global family
僕らは何度顔を背け
見て見ぬふりをするのだろう?
壊れた地球の傷を癒さねばならない
僕らは一つの、世界の家族なのに

Brother to brother, lay down our fears and reach out and make a pact
Show him the love that is in our hearts, let us bring salvation back
Just sending your love has the power to heal
So let's all give
兄弟たちよ、恐れを捨てて、手を伸ばし、仲間になろう
相手に心の内に秘めた愛を示し、救いの道を取り戻そう
愛を送ることが、癒す力になる
だから、みんなでそうしよう

Say the words, I'll lay 'em down for you
Just call my name, I am your friend
See then why do they keep teaching us
Such hate and cruelty
We should give over and over again
その言葉を言ってくれれば、僕は武器を捨てる
僕の名前を呼べば、僕は君の友人だ
なのに何故僕らは、
憎悪と残酷の教訓を受け続けるのか?
僕らはもっともっと努力しないと


What More Can I Give:written by Michael Jackson(訳:大西恒樹さん・マイケルの遺した言葉より抜粋)


この曲自体は1999年にはすでに完成していたようですが、詩の内容はまさにタイムリー。
アメリカは表向きアルカイダへの報復としてアフガニスタン紛争へと、そして2002年初頭にはイラクをテロの根源とする悪の枢軸として名指しし、前面戦争への準備を着々と推し進めていくのです。
そんな風に、「正義」という名の下、戦争に次第に駆り立てられてゆく人々に、マイケルは早い段階から「敵味方である前に僕らは家族なんだ」「武器を捨て暴力ではなく愛を与え合わなければ」という、テロに対する報復は憎しみの連鎖を引き起こすだけだという事を訴えたのです。
もちろんそれよりもずっと前から、面子や権力争いの戦いでは、結局犠牲になるのは子供たち、いわゆる普通の人々で、結果何も解決せずただ憎しみの連鎖が続くだけだということを訴え、戦争の愚かさと愛の尊さを曲やライブ演出に込めて贈り続けてきたマイケルにとっては、この歌をこの時期に歌う事に躊躇などなかったのでしょう。
そしてそれはマイケルだけではなく、アメリカのテロ報復攻撃に危惧を抱いたからこそ、この曲のレコーディングやライブへ多くのアーティスト達が参加したのでしょう。


この思いは翌年の彼のスピーチにも表れていると思います。

2002年6月14日、イギリスのエクセターフットボール(サッカー)クラブ主催のチャリティイベントでのスピーチから抜粋

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Sadly, sadly, we live in a state of fear.
Everyday we hear of war on the news, on the radio and television and the newspapers, always of war.
We hear of nations hurting each other, of neighbours hurting each other, of families hurting each other and the children killing each other.
We must learn to live and love each other before its too late.
We have to stop!
We have to stop the prejudice, we have to stop the hating,
we have to stop living in fear of our own neighbours.

悲しいことに・・悲しいことに、僕達は不安な状態で生活しています。
毎日、戦争のニュースが聞こえてきます。ラジオでもデレビでも新聞でも、常に戦争のことなのです。
互いに傷つけあう国同士のニュースが聞こえます・・傷つけあう隣人同士、傷つけあう家族たち、殺しあう子どもたち・・。
僕たちは、愛しあって生きることを手遅れになる前に学ばねばなりません。
もう止めなければ!
僕たちは、偏見で人を見ることを止めなければなりません。人を憎むことなど止めなければ。
自分の隣人にまで恐れを感じて暮らすようなことは止めなければならないのです。


2002年11月21日、ドイツのベルリンで開かれたBambi Award in 2002でマイケルはPop artist of the Millenium賞を受賞しました。彼が「まいったな」と言いながら初めてリーディンググラスを恥ずかしそうにかけた記念的(w)な場面ですから皆さんよくご存知ですよね^^
その時のスピーチから戦争についての言葉を抜粋します。

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September 11 has changed our world.
Not long ago the Berlin walls came down. But recently new walls have been built.
In 1989, people in Germany said " Wir sind ein Volk" (=we are one nation in German)
We are Germans, we are Armenians, French, Italian, Russian, American, Asian, African....many other nationalities.
We are Christians, Jewish, Muslim and Hindu.
We are black, we are white.
We are a community of so many differences, so complex and yet so simple.
WE DO NOT NEED TO HAVE A WAR!!

911は僕たちの世界を変えてしまいました。
ベルリンの壁が壊されたのはそれほど昔ではありません。しかし、最近新しい壁が建設されてしまっています。
1989年にドイツの人々は言いました。「私たちは一つのドイツ国民だ!」と。
僕たちはドイツ人であり、アルメニア人であり、フランス人、イタリア人、ロシア人、アメリカ人、アジア人、アフリカ人・・・さまざまな国民性があります。
僕たちはキリスト教徒で、ユダヤ教徒で、イスラム教徒、ヒンズー教徒です。
僕たちは黒人であり、白人です。
僕たちはさまざまな違いを持つコミュニティなのです、それはとても複雑で、でもとてもシンプルなのです。
僕たちはもう戦争を必要としないのです



イラクへの戦争の気運が高まるこの時期、大勢の人前で話す機会があるごとにこうして反戦を訴えていたマイケル。
そんな彼が長年の友人であるバリー・ギブと共にイラク侵攻の回避を願い抗議の意味を込めた曲作りをすることは自然な事に思われるのです。
二人のセッションはこの年の夏ごろから始まっていたようです。

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この曲の歌詞に具体的な戦争への言及はなされていません。
One family of love とかgiving, not the taking、They're the sameといったマイケルらしい言葉たち・・
ですが、1箇所だけ「war」を見つけました。

where is the peace
We're searching for under the shadows of war
Can we hold out, and stand up, and say no
平和はいったいどこに?
僕らは戦争の影の下でずっと探してる
僕らは抵抗する事ができるんだ、立ち上がって「NO」と言うことも!


歌の歌詞を訳すのは上級センスと確かな語学力が要りますので、いつかきちんとした和訳が上がる事を祈ります。(挫折ですw)

※「All In Your Name」のLyricsはこちらでどうぞ
もうご存知の通りバリーの公式HPで公開されていますよね。
バリーの息子さんがホームビデオで録ってくれたおかげでマイケルの様子を見ることが出来て本当に嬉しいです。
マイケルとバリーの関係、マイケルがビージーズから受けた影響なんかもいずれ記事で掘り下げてみたいと思っています。



そういった背景を考えてみると、冒頭のマイケルがNeff-Uに語った言葉が録音されたのは、この曲をバリーと共に製作していたスタジオでかな・・と思ったりしました。
ただNeff-Uは2006年、マイケルがアイルランドの自然の中で過ごしながら曲作りを再開させた時もスタジオを訪れて一緒に過ごしています。(マイケルがドラムを叩いて一緒にBellie JeanをPLAYしたのだとか!きゃー^^)

その時でなくとも2005年以降だとしたら、あのような苦しい経験をしてもなお彼の目は他者に向けられ、他者の為にできる事を探して・・音楽を通じてそれを成そうとし・・
そうして変わらぬ思いを持ち続け、ようやく機が熟した時がTIIであったのでしょうか。

どちらにしてもこの彼の姿勢は、ずっとずっと彼が若い頃から今に至るまで全く変わらず、常に使命のようにあらゆる問題から目を背けず、人知れず心を痛め、声なき声に耳を傾け、いつでも手をさし伸ばし、そして自分のことよりも他者を常に思いやり、寄り添うように喜びを与え続けてきてくれた彼のその信念が、ぶれることなく終始一貫していたことに、いまさらながら驚きを隠せませんし、わたしたちがマイケルをただアーティストとして好きなだけではなく、ひとりの人間として尊敬せずにはいられない大きな理由です。
時として彼のその、並の人間には真似できないほど深すぎる慈悲の想いや行動が、やはり悲しいことに並の人間には理解できないスケールだったがために、彼の本意からは大きく外れ、捻じ曲げられた報道となってしまいましたよね・・

それが悔しいという言葉では表せないほど悔しくてたまらないわけです・・

だからこそ彼のメッセージを受け止めて大切に胸に刻んで、できれば自分を見失うような時、いつも思い出して自分なりの正しい道を歩いていけるように努力したいと思います。
それはさながら漆黒の夜の海の波間に漂い、方向もわからず途方にくれた時に、進むべき道を照らしてくれる灯台の優しいけれど強い光のように。

どこまでも美しい心を持ち続けた彼を大好きだと言える事が、これほどまでに誇らしくこれほどまでに豊穣な喜びを与えてくれるアーティストは、やはりこの人以外にはいないと心の底から想うのです。




アルバム「MICHAEL」に携わった人々とHis message(1)

「MICHAEL: The Making of the Album」

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これは今年の3月にアメリカで放送された、アルバムMICHAELに関わったアーティスト、プロデューサーたちのそれぞれ関わった曲とマイケルへの想いが語られた番組です。

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残念ながら日本での放送はいまだなされていないようで、動画も日本語字幕がありませんからいつものようにトランススクリプトもなく、ヒアリングが絶望的なわたしにはお手上げだったのですが、どうしても内容が知りたくて、このブログを通して知り合ったMJクラスタの英語堪能なお友達、Mちゃんに無理を言ってスクリプトを起こしてもらい、更には訳していただきました。
おかげで彼らの話す内容がよくわかり、同時にいかに彼らがマイケルをリスペクトし、マイケルの曲に携わる事が幸せだという彼らのマイケルへの想いも伝わってきました。

番組ではアルバムの曲がランダムで紹介され、話すアーティストもそこここで細切れに話す感じなのですが、動画を見ながらだいたいの内容がわかるようにと、Mちゃんがそれぞれの登場人物の話をまとめて和訳してくれましたので、ここでシェアさせていただくことにしました。
(Mちゃんはマイケルスピリットあふれる様々な活動もしているとてもステキな女性です。
彼女のブログはこちら。Mちゃん本当にありがとう^^)


特筆すべきは、動画の18分を過ぎたあたり、ちょうどNeff-Uがマイケルとの思い出を語るシーンで、時期は定かではないのですが、マイケルが彼とレコーディングスタジオにいた時に録られたものだと思われるマイケル本人声でメッセージを聞くことが出来るんですね!^^

これもMちゃんがヒアリングの後、書き起こして訳してくれました!
マイケルのいつものあの優しい声で静かに語られるメッセージ・・
何があってもぶれないマイケルの信念とも言えるメッセージです。
これだけは何としてもここに記録して、シェアしたかったので本当にMちゃんには感謝感謝です^^


では順を追ってご紹介していきますね^^


MICHAEL: The Making of the Album



■50 Cent

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覚えていないくらい小さい頃からずっとファンだ。ビリージーンの黒のジャケットとピンクのシャツにはやられたよ!彼のキャリアは誰とも比べられないよ。

なかなかマイケルに直接会える機会は巡ってこなかった。
でもあるとき僕のDJがマイケルと会う機会があって、彼が僕と仕事をしたがっていて曲を一緒に作りたいと話しているからと電話でマイケルと話したよ。「もちろん、よろこんで」って答えたよ。
そしたらすごく緊張してきて。いつも他のアーティストと仕事をするときは全然緊張なんてしないんだ。
でもマイケルは特別で他のアーティストとは違うから。うまく説明はできないんだけど。

Monsterは2010年バージョンのスリラーだ!
マイケルの電話の後、一度落ち着いて改めて考えて彼に「一緒に仕事をさせて欲しい」って電話したんだ。
僕にとっては本当に素晴らしい機会だった。
マイケルジャクソンと一緒に仕事をして(注:実際に会ったと言う訳ではない)
スタジオにはテディ・ライリーがいて。音楽を聞いた瞬間、すごく興奮したよ。
お互いに凄くのってきて、彼が途中で止める?と聞いてくるんだけど、このまま続けたいって答えていたよ。
彼との仕事をするともっともっとと思わせるんだ。過去に聞いたことのないサウンドだ。

このアルバムはとても特別なものだよ。間違いなくマイケルジャクソンコレクションの一つになるんじゃないかな。永久に語り継がれる芸術の一つだと思うよ。


■Teddy Riley

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5歳で学校に行き始めた頃、ジャクソン5というアニメをやっていたんだ。あのときからずっと彼のファンさ。

初めてマイケルに会ったのは1991年だ。はじめて会ったのにずっと昔から知っているような感じだったよ。
彼はGUY(Teddyのグループ)の最初のアルバムから知っていたよ。
僕の音楽のビートや独特のリズムを気に入ってくれていて「こういう風にやってもらえるかな」って僕に聞いてきたんだ。「同じようにとはいかないけど、もっといいものを作るよ」って答えたよ。
彼との仕事で一番ナーバスになった瞬間は、僕が曲をかけていて5番目の曲になったとき、マイケルが「止めて」って言ったんだ。僕は「やばい!くびになる」って思ったんだけど、彼は「すごいよ!」ってわかるかな。
彼がアルバムをチェックする時のあの感じだ。そうして僕の曲の6・7曲がデンジャラスのアルバムに収められたよ。

僕はマイケルと仕事をするのが本当に大好きだ。僕の可能性を引き出してくれるんだ。
マイケルはプロジェクトの終わりにはいつも僕に「もし上手く行かないようだったら、上手くいくように何でも手伝うよ」って言うんだ。
「君が何をしても僕が最後は笑顔で仕上げるよ」って。
だからこのプロジェクト(MICHAEL)も同じなんだ。僕達は家族同然だし、僕はいい音楽をつくる為にいつもベストを尽くしたい。そう、パズルの一片でありたい。

Hold my handはアルバムの中でお気に入りの曲の一つだよ。彼は一度その曲が気に入るとそこから離れようとしないんだ。

彼はいつも静かに子供達と一緒に楽しく過ごしたがっていたよ。カシオのスタジオはすごく素敵なスタジオだったよ。いい音楽を作ることに集中できるような素晴らしい環境だよ。

(monsterについて)これはパパラッチのことを歌ってるんだ。どこでも出てくる彼らのカメラはモンスターみたいだってね。彼は構想の段階からこの曲は50centと一緒にやりたいって言っていたんだ。50centはスタジオに来て音楽を聞くまで何で自分が選ばれたのかわかっていなかった。聞いたとたん「すごいな」ってビックリしてた。レコーディングの途中で、50centが、ここは自分じゃないマイケルだって言うんだ、それで代わってみたら・・まいったよ!

曲に関して彼がどう感じているのかわからないんだ。だって彼はいつもゆったりとしているから。

Keep your head upは僕にとってとても特別な曲だよ。

Breaking newsを初めて聞いたとき、これは人の心をつかむって確信したよ。

Hollywood tonightのブリッジでは、彼女の夢が叶うんだ。

このアルバムはとても神聖な素晴らしいものになると思う。聞いた人が神聖な気持ちになるような。
全てはマイケルのためだ。他の誰でもない。他の誰にもまねできない。


■Akon

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初めて心を動かされたアルバムはスリラーだ。本当に素晴らしいよ。みんなが彼のキャリアに続いたよ。
彼を目標として、あのレベルに到達できるように。

道を歩いていた時に友達がマイケルが俺を探しているって話を聞いたんだ。黙れ!ってそのときは言ったんだけど、そのあとマイケルから電話がかかってきて一緒にコラボしてアルバムを作らないかって話になって、それからは本当に楽しかったよ。(満面の笑み)
ある日マイケルから電話がかかってきて「エイコン、これは素晴らしい曲になるよ」「世界中にこれを発表しよう」「ほんとうに素晴らしいよ」ってしきりに言うんだ。
僕は何もわからないまま何も言わずマイケルがずっと話していて、それから曲を聴いて「信じられない。素晴らしいよ」って話して。電話中はほかの事なんてもうどうでもいいよ。だってマイケルジャクソンと電話で話をしているんだから!

(hold my handについて)彼は僕をラスベガスに招待してくれて「メロディーがすごく気に入ったよ。一緒に完成させよう。きっと素晴らしいものになるよ。どう思う?」って聞くんだ。
「yeh!やろう」っていう具合いさ。僕達はいつもどういうリズムにするか、どんな感じの曲に仕上げるかを話し合ったよ。世界にどういう影響を与えるのか。どういう印象を与えるのか。そこで、僕はhold my handを自分でレコーディングしてみたんだ。そして、マイケルに聞いてみてって言ったんだ。
僕は必ず素晴らしいものになるって確信していて、マイケルも凄く喜んでくれて、僕は「その顔を見るために聞かせたかったんだ」って言ったよ。
レコーディングはすごく時間がかかることが多いけどhold my handのレコーディングは1時間で終わったよ。
あっという間だった。幸運なことに僕たちが使ったスタジオは本当に素晴らしい機材が全て揃っていて、その環境の中でMJと僕は作業をすることができた。
彼は何でも初めてのことをすることが好きだった。
誰も聴いたことがない見たことがない初めてのものに彼はなりたがった。
いま皆それを体感するんじゃないかな。僕達はこの作品を極秘に進めたかったから、特に彼がね。
だから、レコーディングが終わったら家で続きをやろうということになった。

(最後に)寂しいよ。でも悲しみよりも幸せのほうが大きいよ。彼はいつでも僕達の側に居る。
いつでもどの世代でも楽しめるものを残してくれたんだ。


■Eddie Cascio

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小さい頃にスリラーのPVを見て怖かったのを覚えているよ。あのセンセーション、彼は魔法だよ。本当に魔法のような人だった。
初めて彼にあったときは3歳だった。ニューヨークのヘムズレイパレスホテルでマネージャーをしていた父がマイケルと親しくなって、すごくびっくりしたよ。だって彼はすごく有名人だから。11歳か12歳くらいの時だったかな。
僕は音楽が好きですごくたくさんの曲を知っていて、そしたらマイケルが「自分の曲を書いてみたら?」って言ってくれて、それから書き始めたんだ。
彼がもっとクリエイティブな作品が作れるようにいつも方向性を示してくれていたよ。

ここがマイケルがレコーディングをしたフランクリンロードの僕の家だよ。
彼は1年ぐらいここで過ごしたかな。とても快適だったみたいだよ。家族と過ごして、子供たちも自分の家のように遊んで、料理をしたりして、とても幸せそうだったよ。
このスタジオで音楽についてマイケルとずっと話していたよ。どういう音楽を作りたいとか、何をやりたいとか、話したことは全て現実となっていったよ。
2007年10月彼がこのスタジオに子供達と一緒に来て3ヶ月を過ごした。

ここがマイケルがレコーディングしたスタジオだ。彼はここで睡眠もとっていたよ。
信じられないかも知れないけど、この隅っこにベッド置いて彼は寝ていたよ。

夢が叶った瞬間だった。1年もの間、彼やテディ・ライリー、クインシー・ジョーンズのような他の素晴らしいプロヂューサーたちの仕事を側で見ることが出来た。本当に夢のようだったよ。

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ここがシャワーだよ。この中にベンチを置いて座れるよにしてレコーディングしたこともあったよ。
マイケルがそうしようって言ったんだ。
(スタッフ:マイケルはここでシャワーも浴びたの?)そうだね。ここでシャワーも浴びていたね。

(monsterについて)あんな素晴らしい仕事は初めてだよ。Monsterはすごくエネルギッシュな曲だよね。踊りたくなるような。

(keep your head upについて)希望に溢れていて現代のkeep the faithみたいだ。
彼は環境問題にとても関心を持っていると話してくれたよ。温暖化や特に地球を救う為にはもう時間が限られているんだと話していたよ。

Breaking newsはマイケル自身の話だよ。パパラッチがどこにでもいて彼が何をしてもいつも側で見ている。

僕達は凄く親しくていつも彼の声を聞いていた。いまは彼がここには居ないという事実がとても辛いよ・・
ほんとうに辛い・・

※ファンの評判はやはり否定的なものが多いカシオですが、マイケルからかわいがられ信頼が厚かったのは事実です。
2009年7月のステープルズセンターでのメモリアルで配布されたパンフレットに、カシオはマイケルが心を許した人にしか呼ばせなかった'DooDoo'という彼の名前で呼びかける形で(DooDooに関する過去記事はこちらこちら
「Doo Doo, It is only once in a lifetime where you meet a true Angel sent from the Heavens above.
DooDoo、天国から遣わされた本当の天使に会えるのは生涯で一度だけだね」
という書き出しでメッセージを残しています。


■Lenny Kravitz

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5歳の頃からずっとマイケルのファンだ。I want you backとかABCの頃の素晴らしいシングルをブルックリンのおばあちゃんの家でいつもレコードをかけてって言ってたよ。あの頃から俺はミュージシャンになるんだって決めてたよ!
僕達は、たくさん話して笑って食べて、俺の子供が居て彼の子供が居て、みんな本当の家族みたいだった。
あれからたくさんの人たちと仕事をしてきたけど、彼と一緒に仕事をしたときの情熱や経験は今でもわすれられないよ。

マイケルとAnother dayを一緒にやろうよと電話で話したすぐ翌日に彼がスタジオに来ることはわかっていたよ。
曲全体が美しく、でも切なくて、特に始めの歌詞はね。曲ができてから彼がこれはロック過ぎるから今回のアルバム(INVINCIBLE)には入れない。次のアルバムに入れるよって言ったんだ。よりパンチがあるようにドラムやシンセサイザーの音を強く入れたからね。
アルバムに入らなくても俺は満足してたよ。すごくパワフルで素晴らしい曲に仕上がっていたからね。

彼のファンがこのアルバムを聞くことで、みんな彼の純粋さと強さを知ることになるんじゃないかな。


■Neff-U

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僕は教会で育ったから、オフザウォールもスリラーもバッドもずっと知らなかったよ。
ずいぶん大きくなってからスケートリンクに行ったときに曲がかかっていて、その時初めてアウ!とかパウ!とかあのリズムを聞いて衝撃を受けたんだ。とりこになったよ。でも誰が歌っているのかわからなくて、ずっと探し続けて、大学生になった頃かな、それを歌っていたのはマイケルジャクソンだってわかったんだ!

スタジオに居たときに電話がかかってきたんだ。
(ここからはものまねで)「ハロー、ネフユー?あってる?」「そうですが」「マイケルだよ」「OH!」って感じで。
マイケルは「世界を変えるような音楽を作ろう。みんなが踊りたくなって、幸せになるような。君の音楽を聴くのが楽しみだよ」って言うんだ。とてもシンプルだったよ。
僕は、OK!マイケルジャクソンが電話してきたんだ!って感じさ。

彼は僕をマイアミのバリー・ギブのスタジオに呼び寄せたんだ。スタジオに行ったら、バリーギブとマイケルが何種類ものブリッジを僕に聞かせるんだ。「こうはどうかな」「そうじゃない、これはどうかな」って2人の天才がブリッジをどうしようっていつまでもやっているんだ。(注:これが「All In Your Name」だと思われます)

マイケルは僕に「メロディーは古代からあるんだよ。全ての始まりからメロディーはそこにあった」と話してくれた。そして天に対して心をひらくということも。心を天にひらけば自然とメロディーは生まれてくると教えてくれたよ。信じて耳を傾ける限り、天は僕に話しかけてくれるし、僕の口からはメロディーが生まれてくるって。

(Hollywood Tonightについて)これは彼がこの曲のイメージやどうしたいかが手書きで書いてある紙だ。
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(Do smooth, muted, bass on"Hollywood"."Hollywood"は、なめらかな抑えたベースで)

Hollywood tonightはハリウッドを目指す女の子の苦悩が描かれている。

I like the way you love meは、マイケルが僕に持ってきた曲だ。これを一緒に作ろうって。
彼が気に入るために何年もかかったよ。あまり重い感じではなく軽い感じにしたかったみたいだ。
みんな僕にプロデュースをして欲しいとか大きな仕事の話を持ちかけるけど、僕はシンプルにストレートで居たいんだって話していたよ。

(Best of Joyについて)Best of joyは僕たちが曲から完成させなければいけなかったものの一つだ。
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彼が亡くなったあと、この曲を出して彼のビジョンを完成させようとしたんだ。彼が最後に仕事をしたプロデューサーに会って彼の意思や目指すサウンドを理解して近づけようとしたよ。

(アルバムについて)彼を好きな人々の手に渡ることが嬉しいよ。彼は僕の友達だったよ。彼が亡くなった後もみんなが彼に敬意を表している。ほんとうに素晴らしいよ。


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長くなりました・・
マイケルのメッセージはー?という非難轟々が聞こえそうですが(苦笑)続きます^^



The reason I love his dance.

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「なんかかっこいいでしょ?こんなのあんた好きそうだからさぁ」
そう言って結婚祝いに友人から贈られたこの絵はうちのリビングの正面の壁に飾ってあるものです。

COME BACK DANSING!1950
1950年代のダンスよ、もう一度!

うん、好き好き^^
アメリカのモノクロムービーに出てきそうな感じでいいわぁ、ありがとう♪

ぐらいしか感想はなくて、でも部屋の雰囲気がたいそうよくなるので目立つ場所に飾って、その後何年も何年も特別どうということなくすっかり空気のような存在になっていったこの絵。

ある日デパートの催事場で行われていた展示会。
何気に覗いたわたしの目に飛び込んできたリビングの絵と同じ写真。
そこではじめてその絵がフレッド・アステアの1953年主演のミュージカル映画「The Band Wagon」でのダンスナンバー「The Girl Hunt Ballet」の1シーンだったということがわかったのでした。
Fred Astaire and Cyd Charisse


Fred Astaire

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言わずと知れたマイケルが尊敬していたHEROのうちのお一人。
この「The Girl Hunt Ballet」がマイケルの「Smooth Criminal」はもちろん、彼のパフォーマンスやSFに多くの影響を及ぼしていることはご存知の方も多いでしょう。

The Band Wagon - Fred Astaire and Cyd Charisse



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まんまです^^

この動画の冒頭、ギャングの入店の動きもSmooth Criminalで見覚えありますし、アステアが入店する時の動きは「You Rock My World」のダンスムーブです。
この動きはSmooth Criminalのライブパフォーマンスでは振り付けにもなっていますし、店内で繰り広げられるギャングとの格闘ダンスシーンもSmooth Criminalを彷彿させる雰囲気ばかり。(てか元がこっちですけれどw)

You rock my world5

それだけではなくアステア作品の中の彼の動きを見ると、マイケルっぽい♪というのが沢山あるのですね。
アステアの1935年の映画「Top Hat」でのソロダンスシーンを見ると、彼はステッキを巧みに使って踊るのですが、途中ステッキを蹴り上げる足の動きが、クリス・タッカーが反対側の足でやってしまうマイケルのキックに見えたり、アステアがターンを何度かした後に前かがみで静止するポーズなんて、マイケルの有名な「Billie Jean」でのターンの後のつま先立ちで静止する動きのもとになっているんじゃないかと思うぐらい。

Fred Astaire Bojangles
ミュージカル「Swing Time(有頂天時代)」のアステアのシャドーダンス・・こんな演出見覚えありの人手を上げて^^


アステアはSmooth CriminalのSFを撮影時はまだ存命していましたが、その後4ヶ月ほどでこの世を去りました。
奇しくも憧れの人へのトリビュートはオマージュとなりました。

Michael Jackson & Fred Astaire: The Master & His Teacher





アステアのダンスの優美さといったら。
指先、足先にまできれいに神経が行き届いた動き。
静と動のコントラスト。
踊りの中の一つ一つのセグメントに、ギクシャクしたつなぎ目が一切感じられない一筆書きのようななめらかさ。
上体の軸がぶれないバランスのとれた軽い身のこなし。

まさにマイケルそのもの!

わたしがマイケルのダンスを見ていつもうっとりするのが、このしなやかな優美さです。
パフォーマンス中、どこを切り取られてもどの瞬間を撮られても、指先まで足先まで美しく優雅でしょう?
他のダンサーの、上手だけど、Powerは感じられるけれど、どことなく力だけで押すような筋肉だるまのダンスというか、力強いといえば聞こえがいいですけれど、力こぶぱんぱんでそれがかえって重さを感じる踊りよりも、重力など感じていないかのように、複雑なセグメントを難なくやってのけてしまう、まるで滑るようになめらかで品のあるマイケルのダンスは「芸術(Art)」を鑑賞しているのと同じ気持ちになるのですね。

マイケルは幼い頃からダンスを習ったことなど一切なく、まさに神様から贈られた天性の才能があったのだと思いますが、それだけではなくただただ憧れだったジェームズ・ブラウン(過去記事)のファンクステップを食い入るように見て真似たのと同時に、やはり大好きなアステアやサミー・デイビスJr(過去記事)のタップや所作も研究し練習し、そうやって彼らのエッセンスを自然に吸収していったのですね。

マイケルは若い時からずっと彼らに夢中だったとよく話しています。


■1987年BADツアーで来日中に受けたインタビュー
I've always love to dance.
When I was just real little I used to watch Sammy Davis, Fred Astaire, James Brown...and just dancing about the house.

いつだって僕はダンスが大好きだ。
ほんの小さい頃は、サミー・デイヴィス、フレッド・アステア、ジェームズ・ブラウンを見ては、とにかく家中で踊ってたんだよ。



■2001年 TV Guide インタビュー にて、若い世代から真似られることに関して聞かれて
I have no problem with them imitating [me].It's a compliment.
Everybody has to start out looking up to someome.
For me it was James Brown, Sammy Davis Jr., Jackie Wilson, Fred Astaire, Gene Kelly.

まねされることには何の問題もないよ。光栄だね。
だれでも誰かを尊敬することからスタートするものさ。
僕にとってはそれがジェームズ・ブラウン、サミー・デイビスJr、ジャッキー・ウィルソン、フレッド・アステア、ジーン・ケリーだったんだ。



■2002年 VIBE インタビュー
I'm crazy about Sammy Davis Jr., Charlie Chaplin, Fred Astaire, Gene Kelly, Bill “Bojangles” Robinson-the real entertainers, the real thing, not just gimmicks, showstoppers.

僕が夢中なのは、サミーデイビスJr、チャーリーチャップリン、フレッド・アステア、ジーンケリー、ビル”ボージャングル”ロビンソン*・・そういう本当のエンターテイナー、本物の、小細工なしのショー・ストッパー*(賞賛の拍手が鳴り止まずショーを中断させてしまうほどの天才)たちなんだよ。


*Bill"Bojangles"Robinson・・アステアやサミーにも影響を与えた伝説の黒人タップダンサーです。でもサミーの十八番である「Mr.Bojangles」の歌に出てくるBojanglesではないようです。歌の中の老人が自らを「かつてはBojanglesと呼ばれたこともある」というのは、天才Bojanglesぐらいイカしたダンサーだったのさ、という意味なのでしょう(プチ情報w)

*ちなみにIT関連でこの言葉は、「ハードおよびソフトの致命的な問題やバグ」のことを言って、まったくもってよくないイメージなのですw エンターテイメント界ではいい意味で使うのですね。(プチ情報2w)




ケニー・オルテガもインタビューで語っていました。(ソースはこちら
「僕は、マイケルは(ジーン・ケリーより)フレッド・アステアのエレガンスさに影響を受けていたと思う。
マイケルはサミー・デイビスJrやジェームス・ブラウンやジュディ・ガーランドやフレッド・アステアを敬愛していた。
でも、彼らと同じになったということではない。
マイケルは彼らから何か触発されただろうけれど、あくまで自分で全てを作ったんだよ」


アステアの洗練された美しいダンス
サミーの粋で品のあるスマートなタップ
JBが持つファンキーでソウルフルなステップ

少なくとも彼らから学べるだけ学んだあとは、それら彼らのエッセンスは全て自分の血となり肉となり細胞となって、もともとの天性の才能と溶け合い融合し、他のだれでもない唯一無二の自分だけの芸術に昇華させた。

踊りの基礎だといわれるタップや、BADのSFでみられたウエストサイドストーリーを髣髴とさせるジャズダンスや、宇宙遊泳のようにかかとを軸にゆっくりまわるムーンウォークや、バックスライド(今一般に言われているマイケルのムーンウォーク)を生んだ黒人のストリートダンス、これらも一目見れば自然と体が反応してしまう彼が、そこに練習と言う努力を足した結果、時に美しく、時にエネルギッシュに、正確で緻密で、だけどそれだけじゃない魅せるダンスを自分のものにしてしまった。

しかも彼は黒人特有の素晴らしい身体能力ゆえに、すぐに発達しやすい筋肉を持っていましたが、特に上半身の筋肉が発達しすぎると美しくみえないとして、出来るだけ鍛えるのはインナーマッスルのみ、という徹底ぶりをもって踊っている時の見た目をもコントロールしていました。
確かに胸筋が発達しすぎると、上体が大きくなりすぎて繊細な踊りにはそぐわない体型になりますし、何といっても激しい動きから静止した後の呼吸状態がわかりやすい。

余談ですが、TIIでのドリルから「They Don't care about us」へ移る一瞬の静止時、バックダンサーは胸が大きく上下に動き、その呼吸の激しさが伺えますが、マイケルの胸は少しも揺れない。
これはマイケルが持つ特別な呼吸法によって制御されているのだと聞いたことがありますが、それに加えて筋力はつけても必要以上に上体に筋肉をつけない彼の肢体とのなせる技。
まさに完ぺき主義者のプロ意識を垣間見れた瞬間でしたよね。

彼のその必要以上に筋肉を発達させない細身の肉体が優雅さを生むのです。
わたしが彼のダンスを好きな理由のひとつです。
弱々しい細さではなくしなやかな筋肉を軽くまとったかのような彼だから、よけいに手足の伸びやかさが美しく見えるし、それこそただ歩くだけの動きでもきちんときれいでしょう?
マイケルはセクシーではあるけれど、それは一般的に言われている色気というより、ミケランジェロのダビデ像のような、裸体なんだけど下品じゃないというか。
例えば「In The Closet」のような官能的な踊りであっても、どうしてもその中に品を感じてしまうのは、やはり体つきが大きく関係しているような気がします。

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アステアやサミーにもそれを感じます。

The Band Wagon - Fred Astaire and Cyd Charisse

アステアは前述の「The Band Wagon」内のダンスナンバー「The Girl Hunt Ballet」で、相手役のCyd Charisse と踊っていますが、セクシーな絡みというよりは紳士的に彼女をエスコートし、彼女の魅力を際立たせてあげているように見えるのは、やはりアステアの細身の体が生み出す洗練さゆえではないかなと。

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ショーで軽々とタップを踏むサミーのパフォーマンスから感じるのは、やはり細身の重力を感じさせないその姿だからこそかもし出される小粋で上品でスマートな優美さでした。


あのクインシー・ジョーンズをして「フレッド・アステアやサミー・デイビスJr、ジェイムズ・ブラウンを同時に連想させる至芸者」と言わしめたマイケル。

尊敬して憧れた多くのショーストッパーたち・・
その偉大な先人たちの誰にも真似できない真髄を彼はいとも容易く手に入れた。

一筆書きのような途切れ感のない流れるようなきれいな動き。
動と静のコントラストが絶妙で、激しい踊りの最中でも彼の手足の運びはスローモーションのように優雅。
にもかかわらず、音とのタイミングは気持ちのいいほどぴったり決まる。
顔や首が一番美しく見える角度に、手足は伸ばされようが曲げられようが絶対に美しく見える位置へ寸分たがわず「ここ!」というポジションにぴたっぴたっと決まる。
その踊りはもはや「振り付け」ではなく、彼の「呼吸」そのもの。

I know my fate is to show others that this silence, this light, this blessing is my dance.
I take this gift only to give it again.

この静寂と光と祝福こそが僕のダンス、そしてそれを人に魅せることが自分の宿命
この(神からの)ギフトをまた人々に分け与えるだけ

MJ Dancing the Dream内「Dance of Life」より抜粋




2010年8月15日、ニューヨーク州サラトガ・スプリングスの国立ダンス博物館。
1987年に創設されて以来、主としてバレエやモダンダンス界での功績を認められたダンサー・振付師が対象で、アステアや伝説のタップダンサー、ビル"ボージャングル"ロビンソンを含め43名が殿堂入りしていました。
マイケルはその44人目としてPops/Rock界から快挙ともいえる初の殿堂入りを果たしました。

Michael Jacksonという、このリズムに魅入られた天才が神から贈られた天賦の才能を惜しみなく使って、自身の宿命に従いわたし達に魅せてくれるダンスは、彼が敬愛した偉大な先人たちの魂を受け継ぎながら、自らのオリジナルとして進化させ昇華させた、最高に優雅でファンキーで洗練された超一流のエンターテイメント。

それが証明された殿堂入り・・なのでしょう。


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I've always love to dance.
When I was just real little I used to watch Sammy Davis, Fred Astaire, James Brown...and just dancing about the house.

いつだって僕はダンスが大好きだ。
ほんの小さい頃は、サミー・デイヴィス、フレッド・アステア、ジェームズ・ブラウンを見ては、とにかく家中で踊ってたんだよ。



You are a true genuine showstopper!
Your dance lives forever..


Ghosts and Childhood and・・・

26日wowwowで「Ghosts」が放送されますね。
これはわたし的には悲願のSFだったので、とても楽しみ。
Youtubeでも日本語字幕をつけてUPしてくださっている方がいて観る事はできていましたが、あのスリラーを大きく凌ぐ(とわたしは思っていて)、複雑で、かつそれまでのダンスムーブとは一線を画した独特な振り付けの群舞、俳優としてのマイケルの怪しげで神秘的なマエストロ役の演技、(特に彼の表情には息を呑む凄みさえあります)、そして一人5役という徹底したこだわりなど、見所が沢山ある映画です。
どうしてもこれを大きな画面で観たかったので、本当に嬉しい。
現在DVD化がされていませんし、VHSでは恐ろしい高値で取引されていますしね。
これが出たとき、たいした金額ではなかったのにすぐに手に入れずに暢気に構えていた自分をどれだけ呪ったことかw

このSFのアイデアは、当時「HISTORY IN THE MIX」と呼ばれ、後に「Blood On The Dance Floor」という変則的なリミックスアルバムに収録された「Is This Scary」、これがもともとは映画アダムス・ファミリー2のサウンドトラックになるはずだったのですが、契約問題で折り合いがつかずこのお話は流れてしまいました。
でもそれがきっかけとなって、「では自分たちでこれをモチーフにしたSFを創ろう」ということになって生まれたものでした。


「マイケル・ジャクソン全記録」の著者でもあるエイドリアン・グラントの「Adrian Grant's MAKING HIStory
」(HIStory発売に合わせて作られたマイケルのインタビュー本)で、マイケルがこのことについて語っています。

It started with the Addam's Family, they wanted a theme song (Is It Scary) for their films and I didn't want to do it. So eventually we got out of it. So I ended up making a short film. I love films, I love movies, and that's why my next mission is to make films. That's what I want the next chapter in my life to be - movies and records. There's no other place to go. I'll do films, do records and direct. I'll also do complete directing myself, 'cause I love it very much.
それは 「アダムス・ファミリー」から始まったんだ。
彼ら(パナマウント社)は、「アダムス・ファミリー」 のフィルムに "Is It Scary" をテーマソングしたがっていたんだ。でも、僕はそうしたくは無かった。だから結局、僕たちはそれを外した。 そして最終的にはショート・フィルムを創ることにしたんだよ。
僕はフィルムが大好きだし、映画も好きだし、だから僕の次の仕事はフィルムを創ることだね。 僕は人生の次の章では、映画やレコード創りがしたい。他に行く所は無いよ。
フィルムを創る・レコードを創る・指導する。僕は自分自身で全てを監督したものも創るつもりだよ。そうする事が大好きだからね。

参考サイト:Legend Of MOONWALK

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この40分にわたる 堂々としたもはやミュージックビデオの枠を超えたSFでは「2 BAD」「GHOST」「IS IT SCARY」の3曲をフィーチャーし、エンターテイメントあふれる中に、実はとても重要なメッセージが込められています。
モダンホラーの巨匠、スティーヴン・キングとマイケルの共同脚本。
監督は、「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」などさまざまなSFX映画でアカデミー視覚効果賞を受賞している特殊メイクのこれまた巨匠であるスタン・ウィンストンでした。
このSFはカンヌ国際映画祭にも出品されました。

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カンヌでのマイケル

日本でも96年のHIStory tourで来日した際、ファンと一緒に観たいというマイケルのたっての願いが実現し、200人の幸運なファンとの上映会に彼は出席しています。
同じ劇場内で一緒に映画を見ることができた幸せなファンの方には最高の思い出の映画となったのでしょうね。


マイケルは2001年のチャットインタビューで、スティーブン・キングとこの原案を一緒に作る過程の話をしてくれています。

Well, I let the song pretty much speak to me and I get in a room and I pretty much start making notes... You know, I'll speak to a writer -- like Stephen King and myself, both of us wrote Ghosts, the short film Ghosts, and we just on the telephone started writing it and let it create itself and go where it wants to go.
僕はその曲に多くを語らせるんだ・・部屋で沢山原案を書きとめ・・ていうか、僕がライターに話すわけだけど。例えばスティーブン・キングと僕とで、ショート・フィルム「Ghosts」を共同で書いたんだけど、僕らはそれを電話で話し合いながら書き始めた。そしてそれ自体が(そのコンテンツが)おのずと好きな方向へ向かうにまかせたんだ。



彼は作曲も、自分は神から与えられすでに完成されているものを現実の曲という形に創りあげているだけだと語っていました。
彼が創造するものは、こねくりまわしたりひねくりまわすといった小細工など一切なしに、自分のインスピレーションと創造する対象から湧き出るイメージだけを中心に(もちろん実際に創りあげる過程ではさまざまなアイデアや技術を駆使しますが)大切にしていることがこの話からもよくわかりますね。

そうして創られた「Ghosts」

お話は、小さな町の町長率いる町の住人達が、ある風変わりだと噂されている薄気味悪い大きな館に住む主人に、町から出て行くように訴えに来るところから始まります。
主人であるマエストロ(音楽の巨匠の意)に対して町長は、「お前は変わり者だ。ここは普通の人が住む普通の町だ。変人はさっさとサーカスへ帰れ」と高圧的に詰め寄ります。
マエストロは「僕を脅す気?ならばゲームをしようじゃないか。一番最初に怖がった人が出て行くことにしよう」と、その館に住む大勢の幽霊と一緒に迫力ある群舞で応戦します。
町長以外の住人達や子供達は、そのダンスにどんどん楽しく引き込まれていくのですが・・


ここからはネタバレ満載、注意ですw


マエストロ(マイケル)を忌み嫌う大柄の太った白人町長もマイケル。
この町長は彼を93年の事件で有罪にするべく躍起になったトム・スネドン検事(もちろん2005年の裁判でも)を象徴しているとも言われていますが、そうであってもなくっても、自分の常識という基準から逸脱していると思うものや、自分とは違う価値観を持つものを受け入れることが出来ない傲慢さの象徴として存在しているのは確かでしょう。
そして自分が理解できないにもかかわらず住民(特に子供)を魅了してしまう何か特別な力を持つものを、嫉妬し恐れ忌み嫌い、そのあげく魔女狩りのごとく排除しようとする理不尽な考え。
そのような心こそが、、ghost of jealousy「嫉妬の亡霊=嫉妬から生み出される醜く愚かな感情」だと伝えているように思います。

嫉妬とは違いを受け入れられずに相手を怖れる気持ちが成長したもの。
そしてそれは次第に、その対象を排斥する一番の根拠となる感情にまで育ちます。

肌の色、国の違い、貧富、才能の有無、人を魅了する力の有無、何かを成し遂げたか否か。
あらゆる面であらゆる嫉妬が生まれていく。
マイケル自身数え切れないほどの嫉妬にさらされてきたはずですよね。
黒人アーティストとして世界中を魅了し、とてつもない成功を収めた彼に対する嫉妬。
白斑をきっかけに肌の色が変わったことで生まれた複雑な嫉妬。
美しい容貌に対する嫉妬。
世界が賞賛したその多岐にわたる才能に対する嫉妬。
知的な聡明さと無垢な純真さを併せ持つパーソナリティに対する嫉妬。

そして多くの人に支持されるということ自体、気に食わないという嫉妬。


これらに日々さらされてきた彼だからこそ、多くの争いの根源は、実は嫉妬の亡霊に取り付かれたことから起こる邪悪な醜い愚かな感情なのだというテーマを伝えるにふさわしい、極上のエンターテイメント作品に昇華させ完成させることができたのだと思うのです。

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この時期は93年の疑惑を和解という形で解決したマイケルへの疑いがまだまだ強く、彼に対する逆風もますます吹き荒れている頃。
そんな中だからこそ、彼もあえて自分の心情を赤裸々に吐露した曲や前述のスネドン検事を痛烈に皮肉った曲をHIStoryに収録しています。
ただ意見はいろいろあるでしょうが、わたしにはそれらがただ彼が自分のおかれている状況を嘆いてばかりの作品群だとは思いませんし、このSFでもあえて世の中のくだらない噂をシニカルに風刺しているように思えて仕方ない表現があるのです。

それは終盤、住民達の心が次第にほどけていくのに対し、白人町長だけはかたくなに「ただ自分たちとは違う、変わっている」という理由だけに執着し、執拗にマエストロを攻撃し続けます。
町長の心を映す鏡に恐ろしいグール(悪鬼)が映り、マエストロは「Now who's wierd? Who's scary now? Who's the freak now? さぁ、気味の悪いのはいったい誰だ?怖いのは?本当の化け物はいったいどっちだ?」と問いかけます。
嫉妬によって理解できないものを理不尽に排除しようとするその心が、本当は恐ろしくて醜いGhostなのだと。
しかし町長はわかろうとせず、尚も執拗にマエストロを追い出そうとします。
町長の背後の住民達は、マエストロを受け入れる気持ちが芽生え、もはや彼を排斥しようとする気持ちはなくなっているのですが、大きな権力を持つ町長にはむかう勇気が出せずにいます。
悲しそうに失望したマエストロは「わかったよ。出て行こう」と言って、自らの顔面を床に打ち付けます。
何度も何度も床に顔を打ちつけ、みるみる崩れていく美しかったマエストロの顔。
それはまさに「顔面崩壊」でした。

マイケルに執拗に付きまとうゴシップのひとつ。


君たちは僕がこうなれば満足なんだろ?


そんな彼の皮肉が込められた自虐的な演出に思えるのです。
逆を言えば、ゴシップさえも作品のひとつの演出に、しかもとてもショッキングであればあるほど、マエストロの悲しみを効果的に表現できるという作品作りの上でのマイケルの冷静な計算を感じました。

この人は徹底して人を楽しませようとしているのだと。

それは不気味な館にひとりで住み(実際は多くの幽霊と一緒w)、不思議な現象を見せて一見怖がらせているようで、実は大人も子供も楽しませているマエストロを通して、ただただ最高の音楽とパフォーマンスと映像で世界中の人を楽しませ喜ばせたかった彼の信念を感じる演出にも見えるのでした。


マエストロが「最初に怖がった人が出て行くゲームをしよう」と提案し、「Is this scary? これ怖い?」と最初に見せる顔です。

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子供の頃からの得意技のようですw


子供や住民にはウケますが、これに対する町長の反応はというと、「馬鹿馬鹿しい。子供だましだ!ふざけるのもいい加減にしろ!」というもの。
この子供のようなおふざけを好むことも、マイケルのパーソナリティのひとつでした。
子供が好むものを彼も好み、それらをとても楽しみ、それらをいつまでも愛した人でした。
いわゆる「常識的な大人」は、そのような彼を到底理解できない人が多かったでしょう。
それも彼はよくわかっていたのですね。

このシーンを観るといつも「Childhood」を思い出すのです。

やはりHIStoryに収録された曲。
子供時代を子供らしく過ごせなかった彼があこがれた子供らしい夢。
「Hello, I'm Michael」と自己紹介した途端態度を変えたりサインを求めたりなど決してしない友だちと、満天の星空を飛んだり、王様や海賊のおとぎ話の主人公になったり、キャッチボールをしたり。

No one understands me
They view it as such strange eccentricities...
'Cause I keep kidding around
Like a child, but pardon me...
誰も僕をわかってくれない。
彼らはそれを変な奇抜なこととしか見ないんだ。
だって、僕は子どものようにふざけるから。
でも、どうか許してほしい。

Before you judge me, try hard to love me,
Look within your heart then ask,
Have you seen my Childhood?
僕のことを決めつける前に、愛そうとしてみて。
君の心の中を覗いて聞いてみてよ、
僕の子ども時代を知っているのか?って。

People say I'm not okay
'Cause I love such elementary things...
It's been my fate to compensate,
for the Childhood
I've never known...
人は僕が変だと言う。
僕が子どもじみた物が好きだからって。
でもそれは、僕の運命の埋め合わせなんだ。
子ども時代を味わえなかった・・・


訳:大西恒樹氏「マイケルの遺した言葉/マイケル・ジャクソン氏の歌詞の日本語訳詞集」より引用


この歌詞で彼自身が、自分の子供じみた好みを人は変わっていると思っていることを書いています。
ただ、自分の中ではきちんとした理由があること。
それをわかろうとする前に判断しないで。
上っ面だけで決め付けて、変わっているという烙印を押したあげくに、排除するような真似はしないでほしい。

わたしの中ではいつもGhostsとChildhoodが、こんな風に対で出てくるのです。
もちろんこれはわたしの勝手な感想なので、そういう意見もあるのだなぐらいで流してくださいね。

冷静に最高のエンターテイメント作品を追求していくマイケルと、いつまでも自分の心の中に、どこかに落としてしまった子供らしい時代を探すマイケル。
大人の知性の中に息づく子供のような無垢な感性。


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TwitterでシェアさせていただいたUSのBillboadのカバーになった絵です。
ノーマン・ロックウェル風で一目で気に入りました。

リーディンググラスをかけたスーツ姿の彼が、スリラーの頃の自分を描こうとしています。


落ち着きのあるとても上品な大人の男性。
でも、リーディンググラスの奥の茶目っ気いっぱいの目。
こんな素敵な紳士でありながら、彼がいつまでも持ち続けた無邪気さが隠し切れずにあふれているようです。
相容れないようで見事に溶け合った二つの魅力をもつ人・・




妖しくて気品に満ちているのに、無邪気な笑顔が素敵なマエストロに、大きな画面で会えるのはもうすぐです。

でもわたしたちの大切な大切な彼を失った日ももうすぐです。



この気持ちをどうすればいいのでしょう。

日々は容赦なく過ぎていきます。

His voice make me happy.

マイケルの声が好きです。
ああ、もちろんファンなら(おそらくw)全員好きですよねw

耳ざわりのよい優しくて深みのある声。

彼の声の事は以前にも書きましたけれど、今回はまた違った角度から。
わたしたちがよく知る、ささやくような甘くて優しくて、聞いているうちに心が落ち着くあの声ですが、もうこれは有名なお話ですね、SMAP×SMAPでライオネル・リッチーが「声帯を守る為に普段から喉に負担がかからないソフトな話し方をする」と証言していました。
本来は低い声なのだと。

彼のプライベート色が強い動画などから聞こえる声は、確かにスピーチや演技で知っている声より低めだったりします。
わかりやすいのは、もうすぐWOWWOWで放映される、わたしもとてもとても楽しみにしている「GOHSTS」で、彼が特殊メイクを駆使して演じたふとっちょ白人の市長の声でしょうか。
本当のマイケルと、マイケル演じる市長との掛け合いを聞くと、わたしたちが本当の声だと思っているあのいつものSweetな声が実は意識して作っている声で、市長として出している低くて落ち着いた(ただしセリフが意地悪な言葉ばかりなので憎々しげにしゃべっていますけれど)声が本当の声なのかしらと、一瞬考えてしまったりします。
それだけ、彼はいろいろな声色が出せるようなのですね。

最近放送された、アーティストで大のMJファンでもあるAIが、MJゆかりの場所や関係者を訪ねる番組の中で、TIIの音楽監督、このブログでも何度も出てくるマイケル・ベアデンもこんなことを語ってくれていました。
「普段の彼は僕らにもあのソフトな声で話していたよ。でも一度、僕が作業をしていたら、聞き覚えのないとても低くて田舎っぽい声が聞こえたんだ。顔を上げてもそれらしい人はいないし、一体誰だ?って声を出したら、マイケルが愉快そうに笑っていたんだよ」
(うろ覚えw でも確かこんな感じなこと)


過去記事でも触れましたが、彼の声を分析すると7種類の音を同時に出せるという特殊な声帯の持ち主であったことが証明されている訳ですから、本来の地声も喉を守る為の声も、あえて作り出す声も、どれもマイケルの声帯から出る声は人を不快にさせる要素のない声だと思うのですね。

もちろん、有名すぎるその話声はよく物真似をされ揶揄されたわけですが・・
不思議なことにあの声は、マイケルから出るからしっくりくるんですよね。
大柄でいかつい感じの外見の男性が、マイケルっぽい声を出したら違和感がはんぱないw
でも何だか憎めない感じで、笑顔になってしまうかもしれません。


マイケルは1991年9月、アメリカの超長寿アニメーション番組「The Simpsons」に声優として出演しています。
彼は日本で言えばサザエさんのような、でもほのぼのだけでは終わらないシニカルで風刺の効いたこのコメディのファンで、番組のサウンドトラックの曲を提供するだけではあきたらず、自ら熱望して、第3シーズンの第1回目「Stark Raving Dad 邦題:マイケルがやって来た!」のゲスト声優になりました。

マイケルはシーズン2のサウンドトラック用の曲の権利も主張せず、台本を読み終わったときにこの回の重要なパーツとなるオリジナル挿入曲(「Happy birthday Lisa」)の作曲を申し出ました。
恐縮するスタッフが一旦は断るのですが、彼はぜひやらせてと譲らなかったそうです。
劇中では「Billie jean」「BEN」、そしてこの曲が歌われますが、諸事情(いわゆる大人の事情ですねw)から、歌部分は、歌手でありジャクソンズの頃からのインパーソネーターでもあったKipp Lennonが務めました。

こちらからご覧いただけますが、権利の関係で削除される可能性が高いことをあらかじめご了承ください。


ストーリーは、シンプソンズ家のパパであるホーマーが、息子のバートの赤い帽子と一緒に洗ったために、色落ちしてピンクに染まったシャツをしぶしぶ着て出勤するところからはじまります。
全員が白いシャツを着た社員の中、一人だけピンクのシャツを着ているホーマーを、社長が皆と違う行動をとる要注意人物と決め付け、ホーマーは精神病を疑われ、プロファイルテストに回答するように言われます。
めんどくさいことは嫌いなホーマーは大事なテストをバートに任せてしまい、バートの適当に答えた結果により強制的に精神施設へ入院させられます。
そこでホーマーと同室になったのが、マイケル演じる「マイケル・ジャクソンと名乗る男」です。

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ホーマー:あんた、誰?
男:    Hi, I'm Michael Jackson, from The Jacksons. やぁ、僕はジャクソンさんちのマイケル・ジャクソン
ホーマー:僕はシンプソンさんちのホーマー・シンプソン・・

男:    I can't believe you never heard of me. I'm a very popular entertainer.
      僕を知らないなんて信じられないよ。僕はとても有名なエンターティナーなのに。

ホーマー:もちろん知ってるさ。知らないわけないじゃないか、とても有名なんだもん。で、名前なんてったっけ?
男:    Michael Jackson
ホーマー:ぴんと来ないな
男:    Well, have you heard of MTV? じゃあ MTVは聞いたことある?
ホーマー:ない
男:    Motown. モータウン
ホーマー:いや
男:    Beat It.
ホーマー:君がうせろ!
男:    Thriller.
ホーマー:最後なんだって?
男:    Thriller.
ホーマー:なにそれ
男:    Well, how about this...よし、じゃこれなら・・

(Bellie Jeanを歌いながらムーンウォークをしてみせる男)

ホーマー:わーお!その足の動きどうしてんだい?
男:    The moonwalk? ムーンウォーク?
ホーマー:ちがーう!その足の動き!
男:    Here, look. Just raise your heel a bit, put a little pressure on the ball of your foot.
      ああ、見て。足のかかとを少し上げて、親指を少し押すんだ・・

ホーマー:(ホーマー、トライするもなぜか前へ前進して) D'oh! ドゥ!!
男:    You seem like a nice guy. Why'd they put you in here?
      君はいい人みたいだね。どうしてここに入れられたの?

ホーマー:ピンクのシャツ着てたから・・
男:    I understand. People thought I was crazy for the way I dressed...
      わかるよ。僕の格好もおかしいって人に言われるよ・・

ホーマー:どんな格好?
男:    One white glove, covered with rhinestones.
      白い手袋、ラインストーンがついてる


ホーマーはそりゃおかしいよという代わりにべろべろべろと舌を出しておちゃらけます。
この二人のやりとりがとてもおかしいのですねw

こうして仲良くなったふたり。
ホーマーが自宅へ助けを求める電話をかけるのを躊躇する様を見て、代わりに僕が話そうと男はいいます。
自宅にいたバート(パパが帰ってこなくてもなんの心配もしない能天気な坊や加減が笑います)が電話をとります。

男:    Hello? Who's this? ハロー、君は誰?
バート :ぼくはバート・シンプソンだ、あんたこそ誰だよ?
男:    I'm Michael Jackson 僕はマイケル・ジャクソン
バート :マイケル・ジャクソン?はん、ウソだね!
男:    It's true. I'm with your father in a mental institution.
      本当だよ。君のお父さんと一緒に精神施設にいるんだ

バート :ふーん、じゃエルビスも一緒なの?
男:    Could be. It's a big hospital. 多分ね。大きな病院だから。

ここでエルビスがらみのジョークが出てきますが、はじめ台本ではこの部分はプリンス(殿下のほうw)ネタだったそうですが、マイケルがエルビスに変更を提案してきたそうですw

バートは男にグラミー賞授賞式に誰をエスコートしたか、本物のマイケルなら答えられると質問するのですが、男がなんなく「ブルック・シールズ、ダイアナ・ロス、エマニュエル坊やとバブルス」と答えたので、本物だと信じてホーマーの伝言を聞くのです。
バートから夫の伝言を聞いた妻のマージがあわてて病院へ行き、事情を説明したことで、やっとこさようやく誤解が解けて退院することになったホーマー。
仲良くなった男にぜひ正常に戻ったらうちへ来てくれと誘うと、彼は自分はこの施設に好きでいるのだから今日でも行けるよと答えます。
驚くホーマーが、施設に自発的にいる理由を尋ねると
「Well, back in 1979, I got real depressed when my `Off the Wall' album just got one lousy Grammy nomination. そう、それは1979年、アルバム「オフザウォール」でたった一部門しかグラミー賞にノミネートされなかったことに絶望してね・・」と役を演じながらマイケルは皮肉たっぷりな自虐ネタをジョークにします。
こういうジョークを彼は好きだったのでしょうし、何もかもに神経質なんかではなかった彼自身のユーモアセンスを感じますね。

男と一緒にうちへ戻ったホーマーを、町の市長をはじめ大勢の見物人が取り囲みます。
マイケル演じる男が秘密にしてねと頼んだにもかかわらず、おしゃべりなバートがマイケルがうちにやってくるんだと吹聴した結果の有様。

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車から出てきた140キロはある大柄な白人男性を見た途端、全員失望して帰っていきます。
そんな大騒ぎの中、その日が誕生日であったバートの妹、リサは誰もが自分の誕生日を忘れていることを嘆いていました。
そんなリサの様子を見た男は、バートに「自分も幼くてお金がなかった頃、妹に愛情を込めて歌を作ったよ。だから、一緒にリサへの誕生日を祝う歌を作ろう」と持ちかけます。
最初は嫌がるバートでしたが、優しいマイケルの声で話す男に励まされて歌を作ることに。

そして翌朝。
リサを起こして、バートと男は一緒に「Happy birthday Lisa」を心を込めて歌います。
大喜びでバートと男にお礼を言うリサ。
仲たがいしかけた兄妹が仲直りするのを見届けると、男はマイケルのような声から一転、それこそ本来の彼のイメージに合うようなだみ声で「これで俺の仕事は終わったな」といいます。
驚く家族に彼はこういいます。

「俺はいつも人生を怒っていた。でもある日この声を出した途端、誰もが笑顔になった。俺はいいことをしているんだって思った。だからそれをずっと続けているのさ」

こうしてマイケルの声を出せる大柄な白人、レオン・コウポースキーは、またどこかで人を笑顔にするためにシンプソンズ家をあとにするのでした。
ちなみにだみ声のレオン・コウポースキーは、残念ながらマイケルではなくHank Azariaという声優さんでした。

常に社会の問題を取り上げ風刺をきかせた内容の、子供向けというより大人に愛されるこのアニメ。
このマイケルの回は残念ながら日本では放送されませんでしたが、DVDボックスには収録されています。
参考サイト:The Simpsons FanClub
トランスクリプトソースはこちら



マイケルは歌を歌わないことと、名前をクレジットしないことを条件に出しました。
なのでクレジットには Special Guest Voice として John Jay Smith という謎の人物の名前が。

john jay smith


でもこれも彼特有のユーモアですね。
マイケルそっくりな声が簡単に本人の声だとみんなにわからせるのは面白くない、なんて考えたのではないかと楽しくなってしまいませんか?

この時にマイケルがぜひにと申し出て作られた Happy birthday Lisa.
あのリサに捧げられたという説も強いですが、ちょっとそれでは面白くないw
あくまでストーリーの中の、妹を大切に思う兄が心込めて作った歌、ということにしておきましょうw
実はとてもとても好きな曲なのです。

彼の透明感あふれる優しい声が歌う、愛情に満ちた言葉達。
歌というものはリズムもメロディも重要ですけれど、何よりその声が美しければ、こんなにもありふれた、ただ妹のバースデイを祝う歌なのに、心が和んで癒されて踊りだしてしまいそうな喜びを感じるのですね。
楽しいお祝いの歌なのに、聴くたびに涙があふれてしまうけれど・・。
でもとてもとても好きな歌です。
彼が楽しんで、この歌を自分の妹や友人や、とにかく大好きな人の名前に置き換えて歌う子供達の姿をイメージしながら作ったのでしょうか。

もしもそうだったならば
まさにビンゴ!
そのとおりになったよ、マイケルw

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その5

I said, "Mike, let's go to Brazil to do this." And he said, "Let's go, Spike!"
「マイク、SFを撮りにブラジルへ行こう」「よし行こう、スパイク!」



わたし達が何度も目にした「They Don't Care About Us」のBrazil version。

マイケルが地元住民に熱烈に歓迎されながら通りを歩き、途中警備をかいくぐったファンの女性がほぼタックルwしてきて地面に倒されたりしつつパワフルに歌い踊るシーンは、リオデジャネイロのドナ・マルタという、当時は麻薬密売で悪名高い町で撮影されたものです。


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マイケルは過去DANGEROUS TUORでブラジルを訪れた際に、当時のコンサートプロモーターに、「遊園地を貸し切りにし、貧しい公立学校の子供たちを招待したい」と願い出て、さらに貧困やそれによって生まれるストリートチルドレンの事など、この国のあらゆる問題をとても心配していたそうです。

そんな彼だからこそ、密売業者がはびこり治安も悪く、さらに貧困も加わってスラム化したまま放置されていたこの町の状況は、まさに「All I wanna say is that They don't really care about us 僕が言いたいのは、彼らは僕らのことなんかどうでもいいってことさ」という、その中で生きねばならない弱者の行き場のない怒りを叫ぶにふさわしい背景だと考えたのかもしれません。

リオの自治体はこの町がSFの舞台になることで、町が抱える問題を世界に露呈されることを心配したらしいですが、逆に地元住民はマイケルが自分達の町を選んでくれたことに誇りを感じ、歓迎の意を表そうと早朝から彼のために雑然と汚れていた通りの掃除を率先して行ったそうです。
そのことに感動したマイケルも、人々にキャンディを配ったり気軽に握手に応じたりしながら、ゴミがきれいになくなった通りを歩いたそうです。

そんな地元住民の熱烈な歓迎を生かして、この撮影には大勢の地元住民たちも加わっていますし、別のカットでは同じブラジルのサルヴァドールを拠点とするアフリカンブラジリアンのパーカッション・グループ、オロドゥム(Olodum)と競演していますね。
総勢200人が打ち鳴らすドラムリズムが、マイケルの力強いパフォーマンスをさらに引き立て盛り上げる効果を生み出しています。

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わたしはこのBrazil versionが大好き。
曲に込められているメッセージはある意味重いものですけれど、マイケルと競演するオロドゥムのドラムと大勢の民衆パワーが、全編通してエネルギッシュでポジティブな印象を与えるんですね。
ただ「何もしてくれない」と嘆いているのではなく、「さまざまな困難な問題が現実に存在することを知って欲しい、そしてそれらを放置せず、自分達の力で毅然と変えていくんだ」という力強いメッセージに聞こえるのです。
この曲の映像からは、圧倒的な民衆パワーから生まれる明るいエネルギーが満ち溢れていて、深刻に下を向いて考え込んでいた人でも、気づけば踊りださずにはいられないし一緒に歌いださずにはいられない。
そんな音楽の持つポジティブな力がSF全編にあふれているのです。

マイケルは音楽にはそんな力があるということを知っていましたし、ご自分に大きな影響力があることも知っていました。
ツアーで訪れた多くの国で、場所で、彼は公に報道されないさまざまな改革や貢献を行っていましたから、この撮影が何らかの変化をこの場所にもたらすこともわかっていたのでしょうか。
自治体の心配どおり、SFによって悪名高きこの町が世界中から注目されることになりますが、結局この撮影がきっかけとなって、リオデジャネイロ市はこのスラム街を麻薬密売業者から開放し発展させるプロジェクトを始動することを決定します。
マイケルのThey Don't Care About Usは、この町を社会的発展のモデルケースとして再生することに貢献したとして、現在は昔の面影など微塵もなく安全になったドナ・マルタに彼の銅像が建てられる事になりました。
(参考ソースはこちら


そんなこぼれ話など仮に知らなくても、このSFからは力強い明るさを受け取ることができます。
だからといって、軽いダンスナンバーにはならなずに、逆にこの曲の持つメッセージの説得力が高まった映像だと思います。
それはマイケルのアイデアも才能もパフォーマンス力もあったでしょうけれど、映像を監督したスパイクがマイケルと同じ問題意識を共有できるアイデンティティの持ち主であったことも大きいと思います。
ただ、美しいだけではない、楽しいだけではない、このようなそれこそエッジの効いたメッセージを映像で表現できる監督だとして、マイケルが彼を選んだその目は正しかったというべきでしょう。
そして、マイケルのイメージするものを見事に描き出したスパイク自身も、自分の人生はマイケルに影響を受けたとして彼をリスペクトしていたと語っています。

そんな二人がタッグを組んだからこそ、この曲のふたつのSFは、何年経っても色あせないインパクトを放つ作品として語り継がれているのだと思うのです。


そんなスパイクがマイケルへの愛を込めて創ったもうひとつのSF。
それが「This is it」。

映像はインディアナ州ゲイリーのマイケルの生家から始まります。
マイケルの映像と写真で綴られていく彼の人生。
彼が愛したファンの姿。
それらの中に差し込まれる道路標識に落書きされた言葉(STOP HATIN' 憎むことをやめよう)の映像が、常にマイケルが言い続けたメッセージとして静かに伝わります。

スパイクは理解していたのですね。


マイケルが恐れ、マイケルが嫌い、そしてマイケルが伝えたかったこと。


人種や肌の色や環境に代表される外側を引き合いに出してのいがみ合い。
でもそんなフィルターは単なる目くらましで、実は人間の持つ他者への無知、無理解、嫉妬から産み落とされる「憎しみ」という目には見えない感情、それが高じる事が一番恐ろしくて愚かなことなのではないか。


そんな愚かな感情をぶつけ合うことはもうやめよう
偏見は無知から生まれる

ならば

自分を知り、自分を受け入れ、自分を赦し、自分を信じて、自分を誇り、自分を認めよう

そして

違いを知り、違いを受け入れ、相手を赦し、相手を思いやり、相手を敬い、相手に愛を伝えよう

そんな彼の声が聴こえるような気がします。


スパイクがこのSFに込めた彼へのさまざまな想いは、彼を愛する人すべてが共感し共有する想いでもあります。
彼が撮ろうとしている、奇しくもJBとマイケル、ふたりのKINGの映画。
ふたりへの愛と敬意を心に抱いて撮る映画なら、どちらが先でもいいから、無事に完成することを祈ります。

正式に決定してはいないけれど、マイケルの映画の仮題。

「Brooklyn Loves MJ ブルックリンはMJを愛してる」

これを見たとき、BAD撮影中にマイケルが見物人から罵声を浴びせられた時のことを語るウェズリーの言葉を思い出しました。(この記事のその1
「彼らは自分達とマイケルの間に隔たりがあると感じたんだ。
きっとマイケルが黒人のコミュニティから出て行ったかのように感じていたんだよ」

スパイクの「This is it」SFの最後のシーンは、ゲイリーの家の前でライトに照らし出されるスツールの上にそっと置かれたマイケルの黒いフェドラ帽とスパンコールの手袋。
歓声も華々しさもなく、ただただ静かに故郷に戻ってきた彼の象徴。
それはあたかも、巨大な成功をおさめただけではなく、肌の色が変わっていく彼に対して、一度は自分達のコミュニティを出て行ったかのように感じたけれど、この悲しい現実によってそんな気持ちは消え去り、再び「おかえり」と静かに迎え入れているかのような、そんなことを感じさせました。
そして、こんなことになる前にもっと早くそうするべきだったという悲しみも同時に伝わる光景でした。

マイケルの外側のフィルターに騙され彼のアイデンティティに一時でも疑いを持った人が抱く複雑な感情は、当時おそらく黒人コミュニティに歴然とあったのではないかと思えてならない。
乱暴な非難を彼にぶつけたブルックリン(ハーレム)の見物人は、特殊でも少数でもなかったのではないかと。
BADでマイケルを粗暴な見物人から守ろうとしたウェズリーですが、彼も意識のどこかでほんの一瞬、見物人の感情がわかる瞬間があったのかもしれません。


ウェズリーの言葉。(記事ソースはこちら
僕は彼を創りあげた神が、(もしくはあなたが信じるなんだっていい)僕たちを楽しませてくれる天使として彼を送り戻してくれることを祈っているんだ。
僕達がマイケルを失ったことは、ただ普通の人を失ったこと以上の喪失だ。
あんなに多くの世界中のさまざまな人の心に届いて触発させる人は、何か天使みたいな人なんだよ。
ただ、僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない。


僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない



でも本当は彼を愛している

彼に罵声を浴びせた人だって今頃は彼のためにキャンドルに灯りをともしているかもしれない

彼にふれたひとはみんなきっと

もちろんウェズリーもスパイクも


彼は人が自分を受け入れて愛してくれることを心から望んだからこそ
人を愛すことをやめなかった

そんな彼をわたしたちは
ブルックリンの人たちは
ドナ・マルタの人たちは

いや、世界中の人たちは

World loves MJ


絶対に忘れない
いつまでもいつまでもずっとずっと愛している
わたしたちのマイケル

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その4

つい最近のニュースです。
「スパイク・リー監督、極秘扱いのマイケル・ジャクソン映画を製作か」

この噂は去年の秋ごろすでに海外サイトでは囁かれていました。
現段階のタイトルは Brooklyn Loves MJ

こちらを優先するのか、JBの伝記を優先するのか悩ましいところですが、マイケルのどういった映画になるにしろ、スパイク・リーなら安心して完成を待ちたい気持ちです。

少なくとも絶対にマイケルへの愛が根底にある人が撮る映画だから。
お金の為ではなくて、彼への想いがあふれて突き動かされてしまった人が撮る映画だから。




そういう意味では
側近面して平気で彼を裏切り、致命的な問題を起こしたうえに、解雇され縁を切られたにも関わらず今だに関係者を名乗っている人物の映画、しかもそんな製作側の情報に疎い日本でしか公開できない映画とは根本が違うのです。




ご存知の通り、スパイク・リーはマイケルの「They Don't Care About Us」のSF、Prison versionとBrazil versionのどちらも撮った監督ですね。
マイケルはこの撮影のあと、スパイクの映画「ゲット・オン・ザ・バス(Get On The Bus)」(1996)に、隠れた名曲である「On The Line」を提供し、この映画のオープニングで使われましたが、映画のサントラにはなぜか収録されませんでした。
あやうく幻となりそうでしたが「THE ULTIMATE COLLECTION」に収録されましたので、わたしも聴く事ができています。
実は1997年の「GHOSTS」限定ボックス・セット(VHS・CD)には収録されていたのですが、現在は廃盤ですので入手は困難だったからです。
ちなみに6月26日18:00~WOWWOWでこの「GHOSTS」が放送されます
本編放送後、メイキングも合わせて放送されることを電話で確認しましたので、よっぽどの事がなければ放送されるでしょう。
狂喜乱舞とはこのことでしたw

プチ情報はこれぐらいにしてw、話を戻しましょう。


「They Don't Care About Us」は良くも悪くも注目された作品でした。
この曲でマイケルは、偏見や差別が高じた結果、権力や暴力に抑圧され人権を蹂躙される者の怒りのメッセージを表現していると思います。
おそらくご自身の経験(93年のゆすり目的の訴訟のおかげで受けた警察からの屈辱的捜査)も踏まえながら、さまざまな権力や暴力に虐げられる弱者の立場で、「僕が言いたいのは、彼らは僕らのことなんかどうでもいいってことなんだ」というストレートな怒りを作品に込めています。
ところが歌詞の中に出てくる「Jew me」「Kike me」が、いずれもユダヤ人をあらわす言葉やユダヤ人の蔑称の言葉であることで、反ユダヤ的だと問題になります。
マイケルは決して特定の民族や宗教を非難しているわけではなく、あえて差別用語を用いることで今だこの世界にはびこる無知からくる偏見を表現しようとしたのだと思うのですね。

注:この言葉の解釈に関しては、大西恒樹さんの「マイケルの遺した言葉」で明快に訳者としての見解が述べられていて大変わかりやすいので、もしもまだの方はぜひご一読をお奨めします。

結局マイケルは問題の歌詞の書き換え(Jew meを Sue meに、Kike meをStrike meに)
と、歌詞部分へ機械音をかぶせるレコーディングをし、正式に謝罪を行います。
ただ、謝罪はあくまでも誤解を招いたことへのものであり、彼自身はこの作品を撤回する気などさらさらなく、SFではさらにビジュアルで強烈な問題提議を表現します。


そのSFの監督をとマイケルが依頼したのがスパイク・リー(Spike Lee)、その人でした。
彼がマイケルからこの作品を撮ってほしいと依頼されたときの事をこう語っています。
(TIME ソースはこちら

マイケル・ジャクソンから電話が掛かってきたんだ。
「スパイク、君に会いたいんだ。今からニューヨークへ行くんだよ」
僕は言ったよ「いいね。どこで会う?」そしたら彼が「君の家に行きたいな」って。
僕はブルックリンに住んでるんだよ!彼はその僕んちに来たいって!
それで、マイケル・ジャクソンがニューヨークはブルックリンの僕の家にやって来たんだ。
僕がフォート・グリーンに住んでた時だよ。
それで彼が「僕のビデオを監督して欲しいんだ」って。
「ニュー・アルバムが出るから、曲を選んでよ」って。
それで、2人で全曲を聴いて、僕は「Stranger in Moscow」を選んだ。
すると彼が、「それじゃないのをやって欲しいんだ」って言うんだよ。
僕が「マイケル、どれをして欲しいのか言ってくれよ! どうして僕に選ばせるのさ」と言うと、彼は笑いながら「They Don't Care About Usを」
それが始まりだったんだ。

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マイケルもインタビューで、スパイクに依頼した理由として「この曲はエッジのきいた(切り口の鋭い)曲だからね」と答えています。
「Do The Right Thing」「マルコムX(Malcolm X)」など黒人を取り巻く問題の作品で知られる社会派の彼こそ、自分と一緒にこの作品のエッジを映像で表現するにふさわしい人物だと思ったのですね。
こういう点でもマイケルは攻めの姿勢を崩さない。
やるといったらやる男です。

いわゆる監獄バージョン(Prison version)と呼ばれるビデオでは、刑務所の食堂のセットで大勢の囚人達と人権を求めて叫び訴えるもの。

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さらにロドニー・キング事件(スピード違反で逮捕された黒人男性ロドニー・キングに対して、必要以上な不当な暴力行為をロス市警の白人警官が行ったことへの裁判で、警察側に無罪の評決が下った事件)、ロス暴動(その事件をきっかけに発生した大規模な黒人暴動)、KKK(黒人を迫害した白人至上主義団体)、天安門事件(民主化を訴える学生デモを中国政府が軍隊で制圧した事件)、さまざまな戦争などの映像が効果的に使われ、メッセージはよりダイレクトに強調されて表現されています。
しかし、そのあまりにもダイレクトな表現が暴力的だとこれまた問題視されたことで、このビデオも放送制限、放送自粛の対象となってしまいます。

そこでマイケルとスパイクがこの作品の次のSFの撮影場所に選んだのが、ブラジル(Brazil version)でした。


ああ、まだ終われません(泣)
続きます。

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その3

JBは2006年のクリスマスの日に、その波乱万丈でドラマティックでハチャメチャで、いいにつけ悪いにつけパワフルな人生の幕を閉じました。
直前まで、そして翌年もスケジュールはぎっちりと入っていた、73歳にして普通に現役、The Hardest Working Man in Showbiz(ショウビジネス界いちばんの働き者)と呼ばれていたKing of SOULは、ようやく長い休暇を手に入れたのでした。

彼の葬儀に出席する為に、マイケルも長らく留守にしていたアメリカへ戻ってきます。
葬儀を取り仕切った、マイケルとも親しい公民権運動指導者のアル・シャープトン牧師は、JBがマイケルに残した伝言を伝えます。

Tell him I love Michael.
Tell him don't worry about coming home.
They always scandalize those that have the talent.
But tell him we need to clean up the music and I want Michael and all of those that imitated me to come back and lift the music back to where children and their grand mommas can sit and listen to the music together.
俺がマイケルを愛していることを彼に伝えてくれ。
何も心配せずにお前の国へ帰ってこいと伝えてくれ。
才能ある者はいつもスキャンダルで騒がれてしまうもんだ。
でも彼に伝えて欲しい。俺たちはこの音楽の世界を掃除する必要がある。
マイケルを始め俺をまねたみんなに、今の音楽の世界を、子供とそのおばあちゃんが一緒に座って聞けるような、そんなmusicに引き戻して欲しいんだ。
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さまざまなカテゴリーに分けられてしまったMusic。
HIPHOPを聞く人とカントリーを聞く人は、同じ空間で共存しない・・といった感じでしょうか。
JBが伝えたかったことを、マイケルはずっと感じていたと思います。
彼は2001年、ファンとのオーディオ・チャットイベントに参加した際、奇しくもこのように語っています。
(2001 online-audio-chat ソースはこちら

I don't believe in stylizing or branding any type of music.
I think a great artist should be able to just create any style, any form, any...any thing from rock to pop to folk to gospel to spiritual to just, just wonderful music where every, uh, anybody can sing it, from the Irish farmer to a lady who scrubs toilets in Harlem.
If you can whistle it and hum it, that's the most important thing.

僕はどんな音楽に対しても、それらをスタイル化したりブランドをつけたりすることを良いことと思わない。
偉大なアーティストはどんなスタイル、どんな形態の曲でも作れるべきだし、ロックでもポップでもフォーク、ゴスペル、スピリチュアルまで、ただ素晴らしい音楽をね、どんな人でも歌えるような、それこそアイルランドの農夫からハーレムでトイレ掃除をするレディまでさ。
その曲を口笛で吹いたり口ずさめること、それが最も重要なことなんだよ。


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マイケルはこの時のインタビューでラップに関して興味深いことを話しています。
もともとラップというのはリズミカルなしゃべりで構成され、それに加えてライムと呼ばれる「韻」を踏むことでさらにリズムが面白く変化するものですが、それだけだと言語が限定され、聞く人自体も限定されてしまいます。
そこへわかりやすいメロディが加わったことで、より多くの人に受け入れられやすくなったと。
メロディは不滅だから、メロディ性が重視される限り、ラップは生き残るだろうと。

国や人種、職業や環境などの外側だけの区分けを、音楽のジャンル分け同様嫌った彼ですから、言語が違えども年齢が違えども、どんな人でも気軽に口ずさむことができるわかりやすくて美しいメロディ、それをとても大切にしていたことが伺えます。



2008年マイケルと仕事(彼のnewアルバム)でコラボしたNe-yoもこんなことを話しています。ソース

彼は、僕がメロディをどう捉えているかについてを、高く評価していると言ってくれました。
彼の音楽はメロディこそがすべてでしたし、彼からの唯一の具体的な指示といえば
「歌はできる限りメロディアスなものを心がけて。僕はそこへ立ち返りたいんだ」ということでした。

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永遠のアイドルでありヒーローであり、自分に本当に大きな影響力を与えてくれたJBの願いは、彼の作品創りにおいて信条とすることでもあり、それはご自身の願いにもなっていったのではないでしょうか。

s-MJ JB 01


子供とそのおばあちゃんが一緒に座って聞けるような、そんなMusic。
アイルランドの農夫からハーレムでトイレ掃除をするレディまでが歌えるようなメロディを。
外側がどうであっても、誰もが一緒に口ずさめる、一緒に楽しめる、そんな歌。
そんな歌ならば、必ず受け入れられる。
そして、長く愛されてゆく。
大切なのはその本質。

最新の機材と最新の技術、そして斬新なアイデアによるクオリティの高い音。
それも革新者としての彼のこだわりであったでしょうけれど、それと同時に曲を作る上で一番重要だったことは、JBの伝言と自身の信念を守ること。
Ne-yoに「メロディアスという原点に立ち返る」と言った彼からそんな想いを感じます。



上記のチャットイベントでの別の質問。
完ぺき主義ゆえアルバム発表が他のアーティストに比べて遅いマイケルに、長く待たせすぎて聴衆が去ってしまわないかという不安はありますか?というのに対して、彼は断固としてこう言いきっています。

I'm, I'm ... No, the answer to your question is that has never concerned me once and I've never thought of it.
Because I've always known if music is truly great or if a movie is truly great, people want to see it or hear it.
No matter where you, how long you've been away, or whatever the situation is. You know, greatness is greatness and if you really do a great job on what you're doing, people want to hear it. Or they want to see it.
You know, it doesn't matter, It really doesn't. Long as you're an innovator and a pioneer, you know.
And that's the most important thing.
Give them what they want to hear.

僕、僕は・・それはないね。君の質問に対する答えとして、僕は決してそのような事を心配したことがないし、考えた事さえないよ。
なぜなら、もしその音楽や映画が本当に素晴らしければ、人はそれを観たいし聴きたいと思う事を、僕は常に知っているから。
アーティストがどこにいようと、どれだけ長く離れていても、どんな状況だとしても、それは問題じゃないんだ。

そうでしょう?素晴らしいものは素晴らしいんだし、もし自分が本当にそんな素晴らしい仕事をしているなら、人は必ず聴きたいし観たいと思うはずなんです。
状況なんて関係ない。本当に関係ないんだよ。革新的なパイオニアでいさえすればね。
そしてそれこそが最も重要なこと。
みんなが心から聴きたいと思う音楽をだすことなんです。



自分を取り巻く望まない状況や、偏見、疑い、ブランクを危ぶむ声。
大きすぎる成功を成し遂げた日から、すでに始まっていた逆風。
外側で判断されるいわれのない屈辱的な誤解。
しかし、それらにひとつひとつ反論したり訂正を求めたりするよりも

みんなが心から、観たい、聴きたいと思う作品を
誰もが自然に口ずさめるメロディを
誰もが喜んで真似たくなるパフォーマンスを
違う世代が一緒に楽しめるMusicを

そんな素晴らしいものを妥協なく創りあげ、世に出すことが一番の解決策だと。


常に「The best is yet to come 最高はまだ来ちゃいない」を口癖にして
彼は守り通したのですね。
自分の確信した揺るぎない信念と、彼のヒーローJBの願いを。


彼は常に曲を作り続けていましたし、それは当然ご自身のアルバムに繋がる作業でした。
その作業と平行して決まったTIIのライブ。


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その音楽や映画が本当に素晴らしければ、人はそれを観たいし聴きたいと思う事を、僕は常に知っているから。
アーティストがどこにいようと、どれだけ長く離れていても、どんな状況だとしても、それは問題じゃないんだ





まさにこんな気持ちでいたのかな

きっとファンはわかってくれているって信じているけど
でも長く待たせすぎた彼らに
絶対に期待以上の素晴らしい経験をプレゼントしてあげよう



そんな気持ちで



走り出したのかな





続きます。

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その2

ずいぶん前のニュースですが、BADのSFが撮影されたNYの地下鉄スキャマホン駅に、彼を記念した壁画が制作されます。
このTributeにウェズリーも協力をしています。

ウェズリーはBAD撮影時、自分のシーンは3日間の予定だと聞かされていましたが、実際撮影は3週間、ほぼ1ヶ月にも及んだそうです。(たった17分の映像に!)
マイケルも監督のスコッセッシも、単なるミュージックビデオを撮るつもりがないということが如実にわかるエピソードだと思います。
それだけマイケルは作品制作に対し、常に全身全霊で全力投球するということで、奇しくもウェズリー自身、マイケルのボディガード気分にもなりましたが(前記事参照)、この撮影期間中にその現場を目の当たりにし、彼から多くを学んだと語っています。(ソースはこちら

僕が最も得られたことは、マイケル・ジャクソンがリハーサルでも、すでにパフォーマンスレベルだったのを見たということだ。
僕は言った。「これこそまさに完璧なアーティストだよ。僕がたどり着きたい頂点、そしてアーティストとして手に入れたいスキルだ」ってね。
僕は彼からそれらを学んだからこそ、自分もリハーサルでは手を抜かない。
そして仕事をする上で、そのことにこだわって努力してきたんだよ。

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マイケルはわずか5歳からショービズの世界で生きていた人でしたから、BAD撮影時は28歳でしたけれど、すでにキャリアもアーティストとしてのプロ意識も充分ベテランの域に達していました。

ここからはわたしの勝手な解釈ですが、Thrillerで世界的な成功を収めたことにより、それを上回ることは難しいとされる意地悪な風潮、それに加え自分に対して手のひらを返したような妬みにも思える逆風、そんなものを払拭するのに一番確かな方法は、自らのパフォーマンス、作品、映像、その全てに魂を注ぎ込み、最高を追い求め、BESTなものを世に出すこと。

良いものは必ず受け入れられる。
歌であってもダンスであっても映像であっても
見る人がどんな年齢であってもどんな国の人であってもどんな肌の色であっても

それを彼はそれまでのJacksonsでのコンサートで、肌で感じてきたのではないでしょうか。
コンサート会場は国境もしがらみも上下もなにもない世界。
彼らのコンサートの客席には、老いも若きも黒人も白人もアジアンも、みな同じ曲で同じように歌い踊り喜び叫んでいる。
そんな光景を、彼は本来送るべきだった普通の暮らしと引き換えに、小さな頃から世界中を回ってさまざまな国で見てきたのです。
それはいつしか揺るぎない確信を彼に与えたのではないかと思うのです。

自分の作る曲、踊り、歌、映像、そう自分のアートが本当に良いものであれば、必ず受け入れられ、自分への偏見も吹き飛び、何の隔たりもなくなり、みんながひとつになるはずだと。

そのために努力を惜しまない。
やることに意義を見出したら全力投球する。
絶対に妥協をしない。

すでに28歳にして、それから延々と続く彼のいつでもどこまでも「最高」を求める姿勢は完成されていたのではないでしょうか。
ウェズリーは自分とさほど年が違わないにもかかわらず(4つ違い)すでにアーティストとして確立されたマイケルの意識の高さに衝撃を受け、そして大いに触発されたのではないでしょうか。


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その後、ウェズリーは自ら語るように、マイケルから学んだことを忘れずに努力を重ね、俳優として成功を収めていきます。
そんな彼に映画監督スパイク・リーからある映画のオファーがきます。
それは2006年クリスマスに73歳で生涯を閉じたファンクの帝王、King of SOUL、ジェームズ・ブラウンの伝記映画で、JB本人の役をやらないかと。

James Brown

マイケルの永遠のヒーロー。

彼が影響を受け敬愛したアーティストは、それこそ黒人、白人関係なく多く存在します。
素晴らしいパフォーマーには全て心酔し影響され、そうして最後は彼の血となり肉となるが如くその素晴らしい要素を全て吸収してしまうマイケル。
彼の中には、優雅なフレッド・アステア、ダイナミックなジーン・ケリー、粋で品のあるサミー・デイビスJr.らが息づいているのです。
そしてもちろん熱いSoulを感じさせるJBもマイケルの中に。

2003年BET Awordで、Life time achievement award(特別功労賞)をJBに贈るプレゼンターとして、マイケルがサプライズで参加し、会場とJB本人を驚かせ、おおいに喜ばせました。

JBにはお得意のパフォーマンス「マント・ショウ」があり、それは力の限り歌い踊り、ついにステージに倒れてしまうJBが、司会役にマントをかけられることで復活する、というもので、この時はそのマントをかける役をマイケルが行いました。
ステージでJBステップを披露する彼を、とても嬉しそうに見守るJB。
マイケルが幼い頃、NYのアポロシアターで自分の出演が終わってもJBのステージを舞台の袖から見続けて、JBのダンスに、彼の流れるようなファンキーなステップに、はっちゃけるエネルギーに、Soulを感じずにはいられない彼のシャウトに、憧れて憧れて憧れて・・。
その永遠のヒーローに賞を贈るプレゼンターを自分が務めることに、どれだけ感激していたかが、マイケルが感極まってスピーチの最中声をつまらせる場面でよくわかります。

「今日、この賞を(彼に)さしあげる役を断るわけにはいきませんでした。
なぜなら、今ここに立つこの人物ほど僕に影響を与えた人物はいないからです。
僕がまだ6歳だった頃、彼以上に尊敬していたエンタテイナーはいませんでした。
そして、今でも尊敬しています。今日のこの賞を受賞するのに、彼以上にふさわしい人物はいません」

 
賞を受けるJBの方は、ひたすらニコニコ、ハイテンションで、さすがゲロッパ!w、余裕の貫禄ですが、きっと彼も相当嬉しかったのではないかと、その顔中しわしわにした笑顔で感じます。

ですがこれ以降、ふたりが公に同席する機会はなくなります。
この年にマイケルは、あの忌まわしいでっちあげに巻き込まれてしまいますし、ようやく開放されたときには、マイケルは全てに疲れ果て、アメリカを出て行きました。
JBは、彼の事を理解してそしてとても心配していました。



でも


ふたりの間にお別れのときは近づいていました。


s-MJ JB 08


続きます。
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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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