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Janet Jackson Unbreakable World Tour In Japan Osaka

※どうしてもはずせないエピソードが抜けていることに気付いたので、追記して再投稿しました。
追記部分はわかるようにフォントの色を変えてあります。




今年の夏は最悪の夏で
本当に最悪で

このブログもちーとも書けずにダーリンのお誕生日までばっくれて
前回「続きます」とか言ってもう11月ですよ奥さん

しかも今回「続き」じゃないですエヘ


とにかく史上最悪の夏を経て
ハレホレヒレハレに疲弊したあたしの心を再び奮い立たせてくれた出来事・・って言えばもう「あれ」しかありません。
あれですがなあれ。

待ちに待ったジャネの、そう、Unbreakable Tourでんがな
っつーことでJAPANツアー初日の大阪公演に行ってきました。

あ、埼玉スーパーアリーナへ行かれる方は、予習したいの!っていう人以外は読まないでねw



インテックス大阪ってドームとかと違って床がフラットだから、チビのあたしにとって相当ヘビーな環境になるはずだったのですけど、奇跡的に前から3列目のチケットが取れて(取ってくれたお友達には一生足を向けて寝られないわ、でもひょっとして方角的に考えて、割と簡単に足向けて寝てるかも。その場合は笑って許して和田アキコねw)、オペラグラスに頼ることなく肉眼と心にジャネの雄姿を刻みつけることができました。

事前に何にも調べてなかったので、ジャネットの衣装やアワードなどの展示「My Music VIP Museum」を見るために「Unbreakable」のCDが必要だってことも前日知ったぐらいで、あぶないのあぶなくないのってあーた。
知ったおかげで(教えてくれたお友達には一生足を向けて寝られないわ、でもひょっとして方角的に考えて、割と簡単に足向けて寝てるかも。その場合は・・て、もういいよねw)、無事に見ることができて本当に幸せでした^^

だってこんなのとか
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スクリームのとげとげトップスとツヤツヤパンツ

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写真はこん時の

こんなのも
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これはヤバいっす
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I love you forever
your brother always Michael

ずっと愛してるよ
いつだってキミのお兄ちゃんのマイケルより

うかつでした・・
こんなところでまさかの涙腺崩壊ポイントがあるとは・・

あと多分マイケルが作らせてジャネに贈ったと思われる、リズムネイションのジャネを描いたタペストリーつかラグもありました。



いつだってキミのお兄ちゃん・・か

これを見て思い出しました。
あの時の4日後のBET AWARDでジャネットはこう言ってましたね。

To you, Michael is an icon,. To us, Michael is family. He will forever live in all of our hearts.
皆さんにとってはマイケルはアイコンです。でもわたし達にとってマイケルは家族なんです。彼は私達の心にずっと生き続けます。


2009年に彼女が初めて公のインタビューに答えたものから抜粋します。
彼女にとって、いつだってお兄ちゃんだった彼の事をここでも語っています。

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JANET JACKSON TAKES CONTROL抜粋 (source:harpersbazaar.com

The last time Janet saw Michael was on May 14, two days before her 43rd birthday. It was a family celebration, the Jackson kids were running around, and she and her big brother hung out, ate Thai food, and tormented each other.
"We had so much fun that day," she says, her soft voice almost inaudible. "We kept calling each other after and saying how great it was."

最後にマイケルに会ったのは、5月14日、ジャネット43歳の誕生日の2日前だった。家族のお祝いで集まった時で、子供たちはそこらを走り回り、ジャネットと兄マイケルは一緒に遊び、タイ料理を食べ、お互いをからかっていじめあったりした。
「あの日は最高に楽しかったの」 ほとんど聞きとれないソフトな声で彼女は語る。「その後もお互いに連絡しあって、どれだけ楽しかったかって話をしていたのよ」


In 1995's futuristic "Scream" video, for which she collaborated with Michael, there is a telling scene where the space-age siblings are elbowing each other for the remote control. "Yeah," she says, smiling. "We had so much fun back then. We would organize our days together and go out for vegetarian lunch at the Golden Temple in L.A. We were so busy, but we'd make time."

1995年、2人が共演した未来的なビデオ「スクリーム」では、宇宙時代の兄妹がリモコンを持ってお互いを肘で押しのけあうシーンがある。「ええ」彼女は微笑んだ。「あの時は本当に楽しかったわ。お互いのスケジュールをうまく手配して、LAのゴールデン・テンプルへベジタリアン・ランチをしに出かけたわ。わたし達すごく忙しかったけど、何とか時間を作ったの」

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Janet made a poignant point about family and celebrity at June's BET Awards.
("To you, Michael is an icon. To us, Michael is family.")
"You know, people see this of you,"
she says, gesturing to the television.
"They have a fantasy in their mind, and to really get to know the true person, it's different.
Michael was a big brother. He was always very protective of me."


ジャネットは6月のBET Awardsで、家族と有名人について心が痛む主張をした。
「皆さんにとってマイケルはアイコンです。でも私達にとってマイケルは家族なのです」

「ねえ、人ってこれを見てわかった気になるのよ」
と彼女はテレビを指して言う。
「彼らは頭の中でその人のことを想像して知った気になるの。でもそれは本当にその人をわかるってことではないのよ
マイケルは私にとってお兄ちゃんだった。彼はいつも私を守ってくれるお兄ちゃんだったの。」



There are other things Janet would like the world to know about Michael.
"He loved to laugh. The last time we were together, he'd laugh so hard, he would just start crying. Sometimes his humor would be corny, sometimes dry. He loved the Three Stooges, he loved slapstick, he loved Eddie Murphy in his silly comedies. He loved to have fun. He loved to play."

ジャネットは、他にも世界中の人にマイケルについて知ってほしいことがある。
「彼は笑うのが大好きだったの。私たちが一緒だった最後のあの日も彼は笑いすぎて涙を流してた。時々彼のユーモアは古臭かったり、時には皮肉だったりしたわ。Three Stoogesが大好きで、ドタバタが大好きで、エディー・マーフィーのバカバカしいコメディが大好きだった。面白いことが大好きで、遊ぶことが大好きだったのよ」

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If Janet had one more day with her brother (whose nickname for her, incidentally, was Dunk), she would "relive that moment we had when we were kids, do our little run: We'd wake up, feed the animals, spend the entire day together."

もしまた(彼女にダンクというあだ名をつけた)兄さんと1日一緒に居られるなら、という問いに彼女はこう言った。
「私達が子供だった頃に戻るわ、走って。起きたらふたりで動物に餌をあげて、1日中一緒に過ごすの」

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追記ここから

He loved to laugh. The last time we were together, he'd laugh so hard, he would just start crying.
彼は笑うのが大好きだったの 私たちが一緒だった最後のあの日も彼は笑いすぎて涙を流してた


彼女の新しいアルバム Unbreakableに収録されている Broken Hearts Heal にこんな歌詞があります。

We can't laugh together till we cry
もう涙が出るまで一緒に笑うことはできないのね


ティーネイジャーだったジャネットはすでにスーパースターになっていたマイケルの部屋の掃除や洗濯をし、学校から帰るときまって、気軽に買い物もできなくなったお兄ちゃんの好きなものを代わりに買いにいき、一緒に歌ってダンスして、時にはマイケルのインタビューに付き添い、インタビュアーの言葉を彼に伝える役目もし、そして、お互いを愛情込めてからかいあって涙が出るまで笑い転げて・・
それはどこにでもある家族との思い出
大好きなお兄ちゃんとのたわいもない、でもかけがえのない日々

このアルバムを手掛けた彼女の長年のプロデューサー、ジミー・ジャム&テリー・ルイスのインタビューから、 Broken Hearts Heal についてのコメントを載せておきます。
もうとっくにご存じでしょうが、彼女がこの曲のレコーディング時にどれほど胸迫る想いがあったか、そしてそれはいつだって彼女のおにいちゃんである彼にとっても同様で、おもわずそばに降りてきたのだと思わせる大変興味深いコメントですので・・

ジャム&ルイス ロング・インタビュー/bmr 抜粋転載(source:bmr.jp


“Broken Hearts Heal”は言う通り、マイケルのことを歌った曲だ。子供の頃からの彼女と彼との関係・・
実はマイケルが亡くなった時、追悼式(お葬式)でジャネットと話をしたんだけど、彼女が、『世界中の人たちにとってマイケルはスーパースターだけど、自分にとってはお兄ちゃんなんだ』って言ってたんだ。この曲はそんなふたりの関係を描いた曲。
追悼という気持ちが強い反面、さっきと同じように、命を祝福するという気持ちも込められている。そして、また会う日が来る、という気持ちがね。

そしてサウンド的には、この曲はマイケルの曲にもなりえるような曲に仕上がってると思うんだ。ジャネットが歌っているけど、マイケルのフィーリングも感じる曲。
実はレコーディングの時の話なんだけど、マイケルとレコーディングをしていると、彼は歌いながら指を鳴らしたり、手を叩いたりしてたんだよ。でもジャネットは絶対にそれをしないんだ。ジャネットはただ歌うだけで、そういう“悪い癖”(笑)がないんだけど、この曲の歌録りをしているとき、セカンド・ヴァース(2番Aメロ)に入る度に、なぜかジャネットが指を鳴らし始めるんだ。そして歌うのをやめて、『ごめんなさい。指を鳴らすつもりじゃないのに、どうして私こんなことしちゃってるのかしら』って言うんだよ。だから僕が言ったんだ、『だって、キミの兄さんならそうしてるから。キミのお兄さんはいつも歌いながら指を鳴らしてたんだよ。だから気にしないでやってていいよ。キミがそう感じて自然にやってるはずなんだから、感じるままにやってごらん』ってね。
あの時、彼女のお兄さんの魂が彼女の中に宿っていたと信じてるんだ。この曲を聴いてもらえれば、それがどういう意味かわかってもらえると思うよ。みんなも感じるはずだ。


Janet Jackson - Broken Hearts Heal


今回のライブにこの曲やられてたら、もうだめだったw
あたし的にはやらなくてよかった
だってこれ聴くと泣いちゃうんだもんな~><


We can't laugh together till we cry
But our love's ain't no material thing
Inshaallah, see you in the next life
もう涙が出るまで一緒に笑うことはできないのね
でもわたし達の愛は形のないもの
すべて神の思し召し
来世で逢いましょう



6年の間に彼女にも多くの変化があった。
また歌を届けたいという彼女の純粋な想いを込めたこのアルバムにこの曲を選んだこと・・
それは世界にとってはBIG ICONであっても、自分にとっては大好きなお兄にいちゃんへの想いを、彼女なりにきちんと昇華できたことを物語っているように思えます。

追記終わり


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さて、いよいよライブ会場へ。

チケットを見せて中に入る前に、スタッフの人が「ジャネットからのプレゼントです」って言いながら、ひとりひとりにカーネーションが一本ずつ渡されるのです。
いつの間にあたしゃジャネ子のママになったのか?って、思わないよね普通。うん、あたしも思わなかったw
粋な計らいってことなんですけど、これがライブの最後の最後で思わぬ効果を生むんです^^

ラッパーのミッシー・エリオットがスクリーンに映り、ニャムニャムニャム!いうてスタートしたオープニングは、newアルバム「Unbreakable」からのBurnitup!

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「オオキニ!オーサカー!」

っていうスタイリッシュなジャネットのちっともスタイリッシュじゃない第1声!
ああ、懐かしいジャネの大阪弁・・
遠い昔に今はなきツーカーホン関西という携帯のCMに、若くて何でも頑張ってたジャネ子ちゃんはうっかり出演して、それはもう色んな大阪弁をしゃべらされてたよなぁ・・(遠い目)

こんなのとか


こんなのとか


むっちゃナチュラルでっしゃろ?w

それゆえある意味、ジャネットにとって大阪弁なんかすでに習得済み言語であり、こんなご挨拶程度のフレーズは楽勝であるからして、気恥ずかしい、といった躊躇などあるわけなく(てホンマか?)、しかしこの効果は絶大で、乗せられやすい関西人は海外アーティストが使う関西弁が大好物なもんだから、一気にヒートアップ、バーニラップ!

そこからは、怒濤のヒットメドレー!
ジャネ子、2人の12歳ダンサーを含むバックダンサー達となんら見劣りしないダンスでノンストップで走り抜ける!

あたしはといえば


目の前の動くジャネット
目の前でキレよくパワフルに踊るジャネット
目の前でほんの少し迫力も出てきた声で歌うジャネット

夢と違うか?
本当に生きて動いて歌ってる彼女の姿を目の当たりにできてるんだ

彼女の歌を歌いながら踊りながら
時々こみあげてくるものを飲み込んで、もうめちゃめちゃ嬉しかった

大好きな彼によく似た面差しで
彼とよく似た歌声で
彼と同じルーツを持って
彼のように人知れず人のために尽くしながら

彼とはまた違う重荷を背負って
彼とは違う葛藤と闘い
彼と自分は違うという事を証明するために必死で自分だけの道を切り開いた人

そして今は

彼と一緒に歌った曲を自分のステージで、彼に捧げようとしてる

スクリームのイントロが鳴り響いて
マイケルの歌声が彼女をリードしていく

彼女は右手を上げ人差し指を天にかざす

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VIP席のお友達のお写真お借りしました。事後報告すまない><


いくわよ、マイク!

と言ったような気がした、と思った途端自分のパートをシャウトするジャネット

その流れからのカウントダウン

そのままリズムネイションへ

鳥肌がたった



全速力で駆け抜けたステージが終わる間際
彼女は「わたしがどれほどこの国を、この街を、あなたたちを愛してるか知らないでしょう?」と言ってくれた
どこの国でも、どこの街でも言ってくれるんだろうけど
こうして忘れないで来てくれて
全力でみんなを楽しませるために、ノンストップで歌って踊って素晴らしいエスケーピズムをもたらしてくれた

まぎれもないQueen Of Popである彼女に

観客は誰ともなく、感謝を込めて初めにもらったカーネーションをお返しとばかりステージに向かって投げ始める
沢山のカーネーションが弧を描いてステージに向かって飛んで行く

紹介を受けたダンサーたちやジャネットがそれらを拾って笑顔を向けた

こうして彼女のJapanツアーの初日は無事に終わったのです。

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これがそのカーネーション。エヘ。あたしのはライブの途中で振りすぎて頭もげちゃったw

この土日、運よくチケットを手に入れた方は、存分に楽しんで彼女を堪能してください。

でも行きたくても行けなかった方も多いでしょうね。
この記事で行った気分に少しでもなってもらえたら嬉しいけれど・・



さて、次回こそ前回の「続き」を書きますw
ひとまずここで、さようなら^^
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Xscape

Xscape

ギザギザの無いシャンプーハットを逆さに被ったかのような斬新な(笑)ジャケットのアルバムを今は毎日聴いているわけですが。

山田君、座布団持ってきてあげて!

という感想ですw ということはつまり、気に入ってます^^

マイケル自身が満を持して世に放ったものではありませんが、彼曰く神から彼の膝に落とされたギフトである作品と、ブラッシュアップするつもりで残しておいたお気に入りの提供楽曲・・でもさまざまな事情でお蔵入りになったそれらから厳選された8曲のオリジナル音源は、2014年の今、今日聴いても全然イケてるイカシたとにかくさすがの高感度、ハイクオリティで、しかもライトなものからこれぞMJの世界観!というのをがっつり味わえるものまで納得の座布団GET作品たち。

そして一部に多少の古き良き時代を感じさせるアレンジのものもひっくるめていっさいがっさいを、マイケルのブレスと声だけを残して一気にタイムボカン的に現代的なお色直しがほどこされたアレンジ群も納得。

このアルバムのコンセプトでもある、「マイケルの才能を再び世界に示す」(LAリード談)ことはすなわち、今の音楽シーンにKING OF POPを再びみたび君臨させることにほかならず、そのために現在の主力リスナー世代を存分に踊らせるダンスチューンと、強烈なインパクトを与える大仕掛けが必要だったのかもなぁと思いました。

彼は「レジェンド」ではなく2014年の今にあってなお、多くの人をインスパイアするアーティストだということを、そしてKING OF POPを名乗るのは、今までもこれからも彼しかいないことを、思い出させるために。

世界が驚いた、あのホログラム風で実はそれとは違う技術によるBillboardのライブイリュージョン。
一部では批判もあるようですが、あのライブでMJの幻が姿を見せた瞬間、テレビ中継されたアメリカでは恐ろしい数のTweetが発信されました。
Twitterは世界中で発信されたリアルタイムTweetを可視化できるマップを公開しています。

あの日のBillboard live関連のTweetも記録されていました。

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その時間を経過するにしたがって打ち上げ花火のように発信されるTweetの膨大な数と言ったら、もう奥様。

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         ライブスタート                   MJ登場!

もう地図見えないし、なにがなんだかわかんないしw

これらすべてが「感動した」だの「素晴らしい」といった賛同したTweetではもちろんないでしょう。
ですが、肝心なのは賛否の割合よりも、それだけ多くの人がMJについてTweetしたという事実です。
その場でTweetした人の中で、その後本物の歌なり動画なりをググった人がどれぐらいいるか。
そっちの方が重要です。

わたしのTwitterアカウントはほとんど動いていないにも関わらず、ここ1、2か月でまたフォロワーが増えているのですが、そのほとんどは10代や20代前半の若い世代です。
前回の記事みたく教科書だろうがなんだろうが、入口はどこからでも構いませんが、あんな派手なイリュージョンやアルバムが話題になれば、あるいはチャートに登場すれば、彼らは新しくマイケルを知り、音楽を、パフォーマンスを通して、彼からの新たなescapismを手に入れるのです。
それはすなわち、彼の音楽を聴きながら成長し、彼をこよなく愛する今のファンの世代が、たとえこの世から去っていこうとも、その後に残る世代が引き続き、彼と彼の作品を愛していくきっかけになるのです。
これはとても大切なことです。


さて、オリジナル音源の入ったデラックスエディションには、このアルバム製作に関わったプロデューサーたちのドキュメントが入っていますよね。
こういうものを見るのが好きなタイプです。

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左からTimbaland LA・Reid Rodney・Jerkins J・Rock どひーきょわいきょわい、マイコー関係なかったら絶対近寄れないw

LAリード、お馴染みINVINCIBLEも手掛けたロドニー・ジャーキンスをはじめ、今のヒットチャート上をにぎわす間違いなく一流のプロデューサーたちの話は思った通り、喜びと戸惑いと葛藤と、そして結局最終的には、MJに恥じない、革新に満ちた、今できる最高を求めて、それもすべてマイケルのために、マイケルだからこそそこまでの高い目標を自分たちに課した彼らのMJへの尊敬と愛情を感じるものでした。
この時の彼らの話は、Billboard誌のカバーストーリーになっています。

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わたしは自分のリビングのしょぼいスピーカーから聴こえる普通の音で、全然ノリノリですっかり上機嫌で何の問題もなかったのですが、先日SONYストア大阪で、話題のハイレゾ体験なるものをしてきた事で、心底わかったことがありました。

それはジャクソン先生が声を大にしておっしゃっていたことで、その時ようやく遅まきながら、「はい先生!!だからなんですね、そうだったんですね!」と心からガッテンガッテンしたことなのだけれど(笑)

2001年ファンとのオンラインインタビュー Online Audio Chat - October 26, 2001(source

That's one of my favorite things, hearing the music really loud.
'Cause I like to play music loud. I mean, it's, uh...
If you play something over the Internet or small speakers, it doesn't have the same punch.
That's why you have to buy it.
You have to buy that CD to really hear that punch. It makes a huge difference. Huge difference. There's no comparison.
Buying the CD is the best thing. There's no comparison.
You can't hear all those sounds if you do it on a smaller system.

音楽を本当に大音量で聴くことは僕のお気に入りの一つなんだ。
音楽を大音響でかけるのが好きなんだ。それはつまり、うーん・・
インターネットや小さなスピーカーで流しても、同じパンチにならないんだ。
これが君達がCDを買わなきゃいけない理由だよ。
本物のパンチを聴くためにはCDを買わなきゃ。それはとんでもない違いだよ。とてつもなく大違いなんだ。比べても意味がないくらいね。
CDを買わなくちゃ。比較にならないよ。
小さな(スピーカー)システムではすべての音を聴きとれないからね。



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with Bruce Swedien

そもそもハイレゾ(High Resolution:高解像度)とは(ハイレグじゃないよ念のため)なんぞや。
むちゃくちゃ簡単に言うと画像の画素数と同じと思ってもらえるとわかりやすいです。
マイケルのびゅーてほーなお写真も、画素の少ない、つまり解像度の低いものより高いものの方が拡大してもきれいでうっとりんこだ、ぷー♪
それは画素数が多ければ多い程、実際の被写体を忠実に表現できるからです。
それの音版です。(いやーざっくりすぎ?w詳しく知りたい方はちゃんと調べてね^^)
つまりオリジナルの音源に限りなく近い音を再現しているということです。

スタジオで制作中のマイケルたちが実際に聴いたであろう音の数々。
そのクオリティに限りなく近い音、それがハイレゾ音源だということです。

SONYストアではXscapeのCD音源とハイレゾとの聴き比べをさせてもらったのですが、素人でも間違いなく音に立体感が感じられ、なおかつ音自体の存在感がハンパなく、CDでは聴こえなかった音が聴こえたり、逆にCDでは耳障りだった音がしっくり馴染んでいたり、と、曲の印象が断然変わりました。
特にオリジナルは、レコーディング中にマイケルが実際にその音を聴いて、採用した沢山の音たちが大音響で降りそそいだ時、ひとつひとつの音をいかに大事にしていたかということと、それだからこそ彼の創った作品からは、その曲の世界観を表現する音たちで織り上げられたストーリーが感じられるんだとあらためて思いました。

彼の内から聴こえる生命を奏でるビートと、外に存在する森羅万象の全てから聴こえる歌がひとつになってリズムを奏でる、その瞬間を逃さず聴きとったイメージを現実の音に変えてきたその人は、それらさまざまな音たちを建築家のように緻密に配置し組み立てながら、時に胸躍らせ時に切なさの涙をあふれさせるほど、その曲を聴く人の感情を揺さぶる物語を、自らの美しい声と共に創りあげていたんだなぁ・・
音にうるさいファンの方々は、とっくの昔からわかっていたことなんでしょうが、わたしはこれまで彼の声とメロディ重視!っていう人だったので、本当にいやはやもうすいません。

それと、このXscapeのアレンジ群はハイレゾ音源で聴くと、うすっぺらい好き嫌いといった感情の出る余地のないほど、凝りに凝り、練りに練られたものだということもわかりました。
それはすなわちこのアルバムに携わりアレンジを担当したプロデューサー陣の、本気の一曲入魂の姿勢を十分に表していると実感しました。

シルクのショーの時もそうでしたし、BAD25のプロジェクトの時もそうでしたが、マイケルに関わるということの誇りとリスク-彼らは素人ではなくれっきとしたクリエイターなので、何か不都合が起こった場合、それは自分のクリエイター生命をも危機にさらすかもしれないというリスクです。成功すればMJが称えられ失敗すれば全ての責任の矛先が自分に向く、というリスクです-を天秤にかけてなお、誇りが大きく優った人たちが彼のためにと、今できる最高の何かを、集中して没頭して完成させようとする・・それは誰よりも高みを目指し、誰よりもGreatestな何かを、革新に富んだ新しい何かを、画期的なオリジナルな何かをいつも望み、誰よりも限界を信じなかったマイケルその人への最大なる敬意と賛辞があればこそでしょうし、創作に携わる誰もが持つクリエイター魂がそうさせるのではないかと思うのです。

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With Rodney・Jerkins

以前に出た「MICHAEL」に関わったクリエイター達もしかりです。
わたしは甘っちょろい単細胞なのかもしれませんが、性善説と同じように、どこかで信じているのです。
映像にしろ音楽にしろ舞台にしろ踊りにしろ、何かを表現すること、何かを生み出す人、素晴らしい何かを創りだしたい人の根底にある純粋な創造性を。
そこには報酬や名声といったお飾りが入り込む余地などない事を。
その作業の果てに待つ、自分たちに降りそそぐであろう恐ろしいほどの数の反応を、バカでない限り予想できないわけはなく、それらも込みのリスクを承知の上で、下した判断、選択した方法・・それらは「MJに捧げる」事だけに集中したであろう彼らの、あの時点で出来うる最高のクリエイト魂の産物だったのだと信じます。
世間の評価はどうであれ、そこに対してわたしは敬意を払います。

まぁとにかく今回のハイレゾ体験は、そういった人たちが今できる限りのことを、持てる限りの力を、マイケルのため、その一点にそそいで創りあげたアレンジだという事を(1曲1曲の好みは別にして)、肌で感じることができてよかったわけです。
自分でハイレゾ音源を聴ける環境に整えるのが一番ですが、そうはいっても一気には無理・・(T_T)というそこの奥様お嬢さまは、ぜひお近くのSONYストアで(銀座はいわずもがなの力の入れようで素晴らしかったですが、大阪も名古屋も予約は必要ですが体験可能です♪)、特にオリジナルをリクエストして、マイケルがスタジオで選んだ音を体感してみてください^^

そしてDVDを通して、プロデューサー達の、リスクをものともせずそれだけの覚悟をもって、マイケルに積極的に前のめりに関わりたかった経緯や思いを知ることは、かの人がいまだ多大な影響を与えている現実を再確認するとともに、見返りではなく、でも愛されることを愛することと同じほど求めていた(と思う)彼が、いまだこれほど愛されている事実を確認することでもありました。


Billboardの特集記事はこのような一文で終わっています。

it(Xscape) transports the spirit of the late pop genius from the past into the future, the place Jackson always wanted his music to live.
Xscapeは亡きポップの天才の魂を過去から未来へ運ぶ。ジャクソンが常に望んだ彼の音楽が生きる場所へと。


Ebony2007 Interview (source:mjfancommunity.com

I always want to do music that inspires or influences another generation.
You want what you create to live, be it sculpture or painting or music.
Like Michelangelo, he said, “I know the creator will go, but his work survives.
That is why to escape death, I attempt to bind my soul to my work.”
And that’s how I feel.
I give my all to my work. I want it to just live.

僕はいつも、自分とは違う世代を動かしたり影響を与える音楽をやりたいと思っているんだ
自分が創造するものには、彫刻にしろ絵画にしろ音楽にしろ、何にしても、長く生きていて欲しいと思うものさ
ミケランジェロのようにね、彼はこう言った
「私は、創作者はいなくなっても、その作品は永く生き続けることを知っている
それゆえ、私は死を免れるために、自分の魂を作品に縛りつけようと試みる」とね
僕も、そんなふうに感じている
僕の魂のすべてを自分の作品に与えているよ、その作品が永く生き続けてほしいから


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このアルバムが出たことにより、ジャスティン・ティンバーレイクとの「Love Never Felt So Good」がビルボードHOT100で9位にランクインしたのを受け、マイケルは50年間でそれぞれの10年間にチャートインした最初のアーティストという記録を打ち立てましたよね。
このように記録を作り、20年前にリリースした曲(Billie Jean)が再びチャートに上り、彼の音楽性が話題に上り、クラブのターンテーブルで彼の曲が回り、ラジオから彼の曲が流れ、人々は彼の曲を口ずさみ、彼の曲で踊り・・

マイケルのいるべきはそういう場所。
ニュース番組では断じてなくて。

このアルバムの出現は確かに「マイケルの才能を再び世界に示す」という役割の一端を担ったと思います。
彼の魂が織り込まれた音楽を、それが一番生き生きと輝く場所へと運ぶために。



I give my all to my work. I want it to just live.
僕の魂のすべてを自分の作品に与えているよ、その作品が永く生き続けてほしいから




You mean the world to me forever

US時間では今日が本当のお誕生日。
世界中が彼を讃えてお祝いしています。


うれしい^^


彼のファンの中でも末端ではありますが
不肖あてくしも彼が大好きな場所でお祝いしたくて弾丸日帰りでTDLに行ってきました。


久しぶりに逢えた沢山のクラスタ(心は)girls^^
マイケル様が会わせてくれた大切なお友達。
彼女たちと一緒にお祝いできて本当に良かったっす。


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ブルーバイユでマイケルの為のバースデープレート用意してもらいました。Nちゃんお手製のお祝い飾りが華を添えてます\(^o^)/ すんばらすい!


さらにそこで長年このへたれブログを読んでくださっているという、世にも奇特なMJファンの方に、これまた偶然お会いすることができるというアンビリーバボーな瞬間もありーの!

これもマイケル様のお導きだと思い込みますw
ありがたやありがたや^^


Michael Jackson - We Are Here To Change The World [from CAPTAIN EO]


95年以来のキャプテン様を5回拝んで

わたしの猫より小さい脳みそにその完璧なナイスルッキングガイぶりを刻み付け

来年もキャプテンがここにいますようにとお願いして



いつまでもいつまでも大好きなんだから
今年だって来年だって再来年だって
簡単に言うとあたしが死ぬまで


あなたはわたしの世界の中心なんだからねー!!!


Happy 55th Birthday, MICHAEL!!!!



とTDLの中心(かどうかはわからぬが)でマイケルへの愛を(心で)叫んだのでした。



約束どおり笑顔でね^^


Study the greats and Become greater その6

マイケルとジェフリーの最初のダンスレッスンは、1980年から83年まで続きます。
その間、マイケルはThrillerを出し、モータウン25でムーンウォークを披露し、ある意味一区切りといったタイミングで、ジェフリー自身もシャラマーを脱退し、自分の世界を広げるためにイギリスへ移ったことで一旦このレッスンは終わります。

その後1986年にジェフリーがアメリカへ戻り、彼らの関係は再び繋がります。
Beat Itのバックダンサーにも参加していた(これは知らなかった!)ジェフリーを見込んで、マイケルが当時「シカゴナイツ」(実はSmooth Criminal)というプロジェクトの話をしてきて、「Are you interested in working with me on this project? 僕と一緒に仕事をすることに興味はある?」と聞かれたことが、正式なコレオグラファーとしてのオファーとなったのだそうです。

マイケルからBADのためのダンサーオーディションを頼まれたジェフリーは、仲間のキャスパーとともにNYへ飛び、2日間でダンサーを選び、すぐに撮影に入らなければならないというバタバタの日々を過ごすことになります。
その切羽詰まった振付風景はマイケルのプライベートホームムービーでもお馴染みでした^^

Michael Jackson Private Home Movies Part 4 へGO!
振付の模様は 4:31~4:47です。
二人のEOファン、もといジェフリーとキャスパー映ってます^^

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MJ: This is at rehearsal at the MC Palace(ヘルムズレイパレスホテル:現在はニューヨークパレスホテル), choreographing it
これはMCパレスでのリハーサル、振付してる んふふふふ!
(なにがおかしいw)

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BAD Michael: Once we get inside we go BAMBAMBAMBAMBAM! We gotta hold that a while
一度中に入ってから行こう、バンバンバンバン!で、しばらくそのまま。


MJ: We had two days to choreograph. I love that pressure.
振付けするのに2日しかなかった。僕はそんなプレッシャーは大好きだ


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BAD Michael: It’s gotta be more tense!
ここはもっと張りつめなきゃ!
 キャスパーうんうんうなずく^^


力みすぎて血管きれないか心配w

と、こんな感じで振付を一緒に考え、もう一人のコレオグラファーであるグレッグ・バージと現場で手直しをしながら作られたBADのダンスだったのですね。

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そーなんだよー!!うおー!

再びDDDインタビューより抜粋
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Q:撮影は楽しかったですか

それはもう、これまでに経験したことがないほど楽しい撮影でした。
とにかく撮影中は面白いことばかりでした。
マイケルとわたしはしょっちゅう、何かにつけて笑いあっていました。
誰かが転んだり、何かちょっとしたことがあるたびに、マイケルが「Did you see that? 今の見た?」っていう合図を私に送って、お互いに笑い合うんです。
でも私たち以外の人はどうして私たちが笑っているのか理解していません。
演技に集中してもらうため、マイケルは決して他のダンサーの前で冗談を言ったりしませんでしたから。
でも私たちだけは他のみんなに気づかれないように笑い合っていましたね。
マイケルが私のことをこういう風に(真似をしながら)見ているのがわかるのです。
彼とうっかり目を合わせると、お互いに吹き出してしまうので、目を合わせないように必死にこらえていました。

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付き合い始めの初々しいカップルが、自分たちだけの合図やサインでくすくす笑いあう・・みたいでいーなーいーなーいーなー\(^o^)/

1986年12月までBADの撮影をし、翌年2月にSmooth Criminalの撮影に入ります。
マイケルからずっと「シカゴナイツ」というプロジェクトだと信じ込まされていたジェフリーは、撮影中もSmooth Criminalだと知らずに「シカゴナイツ」の撮影だと思っていたそうです。
情報が漏れることを恐れたマイケルの、「敵をあざむくならまず味方から戦法」にまんまとはまったようですw

有名なアンチ・グラヴィティの動きもジェフリーのアイデアだったそう。
彼は1984年にポール・マッカートニーの映画(Give My regards to Broad Street)に出演していますが、その際映画の中であの傾く動きを取り入れています。

Silly Love Songs - PAUL McCARTNEY


映画の中、懐かしいポールのSilly love Songsにのせて、ジェフリーがアンチ・グラヴィティっぽい動きをするのは、3:41~3:59あたり。(最後らへんで妙につつつつーという感じのバックスライドもやってますw)

アンチ・グラヴィティの動き自体はチャップリンら無声映画時代からある動きだったようですが、ジェフリーはマイケルに「まだ誰もグループでこの動きをやったことはないから試してみようよ、何人かで集まってこの動きをやったら、きっと面白くなると思うよ!」と進言したそうです。
そのアイデアが取り入れられて、今となってはSmooth Criminalの代名詞ともなったアンチ・グラヴィティ。
さすがジェフリー、マイケル以外のダンサーの中では一番深く倒れていますw

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や、どーもどーもごぶさたしてます


SF撮影時はピアノ線を使っていたようですが、あとから実際にライブで行うための、あの靴の仕掛けは紛れもなく本当に誰もやったことがなかった、それこそマイケルの特許ものだったという訳です。


彼らの繋がりは、その後も続きます。
1995年にマイケルのMJJプロダクションのレコードレーベルが発足した際、ジェフリーはコンサルタントとして参加したそうです。
その流れもあり、GhostsのSFでも振付顧問としてクレジットされています。

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同じ顧問には、キャプテンEOでダンサーとして、振付にも参加した、元エレクトリックブガルーズのポッピン・タコことBruno Falconもいますね。
彼もマイケルのダンスに多大な貢献をした一人です。

興味深いのは、そのGhostsのエンドロールでダンサーとして多くの名前がクレジットされていますが、それとは一線を画すかのように一部のダンサーたちは別枠でクレジットされているということ。

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Poppersとしてはポッピングというスタイルを確立させたエレクトリック・ブガルーズのブガルー・サムとポッピン・ピートのソロモン兄弟ら。
Rockersとしては、ロッキングというスタイルの創始者であるドン・キャンベルら。

彼らもGhostsに参加していたのですね。
ユーコさんやトラヴィスでさえ探すのが面倒なのにむずかしいのに、誰がここに出ている、なんてもう絶対無理無理w

このシリーズ(その4)や過去にも何回も書いてることですが、マイケルのダンススタイルには、本当に数多くのダンサーたちの動きが取り入れられていますよね。
当時LAスタイルと呼ばれたポッピング、ロッキング等々の新しい動きをいち早く取り入れた、あるいは創りだしたダンスを愛するダンサーたち。
ジェフリー自身も、昔からある動きとはいえ、新しいスタイルとしてバックスライドを行っていたエレクトリック・ブガルーズにインスパイヤされたと認めていますし、多くのダンサーがそれぞれの動きに触発され、さらに磨きをかけ、切磋琢磨していた時代。

マイケルは元々自分のスタイルとして、アステアはじめとする彼の憧れのエンターテイナー達の踊りを自分の感性やセンスで創りあげた自分流のダンスに融合させていたわけですが、まさに1970年代の後半から新しいダンスの潮流を感じて、それらの達人たちを振付師やダンサーとして招いて一緒に踊ることで、さらに踊りに磨きをかけていったのだと思います。
ThrillerやキャプテンEOを経て、BAD、Smooth Criminal、そのほか数多くの曲を踊る過程の中に、関わってくれた新しいダンスの先人的役割を果たしたダンサーたち。

マイケルは自分のダンスが飛躍するための重要なファクターを、関わりの程度の差こそあれ先人的な彼らから得たことを、きちんと伝えたかったのかもしれません。
だからこそのDancer枠ではなく、彼らはポッピングの達人、ポッパーであり、ロッキングを確立したロッカーだとあえて。
マイケルはダンスに愛情と敬意をいつも持っていた、とタップのドーメシアも語っていました。
このクレジットが、マイケルの彼らへの感謝と敬意の気持ちの表れなのではないかなと感じました。
(たいした意味はなかったかもしれないし、単なる勘なんですが)

これもある意味、マイケルの Study the greats and Become greater を表しているように思えてしまいます。

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専門的な意見を書き込む掲示板で、キャプテンEOの頃はあきらかに後で踊るポッピン・タコたちエレクトリック・ブガルーズのメンバーよりポッピングの技術は劣るのに、数年後には専門的なダンサーに引けを取らないほどすごくなっている、という書き込みを見ました。

そこが高みの追及を決してやめない、彼らしいところではないかと。
研究して学んで、成長したい、そしてさらにはそれ以上の革新を成し遂げたいという強い気持ち。

「彼はそれらの動きを自分のものにし、さらに発展させていったのです」
と、ジェフリーも言っている通り、これこそがマイケルをマイケル・ジャクソンたらしめる理由。

その先の革新へと、限界を設けずに進む。
あるひとつのダンスの動きでは、マイケルよりも素晴らしい技術を持つ人はそれこそごまんといるのでしょうが、なぜかマイケルには「上手い」を通り越して惹きつける「何か」があるんですよね。
理屈ではない「マイケル・ジャクソン」というスタイルだと言わしめるものが。


これまた別のジェフリーのインタビューから一部(source:Bad Choreographer Remembers Michael Jackson

彼は色々な事を、色々な人から取り出すんだ・・
サミー・デイビスJr.から、エルヴィスからほんの少し、ジェームズ・ブラウンからも少々、ボブ・フォッシーからいくつか、フレッド・アステアからも、そしてストリートで起こっていることからもね。
そうしてそれらを組み合わせるんだ。全部を混ぜ合わせるんだよ

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マイケルと接した本当に多くの人たちが同じように言いますね。
スポンジのように吸収して自分のものにしてしまうと。

彼の自然な優美さ、リズム感、そして自分が面白いと感じたところなら誰のものでもどこからでも、その考えや技術を吸収してしまう驚くべき柔軟性が、マイケル・ジャクソンスタイルを創りあげた。

彼はひとり、ネバーランドのダンススタジオで、尊敬すべき先人たちから影響されたものや、彼のアンテナが反応したもの・・それは幼い日に観た憧れの人のステージの記憶から、古いミュージカル映画から、タップから、ジャズから、バレエから、そしてストリートで生まれた新しいダンスからの動きを、黙々と研究し取り入れ、そして統合していったのですね。

学んで研究するまでは、誰でもできそうなことですが、絶妙なバランスで、さまざまなものをうまく調合する、というのは、実はなかなか難しい事ではないでしょうか。

マイケルは脅威的な独創性をもってそれを成し遂げた。
その努力の果てに完成されたものは完全なオリジル、マイケル・ジャクソンスタイルとなりました。

彼のこの、もはや自分の使命かのような信念は、ダンスのみならずマイケル・ジャクソンを物語る全ての分野を網羅するほど多岐にわたって貫かれました。

自然な呼吸と同じ感覚になるまで学び
自分を形作る細胞と同化するまで練習し

そのうえで、その先の境地へと、その先の高みへと手を伸ばし続けた人。

彼のその献身的な情熱は、崇高で美しく、だからこそ、その果てに彼から世に放たれた、彼の全身全霊をかけて創りだされた楽曲たちやパフォーマンス、ステージングや演出、そして映像作品たち・・
それらは、公正に評価されてしかるべきなのです。

BAD25の成功は、曇りのない目で見ればあきらかな、その作品たちの素晴らしさを再び世界中が認めた証なのでしょう。


By the talent given me by God
Training cultivating it.
Studying the greats in my field and becoming greater.
like a scientist searching persistent
confident to be the Best.
Study the greats and become greater.
Reach the Zenith of my ability as an actor singer dancer. M.J.

神から与えられた才能
それを耕すトレーニング
自分の分野の偉人から学んで、より大きくなること
根気よく研究する科学者のように
ベストである自信をもつ
素晴らしい先人から学び、彼らを超えること
俳優・シンガー・ダンサーとしての自分の能力の頂点に達する M.J.


すでにバカみたいに長くなってしまいました
最後はやはりジェフリーのDDDインタビューより抜粋させてもらってお別れします^^

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彼はナンバーワンになりたがっていた。
最高のアーティストになりたがっていたのです。
ナンバーワンになることが、彼の使命だとわかっていたのです。
彼は同世代のR&Bシンガーではなく、チャーリー・チャップリンやジェームス・ブラウン、サミー・デイヴィスJr.をリスペクトし、熱心に勉強していました。
彼の世代より前の偉大なエンターテイナー達をです。
彼自身が偉大なエンターテイナーになるためにです。

He studied great entertainer, so that he could become a great entertainer himself.


Study the greats and Become greater 掟破りのその5

本日何をどう間違ったのか、その6なるものが先にUPされちゃいまして、やだもう、その5だけでも掟破りなのに、今回も続きがあるわけ?っていうネタバレがすでになされてしまいました。
つーまーんーなーいーw

でもとにかくまたもや長い記事なんです。
途中でいやになったら、とっとと閉じちゃって風呂入って寝ちゃってくださーい(^_^)v


そもそもこのStudy the greats and Become greaterシリーズは、年末のBAD25ドキュメンタリー(邦題:BADのすべて)で、野心燃え盛るイケイケマイケルのステキお仕事の模様にうっとりしたところからスタートしたわけなのですが、書いている途中で、やっぱり何度も何度も録画を見直しているうちに、ある一人の登場人物のことを「だめじゃん、この人忘れてちゃ!」と思い、彼についてあらためて調べなおしていると、「あらやだ、こんなステキなものが」というのに出くわして、どうしてもこれ書いておかなくちゃ!と思ったのが、ちょうどシリーズその3ぐらいの時だったのですが、内容はすでにその4までできちゃってて、いくらなんでもここから「その書きたい事」を書くには、「長すぎるよなぁ」と思い直し、「ま、いーや、別のエントリーで書こう」と思ったにもかかわらず、どうしても書きたい内容がStudy the greats and Become greaterに絡みまくるもんで、とうとう「終わります」と言っておきながらのまさかの「その5」とあいなりました。
どーだ、この前置きの長さww

忘れちゃなんねえと思った人物とは、この方です。

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Jeffrey Daniel

彼についてはもうご存知の通り。
マイケルにムーンウォークの元となったバックスライドを伝授したと言われる、BAD、Smooth Criminalのコレオグラファーですね。

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一番右の端っこにいますいます^^

んが、それだけではなく、彼は1970年代のアフリカンアメリカンの聖地、カリスマソウル番組ソウルトレインの専属ダンサーを経て、ドリカムの原型と言われている(言われてないYO!w)男性2人女性1人(Jody Watleyと Howard Hewett)のファンクでソウルなグループ・Shalamar(シャラマー)の一員にして、ピクサーアニメのカーズの原型と言われ(言われてないKA!w)あの川崎麻世が「新幹線ハシモト」(笑)としてローラースケートでぶいぶいいわせた、人間機関車ミュージカルである「Starlight Express:スターライトエクスプレス」初演に、未来の機関車エレクトラ役で抜擢され、新幹線麻世以上にぶいぶい滑りまくり(おっと、麻世とは競演していませんが)、その華麗なローラースケーティング姿に、あの泣く子も黙るジャニー喜多川が光GENJIに「YOU,滑っちゃいなよ」とローラースケートさせることを思いついたというもっぱらのウワサ(うそw でもジャニーさんとは本当にお友達らしいですw)なぐらい、素晴らしいキャリアの持ち主さんなんですね^^


シャラマーのBIG HITのうちのひとつはこちら。

A Night To Remember / Shalamar


大好きだった歌だよ~も~。
ジェフリーいるの知らなかったけど、当時から赤いバーテンダー好みだったから許してねw
FMでよく流れてて、Gonna make this a night to remember Get ready tonight♪ここだけよく歌ったです^^



ちなみに「Starlight Express」のエレクトラはこちら。
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さ、さすが・・未来の機関車なだけある・・w
この配色ですぐに思い出したわ
アメリカのお化けw
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こういうのいらない情報っていいますかそうですかw



ちなみのちなみにマイケルはロンドンで行われたこのショーを観に行ってますね。
バックヤードで出演者とも話したというから、DANGEROUSツアーの金フン構想はジェフリーの隣の彼女のハイレグを見てひらめいたというわけですね!(そうであったらなんか嬉しい・・けど違うw多分ww)


で、このエレクトラの子供の塗り絵的カラーセレクトの衣装ですが、でも白黒にするとどうです?

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あれ?ちょっとなんとなく・・似てないっすか?




この方のお召し物にw
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どうも中央デルタ地帯を盛り上げるのがお好きなようでw

すごーい似てるなぁと思って調べましたらば。
実はStarlight Expressの衣装デザイナーであるJohn Napierさんは、やはしキャプテンEOの衣装デザイナーでもあったのですね。(source:Wikipedia
どうりで似てるわけです^^


BADドキュメンタリーのアテレコではなんとなくちょい悪オヤジっぽく「俺が~だぜ!」と、杉ちゃんより正統派ワイルドさを醸し出していましたが、実際の彼はとても真面目な紳士で本当にいい人なんだそう。
でもわかる。
どうしてかっていうとね。
2010年大阪のスカイビルで行われたネバランコレクション。
わたしがバカみたいに通い詰めた、今から考えたらあれだけのスケールのマイケルゆかりの品々をほぼ3か月も展示し続けてくれた奇跡のようなイベント。

後半は主宰側が予定していた期間も、とてもステキなアイデアも、ことごとく大人の事情の障害にあってどうしても実現できずに、やむなく急に終了してしまいましたが、わたしは今でもとてもとても感謝しています。

夢のような日々でした。

中でも懐かしく思い出されるのは、マイケルのお誕生日に、みんなで祝おうイベントが行われて。
ユーコ・スミダ・ジャクソンさんのステージが目玉で、でも本当はもうひとりゲストが決まっていたのですが、直前にダメになって。
そのことを知って、たまたま主宰側の日本語上手な社長とお話しする機会があった時、わたしたちは自分たちも残念だけど、さぞ彼も残念がっているだろうと思っていたのですが、あにはからんや彼は満面の笑顔でこう言いました。
「ダァイジョ~ブダヨ~!モットexciting(ここはさすがにネイティブ発音w)ナguestガクルンダヨ~!ホントハナイショダケドトクベツニオシエテアゲルヨ~、ナント、Jeffrey Daniel(ここ、さらにネイティブ発音)ダヨ!アノJeffreyダァヨ~!!」
とても興奮している様子で。

わたしは当時そのジェフリーという人が、マイケルの振付師だという認識しかなかったため(勉強不足を今は呪う(/_;))社長の興奮度がストレートに伝わらず「へ、へ~」レベルのリアクションしかできずに若干申し訳なかったのですが、彼は気にせず「スッバラシイコトデショ~!ホントニレキシテキナコトダヨ~!」とひとりテンションはどこまでも高かったのでした。

そして当日、ジェフリーはやってきてくれて、「天国のマイケルにみんなでHappy Birthdayを歌おう!」といって、へぁぴぶぅぁすでぇいとぅうゆぅう♪と歌い出してくれて、そこに集まった何百人かのファンたちが空のマイケルに届けとばかり全員でHappy Birthdayを歌った時の、心震えるような感動は今も忘れません。

Happy Birthday Michael in Neverland Collection 2010


なんだかんだ英語で話していた彼が、急に日本語で、「ジャパン!ジカンハヤイデショ」って話した時、びっくりして、またまた、たまたまそばにいた例の社長に「彼日本語話せるの?」と聞いたら、そんなことも知らないのか?的な顔で「ソリャソ~~ダヨ~~!Jeffreyハオーサカニスンデタンダヨ~」と言われた時の衝撃!
ビリー・ザ・ブートキャンプのビリー隊長が同じ市に住んでいると聞いた時と同じぐらいの衝撃でしたw


その後、イベントでの彼の出番が終わり、例の社長が彼をエスコートするように彼の前を歩き、とても背が高くて長い足、なのに小さなキャリーをごろごろと引いて、足早にその場を去ろうとしているジェフリーを見かけたわたしは、下手くそな英語で「ミスターダニエル、さんきゅーそーまっち」とお声をかけました。
聞こえたのかこちらを見ながら彼は笑って(多分ね、グラサンしてたけど歯が見えたw)、手を振りながらてってけてーと歩いていきました。

その時に思いました。

きっといい人だって^^

おそらく急遽オファーを受けて、でもなんとかしてやってきてくれたんだと思います。

彼は、シャラマーで活躍していた頃、剣道を習うほどの親日家だったらしく、2000年初め頃日本に拠点を移し、その際北海道や大阪に居を構えていたそうで、特に大阪には長くいたそうです。
心斎橋界隈がお気に入りだったそうw
現在はロンドン、アメリカ、日本、アフリカをベースに活動されているということ。

2009年のユニクロ・カラーデニムCM(藤原紀香・大沢たかお出演)ではコレオグラファーとして参加、しかも最後には藤原さんとしっかり2ショットで映っています。

そのCMはこちらでご覧になれます。
0:31~1:01までがそのCM。(見たよこれ・・覚えているもん。知らなかったなー)

おしゃれさんのジェフリーは、1983年にヴィヴィアン・ウェストウッドのパリコレ、1984年には山本寛斎さんの東京コレクション、1985年にはミチコ・(コシノ)ロンドンのコレクションにモデルとして参加したそう。
BADの撮影の時に寛斎Tシャツ着てましたもんね^^

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これこれこれでーす

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僕だって負けちゃられないよ!でもジェフリーのと比べると一見韓国のパチもんに見えないでもない、やっつけ感ありありの寛斎ワッペンだね・・


なんだかジェフリーのことやけに詳しいじゃまいかって?
ふっふふふ。
ネタを明かすと、実は2010年に発売されたダンス専門誌「DDD」の10月号が1冊まるごとジェフリー特集で、それ読んでお勉強したからなんですのよ奥様^^

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もちろんマイケルとの話も巻頭から15ページほど割かれていて、なんだか途中で胸が熱くなって。
あのバースデーイベントの日、何にも知らないわたしが、「いい人なんだろうなー」と思ったイメージがそのままやっぱりいい人だったというのが、彼のマイケルに向けられた言葉の数々から感じられ。
なのでぜひそういう部分を知っていただきたいなと思ったので、レビューみたいな形でちょっとご紹介させていただきますね。

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左ページ上の黒いフェドラはマイケルからもらったものだそうです。これをかぶって一緒にダンスレッスンをしているネットでは探せない写真も載っていました。

大人気だったジャクソン5のことは、テレビで見てもちろん知っていて、学校でも「昨日のジャクソン5見た?かっこよかったなー」なんて話題にはしていたそうですが、実際ジェフリーがマイケルと言葉を交わすのは、1979年彼がシャラマーとしてデビューした後も、ダンサーとして出演していたソウルトレインの番組収録の時。
紹介された時マイケルは、シャラマーのヒット曲「Second Time Around」をいきなり歌ったそうで、ジェフリーはすでにマイケルが自分のことを知っていたことに感動したそうです。

マイケルが歌ってくれた「Second Time Around」はこちら
いかにも70年代衣装の、ステキなアフロのジェフリーにご注目^^


その後1980年に、ディズニーランドでシャラマーのライブを行った際、小さいジャネットを連れてマイケルがお忍びで観に来て、舞台袖からガン見されて、その後電話で正式にダンスを教えてとオファーがあったそうです。


※ここでちょっと脱線しますが(またかYOw)

マイケルにムーンウォークの元となるステップ、バックスライドを伝授したのがジェフリーであると言われていますが、調べた限りでは1980年当時ジェフリーと彼の仲間である Geron "Casper" Candidate、Derek "Cooley" Jacksonの3人からというのが正しいようです。
同じ時期に、マイケルのスタッフからキャスパーとデレクに連絡が入り、やはりソウルトレインで観た(ジェフリー・キャスパー・デレクら3人は番組内で1980年に披露しています)バックスライドを教えてくれとオファーがあったということです。
ここらへんは、昔からネット上で知る人ぞ知る論争だったようで、マイケルに教えた最初はキャスパー達だとか、別のダンスグループであるエレクトリック・ブガルーズのメンバーが最初だとか、喧々囂々と。
ああ、それとか、マイケルが真相を話さず「ゲットーで踊っていたkidsからさ」なんて著書やオプラのインタで話していることを非難する意見もありましたねぇ(苦笑)

これはわたしの推測ですが、当時新しいダンスの形であったポッピングやロッキングと呼ばれていたLAスタイルのダンスは、いわゆるレッスンで教えてもらうようなものではなく、ストリートやクラブなどで見様見真似からそれぞれ習得していくもので、それを天下のマイケル・ジャクソンが「ぼくダンス教えてもらってまーす」というのは、当時のMJイメージ戦略からすると、著しくイメージを損なう話に思えます。
それならば、いっそストリートで踊る子供に教えてもらった方が、いかにもマイケルらしいわけで。

バックスライド自体も遡れば、そのルーツとなる動きは1940年代頃からすでにあったわけで、そういう意味ではみんな誰かの真似をして、その動きが進化して、どこで革新的に新しくなるか、爆発的にウケるか、急激に認知されるかというだけの話だと思います。
ですから、実際マイケルは複数のダンサーたちにステップを見せてもらったり教えてもらったりという機会があったのではないかと思います。
ある一人の人物だけではなく、自分と関わる、それぞれの当時のいわゆる「アーバン・コンテンポラリー・ダンス」を踊るダンサー全員から、何かを真似て何かを盗み何かを吸収したのだと思います。

その中で、ジェフリーは長期間マイケルと一緒に過ごしたようですので、特にジェフリーのバックスライドを参考にした、というのが本当のところではないかと思ったりしました。



話を戻して。
マイケルのエンシノのおうちに通うようになったジェフリー。

ここよりDDD(dancedancedance)2010年10月号よりインタビュー部分一部抜粋
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Q:何故、マイケルはあなたからダンスを学ぼうとしたのですか。

それは彼に聞いてください(笑)
私がその質問に正確に答えることはできませんが、おそらく彼が知らないことを私たちがすでにやっていたからかもしれませんし、バックスライドやボディ・ポッピングの動きに大変な興味を持って、それを覚えたいと思ったからかもしれません。
彼はすでにスターでしたから、気軽にクラブに出かけて行ってそのようなダンスを学ぶことなどできませんでした。
誰かが彼の家に行って教えるしかなかったのです。

彼は当時、私達がやっていたことと同じ事を試していました。
それは、ジェームズ・ブラウンの動きに当時LAで流行っていた違うタイプのダンスを取り入れることです。
マイケルはまだ若かったので、彼なりのやり方でやっていましたね。


Q:マイケルはあなたからどれくらい影響を受けたと思いますか

もちろん、マイケルは私が彼にダンスを教える前からすでに、自分自身のダンススタイルを持っていました。
ですから私が彼に影響を与えたとすれば、彼のダンススタイルを少しばかり開拓したというところでしょうか。
私の踊りを彼に見せ、一緒に踊ることで、彼は自然に次のレベルに進んでいったのです。
彼はすでに「マイケル・ジャクソン」であり、すでに偉大なダンサー、パフォーマー、エンターテイナーでした。
ですので、彼のすでに確立されたスタイルに私の持っている動きが加わっただけというか。

彼は私が持っている様々な動きを具体的に習得しようとしました。
そのため具体的なひとつひとつの動きを私とまったく同じように踊れるまで練習していました。
それで、彼はそれらの動きを自分のものにし、さらに発展させていったのです。

その後、私はシャラマーを脱退し、それらの動きをステージで披露することもなくなったのですが、マイケルが私の動きをステージで披露しているのを見て、周りの人が「ワオ!君は本当に素晴らしい仕事をしたんだね!」と言ってくれました。
この賞賛は私にとって生涯で最高の喜びです。
「昨夜のシャラマーのステージは素晴らしかったよ」と言われるのももちろん嬉しいですが、「君とマイケルとの仕事は本当に素晴らしい」と言われる時の気分というのは、なんと表現したらいいか・・。
でも、マイケルは世界一のエンターテイナーであり、その彼に踊りを教えたことに対して周りの人が私にまで敬意を表してくれるなんて、畏れ多い気持ちになります。
ですので、マイケルが亡くなるまで、私は自分のインタビューで決してマイケルに踊りを教えたことについて語らなかったのです。
マイケルとの仕事は私にとっては特別なものですが、それはただそれだけのことなのです。


Q:レッスン中のマイケルはどんな人でしたか

彼はとにかく笑うことが大好きでした。
私たちはずっとジョークを言い合っていました。
私たちはどちらも冗談を言って周りの人を笑わせることが大好きですが、ダンスに対してはどちらも真剣に取り組んでいました。

あと彼は、私もそうですが、完璧主義者でした。ですから、少しでもわからないことがあるとすぐに質問をしてきました。
それと、とても正直な人ですね。彼には誰も嘘をつくことができません。
なぜなら、彼は嘘をすぐに察知し、またその嘘に気付いていない振りができないのです。
一度、彼に言ったことがあります。
「マイケル、君は今僕が言っていることを真剣に聞いていないね」って。
彼は「What? How did you know that? え?どうしてわかったの?」と答えました。
彼は決して「ううん、ちゃんと聞いているよ」などと誤魔化してみたり、嘘をつくことができないのです。
彼はただ「You noticed that, didn't you? 君は気付いていたんだね」と正直に話します。
誰に対しても正直でした。

また、彼は決して怒りません。
いや、それは間違いですね。どんな人間にも怒りの感情はあります。
ただ彼は決して怒りを態度に表すことはありませんでした。
例えば、彼が何かに対して怒りの感情を覚えたとします。
ダンスのステップが気に入らなかったり、彼がそれは間違っていると感じたり、それでも彼は決して、誰に対しても苛立ちを見せることはありません。
「NO!そうじゃないってば」とか「それは気に入らないね」とか言って、声を荒げることはありません。
そう言う代わりに彼は、「This movement may be a little bit too much, What you think? この動きはちょっと大きすぎるかもしれないね、君はどう思う?」とか「Should I do it like this...What's your idea? こうするべきなのかなぁ、君の意見は?」とか言って、相手に考えさせる時間を与えるのです。
そのような配慮を持った人間を私はマイケル以外に知りません。
彼のような優しさを持つ人間は珍しいと思います。
結局は自分の間違いを正すにしても、「それは気に入らないから、今すぐ変えなさい」と命令口調で言われるより、彼のやり方のほうが誰だって気分はいいものです。

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この時期のマイケルとの思い出が別のインタビューでも語られています。
いかにも先生と生徒、なんていう風ではなく、集中する時は真剣に、でもあとは、本当に二人の才能あるダンサーがお互い刺激しあいながら楽しんでその時間をすごしたことがよくわかりますので、これも一部抜粋で記しておきます。

Source:TIME誌 REMEMBERING MICHAEL-Jeffrey Daniel

彼は決まって毎週日曜日にダンスレッスンを行っていた。
よく覚えていないけれど、僕とのレッスンは何週間かにわたって週に1度、2時間ぐらい。
それほどキチンとしたものじゃなくて、OK,こんなステップだよ、次はこんなステップ、みたいな感じ。

すごく楽しい感じだったね、おバカに振る舞ったり、チャーリー・チャップリンみたいに歩き回ったり、お互い顔を突き合わせてからかいあったりね。
だいたいそんな感じで、僕らはダンスを通じてとても仲良くなっていった。
特別な動きの時は集中して踊った、でもたいていはダンスを見せ合ってただ楽しんでいる二人の男って感じだった。

そのあとは、フレッド・アステアの映画を見て、ジーン・ケリーを見て、ニコラス・ブラザーズを見て、サミー・デイビス・Jr.を見るんだ、インスピレーションを得るためにね。
知らなかったけど、彼ポップコーン食べるんだ、だから僕も食べることができたよ。
一緒に座って映画を見てると、彼が靴で床をこすって変な音を出すから、爆笑させられちゃうんだ
しかも映画に合わせて一人で歌い出しちゃうし。
僕はこんな感じだった、なんだよもう、どこにでもいるヤツじゃんみたいな。

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出たー!マイケルのお馴染みGREATな先輩たち!
この時期はポジティブシンキングメモをばんばん書いていた時期でもあります。
本当に勉強熱心で納得するまでやりたい完璧主義者なんだからーまいけるー^^

実はジェフリーは8月24日生まれ。
そう、マイケルと同じおとめ座。
ジェフリーも完璧主義で、しかも女性に対してシャイなんだとか(うそだねw)
マイケルと好みやこだわるところがよく似ていたそうです。
例えば、白靴下とか白い下着とか・・ですって。ぷぷぷw


・・て、・・あーあー

またこんなに長くなりました。
まさかの続く、ですw

Study the greats and Become greater その4

マイケル・ジャクソンを真似るなんて不可能だ。どうしてわざわざそんなことをする? 肩の力を抜いてゆったりと見惚れていればいいのさ - Mikhail Baryshnikov


2006年から2008年までマイケルが拠点にしていたラスベガスへも、ドーメシアは通い続けました。

「時々スタジオへ行く途中に末っ子のブランケットを見かけたわ。
この2年の間は、(※記事は2009年のもの)ラスベガスの彼の家のスタジオでレッスンをしていたの。
一度、私たちふたりともステップをとちっちゃって、踊りがグダグタになった時があったのだけど、その時ブランケットがドアのところで笑っていたの。
とてもステキな瞬間だった。ブランケットがいるととても楽しいの*。

マイケルは、タップダンスを愛していたわ。
ニコラス・ブラザーズとフレッド・アステアを本当に愛してた。
彼は、自分の望みがはっきりしていたの。
タップが奏でるリズムが好きだったのよ。
私のタップをよく座って見ていたわ」

大抵ドーメシアの方が早くスタジオに入って、マイケルを待つ間、彼女はタップシューズを履いてウォーミングアップをしていました。
スタジオに入ってきたマイケルは、タップを踏む彼女を座ってじっと観察するように見ていました。
そして彼女がタップを終えたら、「Wow! Those rhythms are great 君のタップが奏でるリズムは素晴らしいね」と言ったそうです。

マイケルが彼女のタップシューズに贈った言葉
00_MJ_ tapshoes for Dormeshia_You are excellent honestly2

Dormeshia You're excellent Honestly
ドーメシア 君は最高 本当だよ




タップダンスには主に、アステアやジーン・ケリーに代表されるような、ただステップを踏むだけではなく、音楽に合わせた上半身の振付けもある「ブロードウェイスタイル」と、リズムを重視し、シンプルにステップが中心の「リズムタップ」があるそうです。
振付などなくもちろん音楽もなく、体全体を大きく使って強弱をつけ、自分たちの踵の音そのものが音楽になるスタイル。
リズムタップは、もともとアフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちが、仲間同士で会話することを禁じられたことで、足を鳴らしてコミュニケーションをとったのが始まりだと言われているほどの、黒人の魂の踊り、魂のルーツでもあるダンスなのだそうです。

踵を蹴り、つま先を踏み、そうして自分たちの感情を音に託して響かせる声無き言葉。
彼ら黒人には、ストンプに表現されるように、モップの音、グラスがぶつかる音、そして足音といった単なる音たちからビートを生み出し、そのビートが紡ぐリズムに身を任せるうちに、あるいは自分の鼓動をリズムと共振させるうちに、自然に踊り出さずにはいられないDNAが、広大な大地と共に生きていた時代にはじまり、哀しい歴史に翻弄された祖先を経て、何世代にもわたって脈々と受け継がれているように思えるのです。


When I dance, if you’re a dancer, you know, you’re just interpreting the sounds and the accompaniment of the music.
If there’s a driving bass, you become the bass.
If there’s a cello or if there’s a string, you become that.
So you become the emotion of what that sound is.
中略
・・So I’m a slave to the rhythm.

僕、というかダンサーが踊る時は、音楽に付随している音たちを読み取って表現しているんだ
もしノリのいいベース音があれば、そのベース音になる
チェロや他の弦楽器の音ならその音になる
音の持つ感情そのものになるんだ
・・つまり僕は奴隷のようにリズムに抗えないのさ


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これは1993年のオプラ・ウィンフリーショーで、「股間に手をやるのはなぜか」と直球で聞かれたマイケルのお答え部分の抜粋です。
略した部分は「そんなふうに音に感情移入しているから無意識なわけで、音楽がそうさせてるわけで、あとからそんなしぐさをしているのがわかってびっくり」みたいな、普通の人が聞いたら下手な言い訳に聞こえそうなことを語っているので省いています。
基本わたしは例の動きは絶対に確信犯だと思っていますがw、「音の持つ感情そのものになる」と言っている箇所はまさにリズムタップダンサーの言葉に思えます。

I’m a slave to the rhythm ― 僕はリズムのとりこだと語ったマイケルも、もちろん例外でなく前述の魂のルーツが刻まれたDNAの持ち主であって、その遺伝子に導かれるように、自分が信じる感覚のままに踵を蹴ることで、自分の喜怒哀楽の感情を音に乗せ、あたかも自分自身がリズムを奏でる楽器になる、そんなリズムタップを愛した人だったのではないでしょうか。

その上で、エンターテイメントに誠実な彼は、文化でさえ人種の垣根に区分けされがちだった時代の慣習に惑わされることなく、素晴らしいものは素晴らしいとして純粋に、白人のアステアが優雅に舞いながら蹴ったタップをはじめ、さまざまな分野の要素を自分スタイルへ組み入れていったのだと思います。


その要素のひとつには、おそらくバレエも影響していたでしょうね。
This Is It・DVDの特典映像の中で、トラヴィスとほんの少しバレエの話をしていますよね。
トラビスが「ジュテ(跳躍)とかリフトとかあるでしょ?バレエのそういうのを見るのが大好きなんだ、バリシニコフとかも」みたいなことを言うと、マイケルも
It's beautiful. It's the most disciplined of all the forms of dance. バレエは美しいよね。数ある踊りの中で最もフォームが整っているよ」と答えていました。

フォーム。

バレエの基礎は一にも二にも「正しく美しいフォーム」だと聞いたことがあります。
型がきちんと決まっていて、そのうえで指先、つま先まで神経を行き届かすことが大事、とはいっても決して固くなってはいけなくて、あくまで動きは柔らかく、といった。
わたしのような素人が観ていても、美しく踊るバレエダンサーはとにかく体幹がしっかりしていて、上半身が猫のように柔らかくしなやかに動くのだけれど、決してブレずに最後にはぴたっと正しい姿勢をキープしているように思います。
軸がゆるがず美しいフォームを維持するということは、背筋と腹筋が想像以上に鍛えられているのでしょうけれど、それを微塵にも感じさせない柔軟さも備わっていなければならないのでしょうね。


マイケルのダンスにも同じことを感じませんか?

天性に備わっていた卓越したリズム感と柔軟性、そしてどれだけ激しくステップを踏んでいても、それに引っ張られて惰性で上体が動くことはなく、上体に振りがあっても、決め時のポージングでは全くぶれることのない、その上半身を支える体幹の揺るがなさ。
上体の重心が後にも前にも偏らないことで生まれる美しさ。
以前にも書いたような気がしますが、それはまるで、どれだけ水面下で激しく脚を動かして水をかいていても、水上に出ている姿は微々とも動かず、いかにも優雅に水面を滑る白鳥の姿を見るようなのです。


トラビスが引き合いに出した偉大なバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ。
彼はピルエット(回転)の神様と呼ばれていたそうです。
マイケルはタップの先生を紹介して、とデビー・アレンにお願いしましたが、こんなお願いも彼女にしたそうです。

「彼は「バリシニコフのようなピルエットを教えて欲しいんだ」と言いました。
だから私は言ったのです。「あなたは、すでにバリシニコフよりうまく回っているわよ」って」


そのピルエットの神様が、2009年に冒頭の言葉を語りました。
1986年5月に、エリザベス・テイラーを介してバリシニコフ(同じ年に彼はアメリカに帰化していました)に会ったマイケルは、バリシニコフ曰く「12歳の子供のように」多くの質問をしてきたそうです。

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ハーイ!よい子のみんな、リチ男だよ!僕もこん時一緒だったんだ~♪

彼らはバレエについても沢山の話をしたそう。
そして彼は、マイケルのことをこんな風に語っています。

「彼について最も思い出されることは、彼のターンでも股間掴みでもない。
彼のなんてことない普通の動きだよ。
リズムに乗って弾むようにステージを横切る歩き方とか、腰を揺らす、飛び跳ねる・・そういう動きが最も美しく、そして人目を引くんだ。
僕にとって彼とは、自分の肉体に絶大なる信頼を寄せているダンサーだ。
わお、こいつはなんて奴だ、自分の好きなように動けている!と言いたかったよ」

そうそう、それそれそれ!
美しく踊る事を可能にする完璧な身体能力を持ったダンサーだからこそ、ただ歩く姿も美しいということをおっしゃっていますかバリシニコフさん!いやさ、ミハイル!SEX AND THE CITY見てましたー!\(^o^)/

えへへ、ちょっと興奮しちゃって、失礼しましたw


Michael Jackson - Another Part Of Me (Live At Wembley July 16, 1988)

弾むように歩いて腰を振って蹴って回って、キレッキレに動いて精密機械のごとくビシビシキメて。バリシニコフの言うことがいちいち頷けます^^


天才と評されたバリシニコフに「自分の思い通りに体を操ることができて、しかもステージ上の何気ない普通の動きが美しい」と言わしめた彼。
強靭な体幹としなやかさを生む柔軟性、リズムと一糸乱れずに動くことができる身体能力、そして何よりも自然な優美さ。
ダンサーならば誰もが欲しがるそれらを完璧に備えたダンサーだと。
バリシニコフの言葉は、舞踊に携わる者同士で贈ることができる最大の賛辞だったのではないかと。

マイケルの事ならばなんだっていいように解釈しすぎっていわれるかな?
でもいいんだ。そう思うんだもんww
で、えーと・・あれ?また脱線していますかこれ?w




ドーメシアが最後にマイケルと一緒に踊ったのは2008年の9月だったそうです。

「彼は「大きなプロジェクトに取り掛かっているんだ」と話していたわ・・
彼はフレッド・アステアとニコラス・ブラザーズのタップスタイルを研究して、自分のスタイルに融合しようとしていたのよ」

大きなプロジェクト

THIS IS IT

正式契約の1か月前


They are getting an element of me, They are never seen before
観客は今まで見たことがない僕の一面を見ることになるよ

From bonus footage of THIS IS IT DVD

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見たことのない一面に

あの黒革のタップシューズで床を蹴る姿・・も含まれていたのでしょうか


誰にも真似のできない高みへ登るために
誰も見たことのない自分を魅せるために

Study the greats and Become greater

自分より優れていると認めた人に教えを乞い、自分の感性が必要だと思ったことを吸収し、どこまでも謙虚に、そして貪欲に、自分自身の思う頂点へと自分を高める努力を怠らなかった人。

学んで研究して練習する・・そういった努力を自分に課すからこそ、月並みなものでは絶対に満足しない人。

ドーメシアの言葉です。
「エイトカウントの最初のワンに4時間レッスンを費やそうとも、完全に体に叩き込むまで次のカウントに進もうとしない人だった。
マイケルはダンスに対してそんな敬意と愛情を持っていたの・・」

似たような事を、BAD25ドキュメンタリーにも出ていたお馴染みBeat Itでナイフを振りかざす一触即発にいちゃんのひとりをあくまでも演じたw 振付師のヴィンセント・パターソンが語っています。

「マイケルの完璧主義を物語るいい例えがあるよ。
Smooth Criminalのダンスの中で、何度も繰り返す一連のダンス・フレーズがあって・・
僕が振付けたところなんだけど、マイケルは鏡の前で何度も何度も同じカウントを4時間も練習していたんだ。
僕は彼のそばに行っては言い続けた、「マイケルこっちに来なよ・・ 休憩しよう」とね。
でも彼はこう言うんだ。
「No, Vincent…I want to do this ‘til it’s perfect. いや、いいんだよ、ヴィンセント・・完璧に踊れるまでやりたいんだ。」
マイケルは自分自身にとても厳しかったよ」

マイケルが4時間もひたすら練習した「何度も繰り返す一連のダンス・フレーズ」って?
まさか誰もが知っているSmooth Criminalの象徴ともいえるあのルーティン・・

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全国の「マイケルみたいに踊りたいから頑張ってスムクリダンスを練習していまーす♪」という良い子のみんなは、いますぐ練習時間を大幅に増やしましょうw


磨けば磨くほどまばゆい輝きを増していくダイヤモンドのように
手をかければかけるほど麗しく咲き誇る薔薇のように
自己へのハードルを上げ続け、なおPerfectを追い求めた人。

ダンスは Michael Jacksonを構成する一つの要素にすぎない。
でもそのたったひとつにこれだけのこだわりと信念。
自らに限界を設けることなく頂点を目指すからこその完璧主義。

ならば

そのゴールへ到達するための取捨選択は彼にとって必然。
その道程にふさわしくないものを「切り捨てた」のではなく、必要なものを「選んだ」のだと
わたしは思います。


Study the greats and Become greater

わたしたちは知っています。
彼がそれを成し遂げたのだということを。

さまざまな偉大なる先人に学び、吸収する姿勢を崩さず、完璧を求め努力を怠らなかったからこそ、人々に刺激を与えインスピレーションを与え、感動を与える存在になり得たのだと。
今この時、彼自身が誰かのGreatなのです。


11年間、彼にタップを教えたDormeshia Sumbry-Edwards ドーメシア・サンブリー・エドワーズはマイケル・ジャクソンを世界で最も偉大なエンタテイナーだと考えています。

「何十年もの間、彼は沢山のダンサーを奮い立たせてきたし

There are still aspiring entertainers who are studying Michael
いまだにマイケルを研究している若い意欲的なエンタテイナーがたくさんいるのだから」

そう。わたしたちは知っています。
He study the greats and DID become greater.




またもや長い思い込み大爆発な記事になりました。
実はこれを書いている途中で「絶対書きたい!どうしても書きたい!」というのが出てきたんですけれど、それ書いたら収拾がつかなくなりますので
ここで一旦終わりにしますw

ここまでお付き合いくださった方に今日も感謝を^^


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<ご注意>
*ドーメシアがブランケットと交流するくだりは、わたしの英語レベルではむずかしく、相当思い入れと思い込みの激しい意訳になりました。きちんと確認したい方は下記原文をお読みくださいませw
基本マイケルを語る人の言葉は忠実に訳し(たつもりw)ましたが、今回の記事内容の流れ上、原文記事は、概要的に参考にさせてもらいました。

※参考記事source
Michael Jackson’s Love of Tap
Tap's Leading Lady
Michael Jackson planned to channel Fred Astaire for 'This Is It' shows
Sarah Kaufman Analyzes the Magic Behind Jackson's Dancing
BAD 25 SHINES LIGHT ON MICHAEL JACKSON’S MOST UNDERRATED ALBUM, ERA, AND COMPETITIVE OBSESSIONS

Study the greats and Become greater その3

音楽はずっとマイケルにとっての女神だったかもしれません。でも、Danceは彼の女王だったのです。-Debby Allen


マイケルのタップの先生が、病気のためにその任を果たせなくなった時、次のインストラクターにと紹介されたのは、現在も現役のタップダンサーであり、NYはハーレム・タップ・スタジオのインストラクターでもあるDormeshia Sumbry-Edwards(ドーメシア・エドワーズ)その人でした。

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マイケルは1997年9月、ABCで放送されたインタビュー番組、Barbara Walters 20/20(インタビュアーは意地悪だけれどマイケルの答える姿はGirlたちの大好物wな、あのインタビュー)のためにパリに滞在していました。

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これこれ^^ 好きでしょう?はい大好きですw

そんなマイケルに呼ばれたドーメシアは、遠くパリまで行かなければなりませんでした。
顔を合わした途端、質問魔のマイケルは彼女にも例外なくたくさんの質問をしました。
例えばこんな風に。

Can you dance like the Nicholas Brothers or Fred Astaire?
あなたは、ニコラス・ブラザーズやフレッド・アステアのように踊ることができますか?

How fast can you move your feet?
どれくらい速く足を動かすことができますか?


彼女がタップを踏むと、あろうことかマイケルは腹ばいになり、彼女の足に顔を近づけてさらに質問をしてきます。

How are you getting all those sounds out?
どんなふうにしてそんなにたくさんの音を鳴らしているの?

Do it again as fast as you can go.
もう一度、君ができうる限り速く足を動かしてみて

Can you teach me how to do that?
そうする方法を僕に教えることはできる?



そんな面接を経て、後日彼女は正式にマイケルから誘いを受け、晴れて彼のパーソナルインストラクターになるのです。

「私たちはいつでもどこでもレッスンをしたわ。
何回かはロスで、でもおおかたは週末ラスベガスで。
ベガス、ロサンゼルス、ウェストパームビーチ(フロリダ)、それこそあちらこちらでね。
スタジオにいる間、わたしたちはふたりっきり。そのうち、私は彼が一人の人間だってわかってきたの。
彼はなんでもよくわかっていた・・世界問題や宗教、家族のこと・・エンターテイメント以外の人生におけるすべてをね。
彼は、自分の子供と素晴らしい関係を持った父親であり、立派な紳士だったの」

多忙なマイケルでしたから、レッスンは通常1日につきおよそ3時間から4時間ほどでした。

「マイケルは、自分が何をしたいかがちゃんとわかっているの
ほとんど、音楽をかけずにレッスンしていたわ。
でも一度、彼のお気に入りのジャネットの曲*をかけたことがあった。
そして、「I liked the feeling and wanted to do something with that feeling. 僕はfeeling(感覚)を大切にしてきた、その感覚にまかせて何かをやりたかったんだ」と言っていたわ。

私の足の動きが良く見えるように、相変わらず子供のように横たわって、「Slower, slower, slower もっとゆっくりやって、もっともっとゆっくり」
そのあと「Faster, faster, faster もっと早くやって見せて!もっと早くもっと早く!」
そうして私を見上げてこう言うの。
「Can you show me how to do that? そのやり方を教えてくれる?」って」


足元にいるマイケルが自分を見上げて「教えてくれる?」だなんて・・はい!Girlたちの萌えポイントキター!w


ちなみに *お気に入りのジャネットの曲は、きっとあれとあれですね^^



I always tell her my favorite song of hers is Rhythm Nation and The Knowledge, cuz I love the bass lick, it really just makes me crazy, makes me wild.
僕のお気に入りの彼女の歌は、Rhythm NationとKnowledgeだっていつも彼女に話してる。ベースのフレーズが大好きだからね、本当に僕をクレイジーにさせるしワイルドにさせるんだ

Michael Jackson's private home movieより

彼の言うところの"I love the bass lick" のlickは、「フレーズ」の古い言い方らしいです。
こういうところも、わたしのツボ^^
だってジャクソンさんは昭和の人ですからw
最近はBADマイケルの露出が多いから、ピンとこない人も多いだろうけれど、1958年生まれ=昭和33年生まれなんですよねw

コーデュロイをコールテンって言う感じなのかなぁww やだーマイケルったら親近感~\(^o^)/

「ジャクソン先輩、リックってなんすか?今どきはフレーズって言うんすよ!」
「フレーズ?そうなのかい?僕が育ったころからリックはリックだよ」
「いやー、普通のオヤジが言うと古くてダサいけど、ジャクソン先輩が言うとなんかクールっすね!俺も今日からリックって言うっす!」
「それもいいけれど、”言うっす”じゃなくてちゃんと”言います”と言った方が美しいと僕は思うよ」
「あ、わ、わかりました!ご助言あざっす!」
「いや、だから・・ヘヒヒ」(苦笑するMJ)
スタジオの中でのこんな会話を妄想してしまうw


・・じゃなくて、彼の好きなベースに注目して聴いてみましょう♪

Janet Jackson - Rhythm Nation


Janet Jackson- The Knowledge



特にThe Knowledgeは本当に気に入っていたようですね。
マイケルのアルバムDANGEROUSの候補曲リストっていうのか、ちょっとした計画なのか指示なのか、もひとつよくわかっていないのですがw そんなのも書きこまれたノートがあって。

MJ_Dangerous recording sessions_Teddy extra killer better than knowledge

Best of Joy もれたんだな~・・て、注目はその次の行です。

killer dance Teddy Riley approve
Teddy extra killer better than knowledge


killer dance テディ・ライリー承認?ここ曲名なのか指示なのかこれまたわからないのですが・・
少なくとも、テディに「knowledge(わざわざアンダーライン引いてますよ奥さん!)よりもずっとイケてるいい曲」追加ね、みたいな感じでしょうかw

で、よくよく聴くと、この曲と似ているなぁって思ったのが、JAMの出だしからイントロの雰囲気。
JAMもテディがからんでますよね。
ひょっとして、「knowledgeよりもずっとイケてるいい曲」ってJAM?ww

Michael Jackson - Jam


まぁ、その辺はいつもの妄想ということで^^
ですが自分の制作メモにまで引き合いに出して書くぐらいだから、マイケルにとってジャネットのThe Knowledgeは踊りたくなるkiller dance曲No1だったのは間違いなさそうですね。

このメモはこの他にも突っ込みどころが満載。
”MA & MJ duet”は、あのマドンナとデュエット予定だったIn The Closetですよね、おそらく。
レコーディング前の初期のプランメモだったんだなぁ・・とか、長くなるからやめますw
あー、また恐ろしく脱線w



マイケルはそれまでに独自にタップを研究し、巧みにMJスタイルとして認知されているステップに生かしていたと思います。
ダンス素人のわたしには、靴のトゥとヒールを鳴らしてもらって、はじめてタップダンスなんだとわかる体たらくですが、よくよくマイケルのステップを見ると彼の音楽でその音はかき消されていても、その足さばきはしっかりヒールを蹴っていて、もしソールに金属板がついていれば間違いなくリズムを刻んでいる。

その象徴たるステップはお馴染みのこれ。
mj-tap2.gif

これも。
mj-tap3.gif

ここでも。
mj-tap4.gif


わたしからすれば、これで十分な域に思えますが、彼はすでにそのようなタップのテクニックが備わっていたにもかかわらず、シャッフル、パドル&ロール、クランプロール、プルバック、ドローバック、タイムステップというタップのABC、すなわち基本ステップを一から学んだのだそうです。

昨年お亡くなりになった歌舞伎界の中村勘三郎さんが、「型を熟知した者がその枠を破るから型破りといわれるのだ。型も知らずに勝手なことをする奴は形無しだ」という名言を残されていますが、まさに言い得て妙。
一度見たステップはすぐに体が覚えてしまうほどのマイケルですから、タップも独自にマスターできていたのでしょうが、何をするにしてもきちんとした基礎がベースになっていなければ、革新的な進歩もあり得ない。
若い頃から様々なことを学んでは昇華しつづけていた彼なればのエピソードだと思いました。
すでにスターであり、誰もが認めるMJというスタイルを確立させていてもなお、謙虚に、貪欲に、Study the greats and Become greater。
そしてそのような姿勢は、歌舞伎であれ、ダンスであれ、芸能の道をどこまでも極める覚悟を持ち、そのための精進を厭わない、芸事の神に愛された者に共通するものなのだとも。


基礎を終えて新しく振付しあうようになると、マイケルは「君ならここはどうする?」と熟練のタップダンサーである彼女の意見をよく聞いたそうです。
こんなところも彼は一貫していましたね。

ちなみに彼女はマイケルのYou Rock My World のSFにおいて、振付師にクレジットされています。
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エンドロールです。バックにクリス^^

彼女とアイデアを出し合って振付けたシーンがあるかしら、なんて思ってこのSFを、今回マイケルの足さばきのみに注目して、目を皿のようにして観たのですが、全然わかりませんでしたw
アステアを連想させる動きや演出などは有名なんだけれど、わたしなんかが見抜けるような簡単な振りじゃなかったのでしょうねー。
「実はここのステップがそうなんです」みたいな、それこそBAD25ドキュメンタリー的インタビューをドーメシアにしてほしい・・誰かw
そういうマイケルの創作におけるお話を聞くのが好きなもんだから、ついつい(一種のオタクですw)。



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「彼は私がクリエイトするのをバックアップしようとしていたわ。
彼がすこし手直ししたら、私がまたそれに変化をくわえて形をかえるの。
マイケルは完璧主義者だったから、たった4小節に4時間もかかったりして。
彼は1つの動きに完全に満足するまで先に進もうとしないのよ。
いろんなパーツを取り入れて、自分の一部にしてしまうのが彼のやり方。
次の動きに移る前に、それまでの動きを磨き上げようとしていたの。
私は彼の仕事にかける情熱を見たの・・とても真剣なね」


マイケルはドーメシアを自分のタップの先生としてだけじゃなく、彼女に友人としての気遣いもみせました(いつものごとく)。
ドーメシアはNYに住んでいました。
9・11でNYが壊滅的な被害を受け、市民たちが打ちのめされていた時、マイケルはいつものレッスンのために彼女に電話をかけます。
その際、2週間ほどカリフォルニアのネバーランドに、彼女だけでなく彼女の家族ごと連れて来るようにと申し出ました。
ネバーランド滞在中、ドーメシアの子供たちとマイケルの子供たちも仲良くなり、家族同士でウェストパームビーチ(フロリダ)へ行ったりもして楽しい時間を過ごしたそうです。


でも時が過ぎ、何よりも彼が大切にしていたそのネバーランドを遠く離れなければならなくなったマイケル・・



すみません。
まだ続きます。

Study the greats and Become greater その2

MJはあらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった
Study the greats and become greater 成長するために学ぶんだと言ってね -Travis Payne



マイケルのKenny Shoesなるものを探す放浪の旅の途中、見つけたのは1足のタップシューズでした。
00_MJ_ Capezio tapshoes forThis Is It Tour_lot101750

sourceはやはりのこちら
そこには「マイケル・ジャクソンのタップシューズ。このCapezioの黒革タップシューズは、マイケル・ジャクソンが自身のThis Is Itツアーの準備中に着用したもの。ジャクソンは数多くのダンスを練習した、優秀なタップダンサーだった」と記されています。

オークションで出されるものの中には、まゆつば的なものもやはりあるのだとお勉強した2012年w
マイケルがTIIのためにタップを練習していた時に着用した~?
いやいや、そう簡単には信じられないなぁ・・なんて思っていたのです。

でも優秀なタップダンサーというのは頷ける。
まだドでかいアフロで毎週毎週、兄弟姉妹と一緒に、歌と踊りとドリフのコント、もとい楽しいミニお芝居なんかを披露していたThe Jacksons Variety Show(1976~77)で、タップは何度も踊っていたし、一番印象的なのは、Black Or White のSF、いわゆるパンサーバージョンで、ひとり路地裏で怒りを解放するように踊る一連のルーティンに、何度も出てくるタップステップ。

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ですが、やっぱり気になって調べていくうちに、本当にTIIのステージで、彼がタップルーティンを取り入れようとしていたという記事を見つけました。
彼の敬愛するフレッド・アステアと、アステアも絶賛した、やはり彼の大好きなニコラス・ブラザーズのタップスタイルを。


アステアに関しては、ご存じのとおりタップの世界に初めて洗練さと気品をもたらしたと言われているほど、そのスタイルは優雅そのもの。
(そのあたりのことを、嫌って言うほど書いた過去記事はこちら

対してフェイヤードとハロルド兄弟のタップデュオ、ニコラス・ブラザーズは、アクロバットタップと評されるエネルギッシュなスタイル。

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ストリート系ダンスに見られるスプリット(足を180度開脚する技。スプリットジャンプは今やもはや珍しくもなんともない動き)の元祖ともいえる技を組み入れたものですね。
アステアも絶賛した彼らのタップをどうぞこちらから。
1:06~から始まる神タップと2:28あたりから炸裂するスプリットは必見です!
マイケルが魅了されないわけがない^^

ああ、そうそう。
マイケルは先述のドリフコント込みのバラエティ・ショーで、大先輩のニコラス・ブラザーズとタップ競演もしています^^
この時も「わかいもんにはまだ負けんぞ」的にスプリットを披露してくれています。
興味深いのは、この時まだ小さかったジャネットも出演していますが、後に彼女は自身のミュージックヴィデオAlrightで、彼らと再共演しているのです。


ニコラス御大達は4:58あたりから登場

前回も書きましたフレッド・アステアの映画、BAND WAGONのGIRL HUNTでアステアの相手役として踊ったCyd Charisse(シド・チャリース)も登場する(2:54~)このヴィデオは当時大好きでした!
が、そんなすごい人たちがカメオ出演しているなんて、全然知らなかったのですけれどw

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この時代のジャネットはマイケルにガチで似ています^^


マイケルのみならず、ジャクソンさんちの兄妹たちは、こぞって幼い時に感銘を受けた偉大なアーティストたちを、いつまでもリスペクトし続けていたのですね。

あー、また脱線しましたw
話を戻して。

というわけで、アステアとニコラス・ブラザーズ、両者のタップスタイルは全く違うのですが、そこは吸収上手なスポンジマイケル。
当然彼らのエッセンスをうまく融合させたもの、しかもそれをMJスタイルに昇華させたものだったのでしょうね。
それが推測の域を出ないガセネタと言い切れないのは、実はみっちりとタップダンスの個人レッスンを受けていたことがわかったからで、そうした努力を続けていた彼ならば、きちんとした彼自身のタップ技術に裏打ちされたアイデアだったのではないかと思えるのです。
驚くべきことはその個人レッスンが、パンサータップ(えへへ、勝手に命名w)以降にスタートしているということ。
そしてなんと11年間にも及び続けられたということでした。
パンサータップは完璧主義者マイケルからすると、「だめだこりゃbyいかりや長介」的、満足のいくレベルでなかったということで。
この時すでに「マイケル・ジャクソン」というダンススタイルは確立されたと思っていたのが、聴衆や彼以外の人々の間でだけで、当の彼は、自身のダンス技術をさらに向上させるべく、人に教えを乞うたのです。
そのどこまでも謙虚な姿勢と、あくなき探究心には本当に驚かされます。


冒頭のトラヴィスの言葉にある通り、「あらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった」マイケル。
これは、どこまでも自己を高める努力を惜しまなかった才能豊かな研究魔が、常に Study the great and become greater を怠らなかったというお話です。


マイケルが旧知の間柄で、女優であり振付師でもあったDebbie Allen(デビー・アレン)に「タップを習いたいから先生を紹介してほしい」と頼んだのが、1997年のこと。

デビー・アレンといえば、1994年 26th NAACP Image Awardsの授賞式で、彼女がBest choreographer賞を受賞し、そのプレゼンターにマイケルが登場したことが思い出されます。
前年、同じNAACP Image Awardsで、マイケルはBlack Or WhiteでBest music video賞、及びEntertainer of the year賞を受賞しました。
喜びを感謝の言葉に変えて誇らしく立ったステージ。
ですが、その7か月後、エヴァン・チャンドラーによる単なる恐喝を巧みに虐待訴訟に見せかけた申し立てが起こされます。
その身に覚えのない身の毛もよだつような容疑は心身ともにマイケルを疲弊させ、DANGEROUSツアー中断という辛い決断をも強いられました。
栄光と賛辞に彩られた授賞式から一転、試練と呼ぶにはあまりにも理不尽で過酷な日々。
ですが、94年の同じステージに戻ってきたマイケルは、プレゼンターとして壇上に登った際のスピーチで、オーディエンスに自身の潔白を訴えます。
マイケルを信じて支持するオーディエンスの声援と万乗の拍手の中、彼はデビー・アレンに受賞トロフィーを渡すのです。

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その時に、デビーはマイケルに向かってこう言いました。

God bless you Michael, we're all on your side.
マイケル、あなたに神のご加護を。わたしたちはみんなあなたの味方よ


マイケルにとって、デビーのこの言葉は、辛い彼の心を思いやる心強くも嬉しい言葉だったでしょう。



そんなマイケルの味方であるデビーは、彼の頼みごとを快諾し、信頼のおけるタップの第一人者、ポール・ケネディ氏をマイケルに紹介します。
彼女の自宅のダンススタジオが彼らの教室となりました。

デビーはこの時のことをこんな風に語っています。

「私はマイケルが自身の専門外の事を訓練しようとしていることには最大の敬意を払っていましたが、実際のところ彼には「専門外」などなかったのです。
彼が上達していくさまは、素晴らしいクリエイティヴな旅の道のりを眺めるようでした。
マイケルはとても優秀でした。
彼はサミー・デービスJr.と同じ世界の出身だから、なんでも吸収することができたのです。
うちのダンススタジオの床には、まだ彼の靴がつけた痕跡が残っています。

私は彼がレッスンをしている間、彼の小さな長男、プリンスの世話をしました。
私たちはしょちゅうキッチンに入って、コーンブレッドを食べたものです。

マイケルはフレッド・アステアのファンで、アステアもマイケルのファンでした。
彼らはお互いに賞賛しあい尊敬しあう仲でした。
ですから彼のタップがすぐに上達したことは、思いがけないことではありませんでした」

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余談ですが(またかよw)アステアはずっとミュージカルダンサーだと思っていましたが、素晴らしい演技派俳優だったのですね。
タワーリングインフェルノという映画をご存知でしょうか?
1974年に封切られたスティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンが共演したパニック映画の金字塔とも呼べる作品です。
絶対安全といわれていた超高層ビルで、いとも簡単に火災が発生し、その消火活動を行う消防士とビル内に取り残された人々の人間ドラマ。
ここでアステアは年老いた結婚詐欺師を演じていたのです。
わたしは今回アステアを調べなおしていて、初めて気が付きました。
詐欺師である自分を丸ごと受け止めてくれる老婦人と、人生をやり直そうとしていたにもかかわらず、赤の他人の子供を助けるために老婦人は亡くなります。
離れ離れでようやく生還したアステアに、老婦人がかわいがっていた猫だけが手渡され、それで何もかも察した彼の、何とも言えない哀しい表情は、わたしでなくとも号泣ものだと思います。
実は、このシーンがかわいそうすぎて、わたしはこの映画が嫌いでしたw

その迫真の演技をしていた老紳士がアステアだったなんて。

00_MJ_Fred Astaire4
あー、ここ、思い出しただけで泣けちゃう(/_;)

ただミュージカルダンサーとだけ括っては失礼だと今さらながら肝に銘じた次第です。
だからこそ、偉大なるダンサーで、シンガーで、素晴らしいアクターだったアステアは、同じようにそれぞれの分野でNO.1を目指していたマイケルの、文字通りGreatsだったのですね。

で、えーと・・どこまでいきましたっけw


そうそう、デビー・アレンの自宅のスタジオで、タップのプライベートレッスンを始めたマイケル。

マイケルのスケジュールがあまりに複雑になるまで、しばらくの間、そのプライベートレッスンは通常週1~2回夜に開催されました。
ところがあろうことかケネディ先生が病気になってしまい、マイケルのレッスンにもはや出席することができなくなったとき、責任感の強い先生は自分の弟子である女性に電話をかけ、「ジャクソンがタップのインストラクターを探しているから、君に会うように薦めておいたよ」と告げたのです。

その女性が、それから以降11年の間、マイケルのプライベートインストラクターとなるわけですが・・


続きます。

Study the greats and Become greater その1

2013年もすでに15日経過しましたが、みなさんお元気ですか~?(井上 陽水風)

今年はしょっぱなから、Michael Jackson THE IMMORTAL WORLD TOUR 日本公演決定のニュースが流れましたね。
今回は、名古屋や福岡のGirlたちも、わざわざ遠征することなく楽しめますね^^
もちろんわたしのいる大阪でも\(^o^)/


ああ、そうそう。

00_MJ_Immortal_vegas.jpg

日本公演は5月からスタートしますが、同じ5月にヴェガスのThe Mandalay Bay Las Vegas Resortの劇場でも、常駐演目としてMichael Jackson THE IMMORTAL(ツアーとは内容が変わるらしいです)の上演がスタートしますが、嬉しいのは2010年に東京タワーと大阪スカイビルでも開催されたNeverland Collectionをスケールアップしたミュージアムが併設されることです。
これは2011年のIMMORTAL初日~数日限定で催された、ファンフェストと同じ内容だということで、日本にも来てくれたあれだのこれだのも含めて、お目見えしなかったあれだのこれだのに加えて、ネバーランドに置かれていたマイケルのアーケードゲームも登場するらしく^^
日本にも来てくれた品々は、エステートが管理して持って帰ったのでw おそらくどこにも売られることはないと思っていましたから、遠すぎますけれど見ようと思えばどうにかして見に行ける(かもしれないw)ミュージアムという形で場所が用意されたのは、予想はしていたものの現実となるととても嬉しい事ですね。

いつか冥途の土産に行きたいものですヨボヨボ^^


昨年のBAD25周年記念、The Jacksons Unity Tour、Thriller Liveといった様々なMJ祭りの流れを止めることなく、今年もアーティスト・MJが沢山の人の心に生き生きと息づきますように。

その2012年のファイナルを飾るにふさわしかったのが、28日深夜にNHK総合テレビで放送された、泣く子も黙る(またかよw)スパイク・リー監督のBAD25 Documentary(邦題:BADのすべて)でした。

ただ1か所のみの違和感バリバリの和訳を除いては、いうことなし。
彼の創造作業に関する裏話は大変興味深いものでした。
わたしはぶっちゃけアニーが誰でも、チャモンがなんであっても、もっと言えばタチアナがマイケルにキスをしてガッツポーズするところなんざ、全くどーでもよかったのですがw
彼がその時何を考え、何にこだわり、スタッフたちとどう協調し、どう意見を戦わせ、どう彼らを驚かせ、どう己の才能と発想を革新につなげたのか、といった制作過程を知ることが大好きなので、全編通してわくわくしながら堪能しました^^

00_MJ_making_smoothcriminal.jpg


以前BADのSF考察を書いたことがあるので、(お暇ならこちらへ)実際携わった関係者からの話は感動もの。
ダンスの振り付けひとつとっても「強盗をする人間の心理」を表現しようとし、わたしの好きな

00_MJ_making_BAD.jpg

ここ、ここ♪
この大きく手足を振り上げる振りに、「今の自分を変えたい(空に飛び立ちたい)」という願望を表していたとは、振付グレッグ・バージ(写真左)恐るべし・・(彼も逝くのが早すぎましたよね・・RIP)



for criminal dance2


For Criminal Dance
look at all the great Dances on Tape,
"Study the greats and Become greater"
get All BOB Fosse Movie
DANces, STUDy these insiDe
out Know every CUT, Move, Music, etc,
FLASH DANCe
ALL THAT JAZZ
BAND WAGOn "girl HUNT"
NUMber

クリミナルダンスのために
全ての素晴らしいダンスビデオを見ること
”素晴らしい先人に学んで、さらにその上をゆく”
ボブ・フォッシー映画のダンスはすべてものにすること
以下のカット割り、動き、音楽等、隅から隅まで熟知すること
フラッシュダンス・オールザットジャズ・バンドワゴンの”ガールハント”ナンバー


彼の手書きメモには目がないわたしw
特徴のあるD、そして大文字小文字が入り混じった綴り世界の治外法権といわれている(言われてないかw)彼の文字たちを見るだけでテンションがあがります^^
このSFに取り組む彼の真剣な意気込みが滲む、どこまでもストイックに高みを追及するいつもの彼のやり方。
自分が過去に書いたこと(もちろん色々な記事や資料を参考にして)の裏取りができたような気がして、あらためて彼の、天才にして努力家で完璧主義者たる所以の氷山の一角を垣間見たような気がしました。

もうひとつのメモ。

MJ_Criminal jacket

これを見てあらためて合点がいった事がありました。
本来のスムクリジャケットでは、腕章はブルーで右腕に巻いています。
このイメージでは、はっきり色は黒と指定して、なおかつ腕は左。
マイケルはこだわりの強い人なので、ラフ画の段階だからと言って適当に左腕にしたのではないはず。
ではどうして?

00_MJ_making_smoothcriminal2.jpg


Smooth CriminalのSFは、彼の敬愛するフレッド・アステアへのオマージュといわれています。
確かに、結果的にはそうなったのですが、このSF撮影は1987年2月のこと。
アステアはこの4か月後に惜しまれてこの世を去りました。
ということは、撮影時にはアステアはまだ存命中だったわけです。

ちなみに、撮影時このセットには、オノ·ヨーコ、スティーブン·スピルバーグ、ブルース·ウィリス、グレゴリー·ペック、もちろんエリザベス·テイラーなどなど、多くの有名人が陣中お見舞いに訪れたようですが、中でもマイケルが一番喜んだのが、アステアのパートナーとして多くの振付を行ったハーメス・パン(Hermes Pan)の訪問でした。

アステアがマイケルのムーンウォークをモータウン25周年記念番組で見た後、彼に電話で賛辞を贈ったのは有名ですが、その後マイケルを自宅へ招き、その際ムーンウォークを直伝され、すでに80才を超えていたにもかかわらずすぐにマスターしてしまったというのも有名なお話です。
その場に一緒にいたパンもムーンウォークをしたそうです^^

パンは、アステアトリビュート1色のSmooth Criminalの撮影現場を見て、こう言いました。

If Fred was here right now, he would be in his glory.
「もし今フレッドがここにいたら、どれほど誉れに思うだろうか」

アステアと昵懇の間柄であるパンからこんな風に言われたマイケルは、それこそ有頂天になるほど大喜びをしたとか。
(source:http://www.readperiodicals.com/201103/2425294751.html)

00_MJ_Stranger-In-Moscow-11205138-800-1070.jpg
こんな感じ?イエーイ!みたいなw

彼の喜ぶ姿を想像しただけで嬉しくなりますよね。

話を戻して。

マイケルは確かにアステアに敬意を表して、彼への全面的なトリビュートという意味で、先のメモでもわかる通りアステア主演の映画BAND WAGONからThe Girl Hunt Balletを随所に意識した衣装や演出、振付でSmooth Criminalを構成しています。

ですが、撮影の半年前、1986年7月にこのBAND WAGONの映画監督であったヴィンセント・ミネリが亡くなりました。
この映画監督の娘であるライザ・ミネリととても親交が深かったマイケルは、葬儀にも参列しています。

00_MJ_lee-minnelli-liza-minnelli-funeral.jpg
マイケル、ライザの義理の母・リー、ライザ


アステアのトリビュートとして、BAND WAGONを意識したマイケルが、その監督であり葬儀にも参列したヴィンセントへのオマージュとして、このSFを捧げようとしたならば、Criminalジャケットに追悼の意を表して黒の喪章をつけてもおかしくありません。
そして、洋の東西を問わず、喪章は左腕につけるものなのです。
ヴィンセントの娘であるライザは(ライザの母は若くして亡くなったジュディ・ガーランドです。後にマイケルのDANGEROUSダンスコンセプトに影響を与えたといわれている彼女の「Get Happy」。The Way You Make Me FeelのBoom!ポーズも出てきます)、マイケルにとってエリザベス・テイラーと並んで親友と呼べるほどの仲なのはご存じのとおり。

00_elizabet_taylor_michael_jackson_625_jlp.jpeg
しかしこれほど3者三様に目線が違うショットって言うのもww 自由だよなーみんなw

00_MJMinelli.jpg

その親友のお父様であり、さらには敬愛するアステアの魅力をスクリーン上に存分に引き出した偉大な映画監督であったヴィンセントに、最大限の弔意を表したかった、その気持ちが本来親族しか巻かない喪章をつけた衣装で臨もうとした事に表れているように思えます。

ですが結局、いくらなんでも喪章はちょっと、ということで、衣装のアクセントとしての腕章に変わったのではないかなと。
彼の「子供たちを守る決意の表れ」とされている右腕の腕章。
確かにそういう意味合いもあるでしょうけれど、おそらく最初に彼の頭に浮かんだイメージの元になったのは、先人への純粋な追悼の気持ちだったのではないかと、Criminal Jacketメモを見てひとりガッテンガッテンしたりしたのでした^^


それにしても

get my Kenny Shoes Now To Break them in
ケニーシューズを今から穿きならすこと



このKennyが全く謎で。
マイケルといえばpenny loafers(ペニーローファー)。
まさかPennyとKenny間違えた?てことはないか、やっぱりw

踊りやすさで愛用された靴は、有名どころでは
Florsheim(フローシェイム)のFlorsheim Como
BASS(バス)のWeejuns
SEBAGO(セバゴ)SEBAGO Loafer

80年代はおもにBASSのウィージャンズを愛用していたようですね。
こちらの公式HPでも1984年「We Are The World」録音時に着用、と書いてあります。
00_1984_Wearetheworld_Bass.jpg


SEBAGOも早い時期から穿いていたようですが、2001年の30TH Anniversary Celebrationでも着用。
00_MJ_30TH_shoes_SEBAGO.jpg
Rock my world, Billie Jean と読めるので、この2曲のパフォーマンスで穿いたのでしょうか(単純に考えすぎ?)

同じ日のリハーサルでは、Florsheimを穿いているのですけどね・・
00_MJShoes1.jpg
MSG(マジソンスクエアガーデン)Rehearsalと書かれています。おそらくこれは衣装のBush氏が書いたもの。マイケルのサインは本物。

Florsheimは完全にレギュラーポジションだったようですね。
特にHIStory期はOnもOffもたいがいここの。
お馴染みのこちらもFlorsheim
00_MJ_1995MTV_Floresheim_lot12382.jpg

00_june-27-1999-concert-mj-friends.jpg
この靴の初めてのお目見えは、伝説のDANGEROUSパフォーマンスの1995年のMTV Video Music Awards。その後1999年のMichael Jackson and Friends charity show(韓国・ドイツ)でも活躍。

でも黒のローファーってほとんど同じに見えるので、例の「My Kenny Shoes」がどこのものかは、実際マイケルの穿いているのを無理くり脱がせてタグを見なければわからないw
あれやこれやと手を変え品を変え調べていたのですが、結局挫折して謎のままです。
どこのものか、なんて、まあ興味ない人にはどっちゃでもいい話なんですが、常に最高のパフォーマンスをしたい彼と靴の関係は、安心して身をゆだねることのできる最良のダンスパートナーとも言えますので、わざわざ決意表明のように「今から穿きこなして」なんて書くほど、完璧なコンディションで本番を迎えようとしていた彼の意気込みが投影されたローファーって、どんなのだったのかなと興味津々なんですね、わたしw

ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいです^^


こんな風に1枚のメモから、Kenny Shoesを探せ!的に、やたら靴ばっかり調べていたわたしなのですが。

検索が下手なのか手がかりが何にもヒットしないことから、もーいーや・・と挫折していた時に、ひょんなことからSmooth Criminalとは全く関係ない1足の靴を見つけました。
初めはお目当ての目的からはずれた靴なので、「ふうん・・」といった印象しかなかったのですが、ところがどっこい。
この何の気なしに知った靴から、実はさらにマイケルの
"Study the greats and Become greater"ぶりを、イヤというほど見せつけられてしまうことになるのですが・・


長くなりました。

続きます。

Michael's Escapism ポジティブな意識の解放

5日は前回お話しさせていただいた大阪は西梅田にあるステキソウル・バーQuiet Storm Cafe(クワイエット・ストーム・カフェ)にて、貸切りでMJ NIGHTと銘打ったイベントを開催しました。

2010年の夏、スカイビルでネバーランドコレクションが開催されている間、わたしはバカの一つ覚えのようにほとんど毎週末をそこで過ごしました。
スカイビル内ではマイケルの様々な衣装やゆかりの品々に囲まれて、彼の息吹を感じながら幸せと涙をかみしめ、外へ出ると広い屋外でカリスマDJが回す大音響で鳴り響くマイケルの音楽で歌って踊って、これまた幸せ。
そこで彼のお誕生日をお祝いしたのが昨日のことみたい。

そんな風に通い詰めていたので、沢山のMichael Loversとお知り合いになることができました。
そのほとんどがTwitterをしていることもあり、その後も交流は途絶えることなく折に触れマイケルイベントや催しなどで顔を合わせる素敵なつながりを保たせていただいているメンバーと、ちょくちょくたまり場のような感じで足しげくお店に通ううち、「同じなら貸し切って3時間マイケル三昧のパーティしちゃう?」とリーダー格のNちゃんとかBちゃんとかから提案があり、微力ながらわたしもお手伝いスタッフのお仲間に入れていただいたわけで。

もともと素敵なお店で、心地いいBlack musicにいつも満たされているのですけれど、その日は映像も音楽もマイケルONLY^^
Twitterやジャクシティなどでお声掛けをさせていただいて41人のGirlsにお集まりいただけました。
楽しんでもらえたかな?
それだけがスタッフみんなの気がかりw

その日の店内の様子などはbethさんのブログでお写真がUPされています。
よろしければ、どうぞこちらから^^

お料理も雰囲気も、もともと最高なんですが、なんといっても最初から最後までずっとマイケル^^
(大事なことなので2回言いますよw)


そして、自分が一番楽しかったw



MJ-History-World-Tour-michael-jackson-7231549-775-688.jpg
HIStory World Tour In Sweden^^

スクリーンに映るマイケルに声援を送り、彼と一緒に歌い踊り、そこでは誰もが笑顔^^
普段このようなめそめそブログ(笑)を書いているわたしでさえ、涙などナッシンw

マイケルその人と彼の音楽というギフトの力。
色々な問題を抱えていても、リズムに乗って自然に踊りだし、下手くそでも好きな曲は大声で一緒に歌い、掛け声をかけて、手を振って、クラッピングして、拍手して・・その時はそんな面倒くさい問題も憂鬱な事柄も吹っ飛んで、ただただ笑顔で楽しくて嬉しい。
まさにマイケルがいつもわたしたちに与えてあげたいと言ってくれるescapism(エスケーピズム)の夢の時間。


billie jean MJ


escapismは直訳すると「現実逃避」ですが、その語の元となる「escape」は、ラテン語で「外套を脱ぐ」という意味の「ex cappa」から、古期フランス語escaper (es-外へ+cappa外套=外套から抜け出る)を経由して英語に入り、「束縛から逃れる」という意味になった、と調べたところ出ていました。
ですので、escapism自体には、単に嫌なことから逃れるという意味だけではなく、「何かにとらわれた状態」から抜け出し、自分を解放して自由になるという意味合いもあるのです。

マイケルはおそらくご自身も、もちろん辛い事ばかりではなかったでしょうが、普通の人よりもはるかに多くの気がめいるような事柄が渦巻く現実というどこか息苦しい状態から、エンターテイメントやイマジネーションの力によって自分を解放し自由になれる事を幼い頃から知っていて、あまつさえ彼にとってはステージ上にいる事すらある意味escapismだったはず。
ステージの上にいる時が一番落ち着くという言葉をみてもそうですよね。
でも、一般の人たちにとって自分と同じ経験はかなり難しいわけで。
だからこそ。
彼は何かにとらわれている自分をそこから解き放ち、自由に、それこそ空さえ飛べてしまうほどの開放感を感じることをとても大切に思っていたからこそ、自らのエンターテイメントを通してその夢の時間を多くの人に与えたかったのでしょう。


michael-jackson_21301_1.jpg



彼はたびたびエンターテイメントによる現実逃避という名の夢の時間について語っています。


■1982年、アンディ・ウォーホルの雑誌でインタビューを受けた際、「憂鬱になる新聞の一面なんか読まないよ、それよりも・・」と話を広げて

I like to make people happy.
That’s what’s great about show business. It’s escapism.
You pay your five bucks to get in and sit there and you’re in another world.
Forget about the problems in the world.
It’s wonderful. It’s entertaining. It’s magic.

僕は人を幸せにするのが好きなんだ。
それがショービジネスについてのすごさだよ。エスケーピズムなんだ。
君が5ドルを払ってチケットを手に入れてそこに座ると、もう君は別の世界にいる。
問題なんか忘れる世界だよ。
素晴らしいよ。それがエンターテイメントだ。魔法なんだよ。


(source:INTERVIEW MAGAZINE



■2001年、ファンの質問に電話で答えるオンラインインタビューで「アーティストができる事、その役割について」聞かれてsource

Yeah, you give of yourself.
You give of your talent, of your ability...
The talent that was given you by the Heavens.
That's why we're here, to bring a sense of escapism in time of need.
if you're a painter you paint, if you're a sculptor, you sculpt, if you're a writer, you write, if you're a songwriter, you give songs, if you're a dancer, you give dance.
You give people some love and some... some bliss and some escapism,
and to show that you truly care from the heart, and be there for them.

Yeah,自分ができるだけ与えること
才能も能力も与えるんです
天から授かったその才能を
いざと言う時、現実逃避の感覚をもたらす、そのために僕らはいるのです
画家なら絵を描き、彫刻家なら作品を彫り、作家なら本を書き、作曲家なら曲を書き、ダンサーならダンスを与えるのです
人々にいくばくかの愛と幸せと現実逃避を与える・・
そうして彼等を心から気にかけていると、彼等のために側にいる、ということを見せてあげるんです



■2002年7月 NY・National Action Network本部でのスピーチより抜粋source

What's more important than giving people a sense of escapism, and escapism meaning entertainment?
What would we be like without a song?
What would we be like without a dance, joy and laughter and music?
These things are very important.

日常を忘れるという感覚、つまりエンタテイメントという現実逃避を人々に与えること以上に重要なことって何だろう?
歌がなかったら僕達はどうなるだろう? 
ダンスがなかったら、僕達はどうなるだろう?喜びや笑いや音楽がなければ?
これらはとても重要なことなんだ。




■2003年、ブレット・ラトナーとのインタビューでsource

I think God plants those seeds through people on the earth.
And I think you’re one, I’m one to bring some bliss and escapism, some joy, some magic.
Because without entertainment, what would the world be like? You know? What would it really be like?
It would be a totally different world for me. I love entertainment.

僕は、神が地球上に人々を通して種を植えていると思うんだ。君はそのうちのひとつだと思う。僕もいくらかの無上の喜び、現実逃避、いくらかの楽しさやマジックをもたらすその種のひとつなんだ。
だってエンタテイメントがなかったら世界はどうなるだろう?わかるかい?本当にどうなるだろう?
それは僕にとって全く違う世界になるよ。僕はエンタテイメントを愛しているんだ。



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■2006年アイルランドでWill I amとレコーディング作業中に取材に応じてsource

I am always writing a potpourri of music.
I want to give the world escapism through the wonder of great music and to reach the masses.

僕はいつも音楽のポプリ、いろいろな種類の音楽を書いているよ。
すばらしい音楽の奇跡を通して、世界に現実逃避という名の夢の時間を与えたいし、それを沢山の人に届けたいんだ。



■2009年This Is It Tour rehearsal

It's one wonderful experience, escapism, wanna take them places they've never been before.

彼ら(ファン)を今まで行ったことのない場所へ連れて行ってあげる・・これは素晴らしい経験であり、エスケーピズムなんだ



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このブログを何度かお読みくださるとお気づきでしょうが、3回に1度かひどい時には毎回、めそめそした話になる時が多いのですが(すみませんw)
それは、わたしの心の中に、だいぶん小さくなりはしましたが、マイケルをはじめて好きになった17才からずっとその気持ちを貫けず、失くしたものの大きさに気付いてももはや取り戻せないという、この現実を悔いる気持ちが、いまだにふとした時に頭をもたげるせいなのでしょう。

誰に対してでもなく自分がバカだったんだからとか、マイケルはそんなことでジャッジをしないはずとか、だって忙しかったんだもんとかリサと結婚するからいけないんだもん(爆)とか、今日急にファンになる人だっているわけだからいちいちいつまでもそんなこと考えても仕方ないとか、いろいろ考えはあっちへ行きーのこっちへ戻りーの、をこの2年と10か月とちょっと、飽きもせず繰り返しているわけです。

その中でも一番悔いるのは、行く気になれば行けたのに結局彼のライブに一度も行かなかった事。

3つのツアーでチャンスがあって、でもBADは本当に行けなくて、DAGEROUSはぐずぐずしているうちに行けなくて、HIStoryは遠いから行けなくて(いや、近くても行ったかどうだか)。
おっかけのスゴ腕ファンの方はご自分から海外へ出向いてらっしゃるというのに、わたしはご本人がわざわざ日本くんだりにおいでになっている絶好のチャンスを、ただ右から左へ受け流す~♪という失態を深く考えもせずしでかしただけのことだけど。

それを悔いてももう仕方がないということは、重々承知でぐずぐずと書きなぐってもキモいだけだということもよくわかっていて。


だからでしょうね。

彼の音楽を大音響で聴きたかったから
彼の音楽で自由に踊りたかったから
彼の音楽を一緒に歌いたかったから
彼に感謝の気持ちを叫びたかったから


スカイビルにあれだけ通い詰めたんだな

屋外に響く大きな音たち
クソ暑かった(失礼w)けれど、マイケルの曲で踊る楽しさ
見知らぬ同士でもマイケルの名前を呼びながら笑顔でHug

そこに、そのステージの主役はいないけれど


結局一度も彼の本物のステージング、神が降臨したかのようなダンスや心をゆさぶる、あるいは心に染み入る美しい歌声、それらを見ることも聴くことも、そしてマイケル本人のオーラを感じることも、もう一生かなわないのだけれど


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5日のイベントでは、それでも彼の魂をすべて注いで生み出された沢山の音楽たちを、一人の部屋のCDからではなく、ipodのイヤフォンからではなく、小さい画面のYoutubeからではなく
大きな音で、大きなスクリーンで、始めから終わりまでマイケルだけを多くの人と共有する楽しい時間を過ごせて、まさにそれはマイケルがいつも願ってわたしたちに与えてくれたescapismそのものでした。

実は5月に入ってすぐ、いろいろと懸念される問題が2、3発生し、普段能天気なわたしでもさすがに少しブルーな気持ちになってしまう感じだったのですが、5日は必ず行こうと決めていましたし、必ずマイケルの魔法で一時夢の時間を過ごせば、ポジティブになれると信じて(いや、暗示にかけてw)その日を迎えたのですね。

はっはっは\(^o^)/

思惑は見事成功しましたw


マイケルとのことはぐずぐず何年もくよくよするわたしですが(爆)
現実の問題には何とか前向きに対処しようという気力も出ました。





イベントの時に、このブログを読んでくださっているという奇特な方、何人かに(中には名古屋や浜松の方も!(/_;))お会いすることができました。
感無量とか感謝感激とか、そんな使い古された言葉じゃなく、といいつつ気の利いた言葉が見つからないほどの嬉しさと、なんだか申し訳なさ(この文体からイメージする偶像と現実の本人とのギャップはそらすごいんざますよ奥様w)が入り混じって、ろくにお礼も言えないSpeechless状態でしたけれど、お声をかけてくださったみなさん、本当にありがとうございました^^

そういう意味では、わたしもそうなんですが、MJブログを読んでいる間もちょっとしたescapismかもしれませんね。
それぞれいろいろなマイケル愛があって、そういうブログを読んでいる間は、やっぱりマイケルに想いを馳せている時間ですものね。
このしょぼいブログも、そんなもののひとつになれたらいいな・・と、書きながら思いました^^



00windowMJ35jbks.jpg


マイケルからもたらされるescapismは、今ある問題や面倒くさい現実から逃げる、という今までの「現実逃避」からイメージされるネガティブな扱いではなく、頭を占める雑多な事柄からいったん自分を自由に解き放して、愛しい彼の音楽や彼のパフォーマンスからあらためて頑張る元気を、あるいは彼の信念や彼の言葉や行動に込められた美しい人柄に想いを寄せることで、自分の道しるべとなる力をもらう時間なんだなぁと。

いうなれば、それはまさにポジティブな意識の解放なのです。
そこから覚めても、そこで感じた楽しさや喜びと言った高揚感はいつのまにか何かにとらわれていた意識を、完全ではなくても薄めてくれる。
そこから活力がわいてくるのですよね。

あ。



今気づいた

終ってからの高揚感よりも寂しさがこみあげてくるから、あたしはトリビュートイベントに行けないんだな・・
だからマイケルの歌声だけとかマイケルの映像だけとかの催ししか、行けないのかもしれないですね。
誰かが歌ってくれたり踊ってくれたり、というのが嫌なんじゃなくて。


だからジャクソンズが、仮に日本に来てくれても無理なんですね。
例えホログラムでマイケルが映し出されたとして、さすがのわたしでもそれが現実の彼じゃない事ぐらいわかるし、その横で元気に動き回るあんちゃんたちを見たら絶対に「どうしていないんだろうなぁ・・」なんて思っちゃうにきまってる。
もともとジャッキーのファンだったら、マイケル不在には目をつぶって「キャー!ジャッキー!!」みたいに、ジャッキーに集中できるのだけどw
あんちゃんたちには自分たちの活動を、ぜひ頑張っていただきたいです^^

いつか、「あの頃は、ある意味かたくなだったな。もっと気楽に楽しむことをマイケルだって願っていたかも」と笑える時がくれば、それはそれでよしです。


でも今はマイケルが届けてくれる、彼が神様から託された、幸せと喜びと楽しみ、そして現実の問題から自由になれる魔法の種をもっと味わいたいのです。

直接彼の手から受け取りたかったけれど・・


もちろん、私と同じ考えじゃない方も多いでしょうね。
それはそれで、どうかご自分の気持ちに忠実に、どうぞいろいろな機会を楽しんでくださいね。
気持ちや考えには、その人なりのタイミングや時期があるものです。
考えは違っても根っこは同じなのですから、尊重しあえれば・・と思います^^



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I want to give the world escapism through the wonder of great music and to reach the masses.

すばらしい音楽の奇跡を通して、世界に現実逃避という名の夢の時間を与えたいし、それを沢山の人に届けたいんだ。





ありがとう


世界一、ステキな夢の時間をいつも運んでくれる

わたしたちのマイケル



Michael

Can you hear me?
Thank you for bringing us the wonderful escapism!
Love you from bottom of my heart always

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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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