本当に書きたかったことを (8)
裁判は2005年1月から始まりました。
カリフォルニア州、サンタバーバラの裁判所には、連日2000以上もの報道陣が詰めかけました。
相変わらずMJに不利な証言のみを大々的に報じるメディアがほとんどだったと聞きます。
それに対して、彼の潔白を信じる多くのファンも世界各地から集まり、MJのInnocentを叫びました。
(裁判の間中、出廷するMJに直接エールを送り続けた多くのファンには、本当に頭が下がる思いです)
MJが常に言い続けてきたこと。
人種や肌の色にこだわるなんてばかげている。
みんなSisterであり、Brotherであり、世界はひとつなのだから。
この言葉を裏付けるように、MJの歌かもしれない、パフォーマンスかもしれない、あるいは彼の信条に魅せられたのかもしれない多くの国も人種も肌の色も違う人々が、ファンと言う名のもとに、ただマイケル・ジャクソンを支えるためにだけ、そこに共存していたのです。
MJの曲を受け入れる、それは彼のメッセージを肯定する事であり、まさにその通りの状況が、皮肉にも裁判所の前で起こったわけですが、そんな大勢のファンの姿を見て、彼はどれだけ嬉しく心強く思ったことでしょう。
そして、6月13日、MJにかけられた14の容疑全てに無罪評決が下されました。
裁判では、児童性的虐待についての少年の証言は二転三転し、あきらかに信用性に欠けるものだったことに加え、肝心の証拠は最後まで何一つ見つからず、その代わりに、この少年の母親は過去に、ある会社を性的虐待偽証で訴え、子供にも偽証させて慰謝料を手に入れていたこと、少年の治療費を実際は保険でまかなえることを隠し、不当に寄付や基金を受け取っていたこと、などが明るみになりました。
少年家族に対する監禁虐待についても、家族はネバーランドを離れてもすぐに自分たちの意思で舞い戻っては、エステや歯の治療、そのほかさまざまな贅沢を、全てMJの全額負担により受けていた事も明らかになりました。
(これで監禁されているなどと、よく言えたものです)
今回も、結局はMJから多額の賠償金を騙しとることが目的であったことが日の目を見るより明らかになったわけです。
その後、母親はさまざまな手段で手に入れた資産を隠したまま、生活保護を不当に受けたとして福祉詐欺の罪で有罪になりました。
この家族は、哀れで気の毒な仮面をかぶった詐欺集団のようなものでした。
この裁判は、はなから確たる証拠もなしに、一人のアーティストを、その名誉もずたずたにして法廷に引きずり出しただけではなく、多額の税金を使っただけの、いうなればネガティブキャンペーンのようなものでした。
無罪を勝ち取ったというよりも、「もともと何もなかった」という事実を、あらためて立証しただけだったように思います。
そしてMJは、その裁判の間中、ずっと続いたメディアの攻撃と、毎日自分を裏切る人の証言を聞かねばならなかったことも大きな要因となったのでしょう、もはやその身体と心は健康と言うには程遠い状態になっていました。
日本でも大きく報じられた公判中の出来事。
「出廷に遅刻をしたMJはパジャマ姿だった」というもの。
情報番組のコメンテーターが「信じられませんね。どういう神経をしているのでしょうか」とコメントしていたのをよく覚えています。
実はこの前日、原告であるギャビン少年が初めてMJの前で検察の証人尋問を受けました。
少年は「MJからは何の助けも受けていないし、彼に憧れてもいない。
バシールの番組内で彼を賞賛したのは全てうそだった」と証言しました。、
このときMJはどんな思いで彼の言葉を聞いていたのでしょうか。
出会った頃は、ガン治療のための化学療法の影響で、髪は抜け落ち痩せほそり、車椅子でしか動けなかった少年・・。
「ガン細胞をキミの元気な細胞がぱくぱく食べてしまうところをイメージするんだ。そう、まるでパックマンのようにね」とイメージ療法を伝えるMJ(イメージさせるのは盛田さんのテープにもありました)に、「人前で帽子を脱ぐ勇気をくれてありがとう」と喜んだ少年・・。
その彼が、今自分の目の前で、自分を陥れるためのウソの証言をすらすらと話している・・。
MJは母親にこう言ったそうです。
「お母さん、次の証人ですと言われて出てくる人々を見回して僕は驚く。
なぜなら彼らは僕が助けてきた人たちだからだ。
その人たちが僕からお金を盗るためにそこに来て、さらに嘘をつくことで僕からお金を奪おうとしている。
僕にはどうして人間がこんなことをすることができるのか分からない・・」
翌日彼は背中の激痛を訴え体調を崩し、病院にいました。
MJの代理人であるトーマス・メゼロウ弁護士は、公判開始時刻の相談を判事に行いますが、判事は断固として時間内の出廷を求め、それができなければ保釈金の没収を命じます。
万が一間に合わなければ投獄の可能性もありうるということで、メディアは色めき立ち、MJを乗せた車は病院から時速約145kmのスピードで走らなければなりませんでした。
何とか時間内に出廷してきたMJでしたが、スーツに着替える事もできず、病院からそのままの格好、つまりTシャツとパジャマズボンで、(何とかジャケットだけは羽織っていましたが)裁判所に入らざるを得なかったのでした。

その足取りは弱く、両側から支えられて何とか歩いてる状態でした。
しかし、そんな背後にある事情は報道されず、日本のコメンテーターは「単なる寝坊」もしくは「仮病」などとコメントしていたのでした。
遅刻は間違いないですからそれはいいとしても、こんな風に憶測でものを言う情報だけが流されることで、ますますMJの奇人変人イメージは強くなっていったのだ思います。
2001年、US版「TV GUIDE」でのインタビューで、MJはマスコミの自分を変人扱いをする報道に対して語っています。
(マスコミの偏向報道を)
「前向きにとらえて、それをエネルギーにしてしまうんだよ。
その事についての曲を書いたり、踊ったり、動きや顔の表情に表したりするんだ。
それらがやがて僕の一部となり、作品の一部となる。
自分の中に、あまり取り込まないようにしているんだ。
もしそんな事したら、気が狂ってしまうよ」
また別のインタビューでは「僕はサイの皮膚のように頑丈なんだ。強いんだよ」とも。
しかし、全てが終わったとはいえ、今回ばかりはすぐに何もなかったかのように出来るわけもなく、MJは静かな場所で静養するためにアメリカを出て行きました。
裁判終了後の6月22日。
MJの母親であるキャサリンがインタビューに答えました。
これを読んだ時、MJは本当に強い信念の人だと確信しました。
彼はさまざまなバッシングにさらされ、手痛い裏切りにあい、ついには健康をも損ないました。
しかし、彼は決して「可愛そうな弱々しいピーターパン」ではなかったのです。
キャサリンママは、公判中、そして公判後に彼と交わした会話を、こう語っています。
「私がマイケルに、「どうかお願いだから、他人をランチ(ネバーランドの事)に呼ぶのはもう止めて。
他の家族と仲良くなることなど止めて。」と懇願すると、彼はこう言ったわ。
「お母さん、この人たちを助けなければならない時は、これからは僕は遠くから離れてするから。」と。
それでも、私は納得できず、心の中で "とんでもないわ。他人があなたの人生にこれだけひどいことをする可能性があるなら、人なんか助けなくていいわ。"と思っていた。
でも彼は決して人を助けるのを止めるとは言わなかったのよ」
Man In The Mirror
通りに食べるものすら満足にない子供たちを見た
僕は一体なんてヤツなんだ
彼らの事を見て見ぬ振りをするなんて
僕は鏡の中の自分に問う事から始めるよ
自分の生き方を変えてみるようにさ
これ以上はっきりとしたメッセージはないんだ
もしもこの世界をより良く変えたいと思うなら
自分自身を見つめて自分が変わるんだ
Make that change
■参考にさせていただいたサイト及び書籍
●The One&Only
●MICHAEL JACKSON's MOONWALKER
●マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著
カリフォルニア州、サンタバーバラの裁判所には、連日2000以上もの報道陣が詰めかけました。
相変わらずMJに不利な証言のみを大々的に報じるメディアがほとんどだったと聞きます。
それに対して、彼の潔白を信じる多くのファンも世界各地から集まり、MJのInnocentを叫びました。
(裁判の間中、出廷するMJに直接エールを送り続けた多くのファンには、本当に頭が下がる思いです)
MJが常に言い続けてきたこと。
人種や肌の色にこだわるなんてばかげている。
みんなSisterであり、Brotherであり、世界はひとつなのだから。
この言葉を裏付けるように、MJの歌かもしれない、パフォーマンスかもしれない、あるいは彼の信条に魅せられたのかもしれない多くの国も人種も肌の色も違う人々が、ファンと言う名のもとに、ただマイケル・ジャクソンを支えるためにだけ、そこに共存していたのです。
MJの曲を受け入れる、それは彼のメッセージを肯定する事であり、まさにその通りの状況が、皮肉にも裁判所の前で起こったわけですが、そんな大勢のファンの姿を見て、彼はどれだけ嬉しく心強く思ったことでしょう。
そして、6月13日、MJにかけられた14の容疑全てに無罪評決が下されました。
裁判では、児童性的虐待についての少年の証言は二転三転し、あきらかに信用性に欠けるものだったことに加え、肝心の証拠は最後まで何一つ見つからず、その代わりに、この少年の母親は過去に、ある会社を性的虐待偽証で訴え、子供にも偽証させて慰謝料を手に入れていたこと、少年の治療費を実際は保険でまかなえることを隠し、不当に寄付や基金を受け取っていたこと、などが明るみになりました。
少年家族に対する監禁虐待についても、家族はネバーランドを離れてもすぐに自分たちの意思で舞い戻っては、エステや歯の治療、そのほかさまざまな贅沢を、全てMJの全額負担により受けていた事も明らかになりました。
(これで監禁されているなどと、よく言えたものです)
今回も、結局はMJから多額の賠償金を騙しとることが目的であったことが日の目を見るより明らかになったわけです。
その後、母親はさまざまな手段で手に入れた資産を隠したまま、生活保護を不当に受けたとして福祉詐欺の罪で有罪になりました。
この家族は、哀れで気の毒な仮面をかぶった詐欺集団のようなものでした。
この裁判は、はなから確たる証拠もなしに、一人のアーティストを、その名誉もずたずたにして法廷に引きずり出しただけではなく、多額の税金を使っただけの、いうなればネガティブキャンペーンのようなものでした。
無罪を勝ち取ったというよりも、「もともと何もなかった」という事実を、あらためて立証しただけだったように思います。
そしてMJは、その裁判の間中、ずっと続いたメディアの攻撃と、毎日自分を裏切る人の証言を聞かねばならなかったことも大きな要因となったのでしょう、もはやその身体と心は健康と言うには程遠い状態になっていました。
日本でも大きく報じられた公判中の出来事。
「出廷に遅刻をしたMJはパジャマ姿だった」というもの。
情報番組のコメンテーターが「信じられませんね。どういう神経をしているのでしょうか」とコメントしていたのをよく覚えています。
実はこの前日、原告であるギャビン少年が初めてMJの前で検察の証人尋問を受けました。
少年は「MJからは何の助けも受けていないし、彼に憧れてもいない。
バシールの番組内で彼を賞賛したのは全てうそだった」と証言しました。、
このときMJはどんな思いで彼の言葉を聞いていたのでしょうか。
出会った頃は、ガン治療のための化学療法の影響で、髪は抜け落ち痩せほそり、車椅子でしか動けなかった少年・・。
「ガン細胞をキミの元気な細胞がぱくぱく食べてしまうところをイメージするんだ。そう、まるでパックマンのようにね」とイメージ療法を伝えるMJ(イメージさせるのは盛田さんのテープにもありました)に、「人前で帽子を脱ぐ勇気をくれてありがとう」と喜んだ少年・・。
その彼が、今自分の目の前で、自分を陥れるためのウソの証言をすらすらと話している・・。
MJは母親にこう言ったそうです。
「お母さん、次の証人ですと言われて出てくる人々を見回して僕は驚く。
なぜなら彼らは僕が助けてきた人たちだからだ。
その人たちが僕からお金を盗るためにそこに来て、さらに嘘をつくことで僕からお金を奪おうとしている。
僕にはどうして人間がこんなことをすることができるのか分からない・・」
翌日彼は背中の激痛を訴え体調を崩し、病院にいました。
MJの代理人であるトーマス・メゼロウ弁護士は、公判開始時刻の相談を判事に行いますが、判事は断固として時間内の出廷を求め、それができなければ保釈金の没収を命じます。
万が一間に合わなければ投獄の可能性もありうるということで、メディアは色めき立ち、MJを乗せた車は病院から時速約145kmのスピードで走らなければなりませんでした。
何とか時間内に出廷してきたMJでしたが、スーツに着替える事もできず、病院からそのままの格好、つまりTシャツとパジャマズボンで、(何とかジャケットだけは羽織っていましたが)裁判所に入らざるを得なかったのでした。

その足取りは弱く、両側から支えられて何とか歩いてる状態でした。
しかし、そんな背後にある事情は報道されず、日本のコメンテーターは「単なる寝坊」もしくは「仮病」などとコメントしていたのでした。
遅刻は間違いないですからそれはいいとしても、こんな風に憶測でものを言う情報だけが流されることで、ますますMJの奇人変人イメージは強くなっていったのだ思います。
2001年、US版「TV GUIDE」でのインタビューで、MJはマスコミの自分を変人扱いをする報道に対して語っています。
(マスコミの偏向報道を)
「前向きにとらえて、それをエネルギーにしてしまうんだよ。
その事についての曲を書いたり、踊ったり、動きや顔の表情に表したりするんだ。
それらがやがて僕の一部となり、作品の一部となる。
自分の中に、あまり取り込まないようにしているんだ。
もしそんな事したら、気が狂ってしまうよ」
また別のインタビューでは「僕はサイの皮膚のように頑丈なんだ。強いんだよ」とも。
しかし、全てが終わったとはいえ、今回ばかりはすぐに何もなかったかのように出来るわけもなく、MJは静かな場所で静養するためにアメリカを出て行きました。
裁判終了後の6月22日。
MJの母親であるキャサリンがインタビューに答えました。
これを読んだ時、MJは本当に強い信念の人だと確信しました。
彼はさまざまなバッシングにさらされ、手痛い裏切りにあい、ついには健康をも損ないました。
しかし、彼は決して「可愛そうな弱々しいピーターパン」ではなかったのです。
キャサリンママは、公判中、そして公判後に彼と交わした会話を、こう語っています。
「私がマイケルに、「どうかお願いだから、他人をランチ(ネバーランドの事)に呼ぶのはもう止めて。
他の家族と仲良くなることなど止めて。」と懇願すると、彼はこう言ったわ。
「お母さん、この人たちを助けなければならない時は、これからは僕は遠くから離れてするから。」と。
それでも、私は納得できず、心の中で "とんでもないわ。他人があなたの人生にこれだけひどいことをする可能性があるなら、人なんか助けなくていいわ。"と思っていた。
でも彼は決して人を助けるのを止めるとは言わなかったのよ」
Man In The Mirror
通りに食べるものすら満足にない子供たちを見た
僕は一体なんてヤツなんだ
彼らの事を見て見ぬ振りをするなんて
僕は鏡の中の自分に問う事から始めるよ
自分の生き方を変えてみるようにさ
これ以上はっきりとしたメッセージはないんだ
もしもこの世界をより良く変えたいと思うなら
自分自身を見つめて自分が変わるんだ
Make that change
■参考にさせていただいたサイト及び書籍
●The One&Only
●MICHAEL JACKSON's MOONWALKER
●マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著