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本当に書きたかったことを (8)

裁判は2005年1月から始まりました。

カリフォルニア州、サンタバーバラの裁判所には、連日2000以上もの報道陣が詰めかけました。
相変わらずMJに不利な証言のみを大々的に報じるメディアがほとんどだったと聞きます。
それに対して、彼の潔白を信じる多くのファンも世界各地から集まり、MJのInnocentを叫びました。
(裁判の間中、出廷するMJに直接エールを送り続けた多くのファンには、本当に頭が下がる思いです)

MJが常に言い続けてきたこと。

人種や肌の色にこだわるなんてばかげている。
みんなSisterであり、Brotherであり、世界はひとつなのだから。


この言葉を裏付けるように、MJの歌かもしれない、パフォーマンスかもしれない、あるいは彼の信条に魅せられたのかもしれない多くの国も人種も肌の色も違う人々が、ファンと言う名のもとに、ただマイケル・ジャクソンを支えるためにだけ、そこに共存していたのです。
MJの曲を受け入れる、それは彼のメッセージを肯定する事であり、まさにその通りの状況が、皮肉にも裁判所の前で起こったわけですが、そんな大勢のファンの姿を見て、彼はどれだけ嬉しく心強く思ったことでしょう。


そして、6月13日、MJにかけられた14の容疑全てに無罪評決が下されました。

裁判では、児童性的虐待についての少年の証言は二転三転し、あきらかに信用性に欠けるものだったことに加え、肝心の証拠は最後まで何一つ見つからず、その代わりに、この少年の母親は過去に、ある会社を性的虐待偽証で訴え、子供にも偽証させて慰謝料を手に入れていたこと、少年の治療費を実際は保険でまかなえることを隠し、不当に寄付や基金を受け取っていたこと、などが明るみになりました。
少年家族に対する監禁虐待についても、家族はネバーランドを離れてもすぐに自分たちの意思で舞い戻っては、エステや歯の治療、そのほかさまざまな贅沢を、全てMJの全額負担により受けていた事も明らかになりました。
(これで監禁されているなどと、よく言えたものです)
今回も、結局はMJから多額の賠償金を騙しとることが目的であったことが日の目を見るより明らかになったわけです。
その後、母親はさまざまな手段で手に入れた資産を隠したまま、生活保護を不当に受けたとして福祉詐欺の罪で有罪になりました。
この家族は、哀れで気の毒な仮面をかぶった詐欺集団のようなものでした。

この裁判は、はなから確たる証拠もなしに、一人のアーティストを、その名誉もずたずたにして法廷に引きずり出しただけではなく、多額の税金を使っただけの、いうなればネガティブキャンペーンのようなものでした。
無罪を勝ち取ったというよりも、「もともと何もなかった」という事実を、あらためて立証しただけだったように思います。
そしてMJは、その裁判の間中、ずっと続いたメディアの攻撃と、毎日自分を裏切る人の証言を聞かねばならなかったことも大きな要因となったのでしょう、もはやその身体と心は健康と言うには程遠い状態になっていました。

日本でも大きく報じられた公判中の出来事。
「出廷に遅刻をしたMJはパジャマ姿だった」というもの。
情報番組のコメンテーターが「信じられませんね。どういう神経をしているのでしょうか」とコメントしていたのをよく覚えています。

実はこの前日、原告であるギャビン少年が初めてMJの前で検察の証人尋問を受けました。
少年は「MJからは何の助けも受けていないし、彼に憧れてもいない。
バシールの番組内で彼を賞賛したのは全てうそだった」と証言しました。、
このときMJはどんな思いで彼の言葉を聞いていたのでしょうか。

出会った頃は、ガン治療のための化学療法の影響で、髪は抜け落ち痩せほそり、車椅子でしか動けなかった少年・・。
「ガン細胞をキミの元気な細胞がぱくぱく食べてしまうところをイメージするんだ。そう、まるでパックマンのようにね」とイメージ療法を伝えるMJ(イメージさせるのは盛田さんのテープにもありました)に、「人前で帽子を脱ぐ勇気をくれてありがとう」と喜んだ少年・・。
その彼が、今自分の目の前で、自分を陥れるためのウソの証言をすらすらと話している・・。

MJは母親にこう言ったそうです。
「お母さん、次の証人ですと言われて出てくる人々を見回して僕は驚く。
なぜなら彼らは僕が助けてきた人たちだからだ。
その人たちが僕からお金を盗るためにそこに来て、さらに嘘をつくことで僕からお金を奪おうとしている。
僕にはどうして人間がこんなことをすることができるのか分からない・・」

翌日彼は背中の激痛を訴え体調を崩し、病院にいました。
MJの代理人であるトーマス・メゼロウ弁護士は、公判開始時刻の相談を判事に行いますが、判事は断固として時間内の出廷を求め、それができなければ保釈金の没収を命じます。
万が一間に合わなければ投獄の可能性もありうるということで、メディアは色めき立ち、MJを乗せた車は病院から時速約145kmのスピードで走らなければなりませんでした。
何とか時間内に出廷してきたMJでしたが、スーツに着替える事もできず、病院からそのままの格好、つまりTシャツとパジャマズボンで、(何とかジャケットだけは羽織っていましたが)裁判所に入らざるを得なかったのでした。

jackson_pyjamas.jpg

その足取りは弱く、両側から支えられて何とか歩いてる状態でした。

しかし、そんな背後にある事情は報道されず、日本のコメンテーターは「単なる寝坊」もしくは「仮病」などとコメントしていたのでした。
遅刻は間違いないですからそれはいいとしても、こんな風に憶測でものを言う情報だけが流されることで、ますますMJの奇人変人イメージは強くなっていったのだ思います。

2001年、US版「TV GUIDE」でのインタビューで、MJはマスコミの自分を変人扱いをする報道に対して語っています。
(マスコミの偏向報道を)
「前向きにとらえて、それをエネルギーにしてしまうんだよ。
その事についての曲を書いたり、踊ったり、動きや顔の表情に表したりするんだ。
それらがやがて僕の一部となり、作品の一部となる。
自分の中に、あまり取り込まないようにしているんだ。
もしそんな事したら、気が狂ってしまうよ」

また別のインタビューでは「僕はサイの皮膚のように頑丈なんだ。強いんだよ」とも。

しかし、全てが終わったとはいえ、今回ばかりはすぐに何もなかったかのように出来るわけもなく、MJは静かな場所で静養するためにアメリカを出て行きました。


裁判終了後の6月22日。
MJの母親であるキャサリンがインタビューに答えました。

これを読んだ時、MJは本当に強い信念の人だと確信しました。
彼はさまざまなバッシングにさらされ、手痛い裏切りにあい、ついには健康をも損ないました。
しかし、彼は決して「可愛そうな弱々しいピーターパン」ではなかったのです。

キャサリンママは、公判中、そして公判後に彼と交わした会話を、こう語っています。

「私がマイケルに、「どうかお願いだから、他人をランチ(ネバーランドの事)に呼ぶのはもう止めて。
他の家族と仲良くなることなど止めて。」と懇願すると、彼はこう言ったわ。
「お母さん、この人たちを助けなければならない時は、これからは僕は遠くから離れてするから。」と。
それでも、私は納得できず、心の中で "とんでもないわ。他人があなたの人生にこれだけひどいことをする可能性があるなら、人なんか助けなくていいわ。"と思っていた。

でも彼は決して人を助けるのを止めるとは言わなかったのよ



Man In The Mirror


通りに食べるものすら満足にない子供たちを見た
僕は一体なんてヤツなんだ
彼らの事を見て見ぬ振りをするなんて

僕は鏡の中の自分に問う事から始めるよ
自分の生き方を変えてみるようにさ
これ以上はっきりとしたメッセージはないんだ
もしもこの世界をより良く変えたいと思うなら
自分自身を見つめて自分が変わるんだ

Make that change



■参考にさせていただいたサイト及び書籍
The One&Only
MICHAEL JACKSON's MOONWALKER
マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著

本当に書きたかったことを (7)

ちょっと迷いましたが

やっぱ書こう。



<2005年 マイケル・ジャクソン裁判>

ダイアナ元皇太子妃とのインタビューを成功させたジャーナリスト(とは思えませんが)マーティン・バシールのMJへのインタビューで構成されるドキュメンタリー番組が、2003年2月にイギリスで放映されました。
その番組内で、MJが気遣っていたガン患者のギャビン・アルビーゾ少年が、世間の注目を集めます。
その最大の理由は、ギャビン少年はMJの好意によりネバーランドでの滞在を許されているうち、奇跡的にガンが完治した、ということではなく、元気になった少年とMJが同じ寝室で眠ることがあったという事実でした。
日本では、他人同士の大人と子供が同じ布団で雑魚寝したからといって、すぐに性的な事柄を想像する人は少ないと思いますが、お国柄の違いでUSではそのことがどうにも理解できなかったのでしょう。

しかも人々は93年の事件を忘れていませんでした。
その上、きっかけとなったバシールの番組内で流された情報は、MJの金銭感覚、わが子に対する接し方が異常だとし、それらはMJ自身の幼少時の父親による虐待の影響だとコメントし、そんな危険因子を持つMJの住処であるネバーランドを、多くの子供たちが訪れるのは非常に危険だとほのめかすものでしたので、ますます少年とMJの関係はうしろ暗いものであるという風潮に発展します。
そんな憶測が飛び交う中、MJが助けたその本人と家族が、最初はそんな疑惑の発端となったバシールの番組に対して損害をこうむったという訴えをおこすとしていたのですが、どうしたわけだか急に態度を一変させ、恩人であるMJを性的虐待で訴えます。
面白い偶然の一致(皮肉です)とはこのことで、ギャビン少年の代理人は93年に多額の示談金をまんまと手に入れることに成功したチャンドラー少年側の代理人でした。
(告訴内容は、子供への性的虐待と、少年を含む家族の存在が、MJのキャリアを汚したということでのMJサイドによる家族への監禁虐待というものでした)
93年にMJを起訴できなかった検察は、その時のお返しとばかりに莫大な経費を使い、やっきになって証拠探しを始めます。

1993年の事件を「和解」という形で解決させた事が、10年の時が経た今尚、MJを利用して、新聞の部数や視聴率を上げることができると考えるメディアや、威信を取り戻そうとする検察、楽に大金を得ようとする強欲な人間たちに、「なんらかのチャンス」をもたらしてしまったといえます。

またもや手を差し伸べた家族から裏切られ、大規模なネバーランドの捜索で彼の夢だった場所は荒らされ、警察から手荒な扱いを受け、すでにメディアからクロ扱いの偏向報道をされ始めたMJは、2003年12月25日、US報道番組「60minutes」のインタビューを受け入れ、自身の潔白を必死に訴えました。

この動画は全編ではなく、要約ですが、重要な部分が映されています。
※この中では出てきませんが、問題の少年について聞かれたMJは「親の命令は絶対だ。あの子はそんな子じゃない。訴えたのは本当の彼ではないんだ」と、ここまできても尚少年をかばっています。(どんだけ)



●メディアに対して
MJ:「世間は否定的な記事を書く。何故ならその方が売れると思っているから。良いニュースは売れないからだよ。」

●彼に対する警察のひどい扱い
MJ:「それから…僕はトイレに行きたいと言った。彼らは「いいよ。あそこの角を曲がった所にある」
そしていざ僕がトイレに入ると、連中はカギをかけて僕を45分近くも閉じ込めたんだ。
そこは壁にも床にも天井にも、あちこちに糞尿が投げ付けてあった。ひどいニオイだった。
すると1人の警官がやって来て、窓越しで嫌味たっぷりにこう言った。
「よくニオイを嗅いでおけ…このニオイは好きか?気に入ったか?いいニオイだろ?」
僕は答えた。「あぁ、いいよ」。僕はそこに腰掛けて待った」
インタビュアー: 「45分間も?」
MJ: 「あぁ、45分間もね。45分近くだ。するとまた別の警官がやって来て
「もうすぐ出してやる、もうすぐな」などと言う。なのにまた10分、15分と追加されていった。
あいつら、わざとそうしていたんだ。」

●同じベッドを誰かと共有する事について
インタビュアー:「あなたの言葉を引用させてもらうと「どうしてベッドを共有してはいけない?もっとも愛すべき行動は自分のベッドを誰かと共有する事だ」
MJ: 「その通り」
インタビュアー: 「今でも、子供たちとベッドを共有するのは許される事だと思っている?」
MJ: 「もちろん。もちろんだよ。何故いけない?
これが小児性愛者だったり、切り裂きジャックだったり、殺人犯だったりしたらとんでもない話だ。
でも僕は違う。僕らはそうやって育てられた。それに僕は子供と同じベッドで寝てはいない。
もし寝ていたとしても、それはオーケーだろう。僕は床の上で寝ていたんだから。
子供にベッドを譲ってね」

神の言葉を引用しながら
MJ:「僕は子供たちの表情に神の面影を見る。僕が彼らを好きなのも、そこなんだ。」

●再度ベッドの共有に関して
MJ:「自分のベッドを共有する事の、何がいけないというの?
ベッドに潜り込んで寝たなどとは一言も言っていない。
たとえ僕がベッドで寝ていたとしても、それはオーケーだろう。
僕は子供に対して性的な行いをする気などまったくない。そんなの、僕の心が許さない。
僕はそのような行為は断じてしないよ。そんなの、マイケル・ジャクソンの真の姿じゃない。
悪いけど、それは本当の僕じゃないよ」

●今回の件が与えるキャリアへの影響と、それによるCDセールス不振と伝えるメディアについて
MJ:「僕のアルバムは世界各地で1位になっているよ。世界のあちこちで、だ。
アメリカだけは特別だよ。だって…いや、あまり言いたくはない」
インタビュアー: 「でもアメリカでは1位になっていないでしょう?」
MJ: 「それは陰謀だよ。…とにかく言いたくないんだ。あぁ。だんだん疲れてきた」

●ファンへのメッセージ
インタビュアー:「 マイケル、今回の件を通してあなたを支えてきたファンへのコメントは?
あなたに聞きたい事もあるかも知れない。彼らには何と答える?」
MJ: 「彼らには、本当に愛していると言いたい。
彼らは遠く離れた場所から僕について知り、僕について理解をしてくれた。
でも僕について本当に知りたかったら、僕が書いたひとつの曲がある。
今まで書いた中でも、もっとも僕の心情を正直に表した曲。
「Childhood」という曲だ。
彼らには是非聴いてほしい。これこそ彼らに聴いてもらいたい曲なんだ。
世界中のファンのみんな、応援に感謝するよ。みんなを心から愛している。
愛されて当然、などとは思っちゃいない。これっぽっちもね。
世界中のみんなの事が本当に大好きだ」

「Childhood」


Have you seen my childhood?
僕の子供時代を知っているかい?

自分の通ってきた世界を振り返っているんだ
ずっと探していたんだ
心の中の忘れ物が置いてある場所を・・

誰もわかってくれない
僕のことを奇妙でエキセントリックだと片付けてしまう・・
いつも僕が子供のようにふざけすぎていたからだろう でも・・

世間は僕が変わっていると言う
それはすごく些細な事を子供のように喜ぶから・・
それを背負って生きていかなければならない
子供時代を知らなかったために・・

僕の子供時代を知っているかい?
幼かった頃の奇跡を探しているんだ
海賊だとか冒険がつまった夢
冠をつけた王様や征服の話・・

僕を判断する前に受け入れようと努力して
心の奥底にある感情を確認して
それから子供時代の事を聞くべきだ

世間は僕が変わっていると言う
それはすごく些細な事を子供のように喜ぶから・・
それを背負って生きていかなければならない
子供時代を知らなかったために・・

僕の子供時代を知っているかい?
幼かった頃の奇跡を探しているんだ
皆で分かち合えるような素晴らしい物語を
冒険心に満ちて、空を飛べるような夢を・・

僕を判断する前に
愛してみようと努力して
自分の過ごした辛い子供時代を・・



しかし、2004年に3度目の大陪審で、ついにMJは起訴されました。


■参考にさせていただいたサイト及び書籍
Wikipedia「マイケル・ジャクソン裁判」
The One&Only
MICHAEL JACKSON's MOONWALKER
あなたの知らないマイケル・ジャクソン
マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著

本当に書きたかったことを (6)

ここんところ、書きたかったことを書いているにもかかわらず、ものすんごく気が滅入ります。
そりゃそーだ・・
MJの名誉を汚した事件について書いているのですからね。

でも、何だかもうとりつかれてるみたいに、書かないではおれない感じで。
今書いている事柄はその後のMJの、最も最悪な事件につながっている事ですから、ここは絶対はずせないところ。
そして、本来の目的である、事実を知ってもらうこと。
これしかもうないんでね。


<この訴訟の結末>

心身ともにぼろぼろになりながら、MJは93年12月にアメリカに帰国します。
その直後に彼は警察に連れて行かれます。
告発の内容が内容だけに、告発人の供述と彼の身体的特徴が一致するかを調べるための身体検査を受けるという憂き目にあいます。
見に覚えのない疑いをかけられ、散々傷ついた彼に追い討ちをかけるような悪夢。
この強制検査にたいしてマイケルの拒否権は認められず、もしも拒否をすれば、裁判時に有罪の証拠にすると脅された彼は、その屈辱的な検査を受け入れるしかありませんでした。

その12日後の12月22日、マイケルはネバーランドから、やはり生中継で自身の声明を出しました。



悲痛な表情で彼は
Don't treat me as a criminal, because I am innocent.
「僕を罪人のように扱わないで下さい。僕は無実なのですから
と訴えています。
強制的に受けねばならなかった検査(写真撮影)が、どれだけ屈辱的なものだったか。
「あれは最もひどい悪夢でした」と語っています。
また彼にとって子供たちと関わることは
It is of enjoying, through them, the childhood that I missed myself.
「僕自身には無かった子供時代を、子供たちを通して楽しんでいるのです」
とも語っています。

マイケルにとって、子供でありながら子供らしいことができなかった自分の子供時代を、普通の子供たちを通して一緒に楽しみたい、そんな彼らを力を尽くして守りたいという気持ちは、ずっとずっと消えることはありませんでした。
ネバーランドを作った理由も同じでした。
失われた子供時代を取り戻すため。そして同時に世界中の子供たちと分かち合うため。
彼はいつも一貫しています。
その時々で発言がブレる事など一切ありません。

こんな風に記事を書くまでに、わたしも色々と(まだ足りないかもしれませんが)自分なりに調べました。
そこで、MJの過去の発言、インタビュー記事、インタビュー動画など、英語オンリーなものは途切れ途切れしかわかりませんから厳しいですが、日本語になっているものを読み進めてはっきりとわかったのは、いつの時代でも彼は同じ事しか語っていないのです。
人間その場その場で適当な事はいくらでも言えて、あるいは台本があるなら時が過ぎれば何を言ったかすら忘れます。
しかし、これだけ主張がかわらないなら、それは間違いなく彼の本心、彼の信念、深い決意なのです。

それを、変っているだのWacko Jacko(変人ジャクソン)だのと面白おかしく書きたてたマスコミは、今また、まだ裁判にならないうちから有罪の如く書きたて、犯罪者扱いをし、彼を窮地に追い込もうとしていたわけです。

MJはこの悪夢を早く終わらせようとしました。
裁判ともなれば、長い争いの果て、自分も含め少年も証言をしなくてはならず、そんな場面は彼には耐えられなかったのではないでしょうか。
94年1月に2,000万ドルの和解金を支払う事に同意します。
(誤解されていますが、この金額はMJではなく保険会社が支払いました。訴訟の多いUSではこれは珍しい事ではありません)
告訴側に目論見どおり大金が転がり込んだわけです。

しかし、和解に応じた=罪を認めた ではないことをここではっきりと書きたいと思います。

マイケルに非があるのなら、一番最初の段階、つまり少年の実父がお金を要求してきた時に、どうせ保険会社が支払うならとっとと支払って口止めしておけばいい話です。
しかし、彼は要求を即座に断り、そのおかげで名声に深いキズをつけ、プライドも粉々になり、精神的肉体的苦痛を受けました。
なぜそんなリスクを負わねばならなかったのでしょう。

彼はInnocentだったからです。
無実であり、潔白であり、そしてここまで恐ろしい状況になることを予測できないほど、あまりに無垢だったのです。

この民事訴訟は和解成立により終了し、刑事裁判の調査へと移りましたが、あのマイケルに生涯を通じて最大の屈辱と言わしめた身体検査の写真は、少年の供述と全く一致しませんでした。
しかも示談金を受け取った少年側は、刑事裁判での証言を拒否するという、通常ではありえない展開となりました。
これを見ても、本当に少年に被害があったのではなく、実父により引き起こされたこの訴えが、お金のみ目的にしていたことがよくわかるというものです。
そして検察は、この問題に関してのその他の証拠を何一つ見つけられぬまま、刑事裁判として起訴に至ることはありませんでした。

この事件のさらに詳しい解説をこちらでお読みいただけます。
興味のある方は、ぜひ全文お読みいただくと、このでっちあげ恐喝事件(と、わたしは思っています)の全貌がお分かりいただけると思います。

こうして悪夢のような日々は終わりを告げた・・
かと思われましたが・・。


さらに続きます。

■参考にさせていただいた記事及び書籍
Wikipedia 1993年性的虐待疑惑
The One&Only
Legend Of MOONWALK
●マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著

本当に書きたかったことを (5)

ステイプルセンターでの「THIS IS IT」リハーサルの新たな写真が公開されました。

mj_riha.jpg
バックダンサーのフリ、「The Way You Make Me Feel」っぽいけど違うかな?
わかんないけど、ま、いっか。
マイコー足長ーい♪
後ろの若いゴリマッチョダンサーなんかよりずっとステキ♪あー、うっとり。

映画、楽しみではありますが、どうせばば泣きして、しっかり見れないような予感がしてて
何となく嬉しいけれど憂鬱な気もするという複雑な気分です。

さて本題です。


むかしむかし。
マイケル・ジャクソンととても仲がよかった少年がいました。
ふたりはともだちでした。
でも少年のパパとママは、マイケルにともだちではなく、色んなことのめんどうをみてくれる足長おじさんになってほしかったのです。
マイケルはパパから「お家をかって」といわれましたが、ことわりました。
おこったパパは、マイケルにしかえししてやろうと思いつきました。
すでにママとパパはおわかれしていましたが、少年にとってパパはパパでした。
だから少年はパパの命令に、はむかえませんでした。
その命令とはウソをつくことでした。
パパは歯のおいしゃさんだったので、ますいを少年にかけながら「ウソ」を本当のようにおしえました。
少年は、パパの言うなりになりました。
そして、大すきだったマイケルに、ついてはならないウソをつくのです。
「ぼくはマイケル・ジャクソンにいたずらされた」


<1993年の悲劇>

今から16年前の事です。
わたしはこの年の6月、アメリカのサンディエゴを訪れていて、地元のモールでうろうろしていた時、MJの「Billie Jean」が流れてきて「おおー、さすが本場」と妙に盛り上がった事を今思い出しました。

MJの1993年は華々しく幕を開けました。
クリントン大統領の祝賀会に招かれ、パフォーマンスを披露し、1月31日には、カリフォルニアでのNFL第27回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演します。
試合よりもハーフタイムの視聴率が上回るほどで、このときの彼のパフォーマンスを見てアルバムを買いに走った人が多かったのでしょうか、「Dangerous」は売上が一気に伸びたといわれています。
その後2月に前回の記事で触れた「オプラ・ウィンフリーショー」で、妙な編集ができないようネバーランドからの生中継と言う形で、自ら「尋常性白斑症」を告白し、噂やゴシップを払拭するためインタビューに答えます。
そこでオプラの「あなたは今幸せなの?」という問いに「いろいろあったけど今は幸せです」とはっきり答えました。

しかし、その幸せは突如乱されることになります。

13歳のジョーディ・チャンドラーと言う少年が実父によって、MJを「児童性的虐待」で告訴します。
最初この父親は、離婚した元妻・息子と自分が疎遠になった理由がMJだとし、その賠償として2,000万ドルを要求しますが、MJ側がこれを拒否すると即座に行動に移りました。
8月、ネバーランドで大掛かりな家宅捜索が行われますが、その時点でMJはツアーの為に海外にいました。
自分がいないときに、自分の大切な場所が、多くの他人にかき回され荒らされた事を知ったマイケルは、怒りの感情を爆発させたといいます。
この問題は、今までのような単なるゴシップなどではなく、彼の人生やキャリアに恐ろしく傷を残すことになりかねませんでした。
しかも告訴した相手が、マイケルが日頃から大切に思っていた子供(友達)。
彼の精神的なダメージは、肉体的ダメージとなっていきます。
1984年にペプシのCM撮影で、頭に大やけどを負った彼は、その後も頭皮の再生手術を受け、そのたびに激痛を抑える鎮痛剤を処方されていましたが、度重なるひどい状況の報告に頭皮の手術痕の痛みに加え、激しい偏頭痛にも見舞われ、徐々に鎮痛剤の服用が処方箋の量を超え始めていくのです。

ですがその間も、彼は自分を奮い立たせ、自分を待っている多くのファンに会う為ツアーを続行させています。
日本には9月7日~12日まで滞在し、福岡ドームで2回公演を行っています。
もう当時忌まわしい報道はなされていたため、ファンの不安を払拭するように素晴らしいパフォーマンスをおこなったマイケル。
有名なライブインブカレストと同じ構成のツアーですから、オープニングの爆発音と共に飛び出して、しばらくじっと微動だにしない演出とか、生で見れた人は本当に忘れないでしょうね。

しかし、問題の事態は悪くなる一方で、それに伴いマイケルの鎮痛剤への依存は高くなり、ついに11月、鎮痛剤中毒を認めたマイケルはこれ以上のツアー続行は不可能とし、DANGEROUSツアーは中止されてしまいます。
結局本国では一度も公演を行うことができなかったわけですが、そんな地獄の渦中に不安定な精神で帰れるはずもなく、しばらくイギリスの専門病院で薬物治療を受ける事となるのです。

驚くべき事は、こんな大変な時でも彼は人への思いやりを忘れていない人でした。
MJは今は亡きSONYの盛田会長をとても慕っていたようで、BADツアーで初来日した時に盛田さんのお宅を訪問し、それから親交を深め、92年の東京公演へも盛田会長夫妻を招待しています。
盛田さんの奥様がマイケルの思い出として綴られた記事がありますので、こちらからどうぞ

マイケルがこのでっちあげ恐喝事件に巻き込まれているさなか、10月に盛田さんも体調を崩されます。
すると盛田家にマイケルから1本のカセットテープが送られてきます。
テープは、マイケル自身の声で「あなたは必ずよくなる」という、ヒーリングメッセージが何度も繰り返されるものでした。
これを朝・昼・晩と必ず聴いてくださいという伝言と共に。
テープはマイケルの優しい声で「Mr.Morita・・」という呼びかけではじまります。

Mr. Morita・・・Mr. Morita・・Mr. Morita・・
This is Michael Jackson speaking・・・This is Michael Jackson speaking.
Please, get better…Please, get better now.
You are our visionary. You are our teacher. You are our leader.
You are our world.
You’ve taught me so much.
You are a very, very strong man, Mr. Morita. I believe in you.
Every day, in every way, I am healing better and better. Repeat these words in your deep subconscious mind.
I love you, Mr. Morita, and know that the whole world loves you and needs you, especially me.
I believe in miracles, and you have the courage and determination and the will-power.
I believe in you, Mr. Morita, so get better now.

盛田さん・・盛田さん・・盛田さん・・
マイケル・ジャクソンです・・マイケル・ジャクソンが話しています・・
どうぞ良くなってください・・ どうぞすぐに良くなってください
あなたは素晴らしい人です あなたは僕たちの先生です あなたは僕たちのリーダーです
あなたは僕たちの世界そのものです
あなたは沢山のことを僕に教えてくださいました
盛田さん、あなたはとても強い人だと僕は信じています
毎日、毎日自分はどんどん回復している 深い潜在意識でこの言葉を繰り返してください
僕は盛田さんを愛しています そして全世界があなたを愛し、あなたを必要としています 特に必要としているのはこの僕です
僕は奇跡を信じています そしてあなたは勇気と情熱と強い意志力を持っています
盛田さん だから必ずあなたは回復します 僕は信じています 



わたしが泣いてしまったのは、最後に「あなたを特に必要としているのは、この僕です」というマイケルの言葉でした。
このときのマイケルが置かれていた状況を考えると、洪水のように悪いことが押し寄せる中、ただその波にもまれながらも、一方ではエンターティナーとしての役割を果たさなくてはならず、しかし自身では、いったい何を信じたらいいのか、どうしたらいいのか、どうしてこんな事になってしまったのか、誰か助けて欲しいという切実な思いを感じずにはいられません。

盛田さんの奥様は、このテープを盛田さんが亡くなるまで、毎日聴かせ続けられたそうです。
わたしが思うに、このようなヒーリングプログラムはおそらくネバーランドにやってくる重病の子供たちへも行われているプログラムのひとつなのでしょう。
常日頃から重病の子供たちに向けて行われていることを、自分が敬愛する盛田さんにも「治ってほしい。元気になってほしい」その一心で。

「あなたは必ず回復します。僕は信じています」
マイケルと子供たちとの関わりは、盛田さんへの想いとなんら変わらず、そこには純粋な庇護しかありませんでした。

しかし、マイケルの富みに目がくらんだ大人は、どうにかして彼からお金を引き出そうと画策します。
それは、著作権に絡むものだったり、雇用や契約に絡む事だったりと、わけのわからない無意味な訴えが後を絶たなくなっていきます。
(そのどれもがほとんど判事により棄却されて終わる程度でしたが、裁判になったものも全てマイケルは勝訴しています)
そんな中で、93年のジョーディ少年の父親は、「マイケルが大切に想う子供」を手段に使うという、最も最悪で、最も卑劣な訴えをおこして彼からお金を奪おうとしました。
仮に息子が本当にそんな被害にあっているのなら、民事で賠償請求するよりも先に刑事事件として追求するのが親として当然なはずですが、告訴人サイドは、1日でも早く民事訴訟に勝利して、お金を請求したかったのが本音です。
全くの陰謀だったわけです。
(この後、法律が改正され、子供の虐待容疑では民事の訴えを先にする事はできなくなりました)

実は自分の子供を、父親が最も踏みにじって虐待したわけで、実際2005年に少年はこの父親を虐待で訴えています。(おせーよ。おっと失礼)

次回へ続きます。

本当に書きたかったことを (4)

MJが健在だった頃、わたしのような一般人向けに伝わってくる報道は
そのほとんどが未確認の噂やゴシップだったように思えます。
スクープとされる内容は「関係者筋」だの「マイケルに近い人物」だの「情報筋」だの(要は名前もわからないどこかの誰かさんってことです)が語る、しっかりとした取材も裏づけもないようなウソやでっち上げ。
要するに、情報ソースがでたらめな、事実とは異なる報道です。

やってもいない、言ってもいない事が、どかどかとニュースや記事になりました。
ところが、実際行われている事や、公に発言した言葉は驚くほど伝わらなかった。


マイケルをずっと応援してこられたファンの方々は、ファン同士のコミュニティや情報ネットワークでご存知だった事も、ファンとまではいかないけれど「いいよね、マイケル」レベルの人や普通の人には、全く届きませんでした。

そのひとつに、MJのネバーランドでの活動があります。

<ネバーランドとは>
ネバーランドの印象というものを、わたしの周りのMJに興味のない友人に聞いただけでも
「金に物をいわした道楽だなー」
「自分の家が遊園地って、あんた」
こんな感じです。

マイケルが自分の悦楽の為に作ったお金持ちの道楽の極み。
このようなイメージを持っている人は少なくないのではないでしょうか。

確かに2,700エーカー(11 km² )もの広大な牧場に、本格的な遊園地、動物園、、映画館、ゲームセンターがあり、それらの施設を楽しむための移動手段として、蒸気機関車が敷地内をゆっくりと走り、ゲストハウス、自宅としての母屋を含むパーク全体を独自の警備で守っている・・
これが個人の持ち物とは、驚くのは当然なのですが。

税金で作られた無駄な建物に比べれば、MJが自分のお金でどういう家を作ろうが勝手ですし、しかもこれは単なる家ではなく、大人も子供も(特に子供ですが)自由に楽しんでもらう事を目的に作られた、完全無料の複合施設であったのです。
ここへ招待されたのは、主にNPO(非営利団体)が運営する福祉をはじめとする子供の団体や病気の子供たち、地域の子供たちなどでした。
もちろん、このパークに従事する70名ほどの従業員の子供たちも。

年に一度、従業員とその家族にだけ解放するFamily dayが設けられていました。
当然無料で、1日中親子で楽しめます。
ハンパない福利厚生です。

経済事情や病気など、色々な事情で普段遊べない子供たちに、思いっきり楽しく過ごしてもらうためのさまざまなアトラクションやイベントはもちろん、パーク内は食べ放題の飲み放題の、乗り物乗り放題のゲームし放題(ゲーム機にコイン入れがない!)の映画も見放題!
座って映画を鑑賞できない重病の子供用に、映画館にはベッドも備わっていました。
招待された子供は何万人にものぼります。
そんな子供の付き添いで訪れた大人も、思いっきり子供時代に帰って楽しく過ごす、まさに夢のような場所。

それがマイケルの作ったネバーランドでした。

life9306.jpg

1993年6月号の「LIFE」誌に、マイケル自らランチ内を案内しているインタビューが掲載されています。
本当に数少ないまっとうな取材記事です。
全文和訳はこちらから読めます。

1995年4月に、「第2回 世界子供会議」という8歳から16歳までの子供を対象にした、「世界中の問題を話し合う」為の子供の会議が、ネバーランドで催されました。
(こんなことはニュースにならないのです)
マイケルのファンの方のお子様が、日本代表(4名)に選ばれた事で、親子共々ネバーランドへ招待された貴重な体験記があります。
真剣で素晴らしい会議の中身と、ネバーランドでの夢のような日々を、当時ファンクラブ会報向けに出された記事として綴られています。
ぜひ、こちらから一読してみてください。
ネバーランドの本質が、そして、MJがいかに次世代を担う子供たちを大切に思っているかが、きっとお解かりいただけると思います。


子供のためはもちろんですが、そこはマイケル自身の経験できなかった普通の子供の楽しみ、遊び、子供の好きなもの全てを投影した場所でもありました。
マイケルも子供たちと共に乗り物に乗って、動物とふれあい、好きなお菓子を食べながら映画を見たりゲームをしたり、池でスワンのボートに乗ったり、よく手入れされた庭にある「恵みの木」と名付けた木に登り、そこから景色を眺めながら「Heal The World」などの曲を作ったそうです。

彼は5.6歳頃からショービジネスの世界へ入りました。
ステージで歌い踊る喜びを手に入れた事の代償に、普通の子供の暮らしや楽しみを手放さねばなりませんでした。
大人になっても、世界中で大成功しても、その失った子供時代への憧れは持ち続けたままでした。
成功したあかつきに手に入れたいと思うものは、人それぞれでしょう。
高級車や大邸宅、高級リゾートでの別荘やプライベートジェットなどさまざまでしょう。
MJも欲しかったものを手に入れたのです。


しかし、このネバーランドはマイケルの夢の場所でもあり、そして悪夢の場所ともなっていきます。

善意の塊のMJは「子供はウソをつかないから安心してつきあえるんだ」と語っていました。
しかし、子供は時としてウソをつくこともあるのです。
そう、時として。

次回は彼の冤罪についてお話したいと思います。

■参考にさせていただいた記事および書籍
あなたの知らないマイケル・ジャクソン
Legend Of MOONWALK
マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか? アフロダイテ・ジョーンズ著

本当に書きたかったことを (3)

「MJは白人願望から肌を白く変えた」
これは大きな間違いだと思っています。
「本当に書きたかったことを(2)」と続けて今回の記事をお読みいただければと思います。

彼の肌色の変化は病気によるものです。

尋常性白斑(vitiligo)

MJは「スリラー」で大人気だった頃にはすでにこの病気を発症しています。
これは、肌の色素が免疫異常によりまだらに抜けていく自己免疫疾患です。
最初は斑点状に色が抜け、進行度によってはその抜けた部分が体の大半を占める場合もあります。

この病気には明確な治療法がないそうです。
治療と言うよりも、白斑の進行度合いによって施されるメンテナンスの意味が強い処置がなされるようです。
ひとつは色素回復の処置ですが、これが万人に有効かといえばそうではなく、別の処置で白斑が全身の50%以上に見られる場合におこなわれるものもあるそうで、それは白く抜けた部分と調和させるために、元の肌の色素を抑えるという治療法です。
しかし、これは漂白という事ではありません。

そのため、この病気が与える精神的ストレスは相当なもので、見た目ですぐわかる状態なら尚更ですから、医学的な処置が功をなさない場合、そのような人にメイクによって色を隠す方法は大変有効で、リハビリメイクとして普通に行われるようです。
30年近くマイケルの専属メイクであったカレン・フェイさんも証言しています。
「白斑が広範囲に広がったので、メイクで全身の肌のトーンを揃えなければならなかった」

1993年のオプラ・ウィンフリーショウ(インタビュー番組)では、ネバーランドから生中継で出演したマイケル自らが、この病気を告白します。

そこで語った言葉
「僕はブラックアメリカンです。黒人である事、自分の人種、何者であるかを誇りに思っています。僕は大きな誇りと尊厳を持っています」

オプラのインタビューでマイケルは
「白人になろうとしているなどと言われて傷ついている」
「自分ではコントロールのできない病気なんだ」
「色が変わりだしたのはオフザウォールか、スリラーあたり」
「肌を均一に見せるのに、メイクをしなくてはならないんだ」と語っています。

この病気の患者にとっては、紫外線から肌を守るのは当然のことで、日傘や帽子などで弱くなった肌を太陽から守らねばならないのです。
彼がマスクや日傘を常用しているのは、そのような理由からです。

マスコミは彼が自分の病気を公に告白した事はそっちのけで、正確な情報よりも白いメイクの奇異な印象や、マスクや日傘などは肌を守るための装備としてではなく、マイケルの奇行として報道し続けました。

しかしその後、MJは必要以上に自分の病気をアピールする事はしませんでした。
それがかえってマスコミの過激報道につながったという意見もありますが、彼は物事の本質はそんなところではないとしていたのではないかと思います。
色がどう変わろうが、見た目が変わろうが、それはあくまでプライベートな話で、本来は自分が作り出す作品が一番重要であり、そこに自分の病気と言うプライバシーを必要以上に介在させることは、逆にマイナスだと思っていたのではないかと思います。

確かに人間ですからありもしないことを憶測で報道される事の怒りや、そんなデマが載った雑誌を簡単に買っては信じる人に失望する事もあったでしょうが、その度に彼はポジティブでいられるように神に祈り、アーティストとして自分の想いを作品に昇華させて、自分をわかろうとしてくれる人やファン達に贈り続けてきたわけです。
どんな不確かなニュースよりも、彼の楽曲に込められた想いのほうがはるかに饒舌だったとわたしは思います。


次回はネバーランドについてお話します。

注:
この記事を最初に書いた時は、MJのvitiligoの症状がわかる動画をUPさせていましたが、やはり病気というのは彼のプライバシーであり、大変デリケートな問題ですので、それを公にする映像を載せることに自分の感覚で違和感を感じましたため、動画は削除させていただきました。
ですので、参考資料としてURLのみ記すことにいたします。
http://www.youtube.com/watch?v=amKqa6hzN9w&feature=related
ご理解下さるようお願いいたします。

本当に書きたかったことを (2)

ものすごく簡単な検定がありました。
「マイケルジャクソン検定」(笑)
初級編と、上級編とありましたので上級編をやってみたら、MJ Wikipediaレベルの知識があればよさそうで、わたしでも合格しました。はは、よかった(笑)

s-gokaku.jpg

きっと超ファンの人はやらないでしょうねー。
ま、でもちょっとうれしかったりして(笑)
お暇な方は話の種にいかがでしょう?

さて、本題です。


マイケルの誤解と言うか偏見の元になっている情報というのは
本当にいろいろあって、何だかきりがないぐらいです。

ですが、前回の記事にも書きましたが
2005年の裁判で彼が無罪となっている事実を、いまだ独自の憶測だけで否定する情報だけはほっておけないのです。
それと、2005年の刑事裁判のきっかけになった(実際はあるドキュメンタリーの放送ですが、後に詳しく触れます)1993年の民事裁判。
これが彼の人生において、後々までも尾を引くものとなったと思っています。
これとは別に必要以上に騒ぎ立てられた肌の色の事。
彼の生前からしょっちゅうワイドショーなんかで、コメンテーターが「白人願望から漂白した」という意味の発言をしていました。
テレビで発言する立場の人が、それこそWikipediaを見ればわかる事実を、自分の推測で捻じ曲げる。
一番正したいのは、漂白云々よりも「白人になりたかった願望」という点です。
そして、ネバーランド。
あの広大なテーマパークを自宅にした彼の真意と、そこでの出来事。
それを知っていただきたい。

以上の事柄を中心に書いていきたいと思います。
ですが、自分の思いのたけをつらつらと書くだけでは、結局甘ったるい感傷めいた記事で終わりそうで、(本当はかわゆいマイケルとか優しいマイケルとかのエピソードをキャピキャピ書きたいっす)それはそれでそういう時があってもいいと思ってますが、今回に関しては客観的に書きたい。
とはいえ、自分のつたない筆力では順序だてたり、きちんと整理された内容をわかりやすく書く自信がない。
そこで、これまでわたしが色々自分なりに調べた過程で、冷静に上記の事実やそれ以外の事柄をしっかり調べ上げた上で、とてもわかりやすい記事にされている方のブログを多く発見しました。
その多くがありがたいリンクフリーだということで、そのきちんとした情報へリンクを貼らせて頂きながら進めていこうと思います。

その前に一般的なMJ基礎知識はぜひWikipediaで。(検定もこれを読めばクリアです 笑)


<白人願望>

1984年、アルバム「スリラー」によって彼がグラミー賞で8部門を制覇し、世界最高の売上げ枚数アルバムとしてギネスに認定された頃より、マイケルの評価は大きくわかれていきます。
次々とミュージックシーンの常識を覆し、記録を塗り替えていくエンターティナーという評価の半面、Wacko Jacko(変人ジャクソン)などと揶揄されマスコミの恰好のターゲットとされていきます。
しかしそれ以前からジャクソンズ(ジャクソン5)のスターであったマイケルには、噂やゴシップの類は日常茶飯事でした。
動物好きなマイケルはニシキヘビのマッスルや、ラマといった珍しい動物を飼い、85年にはガン治療の研究用としてテキサスの病院にいたチンパンジーのバブルス君を引き取り、わが子のように可愛がります。
そんなマイケルを動物にしか心を開かない変人と決めつけ、インタビューでも「僕は子供たちが大好きだから何とかしたいと思っている。いつかインドへ行って飢餓状態にある子供たちに会いたい」と答えたところ、実際の記事には「マイケルは飢えた人を見るのが何よりの楽しみだそうだ」と書かれたりしたことで不信感を強めたマイケルはマスコミを嫌い、82年以降インタビューにも答えなくなります。
それがかえってマスコミのバッシングにつながるわけで、85年にビートルズの251曲もの版権を管理する出版社ATVを購入(これは現在ソニーレコードと共同管理をしており、楽曲数は30万にものぼります)したことで、さらにマスコミのもはや単なる噂やゴシップと言うよりも、笑えない攻撃が激しくなっていくのです。

それをマイケルはどう感じていたのかがわかる彼のスピーチがあります。

Michael Jacksons speech against racism in Harlem July,9,2002


マイケルの追悼式にも出演し、マイケルの子供たちに向けて「君たちのお父さんは変でもなんでもない。変だったのはお父さんの周りのほうだ」というスピーチをしたアル・シャープトン牧師が関係する、National Action Network本部で人種差別に関するスピーチを2002年に行っています。

実際は複雑なMJとレコード会社との問題も見え隠れする集会なのですが、その話はここでは省きます。

彼はこのスピーチで、こう語っています。
「私がレコードセールスで過去の記録を全て破った次の瞬間から、つまり、私がエルビスの記録を、ビートルズの記録を破った瞬間から、ギネスブックの歴史上、史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。
私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。
彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、ありとあらゆる全てのことをしようとした。
これは全て完全な陰謀だ。」
「私は自分の人種をわかっている。鏡を見れば、自分は黒人であることがわかっている。」


黒人マイケルジャクソンとして、肌の色での差別に対して(暗に自分の成功が白人のものであったなら、同じようなバッシングがおこったかどうか疑問を持っているわけです)断固戦わなければならないといった旨の内容です。

「白人のポップスターであるエルビス・プレスリーの曲の多くは黒人が作ったのに、エルビスだけが評価され、本の表紙を飾るのに、作曲者には何の評価も与えられないどころか、今でもたった一人の黒人さえも本の表紙になってはいない!」という内容の話もしています。

彼のこのような思いは早くからあったようで、1981年に音楽評論家の湯川れい子さんのインタビューでも、プレスリーについて、「エルビスは黒人の音楽を盗んだ」「黒人のスーパーマンなどいない」などとかなり辛らつに語っています。

若い時から一貫してブレていない彼の思い。
黒人である事を恥じるどころか、むしろ誇りに思い、差別に立ち向かい変革(CHANGE)をしようとしていたマイケル。
肌の色にこだわる世界などばかげていると、曲にもメッセージを込めています。

「Black Or White」(埋め込み不可なのでURLをリンクしてあります)
キミが僕の彼女の事を知りたいなら、白とか黒とか関係ないのさ

これでどうして「白人願望がある」などといえるのか?ということです。

わたしにはこの人種問題は複雑でむずかしく、簡単に何かを言う事はできません。
ここで言いたかったのは、このような思い(その是非はともかく)を持っていたマイケルが、「白人になりたくて肌を白くした」という話は間違っているという事です。
彼の名誉のためにもう一度言います。

彼は黒人でした。
生まれてから亡くなるその日まで、身も心も。


実際の肌の変色は病気によるものです。
そのお話は次回に。

■参考にさせていただいた記事及び書籍
マイケルジャクソンWikipedia
THE ONE & Only
シンコーミュージジック・ムック「Michael Jackson Who's BAD?」
「Michael Jackson ポップ・レジェンドに捧ぐ」

本当に書きたかったことを (1)

もうすぐMJのお誕生日がきます。
本当なら51歳になるはずでした。
ニュースでは、死因が鎮痛剤、麻酔薬などの多量の処方によるものという見方を決定したと報じていますね。


でも今日はそのお話ではなく。

できればあんまし興味ない人に、読んでいただけたらうれしいです。


わたしがマイケルの追悼月間にはいったのは、ちょうど七夕の頃です。
ここにも書きましたが、ロスで行われた追悼式をライブで見て、実は90年の半ばから彼が死ぬまでの間、ファンというにはあまりにも気持ちが離れていた自分を悔やみました。
自分でも驚くほどの喪失感を感じたわけです。

基本わたしはMJの音楽とパフォーマンスが好きでしたが、熱心に彼の事を調べたりするわけでもなく、かといってコンサートに必ず駆けつけるというきちんとしたファンではなかった。
(もはや、ファンと言ってはおこがましいのかもしれないですね)

とはいえ、そんなわたしでしたが
もっとちゃんと向き合っておけばよかったなー・・
そう思い、あらためてというか、遅まきながら持っていなかったHISTORY以降のCDやDVD、追悼本、それらを怒濤の勢いで聴いたり読んだり。
大人になっててよかったことは、それらを大人買いできるからでした(笑)


そうするうちに、この記事に出くわしました。

「米下院議員、メディアのマイケル報道を痛烈批判」

米共和党のピーター・キング下院議員は、MJの報道合戦を加熱させるメディアに対して
「はっきりと言おう。この男は性倒錯者で小児愛者。子どもに性的ないたずらをした。
明けても暮れてもその死ばかりを報じて、国家のことはどう報じられているのか?」
と批判しました。
さらに「メディアは恥をさらしている。
市民の中にも、マイケル・ジャクソンをさもヒーローであるかのように語り合い、自らを笑いものにしている人が多すぎる」
「彼は良い歌い手だったかもしれない。踊りもした。
だが結局は、自分の子どもや孫をマイケル・ジャクソンと同じ部屋に入れることができるのかということだ。一体、彼の何をたたえているんだ?」とも。

この人は、毎日どこかで誰かが亡くなっている。マイケルだけが死んだんじゃない。
もっと軍人をはじめとする、危険な職務を遂行している人こそ讃えられるべきなのだと怒っているのでした。

この意見の本当に言いたいことには共感を覚えますが、引き合いに出されたMJが何故このような言われ方をしているのか。
MJは2005年、いわゆるマイケルジャクソン裁判で14件の容疑全てに無罪判決が下っています。
それは紛れもない事実なのに。

そのへんのあんちゃんやねえちゃんが、何も知らずに「あー、知ってるー。なんかヤバイことしたんでしょー?」とか言うのとはわけが違います。
れっきとした政治家が、とっくに終わっている裁判で無罪になっている人間を、しかも亡くなったあと、犯罪者扱いするその声は当然全米に流されたわけです。

母国でもこんな風な扱いを、まだされているんだ。
政治家も、報道側も、本のライターも、それら発言権の強い一部の人たちによって
広く多くそんな情報が流れれば、ファンではない一般の人々はその情報を当然鵜呑みにしてしまう。

そんなアメリカの情報をソースとして報道している日本でもしかりです。
追悼と言う名の特番で、MC(司会者と外人タレント)がいわゆるゴシップ的「なんだかなー」コメントを数多く発言していました。
他でも2000年以降のMJは転落の一途だと表現され、NHKの番組でさえ、「Black or White」以降は短い編集で終わらせてしまう構成。

単なるワイドショーで語られるのは、彼の慈善活動に貢献した話などほとんど無視され、外見にまつわる話や子供が生物学上の実子かどうか、負債や遺産に関する話、などなど。
未だに疑惑を持ち続け、それゆえ「BADぐらいまではよかったけど、どんどんおかしくなっていったよね」的意見が多いのはあたりまえなんだと、はっきりわかったわけです。
生前はもちろん、亡くなっってしまった今となってはもう反論もできないのに。
これが有名税と言う事なんでしょうか。

ゴシップ的なネタに反論しても「あんたファンだからじゃん」で片付けられてしまいます。
そこで思ったことは、「好きだから妄信的にMJをただ信じてる」と思われているなら、もっと調べよう、もっときちんと反論できるように知ろう、ということでした。

マイケルを好きになってほしい、というのではないのです。
好き嫌いは当然あって、興味あるなしも当然あって、それは仕方ない。
趣味趣向というものです。
でも偏った情報が原因でマイケルが嫌いなら、やっぱり事実を知ってもらいたいと
強く思うのです。
その上でジャッジして、やっぱり好きくないならそれはそれで
それこそ自由でOK牧場なのです。

しばらくこのお話が続きます。

<お願い>
この一連のお話を書く間は、異論反論もきっとおありでしょうが
最後まで書きたいことを書くために、コメント欄を閉じさせていただきます。
あらかじめご了承願います。
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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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