MichaelとJeffreyのお話
タイトル見てジェフリーはもういい、とか言わないでねw
Study the greats and Become greaterシリーズの中では、もうさすがに書ききれなかったのだけど、ジェフリーがマイケルについて語ってくれた言葉を、どうしても書きたいの(書けば?ってね、そうねそうよねくすん)
DDD(2010年10月号)誌のインタビューでおそらく1995~1997年頃の話だと思います。
なぜなら途中でディズニーアニメのトイ・ストーリーの話が出てくるのですが、アメリカの公開が95年で、彼らの会話の内容から察するに、公開から少し経っているような感じだったので。
ジェフリーはMJJプロダクションのレコードレーベル(甥っ子3Tがこのレーベルでデビューしていますよね)のコンサルタントになった95年から97年頃まで、Ghostsに関わったりマイケルと一緒にブラジル(TDCAU撮影?て、誰に聞いてるんだYOw)、ドイツ、イギリス(これはHIStory tour?だから誰に聞いてるんだっつーw)に同行したと語っています。
DDD誌 2010年10月号インタビューより一部抜粋 --------------------
マイケルの住んでいたネバーランド牧場に招待され、10日ほど滞在していた日々は私にとって生涯忘れることのできない大切な思い出です。
ある日、マイケルが部屋に私を呼んで、「Jeffrey, Have you already watched Toy Story? ジェフリー、「トイ・ストーリー」はもう観た?」って聞くのです。
実はすでに観ていたのですが、私は嘘をつきました。
「ううん、まだなんだ」「Ok, then let's go to see it. It's on now! じゃあ、映画館で今やっているから観に行こうよ!」
ネバーランドには大きな映画館もありましたからね。
私たちは敷地の中をゴルフカートで移動していました。
私が選んだのは「バットマン」のロゴが描かれたカートです。
マイケルのカートにはカバーがかけられていました。

こんなんかな~^^
ある夜、マイケルが「Let's walk. no golf carts. 今夜はゴルフカートをやめて2人で歩かない?」と言いました。
月の美しい夜でした。
それで2人で散歩をしたのです。
プールわきを通り、ゲームセンターも通り過ぎた時、芝生の上にシカが歩いているのを見つけました。
「ヘイ、マイケル!シカがいるよ!」「Yeah, they always come out and play. 彼らはしょっちゅう遊びにくるんだ」って。
その夜は本当に長い時間、いろいろな事、子供時代のことや結婚観、人生について話しました。
彼と一緒に撮った写真や映像がないのは残念ですが、彼との思い出はすべて私の心に残っています。
私は彼といる時、カメラやビデオを取り出したことはありません。
何故なら、いつでも彼にリラックスしてもらいたかったからです。
誰かが彼の前でカメラを出したりすると、彼は1人の人間ではなく「マイケル・ジャクソン」という名前のエンターテイナーにならなければなりませんから。

私はマイケルをスターとして特別に扱ったりはしませんでした。
彼と一緒に働いていた時は彼が私のボスになるわけですが、その時でさえも一対一の人間同士の付き合い方です。
私は彼に対しても他のダンスブラザー達とまったく同じように接していたのです。
マイケル自身も私のそのような接し方に感謝してくれているようでした。
マイケルとわたしの関係が長く続いたのもこのような理由があるからかもしれません。
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ジェフリーが「マイケルと一緒に居る時に写真を撮ったりはしなかった」と話す通り、本当に彼ら二人の写真は少ない、というかほとんどない。
BADの12インチシングルのジャケット写真が唯一公式な雰囲気の写真です。

DDD誌に載っていたおそらくマイケルのネバーランドのダンススタジオで、ふたりおそろいのフェドラをかぶって踊っている写真は、ネット上では見つけることができませんでした。
以前、レジェンドさんのサイトで読ませていただいた、95年にネバーランドで催された「第2回 世界子供会議」にラッキーなことに参加できたファンの親子さんのレポートを思い出しました。
初めはお子さんより興奮して嬉しさを抑えきれないママ(わかるw)でしたが、徐々にネバーランドが存在する本当の目的を知るうちに考え方が変わってきます。
子供らしく楽しむことが様々な事情でできない子供たちや、恵まれない弱い立場にいる人たちのためを一番に考えて設計され、彼らが心底リラックスして過ごせるよう考え抜かれた施設やルール、そして彼らの楽しみをサポートしてくれるプロフェッショナルな教育を受けた一流スタッフたち・・それらに触れているうちに、ママさんは、「大好きなマイケルに一目会いたい」とか「ネバーランドを訪れた記念になるものを何でもいいから持ち帰りたい」といった、ファンであればどうしても感じてしまう欲望よりも、マイケルの心や高い志を理解したい気持ちの方が大きくなっていきます。
そしてお子さんに教えられるママさん。
「マイケルはね、スターマイケル・ジャクソンじゃなくて人間マイケル・ジャクソンとして接して欲しいんだって。
だからね、キャーとかサインしてとか 大きな声を出しちゃいけないの。
走り寄ったりプレゼントを渡しちゃあダメなんだよ。 わかった? お母さん。」
「ハイ」
「日本に帰って友達や周りの人に話す時、マイケルの顔がああで 声がこうでという事は二の次なんだよ。
マイケルってこんな人なんだよって、彼の優しさ・心の広さ・人間的に素晴らしいって事を伝えるのが、私達の使命だからね。」←いい子!この子いい子ー!
Source:Legend Of MOONWALK (会員体験レポート【 第2回 世界子供会議に参加して 】)
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マイケルにとって当時のネバーランドは、多くの人に門戸を広げた癒しのテーマパークでもありましたけれど、彼の願いや希望、想いのたけをすべて体現させた場所でもあり、くつろげる自宅でもありましたから・・

ここで普通にすれ違われることが、彼にとってはなによりの安らぎで
どこを歩いていようが、何をしてようが、誰にも注目されず指も指されず、カメラを向けられることもない、そんな普通の人なら極めて普通の状態が、彼にも許された唯一の場所
だ、だめだ泣けてくる(/_;)
ま、そういうことで、(すばやく切り替え!w)ジェフリーはマイケルにきちんと礼儀を尽くして接していたわけですね。
マイケルが類いまれない才能を持ったまばゆい存在であることを承知の上で、でもお互い一対一の人間同士の付き合い方をする。
普通に考えれば当たり前なのでしょうけれど・・。
実際のところ、その後ジェフリーは日本へ拠点を移したせいもあり、マイケルとゆっくり会うことはなくなり、たまに電話で連絡をとる関係だったそうです。
2006年にアイルランドにいたマイケルに、ロンドンから電話をかけて近況を報告しあったのが、ゆっくり話した最後だったそう。
ですが、ジェフリーは2008年にイギリスの雑誌のインタビューで、マイケルの擁護と同時にメディア批判をしています。
イギリスのタブロイド(SUN)に端を発し、メディア全体で使われるようになってしまったあの失礼な呼び名で彼が呼ばれることと、罪もない彼に対するいまだ尾を引いていた冷淡な扱われ方についてです。
イギリスのメディアはいまだにその呼び名を使うことがあって、そんな時は本当に心から落胆させられます。
彼らの言い分は「親しみを込めて」なんだそうですが、勝手な言い訳にしか聞こえませんし、当然のことながらマイケルは決してそれを容認せず生涯嫌っていた呼び名です。
■20/20 Interview with Barbara Walters(1997)
You should not say, “He’s ‘Jacko’.”
I’m not a ‘Jacko’. I’m Jackson.
あなた方メディアは「彼はジャッコだ」などと言うべきではありません。
僕はジャッコではないのです。僕はジャクソンです。
‘Wacko Jacko’… where’d that come from? Some English tabloid.
I have a heart and I have feelings.
I feel that when you do that to me. It’s not nice.
Don’t do it. I’m not a ‘wacko’!
Wacko Jacko・・なんてどこからきたのでしょう?イギリスのタブロイド雑誌ですね。
僕には心もあるし感情だって持っています。
そんなことを言われたら思いますよ。とても不愉快だって。
その呼び名はやめてください。僕は「変人」なんかじゃないんです。

■TV-Guide "The man in the mirror" Interview (2001)
Q:世間では‘Wacko Jacko’と呼ばれていますね
But that’s not nice. They do that because they’re jealous.
I haven’t done anything.
I go to hospitals and orphanages. And we take huge bags of toys. I spend thousands of dollars.
What’s wacko about that?
どうかと思います。彼らは嫉妬しているからそんな風に言うのでしょう。
僕は(そんな風に言われることなど)何もしていません。
病院や孤児院へ行くんです。おもちゃでいっぱいの大きな袋を持ってね。数千ドル使って。
そのことがどう変わっているというのでしょう?
■ジェフリー 2008年5月10日インタビューより一部抜粋 (source:The VOICE)
ジェフリー・ダニエル(この人は今週、ロンドンでパフォーミングした)は、「ジャクソンがWacko・Jackoのレッテルを貼られるようなことには全く値しないし、児童虐待者のように描かれるべきではない」とThe Voiceに語りました。
ジャクソンは、過去に、2つの児童性的虐待主張および裁判に直面しました。
彼はすべての容疑に対し無罪と宣告されました。
ダニエルは、多発性硬化症、癌および他の末期疾患で死ぬ恵まれない子どものために、ジャクソンがした沢山の親切な行いを見てきたと言いました。
「私はNeverlandに滞在して、そこにあったものを見た。
そこに滞在していた子供たちにも会っているんだ。
(メディアが云うようなことは)全く納得できない。意味不明だ。
私が知っている限り、彼はその種の人間なんかじゃない
マイケルは何も言わないが、私は、彼がどんなことをしてきたかを見てきたんだ。
彼の最大の罪は彼の博愛主義と謙虚さだ。それが彼にとって裏目に出てしまった。
あいつらは彼の後にまとわりついていた奴らなんだ。
彼はもっと早くにガードを固くするべきだったのにそうしなかった・・オープンで寛大な人間であるがゆえにこんなことに・・本当に気の毒に思うよ。
有罪判決を下されて刑務所にいるリハビリ中の人々に対しては、メディアがとても寛容というのはおかしくないか?
なのに無罪判決をうけた人には、こんなふうにネガティブに描くなんてあまりにも不当だと思う。
<中略>

ダニエルは、人々がマイケル・ジャクソンをムーンウォークの生みの親だとして賞賛することに対して、自分が無視されただなんて思っていないと言いました。
問題についてのインターネット討論に関して、ダニエルは次のように言いました。
「それはファン同士の問題だよ。
マイケル・ジャクソンと僕には、お互いへの愛情と尊敬しか持っていない。
マイケルは僕のダンスブラザーズのひとりなんだから、マイケルのダンスの功績によって、僕がないがしろにされたなんて一切感じた事ないよ。」
------------------------------
・・泣ける(/_;)
1955年8月24日生まれ。
マイケルと3年と5日違い。
お姉さんしかいないジェフリーは、マイケルのことを時に弟のように思っていたそうです。
生まれた時にすでに両親は離婚していたため、お父さんを知らずに育ったジェフリー。
お母さんは教会でピアノを弾く仕事で一生懸命一家を養います。
貧しかったけれど、歌とダンスが得意だった母と姉の影響で、彼も教会の聖歌隊で歌い、独学でダンスを始めるようになるのです。
母が元気な間は、父の存在はほとんど頭になかったジェフリーでしたが、2005年に最愛のお母さんを亡くしてしばらくたった頃、「自分はいったい何者なんだろう」と、自分の中に流れる「ダニエル」というルーツについて考えるようになったといいます。
その後、生まれてから一度も逢ったことのなかった父に逢い、はじめて自分のルーツ、自分の血脈の歴史を知ります。
彼ははるかはるか遠い昔に、自分の祖先が奴隷船に詰め込まれて、アフリカから海を渡って連れてこられた見知らぬ土地で、歯を食いしばり苦難と逆境と失意の中で闘い、いつか自分たちの子孫が自分たちのように苦しまなくてもいい時代が来ることを夢見て祈り続けて耐え忍んだ、その長い歴史に思いを馳せた時、いつの日かアフリカに、祖先たちが帰りたくても二度と帰ることのかなわなかった祖国に根差し、アフリカの芸能に自分が役立てるように尽力したいと願っていたそうです。

アメリカンアイドルならぬナイジェリアンアイドルの審査員してまーす^^
現在彼が熱心に行っているナイジェリアのエンタメ界を盛り上げる活動。
直接のきっかけは別にありますが、この父親との邂逅で自らのリアルなルーツを知ったことも、そこにつながる大きな要因の一つだったのではないかと思います。
そして、同時にその時、父親の家系の中で、にわかに信じられないほどの驚くべき話を聞くのです。
ジェフリーは「ダニエル」という一族の歴史を、自分の祖父や祖母らのことを、父親が母とどのように巡り合ったか、など色々な家族の歴史を父親から教えられます。
そこで知ることになる事実。
自分のダニエル家とジャクソン家という一族の繋がりでした。
父が話してくれた手がかりは、ジェフリー本人にしてもあまりに情報不足で、でも一度マイケルに確かめずにはいられなかったそうです。
Michael , do you have any grandmother named Crystal Jackson ?
マイケル、君のおばあさんに「クリスタル・ジャクソン」という名前の人はいるかい?
How did you know?
どうしてわかったの?
ジェフリーは父親から家系図を見せられて確信したそうです。
自分とマイケルが親戚だということを。
ダンスを教えたり、仕事を一緒にしたり、という以上に深いつながりが自分たちにはあったということを。
そんなこと何も知らずに、何年もの間マイケルと一緒に過ごしていたのだと。
結局マイケルとこの話をしっかり話し合ったことはなかったそうですが、ジャメイン、マーロン、リビーとは話をしたそうです。
Source:Jeffrey Daniel…The dance machine’s hooked on Nigeria
マイケルの父であるジョーのお父さんが Samuel サミュエル。
お母さん、つまりマイケルの祖母がクリスタル Crystal Lee King(Jackson)。(クリスタル・キングっていっても「大都会」や「北斗の拳」は今関係ないからw)

Samuel Jackson and Crystal Lee King
ジョーの著書(息子マイケル・ジャクソンへ)によると、結成したばかりのジャクソン5でボンゴを必死に叩く幼いマイケルの歌の才能をいち早く認め、「マイケルに歌わせてみなさい」とジョーに勧めたのが、このクリスタルおばあちゃんだったとか。
サミュエルの祖父は先住民族チョクトー族の出身でした。
奴隷階級の美しい娘と恋におちて子供をもうけます。
その子供がマイケルの曽祖父となるのですが、ネイティブ・アメリカンとアフリカからの血がここで混ざるわけですね。
クリスタルの場合も多人種が融合された血筋です。
彼女の祖母にあたる女性が、Mattie Daniel マッティ・ダニエル。
彼女の母は大きな農場主の娘で白人でしたが、当時絶対的なタブーであった奴隷の立場である黒人男性の子供を身ごもり、そうして生まれたのがマッティでした。
烈火のごとく怒った農場主は、マッティを孫とは認めず別の黒人家庭へ養子に出してしまいます。
奴隷の子供は奴隷。
それが当たり前の時代に、彼女は苦難を強いられながら2度の結婚を通じて17人の子供を授かります。
そのうちの一人がGertrude ガートルード(マイケルの曾祖母)。
彼女も子供を13人もうけます。そのひとりがクリスタルでした。
ちなみにマイケルに関して言えば、Joe(父方)のルーツだけでも、アフリカはもとよりチョクトーインディアンの血も白人の血も含まれる、本当に多様な人種のDNAの上に成り立ったブラック・アメリカンだというわけですね。
彼のこの多人種の血筋からあらためてわかることがたくさんあって、このままそのお話に行きたい欲望もあるにはあるのですが、それだとまたもやぐだぐだになることが目に見えていますので(笑)、また別の機会に書きたいと思います。

ジェフリーに戻ると。
ダニエルと言う姓からわかるように、マイケルがボーカルをとるきっかけを作ってくれたクリスタルおばあちゃんの祖母にあたる、このマッティ・ダニエルという女性からクリスタルにつながる世代・・
クリスタルの名前がキーワードになったことから、彼女の12人の兄弟から派生した家系がジェフリーのダニエル家だったのかもしれないですね。
いやー・・ジェフリーも驚いたかもしれませんが、わたしも驚きましたよ(関係ないですけどw)
ジェフリーがマイケルを弟のように感じたのは、あながち自分に男兄弟がいないから、というだけではなく、なんていうか血のつながりを無意識に感じたからかな。
この事を知って、やっぱりどうしてもジェフリーのことは書いておきたいと強く思ったんですよね。
マイケルに関わり、彼を大切に思っていた人は多いと思うけれど、ジェフリーも間違いなくマイケルとの関わりを自分の人生の中で大切に思っているひとりだと思います。
ジェフリーは自身のホームページに、「Thank you 感謝をささげる」として、家族やシャラマーのメンバーをはじめ、色々な人を挙げています。
Special Peopleとして、自分のダンスに多大な影響を与えたロッキングの父、偉大なるロッカー、ドン・キャンベルや触発されて刺激を受けたであろう、ポッピングの創始者、ポッパーのブガルー・サム・・
ジャネット、ランディ、マーロン、ラトーヤ、Babyfaceやポール・マッカートニー、寛斎さんやコシノミチコさんの名前もあります。
北海道に住んでいた時ラジオのDJもしていたようで、ちゃんと札幌のFM局の名前までありました^^
もちろんマイケルもいます。
でもまた涙腺がじんわりしたのは、マイケルがもうひとつのカテゴリー内にいるのを見たから。
それは My Dance Brothers
僕のダンスブラザー
冗談とダンスの好きなどこにでもいる普通のブラザーとして付き合った長い年月。
同じ遺伝子を分け合い、同じルーツにつながる弟のような存在。
Thank you ページに、ジェフリーのマイケルへの思いが込められたメッセージも綴られていました。
訳しているうちに泣けて仕方なかった。
ジェフリーはマイケルが「MJ」を守らねばならないこともわかっていたし
でも普段はただのマイケルでいたいのもわかっていたし
彼らの結びつきの中には、ムーンウォークを誰が始めたのだの、誰に教わっただの、クレジットする、しないの是非などは全く問題ではなくて、お互いに「いい奴」で「Good Dance Brother」で、それで十分だったことが
少なくともジェフリーはそうだったことがわかります。
BAD25ドキュメンタリーでジェフリーを見て、彼のいろいろを思い出して、あらためて調べてよかったと思ってます。
こうして紹介できたこともよかったと思います。
必要以上に飾り立てることなく、純朴に・・ぽつぽつと語っているような、ジェフリーのマイケルへの想いを転載させていただいて、今日はお別れです。
いつも長くてすみません。
それでは。
From the official website of Jeffrey Daniel (Shalamar)
Dear friends
親愛なる友よ
君への感謝と、君を失って悲嘆にくれる涙を流しながら、どうこのメッセージを書けばいいのか・・
感謝からこみあげる涙、それはマイケル・ジョセフ・ジャクソンが僕らに長年にわたって与えてくれた・・彼の天使のように美しい歌声と、たぐいまれないパフォーマンスに対する涙です。
世界は真に特別な魂を失ってしまいました。
もうこの世界には、マイケル・ジャクソンのような魂はどこにもいないのです。
このショックと悲しみを乗り越える方法として、君はすでにもう、はるか高みに上り、天上の父なる神に「息子よ、よくやった」と迎え入れられているのだと思うことにしているよ。
僕が君のキャリアの一端を担う一員になれたことを誇りに思います。
そして君が僕のダンスブラザーでいてくれた事を、本当に光栄に思っています。
優しく思いやりのある人間である君と一緒に働く幸運に恵まれた、沢山のミュージシャン、ダンサー、ディレクター、シンガーたちと同じように、僕を信頼して作品に参加させてくれた君に、僕はどんなに感謝しても足りないぐらいです。

Michael Jackson and Jeffrey Daniel at their private lesson (Source: DDD Magazine Oct 2010)
どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください。
彼は、彼の芸術と愛で僕たちみんなを癒やそうとすることにとても大きな役割を果たしたのです。
マイケルを育て、彼を世界と分かち合った、その最愛の彼を失って嘆き悲しむ彼の両親や家族が強くいられるよう祈りましょう。
このことは僕の人生の中でも最悪なことのひとつだけれど、神の慈悲で何とか心を強く持とうとしています。
僕らの愛するマイケル・ジョセフ・ジャクソンの美しい魂に神のご加護を。
どうか彼のために、彼の家族、ことさら彼の愛する子供たちのために祈ってください。
Love, Jeffrey Daniel
愛を込めて ジェフリー・ダニエル

Please listen to his songs and reflect on his influence on your life and this world.
どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください
Study the greats and Become greaterシリーズの中では、もうさすがに書ききれなかったのだけど、ジェフリーがマイケルについて語ってくれた言葉を、どうしても書きたいの(書けば?ってね、そうねそうよねくすん)
DDD(2010年10月号)誌のインタビューでおそらく1995~1997年頃の話だと思います。
なぜなら途中でディズニーアニメのトイ・ストーリーの話が出てくるのですが、アメリカの公開が95年で、彼らの会話の内容から察するに、公開から少し経っているような感じだったので。
ジェフリーはMJJプロダクションのレコードレーベル(甥っ子3Tがこのレーベルでデビューしていますよね)のコンサルタントになった95年から97年頃まで、Ghostsに関わったりマイケルと一緒にブラジル(TDCAU撮影?て、誰に聞いてるんだYOw)、ドイツ、イギリス(これはHIStory tour?だから誰に聞いてるんだっつーw)に同行したと語っています。
DDD誌 2010年10月号インタビューより一部抜粋 --------------------
マイケルの住んでいたネバーランド牧場に招待され、10日ほど滞在していた日々は私にとって生涯忘れることのできない大切な思い出です。
ある日、マイケルが部屋に私を呼んで、「Jeffrey, Have you already watched Toy Story? ジェフリー、「トイ・ストーリー」はもう観た?」って聞くのです。
実はすでに観ていたのですが、私は嘘をつきました。
「ううん、まだなんだ」「Ok, then let's go to see it. It's on now! じゃあ、映画館で今やっているから観に行こうよ!」
ネバーランドには大きな映画館もありましたからね。
私たちは敷地の中をゴルフカートで移動していました。
私が選んだのは「バットマン」のロゴが描かれたカートです。
マイケルのカートにはカバーがかけられていました。

こんなんかな~^^
ある夜、マイケルが「Let's walk. no golf carts. 今夜はゴルフカートをやめて2人で歩かない?」と言いました。
月の美しい夜でした。
それで2人で散歩をしたのです。
プールわきを通り、ゲームセンターも通り過ぎた時、芝生の上にシカが歩いているのを見つけました。
「ヘイ、マイケル!シカがいるよ!」「Yeah, they always come out and play. 彼らはしょっちゅう遊びにくるんだ」って。
その夜は本当に長い時間、いろいろな事、子供時代のことや結婚観、人生について話しました。
彼と一緒に撮った写真や映像がないのは残念ですが、彼との思い出はすべて私の心に残っています。
私は彼といる時、カメラやビデオを取り出したことはありません。
何故なら、いつでも彼にリラックスしてもらいたかったからです。
誰かが彼の前でカメラを出したりすると、彼は1人の人間ではなく「マイケル・ジャクソン」という名前のエンターテイナーにならなければなりませんから。

私はマイケルをスターとして特別に扱ったりはしませんでした。
彼と一緒に働いていた時は彼が私のボスになるわけですが、その時でさえも一対一の人間同士の付き合い方です。
私は彼に対しても他のダンスブラザー達とまったく同じように接していたのです。
マイケル自身も私のそのような接し方に感謝してくれているようでした。
マイケルとわたしの関係が長く続いたのもこのような理由があるからかもしれません。
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ジェフリーが「マイケルと一緒に居る時に写真を撮ったりはしなかった」と話す通り、本当に彼ら二人の写真は少ない、というかほとんどない。
BADの12インチシングルのジャケット写真が唯一公式な雰囲気の写真です。

DDD誌に載っていたおそらくマイケルのネバーランドのダンススタジオで、ふたりおそろいのフェドラをかぶって踊っている写真は、ネット上では見つけることができませんでした。
以前、レジェンドさんのサイトで読ませていただいた、95年にネバーランドで催された「第2回 世界子供会議」にラッキーなことに参加できたファンの親子さんのレポートを思い出しました。
初めはお子さんより興奮して嬉しさを抑えきれないママ(わかるw)でしたが、徐々にネバーランドが存在する本当の目的を知るうちに考え方が変わってきます。
子供らしく楽しむことが様々な事情でできない子供たちや、恵まれない弱い立場にいる人たちのためを一番に考えて設計され、彼らが心底リラックスして過ごせるよう考え抜かれた施設やルール、そして彼らの楽しみをサポートしてくれるプロフェッショナルな教育を受けた一流スタッフたち・・それらに触れているうちに、ママさんは、「大好きなマイケルに一目会いたい」とか「ネバーランドを訪れた記念になるものを何でもいいから持ち帰りたい」といった、ファンであればどうしても感じてしまう欲望よりも、マイケルの心や高い志を理解したい気持ちの方が大きくなっていきます。
そしてお子さんに教えられるママさん。
「マイケルはね、スターマイケル・ジャクソンじゃなくて人間マイケル・ジャクソンとして接して欲しいんだって。
だからね、キャーとかサインしてとか 大きな声を出しちゃいけないの。
走り寄ったりプレゼントを渡しちゃあダメなんだよ。 わかった? お母さん。」
「ハイ」
「日本に帰って友達や周りの人に話す時、マイケルの顔がああで 声がこうでという事は二の次なんだよ。
マイケルってこんな人なんだよって、彼の優しさ・心の広さ・人間的に素晴らしいって事を伝えるのが、私達の使命だからね。」←いい子!この子いい子ー!
Source:Legend Of MOONWALK (会員体験レポート【 第2回 世界子供会議に参加して 】)
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マイケルにとって当時のネバーランドは、多くの人に門戸を広げた癒しのテーマパークでもありましたけれど、彼の願いや希望、想いのたけをすべて体現させた場所でもあり、くつろげる自宅でもありましたから・・

ここで普通にすれ違われることが、彼にとってはなによりの安らぎで
どこを歩いていようが、何をしてようが、誰にも注目されず指も指されず、カメラを向けられることもない、そんな普通の人なら極めて普通の状態が、彼にも許された唯一の場所
だ、だめだ泣けてくる(/_;)
ま、そういうことで、(すばやく切り替え!w)ジェフリーはマイケルにきちんと礼儀を尽くして接していたわけですね。
マイケルが類いまれない才能を持ったまばゆい存在であることを承知の上で、でもお互い一対一の人間同士の付き合い方をする。
普通に考えれば当たり前なのでしょうけれど・・。
実際のところ、その後ジェフリーは日本へ拠点を移したせいもあり、マイケルとゆっくり会うことはなくなり、たまに電話で連絡をとる関係だったそうです。
2006年にアイルランドにいたマイケルに、ロンドンから電話をかけて近況を報告しあったのが、ゆっくり話した最後だったそう。
ですが、ジェフリーは2008年にイギリスの雑誌のインタビューで、マイケルの擁護と同時にメディア批判をしています。
イギリスのタブロイド(SUN)に端を発し、メディア全体で使われるようになってしまったあの失礼な呼び名で彼が呼ばれることと、罪もない彼に対するいまだ尾を引いていた冷淡な扱われ方についてです。
イギリスのメディアはいまだにその呼び名を使うことがあって、そんな時は本当に心から落胆させられます。
彼らの言い分は「親しみを込めて」なんだそうですが、勝手な言い訳にしか聞こえませんし、当然のことながらマイケルは決してそれを容認せず生涯嫌っていた呼び名です。
■20/20 Interview with Barbara Walters(1997)
You should not say, “He’s ‘Jacko’.”
I’m not a ‘Jacko’. I’m Jackson.
あなた方メディアは「彼はジャッコだ」などと言うべきではありません。
僕はジャッコではないのです。僕はジャクソンです。
‘Wacko Jacko’… where’d that come from? Some English tabloid.
I have a heart and I have feelings.
I feel that when you do that to me. It’s not nice.
Don’t do it. I’m not a ‘wacko’!
Wacko Jacko・・なんてどこからきたのでしょう?イギリスのタブロイド雑誌ですね。
僕には心もあるし感情だって持っています。
そんなことを言われたら思いますよ。とても不愉快だって。
その呼び名はやめてください。僕は「変人」なんかじゃないんです。

■TV-Guide "The man in the mirror" Interview (2001)
Q:世間では‘Wacko Jacko’と呼ばれていますね
But that’s not nice. They do that because they’re jealous.
I haven’t done anything.
I go to hospitals and orphanages. And we take huge bags of toys. I spend thousands of dollars.
What’s wacko about that?
どうかと思います。彼らは嫉妬しているからそんな風に言うのでしょう。
僕は(そんな風に言われることなど)何もしていません。
病院や孤児院へ行くんです。おもちゃでいっぱいの大きな袋を持ってね。数千ドル使って。
そのことがどう変わっているというのでしょう?
■ジェフリー 2008年5月10日インタビューより一部抜粋 (source:The VOICE)
ジェフリー・ダニエル(この人は今週、ロンドンでパフォーミングした)は、「ジャクソンがWacko・Jackoのレッテルを貼られるようなことには全く値しないし、児童虐待者のように描かれるべきではない」とThe Voiceに語りました。
ジャクソンは、過去に、2つの児童性的虐待主張および裁判に直面しました。
彼はすべての容疑に対し無罪と宣告されました。
ダニエルは、多発性硬化症、癌および他の末期疾患で死ぬ恵まれない子どものために、ジャクソンがした沢山の親切な行いを見てきたと言いました。
「私はNeverlandに滞在して、そこにあったものを見た。
そこに滞在していた子供たちにも会っているんだ。
(メディアが云うようなことは)全く納得できない。意味不明だ。
私が知っている限り、彼はその種の人間なんかじゃない
マイケルは何も言わないが、私は、彼がどんなことをしてきたかを見てきたんだ。
彼の最大の罪は彼の博愛主義と謙虚さだ。それが彼にとって裏目に出てしまった。
あいつらは彼の後にまとわりついていた奴らなんだ。
彼はもっと早くにガードを固くするべきだったのにそうしなかった・・オープンで寛大な人間であるがゆえにこんなことに・・本当に気の毒に思うよ。
有罪判決を下されて刑務所にいるリハビリ中の人々に対しては、メディアがとても寛容というのはおかしくないか?
なのに無罪判決をうけた人には、こんなふうにネガティブに描くなんてあまりにも不当だと思う。
<中略>

ダニエルは、人々がマイケル・ジャクソンをムーンウォークの生みの親だとして賞賛することに対して、自分が無視されただなんて思っていないと言いました。
問題についてのインターネット討論に関して、ダニエルは次のように言いました。
「それはファン同士の問題だよ。
マイケル・ジャクソンと僕には、お互いへの愛情と尊敬しか持っていない。
マイケルは僕のダンスブラザーズのひとりなんだから、マイケルのダンスの功績によって、僕がないがしろにされたなんて一切感じた事ないよ。」
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・・泣ける(/_;)
1955年8月24日生まれ。
マイケルと3年と5日違い。
お姉さんしかいないジェフリーは、マイケルのことを時に弟のように思っていたそうです。
生まれた時にすでに両親は離婚していたため、お父さんを知らずに育ったジェフリー。
お母さんは教会でピアノを弾く仕事で一生懸命一家を養います。
貧しかったけれど、歌とダンスが得意だった母と姉の影響で、彼も教会の聖歌隊で歌い、独学でダンスを始めるようになるのです。
母が元気な間は、父の存在はほとんど頭になかったジェフリーでしたが、2005年に最愛のお母さんを亡くしてしばらくたった頃、「自分はいったい何者なんだろう」と、自分の中に流れる「ダニエル」というルーツについて考えるようになったといいます。
その後、生まれてから一度も逢ったことのなかった父に逢い、はじめて自分のルーツ、自分の血脈の歴史を知ります。
彼ははるかはるか遠い昔に、自分の祖先が奴隷船に詰め込まれて、アフリカから海を渡って連れてこられた見知らぬ土地で、歯を食いしばり苦難と逆境と失意の中で闘い、いつか自分たちの子孫が自分たちのように苦しまなくてもいい時代が来ることを夢見て祈り続けて耐え忍んだ、その長い歴史に思いを馳せた時、いつの日かアフリカに、祖先たちが帰りたくても二度と帰ることのかなわなかった祖国に根差し、アフリカの芸能に自分が役立てるように尽力したいと願っていたそうです。

アメリカンアイドルならぬナイジェリアンアイドルの審査員してまーす^^
現在彼が熱心に行っているナイジェリアのエンタメ界を盛り上げる活動。
直接のきっかけは別にありますが、この父親との邂逅で自らのリアルなルーツを知ったことも、そこにつながる大きな要因の一つだったのではないかと思います。
そして、同時にその時、父親の家系の中で、にわかに信じられないほどの驚くべき話を聞くのです。
ジェフリーは「ダニエル」という一族の歴史を、自分の祖父や祖母らのことを、父親が母とどのように巡り合ったか、など色々な家族の歴史を父親から教えられます。
そこで知ることになる事実。
自分のダニエル家とジャクソン家という一族の繋がりでした。
父が話してくれた手がかりは、ジェフリー本人にしてもあまりに情報不足で、でも一度マイケルに確かめずにはいられなかったそうです。
Michael , do you have any grandmother named Crystal Jackson ?
マイケル、君のおばあさんに「クリスタル・ジャクソン」という名前の人はいるかい?
How did you know?
どうしてわかったの?
ジェフリーは父親から家系図を見せられて確信したそうです。
自分とマイケルが親戚だということを。
ダンスを教えたり、仕事を一緒にしたり、という以上に深いつながりが自分たちにはあったということを。
そんなこと何も知らずに、何年もの間マイケルと一緒に過ごしていたのだと。
結局マイケルとこの話をしっかり話し合ったことはなかったそうですが、ジャメイン、マーロン、リビーとは話をしたそうです。
Source:Jeffrey Daniel…The dance machine’s hooked on Nigeria
マイケルの父であるジョーのお父さんが Samuel サミュエル。
お母さん、つまりマイケルの祖母がクリスタル Crystal Lee King(Jackson)。(クリスタル・キングっていっても「大都会」や「北斗の拳」は今関係ないからw)

Samuel Jackson and Crystal Lee King
ジョーの著書(息子マイケル・ジャクソンへ)によると、結成したばかりのジャクソン5でボンゴを必死に叩く幼いマイケルの歌の才能をいち早く認め、「マイケルに歌わせてみなさい」とジョーに勧めたのが、このクリスタルおばあちゃんだったとか。
サミュエルの祖父は先住民族チョクトー族の出身でした。
奴隷階級の美しい娘と恋におちて子供をもうけます。
その子供がマイケルの曽祖父となるのですが、ネイティブ・アメリカンとアフリカからの血がここで混ざるわけですね。
クリスタルの場合も多人種が融合された血筋です。
彼女の祖母にあたる女性が、Mattie Daniel マッティ・ダニエル。
彼女の母は大きな農場主の娘で白人でしたが、当時絶対的なタブーであった奴隷の立場である黒人男性の子供を身ごもり、そうして生まれたのがマッティでした。
烈火のごとく怒った農場主は、マッティを孫とは認めず別の黒人家庭へ養子に出してしまいます。
奴隷の子供は奴隷。
それが当たり前の時代に、彼女は苦難を強いられながら2度の結婚を通じて17人の子供を授かります。
そのうちの一人がGertrude ガートルード(マイケルの曾祖母)。
彼女も子供を13人もうけます。そのひとりがクリスタルでした。
ちなみにマイケルに関して言えば、Joe(父方)のルーツだけでも、アフリカはもとよりチョクトーインディアンの血も白人の血も含まれる、本当に多様な人種のDNAの上に成り立ったブラック・アメリカンだというわけですね。
彼のこの多人種の血筋からあらためてわかることがたくさんあって、このままそのお話に行きたい欲望もあるにはあるのですが、それだとまたもやぐだぐだになることが目に見えていますので(笑)、また別の機会に書きたいと思います。

ジェフリーに戻ると。
ダニエルと言う姓からわかるように、マイケルがボーカルをとるきっかけを作ってくれたクリスタルおばあちゃんの祖母にあたる、このマッティ・ダニエルという女性からクリスタルにつながる世代・・
クリスタルの名前がキーワードになったことから、彼女の12人の兄弟から派生した家系がジェフリーのダニエル家だったのかもしれないですね。
いやー・・ジェフリーも驚いたかもしれませんが、わたしも驚きましたよ(関係ないですけどw)
ジェフリーがマイケルを弟のように感じたのは、あながち自分に男兄弟がいないから、というだけではなく、なんていうか血のつながりを無意識に感じたからかな。
この事を知って、やっぱりどうしてもジェフリーのことは書いておきたいと強く思ったんですよね。
マイケルに関わり、彼を大切に思っていた人は多いと思うけれど、ジェフリーも間違いなくマイケルとの関わりを自分の人生の中で大切に思っているひとりだと思います。
ジェフリーは自身のホームページに、「Thank you 感謝をささげる」として、家族やシャラマーのメンバーをはじめ、色々な人を挙げています。
Special Peopleとして、自分のダンスに多大な影響を与えたロッキングの父、偉大なるロッカー、ドン・キャンベルや触発されて刺激を受けたであろう、ポッピングの創始者、ポッパーのブガルー・サム・・
ジャネット、ランディ、マーロン、ラトーヤ、Babyfaceやポール・マッカートニー、寛斎さんやコシノミチコさんの名前もあります。
北海道に住んでいた時ラジオのDJもしていたようで、ちゃんと札幌のFM局の名前までありました^^
もちろんマイケルもいます。
でもまた涙腺がじんわりしたのは、マイケルがもうひとつのカテゴリー内にいるのを見たから。
それは My Dance Brothers
僕のダンスブラザー
冗談とダンスの好きなどこにでもいる普通のブラザーとして付き合った長い年月。
同じ遺伝子を分け合い、同じルーツにつながる弟のような存在。
Thank you ページに、ジェフリーのマイケルへの思いが込められたメッセージも綴られていました。
訳しているうちに泣けて仕方なかった。
ジェフリーはマイケルが「MJ」を守らねばならないこともわかっていたし
でも普段はただのマイケルでいたいのもわかっていたし
彼らの結びつきの中には、ムーンウォークを誰が始めたのだの、誰に教わっただの、クレジットする、しないの是非などは全く問題ではなくて、お互いに「いい奴」で「Good Dance Brother」で、それで十分だったことが
少なくともジェフリーはそうだったことがわかります。
BAD25ドキュメンタリーでジェフリーを見て、彼のいろいろを思い出して、あらためて調べてよかったと思ってます。
こうして紹介できたこともよかったと思います。
必要以上に飾り立てることなく、純朴に・・ぽつぽつと語っているような、ジェフリーのマイケルへの想いを転載させていただいて、今日はお別れです。
いつも長くてすみません。
それでは。
From the official website of Jeffrey Daniel (Shalamar)
Dear friends
親愛なる友よ
君への感謝と、君を失って悲嘆にくれる涙を流しながら、どうこのメッセージを書けばいいのか・・
感謝からこみあげる涙、それはマイケル・ジョセフ・ジャクソンが僕らに長年にわたって与えてくれた・・彼の天使のように美しい歌声と、たぐいまれないパフォーマンスに対する涙です。
世界は真に特別な魂を失ってしまいました。
もうこの世界には、マイケル・ジャクソンのような魂はどこにもいないのです。
このショックと悲しみを乗り越える方法として、君はすでにもう、はるか高みに上り、天上の父なる神に「息子よ、よくやった」と迎え入れられているのだと思うことにしているよ。
僕が君のキャリアの一端を担う一員になれたことを誇りに思います。
そして君が僕のダンスブラザーでいてくれた事を、本当に光栄に思っています。
優しく思いやりのある人間である君と一緒に働く幸運に恵まれた、沢山のミュージシャン、ダンサー、ディレクター、シンガーたちと同じように、僕を信頼して作品に参加させてくれた君に、僕はどんなに感謝しても足りないぐらいです。

Michael Jackson and Jeffrey Daniel at their private lesson (Source: DDD Magazine Oct 2010)
どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください。
彼は、彼の芸術と愛で僕たちみんなを癒やそうとすることにとても大きな役割を果たしたのです。
マイケルを育て、彼を世界と分かち合った、その最愛の彼を失って嘆き悲しむ彼の両親や家族が強くいられるよう祈りましょう。
このことは僕の人生の中でも最悪なことのひとつだけれど、神の慈悲で何とか心を強く持とうとしています。
僕らの愛するマイケル・ジョセフ・ジャクソンの美しい魂に神のご加護を。
どうか彼のために、彼の家族、ことさら彼の愛する子供たちのために祈ってください。
Love, Jeffrey Daniel
愛を込めて ジェフリー・ダニエル

Please listen to his songs and reflect on his influence on your life and this world.
どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください