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MichaelとJeffreyのお話

タイトル見てジェフリーはもういい、とか言わないでねw
Study the greats and Become greaterシリーズの中では、もうさすがに書ききれなかったのだけど、ジェフリーがマイケルについて語ってくれた言葉を、どうしても書きたいの(書けば?ってね、そうねそうよねくすん)


DDD(2010年10月号)誌のインタビューでおそらく1995~1997年頃の話だと思います。
なぜなら途中でディズニーアニメのトイ・ストーリーの話が出てくるのですが、アメリカの公開が95年で、彼らの会話の内容から察するに、公開から少し経っているような感じだったので。
ジェフリーはMJJプロダクションのレコードレーベル(甥っ子3Tがこのレーベルでデビューしていますよね)のコンサルタントになった95年から97年頃まで、Ghostsに関わったりマイケルと一緒にブラジル(TDCAU撮影?て、誰に聞いてるんだYOw)、ドイツ、イギリス(これはHIStory tour?だから誰に聞いてるんだっつーw)に同行したと語っています。


DDD誌 2010年10月号インタビューより一部抜粋 --------------------

マイケルの住んでいたネバーランド牧場に招待され、10日ほど滞在していた日々は私にとって生涯忘れることのできない大切な思い出です。
ある日、マイケルが部屋に私を呼んで、「Jeffrey, Have you already watched Toy Story? ジェフリー、「トイ・ストーリー」はもう観た?」って聞くのです。
実はすでに観ていたのですが、私は嘘をつきました。
「ううん、まだなんだ」「Ok, then let's go to see it. It's on now! じゃあ、映画館で今やっているから観に行こうよ!」
ネバーランドには大きな映画館もありましたからね。
私たちは敷地の中をゴルフカートで移動していました。
私が選んだのは「バットマン」のロゴが描かれたカートです。
マイケルのカートにはカバーがかけられていました。

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こんなんかな~^^


ある夜、マイケルが「Let's walk. no golf carts. 今夜はゴルフカートをやめて2人で歩かない?」と言いました。
月の美しい夜でした。
それで2人で散歩をしたのです。
プールわきを通り、ゲームセンターも通り過ぎた時、芝生の上にシカが歩いているのを見つけました。
「ヘイ、マイケル!シカがいるよ!」「Yeah, they always come out and play. 彼らはしょっちゅう遊びにくるんだ」って。
その夜は本当に長い時間、いろいろな事、子供時代のことや結婚観、人生について話しました。

彼と一緒に撮った写真や映像がないのは残念ですが、彼との思い出はすべて私の心に残っています。
私は彼といる時、カメラやビデオを取り出したことはありません。
何故なら、いつでも彼にリラックスしてもらいたかったからです。
誰かが彼の前でカメラを出したりすると、彼は1人の人間ではなく「マイケル・ジャクソン」という名前のエンターテイナーにならなければなりませんから。

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私はマイケルをスターとして特別に扱ったりはしませんでした。
彼と一緒に働いていた時は彼が私のボスになるわけですが、その時でさえも一対一の人間同士の付き合い方です。
私は彼に対しても他のダンスブラザー達とまったく同じように接していたのです。
マイケル自身も私のそのような接し方に感謝してくれているようでした。
マイケルとわたしの関係が長く続いたのもこのような理由があるからかもしれません。

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ジェフリーが「マイケルと一緒に居る時に写真を撮ったりはしなかった」と話す通り、本当に彼ら二人の写真は少ない、というかほとんどない。
BADの12インチシングルのジャケット写真が唯一公式な雰囲気の写真です。

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DDD誌に載っていたおそらくマイケルのネバーランドのダンススタジオで、ふたりおそろいのフェドラをかぶって踊っている写真は、ネット上では見つけることができませんでした。

以前、レジェンドさんのサイトで読ませていただいた、95年にネバーランドで催された「第2回 世界子供会議」にラッキーなことに参加できたファンの親子さんのレポートを思い出しました。

初めはお子さんより興奮して嬉しさを抑えきれないママ(わかるw)でしたが、徐々にネバーランドが存在する本当の目的を知るうちに考え方が変わってきます。
子供らしく楽しむことが様々な事情でできない子供たちや、恵まれない弱い立場にいる人たちのためを一番に考えて設計され、彼らが心底リラックスして過ごせるよう考え抜かれた施設やルール、そして彼らの楽しみをサポートしてくれるプロフェッショナルな教育を受けた一流スタッフたち・・それらに触れているうちに、ママさんは、「大好きなマイケルに一目会いたい」とか「ネバーランドを訪れた記念になるものを何でもいいから持ち帰りたい」といった、ファンであればどうしても感じてしまう欲望よりも、マイケルの心や高い志を理解したい気持ちの方が大きくなっていきます。

そしてお子さんに教えられるママさん。

「マイケルはね、スターマイケル・ジャクソンじゃなくて人間マイケル・ジャクソンとして接して欲しいんだって。
だからね、キャーとかサインしてとか 大きな声を出しちゃいけないの。
走り寄ったりプレゼントを渡しちゃあダメなんだよ。 わかった? お母さん。」
「ハイ」
「日本に帰って友達や周りの人に話す時、マイケルの顔がああで 声がこうでという事は二の次なんだよ。
マイケルってこんな人なんだよって、彼の優しさ・心の広さ・人間的に素晴らしいって事を伝えるのが、私達の使命だからね。」←いい子!この子いい子ー!
Source:Legend Of MOONWALK (会員体験レポート【 第2回 世界子供会議に参加して 】)

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マイケルにとって当時のネバーランドは、多くの人に門戸を広げた癒しのテーマパークでもありましたけれど、彼の願いや希望、想いのたけをすべて体現させた場所でもあり、くつろげる自宅でもありましたから・・

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ここで普通にすれ違われることが、彼にとってはなによりの安らぎで
どこを歩いていようが、何をしてようが、誰にも注目されず指も指されず、カメラを向けられることもない、そんな普通の人なら極めて普通の状態が、彼にも許された唯一の場所

だ、だめだ泣けてくる(/_;)


ま、そういうことで、(すばやく切り替え!w)ジェフリーはマイケルにきちんと礼儀を尽くして接していたわけですね。
マイケルが類いまれない才能を持ったまばゆい存在であることを承知の上で、でもお互い一対一の人間同士の付き合い方をする。
普通に考えれば当たり前なのでしょうけれど・・。



実際のところ、その後ジェフリーは日本へ拠点を移したせいもあり、マイケルとゆっくり会うことはなくなり、たまに電話で連絡をとる関係だったそうです。
2006年にアイルランドにいたマイケルに、ロンドンから電話をかけて近況を報告しあったのが、ゆっくり話した最後だったそう。

ですが、ジェフリーは2008年にイギリスの雑誌のインタビューで、マイケルの擁護と同時にメディア批判をしています。
イギリスのタブロイド(SUN)に端を発し、メディア全体で使われるようになってしまったあの失礼な呼び名で彼が呼ばれることと、罪もない彼に対するいまだ尾を引いていた冷淡な扱われ方についてです。

イギリスのメディアはいまだにその呼び名を使うことがあって、そんな時は本当に心から落胆させられます。
彼らの言い分は「親しみを込めて」なんだそうですが、勝手な言い訳にしか聞こえませんし、当然のことながらマイケルは決してそれを容認せず生涯嫌っていた呼び名です。


■20/20 Interview with Barbara Walters(1997)

You should not say, “He’s ‘Jacko’.”
I’m not a ‘Jacko’. I’m Jackson.

あなた方メディアは「彼はジャッコだ」などと言うべきではありません。
僕はジャッコではないのです。僕はジャクソンです。

‘Wacko Jacko’… where’d that come from? Some English tabloid.
I have a heart and I have feelings.
I feel that when you do that to me. It’s not nice.
Don’t do it. I’m not a ‘wacko’!

Wacko Jacko・・なんてどこからきたのでしょう?イギリスのタブロイド雑誌ですね。
僕には心もあるし感情だって持っています。
そんなことを言われたら思いますよ。とても不愉快だって。
その呼び名はやめてください。僕は「変人」なんかじゃないんです。


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■TV-Guide "The man in the mirror" Interview (2001)

Q:世間では‘Wacko Jacko’と呼ばれていますね

But that’s not nice. They do that because they’re jealous.
I haven’t done anything.
I go to hospitals and orphanages. And we take huge bags of toys. I spend thousands of dollars.
What’s wacko about that?

どうかと思います。彼らは嫉妬しているからそんな風に言うのでしょう。
僕は(そんな風に言われることなど)何もしていません。
病院や孤児院へ行くんです。おもちゃでいっぱいの大きな袋を持ってね。数千ドル使って。
そのことがどう変わっているというのでしょう?




■ジェフリー 2008年5月10日インタビューより一部抜粋 (source:The VOICE)

ジェフリー・ダニエル(この人は今週、ロンドンでパフォーミングした)は、「ジャクソンがWacko・Jackoのレッテルを貼られるようなことには全く値しないし、児童虐待者のように描かれるべきではない」とThe Voiceに語りました。
ジャクソンは、過去に、2つの児童性的虐待主張および裁判に直面しました。
彼はすべての容疑に対し無罪と宣告されました。
ダニエルは、多発性硬化症、癌および他の末期疾患で死ぬ恵まれない子どものために、ジャクソンがした沢山の親切な行いを見てきたと言いました。

「私はNeverlandに滞在して、そこにあったものを見た。
そこに滞在していた子供たちにも会っているんだ。
(メディアが云うようなことは)全く納得できない。意味不明だ。
私が知っている限り、彼はその種の人間なんかじゃない

マイケルは何も言わないが、私は、彼がどんなことをしてきたかを見てきたんだ。
彼の最大の罪は彼の博愛主義と謙虚さだ。それが彼にとって裏目に出てしまった。
あいつらは彼の後にまとわりついていた奴らなんだ。

彼はもっと早くにガードを固くするべきだったのにそうしなかった・・オープンで寛大な人間であるがゆえにこんなことに・・本当に気の毒に思うよ。

有罪判決を下されて刑務所にいるリハビリ中の人々に対しては、メディアがとても寛容というのはおかしくないか?
なのに無罪判決をうけた人には、こんなふうにネガティブに描くなんてあまりにも不当だと思う。


<中略>

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ダニエルは、人々がマイケル・ジャクソンをムーンウォークの生みの親だとして賞賛することに対して、自分が無視されただなんて思っていないと言いました。
問題についてのインターネット討論に関して、ダニエルは次のように言いました。

「それはファン同士の問題だよ。
マイケル・ジャクソンと僕には、お互いへの愛情と尊敬しか持っていない。
マイケルは僕のダンスブラザーズのひとりなんだ
から、マイケルのダンスの功績によって、僕がないがしろにされたなんて一切感じた事ないよ。」

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・・泣ける(/_;)


1955年8月24日生まれ。
マイケルと3年と5日違い。

お姉さんしかいないジェフリーは、マイケルのことを時に弟のように思っていたそうです。

生まれた時にすでに両親は離婚していたため、お父さんを知らずに育ったジェフリー。
お母さんは教会でピアノを弾く仕事で一生懸命一家を養います。
貧しかったけれど、歌とダンスが得意だった母と姉の影響で、彼も教会の聖歌隊で歌い、独学でダンスを始めるようになるのです。

母が元気な間は、父の存在はほとんど頭になかったジェフリーでしたが、2005年に最愛のお母さんを亡くしてしばらくたった頃、「自分はいったい何者なんだろう」と、自分の中に流れる「ダニエル」というルーツについて考えるようになったといいます。

その後、生まれてから一度も逢ったことのなかった父に逢い、はじめて自分のルーツ、自分の血脈の歴史を知ります。


彼ははるかはるか遠い昔に、自分の祖先が奴隷船に詰め込まれて、アフリカから海を渡って連れてこられた見知らぬ土地で、歯を食いしばり苦難と逆境と失意の中で闘い、いつか自分たちの子孫が自分たちのように苦しまなくてもいい時代が来ることを夢見て祈り続けて耐え忍んだ、その長い歴史に思いを馳せた時、いつの日かアフリカに、祖先たちが帰りたくても二度と帰ることのかなわなかった祖国に根差し、アフリカの芸能に自分が役立てるように尽力したいと願っていたそうです。

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アメリカンアイドルならぬナイジェリアンアイドルの審査員してまーす^^

現在彼が熱心に行っているナイジェリアのエンタメ界を盛り上げる活動。
直接のきっかけは別にありますが、この父親との邂逅で自らのリアルなルーツを知ったことも、そこにつながる大きな要因の一つだったのではないかと思います。

そして、同時にその時、父親の家系の中で、にわかに信じられないほどの驚くべき話を聞くのです。

ジェフリーは「ダニエル」という一族の歴史を、自分の祖父や祖母らのことを、父親が母とどのように巡り合ったか、など色々な家族の歴史を父親から教えられます。

そこで知ることになる事実。

自分のダニエル家とジャクソン家という一族の繋がりでした。
父が話してくれた手がかりは、ジェフリー本人にしてもあまりに情報不足で、でも一度マイケルに確かめずにはいられなかったそうです。

Michael , do you have any grandmother named Crystal Jackson ?
マイケル、君のおばあさんに「クリスタル・ジャクソン」という名前の人はいるかい?

How did you know?
どうしてわかったの?



ジェフリーは父親から家系図を見せられて確信したそうです。
自分とマイケルが親戚だということを。
ダンスを教えたり、仕事を一緒にしたり、という以上に深いつながりが自分たちにはあったということを。

そんなこと何も知らずに、何年もの間マイケルと一緒に過ごしていたのだと。

結局マイケルとこの話をしっかり話し合ったことはなかったそうですが、ジャメイン、マーロン、リビーとは話をしたそうです。

Source:Jeffrey Daniel…The dance machine’s hooked on Nigeria

マイケルの父であるジョーのお父さんが Samuel サミュエル。
お母さん、つまりマイケルの祖母がクリスタル Crystal Lee King(Jackson)。(クリスタル・キングっていっても「大都会」や「北斗の拳」は今関係ないからw)

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Samuel Jackson and Crystal Lee King

ジョーの著書(息子マイケル・ジャクソンへ)によると、結成したばかりのジャクソン5でボンゴを必死に叩く幼いマイケルの歌の才能をいち早く認め、「マイケルに歌わせてみなさい」とジョーに勧めたのが、このクリスタルおばあちゃんだったとか。

サミュエルの祖父は先住民族チョクトー族の出身でした。
奴隷階級の美しい娘と恋におちて子供をもうけます。
その子供がマイケルの曽祖父となるのですが、ネイティブ・アメリカンとアフリカからの血がここで混ざるわけですね。

クリスタルの場合も多人種が融合された血筋です。
彼女の祖母にあたる女性が、Mattie Daniel マッティ・ダニエル。
彼女の母は大きな農場主の娘で白人でしたが、当時絶対的なタブーであった奴隷の立場である黒人男性の子供を身ごもり、そうして生まれたのがマッティでした。
烈火のごとく怒った農場主は、マッティを孫とは認めず別の黒人家庭へ養子に出してしまいます。

奴隷の子供は奴隷。
それが当たり前の時代に、彼女は苦難を強いられながら2度の結婚を通じて17人の子供を授かります。
そのうちの一人がGertrude ガートルード(マイケルの曾祖母)。
彼女も子供を13人もうけます。そのひとりがクリスタルでした。

ちなみにマイケルに関して言えば、Joe(父方)のルーツだけでも、アフリカはもとよりチョクトーインディアンの血も白人の血も含まれる、本当に多様な人種のDNAの上に成り立ったブラック・アメリカンだというわけですね。
彼のこの多人種の血筋からあらためてわかることがたくさんあって、このままそのお話に行きたい欲望もあるにはあるのですが、それだとまたもやぐだぐだになることが目に見えていますので(笑)、また別の機会に書きたいと思います。

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ジェフリーに戻ると。

ダニエルと言う姓からわかるように、マイケルがボーカルをとるきっかけを作ってくれたクリスタルおばあちゃんの祖母にあたる、このマッティ・ダニエルという女性からクリスタルにつながる世代・・
クリスタルの名前がキーワードになったことから、彼女の12人の兄弟から派生した家系がジェフリーのダニエル家だったのかもしれないですね。
いやー・・ジェフリーも驚いたかもしれませんが、わたしも驚きましたよ(関係ないですけどw)

ジェフリーがマイケルを弟のように感じたのは、あながち自分に男兄弟がいないから、というだけではなく、なんていうか血のつながりを無意識に感じたからかな。

この事を知って、やっぱりどうしてもジェフリーのことは書いておきたいと強く思ったんですよね。


マイケルに関わり、彼を大切に思っていた人は多いと思うけれど、ジェフリーも間違いなくマイケルとの関わりを自分の人生の中で大切に思っているひとりだと思います。


ジェフリーは自身のホームページに、「Thank you 感謝をささげる」として、家族やシャラマーのメンバーをはじめ、色々な人を挙げています。
Special Peopleとして、自分のダンスに多大な影響を与えたロッキングの父、偉大なるロッカー、ドン・キャンベルや触発されて刺激を受けたであろう、ポッピングの創始者、ポッパーのブガルー・サム・・
ジャネット、ランディ、マーロン、ラトーヤ、Babyfaceやポール・マッカートニー、寛斎さんやコシノミチコさんの名前もあります。
北海道に住んでいた時ラジオのDJもしていたようで、ちゃんと札幌のFM局の名前までありました^^
もちろんマイケルもいます。

でもまた涙腺がじんわりしたのは、マイケルがもうひとつのカテゴリー内にいるのを見たから。

それは My Dance Brothers

僕のダンスブラザー


冗談とダンスの好きなどこにでもいる普通のブラザーとして付き合った長い年月。

同じ遺伝子を分け合い、同じルーツにつながる弟のような存在。


Thank you ページに、ジェフリーのマイケルへの思いが込められたメッセージも綴られていました。

訳しているうちに泣けて仕方なかった。

ジェフリーはマイケルが「MJ」を守らねばならないこともわかっていたし
でも普段はただのマイケルでいたいのもわかっていたし

彼らの結びつきの中には、ムーンウォークを誰が始めたのだの、誰に教わっただの、クレジットする、しないの是非などは全く問題ではなくて、お互いに「いい奴」で「Good Dance Brother」で、それで十分だったことが
少なくともジェフリーはそうだったことがわかります。

BAD25ドキュメンタリーでジェフリーを見て、彼のいろいろを思い出して、あらためて調べてよかったと思ってます。
こうして紹介できたこともよかったと思います。

必要以上に飾り立てることなく、純朴に・・ぽつぽつと語っているような、ジェフリーのマイケルへの想いを転載させていただいて、今日はお別れです。

いつも長くてすみません。

それでは。



From the official website of Jeffrey Daniel (Shalamar)

Dear friends

親愛なる友よ
君への感謝と、君を失って悲嘆にくれる涙を流しながら、どうこのメッセージを書けばいいのか・・

感謝からこみあげる涙、それはマイケル・ジョセフ・ジャクソンが僕らに長年にわたって与えてくれた・・彼の天使のように美しい歌声と、たぐいまれないパフォーマンスに対する涙です。

世界は真に特別な魂を失ってしまいました。
もうこの世界には、マイケル・ジャクソンのような魂はどこにもいないのです。

このショックと悲しみを乗り越える方法として、君はすでにもう、はるか高みに上り、天上の父なる神に「息子よ、よくやった」と迎え入れられているのだと思うことにしているよ。

僕が君のキャリアの一端を担う一員になれたことを誇りに思います。
そして君が僕のダンスブラザーでいてくれた事を、本当に光栄に思っています。

優しく思いやりのある人間である君と一緒に働く幸運に恵まれた、沢山のミュージシャン、ダンサー、ディレクター、シンガーたちと同じように、僕を信頼して作品に参加させてくれた君に、僕はどんなに感謝しても足りないぐらいです。

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Michael Jackson and Jeffrey Daniel at their private lesson (Source: DDD Magazine Oct 2010)

どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください。
彼は、彼の芸術と愛で僕たちみんなを癒やそうとすることにとても大きな役割を果たしたのです。
マイケルを育て、彼を世界と分かち合った、その最愛の彼を失って嘆き悲しむ彼の両親や家族が強くいられるよう祈りましょう。

このことは僕の人生の中でも最悪なことのひとつだけれど、神の慈悲で何とか心を強く持とうとしています。
僕らの愛するマイケル・ジョセフ・ジャクソンの美しい魂に神のご加護を。
どうか彼のために、彼の家族、ことさら彼の愛する子供たちのために祈ってください。

Love, Jeffrey Daniel
愛を込めて ジェフリー・ダニエル


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Please listen to his songs and reflect on his influence on your life and this world.
どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください



週刊マンガ世界の偉人8号 「マイケル・ジャクソン」発売!

出ました~^^

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もう本屋で買う前に立ち読みw
すぐに涙腺決壊

あ、まず!やべやべやべ

しかし時は遅しで、仕方なくまた泣きべそ顔でレジへ・・
店員いっきにドンドンびきびきドーン引きw

それぐらいね

期待以上でした。


マーロンがストーリーを進めていく構成で
仕事へ行く前にいつも二人でテレビを見ていた(実際は3バカ大将だけどw)というシーンから始まります。

これ以上はネタバレですけど、もういいやバレてもw


過去記事で書いた通り、絵を担当の竹谷州史せんせいが描いてくださった、生き生きとした笑顔の素敵な少年マイケルが主軸となって、物語は展開していきます。

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かわいー^^



個人的に一番ツボだったのはここー^^
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かわいそうなジャメイン・・ぷぷ(許してくれるよ優しいもんジャメは♪)



とてもページ数が少ないので、せんせいご自身もブログでお書きになっていましたが、とてもマイケルに起こった全ての歴史を盛り込むのは不可能。
それでも限られたページの中に、本当に緻密にお調べいただいて、マイケル側に立った視点で、できるだけきちんとした情報を盛り込もうとしてくださった、その真摯な姿勢が随所に感じられる中身には心から感動です。

マイケルが不出世の素晴らしいエンターテイナーだということはもちろん、世界のためにいつも心をくだいた慈悲の人であること、彼が関わったチャリティに関する記述、肌の色の誤解は尋常性白斑によるものだということ、整形に関しては彼のMOONWALKERの記述を紹介、93年の疑惑ではツアー中だった諸事情で仕方なく和解の道を選んだけれど、2005年にはきちんと無罪を証明したこと、これらが解説部分にきちんと記されていました。

そういう意味では、竹谷せんせいだけではなく、この雑誌の監修にあたられた山口正さん(筑波大付属中学校前副校長)森正人さん(三重大学人文学部准教授)両氏にもお礼を言いたいし、この企画の中でマイケルを推してくださった朝日ジュニア出版の編集部の方々にもお礼を言いたいです。
特に解説部分を手掛けてくださった方々、本当にありがとうございました。




欲を言えば、彼の「お城のような」ネバーランドが、実は自分の欲を満たすものではなく、病気や経済的な事情で、自由に楽しむことができない人達、特に子供たちに開放し、思う存分楽しませてあげることを目的とした施設だったことも盛り込まれていたら、もうもういうことなかったなぁ・・など、贅沢?w



なに熱くなってんだ?って言われるかもしれませんが、わたしにとって「子供向け教育」というカテゴリーにマイケルの本が出るってことは、なんだか特別な感情が生まれてしまうのです。
なんでかっていうと・・て、今まで過去記事で散々うざいほど書いているので、省きますがw

でもきっとわたしだけじゃなく、多くのマイケルファンは同じような特別な気持ちになるんじゃないかな・・と思ったり。



Twitterで竹谷さんがこんなTweetを。(竹谷さんのブログページにTwitterアカウントは公開されています^^)


ありがとうマイケル。おいらがんばったよ。


一緒にTwitpicに上げられた写真を見てまた涙(/_;)
こちらにお写真お借りしようかと思いましたが、やはりそれはやめます。
その代りリンクを。こちらでぜひ!



ね?あー、頑張ってくださったんだなーって
なんだか嬉しいでしょ?(/_;)



こちらこそありがとうございました・・て、わたしがお礼いうのは変だなw


DIOS KE IMPRESION!!!!



こんな風にマイケルが
誰かの心に根差して愛されて大切にされる

そういうのを見たり聞いたり感じられたりすることに
心からしみじみとした喜びと幸せを感じます。


子供たちがこれを読んでマイケルを好きになっていく


ステキなことです
嬉しいことです


マイケルも絶対喜んでいるよね

照れるだろうけど

でも喜びを隠せない人だからきっときらっきらの笑顔で

週刊マンガ世界の偉人8号 「マイケル・ジャクソン」

朝日新聞出版 週刊マンガ世界の偉人8号 マイケル・ジャクソン 

いよいよ3月13日(火)発売です^^

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画像はTwitterでフォローさせてもらっているKアニキからお借りしました♪(His Twitpic is here
あー事後承諾、すみません( ̄ω ̄;)でもやっぱり子供向けだールビだらけー♪


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元はこんな感じ?^^


過去に書きました子供向け教育マンガのお話ですが、その絵を担当された漫画家・竹谷州史さんのブログを読んで、涙でました。

子供向けの読み物にマイケルが登場するのは本当にうれしいけれど、本音を言うと一抹の不安どころか、相当不安だったのが正直な気持ち。
おそらくマイケルファンはみんなそうじゃないかな。
様々な媒体で「それは違うんだけどなぁ・・」とか「そこをきちんとしてくれないかなぁ・・」みたいな経験ばかりしているから。

でも子供向けだからこそ、そんな適当なものにはならないのではないかという期待も少し。


竹谷さんのブログを読むと、やはり描き手側にも相当なプレッシャーがおありになったようで、熱心なファンが多い彼を描くのに失礼のないように、生半可なものではないように・・と、真摯に取り組んでくださったことが伝わってきます。

とにかく読んでいただきたい^^
どうぞ、こちらから。


一番感動したのは、竹谷さんがお書きになってくださったこの文章です。

怒られるかな(汗
ほんの一部だけ引用させてください(ここで言ってもだめか><、でもちょっとだけ)

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私の役目は、お子さんが、「マイケルジャクソン」という稀有な才能に
まず興味を持ってもらえるようにすること……と考え、
漫画パートでは、
「歌とダンスが誰よりも大好きな10歳の少年マイケル」に焦点を置きました。

まあだってマイケルのパフォーマンスは
子供たちが「えー、そんなにすごいの?」と思って
youtubeでも見てくれればすごいのは一目、一聴瞭然ですからね。
そのきっかけになればいいな……という。

不名誉な醜聞については文章ページが
無責任なゴシップではなく正しい情報を載せてくれているはずです。

この本が出版されることによって
2000年代にはやや不当に評価の低かった彼が
もう少し正当な再評価を受けるきっかけに
少しでもなればいいなあ~と
微力ながらも製作に参加した者として願うばかりです。


竹谷州史のブログ(仮)」より引用ここまで
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あー、涙また出てきた(´;ω;`)ブワッ


ありがたい・・

いつか学校の図書室に置かれるかも

マイケルファンの親を持たない子どもさんでも、わたしが小さなころ学校の図書室で「ヘレン・ケラー」を読んだように



「不名誉な醜聞については文章ページが
無責任なゴシップではなく正しい情報を載せてくれているはずです。」

このせんせいの言葉を信じて。


胸をわくわくさせて待とうと思っています。



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マイケルが一番大切に思っていた子供たち

ひとりでもたくさんのちびっこが読んでくれたらいいな



この際マッチョなマイケルでもいいや^^


竹谷せんせい

マイケルのことを沢山想いながら描いてくださって
本当にありがとうございます




マイケルに見せてあげたいなぁ


ファンが描く自分のアートをいつだってとても喜んだ人だもの




うわ・・涙止まらなくなってきた

まいったな・・


うれしいのと
さみしいのと
せつないのと


そんな感じだよ マイケル


The greatest entertainer in the world.

ブレット・ラトナー

彼はクリス・タッカーの映画「ラッシュアワー」シリーズの監督であり、マイケルの友人です。
彼はラッシュアワーの撮影に入る前、主演のクリスが映画の中でマイケルのキックの真似をするシーンを撮るために、マイケルに許可をとりに行ったことがきっかけで友人となり多くの時間を過ごしました。

brett leather mj
May,30,2003

彼は2009年6月26日LAタイムスのインタビューに答えています。(source

マイケルのネバーランドで一緒に映画を何十回も見たこと、クリスも交えてダンス大会のようなものをよくしたこと・・ふたりには音楽や映画、好きなエンターテイナーなど多くの共通点があったのです。
そしてインタビューの最後で彼はこう言っていました。


マイケルの一つの夢、それは世界中の子どもの病気を治すことだった。
僕がそれは無理じゃないかって言うと、彼はつい泣きだしてしまうこともあったよ。
マイケルは自分の心を動かすことには、とても感情的だった。
もやは無垢とはいえないこの世界で、彼こそ純粋無垢な存在だったと思うね。


His one dream was to cure all the sick children in the world.
マイケルの一つの夢、それは世界中の子どもの病気を治すことだった



May,10,2009

We have to be phenomenal...
When people leave this show, when people leave my show, I want them to say,
"I've never seen nothing like this in my life. Go. Go
I've never seen nothing like this. Go.
It's amazing. He's the greatest entertainer in the world.
I'm taking the money, a million children, children's hospital, the biggest in the world, Michael Jackson's Children's Hospital..

僕たちは(このショーを)驚異的に素晴らしいものにしなければ・・
皆がショーから帰る時、皆が僕のショーから帰る時、みんなに言ってもらいたいんだ・・
「今までの人生でこんなショーは観たことがない。すごい、すごいよ、こんなの今まで観たことない
素晴らしいよ、彼は世界最高のエンターテイナーだ」って・・
そのショーで得たお金で、何百万の子供達の、子供病院を、世界で一番大きなマイケル・ジャクソン子供病院を・・

sourceはこちら


公開されたテープの彼の声は眠りに落ちる寸前なのか、何らかの影響下にあるように聞こえますが、彼の特徴のある「Children」の発音と、そして世界中の子供の病気を治す事が彼の夢のひとつだったというブレットのインタビューを読んでいたせいか、これは間違いなくマイケルだと思ったのです。

2005年の裁判以降、子供たちへの愛を口に出来なくなったマイケル・・
でもあれほどのひどい仕打ちにあってさえ、「今までのように出来なくても遠くから僕は人を助けるよ」とママに語っていた通り、彼の信条や信念は揺らぐことなく、消えることなく、なお明々と彼の胸のうちで灯り続けていたのですね。


このコンサートの収益で、世界中の子供たちの病気を治すための病院を作る
それだけのお金を払ってくれる人たちには、ただ素晴らしいじゃなく、驚異的に素晴らしいエンターテイメントを魅せなければ
みなを現実から連れ出して最高の夢の世界を魅せてあげるんだ・・
誰も観たことのない極上のエンターテイメントを・・

だから絶対にやりとげなくてはいけない


マイケルはそう思って必死の努力を重ねていたのでしょう。
もちろんコンサートをやる目的は他にも数々あって、その全てのタイミングがあったからこそ「THIS IS IT」だったのでしょうけれど。


このTIIに関しては報道されない裏側で本当にさまざまな意見があります。
素晴らしいというもの以上に、「嘘を接ぎ貼りした映画」ということで否定しているファンも大勢いますよね・・
特にオルテガに関しては厳しい意見も。

でもわたしはオルテガがずっとマイケルは素晴らしくやる気にみちていたといい続けた気持ちが、先週の証言の際使われた彼のメールで理解できたように思えます。

マイケルの調子が思わしくない事は、メイクのカレン・フェイ、衣装のマイケル・ブッシュらはすでに気づいていてとても心配していたようですが、オルテガも当然わかっていたことで、おそらくコンサートの中止も考えたのではないでしょうか。
それでも彼は何とかしてマイケルをもう一度スポットライトの中へ戻すために「やめない」事を選択したかった・・。
それがマイケル自身の希望でもあったからです。

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オルテガからAEGランディ・フィリップへのメール(2009年6月20日) (source

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Randy,

I will do whatever I can to be of help with this situation. If you need me to come to the house, just give me a call in the morning. My concern is, now that we’ve brought the Doctor in to the fold and have played the tough love, now or never card, is that the Artist may be unable to rise to the occasion due to real emotional stuff. He appeared quite week and fatigued this evening. He had a terrible case of the chills, was trembling, rambling and obsessing. Everything in me says he should be psychologically evaluated. If we have any chance at all to get him back in the light. It’s going to take a strong Therapist to help him through this as well as immediate physical nurturing.

I was told by our Choreographer that during the Artists costume fitting with his Designer tonight they noticed he’s lost more weight. As far as I can tell, there is no one taking responsibility (caring for) for him on a daily basis. Where was his assistant tonight? Tonight I was feeding him, wrapping him in blankets to warm his chills, massaging his feet to calm him and calling his doctor.
There were four security guards outside his door, but no one offering him a cup of hot tea.

Finally, it’s important for everyone to know, I believe that he really wants this… it would shatter him, break his heart if we pulled the plug. He’s terribly frightened it’s all going to go away.
He asked me repeatedly tonight if I was going to leave him. He was practically begging for my confidence. It broke my heart. He was like a lost boy.
There still may be a chance he can rise to the occasion if get him the help he needs.

Sincerely,
Kenny
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ランディへ

私がこの状況下で役に立てるなら何だってします。
あなたの家に私が行く必要があるならば、午前中に電話をください。
私の懸念は、今我々は医師を囲い込み、やるしかないんだという厳しい態度で振舞っていますが、アーティスト・マイケルの今の情緒的要素では難局に対してうまく対処できないであろうということです。
今夜彼は非常に弱って疲れきっているように見えました。
彼は極度の悪寒に震え、とりとめのない様子で落ち込んでいました。
私が言えることは、彼に心理的な診断を受けさせねばならないということです。
彼をスポットライトの中に戻すチャンスが我々にあるならば。
すぐにでも身体カウンセリング、ならびに彼を助ける優秀なセラピストの元へ連れて行くことです。

今夜 彼とコスチュームデザイナーが衣装合わせをしている間、さらに彼の体重が落ちている事に気づいたと、振付師が言っていました。
私が知る限り、毎日彼への責任を担う、つまり彼の世話をする人間は誰もいません。
彼のアシスタントは今夜どこにいたのでしょう?
今夜、私は彼の食事の世話をし、寒さを暖めるために彼を毛布でくるみ、落ちつかせるために足をマッサージし、彼の医者を呼びました。
ドアの外には4人のボディガードがいましたが、カップ1杯の温かいお茶を彼に出す者はいないのです。

最後に、皆が知っておかねばならない一番大切なこと、私は彼がこれ(TIIライブ)を本当に望んでいると確信しています。
もし我々がプラグを抜くように手を引けば、彼の心は壊れ、砕け散ってしまうでしょう。
彼は、すべてがご破算になってしまうことにひどくおびえています。
君は僕の元を去るつもりなのか、と彼は今夜繰り返し私に尋ねました。
彼は実際、私の信頼を乞うていたのです。
胸が張り裂けそうでした。
彼はまるで迷子の少年のようでした。
彼が必要とする助けをしっかり得る事さえ出来れば、彼が立派にやってのける可能性はまだあるのです。

敬具
ケニー

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マイケルはライブをやりたかったから

必死で思い通りにならない怖さと戦って

それは体力の問題もあったかもしれなくて
メンタルの問題もあったかもしれなくて
何より様々なプレッシャーは彼の健やかな睡眠の妨害となって

でもやりたかったから



ファンが聴きたい自分の歌と
ファンが見たくてたまらなかった自分の踊りと
みんなが目を見張る演出を融合させた極上のエンターテイメントを魅せたいから
楽しい現実逃避という夢の時間を過ごさせてあげたいから

大切なメッセージを伝えたいから
今まで伝えてきたことが何一つぶれていない事を伝えたいから
皆を愛でひとつにしたいから

愛する子供たちに見せたいから
パパの仕事を楽しんでみて欲しいから


そして成功させて
直接手を差し伸べる夢の国はもうないけれど
遠くからでもいいから
また子供たちのために、子供たちの助けになりたいから




オルテガは23日と24日に見違えるように輝くマイケルを見て、きっとうまくいく、と思ったのでしょう。
なんとかして絶対にこの難局をくぐりぬけ、マイケルと一緒にコンサートを成功させる方に賭けたのだと思います。
マイケルもきっとそうだったからオルテガを必要としたのでしょう。

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こんな風にここまで必死にいろいろなものと戦ってきた人が、自分からプロポフォールを飲むだなんて事ありえないのです。
なぜなら彼にはロンドンのステージに立つ理由が沢山あったから。
自分の名声のためではなく、全て誰かのための理由が。




胸が張り裂けそうな事実に向き合わねばならない辛い現実が続きます。

ですが、こんな時だからこそ彼の音楽を

世界最高のエンターテイナーの最高のエンターテイメントを



今日からシルク・ド・ソレイユの Michael Jackson The Immortal World Tour がカナダにてスタートしました。

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マイケルが素晴らしいエンターテイナーであったからこそ、このショーは成立するのです。
この時期に、このようなショーが始まり、マイケルの音楽を讃えることはとても重要だと思います。
ショッキングな報道にではなく、彼のアートに注目する事が本当の敬意なのだと思うからです。


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Michael

YOU are the greatest entertainer in the world.

We always know it.


「The Innocent Man」とプランB その2

前回の続きです。

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ママは床に崩れ落ちて泣くマイケルに「神様は本当のことをお分りくださっているわ、神様はご存知でいらっしゃるわ」と何度も繰り返したそうです。
マイケルの背中の痛みがひどいので抱きしめる事はできなかったけれど、ジャメイン、ジョセフ、ママの3人はマイケルを囲んで彼を慰めました。
弟にジャケットを着せながらジャメインは言います。

「強くいよう、マイケル。きっとすべてうまくいくから」

その後落ち着きを取り戻したマイケルは皆に謝ってこう言ったそうです。

I'm strong. I'm OK.
「僕は強いよ、大丈夫」


ジャメインは数日後にまた来る事を約束してひとり病院を出ます。
その後、仕事先のホテルで彼は、パジャマと黒いジャケット、ただ今度は白いTシャツを着て、傘を差し掛けるボディガードとジョセフに支えられながら、病院にいた時と同じようにふらふらと足を引きずるようにして歩く弟の姿をテレビで見た途端、電話の受話器をとりあげ、ある人物に電話をかけます。

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ジャメインは万が一のことを考えて、ある信頼できる人物に、正義と言う欺瞞の名の下にありもしない罪による刑を下すかもしれない、この自由の国であるはずの母国の司法から、マイケルと彼の家族ごと追っ手の来ない中東(バーレーン)へ逃がす算段をとりつけていました。
プライベートジェットやパイロット、その他この作戦(「プランB」とジャメインは言ってます)に必要な手はずが全て整っていることを確認するためでした。
マイケルに対するあまりにひどい仕打ちによって、これ以上ないほど痛めつけられている弟の完全に憔悴した姿は、(実際はそんなことは不可能だったでしょうけれど)兄である彼に、本気でこのような計画を考えさせるに十分な動機となったのでした。
(この話はニュースにもなりました。ニュース記事はこちら

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そのジャメインのプランBがいいか悪いかは別にして、わたしはそうまでしてでも、弟をこの苦痛極まりない過酷な状況から逃れさせたいと願う彼の兄としての強い愛情を感じました。
それはそもそもありもしない罪状で、裁判が始まっているという事だけでも信じがたいのに、このうえ受ける必要のない刑を下されるなんて事になったら・・
この裁判自体に不信を抱き司法を疑っていた兄の、弟のために何かやらずにいられなかった気持ちが痛いほど伝わってきました。

ジャメインはテレビのインタビューで意地の悪い質問に対し、そのように考えた理由を語っています。

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ジャメイン:自分の弟に意味も無く手錠がかけられているのを見たとき--9つの罪状で?なんだそれ?それと同時に、いや訴訟の前からだよ、児童相談所が彼を調べて、調査して、何も出てこなかったんだ。
彼もそれは分かっていた。色んな事が同時に行われていて、僕はそれを見ていて--

司会者:怖れていたのね。

ジャメイン:怖れる?

司会者:もしかしたら彼が罪を免れないかもって怖れていた…訴訟が失敗に終わらないかもと。

ジャメイン:公平な審判が受けられないかも、だ。彼が倒れて、病院に行ってから戻ったとき、裁判長が「もし45分以内に戻らなければ刑務所行きだ」と言ったのを聞いてからは。彼らの望みはそういうことなんだ。僕は思ったよ。「これで公平な審判が下るのか?」って。法がどういう風に転がるかは知っている。そして、僕は祈って、祈って、祈って。それからトム・メゼロウ氏と話した。彼は大丈夫だと言ったんだ。だから法を信じることにした。これは判決が下る前のことだよ。誰も知らなかったことだ。


以上、このインタビュー部分はこちらのMJブログさんから一部転載させていただきました。
インタビュー動画も見れるようになっていて、ありがたくも訳してくださっています。
この意地悪な司会者の背景やジャメインが真摯に答えている様子が良くわかると思いますので、ぜひごらんいただければと思います。


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もちろんマイケルにはこんな事知らせていなかった、とジャメインは書いています。

ですが

ひょっとしたらマイケルは、具体的なことは知らなくてもそういう動きを薄々感づいていたかも・・と思ったりしました。

昨年オークションに出品された彼の手書きの歌詞。
これはちょうど2005年のまさにこの裁判中に書かれたとされています。
タイトルの左に「Chorus」とあるので、マイケルは詩というよりもやはり歌詞として書いたのだと思われます。

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The Innocent Man

If I sail to Acapulco or Cancoon(Cancun) Mexico
There the law is waiting for me
and God knows that I’m innocent

If they wont take me in Cairo
then lord where will I go?

I’ll die a man without a country
and only God knew I was innocent now.

もし僕が アカプルコかメキシコのカンクンへ船で渡ったとして
そこでも僕を待っているのは法律だ
神は僕の無実をご存知だけれど

もしも彼らがカイロに僕を連れていかなければ
その時、主よ 僕はどこに行けば?

僕は国のない男として死ぬだろう
神だけは初めから、そして今も僕が無実だと知っていらっしゃるけれど




少し意訳が過ぎているかもしれませんが、ジャメインの記述を読んだ後あらためてこの詞を読むと、やはりマイケルは気がついていたのではないかと思われてならないのです。

彼が別荘を持っていたとされるカンクンへ船で行くというのが、密かに目立たないようにというニュアンスを感じてしまいます・・とはいえ、マイケルはよもや自分のためにDC8プライベートジェットが待機していたなんて思いもよらなかったと思いますが・・
方法はどうであれ、仮に自分が南米に行ったところでアメリカの法律が自分を捕まえる(引渡し条約が締結されているという意味)と思ったのではないでしょうか。
そのような取り決めがない中東、という意味ならカイロという固有名詞が出てきてもおかしくないなと。(彼はバーレーンという具体的なことは知らなかったでしょうから)
誰かわからないけれど、ジャメインが算段をつけてくれたThey「彼ら」が中東に自分を連れて行けなければ、もうどこへ行っても無駄なのだ、どこへ行けば自分の無実が証明できるんだ?という思い・・
このまま万が一冤罪で有罪になってしまったなら、もう自分は死んだも同然だと・・
自分を生み育てた母国であるアメリカの司法によって、無実である自分に何らかの刑が処されるなら、この国はもう母国でも祖国でもないのだと・・

でも神様だけは、ずっと初めから、そして今この瞬間も自分の無実をわかって下さっていると・・

ジャメインの本の中にもママがマイケルに必死で「神様は本当のことをお分りくださっているわ、神様はご存知でいらっしゃるわ」と何度も言ったとありました。


でも裏を返せば神様しか自分の無実をわかっていない・・


世間や下手をすれば陪審員だって、自分が無実だという事をわかってくれずに、かつて自分が世話をした、あるいは助けた人間が手のひらを返して自分を貶める、そんな証言を信じてしまうのではないだろうか・・
そんなマイケルの胸が張り裂けそうな恐れと孤独と不安が、手に取るように伝わってきませんか・・?

もともと特徴のある文字を書く人だけれど、いつにもまして乱れているように見えます。
そう思って見るからでしょうね、本当に切ない・・

マイケルは公判中メゼロウ弁護士に「自分はあくまで法律に従う」と言っていたそうです。
彼の中では必ず真実が明らかになり、自分の潔白が証明される、という母国の司法を信じたい気持ちはもちろんあったでしょうけれども、一方では彼が散々味わってきた、そして今となっては黒人だから受けているのか白人のようだから受けているのかもわからない差別と偏見からくる終わりのないバッシング、不公平で悪意にまみれた報道・・それらの巨大で邪悪な力が働く現実に、本当に公正な審理がなされるのかという恐れに震えたこともあったのではないかと想像してしまいます。

そんな時に、まさに自分の心の叫びをあのような詞に形を変えて綴ったのかもしれないと思うだけで、胸が張り裂ける思いです・・
と同時に、そんな時でも彼はやはり真からのアーティストだったのだと。
メモに「コーラス」と書いてあるのは、この一連の詞を書いている時にも、彼の頭には大人数の合唱隊が歌うゴスペル曲のようなイメージが浮かび、いつか曲として完成させたいと思ったのかもしれません。
彼はそれまで数々の愛をはじめとするメッセージを歌に込めてきましたし、自分が直面した様々な困難でさえも彼にしか創り出すことの出来ない最上の芸術として昇華させてきたのですから・・
コーラスとしてこの詞が重要な部分を担ったかもしれない曲・・
この曲が完成し、自分が歌うその時は、まぎれもなくこの暗闇から抜け出して、まぶしい光を浴びているに違いないのですから・・

ああ、もちろんこれはわたしの勝手な想像の果ての妄想ですけれど。

でも仮にこのメモに書かれた言葉たちが、歌詞であったとするならば、彼のこの作品は形にならなかったけれども、いかに彼がLyricひとつとっても、いかに自身の魂を全身全霊で込めていたかが、今まで以上に理解できたような気がしました。

I always want to do music that inspires or influences another generation.
You want what you create to live, be it sculpture or painting or music.
Like Michelangelo, he said, “I know the creator will go, but his work survives.
That is why to escape death, I attempt to bind my soul to my work.’
And that’s how I feel.
I give my all to my work. I want it to just live.

僕はいつも、自分とは違う世代を動かしたり影響を与える音楽をやりたいと思っているんだ
自分が創造するものには、彫刻か絵画か音楽か、何にしても、長く生きていて欲しいと思うものさ
ミケランジェロのようにね、彼はこう言った
「私は、創作者はいなくなっても、その作品は永く生き続けることを知っている
それゆえ、私は死から逃げるために、自分の魂を作品に縛りつけようと試みる」とね
僕も、そんなふうに感じている
僕の魂のすべてを自分の作品に与えているよ、その作品が永く生き続けてほしいから


source:A continuation of the interview by EBONY


ジャメインのプランBは2005年6月13日のマイケルの無罪判決により決行されることなく、彼がこうして公にするまでは誰も知りえなかった話です。


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これは裁判の後、正式にドバイを訪れた時のマイケル


家族の話を何もかも鵜呑みにはしないという話を冒頭でしましたが、確かに他の記述では「うーん・・」とすぐに賛同できない部分もありましたし、彼の記述をめぐってやはりなんだかんだと揉め事が起こりそうな予感もなきにしもあらずで、少し今後が心配な雲行き・・。
ただわたしのような一ファンが判断できませんし、またすべき事ではないと思っていますのでこちらには書きません。
読んだ方にもそれぞれの感想があって当たり前ですものね^^

ですが、少なくとも今回抜粋した部分に関しては、全面的に信頼できると思えました。
数多くのくだらない嘘や噂・・その中にはひょっとしたら本当のこともあるかもしれなくて、でも本当の意味で全くの完璧な人間などいないと思っていて、もちろんマイケルにもそれは言えると思うのですが、ただ「肌の誤解」と「彼が罪に問われること自体間違いであった」という、このふたつだけは絶対正しい真実を伝えていきたいと思う自分でしたから、あえてこれらに言及してくれたジャメインに感謝です。
ジャメインに感じていた複雑な思いも、固い結び目が解けるがごとく少し変化したように思います。

そして全面信頼のもうひとつの理由として、マイケルのそれまでちょっと謎だった「The Innocent Man」とジャメインのプランBが、わたしの中でパズルのピースが合うがごとく繋がったことが大きな決め手になりました。
マイケルが書いた言葉は、間違いなく彼の心を映したものだから・・

マイケルの周辺はとにかく複雑で、彼のことを語る人の何が本当で何が計算で何が嘘なのかなんて考えると大変です(苦笑)


だからこそわたしは最後は彼の残した言葉と音楽を道しるべにして



彼を大切に想っていきたいと思います




最後に、今回抜粋したジャメインの記事はこんな言葉で終わっています

I remember what Michael said at the start of these proceeding in 2003:
"Lies run sprints but the truth runs marathons. The truth will win this marathon "
The truest lyric he never sang.
私は2003年この訴訟の初めにマイケルが言った言葉を思い出します
「嘘は短距離走のような速さで瞬く間に広まるが、真実はマラソンのように時間がかかるものだ
このマラソンでは、真実こそが勝利する」

真実を綴った歌詞の歌を彼が歌う事はなかったけれど・・






【関連過去記事】
「本当に書きたかったことを(1)」序章
「本当に書きたかったことを(2)」白人願望説
「本当に書きたかったことを(3)」尋常性白斑
「本当に書きたかったことを(4)」ネバーランドの真実
「本当に書きたかったことを(5)」冤罪・1993年訴訟の悲劇
「本当に書きたかったことを(6)」冤罪・1993年訴訟の結末
「本当に書きたかったことを(7)」冤罪・2005年裁判
「本当に書きたかったことを(8)」冤罪・2005年裁判での無罪判決

「The Innocent Man」とプランB その1

先日ジャメインがマイケルの本(You are Not Alone: Michael, Through a Brother's Eyes)を出版しました。

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基本わたしはマイケルの家族が彼のことを何でも理解していたとは思っていなくて、自分のことを考えても、何から何まで、特に仕事の事など家族と共有しない場合が多いですし、彼の場合は特に複雑だったでしょうし、もちろんそれはわたしのような一般人と比較してはいけないとは思いますが、でもそれでもやっぱり家族が知るマイケルは彼の側面の一部でしかないと。
四六時中彼のそばにいたわけでもないですしね・・
でもそれが家族だったりしますよね。ある程度大人になったり、それぞれが家族を持ったりすれば年に1.2回集まる程度というのは珍しくないことですもの。

今まで出版されている家族の本に書かれているマイケルも、おそらく書かれていることは本当でしょうけれど、その家族に見せたマイケルの側面は「家族用」のものかもしれなくて、そういう意味でそれが本当の彼の真実だったかどうかは、やはり彼のみぞ知ることなのではないかというスタンスで見ています。
ですから家族が言う事はなんでも絶対!とは思わないようにしています。
おそらくそう思っているファンは少なくないでしょうね。

家族ですから当然私情が入りますし、その家族の立ち位置によって見方も変わるでしょうし、何よりも家族だからこそ、「こうであって欲しい」という気持ちも強くなるでしょう。
でもそれこそが家族の紛れもない彼への愛情の証なのだと理解しています。

家族の誰が書いたものだとしても、今となっては動機はなんであろうとも、それぞれの主観や推測はあるにしても、そこに書かれている言葉たちには、マイケルへの愛が込められていると信じてはいます。


今回のジャメインの本は日本語翻訳が出たなら読んでみたいです。
洋書で読むのはエベレスト登頂レベルの困難さですから(笑)

ですが、ジャメインは出版にあたり雑誌のインタビューに応じ、本の内容の一部抜粋を許可してくれています。

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それを読んだ時、彼がマイケルのために書き残しておかなくてはならない、そしてそれを読んで人々がきちんと知らなければならない、あるいは知っていたとしても決して忘れないでいて欲しいと切に願ったであろう、その偽らざる兄としての気持ちを痛いほど感じた箇所がありました。

今現実にはあの医師の裁判が着々と進められていますが、あの医師にどのような判決が下ろうとも、彼は自分が関わった今世紀最大の事象(事件なのか事故なのかを争っていますのであえて)の責任を深く考えてもらわなければならないでしょう。
なぜなら紛れもなく彼は、ひとりの、その人は本来まだここにいるべき人で、こんなに早く失ってはいけない人でした-真のアーティストが不自然にこの世を去った事に大きく関わった当事者なのですから・・。

同じ裁判でもマイケルの場合は、見に覚えもなくありもしない出来事を捏造されでっち上げられ陥れられ、にもかかわらずメディアからは正当な報道もなされず、アーティスト生命どころか彼自身の生命をも危ぶまれるほどの打撃を心身ともに受けるという、試練と言うにはあまりにも理不尽な地獄でした。

兄がその地獄の中で戦う弟のために何を思ってどう感じていたか・・
一部抜粋した要約です。

【ご注意】相当思いいれが強い意訳と要約だということを最初にお断りしておきますねw
しかもわたしの独断的解説&意見も入っていますので、妙な先入観なしに知りたい方はきちんとした原文を全文お読みになられることをお薦めします(おいおいw)
ぜひ下記からジャンプ願いますね^^
Source:Exerpt from You Are Not Alone by Jermaine Jacksonより一部抜粋P47~48

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ジャメインは2005年3月10日の朝、マイケルが自宅のシャワー室から出る際、転んで背中を強打したというママからの電話で病院へ向かいます。
青い柄のパジャマズボンに黒いジャケット姿のマイケルはジャメインに「やぁ、Erms」(Jermainをこう呼んでいたみたいです)と弱々しく挨拶をして「大丈夫かい?」という問いかけに「背中がひどく痛いよ」と答えたそうです。

ジャメインはこの裁判で、日を追うごとにマイケルが消耗してゆく姿を見ながら、この朝の出来事は人から見たら単なるアクシデントに思えるかもしれないけれど、連日心を引き裂かれるようなダメージを受けている弟にとっては単なるアクシデント以上の大ダメージ・・まさにファイナル・パンチに匹敵するように思えたのでした。

ジャメインがそれまで見たことのないほど悲しみにうちひしがれた顔のマイケルが、昨日の辛い法廷証言の話をし始めました。

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実はこの日の前日は、生きる希望を取り戻せるようマイケルが寄り添って世話をした余命いくばくもなかった癌患者の少年・・今はマイケルを地獄に突き落とす冤罪を大人と一緒になって作り上げた張本人のギャビン・アルビーゾが検察側証人尋問で証言を行った日でした。
スネドン検事の質問に答えるギャビンは、平然とおぞましい作り話を語り、マイケルとの親密さは彼から強要された演技だったというような内容の証言を次から次へと話していきます。

その信じられない言葉の数々をマイケルは一体どんな気持ちで聞かねばならなかったのか・・
目の前の恐ろしい現実にどれだけ打ちのめされたかは想像に難くありません。

「昨日の法廷証言」

それはまさしくマイケルにとっては悪夢だったに違いなかったでしょう。

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They are putting me through this to finish me...to turn everyone against me.
It's their plan..It's a plan.
What have I done but good? I don't understand..

「彼らは僕を終わらせるためにこんな目にあわせる・・みんなが僕に敵意を持つようにしてる
これが彼らの考えだ・・たくらみなんだよ
ここまでされるほどの何を僕がやったというの? 僕にはわからない・・」


ジャメインは、マイケルが、ただ人を楽しませるために音楽を創り、希望と愛と人類愛、そして互いにどうあるべきかを認識させるためのメッセージを広めることしかやっていないことをわかっていましたし、子供を傷つけるどころか、誰よりも子供の事を考えていたマイケルが子供の部屋に入ることは、サンタクロースが子供のプレゼントを置くために部屋に入ることと同じだというのに、しかもこんな馬鹿馬鹿しい裁判の正当性を証明する証拠など何一つないことを、警察もFBIもSONYもわかっているのというのに
(2009年にFBIはMJの容疑に関わる証拠は何一つ見つからなかったとして正式に声明を出し、資料を公開しました)

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彼は初めからこんな裁判など茶番としか思えないと思っていました。

昨日の法廷証言のストレスと今日の背中の痛みが、もう感情の抑制も出来ないほどのダメージを彼に与えたのは間違いなく、彼にとってはすでに限界だったのだとジャメインは書いています。

Everything they say about me is untrue. Why are they saying these things?
「彼らが言う事は全部真っ赤な嘘だ・・どうして彼らはあんな事をいうの?」


ママが何かを言おうとするのをマイケルは手で制し、なおも続けます。

They're saying all these horrible things about me, I'm this. I'm that.
I'm bleaching my skin. I'm hurting kids. I would never..It's untrue. It's all untrue.
「彼らは僕について、ああだこうだと身の毛もよだつような事を言っている・・
肌を漂白しているとか、子供を傷つけているとか、僕が断じてしていないことを・・嘘だよ、全部嘘っぱちだ」


ジャメイン曰く、「普段はめったに感情を出さないマイケル」でしたが、ついにその目から涙があふれます。

They can accuse me and make the world think they're so light, but they are so wrong..they are so wrong.
「彼らは僕を責めて、彼らのほうがが正しいのだと世界に思わせている・・でも彼らは間違っている・・本当に間違っているんだ」


そう言うと、自分の着ていたジャケットを脱ぎだします。
彼はジャメイン、両親を前にしてすすり泣きながら言いました。

Look at me!...Look at me! I'm the most misunderstood person in the world!
「僕を見て!・・よく見てよ!僕は世界でもっとも誤解された人間だ!」


ジャメインはそこで初めて白斑であるマイケルの肌を見てショックを覚えます。
(治療のために素肌にジャケットを羽織っていただけなのでしょう)ジャケットを脱いだ彼の裸の上半身は、まるで白人の白い肌にコーヒーを飛び散らせたかのような状態だったと書いています。

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マイケルが尋常性白斑だということは、1993年にオプラのインタビュー時に彼が告白するまで、一部の家族しか知らない事実でした。
わたしはおそらくジャメインはその時に初めて知ったのではないかと思っています。
なぜならば、1991年に彼の「Word To The Badd!」という曲が発売前にリークされますが、その内容はひどくショッキングなものでした。
同時期にマイケルは「肌の色が白か黒かなんて関係ないんだ」という人種差別を批判する「Black Or White」をリリースしていましたが、ジャメインの曲は、「君は変わってしまった。もとの肌の色が気に入らないからかい?」という痛烈にマイケルを非難している、と世間が大騒ぎするような歌詞でした。

ゴシップ誌が書き立てるだけでもマイケルには相当なストレスがかかったはずで、でも彼は自分がこれこれこういう病気だからと事あるごとに釈明のような事をして、人々の関心が自分の作品やアートから肌問題に集中する事を嫌ったがために、何も言わずにできるだけ外野をかわしてきたのではないかと思うのです。
それが実の兄が弟を疑っているかのような歌詞の曲を出すなんて・・
現在この歌詞は恋人に対して歌っている内容のものに訂正されていますが、当時わたしはしばらくジャメインが大嫌いでした。

ジャメインは(今回出版した本にも少し書いています)80年代後半からマイケルと疎遠になり、特にマイケルがジャメインと連絡を取りたがらなくなり、その間兄弟はどうしてもすれ違い、ジャメインは自身のソロアルバムのプロデューサー問題でマイケルともめたりして、ちょうどこの時期にマイケルとうまくコミュニケーションがとれないイライラや、彼に対する怒りをマイケルに知らせたくてこの曲を書いたと後に語っています・・。
ジャメイン自身もまだ若かったと思いますし、もともと目立ちたがりで自分にスポットを当てたいタイプの人でしたから、絶えずマイケルと張り合おうとしたり批判したりしていましたけれど、肌の色の事は致命的な発言でした。


このことはマイケルのファンがジャメインに対して不信感を持つ大きな理由になったとわたしは思っています。
あんな事がなければ、今回の本のことももう少しストレートに捉えられたかもしれませんが、ラトーヤもジョーもしかりですが、個性の強いこの3人はマイケルのファンから冷静に見れない原因を過去に作っていますから、応援と同じぐらい多くの批判も受けてしまうのですね・・

そんなことがありましたが、その2年後マイケルが病気のことを世間に知らせたことにより、ジャメインもマイケルの苦しみをようやく理解し、怒りに任せて弟を疑ったことを悔いたのではないでしょうか。
それ以降、マイケルのゴシップなどには猛然と先頭に立って彼をかばうジャメインがいましたから・・。
きっとマイケルもそれを理解して許したはずですし、やっぱり彼にとってジャメインは大好きなお兄さんだったと思います。

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とはいえ、ジャメインが直にマイケルの肌の状態を見たのは、彼が書いているように後にいわゆるマイケルのパジャマデイと呼ばれてしまう日の朝だった、というのがわたしには驚きでした・・
そういう意味で、冒頭に書いたように家族の誰もがマイケルのことを隅から隅まではわかっていないと思うわけです。
それが良いとか悪いとか、あるいは愛情があるとかないとかという話とは別次元だということをお断りしておきますね。

そして、これはあくまでわたしの推測に過ぎない感想なのですが、ジャメインが実際のマイケルの肌の状態を見て、いかに世間が完全に間違った誤解を伝言ゲームのように噂し続けているか、あるいはいかにメディアが悪意を持ってマイケルを傷つけているかを、今度こそ本当に痛いほど実感したからこそ、本の内容に、2005年のあのパジャマデイの日に一体何が起こっていたかをあえてはずさずに書いたのではないかと・・。

マイケルに浴びせられる沢山の嘘や噂。
数え上げればきりがないそれらの中で、マイケルがどうしても耐え難かったふたつの真っ赤な嘘。

I'm bleaching my skin. I'm hurting kids. I would never..It's untrue. It's all untrue.
肌を漂白しているとか、子供を傷つけているとか、僕が断じてしていないことを・・嘘だよ、全部嘘っぱちだ



1993年 オプラ・ウィンフリーショウでのコメント
I'm a black American, I am proud of my race. I am proud of who I am.
I have a lot of pride and dignity.
僕はブラックアメリカンです。黒人である事、自分が何者であるかを誇りに思っています
僕は大きな誇りと尊厳を持っています


コントロール不可能な病気による肌の変色・・その辛い現実を受け止め、結局その肌の色にとらわれることでひき起こされる差別を無くそうと、その辛さも悲しみも作品に昇華させ、魂の全てを注ぎ込んで表現し続けてきた彼。
なのにフォーカスされるのは黒から白へ変わったという表面上の変化だけ。
自分自身のアイデンティティすら否定され、誇りも尊厳も容赦なく踏みにじられる。
「白人に憧れて肌を漂白した」というまことしやかに繰り返されるこの噂が、どれだけ毎日彼を苦しめたか。

マイケルがその人生をかけて常に大切に守ろうとしてきた小さくて弱い存在である子供たち。
彼らは無邪気さという子供の特権を謳歌する事が出来なかったマイケルの、心ゆくまで無邪気に振舞う事を許される仲間であり友人でもあったと思いますが、さらに言うなら子供は彼にとって、疑いや恐れや嫉妬や傲慢といった争いや憎しみの火種の元となる感情からかけ離れた、無垢で愛情深く好奇心に満ちた光のような存在だったのではないでしょうか。
その光は時として彼にインスピレーションを与え、時として安息を与える、まさに神であり創造の源であったのだと思います。
事あるごとにそんな子供の大切さを説き、現実に辛い目にあっている子供を助け、自分がどれだけ子供たちを愛しているかを表現してきた彼の、そのあまりにも大きく深く神聖な想いと愛情は、普通の、特にもともと彼を快く思わない大人には奇異に映り、なかなか理解されずにいたあげくの結果が、彼の一番大切な光である子供を傷つけたというでっち上げでした。
それは子供を傷つけるぐらいなら自分の手首を切ったほうがマシだと公言する彼を苦しめる一番効果のある嘘でした。
彼が毎日通わなければならない法廷は、子供により捏造された嘘で成り立ち、しかも当の子供から糾弾されるという、二重の苦しみと絶望を味わされるまさに地獄だったはずです。

このふたつの嘘が完全な間違いである事を、そして面白おかしく報道されたあの朝のマイケルの真実を、いまだわかっていない人にこれだけははっきりとわからせる、知らせる、そして絶対に忘れさせないように、風化させないように書き残す、というジャメインの固い決心のようなものがわたしには感じられます。

いまだに彼につきまとう特にこの二つの大きな偏見だけは、弟の代わりに自分が声を上げて取り除きたい、無くしたいと、心の底から願い、そして行動に移した執筆ではないかと。



長くなりました。

続きます

2005年6月13日 -Victory day-

日本では14日ですが、US時間の今日、6月13日はマイケルが捏造された冤罪に対して
完全勝利評決を勝ち取った日です。

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関連記事
・無罪ではなく無実なのです
・本当に書きたかったことを (7)
・本当に書きたかったことを (8)



彼の人生には、普通の人生では到底思いもよらない、想像もできないほどの様々な出来事があって

いいことも悪いことも、凡人が経験するそれとははるかに異なるもので

時には天井知らずの素晴らしい喜びであったり

あるいは底なし沼のような地獄の苦しみであったり



でもこの裁判だけは


彼の人生で本当に必要だったのかと神に問いたくなる



恩知らずな金の亡者の家族と、権力を武器に本来の職責を忘れたracistが、何もないところに虚偽の証言を積み重ね作り上げた冤罪

パントマイムであたかもドアがあるように、実際はないドアを大げさに開けたふりをして、もともとないドアの向こうに、身の毛もよだつ恐ろしいモンスターがいるように仕向け、こいつをつかまえようと大声をあげた

メディアはモンスターなどいないことには目を閉じて、いかに恐ろしいモンスターかということだけのみ伝えていった・・
まるで裸の王様に「なんて素晴らしい服でしょう」とはやし立てた聴衆のように



もともと何もない場所に、ありもしないドア、いるはずもないモンスター・・


そこは「何もない」場所なのだという事を証明しなければならなかった不毛な戦い



それがあの裁判でした



3ヶ月の地獄

初めの頃こそ見せていたピースサインも笑顔も

見る見るうちに少なくなって

見る見るうちに痩せていって


6月に入る頃には


全く笑顔もなくなりました




2005年7月7日
ジャメインは6月13日の無罪評決後、ネバーランドへ家族で戻った後、マイケルがどのようであったかを
独占インタビューで答えています。(ソースはこちら

He had a sandwich...and he put on ‘The Three Stooges,’ and he just laughed, and it just was some positive entertainment... and the family came up. We hugged, and we talked...
It was very, very tough, because he had done something that I don’t think I could have done.
He stood up, and he held his head up all that time.

マイケルはサンドイッチを手にして・・「3バカ大将」を観ながら笑い出したのです。ただの気晴らしに過ぎないけれど・・そこに家族が集まって、お互いを抱きしめ語り合いました。
本当に本当に厳しかった。でもマイケルは僕には出来ないようなことを成し遂げました。
彼はまっすぐに立ち上がり、どんな時も顔を上げ、前を向いてきたのです。


The Stooges' craziness helped me to relax and to escape life's burdens.
They influenced me so much that I even wrote a song about them.

Stoogesのばかばかしさは、僕をくつろがせ、人生の重荷から逃れる手助けをしてくれました。

(Curly:Foreword by Michael)

この時彼が見た「3バカ大将」は、耐えずともよかった苦悩を、受けずともよかった苦痛を、負わずともよかった重荷を、どれほど和らげてくれたのでしょうか・・



勝利の評決が響き渡る中、世界中から駆けつけたファンや家族や関係者が

はじけるような歓喜に酔いしれていた同じその時


マイケルの顔に笑みはなく

ただ静かに手をあげてくれていました


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その彼が

ターキーのサンドイッチを口にして

声を出して笑った



それが唯一の救いです




彼の



苦痛と悲しみと平穏と喜びが


タペストリーのように織り込まれた

6月13日というこの日を


わたしたちは決して忘れてはいけないのです

無罪ではなく、無実なのです。

2005年6月13日。

この日はMJが自分にかけられた14もの罪状の全てに無罪評決を勝ち取った日です。

彼の支援のために世界中から集まった多くのファンのうちの一人が、無罪の評決がひとつ、またひとつと読み上げられるごとに、潔白と平和の象徴である白鳩を飛ばしていきました。
青く晴れ渡るサンタバーバラの空に、美しく羽ばたきながら飛ぶ14羽の白いハト・・

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そもそも存在するはずもなかった完全にでっちあげの「金銭目的の嘘」と、それらをさも存在しているかのように見せかける事にやっきになった「悪意に満ちた執念」とが手を組み絡まり計算された上で捏造された「訴訟」でした。

それは2年もの間、MJの尊厳と音楽キャリアと子供達との平穏な生活と健全な精神と健康をおびやかし、いわれの無い
恥辱を受け続けるという地獄を彼にもたらしました。


この事は、この事だけは、わたしたちははっきりと言い切らなければいけない。

彼は無罪評決を受けましたが、そもそも罪などなかったということを。
彼は正真正銘の無実だったのだということを。



長く苦しめられた深くて邪悪な闇の中を、それでも彼は誇りを失わないよう、常に毅然と顔を上げ目をそらさずに歩き続け・・
ようやく明るくまぶしい光が輝く場所へと、自分の足でたどり着いた日
それが、5年前の今日なのです。(US時間)

忘れないでいましょう。

彼の潔白が欲にまみれたGHOSTに打ち勝った日の事を。


決して

決して


忘れないでいましょう。

続きを読む

He said "The truth will win."

初めの頃の純粋な感謝は、徐々に独占欲と特権意識、そして大きく捻じ曲げられた、それはもはや愛とは呼べない恐ろしいほどの彼と彼の持つ財力への執着へと変化した。
この家族がでっち上げた奇妙な妄想を、別の執着心を持ちながら過ごしていた検察が、現実の事件へと仕立てあげていった。


不出世の天才アーティストは、こんな見え透いた言いがかりによってそのキャリアを中断させられました。



2003年11月20日

今となってはばかばかしいこの冤罪で逮捕された彼は、300万ドルの保釈金を支払い釈放されました。
その直後にこの声明を出すのです。

Lies run sprints but the truth runs marathons.
The truth will win this marathon in court.

嘘は短距離走のような速さで瞬く間に広まるが、真実はマラソンのように時間がかかるものだ。
法廷内のこのマラソンでは、真実こそが勝利する。





2005年6月13日

彼の言うとおり、真実はこの日長い長いマラソンを終え、勝利のゴールテープを切りました。
まぶしく晴れ上がった青空に、Innocence(潔白)の象徴である白い鳩が14羽はなたれました。



そして


2010年6月14日

皮肉にも同じサンタバーバラの裁判所でこの日医師の審理がなされる予定です。

Lies run sprints but the truth runs marathons.


長い時間がかかっても真実は必ずいつか表にでてくるはずなのです。


mj115.jpg




1 Dot = 1 Fan

ひとつの点がファンであるひとりを表す Michael Jackson’s Tribute Portraitに参加しました。
マイケルの肖像画をDot(点)で描画していくもので、多くのセレブリティやファンがその絵のひとつの点として参加しています。
Dot Number:1はご本人であるマイケル。
2~4は彼の宝物であるお子さんたちです。

わたしのDot Number: 249318


この数字は今後も伸びるでしょう。
言い換えればこの数字の人数が、彼を想い彼に感謝し彼を敬い彼を恋しがり、そして

彼のために祈るのです。


彼の安息と真実のために



もう一度彼の言葉をここへ

Lies run sprints but the truth runs marathons.
The truth will win this marathon in court.

嘘は短距離走のような速さで瞬く間に広まるが、真実はマラソンのように時間がかかるものだ。
法廷内のこのマラソンでは、真実こそが勝利する。


本当に書きたかったことを (9)

考えてみたら、これはわたしの贖罪のようなものだったのかもしれません。
あんなに好きだったのに、いつのまにか離れてた自分を悔やんで。
自分と彼とをもう一度近づけるべく、自分の為に調べて、自分の為に記録して。


調べるうちに勝手に逆ギレも(笑)

そーだよ、マイケルは凡人からすりゃ変わってるんだよ
だって普通であるはずないじゃん
あんなに才能があって華があって純粋な魂を持ってる人が普通なわけないんだって
5歳からステージに立って、ろくすっぽ普通の子ども扱いされないで育って
超若いうちに大成功しちゃって、お金だって困らないぐらいあったら好きなもん作ったり買ったりするわさ
ギネスに載るぐらい寄付するのだって、普通の人にはできっこないし
それだけの崇高な信念も持ち続けられるわけないんだ
病気のせいでメイクし始めた人をごちゃごちゃ言うなんて最低なんだよ
病気の皮膚を守るためなら日傘もさすっつの
普通に買い物させてくれないんだから変装もするっつの
怪我がきっかけであっても、できるんだったら鼻、ちょっとちっこくしたいなって思ってもいいじゃん
あごだって割れてる方が男らしいって思ったんだよ(それはどうかなマイコー)
世の中にはこっそりいろいろやってる人ごまんといるじゃん
金目当ての最低の濡れ衣着せられた裁判なんかにかけられて、地獄のような毎日を過ごさなきゃならなくて、それでも必死で戦って無罪になってんのに、そんな無罪への過程はきちんと報道しないくせに、いつまでも「疑惑」とか言ってんじゃないよ!!

みたいなことを思いつつ、途中から少し悩んだりも。

わたしみたいなUターン組が、えらそうに書いていいんだろか
純粋に歌やダンスが好きだった人に、逆にゴシップを提供している事になんじゃないか
あんた何様って感じかも・・などなど・・。
でも結局ここまできたのですから、最後まで。


こんな風に書きたくなったのは、「本当に書きたかったことを (1)」で書いたとおり、アメリカのある下院議員のMJを引きあいにだしてのメディア批判記事でした。
そこで堂々とMJのことを「小児愛者の犯罪者だ」といまだ言わしめている現実に愕然とし、わかっていないことをはっきりと知る為に調べ始めたのがきっかけでした。

実は同じ時期に、もうひとつ新聞記事を読んでいました。
7月23日付け毎日新聞の「記者の目」というコラム記事です。
わたしがマイケル追悼中なのを知っている友達が、「akimちゃんみたいなこと言ってはるよ」と切り抜いて持って来てくれたものでした。

s-img001.jpg
記事全文はもう「毎日.JP」にはありませんので、毎日新聞の読者広場から読むことができます。

この記者さんは、MJのファンでもあるようですが、ただ情に流されず本来メディアの基本となる取材を行ったうえで記事を書かれています。
記事内では、ご自分と同じ社の記者の記事を批判し、取材対象であるMJときちんと向き合っていない感のある報道のあり方に疑問を呈しています。
これは大変勇気のいることだったろうと思います。
この記事内容は、憶測や周辺の噂程度をソースにし、取材対象に対して裏づけも取らないような情報が多かったことが、メディア内でも自覚し始めたことを物語るようで、うれしかったのです。
広く発言力のある人や媒体が、悪くても良くてもいいからきちんとした情報をだすことが、本当の意味で彼への誤解をとくことに大きくつながる。

奇しくも、同じ時期に、二つの相反するMJ記事が、なんだかわたしを駆り立てたような気がします。


もともとのファンならとっくの昔に知りえている事実・・
でもまだわかっていない人に向けて書きました。


わたしは、MJを聖人君子のように思っているわけではありません。
彼は本当に思慮深く、底なしに優しく、時として無垢すぎる魂を持ち、その慈悲の心は海よりも深く、とにかくとても魅力にあふれる紳士ですけれど、神さまではない。
(彼は神を真似たいと言っていますが)
繊細な半面、実は自分の思い通りに我を貫く、強いけれど時にそれは頑固とも。
人を喜ばすことが大好きでユーモアに満ち、その反面どこまでいっても自分に厳しく、時には自分を責めて孤独にさいなまれる・・
そんなさまざまな側面を持つ一人の人間なんですね。

でもひとたびステージに立てば!
あとは言わずもがなですね。

しかし、これもまたひとぞれぞれ。
悪いところなどひとつもない、何をやっても許せるわという人もいれば、何をどう説明しても嫌いな人は一生嫌いなんでしょう。
曲がった認識ではなく、事実を知った上での判断なら、それは人それぞれでしょうから。



中国の風習らしいですが、天国にいる自分の関わりのある先祖や故人に、こちらから贈りたい物(紙に書いたり、写真だったり)を燃やして届けるという行事を、友人たちとお盆に行いました。
先祖はもちろん、実家で飼っていた犬にも好きだったジャーキーの名前書いて(笑)
わたしは上記の毎日新聞の「きちんとしたMJ記事」を縮小して、「To Michael Joseph Jackson」と書いた紙に貼って燃やそうとしました。

マイケル。あなたのことを、きちんと書いた新聞記事です。悪い記事ばかりじゃないからね。

紙は勢い良く一瞬にして燃え尽きました。
燃え残りがないぐらい勢いよく燃えれば燃えるほど、贈られたものを相手は喜ぶと聞いていました。


読めたかな・・日本語・・w



s-Michael+Jackson.jpg



「本当に書きたかったことを」は今回で終わりです。
まだ色々と難しい問題があるにはありますが、わたしが書けるのは今はここまでです。


最後に参考にさせていただいたサイトに感謝するとともに、MJの死の1ヶ月前に出版された(なんとも皮肉なタイミングでしたが)「マイケルジャクソン裁判」と言う本に出会えた事にも感謝します。
この本のおかげで、しっかりとした事実を書くことができました。
興味のある人は分厚い本ですが、ぜひご一読ください。

参考にさせていただいたサイト及び書籍
マイケルジャクソンWikipedia
The One&Only
MICHAEL JACKSON's MOONWALKER
Legend Of MOONWALK
あなたの知らないマイケル・ジャクソン
マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著
シンコーミュージジック・ムック「Michael Jackson Who's BAD?」
「Michael Jackson ポップ・レジェンドに捧ぐ」
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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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