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Is this an end? Or is it an opening?

これから観る人もいるでしょうから
ネタバレしない程度に



エンドロールが終わって
ぐしゃぐしゃだったので
サングラスをかけた

そして思った


This is it...

What is it?


Is it an end? Or is it an opening?



帰り道コンビニで買ってしまった
もう観た人はわかると思うけど

チュッパチャップス(笑)


明日も逢いに行きます


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This is it … What is it?

公開まであと2日

さまざまな情報や思惑や感情が世界中を駆け巡っている



複雑な背景

複雑な事情

複雑な真相



単純な期待

単純な喜び

単純な幸せ

が混ざり合っている




s-michael-jackson-this-is-it-photos-09.jpg

やはり魅せ方がちがう
どこからレンズが自分を狙っているかをよくわかっている
どう動けば美しいのかを熟知している

周りが普通で、彼だけが絞られているのだけれど
決して弱々しくなく
逆にそれがキレを生んでいるように見える

周りは彼の半分ほどの年令



仮に内にかかえるものが何であっても
紛れもなく彼は天才であり

プロフェッショナルであり

本物のエンターティナーであり・・




わたしたちのMJ




これが終わったら



何が残るのだろう

24632

「THIS IS IT」MovieのシリアルNo入り前売りチケットが届きました。

s-IMG_3918.jpg

これは5万枚限定でした。
でも、よーく考えたら別にシリアル入りでなくてよかったんだよなー・・どうせ引き換えちゃうわけだし、残しておく気もないし。
ね、そう思わない?

思うにゃ
s-IMG_3919.jpg
あやっぱり


で、よーくみると、わたしのNoは24632
s-IMG_3914.jpg

50000の約半分。
単純計算すると、これはペアチケットだからその半分の12500人に入ってるってことで。

あの時、結構速攻で予約したんだけど、すでに1万人以上が買ってたってことか。

・・・


どこにいるんだ?そんなに(笑)


今現在前売りの販売数は17万枚を越えてるらしい。


・・・


どこにいるんだ?ホントに(さらに笑)

Smelly(スメリー)の真実

過去記事で、MJと共に「Off The Wall」「Thriller」「BAD」をプロデュースしたクインシー・ジョーンズが、彼の事をSmellyと呼ぶ理由を書きましたが、実は全然違っていた事が判明しました。

ああ、怖いわね・・ソースがあやふやなものって。

MJは過去、散々ゴミみたいなゴシップにまみれていましたが、そのほとんどは今回のわたしのようないい加減な情報を記事にしたものだということを、身をもって知りました。
過去記事で「そうだったんだ~♪」と喜んでくれた方には、謹んでお詫び申し上げるとともに、今回のお話は、MJが自分で言ってることですから、もうもう間違いありませんので!!

もう最初っから明らかにしますよ。

ニュースソースはこちらです!

これは2007年12月、USのブラックカルチャーマガジンで有名な「Ebony」誌でのインタビューです。
その中で、MJご本人様がSmelly の理由を言ってるんですね。

MJ Ebony_magazine_2007
うっとり・・。

Ebony誌はブラックカルチャー専門誌で、しかもこのときは「スリラー25周年」を祝うインタビューでしたし、、音楽面重視の質問でしたから、タブロイド的に面白おかしく書き立てられる恐れがなかったせいか、MJもリラックスして答えていたようです。
そこで「スリラー」のアルバム製作時の話題で、自分でもこのアルバムにかける意欲がハンパないものであったという話をしています。
それまでのポップアルバムの多くが、全体の1曲ぐらいしかいいものはなく、あとは全てB面レベルみたいな現状を変えたかったというくだりで

Why can’t every one be like a hit song?
Why can’t every song be so great that people would want to buy it if you could release it as a single?’
So I always tried to strive for that.
That was my purpose for the next album.
That was the whole idea.
I wanted to just put any one out that we wanted.
I worked hard for it.

なぜ全部がヒットソングみたいにできないのか?
なぜ全曲がシングルカットされた時に、みんなが買いに行きたいと思えるような素晴らしいものにできないのか?
だから僕はいつもそれに向かっていこうとしていたよ
それが次のアルバムでの僕の目的だった
それが全体の構想だったんだ
ただ自分たちが欲しかったものを全部出したかった
そのために僕は必死にやった


全曲が最高のものになるようにあらゆることを試していくわけですが、そのパートナーであるクインシーとのいい関係を話すくだりで、キターーー!

Quincy calls me a nickname, ‘Smelly.’
Smelly came from ––and [Steven] Spielberg calls me that, too.
Back then, especially back then — I say a few swear words now––but especially then, you couldn’t get me to swear.
So I would say, ‘That’s a “smelly” song.’
That would mean, ‘It’s so great’ that you’re engrossed in it.
So he would call me ‘Smelly.

クインシーは僕を「スメリー」ってニックネームで呼ぶんだ
スメリーっていうのは・・ああ、(スティーブン)スピルバーグもそう呼ぶね
当時、特に当時は、今はちょっとは悪い言葉も使うけど、でも特に当時は僕はそんな言葉使わなかったからね
だから「それスメリーな歌だね」なんて言って
「とてもすごいよ、夢中になるよ」みたいな意味でね
それで彼は僕をスメリーと呼ぶんだよ


2010年1月31日修正・追記
この記事を書いた時点では何の言葉の代わりのSmellyだかは書けなかったのですが、その後指摘してくださった方や自分でももう一度調べた結果「Funky」だと判明。
Funkyは元は「臭い」=「黒人の強い体臭」を表す言葉で、いつしか「黒人っぽくてカッコいい」(今の「ヤバい」的)を表す賛辞の言葉へ変化したようです。


これが「Smelly」の真相ですわ、みなさん!
わかっていただけて?
これこそそうなのよ、This is it なのよ、みなさん!

過去記事の記述は削除しておきます(涙)


これ以降はちょっとヘビーな話なので、楽しい気分でいたい方はここでお別れしましょう♪

続きを読む

Cry Out Of Joy

今年のAMA(アメリカンミュージックアワード)2009で、MJは5部門にノミネートされました。
彼の訃報後、米国内でベスト盤「Number Ones」の売上げ枚数が190万枚に達し、今年最も売れたアルバムとなったためです。
「Number Ones」は2003年リリースのアルバムですが、AMAはリリースの年に関係なく今年度のセールスなどの実績を評価するのです。

ノミネート内訳は、アーティスト・オブ・ザ・イヤー、ポップ・ロック人気男性アーティスト賞、ポップ・ロック人気アルバム賞、ソウル・R&B人気男性アーティスト賞、ソウル・R&B人気アルバム賞の5部門ですが、おそらくひとつぐらいは受賞しちゃうかもしれません。(謙虚にw)
s-ama_mj.jpg
1984年AMA授賞式にて スリラーでで8部門を制覇したMJ(西部警察かよw)

発表は11月22日です。


このニュースを知って、ふとMJの姉であるラトーヤが7月の時点でイギリスの新聞社のインタビューに答えていた言葉を思い出しました。
インタビューのニュースソースはこちら

マイケルの価値は生きているよりも死んだほうが上がるから

この言葉が意味する真意には是非が分かれるところですが、よくも悪くも彼の価値は確かに上がりました。

ノミネートの対象になったベストアルバム「Number Ones」は2003年11月18日にリリースされました。
ところが、まさにその直後に、あのでっちあげ恐喝事件(とわたしは呼んでいます)により逮捕され、あの最悪な裁判にまで発展してしまうわけです。
そんな因縁のアルバム。

あれから時が流れ、正当な評価が受けられなかったこのアルバムを、彼がいなくなったあと、多くの人が気付いたかのように求め、結果まるでもう一度、あの時にできなかった評価をしなおしたかのようです。
その意味でも、このノミネートは価値あることです。
もちろん受賞すればそれはそれで素晴らしい事です。

作品はMJの分身ですから、ノーベル平和賞もいいですが、やはり音楽で評価される事が彼にとっては一番嬉しいことなのではないかと思ったりします。


そして今を生きるアーティストが、彼を音楽でTributeしていることも、おそらく彼にとってとても嬉しいことなのではないかと。

セネガル出身のR&BシンガーでプロデューサーでもあるAkon。
akon.jpg
2008年にMJとレコーディングをし話題になりましたが、彼は今年始めの自身のインタビューで、彼との繋がりを語り、彼への偏ったイメージを批判しています。

どうしてマイケルと共演する事になったのですか?
Akon: 僕に最も影響を与えてくれたアーティストと仕事をするのは、人生最高の経験だったよ。
彼は、全ての後進に影響を及ぼしている。
僕は彼と一緒にいて、彼の人となりを見た。
彼の考え方を感じた。
彼は凄いぜ!あらゆる物を超越している。


こちらで詳細を読むことが出来ます。

そんなAkonがMJのために作ったTribute曲。
泣かずに聞けたためしのないこの曲。
和訳つきなので、ぜひぜひ聞いて欲しいです。

「Cry Out Of Joy」



In this lifetime I wonna thank you, for showing me the man in the mirror
まさに同じ気持ちよ、Akon!

でも今はまだ悲しみの涙で、すんなりと喜びの涙なんてところまでいってないのですけれど。


もしも・・

もしも

彼が

還ってきてくれるなら

その時は本当に

We cry out of joy (for you)

なのだけど・・なんてね

しっかりしてくれ

解禁されたばかりのNew song ですが、いきなり問題が。
しっかりしてくれSONY。

ニュースソースはこちらになります。

この曲は、1983年ポール・アンカ氏とMJの共作で、ポールのアルバムにデュエットとして入れるつもりで、彼のスタジオで録音したものだそう。
ところがMJが多忙になり残念ながら計画は頓挫したらしく、MJが自分のボーカルトラック音源を持ち帰ってしまったようです。
その後この曲は、1990年にサファイアという女性歌手が、(おそらく二人から)楽曲提供を受け正式にアルバムに収録しています。(タイトルはI Never Heard)
でも、てことはOff The Wallのアウトテイクではなかったのですね。


結局ポールにはすみやかに謝罪し、曲の権利を半分渡す事で事なきを得たようですが、ポールも解禁された曲を聴いて驚いたというけれど、お粗末なのはポールからの連絡で、初めてMJエステート(彼の資産管理者)とSONYはこの事実を知ったらしいこと。

SONYは古い楽曲の中にライブタイトルと同じ曲を見つけたので、よく調べもせずに都合よくこれをMovieに利用しようとしたのでしょう。
などと言われても仕方ない失態。
おそらくこの曲の存在とライブタイトルに関係性はないのでしょう。

彼がいないのをいいことに、「これは使えるなー」的に彼の作品を軽く扱うのは本当にやめて欲しい。



でも曲自体はいいものだと思う。

30 Years ago

MJがジャクソンズを離れて、初めてのソロアルバム「Off The Wall」を出したのは、1979年のこと。
その時アルバムに入らなかった未発表曲は、発表されているだけで9曲ありました。
そのひとつがこの曲です。
今から30年前の作品です。

「THIS IS IT」
「これが最後だ」と言う意味もあるようですが、「まさにこの時」という意味もあるそうです。(これはそれですという意味もあるよねw)

公式HPにて(発売時までかも)聞くことができます。
Movie Trailerのあと3:46です。お暇ならぜひ。

ボーカルトラックだった音源に、オーケストラ・コーラス(ジャクソンズ)を入れて仕上げたバラードで、とても綺麗なメロディです。

「ひーひぃ」も「だっ」もありません(笑)

30年前、21歳のMJ。
ジャクソンズのリードボーカルではなく、色々な制限やしがらみやめんどうなことを全て忘れて排除して、自分の表現したいものを自分の好きなように自分が納得した上で形にした初めてのアルバム作り。(実際は全部自分の好きなようにとはいきませんでしたけれど、それまでのことを考えれば)

これからの未来に希望を持って・・。
彼にとってこのアルバムを製作していた時は、一人のアーティストの新しい旅立ち、「まさにこの時」だったのかもしれません。

Michael-Jackson_Quincy-Jones.jpg
「Off The Wall」プロデューサーQuincy Jonesと
クインシーはまだ垢抜けなかった当時の彼をとても可愛がりました。


これからこの手の作品は、ひょっとしたら沢山出るのではないかと。
なにしろMJの未発表曲は恐ろしく大量にあるのです。
生前発売された最後のアルバム「INVINCIBLE」に入らなかった曲で、現在分っているものだけで44曲。
シンガーでダンサーのイメージが強いMJですが、ソングライター、プロデュースの才能もどひゃひゃです。
そんな彼がお蔵入りにした曲は、公表されているだけでもおよそ160以上。
毎月New Single出していっても5、6年は余裕です。
でも彼にしたらそんな中途半端な状態では絶対にイヤだと思うでしょうけれど・・。


だから、彼が元気だった頃にもっとちゃんとリリースして欲しかったよ、SONY。
彼が納得して完成させた楽曲がちゃんとあったでしょうよ。

・・もう遅いんだよ。



※ご報告
過去記事で「THIS IS IT」MOVIEに関する記述、及び記事は、記事を書いた当時の考えと若干現在の考えが変わったため、いちいち直すのが面倒くさいので、削除しました。


コメントをいれてくださった方、いきなりで本当にすみません。
他の人はどっちでもいいよねwてか気付かないと思うのですが(笑)

You Were There あなたがいたから

MJがいなくなってから、色々なところで彼へのTRIBUTEが行われています。

それは一般の人たちであったり、彼に影響を受けた若いアーティストだったり、彼をよく知る大物だったり、それはもう多種多様。
MJも生前は、多くの尊敬する先輩たちへのTRIBUTEを行っていました。

そのうちの一人がサミー・デイビスJrです。
まだ8歳だった彼を、後にMJの人生を変えることになる「スリラー」のプロデューサー、クインシー・ジョーンズに紹介してくれた人です。
実際にはクインシーは、映画「The Wiz」で成長したMJと仕事をすることによって彼の才能に驚くわけですが、サミーはまだ8歳の彼の事をクインシーに「この子は只者じゃないんだ。すごい才能だよ」と紹介したのです。
その言葉を聞いた幼いマイケルくんはとてもうれしい気持ちになりました、とMJ自身が後に振り返っています。

サミーもショウビジネスの世界で、MJたちよりずっと前から黒人差別や偏見と戦って頑張ってきた人。
MJがゲロッパ!のJB(ジェームズ・ブラウン)を崇拝していたのは有名だけれど、サミーのことも大好きな大先輩として心から尊敬していたし、彼からもダンスの影響を受けています。



これはサミーの最後の来日コンサートの模様。
サミーは晩年「BAD」のさわりを取り入れて、「若い人の歌はやっぱ疲れるわぃw」といいつつ、自分のおはこ「Mr.Bojangles」を歌うという流れだったみたいです(笑)

それが、このときのサミーが帽子をかぶる時の仕草や、キメ立ち姿が、とてもMJに似ている!
というより、これを観るとMJがサミーから影響受けたのだと思います。
幼い頃からショウビズの世界に入ったMJは、神さまJB、タップの王様サミーをはじめ、色々な人のステージを舞台の袖から見て、自然と彼らのエッセンスを自分のものにしていったのだなぁと思います。
後にHIPHOPやブレイクダンスなど新世代のダンスとこれらが融合していくわけですね。

過去記事で、MJがモータウン25周年のスペシャル番組で、Billy Jeanのパフォーマンスをしたときに着ていた黒のキラキラジャケットは、実はキャサリン・ママのものだった、という事を書きましたが、そのジャケットをMJは尊敬するサミーに譲っています。
サミーにジャケットをプレゼントしたことを、自伝MOON WALKで書いています。

僕は、モータウン25で着た光り輝く黒のジャケットを(実はおかんのだけどw)
Sammy Davis Jr. にプレゼントしました。
彼がステージで僕の物まねをするというので、僕は「なら、それをやる時にこれ、着たいでしょ?」と言ったのです。
彼は大喜びでした。僕はサミーが大好きです。彼は実に素敵な男で、本物のショーマンです。
最高のショーマンのひとりなのです。


サミーは晩年喉頭ガンを患います。
手術の為に声帯を取り、大事な声を失ったにもかかわらず、余命はあまり長くはない状態でした。
そんなサミーを力づけるために、彼の芸能活動60周年を記念するコンサートが開かれました。
(彼は64歳でしたから、MJと同じく子供の頃からショウビズの世界にいたのです)
フランク・シナトラ、スティービー・ワンダー、ほかにもビッグネームが勢揃いで、みんなサミーの為に、サミーに向けて心からのTRIBUTEパフォーマンスを贈りました。
その中の最年少でMJもいたのです。

<2010/2/10 追記
11月に撮影されたこのコンサートの模様は、1990年2月4日にABCテレビで放映され、収益金はすべてUNCF(全米黒人大学進学基金)へ寄付されました>


このときにMJがサミーの為に書き下ろして歌ったのが、「You Were There」
サミーを讃え、サミーへの感謝の気持ちがあふれるこの曲は、おそらくこれ以降は人前では歌われていません。



You Were There

You were there, before we came.
You took the hurt, you took the shame.
They built the walls to block your way.
You beat them down.
You won the day.
It wasn't right, it wasn't fair.
You taught them all.
You made them care.
Yes, you were there, and thanks to you
There's now a door we all walk through.
And we are here, for all to see --
To be the best that we can be.
Yes, I am here....
Because you were there.

あなたは僕らが来る前にそこにいた 傷つき恥ずかしい思いをしながら
人は道を閉ざし壁をつくった
あなたは壁をこわし日の目を見た
“それは正しくない それは公平でない”
あなたは彼らにそう教えた
あなたのおかげで外へ出るドアがみつかった
そして今、ベストをつくすために僕らはここに立つ
そう、僕はここにいる
なぜならあなたがそこにいてくれたから


MJの声は本当にきれいだなーと思います。
ビートの利いた歌もいいけど、MJのバラードはやはり最高。
歌唱力もさることながら、美しいメロディラインを作り出す作曲者の能力も秀逸。
「INVINCIBLE」以降、彼の歌はレコード会社との確執でなかなか世に出ない状況にありました。
しかしその間も創作をし続けていたMJ。
ベストを尽くしたくても尽くせない状況は、どれだけ歯がゆかった事だろうと思います。

サミーはこのコンサートの6ヵ月後にこの世を去りました。
彼が天国へ逝く前に、「あなたのおかげで僕らがいるんだ。次は僕らがあなたのあとを引き継ぐよ」という想いを歌ったMJ。

sdmj.jpg

そして今、多くの若いアーティスト達が彼をTRIBUTEし、「あなたがいたから」とあの時のMJと同じ想いで彼のあとを継いでいくのでしょう。

わたしも彼の残した多くの作品を、これからも大切にしていきます。
そう、MICHAEL JACKSON
そこにあなたがいてくれたから

治らぬビョーキと Goon To Soon と泣けるスピーチ

ちっともマイケル熱が下がらないので、だんだん疲れてきました(苦笑)
駅のホームでも ipod から「Gone Too Soon」など流れると速攻で涙が。

Goon To Soon(アルバムDANGEROUS)


この曲は、血液製剤でエイズに感染し、差別と戦いながらわずか18歳の若さで亡くなったライアン・ホワイト君の為に捧げられた曲です。
当時アメリカでは大変な話題を呼び、マイコーは彼を支援する著名人のひとりでした。
1993年(ああ・・またこの年かよ・・)クリントン大統領の就任祝賀コンサートで、ライアン君の追悼とエイズ撲滅を訴えるマイコーです。
でも今、わたしにとっては彼の死こそが Goon to soon だから・・。


夕空を跨いで燃え盛る彗星のように
あまりにも早く逝ってしまった

瞬く間に消えてしまう虹のように
あまりにも早く逝ってしまった

ある日ここで、陽を受けて、輝いて、見事なほどに光っていたのに
ある夜に消えてしまった

曇った昼下がりに失われる陽の光のように
あまりにも早く逝ってしまった

砂浜に築かれた城のように
あまりにも早く逝ってしまった

まるで手が届くより向こうにある最高の花のように
あまりにも早く逝ってしまった

人を楽しませ、元気づかせ、喜ばせるために、ある日ここに生まれ
ある夜に逝ってしまった

月の出と共に消えていく日没のように
あまりにも早く逝ってしまった

あまりにも早く・・・



縁もゆかりもない他人様を想うだけで、なしてこない悲しいのか。
ひょっとすると父親が死んでもこない泣かんのじゃないかと危惧する今日この頃。(父?まだ生きてますけどw)

2006年、無罪判決後初めて公の場に現れたMJ。
それは日本でのMTV・VMA JAPAN での表彰式でした。
(この翌日、以前書きましたが彼は養護施設を訪問します)

当時、そのMTVの放送を実は偶然見て、その頃ももちろん好きだったけど今ほどではなかったので、わりと冷静に見ながらも、彼のスピーチの途中で「あれ?ひょっとしてマイコー泣きそう?」なんて思ったのを覚えています。

MTVの司会は久本まちゃみと速水もこみちくんでした。
まちゃみは完全にマイコー世代なので、マイコーの目を見るのも、もういっぱいいっぱいなのが伝わって、裏山椎茸(羨ましいってことです)でした。
表彰式全部を見たい方はこちらから

<マイコーVMA JAPAN スピーチレビュー>

ステージのマイクに向かうマイコー
大声援に投げKissとかでこたえると、さらに歓声がでかくなるのでなかなか言葉を話せない。
ようやく

まずはじめに・・MTV JAPANにお礼を言いたい
とても光栄です

mtvjapan1.jpg
会場から「マイコー!I love youーーー!」の声。
マイコーはどこでもお約束で、そんな時は必ずこう返してくれる。

I love you, more! ぎゃ~~~~!!!(ファンの歓声)

そして何より日本の人々に・・
僕は心の底からきみ達を愛しています


mtvjapan2.jpg
この場に立ったらきっと感極まると思ってたよ
だって、きみ達はとてもスイートで、寛大で・・


mtvjapan3.jpg
(一瞬泣き顔になって)優しいからね

世界中のファンと日本のファンに心から感謝しているよ


またまた大歓声の中からファンのアイラブユーが聞こえたので、お約束の
I love you, more!

うれしくなったマイコーは、リズムをとりはじめ、踊らないけどダンスのマイコーの健在ぶりをアピール
ノッてきたんでこれこれ、この顔!
mtvjapan4.jpg

僕の子供たちにもお礼を言いたいんだ
プリンス、パリス、そしてブランケット、心から愛しているよ

僕を信じ続けてくれる全てのファンにとても感謝しています


mtvjapan5.jpg
Thankyou so so much!

大歓声の中、すぐにはけずに中央まで伸びたステージを進んで、観客に近づくマイコー。
何度も手を振り、何度も笑って退場していきました。

書きながらすでに泣いてるんですの・・ビョーキだよなー完全に・・(苦笑)


このときマイコー48歳。美しすぎる48歳だの。

でもこれからたった3年で・・

初めて来日したときに、日本では大声ではなく落ち着いて話す人が尊敬されると聞き、「アメリカと大違いだよ」と感想を漏らしたマイコー。(自分じゃんて思ったかもw)
同じく2006年の別のインタで「久しぶりの公の場に日本を選んだ理由は?」と聞かれてこう答えてくれました。

僕はこの国の文化と、人の気質が大好きなんだ

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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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