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Smelly(スメリー)の真実

過去記事で、MJと共に「Off The Wall」「Thriller」「BAD」をプロデュースしたクインシー・ジョーンズが、彼の事をSmellyと呼ぶ理由を書きましたが、実は全然違っていた事が判明しました。

ああ、怖いわね・・ソースがあやふやなものって。

MJは過去、散々ゴミみたいなゴシップにまみれていましたが、そのほとんどは今回のわたしのようないい加減な情報を記事にしたものだということを、身をもって知りました。
過去記事で「そうだったんだ~♪」と喜んでくれた方には、謹んでお詫び申し上げるとともに、今回のお話は、MJが自分で言ってることですから、もうもう間違いありませんので!!

もう最初っから明らかにしますよ。

ニュースソースはこちらです!

これは2007年12月、USのブラックカルチャーマガジンで有名な「Ebony」誌でのインタビューです。
その中で、MJご本人様がSmelly の理由を言ってるんですね。

MJ Ebony_magazine_2007
うっとり・・。

Ebony誌はブラックカルチャー専門誌で、しかもこのときは「スリラー25周年」を祝うインタビューでしたし、、音楽面重視の質問でしたから、タブロイド的に面白おかしく書き立てられる恐れがなかったせいか、MJもリラックスして答えていたようです。
そこで「スリラー」のアルバム製作時の話題で、自分でもこのアルバムにかける意欲がハンパないものであったという話をしています。
それまでのポップアルバムの多くが、全体の1曲ぐらいしかいいものはなく、あとは全てB面レベルみたいな現状を変えたかったというくだりで

Why can’t every one be like a hit song?
Why can’t every song be so great that people would want to buy it if you could release it as a single?’
So I always tried to strive for that.
That was my purpose for the next album.
That was the whole idea.
I wanted to just put any one out that we wanted.
I worked hard for it.

なぜ全部がヒットソングみたいにできないのか?
なぜ全曲がシングルカットされた時に、みんなが買いに行きたいと思えるような素晴らしいものにできないのか?
だから僕はいつもそれに向かっていこうとしていたよ
それが次のアルバムでの僕の目的だった
それが全体の構想だったんだ
ただ自分たちが欲しかったものを全部出したかった
そのために僕は必死にやった


全曲が最高のものになるようにあらゆることを試していくわけですが、そのパートナーであるクインシーとのいい関係を話すくだりで、キターーー!

Quincy calls me a nickname, ‘Smelly.’
Smelly came from ––and [Steven] Spielberg calls me that, too.
Back then, especially back then — I say a few swear words now––but especially then, you couldn’t get me to swear.
So I would say, ‘That’s a “smelly” song.’
That would mean, ‘It’s so great’ that you’re engrossed in it.
So he would call me ‘Smelly.

クインシーは僕を「スメリー」ってニックネームで呼ぶんだ
スメリーっていうのは・・ああ、(スティーブン)スピルバーグもそう呼ぶね
当時、特に当時は、今はちょっとは悪い言葉も使うけど、でも特に当時は僕はそんな言葉使わなかったからね
だから「それスメリーな歌だね」なんて言って
「とてもすごいよ、夢中になるよ」みたいな意味でね
それで彼は僕をスメリーと呼ぶんだよ


2010年1月31日修正・追記
この記事を書いた時点では何の言葉の代わりのSmellyだかは書けなかったのですが、その後指摘してくださった方や自分でももう一度調べた結果「Funky」だと判明。
Funkyは元は「臭い」=「黒人の強い体臭」を表す言葉で、いつしか「黒人っぽくてカッコいい」(今の「ヤバい」的)を表す賛辞の言葉へ変化したようです。


これが「Smelly」の真相ですわ、みなさん!
わかっていただけて?
これこそそうなのよ、This is it なのよ、みなさん!

過去記事の記述は削除しておきます(涙)


これ以降はちょっとヘビーな話なので、楽しい気分でいたい方はここでお別れしましょう♪

続きを読む

You Were There あなたがいたから

MJがいなくなってから、色々なところで彼へのTRIBUTEが行われています。

それは一般の人たちであったり、彼に影響を受けた若いアーティストだったり、彼をよく知る大物だったり、それはもう多種多様。
MJも生前は、多くの尊敬する先輩たちへのTRIBUTEを行っていました。

そのうちの一人がサミー・デイビスJrです。
まだ8歳だった彼を、後にMJの人生を変えることになる「スリラー」のプロデューサー、クインシー・ジョーンズに紹介してくれた人です。
実際にはクインシーは、映画「The Wiz」で成長したMJと仕事をすることによって彼の才能に驚くわけですが、サミーはまだ8歳の彼の事をクインシーに「この子は只者じゃないんだ。すごい才能だよ」と紹介したのです。
その言葉を聞いた幼いマイケルくんはとてもうれしい気持ちになりました、とMJ自身が後に振り返っています。

サミーもショウビジネスの世界で、MJたちよりずっと前から黒人差別や偏見と戦って頑張ってきた人。
MJがゲロッパ!のJB(ジェームズ・ブラウン)を崇拝していたのは有名だけれど、サミーのことも大好きな大先輩として心から尊敬していたし、彼からもダンスの影響を受けています。



これはサミーの最後の来日コンサートの模様。
サミーは晩年「BAD」のさわりを取り入れて、「若い人の歌はやっぱ疲れるわぃw」といいつつ、自分のおはこ「Mr.Bojangles」を歌うという流れだったみたいです(笑)

それが、このときのサミーが帽子をかぶる時の仕草や、キメ立ち姿が、とてもMJに似ている!
というより、これを観るとMJがサミーから影響受けたのだと思います。
幼い頃からショウビズの世界に入ったMJは、神さまJB、タップの王様サミーをはじめ、色々な人のステージを舞台の袖から見て、自然と彼らのエッセンスを自分のものにしていったのだなぁと思います。
後にHIPHOPやブレイクダンスなど新世代のダンスとこれらが融合していくわけですね。

過去記事で、MJがモータウン25周年のスペシャル番組で、Billy Jeanのパフォーマンスをしたときに着ていた黒のキラキラジャケットは、実はキャサリン・ママのものだった、という事を書きましたが、そのジャケットをMJは尊敬するサミーに譲っています。
サミーにジャケットをプレゼントしたことを、自伝MOON WALKで書いています。

僕は、モータウン25で着た光り輝く黒のジャケットを(実はおかんのだけどw)
Sammy Davis Jr. にプレゼントしました。
彼がステージで僕の物まねをするというので、僕は「なら、それをやる時にこれ、着たいでしょ?」と言ったのです。
彼は大喜びでした。僕はサミーが大好きです。彼は実に素敵な男で、本物のショーマンです。
最高のショーマンのひとりなのです。


サミーは晩年喉頭ガンを患います。
手術の為に声帯を取り、大事な声を失ったにもかかわらず、余命はあまり長くはない状態でした。
そんなサミーを力づけるために、彼の芸能活動60周年を記念するコンサートが開かれました。
(彼は64歳でしたから、MJと同じく子供の頃からショウビズの世界にいたのです)
フランク・シナトラ、スティービー・ワンダー、ほかにもビッグネームが勢揃いで、みんなサミーの為に、サミーに向けて心からのTRIBUTEパフォーマンスを贈りました。
その中の最年少でMJもいたのです。

<2010/2/10 追記
11月に撮影されたこのコンサートの模様は、1990年2月4日にABCテレビで放映され、収益金はすべてUNCF(全米黒人大学進学基金)へ寄付されました>


このときにMJがサミーの為に書き下ろして歌ったのが、「You Were There」
サミーを讃え、サミーへの感謝の気持ちがあふれるこの曲は、おそらくこれ以降は人前では歌われていません。



You Were There

You were there, before we came.
You took the hurt, you took the shame.
They built the walls to block your way.
You beat them down.
You won the day.
It wasn't right, it wasn't fair.
You taught them all.
You made them care.
Yes, you were there, and thanks to you
There's now a door we all walk through.
And we are here, for all to see --
To be the best that we can be.
Yes, I am here....
Because you were there.

あなたは僕らが来る前にそこにいた 傷つき恥ずかしい思いをしながら
人は道を閉ざし壁をつくった
あなたは壁をこわし日の目を見た
“それは正しくない それは公平でない”
あなたは彼らにそう教えた
あなたのおかげで外へ出るドアがみつかった
そして今、ベストをつくすために僕らはここに立つ
そう、僕はここにいる
なぜならあなたがそこにいてくれたから


MJの声は本当にきれいだなーと思います。
ビートの利いた歌もいいけど、MJのバラードはやはり最高。
歌唱力もさることながら、美しいメロディラインを作り出す作曲者の能力も秀逸。
「INVINCIBLE」以降、彼の歌はレコード会社との確執でなかなか世に出ない状況にありました。
しかしその間も創作をし続けていたMJ。
ベストを尽くしたくても尽くせない状況は、どれだけ歯がゆかった事だろうと思います。

サミーはこのコンサートの6ヵ月後にこの世を去りました。
彼が天国へ逝く前に、「あなたのおかげで僕らがいるんだ。次は僕らがあなたのあとを引き継ぐよ」という想いを歌ったMJ。

sdmj.jpg

そして今、多くの若いアーティスト達が彼をTRIBUTEし、「あなたがいたから」とあの時のMJと同じ想いで彼のあとを継いでいくのでしょう。

わたしも彼の残した多くの作品を、これからも大切にしていきます。
そう、MICHAEL JACKSON
そこにあなたがいてくれたから
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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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