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Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その5

I said, "Mike, let's go to Brazil to do this." And he said, "Let's go, Spike!"
「マイク、SFを撮りにブラジルへ行こう」「よし行こう、スパイク!」



わたし達が何度も目にした「They Don't Care About Us」のBrazil version。

マイケルが地元住民に熱烈に歓迎されながら通りを歩き、途中警備をかいくぐったファンの女性がほぼタックルwしてきて地面に倒されたりしつつパワフルに歌い踊るシーンは、リオデジャネイロのドナ・マルタという、当時は麻薬密売で悪名高い町で撮影されたものです。


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マイケルは過去DANGEROUS TUORでブラジルを訪れた際に、当時のコンサートプロモーターに、「遊園地を貸し切りにし、貧しい公立学校の子供たちを招待したい」と願い出て、さらに貧困やそれによって生まれるストリートチルドレンの事など、この国のあらゆる問題をとても心配していたそうです。

そんな彼だからこそ、密売業者がはびこり治安も悪く、さらに貧困も加わってスラム化したまま放置されていたこの町の状況は、まさに「All I wanna say is that They don't really care about us 僕が言いたいのは、彼らは僕らのことなんかどうでもいいってことさ」という、その中で生きねばならない弱者の行き場のない怒りを叫ぶにふさわしい背景だと考えたのかもしれません。

リオの自治体はこの町がSFの舞台になることで、町が抱える問題を世界に露呈されることを心配したらしいですが、逆に地元住民はマイケルが自分達の町を選んでくれたことに誇りを感じ、歓迎の意を表そうと早朝から彼のために雑然と汚れていた通りの掃除を率先して行ったそうです。
そのことに感動したマイケルも、人々にキャンディを配ったり気軽に握手に応じたりしながら、ゴミがきれいになくなった通りを歩いたそうです。

そんな地元住民の熱烈な歓迎を生かして、この撮影には大勢の地元住民たちも加わっていますし、別のカットでは同じブラジルのサルヴァドールを拠点とするアフリカンブラジリアンのパーカッション・グループ、オロドゥム(Olodum)と競演していますね。
総勢200人が打ち鳴らすドラムリズムが、マイケルの力強いパフォーマンスをさらに引き立て盛り上げる効果を生み出しています。

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わたしはこのBrazil versionが大好き。
曲に込められているメッセージはある意味重いものですけれど、マイケルと競演するオロドゥムのドラムと大勢の民衆パワーが、全編通してエネルギッシュでポジティブな印象を与えるんですね。
ただ「何もしてくれない」と嘆いているのではなく、「さまざまな困難な問題が現実に存在することを知って欲しい、そしてそれらを放置せず、自分達の力で毅然と変えていくんだ」という力強いメッセージに聞こえるのです。
この曲の映像からは、圧倒的な民衆パワーから生まれる明るいエネルギーが満ち溢れていて、深刻に下を向いて考え込んでいた人でも、気づけば踊りださずにはいられないし一緒に歌いださずにはいられない。
そんな音楽の持つポジティブな力がSF全編にあふれているのです。

マイケルは音楽にはそんな力があるということを知っていましたし、ご自分に大きな影響力があることも知っていました。
ツアーで訪れた多くの国で、場所で、彼は公に報道されないさまざまな改革や貢献を行っていましたから、この撮影が何らかの変化をこの場所にもたらすこともわかっていたのでしょうか。
自治体の心配どおり、SFによって悪名高きこの町が世界中から注目されることになりますが、結局この撮影がきっかけとなって、リオデジャネイロ市はこのスラム街を麻薬密売業者から開放し発展させるプロジェクトを始動することを決定します。
マイケルのThey Don't Care About Usは、この町を社会的発展のモデルケースとして再生することに貢献したとして、現在は昔の面影など微塵もなく安全になったドナ・マルタに彼の銅像が建てられる事になりました。
(参考ソースはこちら


そんなこぼれ話など仮に知らなくても、このSFからは力強い明るさを受け取ることができます。
だからといって、軽いダンスナンバーにはならなずに、逆にこの曲の持つメッセージの説得力が高まった映像だと思います。
それはマイケルのアイデアも才能もパフォーマンス力もあったでしょうけれど、映像を監督したスパイクがマイケルと同じ問題意識を共有できるアイデンティティの持ち主であったことも大きいと思います。
ただ、美しいだけではない、楽しいだけではない、このようなそれこそエッジの効いたメッセージを映像で表現できる監督だとして、マイケルが彼を選んだその目は正しかったというべきでしょう。
そして、マイケルのイメージするものを見事に描き出したスパイク自身も、自分の人生はマイケルに影響を受けたとして彼をリスペクトしていたと語っています。

そんな二人がタッグを組んだからこそ、この曲のふたつのSFは、何年経っても色あせないインパクトを放つ作品として語り継がれているのだと思うのです。


そんなスパイクがマイケルへの愛を込めて創ったもうひとつのSF。
それが「This is it」。

映像はインディアナ州ゲイリーのマイケルの生家から始まります。
マイケルの映像と写真で綴られていく彼の人生。
彼が愛したファンの姿。
それらの中に差し込まれる道路標識に落書きされた言葉(STOP HATIN' 憎むことをやめよう)の映像が、常にマイケルが言い続けたメッセージとして静かに伝わります。

スパイクは理解していたのですね。


マイケルが恐れ、マイケルが嫌い、そしてマイケルが伝えたかったこと。


人種や肌の色や環境に代表される外側を引き合いに出してのいがみ合い。
でもそんなフィルターは単なる目くらましで、実は人間の持つ他者への無知、無理解、嫉妬から産み落とされる「憎しみ」という目には見えない感情、それが高じる事が一番恐ろしくて愚かなことなのではないか。


そんな愚かな感情をぶつけ合うことはもうやめよう
偏見は無知から生まれる

ならば

自分を知り、自分を受け入れ、自分を赦し、自分を信じて、自分を誇り、自分を認めよう

そして

違いを知り、違いを受け入れ、相手を赦し、相手を思いやり、相手を敬い、相手に愛を伝えよう

そんな彼の声が聴こえるような気がします。


スパイクがこのSFに込めた彼へのさまざまな想いは、彼を愛する人すべてが共感し共有する想いでもあります。
彼が撮ろうとしている、奇しくもJBとマイケル、ふたりのKINGの映画。
ふたりへの愛と敬意を心に抱いて撮る映画なら、どちらが先でもいいから、無事に完成することを祈ります。

正式に決定してはいないけれど、マイケルの映画の仮題。

「Brooklyn Loves MJ ブルックリンはMJを愛してる」

これを見たとき、BAD撮影中にマイケルが見物人から罵声を浴びせられた時のことを語るウェズリーの言葉を思い出しました。(この記事のその1
「彼らは自分達とマイケルの間に隔たりがあると感じたんだ。
きっとマイケルが黒人のコミュニティから出て行ったかのように感じていたんだよ」

スパイクの「This is it」SFの最後のシーンは、ゲイリーの家の前でライトに照らし出されるスツールの上にそっと置かれたマイケルの黒いフェドラ帽とスパンコールの手袋。
歓声も華々しさもなく、ただただ静かに故郷に戻ってきた彼の象徴。
それはあたかも、巨大な成功をおさめただけではなく、肌の色が変わっていく彼に対して、一度は自分達のコミュニティを出て行ったかのように感じたけれど、この悲しい現実によってそんな気持ちは消え去り、再び「おかえり」と静かに迎え入れているかのような、そんなことを感じさせました。
そして、こんなことになる前にもっと早くそうするべきだったという悲しみも同時に伝わる光景でした。

マイケルの外側のフィルターに騙され彼のアイデンティティに一時でも疑いを持った人が抱く複雑な感情は、当時おそらく黒人コミュニティに歴然とあったのではないかと思えてならない。
乱暴な非難を彼にぶつけたブルックリン(ハーレム)の見物人は、特殊でも少数でもなかったのではないかと。
BADでマイケルを粗暴な見物人から守ろうとしたウェズリーですが、彼も意識のどこかでほんの一瞬、見物人の感情がわかる瞬間があったのかもしれません。


ウェズリーの言葉。(記事ソースはこちら
僕は彼を創りあげた神が、(もしくはあなたが信じるなんだっていい)僕たちを楽しませてくれる天使として彼を送り戻してくれることを祈っているんだ。
僕達がマイケルを失ったことは、ただ普通の人を失ったこと以上の喪失だ。
あんなに多くの世界中のさまざまな人の心に届いて触発させる人は、何か天使みたいな人なんだよ。
ただ、僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない。


僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない



でも本当は彼を愛している

彼に罵声を浴びせた人だって今頃は彼のためにキャンドルに灯りをともしているかもしれない

彼にふれたひとはみんなきっと

もちろんウェズリーもスパイクも


彼は人が自分を受け入れて愛してくれることを心から望んだからこそ
人を愛すことをやめなかった

そんな彼をわたしたちは
ブルックリンの人たちは
ドナ・マルタの人たちは

いや、世界中の人たちは

World loves MJ


絶対に忘れない
いつまでもいつまでもずっとずっと愛している
わたしたちのマイケル

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その4

つい最近のニュースです。
「スパイク・リー監督、極秘扱いのマイケル・ジャクソン映画を製作か」

この噂は去年の秋ごろすでに海外サイトでは囁かれていました。
現段階のタイトルは Brooklyn Loves MJ

こちらを優先するのか、JBの伝記を優先するのか悩ましいところですが、マイケルのどういった映画になるにしろ、スパイク・リーなら安心して完成を待ちたい気持ちです。

少なくとも絶対にマイケルへの愛が根底にある人が撮る映画だから。
お金の為ではなくて、彼への想いがあふれて突き動かされてしまった人が撮る映画だから。




そういう意味では
側近面して平気で彼を裏切り、致命的な問題を起こしたうえに、解雇され縁を切られたにも関わらず今だに関係者を名乗っている人物の映画、しかもそんな製作側の情報に疎い日本でしか公開できない映画とは根本が違うのです。




ご存知の通り、スパイク・リーはマイケルの「They Don't Care About Us」のSF、Prison versionとBrazil versionのどちらも撮った監督ですね。
マイケルはこの撮影のあと、スパイクの映画「ゲット・オン・ザ・バス(Get On The Bus)」(1996)に、隠れた名曲である「On The Line」を提供し、この映画のオープニングで使われましたが、映画のサントラにはなぜか収録されませんでした。
あやうく幻となりそうでしたが「THE ULTIMATE COLLECTION」に収録されましたので、わたしも聴く事ができています。
実は1997年の「GHOSTS」限定ボックス・セット(VHS・CD)には収録されていたのですが、現在は廃盤ですので入手は困難だったからです。
ちなみに6月26日18:00~WOWWOWでこの「GHOSTS」が放送されます
本編放送後、メイキングも合わせて放送されることを電話で確認しましたので、よっぽどの事がなければ放送されるでしょう。
狂喜乱舞とはこのことでしたw

プチ情報はこれぐらいにしてw、話を戻しましょう。


「They Don't Care About Us」は良くも悪くも注目された作品でした。
この曲でマイケルは、偏見や差別が高じた結果、権力や暴力に抑圧され人権を蹂躙される者の怒りのメッセージを表現していると思います。
おそらくご自身の経験(93年のゆすり目的の訴訟のおかげで受けた警察からの屈辱的捜査)も踏まえながら、さまざまな権力や暴力に虐げられる弱者の立場で、「僕が言いたいのは、彼らは僕らのことなんかどうでもいいってことなんだ」というストレートな怒りを作品に込めています。
ところが歌詞の中に出てくる「Jew me」「Kike me」が、いずれもユダヤ人をあらわす言葉やユダヤ人の蔑称の言葉であることで、反ユダヤ的だと問題になります。
マイケルは決して特定の民族や宗教を非難しているわけではなく、あえて差別用語を用いることで今だこの世界にはびこる無知からくる偏見を表現しようとしたのだと思うのですね。

注:この言葉の解釈に関しては、大西恒樹さんの「マイケルの遺した言葉」で明快に訳者としての見解が述べられていて大変わかりやすいので、もしもまだの方はぜひご一読をお奨めします。

結局マイケルは問題の歌詞の書き換え(Jew meを Sue meに、Kike meをStrike meに)
と、歌詞部分へ機械音をかぶせるレコーディングをし、正式に謝罪を行います。
ただ、謝罪はあくまでも誤解を招いたことへのものであり、彼自身はこの作品を撤回する気などさらさらなく、SFではさらにビジュアルで強烈な問題提議を表現します。


そのSFの監督をとマイケルが依頼したのがスパイク・リー(Spike Lee)、その人でした。
彼がマイケルからこの作品を撮ってほしいと依頼されたときの事をこう語っています。
(TIME ソースはこちら

マイケル・ジャクソンから電話が掛かってきたんだ。
「スパイク、君に会いたいんだ。今からニューヨークへ行くんだよ」
僕は言ったよ「いいね。どこで会う?」そしたら彼が「君の家に行きたいな」って。
僕はブルックリンに住んでるんだよ!彼はその僕んちに来たいって!
それで、マイケル・ジャクソンがニューヨークはブルックリンの僕の家にやって来たんだ。
僕がフォート・グリーンに住んでた時だよ。
それで彼が「僕のビデオを監督して欲しいんだ」って。
「ニュー・アルバムが出るから、曲を選んでよ」って。
それで、2人で全曲を聴いて、僕は「Stranger in Moscow」を選んだ。
すると彼が、「それじゃないのをやって欲しいんだ」って言うんだよ。
僕が「マイケル、どれをして欲しいのか言ってくれよ! どうして僕に選ばせるのさ」と言うと、彼は笑いながら「They Don't Care About Usを」
それが始まりだったんだ。

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マイケルもインタビューで、スパイクに依頼した理由として「この曲はエッジのきいた(切り口の鋭い)曲だからね」と答えています。
「Do The Right Thing」「マルコムX(Malcolm X)」など黒人を取り巻く問題の作品で知られる社会派の彼こそ、自分と一緒にこの作品のエッジを映像で表現するにふさわしい人物だと思ったのですね。
こういう点でもマイケルは攻めの姿勢を崩さない。
やるといったらやる男です。

いわゆる監獄バージョン(Prison version)と呼ばれるビデオでは、刑務所の食堂のセットで大勢の囚人達と人権を求めて叫び訴えるもの。

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さらにロドニー・キング事件(スピード違反で逮捕された黒人男性ロドニー・キングに対して、必要以上な不当な暴力行為をロス市警の白人警官が行ったことへの裁判で、警察側に無罪の評決が下った事件)、ロス暴動(その事件をきっかけに発生した大規模な黒人暴動)、KKK(黒人を迫害した白人至上主義団体)、天安門事件(民主化を訴える学生デモを中国政府が軍隊で制圧した事件)、さまざまな戦争などの映像が効果的に使われ、メッセージはよりダイレクトに強調されて表現されています。
しかし、そのあまりにもダイレクトな表現が暴力的だとこれまた問題視されたことで、このビデオも放送制限、放送自粛の対象となってしまいます。

そこでマイケルとスパイクがこの作品の次のSFの撮影場所に選んだのが、ブラジル(Brazil version)でした。


ああ、まだ終われません(泣)
続きます。

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その3

JBは2006年のクリスマスの日に、その波乱万丈でドラマティックでハチャメチャで、いいにつけ悪いにつけパワフルな人生の幕を閉じました。
直前まで、そして翌年もスケジュールはぎっちりと入っていた、73歳にして普通に現役、The Hardest Working Man in Showbiz(ショウビジネス界いちばんの働き者)と呼ばれていたKing of SOULは、ようやく長い休暇を手に入れたのでした。

彼の葬儀に出席する為に、マイケルも長らく留守にしていたアメリカへ戻ってきます。
葬儀を取り仕切った、マイケルとも親しい公民権運動指導者のアル・シャープトン牧師は、JBがマイケルに残した伝言を伝えます。

Tell him I love Michael.
Tell him don't worry about coming home.
They always scandalize those that have the talent.
But tell him we need to clean up the music and I want Michael and all of those that imitated me to come back and lift the music back to where children and their grand mommas can sit and listen to the music together.
俺がマイケルを愛していることを彼に伝えてくれ。
何も心配せずにお前の国へ帰ってこいと伝えてくれ。
才能ある者はいつもスキャンダルで騒がれてしまうもんだ。
でも彼に伝えて欲しい。俺たちはこの音楽の世界を掃除する必要がある。
マイケルを始め俺をまねたみんなに、今の音楽の世界を、子供とそのおばあちゃんが一緒に座って聞けるような、そんなmusicに引き戻して欲しいんだ。
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さまざまなカテゴリーに分けられてしまったMusic。
HIPHOPを聞く人とカントリーを聞く人は、同じ空間で共存しない・・といった感じでしょうか。
JBが伝えたかったことを、マイケルはずっと感じていたと思います。
彼は2001年、ファンとのオーディオ・チャットイベントに参加した際、奇しくもこのように語っています。
(2001 online-audio-chat ソースはこちら

I don't believe in stylizing or branding any type of music.
I think a great artist should be able to just create any style, any form, any...any thing from rock to pop to folk to gospel to spiritual to just, just wonderful music where every, uh, anybody can sing it, from the Irish farmer to a lady who scrubs toilets in Harlem.
If you can whistle it and hum it, that's the most important thing.

僕はどんな音楽に対しても、それらをスタイル化したりブランドをつけたりすることを良いことと思わない。
偉大なアーティストはどんなスタイル、どんな形態の曲でも作れるべきだし、ロックでもポップでもフォーク、ゴスペル、スピリチュアルまで、ただ素晴らしい音楽をね、どんな人でも歌えるような、それこそアイルランドの農夫からハーレムでトイレ掃除をするレディまでさ。
その曲を口笛で吹いたり口ずさめること、それが最も重要なことなんだよ。


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マイケルはこの時のインタビューでラップに関して興味深いことを話しています。
もともとラップというのはリズミカルなしゃべりで構成され、それに加えてライムと呼ばれる「韻」を踏むことでさらにリズムが面白く変化するものですが、それだけだと言語が限定され、聞く人自体も限定されてしまいます。
そこへわかりやすいメロディが加わったことで、より多くの人に受け入れられやすくなったと。
メロディは不滅だから、メロディ性が重視される限り、ラップは生き残るだろうと。

国や人種、職業や環境などの外側だけの区分けを、音楽のジャンル分け同様嫌った彼ですから、言語が違えども年齢が違えども、どんな人でも気軽に口ずさむことができるわかりやすくて美しいメロディ、それをとても大切にしていたことが伺えます。



2008年マイケルと仕事(彼のnewアルバム)でコラボしたNe-yoもこんなことを話しています。ソース

彼は、僕がメロディをどう捉えているかについてを、高く評価していると言ってくれました。
彼の音楽はメロディこそがすべてでしたし、彼からの唯一の具体的な指示といえば
「歌はできる限りメロディアスなものを心がけて。僕はそこへ立ち返りたいんだ」ということでした。

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永遠のアイドルでありヒーローであり、自分に本当に大きな影響力を与えてくれたJBの願いは、彼の作品創りにおいて信条とすることでもあり、それはご自身の願いにもなっていったのではないでしょうか。

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子供とそのおばあちゃんが一緒に座って聞けるような、そんなMusic。
アイルランドの農夫からハーレムでトイレ掃除をするレディまでが歌えるようなメロディを。
外側がどうであっても、誰もが一緒に口ずさめる、一緒に楽しめる、そんな歌。
そんな歌ならば、必ず受け入れられる。
そして、長く愛されてゆく。
大切なのはその本質。

最新の機材と最新の技術、そして斬新なアイデアによるクオリティの高い音。
それも革新者としての彼のこだわりであったでしょうけれど、それと同時に曲を作る上で一番重要だったことは、JBの伝言と自身の信念を守ること。
Ne-yoに「メロディアスという原点に立ち返る」と言った彼からそんな想いを感じます。



上記のチャットイベントでの別の質問。
完ぺき主義ゆえアルバム発表が他のアーティストに比べて遅いマイケルに、長く待たせすぎて聴衆が去ってしまわないかという不安はありますか?というのに対して、彼は断固としてこう言いきっています。

I'm, I'm ... No, the answer to your question is that has never concerned me once and I've never thought of it.
Because I've always known if music is truly great or if a movie is truly great, people want to see it or hear it.
No matter where you, how long you've been away, or whatever the situation is. You know, greatness is greatness and if you really do a great job on what you're doing, people want to hear it. Or they want to see it.
You know, it doesn't matter, It really doesn't. Long as you're an innovator and a pioneer, you know.
And that's the most important thing.
Give them what they want to hear.

僕、僕は・・それはないね。君の質問に対する答えとして、僕は決してそのような事を心配したことがないし、考えた事さえないよ。
なぜなら、もしその音楽や映画が本当に素晴らしければ、人はそれを観たいし聴きたいと思う事を、僕は常に知っているから。
アーティストがどこにいようと、どれだけ長く離れていても、どんな状況だとしても、それは問題じゃないんだ。

そうでしょう?素晴らしいものは素晴らしいんだし、もし自分が本当にそんな素晴らしい仕事をしているなら、人は必ず聴きたいし観たいと思うはずなんです。
状況なんて関係ない。本当に関係ないんだよ。革新的なパイオニアでいさえすればね。
そしてそれこそが最も重要なこと。
みんなが心から聴きたいと思う音楽をだすことなんです。



自分を取り巻く望まない状況や、偏見、疑い、ブランクを危ぶむ声。
大きすぎる成功を成し遂げた日から、すでに始まっていた逆風。
外側で判断されるいわれのない屈辱的な誤解。
しかし、それらにひとつひとつ反論したり訂正を求めたりするよりも

みんなが心から、観たい、聴きたいと思う作品を
誰もが自然に口ずさめるメロディを
誰もが喜んで真似たくなるパフォーマンスを
違う世代が一緒に楽しめるMusicを

そんな素晴らしいものを妥協なく創りあげ、世に出すことが一番の解決策だと。


常に「The best is yet to come 最高はまだ来ちゃいない」を口癖にして
彼は守り通したのですね。
自分の確信した揺るぎない信念と、彼のヒーローJBの願いを。


彼は常に曲を作り続けていましたし、それは当然ご自身のアルバムに繋がる作業でした。
その作業と平行して決まったTIIのライブ。


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その音楽や映画が本当に素晴らしければ、人はそれを観たいし聴きたいと思う事を、僕は常に知っているから。
アーティストがどこにいようと、どれだけ長く離れていても、どんな状況だとしても、それは問題じゃないんだ





まさにこんな気持ちでいたのかな

きっとファンはわかってくれているって信じているけど
でも長く待たせすぎた彼らに
絶対に期待以上の素晴らしい経験をプレゼントしてあげよう



そんな気持ちで



走り出したのかな





続きます。

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その2

ずいぶん前のニュースですが、BADのSFが撮影されたNYの地下鉄スキャマホン駅に、彼を記念した壁画が制作されます。
このTributeにウェズリーも協力をしています。

ウェズリーはBAD撮影時、自分のシーンは3日間の予定だと聞かされていましたが、実際撮影は3週間、ほぼ1ヶ月にも及んだそうです。(たった17分の映像に!)
マイケルも監督のスコッセッシも、単なるミュージックビデオを撮るつもりがないということが如実にわかるエピソードだと思います。
それだけマイケルは作品制作に対し、常に全身全霊で全力投球するということで、奇しくもウェズリー自身、マイケルのボディガード気分にもなりましたが(前記事参照)、この撮影期間中にその現場を目の当たりにし、彼から多くを学んだと語っています。(ソースはこちら

僕が最も得られたことは、マイケル・ジャクソンがリハーサルでも、すでにパフォーマンスレベルだったのを見たということだ。
僕は言った。「これこそまさに完璧なアーティストだよ。僕がたどり着きたい頂点、そしてアーティストとして手に入れたいスキルだ」ってね。
僕は彼からそれらを学んだからこそ、自分もリハーサルでは手を抜かない。
そして仕事をする上で、そのことにこだわって努力してきたんだよ。

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マイケルはわずか5歳からショービズの世界で生きていた人でしたから、BAD撮影時は28歳でしたけれど、すでにキャリアもアーティストとしてのプロ意識も充分ベテランの域に達していました。

ここからはわたしの勝手な解釈ですが、Thrillerで世界的な成功を収めたことにより、それを上回ることは難しいとされる意地悪な風潮、それに加え自分に対して手のひらを返したような妬みにも思える逆風、そんなものを払拭するのに一番確かな方法は、自らのパフォーマンス、作品、映像、その全てに魂を注ぎ込み、最高を追い求め、BESTなものを世に出すこと。

良いものは必ず受け入れられる。
歌であってもダンスであっても映像であっても
見る人がどんな年齢であってもどんな国の人であってもどんな肌の色であっても

それを彼はそれまでのJacksonsでのコンサートで、肌で感じてきたのではないでしょうか。
コンサート会場は国境もしがらみも上下もなにもない世界。
彼らのコンサートの客席には、老いも若きも黒人も白人もアジアンも、みな同じ曲で同じように歌い踊り喜び叫んでいる。
そんな光景を、彼は本来送るべきだった普通の暮らしと引き換えに、小さな頃から世界中を回ってさまざまな国で見てきたのです。
それはいつしか揺るぎない確信を彼に与えたのではないかと思うのです。

自分の作る曲、踊り、歌、映像、そう自分のアートが本当に良いものであれば、必ず受け入れられ、自分への偏見も吹き飛び、何の隔たりもなくなり、みんながひとつになるはずだと。

そのために努力を惜しまない。
やることに意義を見出したら全力投球する。
絶対に妥協をしない。

すでに28歳にして、それから延々と続く彼のいつでもどこまでも「最高」を求める姿勢は完成されていたのではないでしょうか。
ウェズリーは自分とさほど年が違わないにもかかわらず(4つ違い)すでにアーティストとして確立されたマイケルの意識の高さに衝撃を受け、そして大いに触発されたのではないでしょうか。


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その後、ウェズリーは自ら語るように、マイケルから学んだことを忘れずに努力を重ね、俳優として成功を収めていきます。
そんな彼に映画監督スパイク・リーからある映画のオファーがきます。
それは2006年クリスマスに73歳で生涯を閉じたファンクの帝王、King of SOUL、ジェームズ・ブラウンの伝記映画で、JB本人の役をやらないかと。

James Brown

マイケルの永遠のヒーロー。

彼が影響を受け敬愛したアーティストは、それこそ黒人、白人関係なく多く存在します。
素晴らしいパフォーマーには全て心酔し影響され、そうして最後は彼の血となり肉となるが如くその素晴らしい要素を全て吸収してしまうマイケル。
彼の中には、優雅なフレッド・アステア、ダイナミックなジーン・ケリー、粋で品のあるサミー・デイビスJr.らが息づいているのです。
そしてもちろん熱いSoulを感じさせるJBもマイケルの中に。

2003年BET Awordで、Life time achievement award(特別功労賞)をJBに贈るプレゼンターとして、マイケルがサプライズで参加し、会場とJB本人を驚かせ、おおいに喜ばせました。

JBにはお得意のパフォーマンス「マント・ショウ」があり、それは力の限り歌い踊り、ついにステージに倒れてしまうJBが、司会役にマントをかけられることで復活する、というもので、この時はそのマントをかける役をマイケルが行いました。
ステージでJBステップを披露する彼を、とても嬉しそうに見守るJB。
マイケルが幼い頃、NYのアポロシアターで自分の出演が終わってもJBのステージを舞台の袖から見続けて、JBのダンスに、彼の流れるようなファンキーなステップに、はっちゃけるエネルギーに、Soulを感じずにはいられない彼のシャウトに、憧れて憧れて憧れて・・。
その永遠のヒーローに賞を贈るプレゼンターを自分が務めることに、どれだけ感激していたかが、マイケルが感極まってスピーチの最中声をつまらせる場面でよくわかります。

「今日、この賞を(彼に)さしあげる役を断るわけにはいきませんでした。
なぜなら、今ここに立つこの人物ほど僕に影響を与えた人物はいないからです。
僕がまだ6歳だった頃、彼以上に尊敬していたエンタテイナーはいませんでした。
そして、今でも尊敬しています。今日のこの賞を受賞するのに、彼以上にふさわしい人物はいません」

 
賞を受けるJBの方は、ひたすらニコニコ、ハイテンションで、さすがゲロッパ!w、余裕の貫禄ですが、きっと彼も相当嬉しかったのではないかと、その顔中しわしわにした笑顔で感じます。

ですがこれ以降、ふたりが公に同席する機会はなくなります。
この年にマイケルは、あの忌まわしいでっちあげに巻き込まれてしまいますし、ようやく開放されたときには、マイケルは全てに疲れ果て、アメリカを出て行きました。
JBは、彼の事を理解してそしてとても心配していました。



でも


ふたりの間にお別れのときは近づいていました。


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続きます。

Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その1

ウェズリー・スナイプス
今彼はスパイク・リー監督とジェームズ・ブラウンの伝記映画に取り組んでいます。
2006年から浮上しているこの話だけれど、予算の問題やらなんやらで難航している様子。
でも、2012年中には完成させたい意向だそう。
とても待ち遠しい。

Wesley Snipes
James Brown
Spike Lee

彼らはマイケルと深い関わりがある人たちですから。


ウェズリーは映画「メジャーリーグ」「ジャングル・フィーバー(監督Spike Lee)」で一躍脚光を浴びましたが、「メジャーリーグ」出演の1年前、マイケルの「BAD」のSFに出演しました。
実はそのときにSpike Leeの目に留まったと言われています。

BAD のSFでマイケルは、巨匠マーティン・スコセッシを監督に迎え、Thrillerを上回る長編(17分)作品を製作しました。
当時はわたしも全くわかっていなくて、今までの優等生イメージを払拭したいのかなぁなどと的外れなことを感じていましたが、よくよく考えれば、ここでいう「BAD」には単に「ワル」という意味だけではなく、いろいろな意味が含まれているのですね。
前半のストーリーには原案があり、それはある黒人の少年がストリートギャングから「仲間になりたいならビールを盗んで来い」と言われ、「ワル」に憧れた少年が勇気を履き違えて本当に店に盗みに入り、その場に居合わせた私服警官に射殺された実話がもとになっています。

Who's BAD

悪いのは誰だ?
射殺した警官か、盗みをした少年か、それとも少年に命令したギャングか。

マイケルはこの話を発展させ、元は悪さもしていたけれど、努力をしてまっとうな生き方を目指すようになった少年が、「ワル」を気取った友人達によってトラブルに巻き込まれるストーリーにします。
ご自身も著書(MOON WALK)で「お前はワルだというけれど、僕とお前のどちらがBADだ?どちらがBESTなんだ?強く正しく生きようとする人間こそが本当のBADなんだ」という意味をこめたと書いています。


ウェズリーで思い出して、あらためて「BAD」のフルバージョンSFを観ると、当時気がつかなかったことがいくつもあって、そして実は根底にはその後の「Black or White」に繋がるようなメッセージを感じたのです。

私立のプレッピー学校、クリスマス休暇で寄宿舎暮らしの生徒達がおのおの故郷へ帰ります。
白人の生徒ばかりがごった返している校内に、マイケル扮するダリルはいます。
楽しい学校生活だということは、白人の友人達と笑顔ではしゃぐ彼から容易に想像できます。
この歴史のありそうな規律の厳しい優秀な人間の集まる学校では、人種に関してのネガティブな発想自体が、その人物の品格を下げることを生徒達は認識しているかのように、わたしには思えました。
なぜなら、白人の友人がダリルに、彼の優秀な成績に対して賛辞を伝えるシーンがあるのですが、「今期は頑張ったな」とつい上から目線的な発言のあと、すこしばつが悪そうな感じ、白人の自分がこんな風にダリルを評価するような言い方をしてしまったことが、彼を傷つけたんじゃないかと心配しているような、「僕がこんな風に言っても気にしないでくれよ」的に「君を誇りに思うよ」と付け加えます。
ひょっとしたら、この友人とは過去に何かあったのかもしれません。
そんなあからさまではないのだけど、微妙なかしこまった感を感じる。
このかしこまった感は、目には見えない距離感を感じさせるためのスコセッシの演出かも。

故郷へ向かう汽車。
同じ学校の、おそらく少数であろう黒人の生徒とは、長く同じ車中にいるものの言葉を交わさず、最後に「Be a man」一人前の男でいようと言い合って別れます。(勇気を持つことの象徴にも使われる言葉です)
この言葉がわたしにはとても重要な伏線に思えました。

ようやく自分の街に戻ったダリルを笑顔で迎えてくれる3人の幼馴染。
そのリーダー格がウェズリーです。

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彼らから昔のようにやんちゃをしようと誘われても、すでにダリルはそんな行為をカッコいいとも度胸があることとも思えなくなっていました。
幼馴染にすれば、「変わってしまった」ダリル。
ダリルにすれば、「何も変わらない」友人たち。
ダリルと彼らの間に徐々に生まれていく微妙な意識の違い。
そのずれは埋まるどころか言葉を交わせば交わすほど広がっていきます。

ダリルは自分のママがクリスマスであっても、おそらく自分の学費のために必死で遅くまで働いてくれる現実を、逆を言えばクリスマスでさえ必死に働かなくては、今の学校に通えない現実を思って、本当の意味で強くて正直でまっとうな男になって、(Be a man)早くママを楽にしてやりたいという気持ちが、この環境に帰ってきたことによって、さらに強くなったでしょう。
かつあげや盗みなどでその場しのぎの欲を埋めても、結局むなしい、そんな風に人生をあきらめて生きるなど真っ平ごめんだと思ったはずです。

ハーレムであろうその地域の通りには、ドラッグのディーラーがうろうろする事など珍しい光景ではない。
面白いのはこの足の悪いディーラーの服装が、ダリルとよく似ていることです。
一歩間違えばダリルもそんな商売に手を染める可能性があったことを、いや、まだあるということを暗に示している演出に思えました。

MJ BAD

そして、さらにはそんなディーラーが隠し持つ銃の鈍い光は、商売だけではなく下手をすれば、いつでも抗争に巻き込まれかねない現実を少年達に教えるのでした。
ウェズリー扮する幼馴染は、その瞬間おそらくダリルに言いようのない嫉妬と怒りと寂しさを感じたのではないかと思うのです。

ヤツは確実にこのハーレムから、希望の持てない世界から、抜け出る一歩を踏み出している
自分達と同じ黒人なのに、ヤツは白人のお坊っちゃんなんかに迎合してやがる
同じ環境で同じテンションで理解しあっていたのに、今はもうヤツの考えはわからねぇし、ヤツもおれ達をわかろうとしない

ダリルも彼らがいつまでも「悪さ」をすることで、それが男らしさや黒人同士の仲間意識にすげ替えようとする事に苛立ちを隠しません。

それは勇気でも男らしさでもない
そういう生き方を本当にお前達は望んでいるのか?
本当の男でいよう(Be a man)、Brother!
強さというのは力があるなしではなく、ましてや暴力で示すことなんかじゃないんだ!

さらにカモにしようとした移民の老人をダリルが逃がしたことで、お互い一気に不満が爆発し、ダリルは「ワルってなんだ?本当のワルが何かわかっているのか?お前なんか何にもわかっていない!本当のワルってものを」といって、多人種(白人・黒人・アジア系)のギャングチームを率いて、あのミュージカル・ウエストサイドストーリーを随所に感じる圧倒的なダンスパフォーマンスで、幼馴染たちに迫るのです・・




このSF撮影時のエピソードをウェズリーは語っています。GQ magazine interview(ソース)

マイケルは、ハーレムで少し怖がっていたと思う。
僕らは通りを手をつないで歩いていた。
まるで「頑張れ、マイケル。心配するな、Brother、俺にまかせろ」みたいな。
僕はあの時、俳優から彼のボディガードになったんだ。
みんな彼の名前を大声で呼んでいた・・彼に好意的なのや、そうじゃないものもあったよ。
マイケルがこの通りにいるのをうれしく思った人もいた。
でも中には、「YO、マイク、この通りからさっさと出て行けよ。俺たちはお前にゃ何も感じないのさ。F**king Michael Jackson」みたいなね。
彼らは通りの向こうから叫んでいた。マイケルにも聞こえた。
彼らは自分達とマイケルの間に隔たりがあると感じたんだ。
きっとマイケルが黒人のコミュニティから出て行ったかのように感じていたんだよ
マイケルは僕に振り返って言ったよ。「君は怖くない?」僕は「何?何が怖い?」みたいな感じだった。
「あのね、あの人達みんな。君は怖くないの?」
「ノー、マイク。僕はここで育ったんだ。大丈夫だよ。君は怖いのかい?」と聞くと
彼は、「うん、すこしね」って言ったんだ。

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マイケルは演じたダリルという役柄同様に、同胞から非難されるという現実に直面していたということです。
この頃、すでに彼の尋常性白斑は彼の褐色の色素を変化させていて、世間も薄々その変化(理由はわからずとも)に気がつきだした頃でした。

「黒人のくせに」

白人からは、世界的に成功し名声も富みも白人以上に手に入れだした彼への反感がこの言葉に表れ、
黒人からは、自分達の可能性を示すヒーローから一転、肌が不自然に白くなりつつある彼が、まるで自分達の誇りを捨てて、白人社会に迎合しているという反発をこの言葉に込められ。
意味は違えど、どちらからもこんな言葉を投げられ始めた彼は、どれだけ傷ついたか。
しかし、この島国に住んでいるかぎり、もともと黄色人種がほとんどで、そのことでおおっぴらに差別を受けるような環境ではないわたしなどには考えも及ばないような、肌の色に伴う確固たる意識が歴然と彼の国には存在していたわけです。
マイケルにとってそれを引き合いに出されたり、それを面と向かって言われることが一番辛かったはずです。
なぜなら、彼は人一倍自分の人種に誇りを感じていたからです。
彼が読書家で博識なのは有名ですが、彼の蔵書には黒人の歴史や差別に関連する本もとても多い。


<参考>ジュリアンズオークションから出品されている彼の蔵書の一部

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上から「THE AUTOBIOGRAPHY OF MALCOM X(マルコムX自伝)」
「LINCOLN'S DEVOTIONAL(リンカーンの祈り)」
「THE NEGRO CARAVAN」黒人史
「BLACK HEROES of the 20th Century(20世紀の黒人の英雄たち)」
「WITHOUT SANCTUARY」
最後の「ウィズアウトサンクチュアリ」は2000年に出版されたものですが、中身は20世紀初頭にアメリカで行われていた白人による見世物の為の黒人リンチ、その模様を土産用の絵葉書として公然と売買されていたという身も凍るような現実があり、そんな過去の証拠であるリンチ写真を集めた写真集です。
人種の違いの意識がいかに悲惨なものであったか、いかに常軌を逸したものであったか。
恐ろしいのはそのコミュニティではこの黒人へのリンチがごく日常のものであったという、当時の人々の人種における考え方でしょう。
KKKなどの白人至上主義が幅をきかせていた時代・・
マイケルはこの本のページの空白に"Wow, Sad, Wrong, Hateful, and Sick 悲しい・・間違っている・・ひどい・・うんざりだ”など、憤りの言葉達を残しています。

公民権運動の旗手に代表されるマーティン・ルーサー・キング牧師の有名な「I Have a Dream」の演説で知られるワシントン大行進(アメリカ合衆国のワシントンD.C.で行われた人種差別撤廃を求めるデモ)が行われたのは、マイケルが5歳の時。
彼にとって黒人の地位向上の軌跡が、はるか昔に完了している事ではないことは充分知っていました。

だからこそ黒人を自由に導く為に戦ったリーダーを心底尊敬し、自らのルーツをしっかりと心に刻んでいた人でした。
なのに、黒人からも白人からも肌の色が元で非難されるという憂き目にあった彼が、たどり着いた結論。
本当は人種や肌の色が何であってもそれにすりかえているだけで、実は人間の持つ他者への無知、無理解、嫉妬から引き起こされる「憎しみ」という感情が一番怖くて恐ろしいことではないか。

肌が何色であっても、桁外れのスーパースターとなった彼に対する嫉妬やねたみ。
もしくは憧れても届かない絶望からの反動。
それらがいつしか人種というフィルターをかけて、それぞれの人種がそれぞれの理由をつけて彼を非難したとしたら。
ひょっとしたらウェズリーと一緒に通りを歩いた時にも、それを感じたのではないかとも思えてしまうのです。
彼が怖かったのは単純に「ハーレムという場所にいる粗暴な人」ではなかったのでは・・と。

人種や肌の色というフィルターは実は問題ではない。
誇りを持つことと、人種に縛られることとは別なのだと。
白人からも黒人からも、彼の外見とアイデンティティがアンバランスだと非難された彼だからこそ、のちの「Black or White」で「黒か白かなんて関係ない」というはっきりとしたメッセージを打ち出せたのだと思えるのです。
外側のフィルターを通して判断することが、そもそも無知であり、それが偏見につながり恐れを呼び、いずれは憎しみに発展してしまうような愚かなことはもう止めようと。

彼は自分が黒人であることに誇りを持っていたけれど、だからと言ってそれが他の人種を蔑視することにつながることを憎んだのでした。
逆を言えば、黒人であるがゆえに軽くあしらわれたり、いわれのない処遇を受けたときは先頭に立って抗議しました。
いつも根底には表向き人種問題に見える、実は根深い人間の嫉妬心や偏見こそ憎むべきものだと伝えたかったのではないかと思うのです。


一見カッコよく見えるものがカッコいいとは限らない。
男らしい男ってなんだ?
白人だから黒人だから、なんなんだ?
外側だけで判断して、いろいろなものを取り違えたり履き違えたりしてはいけない。
勇気を取り違えるな。
強さを履き違えるな。
優しさは弱さなんかじゃない。
本質を知ろう。それが一番大切なこと。

ウェズリーのエピソードは、BADに込められた彼の思いを、こんなふうに解釈させるものとなりました。
勝手に長々書いてしまったけれど、作品の解釈を見る側に委ねていた彼ですから、許してくれるかなw

実はまだ続くのですが、長くなりすぎたので今日はこの辺で。


He is ONLY human.

世界中に尊敬すべき人、こうなりたいと憧れる人、見習うべき人というのはとても多いですけれど、なかなか彼らのように生きることは難しい。

特定の宗教を持たなくとも、世界中に広まりあるいは伝わる善行やそれにまつわる教えや考え方・・それらもとても多いですけれど、なかなか実行し、しかもそれらを貫き通すことは難しい。

1968年、当時ハーバード大の学生であった一人の青年が、地域の高校の生徒会のリーダーたちを指導する活動をしていました。
その活動の一環として彼は高校生のために「リーダーシップの逆説10カ条」というリーダーとして、人として必要だと思われる考えをまとめて小冊子に書きました。

1996年、マザーテレサがこの世を去り、世界中のジャーナリストが彼女が最後まで暮らしたインドの「カルカッタの孤児の家」へ」取材に訪れました。
その家の壁にその言葉は書かれていました。


人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在です。
それでもなお、人を愛しなさい。



一気に注目を浴びた数々の心を打つ言葉達は、実は1968年当時、若干19歳の青年だった「ケント・M・キース博士」のいずれ著書「それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条」となる元の言葉だったのです。
マザーテレサと彼女の周りの修道女は、長い年月の間にどこからか小冊子を手に入れ読んだのでしょう。
彼女達はおおいにこの言葉達を認め、共感し、少しアレンジして部屋の壁に貼り、毎日眺めて暮らしていたのでした。


逆説の10か条

1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在です。
  それでもなお、人を愛しなさい。

2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるでしょう。
  それでもなお、良いことをしなさい。

3. 成功すれば、嘘の友だちと本物の敵を得ることになります。
  それでもなお、成功しなさい。

4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうかもしれません。
  それでもなお、良いことをしなさい。

5. 正直で素直でいることは、あなたを無防備にするでしょう。
  それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。

6. 大きな考えを持つ大きな人物は、小さな考えを持つ小さな人物に足を引っ張られるでしょう。
  それでも大きく考えなさい。

7. 人は弱者に同情はしますが、勝者の後にしかついていかないものです。
  それでもなお、弱者のために戦いなさい。

8. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれません。
  それでもなお、築きあげなさい。

9. 本当に助けが必要な人を助けても、その人は手のひらを返すようにあなたを攻撃するかもしれません。
  それでも人を助けなさい。

10. 世界のために最善を尽くしたとしても、まだ足りないとひどい仕打ちを受けるかもしれません。
  それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。


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マイケルを想わずにはいられない。

彼がこれを知っていたのかどうかは別として、いえ、博学の彼のことだから知っていたかもしれません。
だとしても、これを読むとつくづく彼は自分に対して何が起ころうとも、それによって問題から逃げずに背を向けずに、顔を上げ毅然と前を見据える生き方をしていたと痛感するのですね。

家族やファンだけではなく、どんな人でも愛そうとして
自分がいいと思ったら誰に何を言われても、何が起こってもやり抜き
幼い頃からショービスに関わった来た彼だから、成功がいい事だけを連れてくると信じてはいなかったけれど、それと同時に信頼できる人間が誰なのかという悩みは新たに増え、それでもさらに上を目指すことは決して止めず
ギネスに載る以外でも、多くの善行は人知れず黙々と、周りの評価ではなくそれらを欲している人のために行い
エキセントリックだといわれても常に子供のような感性を大切にして、
大きな視野で物事を考えて
いつも弱者と呼ばれる立場の側に立ち、
長い間の努力とはらってきた代償の上に、やっと築きあげた多くのものを一夜にして失ってもなお凛と顔を上げ
助けた人間に手ひどく裏切られても、やっぱり人を助けることを止めずに
そして、世界が彼を見放したように感じたであろう長い時を過ごして尚、彼は自分のできる最善のこと(This is it!)として、世界中へ愛を広げようと動き出した・・


トラヴィスの言葉 Cinema brend Interview(ソース

Q:マイケルを近くで見てきたあなたがご存知の本当の彼と、一般的に言われている彼と何が大きく違うと思いますか?

マイケルは博愛の人です。
自分の家族やファン、子どもたち、それに彼が知りさえしなかった世界各地の人たちのことを、本当に気にかけていました。
この惑星上の全てのことに対して、非常に敏感でした。

彼は、大きな声を出したり反論するタイプじゃありませんでした。むしろとても穏やかな人でした。
違う意見も愛でのりこえようと。
彼についての嘘を言う人たちに対してだって、言い合いで嫌な気分にさせるより、むしろ彼はその人たちのために祈るんです。
「そういう人にはもっと愛が必要なんだと言ってね。
マザー・テレサやガンジー、マーティン・ルーサー・キング、彼が尊敬していたのはみな平和を愛する人たちで、平和的であることで多くを達成した人たちでした。

誤解自体は好きではなかったですが、誤解をしてしまっている「人」は彼にとってはOKだったのです。
間違ったこと全部に正しく声明を出すなんてできませんから。
それよりも、むしろ彼はアートを通じて、もっと愛を示そうとしていました。
彼のすることは全て、誰もがより良くなるような、そんな気にさせようとしていたのです。

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マイケルの甥っ子 Tajの言葉 過去記事

マイケルおじさんは、まだとても若かったぼくら(ぼくと兄弟に)に、「ヘイ、ぼくのやったことを見てよ!」と周囲に公表するのは、本当の慈善じゃないってことを教えてくれた。
「本当の」慈善とは、そのことを周りの誰にも知られることなく、誰かのために何かをやる、あるいは誰かのために時間やお金を使うことなんだと。
慈悲深い気持ちを持って、そして自分たちが得たものを今度はお返しするんだよ・・と。

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マイケルの母・キャサリンの言葉 過去記事

私がマイケルに、「どうかお願いだから、他人をランチ(ネバーランドの事)に呼ぶのはもう止めて。
他の家族と仲良くなることなど止めて」と懇願すると、彼はこう言ったわ。
「母さん、この人たちを助けなければならない時は、これからは僕は遠くから離れてするからと。
それでも、私は納得できず、心の中で "とんでもないわ。他人があなたの人生にこれだけひどいことをする可能性があるなら、人なんか助けなくていいわ"と思っていた。
でも彼は決して人を助けるのを止めるとは言わなかったのよ

------------------------------------------

映画監督でマイケルの友人 ブレット・ラトナーの言葉 (Los Angeles Times紙 ソース

人々がマイケルを変わった人だと言っていたことは知っている。
でも僕にとって、マイケルは魅力的だった。
彼は僕の人生で最もインスピレーションを与えてくれた。
彼の一つの夢、それは世界中の子どもの病気を治すことだった。
僕がそれは無理じゃないかって言うと、マイケルはつい泣きだしてしまうこともあった。
マイケルは自分の心を動かすことには、とても感情的だった。
もやは無垢とはいえないこの世界で、彼こそ純粋無垢な存在だったと思うね。

-------------------------------------------

この逆説の10か条をまともに実行することは、本当に素晴らしいことですが、同時に大変な精神的葛藤があると思います。
常にそうしたい自分と、でもそうすることを困難にする何かから常におびやかされる自分。
天使や神ならば、何が起ころうと心は早朝の湖畔のように、波ひとつ立たず穏やかだったでしょうけれど

But I'm only human.

彼も人間。
神でも天使でもない、傷つけば涙も流し、信じたくても信じることが出来ないと思ったり、どうしても許せない人間に心のシャッターを閉ざしたり、感情的にモノにあたったり、バランスをとるために必要としたものの善悪を考えることも、それを指摘されることも疎ましく思ったりしたかもしれません。

そんな中で必死に戦っていたのだと思います。


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ほころびひとつない完璧な人格者ではなかった彼の生き様が、美しく気高くいとしく、憧れずには尊敬せずにはいられないのですね。
King of Popというアイコンが放つこの世で唯一無二の、誰にも超えることが出来ない最高のパフォーマンスに魅せられる人は多いでしょう。
でもそれだけではない、彼の華やかさの裏にある、傷つきながら苦しみながら悩みながら葛藤しながら、戦う姿。
そしてやっぱり人の心にある優しさを信じて、愛することを決して忘れず、素晴らしい才能をさらに高める努力を怠らず、誇りを失わず、すべての人の幸せを願う姿。

それらがせめぎあう人間・マイケルだからこれほど惹かれるんだなと思います。


He said "The truth will win."

初めの頃の純粋な感謝は、徐々に独占欲と特権意識、そして大きく捻じ曲げられた、それはもはや愛とは呼べない恐ろしいほどの彼と彼の持つ財力への執着へと変化した。
この家族がでっち上げた奇妙な妄想を、別の執着心を持ちながら過ごしていた検察が、現実の事件へと仕立てあげていった。


不出世の天才アーティストは、こんな見え透いた言いがかりによってそのキャリアを中断させられました。



2003年11月20日

今となってはばかばかしいこの冤罪で逮捕された彼は、300万ドルの保釈金を支払い釈放されました。
その直後にこの声明を出すのです。

Lies run sprints but the truth runs marathons.
The truth will win this marathon in court.

嘘は短距離走のような速さで瞬く間に広まるが、真実はマラソンのように時間がかかるものだ。
法廷内のこのマラソンでは、真実こそが勝利する。





2005年6月13日

彼の言うとおり、真実はこの日長い長いマラソンを終え、勝利のゴールテープを切りました。
まぶしく晴れ上がった青空に、Innocence(潔白)の象徴である白い鳩が14羽はなたれました。



そして


2010年6月14日

皮肉にも同じサンタバーバラの裁判所でこの日医師の審理がなされる予定です。

Lies run sprints but the truth runs marathons.


長い時間がかかっても真実は必ずいつか表にでてくるはずなのです。


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1 Dot = 1 Fan

ひとつの点がファンであるひとりを表す Michael Jackson’s Tribute Portraitに参加しました。
マイケルの肖像画をDot(点)で描画していくもので、多くのセレブリティやファンがその絵のひとつの点として参加しています。
Dot Number:1はご本人であるマイケル。
2~4は彼の宝物であるお子さんたちです。

わたしのDot Number: 249318


この数字は今後も伸びるでしょう。
言い換えればこの数字の人数が、彼を想い彼に感謝し彼を敬い彼を恋しがり、そして

彼のために祈るのです。


彼の安息と真実のために



もう一度彼の言葉をここへ

Lies run sprints but the truth runs marathons.
The truth will win this marathon in court.

嘘は短距離走のような速さで瞬く間に広まるが、真実はマラソンのように時間がかかるものだ。
法廷内のこのマラソンでは、真実こそが勝利する。


Michael's sizzle

マイケルとみのもんたに共通するところ。

それは「ため」w

とにかく彼は静と動を自在にコントロールし、いわゆる「間」を上手く使う天才。

ステージのトースターから飛び出して、みのもびっくりの長い時間微動だにせず立ち尽くすDANGEROUS Tuorのオープニング。

あそこに立っているのは本当のマイケル?
ひょっとして人形?

ファンはわかっているけれど、不安になってもくる。
期待と不安が入り混じる妙な緊張状態が最高潮に達したところで、彼はゆっくりとサングラスをはずす。

やっぱりマイケルよ!!

はい、これでつかみはOKw

宇宙ステーションからスタジアムまでのライブ中継を流され、今まさにステージに不時着したロケットから出てきてくれるのがマイケルだとわかっていても、なかなか出てきてくれない。
やっとでてきたと思っても、フルフェイスのメットをなかなかはずさずに、またもや微動だにしないHIStory Tourのオープニング。
膨れ上がる期待と早まる鼓動でやきもきさせられる観客には甘い我慢を強いる演出。
間違いなくSですね。
ドSですw

美味しい食事を目の前に置かれながら、「待て」と言われた子犬のような心境になるといいますか、いやそれよりももう少し複雑な心境。
早く動いて!早く歌って!早く踊って!声を聞かせて!と飛び出したくなるのだけど、頭のどこかで彼が動き出したら、踊りだしたら、歌いだしたら、この素晴らしい幸せな瞬間はすぐに過ぎ去っていってしまう、だからまだそのままでいて欲しい、時が止まったかのようなこの奇妙な静寂(間)はそんな矛盾した気持ちにもさせる・・
ああ、その時はすでにすっかりマイケルの魔法にしてやられているのです。

わたしが好きなのはHistory TuorからのBillie Jeanの演出。
特に30thアニバーサリーが好きです。
(おそらくTIIでも同じ演出予定だったのでしょうね。衣装を全てつけたらスポットライトの合図をするといってましたから)

Tシャツ1枚の彼が古びた小さなスーツケースを持ってとぼとぼとやってくる。
どこか所在無げに、前方に当たるスポットライトの意味もわからず、観客の声援に戸惑っている風。

みんなはどうして僕なんかに騒いでいるのかなぁ・・
僕はこのとおり平凡な男だよ・・何を期待しているの?・・


ふぅ・・とため息をついてケースの中に入っているスパンコールの黒いジャケットをちらり。
声援がひときわ大きくなる中、ちょっとはおってみました的マイケル。
少しだけ変則的なムーンウォークをしてみるのだけど、うーん、なんとなくしっくりこない。
頭をちょっとかいて、やっぱりまだこれだけじゃダメだ・・とでも言いたげな様子。
次に取り出したのは黒いフェドラ帽。
斜めにかぶる。
じわじわと彼が平凡な男性から魔術師へと変わっていく。

そして最後に片方だけの手袋・・そう。例のあの光り輝く彼の手袋。
取り出して観客に良く見えるようにしばらく持ったままの彼。
観客はもう興奮のるつぼ。

早く早くマイケル!それをはめて!!

彼はゆっくりと手袋をはめ、手を後ろに回して手首だけ左右に動かしたり、指先だけをちらちらと動かしたり。
真っ暗なステージの彼にだけに当たるライトが、手袋のラインストーンに反射して指先だけでもまぶしい。

これでどうかな?僕はみんなの期待にこたえられそう?

もちろんよ!この世界でその手袋がふさわしいのはあなただけ!

その瞬間、もう自信なさげな青年はどこにもいない。
全てをコントロールする魔術師は、自由にスポットライトを意のままにあやつり、そして。


じらされているうちに、見る側の期待と興奮は天井知らずに高まっていく。
マイケルの凄いところは、わざとそのようにじらして、あるいはタイミングをはかって、最高潮に高まる観客の期待を決して裏切らず、それどころか期待以上のパフォーマンスを見せることができる人だということ。

これは生半可な人がやると、恐ろしくリスキーなこと。
なぜなら「じらされる」観客の期待は容赦ないから。
マイケルはそれこそ望むところで、容赦ない期待をはるか上回る驚きを用意するのが好きだった。

彼自身も早く歌いたい、踊りたい、という高揚感がどんどん膨らんでいるのだろうけれど、あえてそれらの爆発寸前の奇妙な静寂を楽しんでいるように「間」をとるのです。
それが爆発したときのエネルギーがどれだけ素晴らしいパフォーマンスに変化するかを良く知っていたのでしょう。

スピーディーに早いビートで押し進むだけではなく、絶妙な「間」をうまく「動」の中に挟みこむ。
そのあたりをいかに彼が重要だと考えていたかは、TIIでスタッフとのやり取りの随所に現われていましたよね。
「Sizzle」もしくは「Simmer」という言葉で指示を出していました。
もっと余韻をもたせるとか間をおくとかと訳されていましたね。

音楽監督マイケル・ベアデンとのやり取りは、過去にも書きましたが本当に大好きなシーンです。

Just bathe in the moonlight. You have to let it shimmer a bit, you know?
ちょうど月の光を浴びて、すこしかすかに輝く感じ・・わかる?


映画では静寂が染み渡るという訳です。
どちらにしてもしんとした静かな「間」をイメージさせますよね。

ケニー・オルテガもインタビューの中でこんな事を。(ソース

彼はよくこう言った。
「僕を見て。フライングはなしだ。僕がリードするから。僕は今、sizzle中だ。sizzleさせて。」
だから僕らは、「OK、OK、みんな、マイケルにsizzleさせて」。
彼が言いたいことは
「この瞬間をしっかり使いたい。肩をゆすったり、あっちこっちをみたりして、自分の時間をとりたい」っていうことなんだ。
彼はタイミングをはかる達人だったからね。

-----------------------------------

Smooth Criminalでも動き出さないマイケルに、ケニーが「今のがキューなんだけど何か思い違いしてるかな?」と確認した時、マイケルは「I'm sizzling 間をとってたんだよ」と答え、「And then when he gets my cue, then we go.(バンドに対して)僕が出したキューではじめる」と。
ケニーはその後「All right. Now this is all sizzle, sizzle, sizzle. わかった。今はSizzle中だね」と言ってます。
彼にとって、ステージの流れにSizzleは欠かせない要素だったのですね。


そしてTII Movie、エンドロールの最後の最後。
彼はHuman Natureの歌の途中、♪Reaching out と歌ったあと、お得意のSizzleに入ります。

There should be a break there. Have it right there, okay?
Let me bathe in my own time when I come back in.
I'm gonna button my shirt or my jacket or whatever it is.
I'm gonna look around a little bit, play with them.
Snap my fingers maybe, then bam!

ここでブレークをとろう。ここだよ、OK?
曲に戻るまで自分の時間に浸らせて。
シャツのボタンを・・ジャケットでも何でもいいけど。
少しみんなを見回して・・みんなをじらして・・
(指を鳴らしながら)
指も鳴らしたりして・・で、BAM!




彼のSizzleは長い。

ひょっとして今もSizzle中なのかも


今頃ジャケットのボタンをかけたりはずしたり・・
サングラスもかけてははずして
あちらこちらを見回したり・・ああそう、手袋をつけようかどうしようかなんてことも
ちょっと踊りかけては・・頭を掻きながらまた座ったりして・・

自分のSizzleを楽しんでいるのかもしれないな。


いつか、いつの日にか
あなたの座っている場所へ、あたし行くから
その時は長い長いSizzleを終えて、BAM!といこうよ、マイキー!

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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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