Michael&Wesley Snipes&JB&Spike Lee その5
I said, "Mike, let's go to Brazil to do this." And he said, "Let's go, Spike!"
「マイク、SFを撮りにブラジルへ行こう」「よし行こう、スパイク!」
わたし達が何度も目にした「They Don't Care About Us」のBrazil version。
マイケルが地元住民に熱烈に歓迎されながら通りを歩き、途中警備をかいくぐったファンの女性がほぼタックルwしてきて地面に倒されたりしつつパワフルに歌い踊るシーンは、リオデジャネイロのドナ・マルタという、当時は麻薬密売で悪名高い町で撮影されたものです。

マイケルは過去DANGEROUS TUORでブラジルを訪れた際に、当時のコンサートプロモーターに、「遊園地を貸し切りにし、貧しい公立学校の子供たちを招待したい」と願い出て、さらに貧困やそれによって生まれるストリートチルドレンの事など、この国のあらゆる問題をとても心配していたそうです。
そんな彼だからこそ、密売業者がはびこり治安も悪く、さらに貧困も加わってスラム化したまま放置されていたこの町の状況は、まさに「All I wanna say is that They don't really care about us 僕が言いたいのは、彼らは僕らのことなんかどうでもいいってことさ」という、その中で生きねばならない弱者の行き場のない怒りを叫ぶにふさわしい背景だと考えたのかもしれません。
リオの自治体はこの町がSFの舞台になることで、町が抱える問題を世界に露呈されることを心配したらしいですが、逆に地元住民はマイケルが自分達の町を選んでくれたことに誇りを感じ、歓迎の意を表そうと早朝から彼のために雑然と汚れていた通りの掃除を率先して行ったそうです。
そのことに感動したマイケルも、人々にキャンディを配ったり気軽に握手に応じたりしながら、ゴミがきれいになくなった通りを歩いたそうです。
そんな地元住民の熱烈な歓迎を生かして、この撮影には大勢の地元住民たちも加わっていますし、別のカットでは同じブラジルのサルヴァドールを拠点とするアフリカンブラジリアンのパーカッション・グループ、オロドゥム(Olodum)と競演していますね。
総勢200人が打ち鳴らすドラムリズムが、マイケルの力強いパフォーマンスをさらに引き立て盛り上げる効果を生み出しています。

わたしはこのBrazil versionが大好き。
曲に込められているメッセージはある意味重いものですけれど、マイケルと競演するオロドゥムのドラムと大勢の民衆パワーが、全編通してエネルギッシュでポジティブな印象を与えるんですね。
ただ「何もしてくれない」と嘆いているのではなく、「さまざまな困難な問題が現実に存在することを知って欲しい、そしてそれらを放置せず、自分達の力で毅然と変えていくんだ」という力強いメッセージに聞こえるのです。
この曲の映像からは、圧倒的な民衆パワーから生まれる明るいエネルギーが満ち溢れていて、深刻に下を向いて考え込んでいた人でも、気づけば踊りださずにはいられないし一緒に歌いださずにはいられない。
そんな音楽の持つポジティブな力がSF全編にあふれているのです。
マイケルは音楽にはそんな力があるということを知っていましたし、ご自分に大きな影響力があることも知っていました。
ツアーで訪れた多くの国で、場所で、彼は公に報道されないさまざまな改革や貢献を行っていましたから、この撮影が何らかの変化をこの場所にもたらすこともわかっていたのでしょうか。
自治体の心配どおり、SFによって悪名高きこの町が世界中から注目されることになりますが、結局この撮影がきっかけとなって、リオデジャネイロ市はこのスラム街を麻薬密売業者から開放し発展させるプロジェクトを始動することを決定します。
マイケルのThey Don't Care About Usは、この町を社会的発展のモデルケースとして再生することに貢献したとして、現在は昔の面影など微塵もなく安全になったドナ・マルタに彼の銅像が建てられる事になりました。
(参考ソースはこちら)
そんなこぼれ話など仮に知らなくても、このSFからは力強い明るさを受け取ることができます。
だからといって、軽いダンスナンバーにはならなずに、逆にこの曲の持つメッセージの説得力が高まった映像だと思います。
それはマイケルのアイデアも才能もパフォーマンス力もあったでしょうけれど、映像を監督したスパイクがマイケルと同じ問題意識を共有できるアイデンティティの持ち主であったことも大きいと思います。
ただ、美しいだけではない、楽しいだけではない、このようなそれこそエッジの効いたメッセージを映像で表現できる監督だとして、マイケルが彼を選んだその目は正しかったというべきでしょう。
そして、マイケルのイメージするものを見事に描き出したスパイク自身も、自分の人生はマイケルに影響を受けたとして彼をリスペクトしていたと語っています。
そんな二人がタッグを組んだからこそ、この曲のふたつのSFは、何年経っても色あせないインパクトを放つ作品として語り継がれているのだと思うのです。
そんなスパイクがマイケルへの愛を込めて創ったもうひとつのSF。
それが「This is it」。
映像はインディアナ州ゲイリーのマイケルの生家から始まります。
マイケルの映像と写真で綴られていく彼の人生。
彼が愛したファンの姿。
それらの中に差し込まれる道路標識に落書きされた言葉(STOP HATIN' 憎むことをやめよう)の映像が、常にマイケルが言い続けたメッセージとして静かに伝わります。
スパイクは理解していたのですね。
マイケルが恐れ、マイケルが嫌い、そしてマイケルが伝えたかったこと。
人種や肌の色や環境に代表される外側を引き合いに出してのいがみ合い。
でもそんなフィルターは単なる目くらましで、実は人間の持つ他者への無知、無理解、嫉妬から産み落とされる「憎しみ」という目には見えない感情、それが高じる事が一番恐ろしくて愚かなことなのではないか。
そんな愚かな感情をぶつけ合うことはもうやめよう
偏見は無知から生まれる
ならば
自分を知り、自分を受け入れ、自分を赦し、自分を信じて、自分を誇り、自分を認めよう
そして
違いを知り、違いを受け入れ、相手を赦し、相手を思いやり、相手を敬い、相手に愛を伝えよう
そんな彼の声が聴こえるような気がします。
スパイクがこのSFに込めた彼へのさまざまな想いは、彼を愛する人すべてが共感し共有する想いでもあります。
彼が撮ろうとしている、奇しくもJBとマイケル、ふたりのKINGの映画。
ふたりへの愛と敬意を心に抱いて撮る映画なら、どちらが先でもいいから、無事に完成することを祈ります。
正式に決定してはいないけれど、マイケルの映画の仮題。
「Brooklyn Loves MJ ブルックリンはMJを愛してる」
これを見たとき、BAD撮影中にマイケルが見物人から罵声を浴びせられた時のことを語るウェズリーの言葉を思い出しました。(この記事のその1)
「彼らは自分達とマイケルの間に隔たりがあると感じたんだ。
きっとマイケルが黒人のコミュニティから出て行ったかのように感じていたんだよ」
スパイクの「This is it」SFの最後のシーンは、ゲイリーの家の前でライトに照らし出されるスツールの上にそっと置かれたマイケルの黒いフェドラ帽とスパンコールの手袋。
歓声も華々しさもなく、ただただ静かに故郷に戻ってきた彼の象徴。
それはあたかも、巨大な成功をおさめただけではなく、肌の色が変わっていく彼に対して、一度は自分達のコミュニティを出て行ったかのように感じたけれど、この悲しい現実によってそんな気持ちは消え去り、再び「おかえり」と静かに迎え入れているかのような、そんなことを感じさせました。
そして、こんなことになる前にもっと早くそうするべきだったという悲しみも同時に伝わる光景でした。
マイケルの外側のフィルターに騙され彼のアイデンティティに一時でも疑いを持った人が抱く複雑な感情は、当時おそらく黒人コミュニティに歴然とあったのではないかと思えてならない。
乱暴な非難を彼にぶつけたブルックリン(ハーレム)の見物人は、特殊でも少数でもなかったのではないかと。
BADでマイケルを粗暴な見物人から守ろうとしたウェズリーですが、彼も意識のどこかでほんの一瞬、見物人の感情がわかる瞬間があったのかもしれません。
ウェズリーの言葉。(記事ソースはこちら)
僕は彼を創りあげた神が、(もしくはあなたが信じるなんだっていい)僕たちを楽しませてくれる天使として彼を送り戻してくれることを祈っているんだ。
僕達がマイケルを失ったことは、ただ普通の人を失ったこと以上の喪失だ。
あんなに多くの世界中のさまざまな人の心に届いて触発させる人は、何か天使みたいな人なんだよ。
ただ、僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない。
僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない
でも本当は彼を愛している
彼に罵声を浴びせた人だって今頃は彼のためにキャンドルに灯りをともしているかもしれない
彼にふれたひとはみんなきっと
もちろんウェズリーもスパイクも
彼は人が自分を受け入れて愛してくれることを心から望んだからこそ
人を愛すことをやめなかった
そんな彼をわたしたちは
ブルックリンの人たちは
ドナ・マルタの人たちは
いや、世界中の人たちは
World loves MJ
絶対に忘れない
いつまでもいつまでもずっとずっと愛している
わたしたちのマイケル
「マイク、SFを撮りにブラジルへ行こう」「よし行こう、スパイク!」
わたし達が何度も目にした「They Don't Care About Us」のBrazil version。
マイケルが地元住民に熱烈に歓迎されながら通りを歩き、途中警備をかいくぐったファンの女性がほぼタックルwしてきて地面に倒されたりしつつパワフルに歌い踊るシーンは、リオデジャネイロのドナ・マルタという、当時は麻薬密売で悪名高い町で撮影されたものです。

マイケルは過去DANGEROUS TUORでブラジルを訪れた際に、当時のコンサートプロモーターに、「遊園地を貸し切りにし、貧しい公立学校の子供たちを招待したい」と願い出て、さらに貧困やそれによって生まれるストリートチルドレンの事など、この国のあらゆる問題をとても心配していたそうです。
そんな彼だからこそ、密売業者がはびこり治安も悪く、さらに貧困も加わってスラム化したまま放置されていたこの町の状況は、まさに「All I wanna say is that They don't really care about us 僕が言いたいのは、彼らは僕らのことなんかどうでもいいってことさ」という、その中で生きねばならない弱者の行き場のない怒りを叫ぶにふさわしい背景だと考えたのかもしれません。
リオの自治体はこの町がSFの舞台になることで、町が抱える問題を世界に露呈されることを心配したらしいですが、逆に地元住民はマイケルが自分達の町を選んでくれたことに誇りを感じ、歓迎の意を表そうと早朝から彼のために雑然と汚れていた通りの掃除を率先して行ったそうです。
そのことに感動したマイケルも、人々にキャンディを配ったり気軽に握手に応じたりしながら、ゴミがきれいになくなった通りを歩いたそうです。
そんな地元住民の熱烈な歓迎を生かして、この撮影には大勢の地元住民たちも加わっていますし、別のカットでは同じブラジルのサルヴァドールを拠点とするアフリカンブラジリアンのパーカッション・グループ、オロドゥム(Olodum)と競演していますね。
総勢200人が打ち鳴らすドラムリズムが、マイケルの力強いパフォーマンスをさらに引き立て盛り上げる効果を生み出しています。

わたしはこのBrazil versionが大好き。
曲に込められているメッセージはある意味重いものですけれど、マイケルと競演するオロドゥムのドラムと大勢の民衆パワーが、全編通してエネルギッシュでポジティブな印象を与えるんですね。
ただ「何もしてくれない」と嘆いているのではなく、「さまざまな困難な問題が現実に存在することを知って欲しい、そしてそれらを放置せず、自分達の力で毅然と変えていくんだ」という力強いメッセージに聞こえるのです。
この曲の映像からは、圧倒的な民衆パワーから生まれる明るいエネルギーが満ち溢れていて、深刻に下を向いて考え込んでいた人でも、気づけば踊りださずにはいられないし一緒に歌いださずにはいられない。
そんな音楽の持つポジティブな力がSF全編にあふれているのです。
マイケルは音楽にはそんな力があるということを知っていましたし、ご自分に大きな影響力があることも知っていました。
ツアーで訪れた多くの国で、場所で、彼は公に報道されないさまざまな改革や貢献を行っていましたから、この撮影が何らかの変化をこの場所にもたらすこともわかっていたのでしょうか。
自治体の心配どおり、SFによって悪名高きこの町が世界中から注目されることになりますが、結局この撮影がきっかけとなって、リオデジャネイロ市はこのスラム街を麻薬密売業者から開放し発展させるプロジェクトを始動することを決定します。
マイケルのThey Don't Care About Usは、この町を社会的発展のモデルケースとして再生することに貢献したとして、現在は昔の面影など微塵もなく安全になったドナ・マルタに彼の銅像が建てられる事になりました。
(参考ソースはこちら)
そんなこぼれ話など仮に知らなくても、このSFからは力強い明るさを受け取ることができます。
だからといって、軽いダンスナンバーにはならなずに、逆にこの曲の持つメッセージの説得力が高まった映像だと思います。
それはマイケルのアイデアも才能もパフォーマンス力もあったでしょうけれど、映像を監督したスパイクがマイケルと同じ問題意識を共有できるアイデンティティの持ち主であったことも大きいと思います。
ただ、美しいだけではない、楽しいだけではない、このようなそれこそエッジの効いたメッセージを映像で表現できる監督だとして、マイケルが彼を選んだその目は正しかったというべきでしょう。
そして、マイケルのイメージするものを見事に描き出したスパイク自身も、自分の人生はマイケルに影響を受けたとして彼をリスペクトしていたと語っています。
そんな二人がタッグを組んだからこそ、この曲のふたつのSFは、何年経っても色あせないインパクトを放つ作品として語り継がれているのだと思うのです。
そんなスパイクがマイケルへの愛を込めて創ったもうひとつのSF。
それが「This is it」。
映像はインディアナ州ゲイリーのマイケルの生家から始まります。
マイケルの映像と写真で綴られていく彼の人生。
彼が愛したファンの姿。
それらの中に差し込まれる道路標識に落書きされた言葉(STOP HATIN' 憎むことをやめよう)の映像が、常にマイケルが言い続けたメッセージとして静かに伝わります。
スパイクは理解していたのですね。
マイケルが恐れ、マイケルが嫌い、そしてマイケルが伝えたかったこと。
人種や肌の色や環境に代表される外側を引き合いに出してのいがみ合い。
でもそんなフィルターは単なる目くらましで、実は人間の持つ他者への無知、無理解、嫉妬から産み落とされる「憎しみ」という目には見えない感情、それが高じる事が一番恐ろしくて愚かなことなのではないか。
そんな愚かな感情をぶつけ合うことはもうやめよう
偏見は無知から生まれる
ならば
自分を知り、自分を受け入れ、自分を赦し、自分を信じて、自分を誇り、自分を認めよう
そして
違いを知り、違いを受け入れ、相手を赦し、相手を思いやり、相手を敬い、相手に愛を伝えよう
そんな彼の声が聴こえるような気がします。
スパイクがこのSFに込めた彼へのさまざまな想いは、彼を愛する人すべてが共感し共有する想いでもあります。
彼が撮ろうとしている、奇しくもJBとマイケル、ふたりのKINGの映画。
ふたりへの愛と敬意を心に抱いて撮る映画なら、どちらが先でもいいから、無事に完成することを祈ります。
正式に決定してはいないけれど、マイケルの映画の仮題。
「Brooklyn Loves MJ ブルックリンはMJを愛してる」
これを見たとき、BAD撮影中にマイケルが見物人から罵声を浴びせられた時のことを語るウェズリーの言葉を思い出しました。(この記事のその1)
「彼らは自分達とマイケルの間に隔たりがあると感じたんだ。
きっとマイケルが黒人のコミュニティから出て行ったかのように感じていたんだよ」
スパイクの「This is it」SFの最後のシーンは、ゲイリーの家の前でライトに照らし出されるスツールの上にそっと置かれたマイケルの黒いフェドラ帽とスパンコールの手袋。
歓声も華々しさもなく、ただただ静かに故郷に戻ってきた彼の象徴。
それはあたかも、巨大な成功をおさめただけではなく、肌の色が変わっていく彼に対して、一度は自分達のコミュニティを出て行ったかのように感じたけれど、この悲しい現実によってそんな気持ちは消え去り、再び「おかえり」と静かに迎え入れているかのような、そんなことを感じさせました。
そして、こんなことになる前にもっと早くそうするべきだったという悲しみも同時に伝わる光景でした。
マイケルの外側のフィルターに騙され彼のアイデンティティに一時でも疑いを持った人が抱く複雑な感情は、当時おそらく黒人コミュニティに歴然とあったのではないかと思えてならない。
乱暴な非難を彼にぶつけたブルックリン(ハーレム)の見物人は、特殊でも少数でもなかったのではないかと。
BADでマイケルを粗暴な見物人から守ろうとしたウェズリーですが、彼も意識のどこかでほんの一瞬、見物人の感情がわかる瞬間があったのかもしれません。
ウェズリーの言葉。(記事ソースはこちら)
僕は彼を創りあげた神が、(もしくはあなたが信じるなんだっていい)僕たちを楽しませてくれる天使として彼を送り戻してくれることを祈っているんだ。
僕達がマイケルを失ったことは、ただ普通の人を失ったこと以上の喪失だ。
あんなに多くの世界中のさまざまな人の心に届いて触発させる人は、何か天使みたいな人なんだよ。
ただ、僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない。
僕たちは彼を十分に大切にしたと言えないかもしれない
でも本当は彼を愛している
彼に罵声を浴びせた人だって今頃は彼のためにキャンドルに灯りをともしているかもしれない
彼にふれたひとはみんなきっと
もちろんウェズリーもスパイクも
彼は人が自分を受け入れて愛してくれることを心から望んだからこそ
人を愛すことをやめなかった
そんな彼をわたしたちは
ブルックリンの人たちは
ドナ・マルタの人たちは
いや、世界中の人たちは
World loves MJ
絶対に忘れない
いつまでもいつまでもずっとずっと愛している
わたしたちのマイケル