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マイケルの「E」

過去記事にも書いたわたしの大好きなエピソード。
ケニー・オルテガがTIMEのインタビューで、コンサートの準備期間中にあなたがこれを撮影しておけばよかったと思った瞬間があったら教えてくださいと聞かれて。

I don't know if you want it on film, but it's something I'll run through my head for the rest of my life.
I was in his dressing room one night going over some artwork,
and Michael was behind me saying my name, at first very softly: "Kenny, Kenny."
I said, "What are you doing?"
He said, "I'm saying your name. Am I saying it right?"
Michael was from Indiana, and the way he said my name wasn't quite like anyone else.
I guess the reason he questioned it was because I always smiled when he said it.
I said, "Of course you're saying my name right.
I love the way you say it.
When you say my name, it makes me smile."
And he said, "Good... when I say Kenny, it means 'friend.' "
He was a special man.

あなたにとってはどうかわかりませんが、僕の残りの人生でずっとそれが頭を駆け巡るだろうという出来事ならあります。
ある夜、彼の控室でアートワークの話なんかしていたんです。
そしたら、背後にいたマイケルが僕の名前を呼び始めて、最初はとてもそっと「ケニー、ケニー」って。
「いったい何してるの?」と僕は言いました。
彼は「きみの名前を言ってるんだよ。僕ちゃんと言えてるかな?」って言うんです。
マイケルはインディアナ出身で、僕の名前を言うときの彼の発音は、他の人とまるで違っていたんですね。
彼にそう呼ばれるといつも僕が笑顔になるから、それで尋ねたんだと思うんです。
僕は言いました。「もちろんだよ、きみは僕の名前をちゃんと言ってるよ。
僕は、君の言い方が好きなんだ。
君が僕の名前を呼ぶとき、つい僕は微笑んでしまうのさ」
するとマイケルは「よかった・・僕が「ケニー」っていうとき、それは「友達」っていう意味だからね」って言ってくれたんです。
彼は本当にスペシャルな人だったんです。・・

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これを最初に読んだときと今では受ける印象もずいぶん変わってきました。
オルテガ目線で始めは読んで、さぞ嬉しかっただろうな、オルテガ・・みたいに思ったりしていましたが、今は、全力で魂を注ぐプロジェクトを一緒に創り上げる、いわば同志でもあるオルテガに対して、「君は仕事で繋がっているスタッフではなくて僕の大切な友達なんだよ」と伝えたマイケルの、オルテガへの厚い信頼と「だから絶対僕から離れていかないでね」という心情が透けて見える気がして、素朴な親愛の言葉だけに切なさで胸が痛みます。


(ノ_-。) くすん・・


っと今回はそっちの方向じゃなかったw


マイケルが話すケニーの名前の発音が人とは違う、という記述部分(マイケルの「E」の発音を言ってるのでしょう)は、おそらくオルテガには、ケニーではなくキニーに近い感じで聞こえていたんじゃないかと。
わたしは最初はオルテガが言っているとおり、ゲーリーの方言というか、なまりのようなものなのかなと思っていました。

でも今思うのは、それはなまりではなく、マイケルがブラックアメリカンだという証拠とでもいいましょうか。
黒人が話す英語には、彼ら独特の決まりや言い回しや文法があるらしく、よく言われるところでは三人称単数を無視した言い方ですか(Does'ntではなくDon'tですます)。
わたしは英語が得意ではありませんので、ちょっと聞いたぐらいではその違いは全くわかりませんし、知ったかぶりは到底出来ませんが、確かにそれはよく聞くお話ではあります。
もともと奴隷として故郷からつれてこられた歴史を持つ人種ですから、英語は完全に外国語。
生きる上で徐々に習得していき、何代にもわたっていつしかそれらは彼らの母国語となっていくわけですが、もともとのふるさと、アフリカの母国語の特徴や癖が何十年経っても、実は彼らに色濃く影響を残しているということらしいのです。

それらの際立つ特徴のひとつに発音に関して「[ɪ]と[ɛ]の中和。例えばpinとpen、binとBenの[ɪ]と[ɛ]は、それぞれ中間の発音になる」ということがWikipediaに記載されています。

要するに「エ」と「イ」の区別がつきにくいということですかね。
まさに「ケニー」が「キニー」に聞こえてもおかしくない発音の特徴ですね。

わたしはヒアリングがダメダメなので、マイケルのスピーチや会話で「お!」と思う経験は恥ずかしながら全然ないのですが、彼の「BEN」を聞いた時、確かに「お!」と思いました。

Michael Jackson - Ben (lyrics)  



しょっぱなの♪Ben~も、若干怪しいといえば怪しいですが、完璧に「おお!」とわかるのは最後の
If they had a friend like Ben

このfriend like Benがフリン ライク ビンに聞こえますよね。
でも最後の♪like Benはちゃんと(?)ベンと聞こえます。

彼の「E」が常に「I」になるのなら「それがマイケルなんだ」でいいですけれど、おそらく「たまにそういう風に聴こえる時がある」というところが気になるといいますかw

マイケルはモータウンでジャクソン5としてデビューする際、マナーはもとよりいわゆる標準英語の発音も徹底的に教育されたと聞きます。
方言やなまり矯正という意味もあったでしょうが、当時のモータウンの狙いは黒人だからと言って黒人にウケるだけではなく、白人にも受け入れられるようにという意図があったのかもしれません。

幼かったマイケルはおそらく難なくそれらを習得したでしょう。
マイケルでなくても、子供の順応性と吸収力は眼を見張るものがありますものね。
ただ、単に歌がうまい子供ではなく、大人も舌を巻くほど歌に感情を込める事が容易に出来た彼でしたから、この「BEN」という歌の中に、体が弱くて友達のいない孤独な少年が、初めて自分の友達だと思えたねずみ、ベンに持つ愛情と信頼、そして自分たちのことを理解してもらえない寂しさ・・それらの感情を精一杯込めて歌った時、ひょっとしたら当時14歳の彼の中にすでにあった孤独と、自身にもある動物に対する愛情があいまって、つい素の自分がでてしまった瞬間だったのではないかと。

jacksonbenben.jpg

基本の発音は矯正されたはずだったけれど、こみあげる自分の気持ちを歌に込めた瞬間、本来の黒人特有の発音が口をついて出たのかなと。

関西出身のアナウンサーは始めに徹底的にイントネーションを強制させられますが、地元の友達と話したりしてリラックスするとついつい自然に関西イントネーションになる・・それに近い感覚なのかもしれません。


マイケルがアルバムDANGEROUSをレコーディングしている時に一緒に仕事をした、おそらくレコーディングエンジニアじゃないかと思うのですが、Sam L. Parityさんがご自身のブログに(2007年)マイケルのアーティストとしてのすごさや愛すべき人となりを断片的に綴っています。

その中からいくつか。

「スタジオでのマイケルは信じられないぐらいすごかった。彼は音楽に対して正確な記憶力を持っていた。
ひとつの歌を40通りに歌い分けることができて、しかも2週間後に6番目と27番目のテイクがベストだと思い出せるんだ。
Dangerousのために僕らは相当数の曲を録音したので、最終的にアルバムの選曲はMJにとって至難の業だった。
彼がリリース用に選んだ曲が2時間を越えてしまったので、いっときは二枚組みにしようとした。
ソニーがCD一枚分で、と決定した時、マイケルは曲の最終リストを持ってまた戻ってきたけれど、たいていは74分(ディスク1枚の許容時間)以上になってしまった。
そんなことを数週間ひたすら繰り返したことを思い出す。」

「一度、昼食のためにマクドナルドに行ってきてくれないかとマイケルは僕に頼んだことがあった。
彼は通常パーソナルシェフに毎日食事の準備をさせていたので、これはかなり珍しい要請だった。
とにかく、何がお望みなんだい?と尋ねたら、何があるのかもわからないんだ、でもみんなが美味しいって言うからさ、ときた。
結局僕はメニューから彼のためにほとんど全種類をひとつずつ買った。
彼はそれぞれをちょこっとずつかじっては、何が好きで何がそうじゃないかを教えてくれた。
僕の記憶が正しければ、彼はフィッシュサンドイッチがとても好きだったね」

「彼は僕を彼のクレジットカードを持って、彼のバカでかいシボレー・ブレイザー(※)のガソリンを満タンにする、というような午後のお使いに出すようになった。

※運転するしないに関わらずマイケルが使った車はSUVがほとんど。このブレイザーは ゼネラル・モータースの大型SUV、K5 Blazerだと思われます。いかにもガソリンをよく食うアメ車って感じですw

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1990年モデルのK5 Blazer。でもマイケルのはもっと年式古かったかも。

(中略)
でもここで僕はマイケルがひどくへたくそなドライバーだと言わねばならない。
僕の車はもちろんスタジオに停めてあるみんなの車は、少なくとも一回は彼に当てられたんだから。
1度、彼は101Freewayで人の車に追突したこともある。
結局、彼は運転をあきらめて、毎日彼のために働いてくれる運転手を雇ったよ」

「ある日マイケルは、特別なお願いを聞いてくれない?とはにかんで尋ねてきた。
彼が運転するのを止めたあとだからまず間違いないけれど、僕が思うに、彼には日中にちょっと買い物をするための手段が本当になかったから。
彼は全く唐突に、下着をきらしたって言うもんだから、もちろん僕は承知した。
僕が彼と働いたずばぬけて素晴らしい2年間、マイケルは黒いパンツと赤いボタンダウン・シャツを着て、毎日スタジオに来た。
彼のオフィスにはラックがあってね、着た後ちゃんとクリーニングに出しているのか着捨ててるのかはわからないけれど、とにかくこの2つのアイテムで埋まってるラックがあったんだ。
でもこの(特別な)日、彼の引き出しの中身は底をつきかけていたってわけさ。
最初彼はとにかく下着が欲しいんだって。
僕がどんなタイプの?って聞いても「下着!とにかく下着だよ」としか言わないから、僕は君のお母さんじゃないんだから、どんなのがいいかわかんないよと言ったら、マイケルはちょっと笑って、「ヘインズのサイズ30をお願い」って。
でも僕が外に出た時、彼は走って来て、「やっぱり32!タイト過ぎるの嫌なんだ!」って叫んだんだ。
そんなわけで皆さん、キングオブポップは白ブリーフをお召しでしたw」

※サムさん自身がこの件の脚注として、白いブリーフは子供が穿くもの、というわけでもなくて、ほとんどはある時点でボクサーショーツに変えるけれど、成人男性で白ブリーフを穿き続ける人は多い、と当時30歳を過ぎていたマイケルに気を使ってるのかどうかわかりませんが、そう書いておられます(笑)


多作で有名な彼の、特にDANGEROUS期の多くのアウトテイクは、泣く泣く彼が振り落としたものだということがよくわかりますし、何度も何度もテイクをとり、様々な歌唱法を試し、もちろん音もアレンジも気が遠くなるほどのチャレンジを超えて、そうして残った、まるで泥水を何度もゆすぎ、ようやく見つけ出される宝石のような曲たち。
だからこそアルバムDANGEROUSがあれだけの完成度の高さを誇るのも無理はないということ、まさにアーティストマイケルの真骨頂が、しみじみ実感できるエピソードですよね。


あと、リズム感もダンスも高いレベルにあるマイケルをもってしても、運転の技術って比例しないんだな・・とかw
ああ、一晩でCDを1,500$(およそ15万円w)分買ったっていう話もあって、さすがKingっつー(笑)

赤のボタンダウンと黒のパンツ、確かによく着ていましたね。
まさかそればっかのラックがあったとはw
DAGEROUSレコーディングは'90~'91。
その間ちょっと調べただけでも、確かに普段こればっかの写真が多いですw

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彼のBenといえばバブルス^^

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さ~買っちゃうぞ~♪

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10 red button-down shirt

med_gallery_44_128090 red button-down shirt
これはまさにDANGEROUSのレコーディングスタジオでのショット



でも今回一番大事なのはこのエピソードなのでした。


「彼は周りの誰をも不用意に混乱させる事のないように、何をするにも気を使っていた。
マイケルはスタジオ使用料には1日5000ドル使ってるにもかかわらず、僕の机にはこんなメモを残すような人なんだ」

Inkpin.jpg


from M.J.
I took one ink pin 

MJです
ペンを1本とりました



ink pin・・
ペンなんだろうけれど、ついピンって書いちゃった感が。
おじいちゃんが「ディズニー」を「デズニー」と言ってて、それを書くときももちろん「デズニー」と書きますよ的なw

創作中や音作り、歌いれなんかはピンと緊張感が漂っていただろうけれど、四六時中スタジオで顔を合わせてものづくりをする仲間は、彼とっては家族同様に気を許せる相手だったのでしょう。
自分のクレジットカードを託したり、とてもプライベートな買い物を頼んだり、本当にこのサムさんに心許してたんだな・・と。
そういう気のおけない人と話す時、きっとマイケルの「E」は、オルテガに「ケニー」と呼んだときと同じ、あるいは「BEN」を歌った時と同じだったのではないでしょうか。


彼はモータウンから受けた教育だけではなく、普段から乱暴な言葉や汚い言葉を使いたくない人でしたし、英語のわかる友人は「彼の話し方はとてもきれいで品がある」と皆声をそろえて言うほど、きちんとした英語を話す人ですけれど、いわゆる標準のよそいきのきれいな発音やアクセントが身についていてもなお、ふとしたときや素の自分でいるときには、自分のルーツのDNAが覚えている特有の発音で自然に話していたのだなぁと。

そう思うと、それは単なる癖とかいわゆる方言的に片付けられずに、なんともあいくるしく思えます。

彼は手が届きっこないほど崇高で凛とした気高さを持つ人ですけれど
同時にくるおしいほどのかわいさを併せ持つ人でもあって

もしも別の人生を歩めるとしたら、そんなマイケルの友達になって
彼のへたくそな運転でスリルを味わったり
「パシリ」となってマクドナルドに行ったりヘインズの下着を買いに行ったり
1時間閉店を早めてもらったタワーレコードへお忍びで一緒に出かけてCDを選んだり

ポップコーンの投げあいもいいな


そして何より

彼から「きみは僕の大切な友達だよ」という気持ちを込めて名前を呼ばれたい



その時には必ず「E」が含まれる名前でいなくちゃ


・・ね


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Michael's next plan その2

前回の続きです。


フランク氏のインタビューからは、マイケルの名声を利用しようとする気持ちなど微塵も感じられず、ただただ、彼が残した、おそらく世界が予想もしていなかったマイケルのクラシック楽曲たちを、大切に、そしていつか日の目を見る日が来れば喜んで協力しようというフランク氏の誠実さがあらわれているように思えて、だからこそそこで語られているマイケルの、自分のやりたかったことの協力者に対して素の自分を出している様が、ほほえましく愛おしく感じられます。

犬が苦手なマイケルが、ずぶぬれのワンちゃんのぶるぶる!を警戒するところは「あーあ、かわいいんだからなぁ、もう!」みたいな感じになりません?w
そして、自分が好きなエルマー・バーンスタインの話題をしていて、自分の好きな「荒野の7人」をフランクさんも好きだと知って、嬉しくなって子供のようにその歌を大声で歌うところも。
なんて無邪気なんだろう・・かわいすぎ^^

そしてパリスちゃんとのやりとり。
マイケルを笑顔で見上げるパリスちゃんの澄んだ大きな瞳と、彼女を見やるマイケルの伏目がちな優しい視線がイメージできて、ここで涙腺は完全に決壊です。
こんな時いつも思うことは、こんな何気ない、普通の幸せな家族の会話は、本当ならもっともっと続くはずだったのに・・ということ。
穏やかでゆるやかに流れる素朴で幸せな時間・・それらが確実にマイケルたち家族のもとにあったことを、このインタビューで確認できて安堵すると同時に、それはあまりに切なすぎてあらたな涙を誘ってしまいますけれど。


マイケルがクラシック好きだというのは、彼の著作「Moon Walker」でも書いてらしたし、過去記事で少し書いたブレット・ラトナーとのインタビューごっこでも語られていますし、他のインタビューでもチャイコフスキーのアルバムのような完成度を目指して「Dangerous」を作った、とか話していますし、昔から結構どこでも話していますから、ファンの中では周知の事実であったけれど、自身でアルバムを出すつもりだったとは。


ここでは出てきませんが、「HIStory」の冒頭に流れるのもクラシック、モデスト・ムソルグスキーの「キエフの大門」ですしね。
La grande porte de Kiev / Modest Petrovich Mussorgsky


前回出てきたアーロン・コープランドの「市民のためのファンファーレ」もそうですけれど、マイケルはこういう壮大で荘厳な曲を使うのがうまかったですね。
彼は「King」という自身がアイコンであることを充分理解したうえで、あえてその気高さを象徴する演出をしていたのでしょうが、ある意味本当に「愛」で世界を統治する君主(独裁者と言う意味ではなく)として様々な愛のメッセージを込めた曲を創っていたのかもしれません。


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わたしはもともとチャイコフスキーは好きだったのですが、この記事のおかげでさらに多くのマイケルお気に入りの曲を聴けて、新たに教養が深まったような気がします。
彼に影響され、それまで縁がなかった種類の音楽や美術、いわゆる芸術の扉を開けた、あるいはさらに深く興味を持つようになった人は多いでしょうね。
ドビュッシーの月の光、アラベスク1番はわたしも大好き。
マイケルのおかげでドビュッシーが好きになり、彼を足がかりに同じ印象派の、こちらは絵画ですがクロード・モネが好きになり、みたいに自分の内面が豊かになっていくのはとても幸せな事です。

マイケルのクラシックアルバム。
きっときれいな曲たちなんだろうな・・


「The Lost Children」「Child hood」「You Are My Life」
書きながら思い浮かんだのですが、わたしはこれらの曲の美しさが本当に好きで、子供のためのアルバムって、これらの曲よりも可憐で無邪気で美しいメロディなんだろうなと思えば思うほど、絶対に聴きたい!と思うのですが。
そういえば、プリンス君が2歳ごろ、まだINVINCIBLEが出る前に、「The Lost Children」を子守唄のように歌って聴かせていたというのをどこかで読んだような気がしたのですが・・
ま、それはわたしの妄想の思い込みだったとしても、「The Lost Children」の歌詞は切ないものですがメロディは十分子供のためのエチュードとして通用する曲だと思うのですが^^
本当にマイケルの創るメロディは、心の琴線に触れ、様々な感情を呼び起こす魔法です。



でもあの時期に同時進行でこんなに計画があったとは驚きました。
と、同時に、やっぱり彼の目は未来に、決して後ろを向くことなく下を向くでもなく、前に前に向いていたのだと。


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彼が50回と言う回数を自分から望んだとはやっぱり思えませんが、少なくともロンドンをやり遂げる事は、彼が意図せず取り上げられたさまざまなもの・・たとえば

みんなに与えたくても、与える場を奪われ
大切にしていたささやかな安住の城も奪われ
何よりも勝手に着せられた汚名によって、子供たちに手を差し伸べる機会を奪われ

そしてはたき落とされたkingの王冠・・



それらを取り戻すためのチャンス



だと思ったのでしょうか。


仮に逃れられない苦痛や重圧、苦しみを取り除くために何かの助けが必要だったとして
でもその方法は本来ならとるべき方法ではないとおそらく彼もわかっていて
でもそうまでしても、そこまでしてでも、やり遂げたかった事

つい先日ジュリアンズ・オークションが、またもやキャロルウッドのホルムビーヒルズのマイケル邸に置かれていた家具などのオークション開催を発表し、室内の写真がニュースで流れました。
幸いな事に彼のベッドがオークションのリストに入ることはないとのことで、少し安心しましたが。

寝室のアンティークキャビネットの鏡に彼が(多分リップで)書いた文字が。

TRAIN, perfection, March April. FULL OUT May
練習、完璧に、3月4月 全力で、5月


2011-11-04-MJpicturewritingmirror.jpg


練習、完璧に、全力で


絶対やり遂げる
絶対成功させる

全力で
完璧に
最高の


だからそこへ到達するために


ゆっくり時間をかけていられない
今は日が迫って来ているから仕方ないんだ、でも
これを成功させれれば
無事にやりおおせれば

きっと自分の決めたある一定のゴール地点までくれば
もう頼る必要もない
そしてUnbreakableでInvincibleな自分にまた



そんな風にあの日々をひとりで戦っていたのだろうか



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などとふと思ったりしてしまいます。
もちろんいつもの勝手な妄想ですが。


あの日の1週間前、シュガーフットを始めとするミュージシャンたちは、(おそらくダンサーも)マイケルとの契約を3年延長したそうです。
それは、マイケルとのグレート・アドベンチャーがロンドンで終わるのではなく、さらに未来へ長く続く事を指していたのです。

マイケルの目は前を向いていたから
奪われたものを取り戻し、新しくて斬新な何かをパイオニアとして何の憂いもなく思いきり創りだそうとしていたから



プリンス・マイケルとラヴェル・スミスのインタビューはこんな風に終わっています。

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マイケルはどんな風に人々の記憶に残りたいと思っていたのでしょうと聞かれて

スミス: おわかりだろうけれど、いつだって彼がファンや聴衆に送り出したものは間違いなく独創的だった、と。革新的だったとね。彼は人に真似られることは気にしていなかったけれど、いつも自分はそれをする最初の人(先駆者)でいたかったのです。

プリンス: 僕は彼がやりたいことなら何でも賛成するつもりでした。彼は最高でありたかった。彼自身はもちろん、バックダンサーたちも、ミュージシャンたちも、照明だって、機材の部品にいたるまで、全部が最上でなければってね。

スミス: カメラもね。あらゆるものにふさわしい動きというものがある。僕は彼がこの言葉を使うのが好きで。正しいカメラの動き。正しい光の当て方。僕が彼から教わったのはこういうことなんです。

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誰もやっていない新しいものを
誰も成し遂げていないなにかを

最高の自分が
最高のできばえで


カウボーイのSFを作り、ギャングスタ映画を作り、POPアルバムだけではなく子供のための曲を書き、新しいインストゥルメンタルのアルバムを作り、わが子らと一緒に世界を回り、子供病院を作り、子供たちに手をさし伸ばし、それからもっとファンをびっくりさせてもっともっと喜ばせて、現実を忘れる最高な夢の時間を沢山作ってあげて、そしてそして・・



そして




彼は天使に抱かれていってしまった


それはさながら

やりたい事だらけで時間も忘れて遊びに没頭し
まだまだ遊びたいけれど疲れてしまって首をこくこくしはじめて
それでも積み木を手から離さずうつらうつらする子供を
ベッドでぐっすり寝かせようとママが優しく抱きあげるように



Michael+Jackson++WILL+YOU+BE+THERE.jpg




そのとき


彼の手からこぼれおちた積み木



そのひとつがオーケストラ編成されたマイケルのクラシックなのだとしたら
いつか完成されて聴けることをただ祈って待とうと思います。

彼の手によってその積み木がきちんとした大きなお城や車に積み上げられ形作られることはないけれど

マイケルが握っていた積み木なのであれば
やっぱりわたしはその積み木を見てみたいと思います。


先に書いたオルテガのお話。
マイケルと企画していたLegs Diamond、それに長編のThriller3-D映画。
昨年、Thriller3-D映画の監督にオルテガが決定した、というニュースが流れました。
当時は少しオルテガに対しても若干懐疑的になっていたので完全にスルーしていたのですが、今はマイケルのやりたかった企画を、同じするならやはりオルテガ以外いないなと思えてきました。
インタビュー内で彼はまだほんの初期段階のプロジェクトだし、どうなるかまだ全然わからないとした上で、こう言ってくれているから。

「僕はマイケルの思い出や作品を台無しにするようなことは断じてしないよ」


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これもある意味、マイケルの積み木。
どうなるかはわからないけれど、オルテガを信じて待とうと思っています。


いろいろな人が彼の思い出を口にして、彼にまつわる本や映像を出してくるけれど、そのどれもがマイケルのすべてを投影したものではなく、あくまでその人の目に映ったマイケルであり、その人が記憶しているマイケルで。
それは嘘ではなくて、でもすべてでもなくて。
嘘ではないけれど真実ではないことなんて、この世には山ほどあるわけで。
そして本当のことであっても知らせるべきではないことだって。

そんな中から、わたしはあくまでわたしの感受性やセンサーにその人のマイケル愛を(決して誉めそやす事ではなくて)感じるものだけをこれからも選んで、受け入れていくしかないわけで。


それでもこれから何があろうとも

どれほど傷つけられても決してぶれることのない毅然とした信念を支えた、彼の気高く美しく、そしてどこまでも純粋で優しい慈しみ深い心

それはいくら泥にまみれようが絶対にくもらないことを

わたしたちは知っているのですから。


それだけはまぎれもない真実なのですから。

Michael's next plan その1

去年の今頃、ひとつの記事を見つけました。
マイケルが2009年6月頃に書いたとされるメモが見つかり、それがネットオークションのe-Bayで落札されたというものでした。(Sourceはこちら

Michael Jackson handwritten note

飲み物がこぼれたくしゃくしゃの用紙は、マイケルが頻繁に通っていたアーノルド・クライン・クリニックのもの。
特徴のある彼の「D」

One year in London 3G?
International # 1 2 3 4 5 albums and single
Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
Who's doing sculpture for Halloween special

でもほとんど暗号のような感じで、どう解釈していいやらだったので記録だけしていたのです。

でも今月の初めに、マイケルとは旧知の間柄であるふたりのブレーンがトークショーに出て、マイケルがTII後に何を計画していたかを話してくれました。
それを聞いて、このメモがまんざら適当な殴り書きではないことと、もうひとつ気になっていた記事があって、それらの点がきれいに線に繋がったので、ここに書き記しておく事にします。


11月1日(日本時間2日)ジャメインがこんなツイートを

Shout out4 Michael Prince & Lavelle Smith Jnr on @PiersTonight 9pm EST. Two valued allies of my brother & integral part of his second family
マイケル・プリンスとラヴェル・スミスJrが9時からのピアーズ・モーガン・Tonightに出演するお知らせだよ。ふたりは僕の弟の重要な盟友で、なくてはならない彼の第2の家族なんだ


Lavelle  MJ

ラヴェル・スミスJrはバッドツアー(1986)からマイケルと仕事をしてきたダンサーであり、振付師。
バッドツアーでもデンジャラスツアーでもヒストリーツアーでもいつもマイケルの右にいますよね^^
TIIは2008年、マイケルがベガスにいる頃(ツアーの名前も決まっていない頃)すでに大まかな振り付け練習がスタートしてたらしく、彼はその時点から関わっていたそうです。

michaelprince.jpg

プリンス・マイケルはマイケルのレコーディング・エンジニア。
TIIで、The Way You Make Me Feelのサウンドチェック時に、「まだだよプリンス!」と音のタイミングをマイケルとベアデンから注意されていた人w
マイケルが「もっと間をとって、余韻が必要だよ」と指示し、ベアデンが「オーライ、プリンス!アチャ・ウーのあと2小節追加だ。最低1小節」と言ったとき、小さく「got it」と聞こえる(空耳?錯覚?w)声がプリンスなんだと思うのですが。
彼も2008年のベガスからマイケルと一緒だったそうです。


ピアーズ・モーガン・Tonightに出演した二人がマイケルの思い出と共に、彼がTIIと共にあたためていた様々なプランを話してくれました。Sourceはこちら

わたしはヒアリングがからきしダメなのですが、幸運にもTranscriptを見つけましたので内容がわかりました^^ そちらのSourceはこちらで。
全訳ではなく今回のお話に必要な部分だけ抜粋させてもらいます。
いつもどおり怪しい意訳なので(笑)そのおつもりでお願いしますねw

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ホストのモーガン: マイケルの次の計画については多くの説がありましたが、彼は何を計画していたのですか?

スミス: 僕らはショートフィルムを作るつもりでした。ご存知の通り、マイケルはショートフィルムを愛していました。僕らは、カウボーイの映画に取り組んでいたんです。

プリンス: Legs Diamond・・

スミス: Legs Diamond.

プリンス: 彼は「Legs Diamond」の現代版ミュージカルみたいなものを作りたがっていました。 マイケルは既にいくつかギャング風なものを作っていましたからね、「Smooth Criminal」のような。

スミス: そう、Dangerousや(Smooth) Criminalね

モーガン: 私は、彼は数ヵ月ごとにシングルをリリースしたがっていたとも聞いていました。
そうやっていって最終的にアルバムを出すと。すごく奇抜なやり方であったね。

プリンス: その通り。そんなやり方なら「スリラー」と比較されません。 彼はツアーを行っている間、多分8週ごとにシングルを出そうとしていました。そうして一旦10曲を出して、新しく2曲を追加したアルバムを出そうと。
さらに彼は子供向けアルバムを作りたかったのです。子供のための美しく純粋な歌・・ご存知の通り、彼はそういうものを書くことが好きだったから。
彼は言葉を入れたくないメロディも沢山かかえていたので、クラシックのアルバムも作りたかったのです

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ロンドンにいる間、2ヶ月ごとにシングルをリリースして、最後にアルバムを出す・・
例のメモ、少しだけわかったような気がしました。

One year in London 3G?
ロンドンに1年(3のあとがGなのかなんなのか不明なのでここはわかりません><)

International # 1 2 3 4 5 albums and single
(その間)世界的に 1~5枚シングルと、アルバムを

※あくまでわたしの勝手な妄想に近い推測です。アルバムじゃなくシングルが本来は複数形にならないとだめですけど、マイケルならアリかな、とかw 5回シングルを出すと合計10曲になりますものね。
メモでは上記をひっくるめて、的なかっこのような印がありますから、それらの斬新なやり方でのリリース案を「Talk to」って感じに思えるんですよね。

Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
(この案を)digital people, Universal, Warnerに話す 大きな収益になる

デジタル・ピープルは企業名なのか固有名詞なのか良くわかりませんが、ユニバーサル、ワーナーとなると初めは映画の話?と思いますが、前々回のシュガー・フットのドラム雑誌インタビューで、彼がこんな風に言っています。

「最後の3年間彼は秘密裏に楽曲作りを行っていて、アルバム制作を見据えていたし、ソニーとの再契約するか、他のレーベルにするか、それとも自分のレーベルから出すかということを考えていたんだ」

なので、複数のレーベルに話をしてみるという気になっていてもおかしくないなと。
TIIコンサート期間中に新曲を出しながら、おそらくそれらもセットリストに加わったりして話題を途切れさせないようにして、コンサートが終わる頃にアルバム発売って感じかな。

マイケル・ジャクソン子供病院のためにも・・コンサートとアルバムとでHugeな利益を出したかったのでしょうか・・ね・・。


とにかくふたりのインタビューで、このメモがひょっとしたらきちんとしたプラン内容の覚書かもしれない、と感じました。
そのあとの Who's doing sculpture for Halloween special(誰がハロウィン・スペシャルの彫刻をするのか」は、やはり謎ですが、2009年のハロウィン、マイケルになんらかのアイデアがあったことを匂わせますけれどね・・


そしてミュージカル映画。
Legs Diamond というのは、ジャック・ノーランという禁酒法時代の実在のギャングのこと。
アメリカでは有名なギャングだったようで、彼のエピソードはドラマ「アンタッチャブル」の元ネタになったり、映画になったりしています。

Rise and Fall of Legs Diamond

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日本でも1960年に「暗黒街の帝王 レッグス・ダイヤモンド」という邦題で公開されていました。

そういえばオルテガもちょうどTII公開時期に答えたインタビュー
「マイケルとわたしは複数の映画を企画していた。 TIIが決まる前から、ミュージカルのLegs Diamond、それに長編のThriller3-D映画を製作する話し合いは始まっていたんだ」と語っていました。

Legs Diamondのミュージカル映画・・やる気まんまんだったんだなぁ・・
マイケルは本当にいわゆるギャングものが好きだなぁ・・
きっとダンスをふんだんに取り入れたミュージカルになったはずですね。


それにカウボーイの物語のSF・・
何の曲のSFだったのかな
見てみたかったな

カウボーイと言えば西部劇。
ラテン、悲しい口笛・・ときたらすぐに思い浮かぶのが「Whatever Happens」
アルバムINVINCIBLE収録、カルロス・サンタナの泣きのギターが印象的な、これを思い出してしまいます^^
口笛もサンタナに吹いてもらったんですね。

Michael Jackson - Whatever Happens


何があってもわたしの手を離さないで・・っていう、ね。
マイケルがもしこの曲のSFを作ったなら、絶対カウボーイが登場したんじゃないかしらとか思ったりしました。

そういえば、DangerousのパフォーマンスにSmooth Criminalの一部が挿入されるようになったのは1995年以降だと記憶しているのですが、違ったらごめんなさい。
そのSmooth Criminalの一部のパフォ中に挿入される聞き覚えのある「ぴろりろり~♪」という音楽w
あれは有名な西部劇映画のテーマですよね。
「続・荒野の用心棒」(The Good, The Bad & The Ugly Theme)1966年の映画です。マイケル8歳。
冒頭すぐにわかりますよ!
ね?とても有名だから結構ベタなのもアリなんですね、ジャクソン先生w

Dangerous Michael Jackson - ( Live MTV Music Awards 1995 )


Michael Jackson - Dangerous Live 2002

いつ見てもほれぼれ^^


マイケルはこの西部劇のテーマ曲も好きだったみたい^^
これまたベタで誰もが知っている有名な曲なんですね。
1960年の「荒野の7人」
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Elmer Bernstein -The Magnificent Seven(「荒野の7人」)


この映画は、日本の黒澤明監督の「七人の侍」(1954年)に影響されたジョン・スタージェス監督が、あんまりにもこの映画が好きすぎてついには設定をすべてメキシコに置き換えて作ってしまった「七人の侍」のリメイク映画です。
音楽はエルマー・バーンスタイン。
マイケルは彼の音楽が大好きだったとか。
同じく彼のお気に入りでBeat Itの群舞に影響を及ぼしたとされる「ウェストサイド・ストーリー」の作曲を手がけたレナード・バーンスタインと間違えそうですが、あの泣く子も黙るThrillerのSF監督、ジョン・ランディスの「狼男アメリカン」の音楽担当がエルマーでした。
マイケルはこの「狼男アメリカン」からヒントを得て狼になっちゃったわけですし、当然音楽も聴いていたでしょうし、そりゃ好きな作曲家にもなりますよね。


どうしてそんなことがわかるのかというと、前述した「もうひとつ気になる記事」からね。
これがとても興味深いのです。
この記事も読んだ時は「そうなんだ~」と感激したのですが、なんとなくお蔵入りしてしまっていたもので、でも実はそこにマイケル・プリンスが関わっていて、今回のインタビューでぴたりと繋がったのでご紹介させていただきます。
とはいえ、記事自体は昨年のものなので、結構ご存知の方も多いかもしれませんけれど^^

2009年2月ごろ、TVの刑事コロンボシリーズやスティーブン・セガールの映画音楽の作曲家であり指揮者のデイビッド・マイケル・フランクさんは、冒頭インタビューに出てくるプリンス・マイケルから1本の電話を受け取ります。
それがマイケルの美しいインストゥルメンタル・アルバム(いわゆるクラシックアルバム)が具体的に始動するきっかけとなったのです。

フランク氏は、'96年スミソニアン航空宇宙博物館の20周年を記念して上映された宇宙を扱った教育映画、Cosmic Voyage(IMAXシアター専用3D映画)の音楽も担当されています。(この映画のナレーションはモーガン・フリーマン)
彼の公式HPにもマイケルとのプロジェクトの事がきちんと記されています。

インタビュー記事のSourceはこちら

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4~5ヵ月前、私は、マイケル・ジャクソンの長年のレコーディングエンジニアであるマイケル・プリンスから電話を受けました。マイケルがオーケストラ用音楽をアレンジできる人を探しているのだと。
私はそれがマイケルが準備していたツアーのためのものだろうと思いました。
その1~2ヶ月後また彼(マイケル・プリンス)から連絡があり、「マイケルが直接あなたに連絡をすると言っている」と言われました。

4月の末に、もう一人のマイケル(マイケル・ジャクソンの個人秘書)から電話があり、翌日の午前10時に来てくれないかと言われました。その時私の車のメーカーとモデルを尋ねられました。
私は、彼のホルムビーヒルズ邸まで車で行きました。
玄関のドア前に乗りつけると、彼のアシスタントに中に入るように言われました。
そこで頭に白いターバンを巻いているけれど、家政婦のようないでたちの女性に「マイケル・ジャクソンはまもなく参ります」と言われました。およそ2分後、マイケルが階段を下りてきました。

私は彼が細菌による感染症を心配していると聞いていたので、握手をためらいましたが、彼はすぐに手を差し出して、とても固い握手をしてくれました。
彼は非常に痩せてはいましたが、少しも弱々しくはありませんでした。
スーツ姿で帽子をかぶっていた彼は、この後ツアーのリハーサルに行くつもりにしていました。

彼が「あなたとどこかでお会いしたような気がするのですが」と言ったので、大昔にシュライン・オーディトリアムで行われたサミー・デイビス, Jr.の(彼も参加した)トリビュート番組で働いていて、そこでちょっとの間、あなたにお会いしましたと彼に話しました。すると彼は「僕は、人の顔を決して忘れないんですよ」と言いました。

彼は、私に言いました。「僕には同時進行している3つのプロジェクトがあるんです」
ひとつは全世界が知っていたツアーでした。
私が誰も知らなかったと思っている他のふたつのうちひとつはポップスのアルバム。
それから、彼は言いました、「あとひとつはクラシック音楽のアルバムを録音したいんです」と。彼が言うところのクラシック音楽。

彼は、常にクラシック音楽を聞いているのだと言いました。それが本当に大好きなのだと。
私は彼が挙げた音楽に強い印象を受けました。

アーロン・コープランドの「ロデオ」

古きよき時代のテキサスって感じです♪

「市民のためのファンファーレ」

MJ30TH アニバーサリーJacksonメドレーのオープニングで使われた曲でもありますね!

「リンカーンの肖像」

あっこの曲か!って恥ずかしながらここで知ったというw

レナード・バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」。


私はレナード・バーンスタインの「波止場」について語りました。

若き日のマーロン・ブランドの主演映画

するとマイケルは、エルマー・バーンスタインの映画音楽も好きだと言い、特に「アラバマ物語 」について語りました。

ローマの休日でおなじみグレゴリー・ペックの主演映画、これ絶対マイケル好み!ね♪

私は彼の語るクラシックのほとんどが、とても子供らしくシンプルでかわいらしいことに気づきました。
そう、プロコフィエフの「ピーターと狼」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」のような。
彼はまた、ドビュッシーの、特に「アラベスク1番」「月の光」については何度も語りました。


ピーターと狼


くるみ割り人形・・白戸家のおとうさんw


ドヴュッシーのアラベスク1番


ドヴュッシーの月の光 大好きな1曲 

音楽について話す時、彼はとても穏やかな声なのですが、何かに活気づけられると、別人のように変わりました。
彼は自分がどれほどエルマー・バーンスタインを愛しているかを語っていて、私が「荒野の7人」が好きだと言った途端、マイケルはそのテーマ曲をほとんど叫び声に近い大声で歌い始めたのです。

彼は「僕はCDを作っているんです」と言いました。
息子さんのプリンスが入ってきたので、マイケルは彼にCDプレーヤーを探すよう頼みましたが、お嬢ちゃんのパリスがそれを見つけて、プリンスと一緒に持ってきてくれました。
マイケルは、CDを再生しました。
それはとてもチャーミングで心地の良い音楽でした。
「でも未完成なんです」と彼は言いました。二つ目の作品を再生した後、彼は言いました「これもまだ完成していないんです。でもハミングで歌えますよ」と。
私が家にピアノがあるかと尋ねると、彼は「プール・ハウスに1台ね」と言いました。

我々はそこへ向かおうとしましたが、犬がプールの傍でずぶぬれになっているのを見て、マイケルは立ち止まりました。
彼は、犬がブルブルッとしてこちらに飛び散る水がかかるのが嫌だったのでしょう。おかしな話でした。
我々が彼のプール・ハウスに行く間、マイケルはもう一人のアシスタントに犬を押さえさせていました。

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マイケルのプールハウス

私はピアノに座って、マイケルは欠落していたパートをハミングしました。
私は、小さなデジタル・レコーダーを持ってきていたので、録音が可能かどうか尋ねました。
彼は絶対音感の持ち主でした。
私が彼のハミングに合うコードを出すと、「あなたのコードに関する直感は全く完璧だね」と、彼は言いました。

我々は、さらにクラシック音楽について話をし、私は、ドビュッシーを何曲か弾きました。
マイケルはとても幸せそうで、私に安心感を感じてくれていると思いました。
彼は再びレナード・バーンスタインについて語り、私は「ウエスト・サイドストーリー」から何曲かを弾いたのです。
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BADだ~♪

マイケルは、かつてバーンスタインに会った際、彼から「僕は君の大ファンだ」と言われたという話もしてくれました。
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Qとマイケルとバーンスタイン

プールハウスから戻って、彼が部屋から部屋へ移る時に、そこかしこで聞こえてくる声。
「大好きよ、パパ」「パパもだよ、パリス」・・彼らは全くもって普通で幸せそうでした。

マイケルは、曲を調整し大きいオーケストラとともにレコーディングすることを切望していました。
私はフォックス、ソニーまたはワーナー・ブラザーズなどでレコーディングしてはと提案しました。
私が、誰か予算を検討することができる人間から連絡をもらいたいと言うと、彼は取り図ると言いました。
私が家を出た時、数人のファンが門の外にいました。

その後、私は電話でマイケルと話しました。
彼がプロジェクトがどのように行われているかについて尋ね、私は我々が契約をセットできる担当者からの連絡を待っていたと答えました。
彼がロンドンでショーをやる間に、かの地でのレコーディングを私は提案しました。
彼はそのアイデアが気に入り、またもや「アラベスク」について語りだしました。

私はコンピュータにすべて音楽を入力し、オーケストラアレンジに着手しました。
ついに、マイケルが逝く一週間前に、彼のマネージャー(フランク・ディレオ)が私に電話をしてきて、予算と音楽ファイルをメールするよう求められました。


現在、私は、何がこれで起こるのか全くわかりません。
私は、ジャクソン家がこれをどうにか形にできる何かをしてくれる事を望んでいますし、適切な時期までこれを持ち出すつもりはありません。
私の推測では、各々の曲が長さ7~10分であるということです。
それぞれが歌よりも内容が充実した、とても愛らしい音楽です。
中にはアイルランド風のものもあります。私は、アイルランドのケルト民族のハープを使うことができるように提案しました。
それらは、とても伝統的に調和がとれていて、また、とても力強いメロディーで、綺麗な映画音楽のように聞こえます。
そのうちの1曲は少しジョン・バリーっぽく、「愛と哀しみの果て」のようです。


愛と哀しみの果て メリル・ストリープの映画ですね

私の頭の中で、ゆったりと広がりを感じさせる弦楽器とフレンチホルンとが調和して響いていました。

私はマイケルに、このレコーディングをするときは、オークションで買ったレナード・バーンスタインのタクトを使うつもりだと言ってました。
彼はきっとおおいに面白がったでしょうね。
もし私が指揮する事があるのなら、このタクトを使うと思います。

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長くなりました。

続きます。

London here we come ~MichaelとSugar foot その2

TIIのバンドメンバーを決定する際、音楽監督であるマイケル・ベアデンも話していますが、ドラマーはすでにフットに決定していて、マイケルにその理由を聞くと「ジョナサンが叩くと僕は踊りたくなるんだよ」と答えたそうです。


フットはマイケルの独特な「間」を完全に理解していた数少ないドラマーだったのではないでしょうか。

マイケルは譜面はおこせなかったけれど、オーケストラでいう指揮者のごとく、絶対音感を持ち様々な楽器に精通したミュージシャンでしたよね。
彼がピアノを弾くことは有名ですし、「Blood on the dance floor」に収められてる「Morphine」には、スラッシュと共にギター、そしてドラムにマイケルの名前がクレジットされています。

INVINCIBLEのクレジットにいたっては、プロデュース、ヴォーカル、バッキングヴォーカルはMJ、これは当たり前として、All Musical Instruments Performed: Michael Jackson、Rodney Jerkinsとなっていて、すべての楽器担当:マイケルと(プロデューサーの)ロドニー・ジェーキンスです、終わり!状態です(笑)
すべての楽器担当!
これがマエストロ(Ghostのではなくw)といわずしてなんというのでしょう、ですw

過去記事でちょこっとだけ触れましたが、2006年にアイルランドでの静かな暮らしの中でも音楽活動を続けていた彼は、当時借りていた一軒家の大家さんと、一緒にレコーディングをしていたNeff-Uの3人で、Billie Jeanをセッションするのですが、その時のマイケル担当がドラムだったという素敵な話が残っています^^sourceはこちら

TIIでも音の強さやコード、テンポ、など細部にわたってベアデンに指示をしていましたし、ベースのアレックス・アルに「物足りないな、もっとファンキーに」と注文を出していましたよね。
以前ロドニーのインタビューで、マイケルから出る注文が「中音部が高すぎる」といった、とてもテクニカルなものだったというのを読んだ記憶があります。
(今思い出せませんが、いずれきちんとソースを出しますね。とても印象に残っているので・・)

以上を踏まえても、マイケルがいろいろな楽器をプレイできる人であった、さらにジャクソン5時代はボンゴ担当でもあった彼が、ドラムにも精通していたと考えるのは難しい事ではありません。
前回エントリーのドラム専門誌インタビューでフットも話していますが、マイケルはフット専用に作られたドラムセットを欲しがって、「これと同じキット僕にも作って。手配できるかな?」と言っている場面がTII特典映像にあるそうです。(あ、でも音声は聞こえないとのこと)
ドラムを叩ける人だからこそ、同じものが欲しかったのでしょうね。
「え?そんな場面あったの?」という方は今すぐ特典映像をチェケラ!w
ちゃんと見てみたかったなぁ・・ドラマーマイケル^^


常にメロディを重視していたマイケルでしたが、踊るとなるとやはりビート。
その彼が自分だけのドラマーだと認め、フットが繰り出すビートが自分を自然に踊りにいざなうのだと言わしめたというのは、フットが技術にも長け、なおかつマイケルに対してまさにあ・うんの呼吸で素晴らしいパフォーマンスができるようなビートを叩きだせるという証明。
マイケルにとってフットは自身のダンスに必要で、もっとも重要なピースを提供してくれるドラマーだったのでしょうね。
特に余計なセットや過多な演出のない彼のダンスパフォーマンスの真骨頂であるBillie Jeanはドラムの音でスタートしますしね。

上記のインタビューでフットは、彼だけが知るBillie Jeanでの彼とマイケルの幸せな時間について語ってくれています。

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「Billie Jean」の出だしはドラムと彼のダンスだ
帽子、ジャケット、手袋、ブリーフケースという小物と一緒に彼が踊る
さらに曲の終わりでも、彼と私の2人だけで、2分、3分、彼の気分が乗っていると4分間、2拍と4拍のビートだけをプレイする
そのときは全身全霊を傾けてビートを叩き、彼がそのときに踊りたいと思う最も素晴らしく、息を呑むほどのリズミックなダンスやパフォーマンスをするようにしかけるんだ
「Billie Jean」の終わりもマイケルと私の2人きり
世の中の他のことなんて一切関係なくなるんだよ

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マイケルでなくても、というか(笑)わたしも彼のドラムが大好きで、Beliie Jeanは言わずもがなですが、特にTIIのJAM!
ベアデンのシンセアレンジも好きなのですがここでのフットのドラムが最高で。
ダンサーがトースターで飛び出すあたりから始まりますよね。

Michael Jackson - JAM - This is It


一番好きなところが最初のサビが終わってドリアン・ホリーのラップが始まるまでのドラムプレイ。

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動画でいうと1:29から

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1:56あたりまで

文章で書くの難しいですが、(だってドンドコドンという表現しちゃうとダサすぎるw)マイケル、ダンサー達が人指し指を立ててその場でステップするところ、フットの優しくもずんと響くバスドラ炸裂ですよね!
素人のわたしでさえ、ビートにあわせて思わず体が動いてしまうのですから、マイケルも気持ちよく踊ってたんだろうなぁと^^
ちなみにフットもJAMはプレイしてても思わず顔がほころぶ程お気に入りだったと話していました。



フットはマイケルの厚い信頼を得て、前述の1979年のDestiny Tour、1981年のTriumph Tour、そしてジャクソンズとしては最後のVictory Tour(1984)のドラマーとしてツアーを同行します。
ソロとなったマイケルとは、History Tour(1996-97)、30th Anniversary Celebration(この時はベアデン、アレックス、バシリ・ジョンソン、フットとTIIのメンバーがほぼ参加)、United we stand~What More Can I Giveのチャリティコンサートに参加しています。

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'96~97 History Tour

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2001 United we stand~What More Can I Give


そしてTIIでふたりは再会しますが、この時のこともフットが話してくれていますので、引用しますね。

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私が召集されたのが4月15日で、翌日16日にはセンター・ステージングに私のドラムが配達された。
マイケルはまだ姿を現していなかったけど、死ぬほど彼に会いたかったね。
ドラムをセットアップしたのはそれから5日後で、セットアップ後にダンスのリハーサル室に行ったんだ。
そしたらマイケルがリハーサル室から出てきたところで、携帯電話で話していた。
彼がふっと目を上げて、そこに私がいるのを見つけると、目をまん丸にして満面の笑みを浮かべ、ペコっとお辞儀をして、手を振った。
そして電話を中断して、私に近づき抱きしめたんだ。それだけで私は元気いっぱいになったね。
だって彼とは何年も会っていなかったし、彼は大好きな友達だから。
長年彼をサポートしてきて、あらゆることを一緒に経験し、何年も経った今でも私を信じていてくれる。
そして今やっと彼と再会できたわけだ。
彼は「フット、元気かい?」と言った。私は「元気だよ」と応えた。
その後、私の子供の様子も聞いてきたので、「みんな元気さ。私を信用してもう一度迎え入れてくれてありがとう」と彼に伝えた。
彼は「こちらこそありがとう、フット」と応えてくれた。

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彼は目をまん丸にして満面の笑みを浮かべ、ペコっとお辞儀をして、手を振った


ここで何故だかいつも涙腺崩壊

だって

ペコっとお辞儀・・
なんてかわいい50歳
嬉しくて照れくさかったのかな・・

だめだ・・涙が><


カナダのモントリオールからスタートしたシルク・ド・ソレイユ「THE IMMORTAL World Tour」。
もうここで何も言わずとも多くの方がトレイラーをご覧になったと思います。
一部ではマイケルを商業的に利用して、と批判するファンもいらっしゃるようですが、考え方の違いでしょうけれど、わたしはこのショウはマイケルのライブの延長線にあるとは思っていなくて、全く別物のショウ、でも最高のTributeだと理解しています。
日本公演はまだ予定されていませんが、TDLのZed(ゼッド)が残念ながらこの年末で終了してしまうので、ぜひ来てくれたらどれだけいいか・・と思いますが、やっぱりベガスへ行く事になりそうですねw

マイケルの音楽からインスパイアされた極上のエンターテイメント。
シルクの厳選されたパフォーマーたちが、マイケルへの敬意と愛をこめて表現する魔法の時間。



これはこのショウの振付師の一人として参加したトラヴィスとショウのパフォーマー、シルクの本部で働く従業員、そして全世界で興行中のシルクのほとんどの常設公演、移動公演の演目に出演するパフォーマーたちのマイケルTribute「They Don’t Care About Us」です。

参加している演目(動画の出演順)
La Nouba(ラ・ヌーバ)
Quidam(キダム)
Mystère(ミスティア)
Alegría(アレグリア)
Criss Angel Believe(クリス・エンジェル・ビリーブ)
O(オー)
Koozå(クーザ)
Lasvegas Offices(シルクの本部)
Ovo(オヴォ)
Saltimbanco(サルティンバンコ)
Totem(トーテム)
Kà(カー)
Zumanity(ズーマニティ)
Dralion(ドラリオン)
Corteo(コルテオ)
Love(ラヴ)ビートルズをテーマにした演目
Iris(アイリス)
Varekai(バレカイ)

これ知ってる!とか観たことある!という演目が^^
わたしは2000年にサルティンバンコへ。度肝を抜かれましたw

しかしこれは本当にすごい事・・
いかにシルクが「Michael Jackson THE IMMORTAL World Tour」を大切な公演として位置づけているか、そしてパフォームする演者たちがマイケルをリスペクトしているかがわかりますよね・・
トラヴィス先生いつもご苦労様です^^


2004年からスタートしていたこの構想。

マイケルも大好きだったシルクが始めたこの演目を彼が見たらどれだけ喜んだでしょう。
「僕を利用している」なんて思わないんじゃないかな・・。


そして何より重要な事は、このショウを構成する音楽が生バンドだという事。


フットは別のインタビューでこう語っていました。(sourceはこちら

マイケルは僕にとって家族みたいなものだ
僕は人生の半分以上を彼と過ごした
彼が逝った前の夜のリハーサルで彼に会って・・彼は素晴らしかった
僕は彼がどれほど幸せだったか覚えている
その後、僕には悲しむ時間が必要だった
彼が恋しいよ、とてもね
でも今は、僕は彼の音楽をずっと演奏したい、そのことが沢山の喜びと沢山の思い出を僕にもたらしてくれるってわかっているんだ

(中略)

一時、僕はそれを(マイケルの不在を)現実として受けとれずにいた
どうして彼がいないなんてありえる?
He is invincible to me  彼は僕にとって、どんなことにも打ち負けない無敵そのものだ
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ



でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ

僕は彼の音楽をずっと演奏したい、そのことが沢山の喜びと沢山の思い出を僕にもたらしてくれるってわかっているんだ




この言葉を裏付けるように、フットはこの「THE IMMORTAL World Tour」ツアーでドラムを叩いています。
埋め込み無効なのでこちらから

マイケルが信頼して愛したSugar footは今もマイケルに捧げるドラムを叩き続けてくれているのですね

彼の叩き出すビートでみんなマイケルを思い浮かべ
そのビートにあわせて彼はきっとステップを踏んでいるんだと
今も伏目がちに笑みを浮かべて

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最後のツアーから12年の空白がふたりにはあって、それを埋めるはずだったTII。
自分の預かり知しらぬまに着せられた汚名と、その影響のために空いてしまった長いブランク・・

小さな時から数え切れないほど踏んできたステージでしたけれど、そのブランクを感じさせないほどのパフォーマンスを要求されるであろうことは彼にも良くわかっていたはずで。
きっとなみなみならぬ決意で。

このライブにたどり着くまで、どれほどの葛藤や不安や恐れを感じただろうかと。
それと共ににケーブルで繋がったかのようなとても信頼するドラマーを始めとする自分を支えてくれるスタッフと、また一緒に最高のエンターテイメントを創り上げる喜びと高揚感・・
それらが変わりばんこに顔を覗かせながら過ぎていったリハーサルの日々だったのでしょうか・・


London here we come


いよいよロンドンだ



彼が思い描いていた理想と夢を現実のものとする為の新たなスタート地点になるはずだったロンドン。

前半書かなかったわたしの解釈。
今となっては、この言葉に「ついにロンドンへ行くんだ。いろいろあったけれどようやくここまで来た・・」という彼の想いが表れているような気が(勝手に)して胸が締め付けられるのです。


時を戻して、タイムリミットなしに彼が何にも頼らずに眠れる危険を伴わないケアと身体・メンタル両方のケアをきちんとできたなら
アイルランドでの穏やかで平和な日々と同じような牧歌的な環境と
消耗した体力を無理なくリカバリーできる日程で

ロンドンの初日を迎えることが出来ていたなら・・


その日O2から出てくる人はみんな

今までの人生でこんな素晴らしいショウは観たことない!って
マイケルは世界一のエンターテイナーだよ!って

そう言って・・

きっとそう言っていたはずだったのに




あと数時間で長かった裁判が結審します。


But now it’s time to celebrate his life, legacy, and contribution to music.
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
- Jonathan "Sugarfoot" Moffett-

London here we come ~MichaelとSugar foot その1

ジュリアンズ・オークションまたあったようです。
マイケルゆかりの品々がこうしていろんなところへ散り散りになっていきますね。

オークションを通じて病院など公共施設に展示されることもありますので
いちがいに批判するつもりは毛頭ないのですけれど。

できれば


MJミュージアムのような場所で常設展示されればなぁ・・とか。



ラスヴェガスのマンダレー・ベイホテルでは、シルク・ド・ソレイユ「THE IMMORTAL World Tour」開催と同時に期間限定でマイケル・ジャクソン・ファン・フェストを12月3日から14日まで行うそうです。
(こちらのMJFC公式ブログで詳細をご覧になれます)

一部抜粋させていただきました。

24カラットのゴールドで飾られた、マイケル自身がデザインした1999年製ロールス・ロイス・セラフ・リムジンの内装を覗いてみよう。それから、HIStoryツアー用に製作された10フィート(約3メートル)の像も要チェックです。「Scream」で使用された宇宙船の中を歩きながら、マイケルの音楽を感じよう。エジプトをテーマとした「Remember the Time」のセットで使われた本物の王座に腰掛け、そして「Earth Song」のライブ・パフォーマンスで使われた敵の戦車の前に立ってみよう。
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展示写真はロンドンO2アリーナのエキスビションでのものです。

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こーらまてまてまて

(中略)
彼のキャリアとネバーランドからの多岐にわたる個人的所有物が展示されます。マイケルのキャリアにおけるメモラビアとしては、80年代のファンタジーなグローブ・コレクションや、各種トロフィー、チケット、ビデオ「Leave Me Alone」で使われた有名なロケット、ネバーランドのリビングに飾られていたお城などが展示されます。展示されるアイテムのフォト・ギャラリーはこちらをクリックしてください。

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ここで見ることが出来るものの、おそらくほとんど一足先に見れたのだなと感無量。
去年の東京タワーや大阪スカイビルでのコレクション。
(あー、でも「Scream」の宇宙船の中を歩くとか、「Remember the Time」の王座とか「Earth Song」の戦車はさすがになかったな~><)
あの規模と点数のものが日本で見れた事は、本当に素晴らしい事だったなぁとあらためて感じます。

わたしはたまたまどちらも見に行けましたし、大阪ではバカみたいに通いつめましたが、ご覧になれなかった方も大勢いるでしょうから、できればまたそういう機会を、オリンピックとかドリカムのライブみたく4年に一度でもいいから再度開催して欲しいですね・・本当にお一人でも多くご覧いただきたいですし、みせて差し上げあげたいです(/_;)


人によってはそういう彼の品々を見るのが辛いという人もいるでしょうけれど・・

でもわたしにはあの展示はとてもとてもよかったのですね。
彼の想いや息吹の感じられる品を、1点1点ゆっくりと彼に想いを馳せながら、じっくりと見る・・
大げさに言ってしまえば、石庭や絵画を見るのと同じで、その品から彼の表情やその時の写真や映像や音楽がよみがえって、(一緒に体験していなくともw)あるいはどんな事を思いながらこれをつけたのかな、これを手にしたのかなとか想像したりして、BGMとしてマイケルの曲ががんがんにかかっているのに、いつしか自分とマイケルしかいないかのような静寂が訪れて、涙も流れるのに今から考えると精神的には癒されていたというか、本当に忘れられない思い出なのです。


でもやっぱり見るのが辛いものもまだあって
今回既に落札されたものですが、これは堪えます・・

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2009年5月~
ステイプルズセンターリハで使用されたドラムのシンバルにサインしていたマイケル(カタログ・ロット詳細はこちら

Peace Always
Me & A.E.G. 2009 is it!
London here we come



大文字小文字が入り混じる愛しい筆跡
ウィンクしているスマイル顔文字!


London here we come


いよいよロンドンだ



これの何が堪えるの?とお思いの方もいらっしゃるでしょうね。
解釈はいろいろ、というかわたしの乏しい英語力で勝手に自分で思っているのは、この言葉になんていうか「ロンドン!待ってて、もうすぐ行くよ!イエーィ!」みたいな雰囲気は感じられなくて、もちろん絵文字まであって、(しかし何故か切なく・・(/_;))これを書いたときのマイケルはきっとご機嫌だったと思われ・・

るんですけどね・・

じゃ何を感じるかというのは、最後にとっておきましょうかw



このシンバルはTIIでのドラマー、ジョナサン・モフェットが使用していたのと同じシンバルで、400年の歴史を持つジルジャンというブランドのものです。
オークションに出されたものはおそらくジョナサンが所有するものではないでしょう。
彼ならオークションに出すというようなことは絶対しないと思いますから。

なぜなら。

もうご存知の方も多いでしょうが、裁判の証拠品としてマイケルのテープが公開されました。
彼がやっぱりどれだけ世界中の子供たちの事を気にかけ愛情を注ぎたいと願っているかが痛いほど伝わってくるものでした。
自分の出来ることは病気を始め、さまざまな事情で傷ついた子供たちの助けになることと語るマイケルの悲痛な決意がそこにはありましたよね・・
(過去にその一部分、リンクなしでマイケルの言葉のみこちらにも書きましたが、今回はごめんなさい><)

法廷でこのマイケルの声の録音が流された後、ジョナサンはメッセージを出しました。
(source:MJJFC公式ブログより一部引用させていただきました)

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"Angel Of Care"
Monday, October 10th 2011

今、理解してもらえるだろうか?
彼を疑ったあなた、彼を糾弾したあなた・・・あれほど思いやりのなかったあなた。理解しなかったし理解できなかったあなた。
あなたは嘲笑い、判決を下し、迫害し、そしてしつこくつきまとった。
あなたが彼を倒れるまで追い立てたのだ!
昨日の録音を聞いた後、彼の魂から湧き出したあの録音を聞いた今、あなたは理解するだろうか?
彼を助け、彼をそそのかし、そして悪い状況を作り出した取り巻きたちのコントロール下、影響下にある時でさえ、彼は心配することに目が向いていた。他者を心配することに。
苦しみに放置され、それを必要とする人々に、彼の未来を、彼の一生を、彼の心を、彼の精神を、そして彼の魂を奉げていたのだ。
彼が取り組んでいたことを前にしてもそうであったことは、あの裏切られた録音テープで明らかだ。
「僕のベイビーたち!」「僕の子供たち!」「彼らを助けなくちゃ!」「彼らは助けを必要としている!」「僕は彼らを助けたい!」「僕はみんなを愛してる!」・・・・
生まれながらの愛情溢れる男から、このような感情が流れ出ていたのだ。なんて天使のような!
私たちとともにあって力を尽くしていた愛情溢れる男。
他者への思いやりをいつも心に抱いていた。
あなたは結局この美しい男がわかるだろうか?素晴らしい人を。本当に、心から美しい!
「私たちの中にあって神の仕事をする天使」だ。神の意思。公にはされない裏側でこっそりと録音された希望と夢・・・裏切りによる録音だけれど。

疑っていたあなた・・・あなたは今、助けを必要としているたくさんの人々への深い同情を示し抱いていたあの人に対して思いやる心を持つはずだ。
決して知ろうとしないあなた、彼の心という恩恵は彼らを助けることを切に願っている。
これまで行われたことのために決して実現しない手助け。
今、彼が語りかけ、心を痛めた人々の元へは決して届かない手助け。彼を必要としていた世界中の子供たち。
希望のない人々・・・彼の手助けや心配りがもうすぐ届くところだった。
今、決して実現されない。
彼らは苦しみ続け、彼らの精神、心、魂は落ち込んだまま抜け出すことができないだろう。
彼らにとっての「エンジェル・オブ・ケア」は不注意のために連れて行かれてしまったのだ・・

Jonathan Moffett

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マイケルへの愛情あふれるジョナサンのメッセージに涙・・
本来は世に出すべきではなかった彼の言葉たち・・
でもそれは、今なおマイケルに向けられる一部の、マスコミに刷り込まれた事実無根のイメージによって彼を理解しようとしない、あるいは根拠のない推測でもって歪んだマイケル像を信じている人たちに、マイケルが心底気にかけ愛情をそそいだ子供たちを「守る」という使命を刻んだ彼の美しい心を、結果的に知らしめることになりました。
皮肉なことですけれど・・
ジョナサンは、彼を愛する人たちを代表してこのメッセージを出してくれたのだと思います。



ジョナサン・モフェット

michaelyjonathanmoffett.jpg

彼はマイケルのもっともお気に入りのドラマーと言っていいでしょう。
マイケルは彼のドラムは芸術だと言い切っていましたが、特にバス・ドラムの(足でフットペダルをキックして音を出します)名手としてミュージシャン内ではとても有名。
得意のバス技を繰り出す素晴らしい足、という意味なのか、マイケルはジョナサンを愛情こめて「シュガーフット」と呼んでいました。
フットとマイケルの出会いは、まだマイケルがジャクソンズの一員だった1979年にさかのぼります。
Destiny Tourのドラマーとしてバンドメンバーに選ばれたフットの初めてのライブは、1979年4月14日オハイオ州クリーヴランドのステージでした。

THE JACKSONS DESTINY TOUR 1979
1979 Destiny Tour

ステージが終わった後、彼はマイケルの楽屋に呼ばれます。
自分が何か重大なミスを犯したのではないかと心配しながら楽屋へ行くと、マイケルは不思議そうにこう尋ねたそうです。

「ねぇ、どうして僕の次の動きがあんなにわかるの?」

きょとんとしてしまうフット。

「ほら、僕がスピンして止まる所。どうしてあれをやるって思ったの?
あのときの君の音はあの動きに合う完璧な音だったよ。どうしてあの音だってわかったの?」

「どうしてかはわからないけど、そう感じたんだよ。
まるでケーブルで直結しているような感じで、君のすべての動きが瞬時にわかるし、即座に反応できるし・・
とにかく注意深く見ていたんだ。あの肩の動きを見るときには、あの動きがどんなふうに終わるのかがわかるし、自分がどんな音でどんなふうにプレイしたのかがわかる。理由は謎なんだけど」

「今まであんな音であんなプレイをした人はいないよ。1人もね。だから君がどうして僕の動きが全部わかって、あんなプレイをしたのか不思議だった。最初から終わりまで本当にコンサート全部、君のプレイも音も僕の動きに完璧に合っていたから、どうしてか知りたかったんだ。

今夜は素晴らしかったし、いつもそんなふうに叩いてね。ほんと、すごい。
君は僕のドラマーだよ。君は僕のドラマーだからね

You are my drummer


クビを覚悟していたフットは、このマイケルの言葉に興奮し、鳥肌が立つ思いだったそうです。
自分の想像をはるかに超えた賛辞をマイケルからもらったこの瞬間、彼は思いました。

僕たちは一緒にプレイする運命だったんだ
そして僕は

マイケルのドラマーになるために生まれてきたんだ、と。

※上記のお話はRhythm&Drums magazine 2010年4月号「マイケル・ジャクソンを巡るドラマーたち」のフットのインタビューに掲載されています。

rhythmanddrummagazine.jpg

ドラムプレイの専門的な話も多くて、そこはさっぱりわかりませんがw、それでもとても興味深いです。

わたしはフットが「Angel Of Care」メッセージを出したことはそれほど不思議ではありませんでした。
彼はインタビューでこんなお話もしていましたから。

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みんなが知らないことは、彼がどれだけの犠牲を払い、どれだけの金銭や時間を人に対して費やしていたかということ。
彼は密かに何度も病院を訪問して、死に瀕した子供や障害を持つ子供と時間を過ごしていた。
老人ホームや傷ついた軍人などにもたくさん訪問していたけど、すべてが密かに行なわれ、世間の注目を集めることを嫌ったんだ。
彼が寄付した額は膨大なもので、自分の収入から3億ドル寄付したことがあった。さらにビクトリー・ツアーでの彼の取り分の500万ドルを全部寄付した。

毎晩ステージに立って、汗まみれで歌い、踊り、クルクル回り、自分のヒザを痛め、熱い照明の下でクタクタになったのに、それを無料でやっていたんだよ。
どこの企業のCEOが自ら進んで外に出て、無料でヒザや腰を痛めるくらい必死に仕事をするだろうか?

マイケルは本当に特別で、誤解され、まともな扱いを受けられなかった人間だった。
彼を誤解して非難した人達というのは、自分が住んでいる世界に良い人間がいないからマイケルの純粋な人間性を信じられなかったんだよ。

彼には何百万というファンがいたけど、世界中の人々は彼のそういう面を見落としていたと思う。
彼は生まれてきた目的を果たし、役割を終えた。彼はやるべきことをしっかりとやったと思う。
だって彼の死を悲しむ人が世界中のあちこちに何百万といたし、敵対している国にすら悲しむ人がたくさんいたんだから。
私も今でも深い悲しみが癒えない。
事実だとわかっていても、未だに理解できないし、信じられない。

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・・(/_;)


またもや長くなる予感です

なので続きます

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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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