マイケルの「E」
過去記事にも書いたわたしの大好きなエピソード。
ケニー・オルテガがTIMEのインタビューで、コンサートの準備期間中にあなたがこれを撮影しておけばよかったと思った瞬間があったら教えてくださいと聞かれて。
I don't know if you want it on film, but it's something I'll run through my head for the rest of my life.
I was in his dressing room one night going over some artwork,
and Michael was behind me saying my name, at first very softly: "Kenny, Kenny."
I said, "What are you doing?"
He said, "I'm saying your name. Am I saying it right?"
Michael was from Indiana, and the way he said my name wasn't quite like anyone else.
I guess the reason he questioned it was because I always smiled when he said it.
I said, "Of course you're saying my name right.
I love the way you say it.
When you say my name, it makes me smile."
And he said, "Good... when I say Kenny, it means 'friend.' "
He was a special man.
あなたにとってはどうかわかりませんが、僕の残りの人生でずっとそれが頭を駆け巡るだろうという出来事ならあります。
ある夜、彼の控室でアートワークの話なんかしていたんです。
そしたら、背後にいたマイケルが僕の名前を呼び始めて、最初はとてもそっと「ケニー、ケニー」って。
「いったい何してるの?」と僕は言いました。
彼は「きみの名前を言ってるんだよ。僕ちゃんと言えてるかな?」って言うんです。
マイケルはインディアナ出身で、僕の名前を言うときの彼の発音は、他の人とまるで違っていたんですね。
彼にそう呼ばれるといつも僕が笑顔になるから、それで尋ねたんだと思うんです。
僕は言いました。「もちろんだよ、きみは僕の名前をちゃんと言ってるよ。
僕は、君の言い方が好きなんだ。
君が僕の名前を呼ぶとき、つい僕は微笑んでしまうのさ」
するとマイケルは「よかった・・僕が「ケニー」っていうとき、それは「友達」っていう意味だからね」って言ってくれたんです。
彼は本当にスペシャルな人だったんです。・・
----------------------------

これを最初に読んだときと今では受ける印象もずいぶん変わってきました。
オルテガ目線で始めは読んで、さぞ嬉しかっただろうな、オルテガ・・みたいに思ったりしていましたが、今は、全力で魂を注ぐプロジェクトを一緒に創り上げる、いわば同志でもあるオルテガに対して、「君は仕事で繋がっているスタッフではなくて僕の大切な友達なんだよ」と伝えたマイケルの、オルテガへの厚い信頼と「だから絶対僕から離れていかないでね」という心情が透けて見える気がして、素朴な親愛の言葉だけに切なさで胸が痛みます。
(ノ_-。) くすん・・
っと今回はそっちの方向じゃなかったw
マイケルが話すケニーの名前の発音が人とは違う、という記述部分(マイケルの「E」の発音を言ってるのでしょう)は、おそらくオルテガには、ケニーではなくキニーに近い感じで聞こえていたんじゃないかと。
わたしは最初はオルテガが言っているとおり、ゲーリーの方言というか、なまりのようなものなのかなと思っていました。
でも今思うのは、それはなまりではなく、マイケルがブラックアメリカンだという証拠とでもいいましょうか。
黒人が話す英語には、彼ら独特の決まりや言い回しや文法があるらしく、よく言われるところでは三人称単数を無視した言い方ですか(Does'ntではなくDon'tですます)。
わたしは英語が得意ではありませんので、ちょっと聞いたぐらいではその違いは全くわかりませんし、知ったかぶりは到底出来ませんが、確かにそれはよく聞くお話ではあります。
もともと奴隷として故郷からつれてこられた歴史を持つ人種ですから、英語は完全に外国語。
生きる上で徐々に習得していき、何代にもわたっていつしかそれらは彼らの母国語となっていくわけですが、もともとのふるさと、アフリカの母国語の特徴や癖が何十年経っても、実は彼らに色濃く影響を残しているということらしいのです。
それらの際立つ特徴のひとつに発音に関して「[ɪ]と[ɛ]の中和。例えばpinとpen、binとBenの[ɪ]と[ɛ]は、それぞれ中間の発音になる」ということがWikipediaに記載されています。
要するに「エ」と「イ」の区別がつきにくいということですかね。
まさに「ケニー」が「キニー」に聞こえてもおかしくない発音の特徴ですね。
わたしはヒアリングがダメダメなので、マイケルのスピーチや会話で「お!」と思う経験は恥ずかしながら全然ないのですが、彼の「BEN」を聞いた時、確かに「お!」と思いました。
Michael Jackson - Ben (lyrics)
しょっぱなの♪Ben~も、若干怪しいといえば怪しいですが、完璧に「おお!」とわかるのは最後の
If they had a friend like Ben
このfriend like Benがフリン ライク ビンに聞こえますよね。
でも最後の♪like Benはちゃんと(?)ベンと聞こえます。
彼の「E」が常に「I」になるのなら「それがマイケルなんだ」でいいですけれど、おそらく「たまにそういう風に聴こえる時がある」というところが気になるといいますかw
マイケルはモータウンでジャクソン5としてデビューする際、マナーはもとよりいわゆる標準英語の発音も徹底的に教育されたと聞きます。
方言やなまり矯正という意味もあったでしょうが、当時のモータウンの狙いは黒人だからと言って黒人にウケるだけではなく、白人にも受け入れられるようにという意図があったのかもしれません。
幼かったマイケルはおそらく難なくそれらを習得したでしょう。
マイケルでなくても、子供の順応性と吸収力は眼を見張るものがありますものね。
ただ、単に歌がうまい子供ではなく、大人も舌を巻くほど歌に感情を込める事が容易に出来た彼でしたから、この「BEN」という歌の中に、体が弱くて友達のいない孤独な少年が、初めて自分の友達だと思えたねずみ、ベンに持つ愛情と信頼、そして自分たちのことを理解してもらえない寂しさ・・それらの感情を精一杯込めて歌った時、ひょっとしたら当時14歳の彼の中にすでにあった孤独と、自身にもある動物に対する愛情があいまって、つい素の自分がでてしまった瞬間だったのではないかと。

基本の発音は矯正されたはずだったけれど、こみあげる自分の気持ちを歌に込めた瞬間、本来の黒人特有の発音が口をついて出たのかなと。
関西出身のアナウンサーは始めに徹底的にイントネーションを強制させられますが、地元の友達と話したりしてリラックスするとついつい自然に関西イントネーションになる・・それに近い感覚なのかもしれません。
マイケルがアルバムDANGEROUSをレコーディングしている時に一緒に仕事をした、おそらくレコーディングエンジニアじゃないかと思うのですが、Sam L. Parityさんがご自身のブログに(2007年)マイケルのアーティストとしてのすごさや愛すべき人となりを断片的に綴っています。
その中からいくつか。
「スタジオでのマイケルは信じられないぐらいすごかった。彼は音楽に対して正確な記憶力を持っていた。
ひとつの歌を40通りに歌い分けることができて、しかも2週間後に6番目と27番目のテイクがベストだと思い出せるんだ。
Dangerousのために僕らは相当数の曲を録音したので、最終的にアルバムの選曲はMJにとって至難の業だった。
彼がリリース用に選んだ曲が2時間を越えてしまったので、いっときは二枚組みにしようとした。
ソニーがCD一枚分で、と決定した時、マイケルは曲の最終リストを持ってまた戻ってきたけれど、たいていは74分(ディスク1枚の許容時間)以上になってしまった。
そんなことを数週間ひたすら繰り返したことを思い出す。」
「一度、昼食のためにマクドナルドに行ってきてくれないかとマイケルは僕に頼んだことがあった。
彼は通常パーソナルシェフに毎日食事の準備をさせていたので、これはかなり珍しい要請だった。
とにかく、何がお望みなんだい?と尋ねたら、何があるのかもわからないんだ、でもみんなが美味しいって言うからさ、ときた。
結局僕はメニューから彼のためにほとんど全種類をひとつずつ買った。
彼はそれぞれをちょこっとずつかじっては、何が好きで何がそうじゃないかを教えてくれた。
僕の記憶が正しければ、彼はフィッシュサンドイッチがとても好きだったね」
「彼は僕を彼のクレジットカードを持って、彼のバカでかいシボレー・ブレイザー(※)のガソリンを満タンにする、というような午後のお使いに出すようになった。
※運転するしないに関わらずマイケルが使った車はSUVがほとんど。このブレイザーは ゼネラル・モータースの大型SUV、K5 Blazerだと思われます。いかにもガソリンをよく食うアメ車って感じですw

1990年モデルのK5 Blazer。でもマイケルのはもっと年式古かったかも。
(中略)
でもここで僕はマイケルがひどくへたくそなドライバーだと言わねばならない。
僕の車はもちろんスタジオに停めてあるみんなの車は、少なくとも一回は彼に当てられたんだから。
1度、彼は101Freewayで人の車に追突したこともある。
結局、彼は運転をあきらめて、毎日彼のために働いてくれる運転手を雇ったよ」
「ある日マイケルは、特別なお願いを聞いてくれない?とはにかんで尋ねてきた。
彼が運転するのを止めたあとだからまず間違いないけれど、僕が思うに、彼には日中にちょっと買い物をするための手段が本当になかったから。
彼は全く唐突に、下着をきらしたって言うもんだから、もちろん僕は承知した。
僕が彼と働いたずばぬけて素晴らしい2年間、マイケルは黒いパンツと赤いボタンダウン・シャツを着て、毎日スタジオに来た。
彼のオフィスにはラックがあってね、着た後ちゃんとクリーニングに出しているのか着捨ててるのかはわからないけれど、とにかくこの2つのアイテムで埋まってるラックがあったんだ。
でもこの(特別な)日、彼の引き出しの中身は底をつきかけていたってわけさ。
最初彼はとにかく下着が欲しいんだって。
僕がどんなタイプの?って聞いても「下着!とにかく下着だよ」としか言わないから、僕は君のお母さんじゃないんだから、どんなのがいいかわかんないよと言ったら、マイケルはちょっと笑って、「ヘインズのサイズ30をお願い」って。
でも僕が外に出た時、彼は走って来て、「やっぱり32!タイト過ぎるの嫌なんだ!」って叫んだんだ。
そんなわけで皆さん、キングオブポップは白ブリーフをお召しでしたw」
※サムさん自身がこの件の脚注として、白いブリーフは子供が穿くもの、というわけでもなくて、ほとんどはある時点でボクサーショーツに変えるけれど、成人男性で白ブリーフを穿き続ける人は多い、と当時30歳を過ぎていたマイケルに気を使ってるのかどうかわかりませんが、そう書いておられます(笑)
多作で有名な彼の、特にDANGEROUS期の多くのアウトテイクは、泣く泣く彼が振り落としたものだということがよくわかりますし、何度も何度もテイクをとり、様々な歌唱法を試し、もちろん音もアレンジも気が遠くなるほどのチャレンジを超えて、そうして残った、まるで泥水を何度もゆすぎ、ようやく見つけ出される宝石のような曲たち。
だからこそアルバムDANGEROUSがあれだけの完成度の高さを誇るのも無理はないということ、まさにアーティストマイケルの真骨頂が、しみじみ実感できるエピソードですよね。
あと、リズム感もダンスも高いレベルにあるマイケルをもってしても、運転の技術って比例しないんだな・・とかw
ああ、一晩でCDを1,500$(およそ15万円w)分買ったっていう話もあって、さすがKingっつー(笑)
赤のボタンダウンと黒のパンツ、確かによく着ていましたね。
まさかそればっかのラックがあったとはw
DAGEROUSレコーディングは'90~'91。
その間ちょっと調べただけでも、確かに普段こればっかの写真が多いですw

彼のBenといえばバブルス^^


でも今回一番大事なのはこのエピソードなのでした。
「彼は周りの誰をも不用意に混乱させる事のないように、何をするにも気を使っていた。
マイケルはスタジオ使用料には1日5000ドル使ってるにもかかわらず、僕の机にはこんなメモを残すような人なんだ」

from M.J.
I took one ink pin
MJです
ペンを1本とりました
ink pin・・
ペンなんだろうけれど、ついピンって書いちゃった感が。
おじいちゃんが「ディズニー」を「デズニー」と言ってて、それを書くときももちろん「デズニー」と書きますよ的なw
創作中や音作り、歌いれなんかはピンと緊張感が漂っていただろうけれど、四六時中スタジオで顔を合わせてものづくりをする仲間は、彼とっては家族同様に気を許せる相手だったのでしょう。
自分のクレジットカードを託したり、とてもプライベートな買い物を頼んだり、本当にこのサムさんに心許してたんだな・・と。
そういう気のおけない人と話す時、きっとマイケルの「E」は、オルテガに「ケニー」と呼んだときと同じ、あるいは「BEN」を歌った時と同じだったのではないでしょうか。
彼はモータウンから受けた教育だけではなく、普段から乱暴な言葉や汚い言葉を使いたくない人でしたし、英語のわかる友人は「彼の話し方はとてもきれいで品がある」と皆声をそろえて言うほど、きちんとした英語を話す人ですけれど、いわゆる標準のよそいきのきれいな発音やアクセントが身についていてもなお、ふとしたときや素の自分でいるときには、自分のルーツのDNAが覚えている特有の発音で自然に話していたのだなぁと。
そう思うと、それは単なる癖とかいわゆる方言的に片付けられずに、なんともあいくるしく思えます。
彼は手が届きっこないほど崇高で凛とした気高さを持つ人ですけれど
同時にくるおしいほどのかわいさを併せ持つ人でもあって
もしも別の人生を歩めるとしたら、そんなマイケルの友達になって
彼のへたくそな運転でスリルを味わったり
「パシリ」となってマクドナルドに行ったりヘインズの下着を買いに行ったり
1時間閉店を早めてもらったタワーレコードへお忍びで一緒に出かけてCDを選んだり
ポップコーンやヲォーターバルーンの投げあいとか
そして何より
彼から「きみは僕の大切な友達だよ」という気持ちを込めて名前を呼ばれたい
「E」が含まれる名前だとなおいいね
・・・いや、しかしそれはすごくハードル高い(笑)
ケニー・オルテガがTIMEのインタビューで、コンサートの準備期間中にあなたがこれを撮影しておけばよかったと思った瞬間があったら教えてくださいと聞かれて。
I don't know if you want it on film, but it's something I'll run through my head for the rest of my life.
I was in his dressing room one night going over some artwork,
and Michael was behind me saying my name, at first very softly: "Kenny, Kenny."
I said, "What are you doing?"
He said, "I'm saying your name. Am I saying it right?"
Michael was from Indiana, and the way he said my name wasn't quite like anyone else.
I guess the reason he questioned it was because I always smiled when he said it.
I said, "Of course you're saying my name right.
I love the way you say it.
When you say my name, it makes me smile."
And he said, "Good... when I say Kenny, it means 'friend.' "
He was a special man.
あなたにとってはどうかわかりませんが、僕の残りの人生でずっとそれが頭を駆け巡るだろうという出来事ならあります。
ある夜、彼の控室でアートワークの話なんかしていたんです。
そしたら、背後にいたマイケルが僕の名前を呼び始めて、最初はとてもそっと「ケニー、ケニー」って。
「いったい何してるの?」と僕は言いました。
彼は「きみの名前を言ってるんだよ。僕ちゃんと言えてるかな?」って言うんです。
マイケルはインディアナ出身で、僕の名前を言うときの彼の発音は、他の人とまるで違っていたんですね。
彼にそう呼ばれるといつも僕が笑顔になるから、それで尋ねたんだと思うんです。
僕は言いました。「もちろんだよ、きみは僕の名前をちゃんと言ってるよ。
僕は、君の言い方が好きなんだ。
君が僕の名前を呼ぶとき、つい僕は微笑んでしまうのさ」
するとマイケルは「よかった・・僕が「ケニー」っていうとき、それは「友達」っていう意味だからね」って言ってくれたんです。
彼は本当にスペシャルな人だったんです。・・
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これを最初に読んだときと今では受ける印象もずいぶん変わってきました。
オルテガ目線で始めは読んで、さぞ嬉しかっただろうな、オルテガ・・みたいに思ったりしていましたが、今は、全力で魂を注ぐプロジェクトを一緒に創り上げる、いわば同志でもあるオルテガに対して、「君は仕事で繋がっているスタッフではなくて僕の大切な友達なんだよ」と伝えたマイケルの、オルテガへの厚い信頼と「だから絶対僕から離れていかないでね」という心情が透けて見える気がして、素朴な親愛の言葉だけに切なさで胸が痛みます。
(ノ_-。) くすん・・
っと今回はそっちの方向じゃなかったw
マイケルが話すケニーの名前の発音が人とは違う、という記述部分(マイケルの「E」の発音を言ってるのでしょう)は、おそらくオルテガには、ケニーではなくキニーに近い感じで聞こえていたんじゃないかと。
わたしは最初はオルテガが言っているとおり、ゲーリーの方言というか、なまりのようなものなのかなと思っていました。
でも今思うのは、それはなまりではなく、マイケルがブラックアメリカンだという証拠とでもいいましょうか。
黒人が話す英語には、彼ら独特の決まりや言い回しや文法があるらしく、よく言われるところでは三人称単数を無視した言い方ですか(Does'ntではなくDon'tですます)。
わたしは英語が得意ではありませんので、ちょっと聞いたぐらいではその違いは全くわかりませんし、知ったかぶりは到底出来ませんが、確かにそれはよく聞くお話ではあります。
もともと奴隷として故郷からつれてこられた歴史を持つ人種ですから、英語は完全に外国語。
生きる上で徐々に習得していき、何代にもわたっていつしかそれらは彼らの母国語となっていくわけですが、もともとのふるさと、アフリカの母国語の特徴や癖が何十年経っても、実は彼らに色濃く影響を残しているということらしいのです。
それらの際立つ特徴のひとつに発音に関して「[ɪ]と[ɛ]の中和。例えばpinとpen、binとBenの[ɪ]と[ɛ]は、それぞれ中間の発音になる」ということがWikipediaに記載されています。
要するに「エ」と「イ」の区別がつきにくいということですかね。
まさに「ケニー」が「キニー」に聞こえてもおかしくない発音の特徴ですね。
わたしはヒアリングがダメダメなので、マイケルのスピーチや会話で「お!」と思う経験は恥ずかしながら全然ないのですが、彼の「BEN」を聞いた時、確かに「お!」と思いました。
Michael Jackson - Ben (lyrics)
しょっぱなの♪Ben~も、若干怪しいといえば怪しいですが、完璧に「おお!」とわかるのは最後の
If they had a friend like Ben
このfriend like Benがフリン ライク ビンに聞こえますよね。
でも最後の♪like Benはちゃんと(?)ベンと聞こえます。
彼の「E」が常に「I」になるのなら「それがマイケルなんだ」でいいですけれど、おそらく「たまにそういう風に聴こえる時がある」というところが気になるといいますかw
マイケルはモータウンでジャクソン5としてデビューする際、マナーはもとよりいわゆる標準英語の発音も徹底的に教育されたと聞きます。
方言やなまり矯正という意味もあったでしょうが、当時のモータウンの狙いは黒人だからと言って黒人にウケるだけではなく、白人にも受け入れられるようにという意図があったのかもしれません。
幼かったマイケルはおそらく難なくそれらを習得したでしょう。
マイケルでなくても、子供の順応性と吸収力は眼を見張るものがありますものね。
ただ、単に歌がうまい子供ではなく、大人も舌を巻くほど歌に感情を込める事が容易に出来た彼でしたから、この「BEN」という歌の中に、体が弱くて友達のいない孤独な少年が、初めて自分の友達だと思えたねずみ、ベンに持つ愛情と信頼、そして自分たちのことを理解してもらえない寂しさ・・それらの感情を精一杯込めて歌った時、ひょっとしたら当時14歳の彼の中にすでにあった孤独と、自身にもある動物に対する愛情があいまって、つい素の自分がでてしまった瞬間だったのではないかと。

基本の発音は矯正されたはずだったけれど、こみあげる自分の気持ちを歌に込めた瞬間、本来の黒人特有の発音が口をついて出たのかなと。
関西出身のアナウンサーは始めに徹底的にイントネーションを強制させられますが、地元の友達と話したりしてリラックスするとついつい自然に関西イントネーションになる・・それに近い感覚なのかもしれません。
マイケルがアルバムDANGEROUSをレコーディングしている時に一緒に仕事をした、おそらくレコーディングエンジニアじゃないかと思うのですが、Sam L. Parityさんがご自身のブログに(2007年)マイケルのアーティストとしてのすごさや愛すべき人となりを断片的に綴っています。
その中からいくつか。
「スタジオでのマイケルは信じられないぐらいすごかった。彼は音楽に対して正確な記憶力を持っていた。
ひとつの歌を40通りに歌い分けることができて、しかも2週間後に6番目と27番目のテイクがベストだと思い出せるんだ。
Dangerousのために僕らは相当数の曲を録音したので、最終的にアルバムの選曲はMJにとって至難の業だった。
彼がリリース用に選んだ曲が2時間を越えてしまったので、いっときは二枚組みにしようとした。
ソニーがCD一枚分で、と決定した時、マイケルは曲の最終リストを持ってまた戻ってきたけれど、たいていは74分(ディスク1枚の許容時間)以上になってしまった。
そんなことを数週間ひたすら繰り返したことを思い出す。」
「一度、昼食のためにマクドナルドに行ってきてくれないかとマイケルは僕に頼んだことがあった。
彼は通常パーソナルシェフに毎日食事の準備をさせていたので、これはかなり珍しい要請だった。
とにかく、何がお望みなんだい?と尋ねたら、何があるのかもわからないんだ、でもみんなが美味しいって言うからさ、ときた。
結局僕はメニューから彼のためにほとんど全種類をひとつずつ買った。
彼はそれぞれをちょこっとずつかじっては、何が好きで何がそうじゃないかを教えてくれた。
僕の記憶が正しければ、彼はフィッシュサンドイッチがとても好きだったね」
「彼は僕を彼のクレジットカードを持って、彼のバカでかいシボレー・ブレイザー(※)のガソリンを満タンにする、というような午後のお使いに出すようになった。
※運転するしないに関わらずマイケルが使った車はSUVがほとんど。このブレイザーは ゼネラル・モータースの大型SUV、K5 Blazerだと思われます。いかにもガソリンをよく食うアメ車って感じですw

1990年モデルのK5 Blazer。でもマイケルのはもっと年式古かったかも。
(中略)
でもここで僕はマイケルがひどくへたくそなドライバーだと言わねばならない。
僕の車はもちろんスタジオに停めてあるみんなの車は、少なくとも一回は彼に当てられたんだから。
1度、彼は101Freewayで人の車に追突したこともある。
結局、彼は運転をあきらめて、毎日彼のために働いてくれる運転手を雇ったよ」
「ある日マイケルは、特別なお願いを聞いてくれない?とはにかんで尋ねてきた。
彼が運転するのを止めたあとだからまず間違いないけれど、僕が思うに、彼には日中にちょっと買い物をするための手段が本当になかったから。
彼は全く唐突に、下着をきらしたって言うもんだから、もちろん僕は承知した。
僕が彼と働いたずばぬけて素晴らしい2年間、マイケルは黒いパンツと赤いボタンダウン・シャツを着て、毎日スタジオに来た。
彼のオフィスにはラックがあってね、着た後ちゃんとクリーニングに出しているのか着捨ててるのかはわからないけれど、とにかくこの2つのアイテムで埋まってるラックがあったんだ。
でもこの(特別な)日、彼の引き出しの中身は底をつきかけていたってわけさ。
最初彼はとにかく下着が欲しいんだって。
僕がどんなタイプの?って聞いても「下着!とにかく下着だよ」としか言わないから、僕は君のお母さんじゃないんだから、どんなのがいいかわかんないよと言ったら、マイケルはちょっと笑って、「ヘインズのサイズ30をお願い」って。
でも僕が外に出た時、彼は走って来て、「やっぱり32!タイト過ぎるの嫌なんだ!」って叫んだんだ。
そんなわけで皆さん、キングオブポップは白ブリーフをお召しでしたw」
※サムさん自身がこの件の脚注として、白いブリーフは子供が穿くもの、というわけでもなくて、ほとんどはある時点でボクサーショーツに変えるけれど、成人男性で白ブリーフを穿き続ける人は多い、と当時30歳を過ぎていたマイケルに気を使ってるのかどうかわかりませんが、そう書いておられます(笑)
多作で有名な彼の、特にDANGEROUS期の多くのアウトテイクは、泣く泣く彼が振り落としたものだということがよくわかりますし、何度も何度もテイクをとり、様々な歌唱法を試し、もちろん音もアレンジも気が遠くなるほどのチャレンジを超えて、そうして残った、まるで泥水を何度もゆすぎ、ようやく見つけ出される宝石のような曲たち。
だからこそアルバムDANGEROUSがあれだけの完成度の高さを誇るのも無理はないということ、まさにアーティストマイケルの真骨頂が、しみじみ実感できるエピソードですよね。
あと、リズム感もダンスも高いレベルにあるマイケルをもってしても、運転の技術って比例しないんだな・・とかw
ああ、一晩でCDを1,500$(およそ15万円w)分買ったっていう話もあって、さすがKingっつー(笑)
赤のボタンダウンと黒のパンツ、確かによく着ていましたね。
まさかそればっかのラックがあったとはw
DAGEROUSレコーディングは'90~'91。
その間ちょっと調べただけでも、確かに普段こればっかの写真が多いですw

彼のBenといえばバブルス^^


でも今回一番大事なのはこのエピソードなのでした。
「彼は周りの誰をも不用意に混乱させる事のないように、何をするにも気を使っていた。
マイケルはスタジオ使用料には1日5000ドル使ってるにもかかわらず、僕の机にはこんなメモを残すような人なんだ」

from M.J.
I took one ink pin
MJです
ペンを1本とりました
ink pin・・
ペンなんだろうけれど、ついピンって書いちゃった感が。
おじいちゃんが「ディズニー」を「デズニー」と言ってて、それを書くときももちろん「デズニー」と書きますよ的なw
創作中や音作り、歌いれなんかはピンと緊張感が漂っていただろうけれど、四六時中スタジオで顔を合わせてものづくりをする仲間は、彼とっては家族同様に気を許せる相手だったのでしょう。
自分のクレジットカードを託したり、とてもプライベートな買い物を頼んだり、本当にこのサムさんに心許してたんだな・・と。
そういう気のおけない人と話す時、きっとマイケルの「E」は、オルテガに「ケニー」と呼んだときと同じ、あるいは「BEN」を歌った時と同じだったのではないでしょうか。
彼はモータウンから受けた教育だけではなく、普段から乱暴な言葉や汚い言葉を使いたくない人でしたし、英語のわかる友人は「彼の話し方はとてもきれいで品がある」と皆声をそろえて言うほど、きちんとした英語を話す人ですけれど、いわゆる標準のよそいきのきれいな発音やアクセントが身についていてもなお、ふとしたときや素の自分でいるときには、自分のルーツのDNAが覚えている特有の発音で自然に話していたのだなぁと。
そう思うと、それは単なる癖とかいわゆる方言的に片付けられずに、なんともあいくるしく思えます。
彼は手が届きっこないほど崇高で凛とした気高さを持つ人ですけれど
同時にくるおしいほどのかわいさを併せ持つ人でもあって
もしも別の人生を歩めるとしたら、そんなマイケルの友達になって
彼のへたくそな運転でスリルを味わったり
「パシリ」となってマクドナルドに行ったりヘインズの下着を買いに行ったり
1時間閉店を早めてもらったタワーレコードへお忍びで一緒に出かけてCDを選んだり
ポップコーンやヲォーターバルーンの投げあいとか
そして何より
彼から「きみは僕の大切な友達だよ」という気持ちを込めて名前を呼ばれたい
「E」が含まれる名前だとなおいいね
・・・いや、しかしそれはすごくハードル高い(笑)