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Study the greats & Become greater その4

マイケル・ジャクソンを真似るなんて不可能だ。どうしてわざわざそんなことをする? 肩の力を抜いてゆったりと見惚れていればいいのさ - Mikhail Baryshnikov


2006年から2008年までマイケルが拠点にしていたラスベガスへも、ドーメシアは通い続けました。

「時々スタジオへ行く途中に末っ子のブランケットを見かけたわ。
この2年の間は、(※記事は2009年のもの)ラスベガスの彼の家のスタジオでレッスンをしていたの。
一度、私たちふたりともステップをとちっちゃって、踊りがグダグタになった時があったのだけど、その時ブランケットがドアのところで笑っていたの。
とてもステキな瞬間だった。ブランケットがいるととても楽しいの*。

マイケルは、タップダンスを愛していたわ。
ニコラス・ブラザーズとフレッド・アステアを本当に愛してた。
彼は、自分の望みがはっきりしていたの。
タップが奏でるリズムが好きだったのよ。
私のタップをよく座って見ていたわ」

大抵ドーメシアの方が早くスタジオに入って、マイケルを待つ間、彼女はタップシューズを履いてウォーミングアップをしていました。
スタジオに入ってきたマイケルは、タップを踏む彼女を座ってじっと観察するように見ていました。
そして彼女がタップを終えたら、「Wow! Those rhythms are great 君のタップが奏でるリズムは素晴らしいね」と言ったそうです。

マイケルが彼女のタップシューズに贈った言葉
00_MJ_ tapshoes for Dormeshia_You are excellent honestly2

Dormeshia You're excellent Honestly
ドーメシア 君は最高 本当だよ




タップダンスには主に、アステアやジーン・ケリーに代表されるような、ただステップを踏むだけではなく、音楽に合わせた上半身の振付けもある「ブロードウェイスタイル」と、リズムを重視し、シンプルにステップが中心の「リズムタップ」があるそうです。
振付などなくもちろん音楽もなく、体全体を大きく使って強弱をつけ、自分たちの踵の音そのものが音楽になるスタイル。
リズムタップは、もともとアフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちが、仲間同士で会話することを禁じられたことで、足を鳴らしてコミュニケーションをとったのが始まりだと言われているほどの、黒人の魂の踊り、魂のルーツでもあるダンスなのだそうです。

踵を蹴り、つま先を踏み、そうして自分たちの感情を音に託して響かせる声無き言葉。
彼ら黒人には、ストンプに表現されるように、モップの音、グラスがぶつかる音、そして足音といった単なる音たちからビートを生み出し、そのビートが紡ぐリズムに身を任せるうちに、あるいは自分の鼓動をリズムと共振させるうちに、自然に踊り出さずにはいられないDNAが、広大な大地と共に生きていた時代にはじまり、哀しい歴史に翻弄された祖先を経て、何世代にもわたって脈々と受け継がれているように思えるのです。


When I dance, if you’re a dancer, you know, you’re just interpreting the sounds and the accompaniment of the music.
If there’s a driving bass, you become the bass.
If there’s a cello or if there’s a string, you become that.
So you become the emotion of what that sound is.
中略
・・So I’m a slave to the rhythm.

僕、というかダンサーが踊る時は、音楽に付随している音たちを読み取って表現しているんだ
もしノリのいいベース音があれば、そのベース音になる
チェロや他の弦楽器の音ならその音になる
音の持つ感情そのものになるんだ
・・つまり僕は奴隷のようにリズムに抗えないのさ


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これは1993年のオプラ・ウィンフリーショーで、「股間に手をやるのはなぜか」と直球で聞かれたマイケルのお答え部分の抜粋です。
略した部分は「そんなふうに音に感情移入しているから無意識なわけで、音楽がそうさせてるわけで、あとからそんなしぐさをしているのがわかってびっくり」みたいな、普通の人が聞いたら下手な言い訳に聞こえそうなことを語っているので省いています。
基本わたしは例の動きは絶対に確信犯だと思っていますがw、「音の持つ感情そのものになる」と言っている箇所はまさにリズムタップダンサーの言葉に思えます。

I’m a slave to the rhythm ― 僕はリズムのとりこだと語ったマイケルも、もちろん例外でなく前述の魂のルーツが刻まれたDNAの持ち主であって、その遺伝子に導かれるように、自分が信じる感覚のままに踵を蹴ることで、自分の喜怒哀楽の感情を音に乗せ、あたかも自分自身がリズムを奏でる楽器になる、そんなリズムタップを愛した人だったのではないでしょうか。

その上で、エンターテイメントに誠実な彼は、文化でさえ人種の垣根に区分けされがちだった時代の慣習に惑わされることなく、素晴らしいものは素晴らしいとして純粋に、白人のアステアが優雅に舞いながら蹴ったタップをはじめ、さまざまな分野の要素を自分スタイルへ組み入れていったのだと思います。


その要素のひとつには、おそらくバレエも影響していたでしょうね。
This Is It・DVDの特典映像の中で、トラヴィスとほんの少しバレエの話をしていますよね。
トラビスが「ジュテ(跳躍)とかリフトとかあるでしょ?バレエのそういうのを見るのが大好きなんだ、バリシニコフとかも」みたいなことを言うと、マイケルも
It's beautiful. It's the most disciplined of all the forms of dance. バレエは美しいよね。数ある踊りの中で最もフォームが整っているよ」と答えていました。

フォーム。

バレエの基礎は一にも二にも「正しく美しいフォーム」だと聞いたことがあります。
型がきちんと決まっていて、そのうえで指先、つま先まで神経を行き届かすことが大事、とはいっても決して固くなってはいけなくて、あくまで動きは柔らかく、といった。
わたしのような素人が観ていても、美しく踊るバレエダンサーはとにかく体幹がしっかりしていて、上半身が猫のように柔らかくしなやかに動くのだけれど、決してブレずに最後にはぴたっと正しい姿勢をキープしているように思います。
軸がゆるがず美しいフォームを維持するということは、背筋と腹筋が想像以上に鍛えられているのでしょうけれど、それを微塵にも感じさせない柔軟さも備わっていなければならないのでしょうね。


マイケルのダンスにも同じことを感じませんか?

天性に備わっていた卓越したリズム感と柔軟性、そしてどれだけ激しくステップを踏んでいても、それに引っ張られて惰性で上体が動くことはなく、上体に振りがあっても、決め時のポージングでは全くぶれることのない、その上半身を支える体幹の揺るがなさ。
上体の重心が後にも前にも偏らないことで生まれる美しさ。
以前にも書いたような気がしますが、それはまるで、どれだけ水面下で激しく脚を動かして水をかいていても、水上に出ている姿は微々とも動かず、いかにも優雅に水面を滑る白鳥の姿を見るようなのです。


トラビスが引き合いに出した偉大なバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ。
彼はピルエット(回転)の神様と呼ばれていたそうです。
マイケルはタップの先生を紹介して、とデビー・アレンにお願いしましたが、こんなお願いも彼女にしたそうです。

「彼は「バリシニコフのようなピルエットを教えて欲しいんだ」と言いました。
だから私は言ったのです。「あなたは、すでにバリシニコフよりうまく回っているわよ」って」


そのピルエットの神様が、2009年に冒頭の言葉を語りました。
1986年5月に、エリザベス・テイラーを介してバリシニコフ(同じ年に彼はアメリカに帰化していました)に会ったマイケルは、バリシニコフ曰く「12歳の子供のように」多くの質問をしてきたそうです。

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ハーイ!よい子のみんな、リチ男だよ!僕もこん時一緒だったんだ~♪

彼らはバレエについても沢山の話をしたそう。
そして彼は、マイケルのことをこんな風に語っています。

「彼について最も思い出されることは、彼のターンでも股間掴みでもない。
彼のなんてことない普通の動きだよ。
リズムに乗って弾むようにステージを横切る歩き方とか、腰を揺らす、飛び跳ねる・・そういう動きが最も美しく、そして人目を引くんだ。
僕にとって彼とは、自分の肉体に絶大なる信頼を寄せているダンサーだ。
わお、こいつはなんて奴だ、自分の好きなように動けている!と言いたかったよ」

天才と評されたバリシニコフに「自分の思い通りに体を操ることができて、しかもステージ上の何気ない普通の動きが美しい」と言わしめた彼。
強靭な体幹としなやかさを生む柔軟性、リズムと一糸乱れずに動くことができる身体能力、そして何よりも自然な優美さ。
ダンサーならば誰もが欲しがるそれらを完璧に備えたダンサーだと。
バリシニコフの言葉は、舞踊に携わる者同士で贈ることができる最大の賛辞だったのではないかと。

マイケルの事ならばなんだっていいように解釈しすぎっていわれるかな?
でもいいんだ。そう思うんだもんww
で、えーと・・あれ?また脱線していますかこれ?w




ドーメシアが最後にマイケルと一緒に踊ったのは2008年の9月だったそうです。

「彼は「大きなプロジェクトに取り掛かっているんだ」と話していたわ・・
彼はフレッド・アステアとニコラス・ブラザーズのタップスタイルを研究して、自分のスタイルに融合しようとしていたのよ」

大きなプロジェクト

THIS IS IT

正式契約の1か月前


They are getting an element of me, They are never seen before
観客は今まで見たことがない僕の一面を見ることになるよ

From bonus footage of THIS IS IT DVD

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見たことのない一面に

あの黒革のタップシューズで床を蹴る姿・・も含まれていたのでしょうか


誰にも真似のできない高みへ登るために
誰も見たことのない自分を魅せるために

Study the greats and Become greater

自分より優れていると認めた人に教えを乞い、自分の感性が必要だと思ったことを吸収し、どこまでも謙虚に、そして貪欲に、自分自身の思う頂点へと自分を高める努力を怠らなかった人。

学んで研究して練習する・・そういった努力を自分に課すからこそ、月並みなものでは絶対に満足しない人。

ドーメシアの言葉です。
「エイトカウントの最初のワンに4時間レッスンを費やそうとも、完全に体に叩き込むまで次のカウントに進もうとしない人だった。
マイケルはダンスに対してそんな敬意と愛情を持っていたの・・」

似たような事を、BAD25ドキュメンタリーにも出ていたお馴染みBeat Itでナイフを振りかざす一触即発にいちゃんのひとりをあくまでも演じたw 振付師のヴィンセント・パターソンが語っています。

「マイケルの完璧主義を物語るいい例えがあるよ。
Smooth Criminalのダンスの中で、何度も繰り返す一連のダンス・フレーズがあって・・
僕が振付けたところなんだけど、マイケルは鏡の前で何度も何度も同じカウントを4時間も練習していたんだ。
僕は彼のそばに行っては言い続けた、「マイケルこっちに来なよ・・ 休憩しよう」とね。
でも彼はこう言うんだ。
「No, Vincent…I want to do this ‘til it’s perfect. いや、いいんだよ、ヴィンセント・・完璧に踊れるまでやりたいんだ。」
マイケルは自分自身にとても厳しかったよ」

マイケルが4時間もひたすら練習した「何度も繰り返す一連のダンス・フレーズ」って?
まさか誰もが知っているSmooth Criminalの象徴ともいえるあのルーティン・・

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磨けば磨くほどまばゆい輝きを増していくダイヤモンドのように
手をかければかけるほど麗しく咲き誇る薔薇のように
自己へのハードルを上げ続け、なおPerfectを追い求めた人。

ダンスは Michael Jacksonを構成する一つの要素にすぎない。
でもそのたったひとつにこれだけのこだわりと信念。
自らに限界を設けることなく頂点を目指すからこその完璧主義。

ならば

そのゴールへ到達するための取捨選択は彼にとって必然。
その道程にふさわしくないものを「切り捨てた」のではなく、必要なものを「選んだ」のだと
わたしは思います。


Study the greats and Become greater

わたしたちは知っています。
彼がそれを成し遂げたのだということを。

さまざまな偉大なる先人に学び、吸収する姿勢を崩さず、完璧を求め努力を怠らなかったからこそ、人々に刺激を与えインスピレーションを与え、感動を与える存在になり得たのだと。
今この時、彼自身が誰かのGreatなのです。


11年間、彼にタップを教えたDormeshia Sumbry-Edwards ドーメシア・サンブリー・エドワーズはマイケル・ジャクソンを世界で最も偉大なエンタテイナーだと考えています。

「何十年もの間、彼は沢山のダンサーを奮い立たせてきたし

There are still aspiring entertainers who are studying Michael
いまだにマイケルを研究している若い意欲的なエンタテイナーがたくさんいるのだから」

そう。わたしたちは知っています。
He study the greats and DID become greater.




またもや長い思い込み大爆発な記事になりました。
実はこれを書いている途中で「絶対書きたい!どうしても書きたい!」というのが出てきたんですけれど、それ書いたら収拾がつかなくなりますので
ここで一旦終わりにしますw

ここまでお付き合いくださった方に今日も感謝を^^


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<ご注意>
*ドーメシアがブランケットと交流するくだりは、わたしの英語レベルではむずかしく、相当思い入れと思い込みの激しい意訳になりました。きちんと確認したい方は下記原文をお読みくださいませw
基本マイケルを語る人の言葉は忠実に訳し(たつもりw)ましたが、今回の記事内容の流れ上、原文記事は、概要的に参考にさせてもらいました。

※参考記事source
Michael Jackson’s Love of Tap
Tap's Leading Lady
Michael Jackson planned to channel Fred Astaire for 'This Is It' shows
Sarah Kaufman Analyzes the Magic Behind Jackson's Dancing
BAD 25 SHINES LIGHT ON MICHAEL JACKSON’S MOST UNDERRATED ALBUM, ERA, AND COMPETITIVE OBSESSIONS

Study the greats & Become greater その3

音楽はずっとマイケルにとっての女神だったかもしれません。でも、Danceは彼の女王だったのです。-Debby Allen


マイケルのタップの先生が、病気のためにその任を果たせなくなった時、次のインストラクターにと紹介されたのは、現在も現役のタップダンサーであり、NYはハーレム・タップ・スタジオのインストラクターでもあるDormeshia Sumbry-Edwards(ドーメシア・エドワーズ)その人でした。

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マイケルは1997年9月、ABCで放送されたインタビュー番組、Barbara Walters 20/20(インタビュアーは意地悪だけれどマイケルの答える姿はGirlたちの大好物wな、あのインタビュー)のためにパリに滞在していました。

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これこれ^^ 好きでしょう?はい大好きですw

そんなマイケルに呼ばれたドーメシアは、遠くパリまで行かなければなりませんでした。
顔を合わした途端、質問魔のマイケルは彼女にも例外なくたくさんの質問をしました。
例えばこんな風に。

Can you dance like the Nicholas Brothers or Fred Astaire?
あなたは、ニコラス・ブラザーズやフレッド・アステアのように踊ることができますか?

How fast can you move your feet?
どれくらい速く足を動かすことができますか?


彼女がタップを踏むと、あろうことかマイケルは腹ばいになり、彼女の足に顔を近づけてさらに質問をしてきます。

How are you getting all those sounds out?
どんなふうにしてそんなにたくさんの音を鳴らしているの?

Do it again as fast as you can go.
もう一度、君ができうる限り速く足を動かしてみて

Can you teach me how to do that?
そうする方法を僕に教えることはできる?



そんな面接を経て、後日彼女は正式にマイケルから誘いを受け、晴れて彼のパーソナルインストラクターになるのです。

「私たちはいつでもどこでもレッスンをしたわ。
何回かはロスで、でもおおかたは週末ラスベガスで。
ベガス、ロサンゼルス、ウェストパームビーチ(フロリダ)、それこそあちらこちらでね。
スタジオにいる間、わたしたちはふたりっきり。そのうち、私は彼が一人の人間だってわかってきたの。
彼はなんでもよくわかっていた・・世界問題や宗教、家族のこと・・エンターテイメント以外の人生におけるすべてをね。
彼は、自分の子供と素晴らしい関係を持った父親であり、立派な紳士だったの」

多忙なマイケルでしたから、レッスンは通常1日につきおよそ3時間から4時間ほどでした。

「マイケルは、自分が何をしたいかがちゃんとわかっているの
ほとんど、音楽をかけずにレッスンしていたわ。
でも一度、彼のお気に入りのジャネットの曲*をかけたことがあった。
そして、「I liked the feeling and wanted to do something with that feeling. 僕はfeeling(感覚)を大切にしてきた、その感覚にまかせて何かをやりたかったんだ」と言っていたわ。

私の足の動きが良く見えるように、相変わらず子供のように横たわって、「Slower, slower, slower もっとゆっくりやって、もっともっとゆっくり」
そのあと「Faster, faster, faster もっと早くやって見せて!もっと早くもっと早く!」
そうして私を見上げてこう言うの。
「Can you show me how to do that? そのやり方を教えてくれる?」って」


足元にいるマイケルが自分を見上げて「教えてくれる?」だなんて・・はい!Girlたちの萌えポイントキター!w


ちなみに *お気に入りのジャネットの曲は、きっとあれとあれですね^^



I always tell her my favorite song of hers is Rhythm Nation and The Knowledge, cuz I love the bass lick, it really just makes me crazy, makes me wild.
僕のお気に入りの彼女の歌は、Rhythm NationとKnowledgeだっていつも彼女に話してる。ベースのフレーズが大好きだからね、本当に僕をクレイジーにさせるしワイルドにさせるんだ

Michael Jackson's private home movieより

彼の言うところの"I love the bass lick" のlickは、「フレーズ」の古い言い方らしいです。
こういうところも、わたしのツボ^^
だってジャクソンさんは昭和の人ですからw
最近はBADマイケルの露出が多いから、ピンとこない人も多いだろうけれど、1958年生まれ=昭和33年生まれなんですよねw

コーデュロイをコールテンって言う感じなのかなぁww やだーマイケルったら親近感~\(^o^)/

「ジャクソン先輩、リックってなんすか?今どきはフレーズって言うんすよ!」
「フレーズ?そうなのかい?僕が育ったころからリックはリックだよ」
「いやー、普通のオヤジが言うと古くてダサいけど、ジャクソン先輩が言うとなんかクールっすね!俺も今日からリックって言うっす!」
「それもいいけれど、”言うっす”じゃなくてちゃんと”言います”と言った方が美しいと僕は思うよ」
「あ、わ、わかりました!ご助言あざっす!」
「いや、だから・・ヘヒヒ」(苦笑するMJ)
スタジオの中でのこんな会話を妄想してしまうw


・・じゃなくて、彼の好きなベースに注目して聴いてみましょう♪

Janet Jackson - Rhythm Nation


Janet Jackson- The Knowledge



特にThe Knowledgeは本当に気に入っていたようですね。
マイケルのアルバムDANGEROUSの候補曲リストっていうのか、ちょっとした計画なのか指示なのか、もひとつよくわかっていないのですがw そんなのも書きこまれたノートがあって。

MJ_Dangerous recording sessions_Teddy extra killer better than knowledge

Best of Joy もれたんだな~・・て、注目はその次の行です。

killer dance Teddy Riley approve
Teddy extra killer better than knowledge


killer dance テディ・ライリー承認?ここ曲名なのか指示なのかこれまたわからないのですが・・
少なくとも、テディに「knowledge(わざわざアンダーライン引いてますよ奥さん!)よりもずっとイケてるいい曲」追加ね、みたいな感じでしょうかw

で、よくよく聴くと、この曲と似ているなぁって思ったのが、JAMの出だしからイントロの雰囲気。
JAMもテディがからんでますよね。
ひょっとして、「knowledgeよりもずっとイケてるいい曲」ってJAM?ww

Michael Jackson - Jam


まぁ、その辺はいつもの妄想ということで^^
ですが自分の制作メモにまで引き合いに出して書くぐらいだから、マイケルにとってジャネットのThe Knowledgeは踊りたくなるkiller dance曲No1だったのは間違いなさそうですね。

このメモはこの他にも突っ込みどころが満載。
”MA & MJ duet”は、あのマドンナとデュエット予定だったIn The Closetですよね、おそらく。
レコーディング前の初期のプランメモだったんだなぁ・・とか、長くなるからやめますw
あー、また恐ろしく脱線w



マイケルはそれまでに独自にタップを研究し、巧みにMJスタイルとして認知されているステップに生かしていたと思います。
ダンス素人のわたしには、靴のトゥとヒールを鳴らしてもらって、はじめてタップダンスなんだとわかる体たらくですが、よくよくマイケルのステップを見ると彼の音楽でその音はかき消されていても、その足さばきはしっかりヒールを蹴っていて、もしソールに金属板がついていれば間違いなくリズムを刻んでいる。

その象徴たるステップはお馴染みのこれ。
mj-tap2.gif

これも。
mj-tap3.gif

ここでも。
mj-tap4.gif


わたしからすれば、これで十分な域に思えますが、彼はすでにそのようなタップのテクニックが備わっていたにもかかわらず、シャッフル、パドル&ロール、クランプロール、プルバック、ドローバック、タイムステップというタップのABC、すなわち基本ステップを一から学んだのだそうです。

昨年お亡くなりになった歌舞伎界の中村勘三郎さんが、「型を熟知した者がその枠を破るから型破りといわれるのだ。型も知らずに勝手なことをする奴は形無しだ」という名言を残されていますが、まさに言い得て妙。
一度見たステップはすぐに体が覚えてしまうほどのマイケルですから、タップも独自にマスターできていたのでしょうが、何をするにしてもきちんとした基礎がベースになっていなければ、革新的な進歩もあり得ない。
若い頃から様々なことを学んでは昇華しつづけていた彼なればのエピソードだと思いました。
すでにスターであり、誰もが認めるMJというスタイルを確立させていてもなお、謙虚に、貪欲に、Study the greats and Become greater。
そしてそのような姿勢は、歌舞伎であれ、ダンスであれ、芸能の道をどこまでも極める覚悟を持ち、そのための精進を厭わない、芸事の神に愛された者に共通するものなのだとも。


基礎を終えて新しく振付しあうようになると、マイケルは「君ならここはどうする?」と熟練のタップダンサーである彼女の意見をよく聞いたそうです。
こんなところも彼は一貫していましたね。

ちなみに彼女はマイケルのYou Rock My World のSFにおいて、振付師にクレジットされています。
00_Dormeshia Sumbry
エンドロールです。バックにクリス^^

彼女とアイデアを出し合って振付けたシーンがあるかしら、なんて思ってこのSFを、今回マイケルの足さばきのみに注目して、目を皿のようにして観たのですが、全然わかりませんでしたw
アステアを連想させる動きや演出などは有名なんだけれど、わたしなんかが見抜けるような簡単な振りじゃなかったのでしょうねー。
「実はここのステップがそうなんです」みたいな、それこそBAD25ドキュメンタリー的インタビューをドーメシアにしてほしい・・誰かw
そういうマイケルの創作におけるお話を聞くのが好きなもんだから、ついつい(一種のオタクですw)。



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「彼は私がクリエイトするのをバックアップしようとしていたわ。
彼がすこし手直ししたら、私がまたそれに変化をくわえて形をかえるの。
マイケルは完璧主義者だったから、たった4小節に4時間もかかったりして。
彼は1つの動きに完全に満足するまで先に進もうとしないのよ。
いろんなパーツを取り入れて、自分の一部にしてしまうのが彼のやり方。
次の動きに移る前に、それまでの動きを磨き上げようとしていたの。
私は彼の仕事にかける情熱を見たの・・とても真剣なね」


マイケルはドーメシアを自分のタップの先生としてだけじゃなく、彼女に友人としての気遣いもみせました(いつものごとく)。
ドーメシアはNYに住んでいました。
9・11でNYが壊滅的な被害を受け、市民たちが打ちのめされていた時、マイケルはいつものレッスンのために彼女に電話をかけます。
その際、2週間ほどカリフォルニアのネバーランドに、彼女だけでなく彼女の家族ごと連れて来るようにと申し出ました。
ネバーランド滞在中、ドーメシアの子供たちとマイケルの子供たちも仲良くなり、家族同士でウェストパームビーチ(フロリダ)へ行ったりもして楽しい時間を過ごしたそうです。


でも時が過ぎ、何よりも彼が大切にしていたそのネバーランドを遠く離れなければならなくなったマイケル・・



すみません。
まだ続きます。

Study the greats & Become greater その2

MJはあらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった
Study the greats and become greater 成長するために学ぶんだと言ってね -Travis Payne



マイケルのKenny Shoesなるものを探す放浪の旅の途中、見つけたのは1足のタップシューズでした。
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sourceはやはりのこちら
そこには「マイケル・ジャクソンのタップシューズ。このCapezioの黒革タップシューズは、マイケル・ジャクソンが自身のThis Is Itツアーの準備中に着用したもの。ジャクソンは数多くのダンスを練習した、優秀なタップダンサーだった」と記されています。

オークションで出されるものの中には、まゆつば的なものもやはりあるのだとお勉強した2012年w
マイケルがTIIのためにタップを練習していた時に着用した~?
いやいや、そう簡単には信じられないなぁ・・なんて思っていたのです。

でも優秀なタップダンサーというのは頷ける。
まだドでかいアフロで毎週毎週、兄弟姉妹と一緒に、歌と踊りとドリフのコント、もとい楽しいミニお芝居なんかを披露していたThe Jacksons Variety Show(1976~77)で、タップは何度も踊っていたし、一番印象的なのは、Black Or White のSF、いわゆるパンサーバージョンで、ひとり路地裏で怒りを解放するように踊る一連のルーティンに、何度も出てくるタップステップ。

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ですが、やっぱり気になって調べていくうちに、本当にTIIのステージで、彼がタップルーティンを取り入れようとしていたという記事を見つけました。
彼の敬愛するフレッド・アステアと、アステアも絶賛した、やはり彼の大好きなニコラス・ブラザーズのタップスタイルを。


アステアに関しては、ご存じのとおりタップの世界に初めて洗練さと気品をもたらしたと言われているほど、そのスタイルは優雅そのもの。
(そのあたりのことを、嫌って言うほど書いた過去記事はこちら

対してフェイヤードとハロルド兄弟のタップデュオ、ニコラス・ブラザーズは、アクロバットタップと評されるエネルギッシュなスタイル。

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ストリート系ダンスに見られるスプリット(足を180度開脚する技。スプリットジャンプは今やもはや珍しくもなんともない動き)の元祖ともいえる技を組み入れたものですね。
アステアも絶賛した彼らのタップをどうぞこちらから。
1:06~から始まる神タップと2:28あたりから炸裂するスプリットは必見です!
マイケルが魅了されないわけがない^^

ああ、そうそう。
マイケルは先述のドリフコント込みのバラエティ・ショーで、大先輩のニコラス・ブラザーズとタップ競演もしています^^
この時も「わかいもんにはまだ負けんぞ」的にスプリットを披露してくれています。
興味深いのは、この時まだ小さかったジャネットも出演していますが、後に彼女は自身のミュージックヴィデオAlrightで、彼らと再共演しているのです。


ニコラス御大達は4:58あたりから登場

前回も書きましたフレッド・アステアの映画、BAND WAGONのGIRL HUNTでアステアの相手役として踊ったCyd Charisse(シド・チャリース)も登場する(2:54~)このヴィデオは当時大好きでした!
が、そんなすごい人たちがカメオ出演しているなんて、全然知らなかったのですけれどw

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この時代のジャネットはマイケルにガチで似ています^^


マイケルのみならず、ジャクソンさんちの兄妹たちは、こぞって幼い時に感銘を受けた偉大なアーティストたちを、いつまでもリスペクトし続けていたのですね。

あー、また脱線しましたw
話を戻して。

というわけで、アステアとニコラス・ブラザーズ、両者のタップスタイルは全く違うのですが、そこは吸収上手なスポンジマイケル。
当然彼らのエッセンスをうまく融合させたもの、しかもそれをMJスタイルに昇華させたものだったのでしょうね。
それが推測の域を出ないガセネタと言い切れないのは、実はみっちりとタップダンスの個人レッスンを受けていたことがわかったからで、そうした努力を続けていた彼ならば、きちんとした彼自身のタップ技術に裏打ちされたアイデアだったのではないかと思えるのです。
驚くべきことはその個人レッスンが、パンサータップ(えへへ、勝手に命名w)以降にスタートしているということ。
そしてなんと11年間にも及び続けられたということでした。
パンサータップは完璧主義者マイケルからすると、「だめだこりゃbyいかりや長介」的、満足のいくレベルでなかったということで。
この時すでに「マイケル・ジャクソン」というダンススタイルは確立されたと思っていたのが、聴衆や彼以外の人々の間でだけで、当の彼は、自身のダンス技術をさらに向上させるべく、人に教えを乞うたのです。
そのどこまでも謙虚な姿勢と、あくなき探究心には本当に驚かされます。


冒頭のトラヴィスの言葉にある通り、「あらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった」マイケル。
これは、どこまでも自己を高める努力を惜しまなかった才能豊かな研究魔が、常に Study the great and become greater を怠らなかったというお話です。


マイケルが旧知の間柄で、女優であり振付師でもあったDebbie Allen(デビー・アレン)に「タップを習いたいから先生を紹介してほしい」と頼んだのが、1997年のこと。

デビー・アレンといえば、1994年 26th NAACP Image Awardsの授賞式で、彼女がBest choreographer賞を受賞し、そのプレゼンターにマイケルが登場したことが思い出されます。
前年、同じNAACP Image Awardsで、マイケルはBlack Or WhiteでBest music video賞、及びEntertainer of the year賞を受賞しました。
喜びを感謝の言葉に変えて誇らしく立ったステージ。
ですが、その7か月後、エヴァン・チャンドラーによる単なる恐喝を巧みに虐待訴訟に見せかけた申し立てが起こされます。
その身に覚えのない身の毛もよだつような容疑は心身ともにマイケルを疲弊させ、DANGEROUSツアー中断という辛い決断をも強いられました。
栄光と賛辞に彩られた授賞式から一転、試練と呼ぶにはあまりにも理不尽で過酷な日々。
ですが、94年の同じステージに戻ってきたマイケルは、プレゼンターとして壇上に登った際のスピーチで、オーディエンスに自身の潔白を訴えます。
マイケルを信じて支持するオーディエンスの声援と万乗の拍手の中、彼はデビー・アレンに受賞トロフィーを渡すのです。

00_MJ_NAPPA_DEBBIE ALLEN


その時に、デビーはマイケルに向かってこう言いました。

God bless you Michael, we're all on your side.
マイケル、あなたに神のご加護を。わたしたちはみんなあなたの味方よ


マイケルにとって、デビーのこの言葉は、辛い彼の心を思いやる心強くも嬉しい言葉だったでしょう。



そんなマイケルの味方であるデビーは、彼の頼みごとを快諾し、信頼のおけるタップの第一人者、ポール・ケネディ氏をマイケルに紹介します。
彼女の自宅のダンススタジオが彼らの教室となりました。

デビーはこの時のことをこんな風に語っています。

「私はマイケルが自身の専門外の事を訓練しようとしていることには最大の敬意を払っていましたが、実際のところ彼には「専門外」などなかったのです。
彼が上達していくさまは、素晴らしいクリエイティヴな旅の道のりを眺めるようでした。
マイケルはとても優秀でした。
彼はサミー・デービスJr.と同じ世界の出身だから、なんでも吸収することができたのです。
うちのダンススタジオの床には、まだ彼の靴がつけた痕跡が残っています。

私は彼がレッスンをしている間、彼の小さな長男、プリンスの世話をしました。
私たちはしょちゅうキッチンに入って、コーンブレッドを食べたものです。

マイケルはフレッド・アステアのファンで、アステアもマイケルのファンでした。
彼らはお互いに賞賛しあい尊敬しあう仲でした。
ですから彼のタップがすぐに上達したことは、思いがけないことではありませんでした」

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余談ですが(またかよw)アステアはずっとミュージカルダンサーだと思っていましたが、素晴らしい演技派俳優だったのですね。
タワーリングインフェルノという映画をご存知でしょうか?
1974年に封切られたスティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンが共演したパニック映画の金字塔とも呼べる作品です。
絶対安全といわれていた超高層ビルで、いとも簡単に火災が発生し、その消火活動を行う消防士とビル内に取り残された人々の人間ドラマ。
ここでアステアは年老いた結婚詐欺師を演じていたのです。
わたしは今回アステアを調べなおしていて、初めて気が付きました。
詐欺師である自分を丸ごと受け止めてくれる老婦人と、人生をやり直そうとしていたにもかかわらず、赤の他人の子供を助けるために老婦人は亡くなります。
離れ離れでようやく生還したアステアに、老婦人がかわいがっていた猫だけが手渡され、それで何もかも察した彼の、何とも言えない哀しい表情は、わたしでなくとも号泣ものだと思います。
実は、このシーンがかわいそうすぎて、わたしはこの映画が嫌いでしたw

その迫真の演技をしていた老紳士がアステアだったなんて。

00_MJ_Fred Astaire4
あー、ここ、思い出しただけで泣けちゃう(/_;)

ただミュージカルダンサーとだけ括っては失礼だと今さらながら肝に銘じた次第です。
だからこそ、偉大なるダンサーで、シンガーで、素晴らしいアクターだったアステアは、同じようにそれぞれの分野でNO.1を目指していたマイケルの、文字通りGreatsだったのですね。

で、えーと・・どこまでいきましたっけw


そうそう、デビー・アレンの自宅のスタジオで、タップのプライベートレッスンを始めたマイケル。

マイケルのスケジュールがあまりに複雑になるまで、しばらくの間、そのプライベートレッスンは通常週1~2回夜に開催されました。
ところがあろうことかケネディ先生が病気になってしまい、マイケルのレッスンにもはや出席することができなくなったとき、責任感の強い先生は自分の弟子である女性に電話をかけ、「ジャクソンがタップのインストラクターを探しているから、君に会うように薦めておいたよ」と告げたのです。

その女性が、それから以降11年の間、マイケルのプライベートインストラクターとなるわけですが・・


続きます。

Study the greats & Become greater その1

2013年もすでに15日経過しましたが、みなさんお元気ですか~?(井上 陽水風)

今年はしょっぱなから、Michael Jackson THE IMMORTAL WORLD TOUR 日本公演決定のニュースが流れましたね。
今回は、名古屋や福岡のGirlたちも、わざわざ遠征することなく楽しめますね^^
もちろんわたしのいる大阪でも\(^o^)/


ああ、そうそう。

00_MJ_Immortal_vegas.jpg

日本公演は5月からスタートしますが、同じ5月にヴェガスのThe Mandalay Bay Las Vegas Resortの劇場でも、常駐演目としてMichael Jackson THE IMMORTAL(ツアーとは内容が変わるらしいです)の上演がスタートしますが、嬉しいのは2010年に東京タワーと大阪スカイビルでも開催されたNeverland Collectionをスケールアップしたミュージアムが併設されることです。
これは2011年のIMMORTAL初日~数日限定で催された、ファンフェストと同じ内容だということで、日本にも来てくれたあれだのこれだのも含めて、お目見えしなかったあれだのこれだのに加えて、ネバーランドに置かれていたマイケルのアーケードゲームも登場するらしく^^
日本にも来てくれた品々は、エステートが管理して持って帰ったのでw おそらくどこにも売られることはないと思っていましたから、遠すぎますけれど見ようと思えばどうにかして見に行ける(かもしれないw)ミュージアムという形で場所が用意されたのは、予想はしていたものの現実となるととても嬉しい事ですね。

いつか冥途の土産に行きたいものですヨボヨボ^^


昨年のBAD25周年記念、The Jacksons Unity Tour、Thriller Liveといった様々なMJ祭りの流れを止めることなく、今年もアーティスト・MJが沢山の人の心に生き生きと息づきますように。

その2012年のファイナルを飾るにふさわしかったのが、28日深夜にNHK総合テレビで放送された、泣く子も黙る(またかよw)スパイク・リー監督のBAD25 Documentary(邦題:BADのすべて)でした。

ただ1か所のみの違和感バリバリの和訳を除いては、いうことなし。
彼の創造作業に関する裏話は大変興味深いものでした。
わたしはぶっちゃけアニーが誰でも、チャモンがなんであっても、もっと言えばタチアナがマイケルにキスをしてガッツポーズするところなんざ、全くどーでもよかったのですがw
彼がその時何を考え、何にこだわり、スタッフたちとどう協調し、どう意見を戦わせ、どう彼らを驚かせ、どう己の才能と発想を革新につなげたのか、といった制作過程を知ることが大好きなので、全編通してわくわくしながら堪能しました^^

00_MJ_making_smoothcriminal.jpg


以前BADのSF考察を書いたことがあるので、(お暇ならこちらへ)実際携わった関係者からの話は感動もの。
ダンスの振り付けひとつとっても「強盗をする人間の心理」を表現しようとし、わたしの好きな

00_MJ_making_BAD.jpg

ここ、ここ♪
この大きく手足を振り上げる振りに、「今の自分を変えたい(空に飛び立ちたい)」という願望を表していたとは、振付グレッグ・バージ(写真左)恐るべし・・(彼も逝くのが早すぎましたよね・・RIP)



for criminal dance2


For Criminal Dance
look at all the great Dances on Tape,
"Study the greats and Become greater"
get All BOB Fosse Movie
DANces, STUDy these insiDe
out Know every CUT, Move, Music, etc,
FLASH DANCe
ALL THAT JAZZ
BAND WAGOn "girl HUNT"
NUMber

クリミナルダンスのために
全ての素晴らしいダンスビデオを見ること
”素晴らしい先人に学んで、さらにその上をゆく”
ボブ・フォッシー映画のダンスはすべてものにすること
以下のカット割り、動き、音楽等、隅から隅まで熟知すること
フラッシュダンス・オールザットジャズ・バンドワゴンの”ガールハント”ナンバー


彼の手書きメモには目がないわたしw
特徴のあるD、そして大文字小文字が入り混じった綴り世界の治外法権といわれている(言われてないかw)彼の文字たちを見るだけでテンションがあがります^^
このSFに取り組む彼の真剣な意気込みが滲む、どこまでもストイックに高みを追及するいつもの彼のやり方。
自分が過去に書いたこと(もちろん色々な記事や資料を参考にして)の裏取りができたような気がして、あらためて彼の、天才にして努力家で完璧主義者たる所以の氷山の一角を垣間見たような気がしました。

もうひとつのメモ。

MJ_Criminal jacket

これを見てあらためて合点がいった事がありました。
本来のスムクリジャケットでは、腕章はブルーで右腕に巻いています。
このイメージでは、はっきり色は黒と指定して、なおかつ腕は左。
マイケルはこだわりの強い人なので、ラフ画の段階だからと言って適当に左腕にしたのではないはず。
ではどうして?

00_MJ_making_smoothcriminal2.jpg


Smooth CriminalのSFは、彼の敬愛するフレッド・アステアへのオマージュといわれています。
確かに、結果的にはそうなったのですが、このSF撮影は1987年2月のこと。
アステアはこの4か月後に惜しまれてこの世を去りました。
ということは、撮影時にはアステアはまだ存命中だったわけです。

ちなみに、撮影時このセットには、オノ·ヨーコ、スティーブン·スピルバーグ、ブルース·ウィリス、グレゴリー·ペック、もちろんエリザベス·テイラーなどなど、多くの有名人が陣中お見舞いに訪れたようですが、中でもマイケルが一番喜んだのが、アステアのパートナーとして多くの振付を行ったハーメス・パン(Hermes Pan)の訪問でした。

アステアがマイケルのムーンウォークをモータウン25周年記念番組で見た後、彼に電話で賛辞を贈ったのは有名ですが、その後マイケルを自宅へ招き、その際ムーンウォークを直伝され、すでに80才を超えていたにもかかわらずすぐにマスターしてしまったというのも有名なお話です。
その場に一緒にいたパンもムーンウォークをしたそうです^^

パンは、アステアトリビュート1色のSmooth Criminalの撮影現場を見て、こう言いました。

If Fred was here right now, he would be in his glory.
「もし今フレッドがここにいたら、どれほど誉れに思うだろうか」

アステアと昵懇の間柄であるパンからこんな風に言われたマイケルは、それこそ有頂天になるほど大喜びをしたとか。
(source:http://www.readperiodicals.com/201103/2425294751.html)

00_MJ_Stranger-In-Moscow-11205138-800-1070.jpg
こんな感じ?イエーイ!みたいなw

彼の喜ぶ姿を想像しただけで嬉しくなりますよね。

話を戻して。

マイケルは確かにアステアに敬意を表して、彼への全面的なトリビュートという意味で、先のメモでもわかる通りアステア主演の映画BAND WAGONからThe Girl Hunt Balletを随所に意識した衣装や演出、振付でSmooth Criminalを構成しています。

ですが、撮影の半年前、1986年7月にこのBAND WAGONの映画監督であったヴィンセント・ミネリが亡くなりました。
この映画監督の娘であるライザ・ミネリととても親交が深かったマイケルは、葬儀にも参列しています。

00_MJ_lee-minnelli-liza-minnelli-funeral.jpg
マイケル、ライザの義理の母・リー、ライザ


アステアのトリビュートとして、BAND WAGONを意識したマイケルが、その監督であり葬儀にも参列したヴィンセントへのオマージュとして、このSFを捧げようとしたならば、Criminalジャケットに追悼の意を表して黒の喪章をつけてもおかしくありません。
そして、洋の東西を問わず、喪章は左腕につけるものなのです。
ヴィンセントの娘であるライザは(ライザの母は若くして亡くなったジュディ・ガーランドです。後にマイケルのDANGEROUSダンスコンセプトに影響を与えたといわれている彼女の「Get Happy」。The Way You Make Me FeelのBoom!ポーズも出てきます)、マイケルにとってエリザベス・テイラーと並んで親友と呼べるほどの仲なのはご存じのとおり。

00_elizabet_taylor_michael_jackson_625_jlp.jpeg
しかしこれほど3者三様に目線が違うショットって言うのもww 自由だよなーみんなw

その親友のお父様であり、さらには敬愛するアステアの魅力をスクリーン上に存分に引き出した偉大な映画監督であったヴィンセントに、最大限の弔意を表したかった、その気持ちが本来親族しか巻かない喪章をつけた衣装で臨もうとした事に表れているように思えます。

ですが結局、いくらなんでも喪章はちょっと、ということで、衣装のアクセントとしての腕章に変わったのではないかなと。
彼の「子供たちを守る決意の表れ」とされている右腕の腕章。
確かにそういう意味合いもあるでしょうけれど、おそらく最初に彼の頭に浮かんだイメージの元になったのは、先人への純粋な追悼の気持ちだったのではないかと、Criminal Jacketメモを見てひとりガッテンガッテンしたりしたのでした^^


それにしても

get my Kenny Shoes Now To Break them in
ケニーシューズを今から穿きならすこと



このKennyが全く謎で。
マイケルといえばpenny loafers(ペニーローファー)。
まさかPennyとKenny間違えた?てことはないか、やっぱりw

踊りやすさで愛用された靴は、有名どころでは
Florsheim(フローシェイム)のFlorsheim Como
BASS(バス)のWeejuns
SEBAGO(セバゴ)SEBAGO Loafer

80年代はおもにBASSのウィージャンズを愛用していたようですね。
こちらの公式HPでも1984年「We Are The World」録音時に着用、と書いてあります。
00_1984_Wearetheworld_Bass.jpg


SEBAGOも早い時期から穿いていたようですが、2001年の30TH Anniversary Celebrationでも着用。
00_MJ_30TH_shoes_SEBAGO.jpg
Rock my world, Billie Jean と読めるので、この2曲のパフォーマンスで穿いたのでしょうか(単純に考えすぎ?)

同じ日のリハーサルでは、Florsheimを穿いているのですけどね・・
00_MJShoes1.jpg
MSG(マジソンスクエアガーデン)Rehearsalと書かれています。おそらくこれは衣装のBush氏が書いたもの。マイケルのサインは本物。

Florsheimは完全にレギュラーポジションだったようですね。
特にHIStory期はOnもOffもたいがいここの。
お馴染みのこちらもFlorsheim
00_MJ_1995MTV_Floresheim_lot12382.jpg

00_june-27-1999-concert-mj-friends.jpg
この靴の初めてのお目見えは、伝説のDANGEROUSパフォーマンスの1995年のMTV Video Music Awards。その後1999年のMichael Jackson and Friends charity show(韓国・ドイツ)でも活躍。

でも黒のローファーってほとんど同じに見えるので、例の「My Kenny Shoes」がどこのものかは、実際マイケルの穿いているのを無理くり脱がせてタグを見なければわからないw
あれやこれやと手を変え品を変え調べていたのですが、結局挫折して謎のままです。
どこのものか、なんて、まあ興味ない人にはどっちゃでもいい話なんですが、常に最高のパフォーマンスをしたい彼と靴の関係は、安心して身をゆだねることのできる最良のダンスパートナーとも言えますので、わざわざ決意表明のように「今から穿きこなして」なんて書くほど、完璧なコンディションで本番を迎えようとしていた彼の意気込みが投影されたローファーって、どんなのだったのかなと興味津々なんですね、わたしw

ご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたいです^^


こんな風に1枚のメモから、Kenny Shoesを探せ!的に、やたら靴ばっかり調べていたわたしなのですが。

検索が下手なのか手がかりが何にもヒットしないことから、もーいーや・・と挫折していた時に、ひょんなことからSmooth Criminalとは全く関係ない1足の靴を見つけました。
初めはお目当ての目的からはずれた靴なので、「ふうん・・」といった印象しかなかったのですが、ところがどっこい。
この何の気なしに知った靴から、実はさらにマイケルの
"Study the greats and Become greater"ぶりを、イヤというほど見せつけられてしまうことになるのですが・・


長くなりました。

続きます。

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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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