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Jacksons and Daniels - MichaelとJeffreyのお話

はじめに
通常のコメント欄ではなく拍手コメントから非公開で励みになるお言葉を下さった方々へ
いつもお礼がしたいのに、拍手コメントのシステム上お返事ができないので、ストレスMAXでしたw
ここで一気にお礼を述べさせてもらいます。

TTAGHさん アーニャさん オリエルさん あまんださん リタさん らぶうさん konokoさん(他に漏れてる人いないかな・・心配><)

本当にありがとうございます!
共感していただけて嬉しいです。
自分が想う素敵マイケルを書きたい気持ちがなくなるまでは、ほそぼそと綴っていきたいと思っていますので、今後もどうぞよろしくお願いいたします^^


あー、すっきりしたw

でもって、タイトル見てジェフリーはもういい、とか言わないでねw
Study the greats and Become greaterシリーズの中では、もうさすがに書ききれなかったのだけど、ジェフリーがマイケルについて語ってくれた言葉を、どうしても書きたいの(書けば?ってね、そうねそうよねくすん)


DDD(2010年10月号)誌のインタビューでおそらく1995~1997年頃の話だと思います。
なぜなら途中でディズニーアニメのトイ・ストーリーの話が出てくるのですが、アメリカの公開が95年で、彼らの会話の内容から察するに、公開から少し経っているような感じだったので。
ジェフリーはMJJプロダクションのレコードレーベル(甥っ子3Tがこのレーベルでデビューしていますよね)のコンサルタントになった95年から97年頃まで、Ghostsに関わったりマイケルと一緒にブラジル(TDCAU撮影?て、誰に聞いてるんだYOw)、ドイツ、イギリス(これはHIStory tour?だから誰に聞いてるんだっつーw)に同行したと語っています。


DDD誌 2010年10月号インタビューより一部抜粋 --------------------

マイケルの住んでいたネバーランド牧場に招待され、10日ほど滞在していた日々は私にとって生涯忘れることのできない大切な思い出です。
ある日、マイケルが部屋に私を呼んで、「Jeffrey, Have you already watched Toy Story? ジェフリー、「トイ・ストーリー」はもう観た?」って聞くのです。
実はすでに観ていたのですが、私は嘘をつきました。
「ううん、まだなんだ」「Ok, then let's go to see it. It's on now! じゃあ、映画館で今やっているから観に行こうよ!」
ネバーランドには大きな映画館もありましたからね。
私たちは敷地の中をゴルフカートで移動していました。
私が選んだのは「バットマン」のロゴが描かれたカートです。
マイケルのカートにはカバーがかけられていました。

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こんなんかな~^^


ある夜、マイケルが「Let's walk. no golf carts. 今夜はゴルフカートをやめて2人で歩かない?」と言いました。
月の美しい夜でした。
それで2人で散歩をしたのです。
プールわきを通り、ゲームセンターも通り過ぎた時、芝生の上にシカが歩いているのを見つけました。
「ヘイ、マイケル!シカがいるよ!」「Yeah, they always come out and play. 彼らはしょっちゅう遊びにくるんだ」って。
その夜は本当に長い時間、いろいろな事、子供時代のことや結婚観、人生について話しました。

彼と一緒に撮った写真や映像がないのは残念ですが、彼との思い出はすべて私の心に残っています。
私は彼といる時、カメラやビデオを取り出したことはありません。
何故なら、いつでも彼にリラックスしてもらいたかったからです。
誰かが彼の前でカメラを出したりすると、彼は1人の人間ではなく「マイケル・ジャクソン」という名前のエンターテイナーにならなければなりませんから。

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私はマイケルをスターとして特別に扱ったりはしませんでした。
彼と一緒に働いていた時は彼が私のボスになるわけですが、その時でさえも一対一の人間同士の付き合い方です。
私は彼に対しても他のダンスブラザー達とまったく同じように接していたのです。
マイケル自身も私のそのような接し方に感謝してくれているようでした。
マイケルとわたしの関係が長く続いたのもこのような理由があるからかもしれません。

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ジェフリーが「マイケルと一緒に居る時に写真を撮ったりはしなかった」と話す通り、本当に彼ら二人の写真は少ない、というかほとんどない。
BADの12インチシングルのジャケット写真が唯一公式な雰囲気の写真です。

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DDD誌に載っていたおそらくマイケルのネバーランドのダンススタジオで、ふたりおそろいのフェドラをかぶって踊っている写真は、ネット上では見つけることができませんでした。

以前、レジェンドさんのサイトで読ませていただいた、95年にネバーランドで催された「第2回 世界子供会議」にラッキーなことに参加できたファンの親子さんのレポートを思い出しました。

初めはお子さんより興奮して嬉しさを抑えきれないママ(わかるw)でしたが、徐々にネバーランドが存在する本当の目的を知るうちに考え方が変わってきます。
子供らしく楽しむことが様々な事情でできない子供たちや、恵まれない弱い立場にいる人たちのためを一番に考えて設計され、彼らが心底リラックスして過ごせるよう考え抜かれた施設やルール、そして彼らの楽しみをサポートしてくれるプロフェッショナルな教育を受けた一流スタッフたち・・それらに触れているうちに、ママさんは、「大好きなマイケルに一目会いたい」とか「ネバーランドを訪れた記念になるものを何でもいいから持ち帰りたい」といった、ファンであればどうしても感じてしまう欲望よりも、マイケルの心や高い志を理解したい気持ちの方が大きくなっていきます。

そしてお子さんに教えられるママさん。

「マイケルはね、スターマイケル・ジャクソンじゃなくて人間マイケル・ジャクソンとして接して欲しいんだって。
だからね、キャーとかサインしてとか 大きな声を出しちゃいけないの。
走り寄ったりプレゼントを渡しちゃあダメなんだよ。 わかった? お母さん。」
「ハイ」
「日本に帰って友達や周りの人に話す時、マイケルの顔がああで 声がこうでという事は二の次なんだよ。
マイケルってこんな人なんだよって、彼の優しさ・心の広さ・人間的に素晴らしいって事を伝えるのが、私達の使命だからね。」←いい子!この子いい子ー!
Source:Legend Of MOONWALK (会員体験レポート【 第2回 世界子供会議に参加して 】)

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マイケルにとって当時のネバーランドは、多くの人に門戸を広げた癒しのテーマパークでもありましたけれど、彼の願いや希望、想いのたけをすべて体現させた場所でもあり、くつろげる自宅でもありましたから・・

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ここで普通にすれ違われることが、彼にとってはなによりの安らぎで
どこを歩いていようが、何をしてようが、誰にも注目されず指も指されず、カメラを向けられることもない、そんな普通の人なら極めて普通の状態が、彼にも許された唯一の場所

だ、だめだ泣けてくる(/_;)


ま、そういうことで、(すばやく切り替え!w)ジェフリーはマイケルにきちんと礼儀を尽くして接していたわけですね。
マイケルが類いまれない才能を持ったまばゆい存在であることを承知の上で、でもお互い一対一の人間同士の付き合い方をする。
普通に考えれば当たり前なのでしょうけれど・・。



実際のところ、その後ジェフリーは日本へ拠点を移したせいもあり、マイケルとゆっくり会うことはなくなり、たまに電話で連絡をとる関係だったそうです。
2006年にアイルランドにいたマイケルに、ロンドンから電話をかけて近況を報告しあったのが、ゆっくり話した最後だったそう。

ですが、ジェフリーは2008年にイギリスの雑誌のインタビューで、マイケルの擁護と同時にメディア批判をしています。
イギリスのタブロイド(SUN)に端を発し、メディア全体で使われるようになってしまったあの失礼な呼び名で彼が呼ばれることと、罪もない彼に対するいまだ尾を引いていた冷淡な扱われ方についてです。

イギリスのメディアはいまだにその呼び名を使うことがあって、そんな時は本当に心から落胆させられます。
彼らの言い分は「親しみを込めて」なんだそうですが、勝手な言い訳にしか聞こえませんし、当然のことながらマイケルは決してそれを容認せず生涯嫌っていた呼び名です。


■20/20 Interview with Barbara Walters(1997)

You should not say, “He’s ‘Jacko’.”
I’m not a ‘Jacko’. I’m Jackson.

あなた方メディアは「彼はジャッコだ」などと言うべきではありません。
僕はジャッコではないのです。僕はジャクソンです。

‘Wacko Jacko’… where’d that come from? Some English tabloid.
I have a heart and I have feelings.
I feel that when you do that to me. It’s not nice.
Don’t do it. I’m not a ‘wacko’!

Wacko Jacko・・なんてどこからきたのでしょう?イギリスのタブロイド雑誌ですね。
僕には心もあるし感情だって持っています。
そんなことを言われたら思いますよ。とても不愉快だって。
その呼び名はやめてください。僕は「変人」なんかじゃないんです。


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■TV-Guide "The man in the mirror" Interview (2001)

Q:世間では‘Wacko Jacko’と呼ばれていますね

But that’s not nice. They do that because they’re jealous.
I haven’t done anything.
I go to hospitals and orphanages. And we take huge bags of toys. I spend thousands of dollars.
What’s wacko about that?

どうかと思います。彼らは嫉妬しているからそんな風に言うのでしょう。
僕は(そんな風に言われることなど)何もしていません。
病院や孤児院へ行くんです。おもちゃでいっぱいの大きな袋を持ってね。数千ドル使って。
そのことがどう変わっているというのでしょう?




■ジェフリー 2008年5月10日インタビューより一部抜粋 (source:The VOICE)

ジェフリー・ダニエル(この人は今週、ロンドンでパフォーミングした)は、「ジャクソンがWacko・Jackoのレッテルを貼られるようなことには全く値しないし、児童虐待者のように描かれるべきではない」とThe Voiceに語りました。
ジャクソンは、過去に、2つの児童性的虐待主張および裁判に直面しました。
彼はすべての容疑に対し無罪と宣告されました。
ダニエルは、多発性硬化症、癌および他の末期疾患で死ぬ恵まれない子どものために、ジャクソンがした沢山の親切な行いを見てきたと言いました。

「私はNeverlandに滞在して、そこにあったものを見た。
そこに滞在していた子供たちにも会っているんだ。
(メディアが云うようなことは)全く納得できない。意味不明だ。
私が知っている限り、彼はその種の人間なんかじゃない

マイケルは何も言わないが、私は、彼がどんなことをしてきたかを見てきたんだ。
彼の最大の罪は彼の博愛主義と謙虚さだ。それが彼にとって裏目に出てしまった。
あいつらは彼の後にまとわりついていた奴らなんだ。

彼はもっと早くにガードを固くするべきだったのにそうしなかった・・オープンで寛大な人間であるがゆえにこんなことに・・本当に気の毒に思うよ。

有罪判決を下されて刑務所にいるリハビリ中の人々に対しては、メディアがとても寛容というのはおかしくないか?
なのに無罪判決をうけた人には、こんなふうにネガティブに描くなんてあまりにも不当だと思う。


<中略>

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ダニエルは、人々がマイケル・ジャクソンをムーンウォークの生みの親だとして賞賛することに対して、自分が無視されただなんて思っていないと言いました。
問題についてのインターネット討論に関して、ダニエルは次のように言いました。

「それはファン同士の問題だよ。
マイケル・ジャクソンと僕には、お互いへの愛情と尊敬しか持っていない。
マイケルは僕のダンスブラザーズのひとりなんだ
から、マイケルのダンスの功績によって、僕がないがしろにされたなんて一切感じた事ないよ。」

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・・泣ける(/_;)


1955年8月24日生まれ。
マイケルと3年と5日違い。

お姉さんしかいないジェフリーは、マイケルのことを時に弟のように思っていたそうです。

生まれた時にすでに両親は離婚していたため、お父さんを知らずに育ったジェフリー。
お母さんは教会でピアノを弾く仕事で一生懸命一家を養います。
貧しかったけれど、歌とダンスが得意だった母と姉の影響で、彼も教会の聖歌隊で歌い、独学でダンスを始めるようになるのです。

母が元気な間は、父の存在はほとんど頭になかったジェフリーでしたが、2005年に最愛のお母さんを亡くしてしばらくたった頃、「自分はいったい何者なんだろう」と、自分の中に流れる「ダニエル」というルーツについて考えるようになったといいます。

その後、生まれてから一度も逢ったことのなかった父に逢い、はじめて自分のルーツ、自分の血脈の歴史を知ります。


彼ははるかはるか遠い昔に、自分の祖先が奴隷船に詰め込まれて、アフリカから海を渡って連れてこられた見知らぬ土地で、歯を食いしばり苦難と逆境と失意の中で闘い、いつか自分たちの子孫が自分たちのように苦しまなくてもいい時代が来ることを夢見て祈り続けて耐え忍んだ、その長い歴史に思いを馳せた時、いつの日かアフリカに、祖先たちが帰りたくても二度と帰ることのかなわなかった祖国に根差し、アフリカの芸能に自分が役立てるように尽力したいと願っていたそうです。

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アメリカンアイドルならぬナイジェリアンアイドルの審査員してまーす^^

現在彼が熱心に行っているナイジェリアのエンタメ界を盛り上げる活動。
直接のきっかけは別にありますが、この父親との邂逅で自らのリアルなルーツを知ったことも、そこにつながる大きな要因の一つだったのではないかと思います。

そして、同時にその時、父親の家系の中で、にわかに信じられないほどの驚くべき話を聞くのです。

ジェフリーは「ダニエル」という一族の歴史を、自分の祖父や祖母らのことを、父親が母とどのように巡り合ったか、など色々な家族の歴史を父親から教えられます。

そこで知ることになる事実。

自分のダニエル家とジャクソン家という一族の繋がりでした。
父が話してくれた手がかりは、ジェフリー本人にしてもあまりに情報不足で、でも一度マイケルに確かめずにはいられなかったそうです。

Michael , do you have any grandmother named Crystal Jackson ?
マイケル、君のおばあさんに「クリスタル・ジャクソン」という名前の人はいるかい?

How did you know?
どうしてわかったの?



ジェフリーは父親から家系図を見せられて確信したそうです。
自分とマイケルが親戚だということを。
ダンスを教えたり、仕事を一緒にしたり、という以上に深いつながりが自分たちにはあったということを。

そんなこと何も知らずに、何年もの間マイケルと一緒に過ごしていたのだと。

結局マイケルとこの話をしっかり話し合ったことはなかったそうですが、ジャメイン、マーロン、リビーとは話をしたそうです。

Source:Jeffrey Daniel…The dance machine’s hooked on Nigeria

マイケルの父であるジョーのお父さんが Samuel サミュエル。
お母さん、つまりマイケルの祖母がクリスタル Crystal Lee King(Jackson)。(クリスタル・キングっていっても「大都会」や「北斗の拳」は今関係ないからw)

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Samuel Jackson and Crystal Lee King

ジョーの著書(息子マイケル・ジャクソンへ)によると、結成したばかりのジャクソン5でボンゴを必死に叩く幼いマイケルの歌の才能をいち早く認め、「マイケルに歌わせてみなさい」とジョーに勧めたのが、このクリスタルおばあちゃんだったとか。

サミュエルの祖父は先住民族チョクトー族の出身でした。
奴隷階級の美しい娘と恋におちて子供をもうけます。
その子供がマイケルの曽祖父となるのですが、ネイティブ・アメリカンとアフリカからの血がここで混ざるわけですね。

クリスタルの場合も多人種が融合された血筋です。
彼女の祖母にあたる女性が、Mattie Daniel マッティ・ダニエル。
彼女の母は大きな農場主の娘で白人でしたが、当時絶対的なタブーであった奴隷の立場である黒人男性の子供を身ごもり、そうして生まれたのがマッティでした。
烈火のごとく怒った農場主は、マッティを孫とは認めず別の黒人家庭へ養子に出してしまいます。

奴隷の子供は奴隷。
それが当たり前の時代に、彼女は苦難を強いられながら2度の結婚を通じて17人の子供を授かります。
そのうちの一人がGertrude ガートルード(マイケルの曾祖母)。
彼女も子供を13人もうけます。そのひとりがクリスタルでした。

ちなみにマイケルに関して言えば、Joe(父方)のルーツだけでも、アフリカはもとよりチョクトーインディアンの血も白人の血も含まれる、本当に多様な人種のDNAの上に成り立ったブラック・アメリカンだというわけですね。
彼のこの多人種の血筋からあらためてわかることがたくさんあって、このままそのお話に行きたい欲望もあるにはあるのですが、それだとまたもやぐだぐだになることが目に見えていますので(笑)、また別の機会に書きたいと思います。

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ジェフリーに戻ると。

ダニエルと言う姓からわかるように、マイケルがボーカルをとるきっかけを作ってくれたクリスタルおばあちゃんの祖母にあたる、このマッティ・ダニエルという女性からクリスタルにつながる世代・・
クリスタルの名前がキーワードになったことから、彼女の12人の兄弟から派生した家系がジェフリーのダニエル家だったのかもしれないですね。
いやー・・ジェフリーも驚いたかもしれませんが、わたしも驚きましたよ(関係ないですけどw)

ジェフリーがマイケルを弟のように感じたのは、あながち自分に男兄弟がいないから、というだけではなく、なんていうか血のつながりを無意識に感じたからかな。

この事を知って、やっぱりどうしてもジェフリーのことは書いておきたいと強く思ったんですよね。


マイケルに関わり、彼を大切に思っていた人は多いと思うけれど、ジェフリーも間違いなくマイケルとの関わりを自分の人生の中で大切に思っているひとりだと思います。


ジェフリーは自身のホームページに、「Thank you 感謝をささげる」として、家族やシャラマーのメンバーをはじめ、色々な人を挙げています。
Special Peopleとして、自分のダンスに多大な影響を与えたロッキングの父、偉大なるロッカー、ドン・キャンベルや触発されて刺激を受けたであろう、ポッピングの創始者、ポッパーのブガルー・サム・・
ジャネット、ランディ、マーロン、ラトーヤ、Babyfaceやポール・マッカートニー、寛斎さんやコシノミチコさんの名前もあります。
北海道に住んでいた時ラジオのDJもしていたようで、ちゃんと札幌のFM局の名前までありました^^
もちろんマイケルもいます。

でもまた涙腺がじんわりしたのは、マイケルがもうひとつのカテゴリー内にいるのを見たから。

それは My Dance Brothers

僕のダンスブラザー


冗談とダンスの好きなどこにでもいる普通のブラザーとして付き合った長い年月。

同じ遺伝子を分け合い、同じルーツにつながる弟のような存在。


Thank you ページに、ジェフリーのマイケルへの思いが込められたメッセージも綴られていました。

訳しているうちに泣けて仕方なかった。

ジェフリーはマイケルが「MJ」を守らねばならないこともわかっていたし
でも普段はただのマイケルでいたいのもわかっていたし

彼らの結びつきの中には、ムーンウォークを誰が始めたのだの、誰に教わっただの、クレジットする、しないの是非などは全く問題ではなくて、お互いに「いい奴」で「Good Dance Brother」で、それで十分だったことが
少なくともジェフリーはそうだったことがわかります。

BAD25ドキュメンタリーでジェフリーを見て、彼のいろいろを思い出して、あらためて調べてよかったと思ってます。
こうして紹介できたこともよかったと思います。

必要以上に飾り立てることなく、純朴に・・ぽつぽつと語っているような、ジェフリーのマイケルへの想いを転載させていただいて、今日はお別れです。

いつも長くてすみません。

それでは。



From the official website of Jeffrey Daniel (Shalamar)

Dear friends

親愛なる友よ
君への感謝と、君を失って悲嘆にくれる涙を流しながら、どうこのメッセージを書けばいいのか・・

感謝からこみあげる涙、それはマイケル・ジョセフ・ジャクソンが僕らに長年にわたって与えてくれた・・彼の天使のように美しい歌声と、たぐいまれないパフォーマンスに対する涙です。

世界は真に特別な魂を失ってしまいました。
もうこの世界には、マイケル・ジャクソンのような魂はどこにもいないのです。

このショックと悲しみを乗り越える方法として、君はすでにもう、はるか高みに上り、天上の父なる神に「息子よ、よくやった」と迎え入れられているのだと思うことにしているよ。

僕が君のキャリアの一端を担う一員になれたことを誇りに思います。
そして君が僕のダンスブラザーでいてくれた事を、本当に光栄に思っています。

優しく思いやりのある人間である君と一緒に働く幸運に恵まれた、沢山のミュージシャン、ダンサー、ディレクター、シンガーたちと同じように、僕を信頼して作品に参加させてくれた君に、僕はどんなに感謝しても足りないぐらいです。

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Michael Jackson and Jeffrey Daniel at their private lesson (Source: DDD Magazine Oct 2010)

どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください。
彼は、彼の芸術と愛で僕たちみんなを癒やそうとすることにとても大きな役割を果たしたのです。
マイケルを育て、彼を世界と分かち合った、その最愛の彼を失って嘆き悲しむ彼の両親や家族が強くいられるよう祈りましょう。

このことは僕の人生の中でも最悪なことのひとつだけれど、神の慈悲で何とか心を強く持とうとしています。
僕らの愛するマイケル・ジョセフ・ジャクソンの美しい魂に神のご加護を。
どうか彼のために、彼の家族、ことさら彼の愛する子供たちのために祈ってください。

Love, Jeffrey Daniel
愛を込めて ジェフリー・ダニエル


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Please listen to his songs and reflect on his influence on your life and this world.
どうか彼の歌に耳を傾けて、この世界や自分の人生に、彼が及ぼした影響をじっくりと考えてみてください



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Study the greats and Become greater その6

マイケルとジェフリーの最初のダンスレッスンは、1980年から83年まで続きます。
その間、マイケルはThrillerを出し、モータウン25でムーンウォークを披露し、ある意味一区切りといったタイミングで、ジェフリー自身もシャラマーを脱退し、自分の世界を広げるためにイギリスへ移ったことで一旦このレッスンは終わります。

その後1986年にジェフリーがアメリカへ戻り、彼らの関係は再び繋がります。
Beat Itのバックダンサーにも参加していた(これは知らなかった!)ジェフリーを見込んで、マイケルが当時「シカゴナイツ」(実はSmooth Criminal)というプロジェクトの話をしてきて、「Are you interested in working with me on this project? 僕と一緒に仕事をすることに興味はある?」と聞かれたことが、正式なコレオグラファーとしてのオファーとなったのだそうです。

マイケルからBADのためのダンサーオーディションを頼まれたジェフリーは、仲間のキャスパーとともにNYへ飛び、2日間でダンサーを選び、すぐに撮影に入らなければならないというバタバタの日々を過ごすことになります。
その切羽詰まった振付風景はマイケルのプライベートホームムービーでもお馴染みでした^^

Michael Jackson Private Home Movies Part 4 へGO!
振付の模様は 4:31~4:47です。
二人のEOファン、もといジェフリーとキャスパー映ってます^^

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MJ: This is at rehearsal at the MC Palace(ヘルムズレイパレスホテル:現在はニューヨークパレスホテル), choreographing it
これはMCパレスでのリハーサル、振付してる んふふふふ!
(なにがおかしいw)

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BAD Michael: Once we get inside we go BAMBAMBAMBAMBAM! We gotta hold that a while
一度中に入ってから行こう、バンバンバンバン!で、しばらくそのまま。


MJ: We had two days to choreograph. I love that pressure.
振付けするのに2日しかなかった。僕はそんなプレッシャーは大好きだ


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BAD Michael: It’s gotta be more tense!
ここはもっと張りつめなきゃ!
 キャスパーうんうんうなずく^^


力みすぎて血管きれないか心配w

と、こんな感じで振付を一緒に考え、もう一人のコレオグラファーであるグレッグ・バージと現場で手直しをしながら作られたBADのダンスだったのですね。

00_MJ_Jefrey2.jpg
そーなんだよー!!うおー!

再びDDDインタビューより抜粋
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Q:撮影は楽しかったですか

それはもう、これまでに経験したことがないほど楽しい撮影でした。
とにかく撮影中は面白いことばかりでした。
マイケルとわたしはしょっちゅう、何かにつけて笑いあっていました。
誰かが転んだり、何かちょっとしたことがあるたびに、マイケルが「Did you see that? 今の見た?」っていう合図を私に送って、お互いに笑い合うんです。
でも私たち以外の人はどうして私たちが笑っているのか理解していません。
演技に集中してもらうため、マイケルは決して他のダンサーの前で冗談を言ったりしませんでしたから。
でも私たちだけは他のみんなに気づかれないように笑い合っていましたね。
マイケルが私のことをこういう風に(真似をしながら)見ているのがわかるのです。
彼とうっかり目を合わせると、お互いに吹き出してしまうので、目を合わせないように必死にこらえていました。

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付き合い始めの初々しいカップルが、自分たちだけの合図やサインでくすくす笑いあう・・みたいでいーなーいーなーいーなー\(^o^)/

1986年12月までBADの撮影をし、翌年2月にSmooth Criminalの撮影に入ります。
マイケルからずっと「シカゴナイツ」というプロジェクトだと信じ込まされていたジェフリーは、撮影中もSmooth Criminalだと知らずに「シカゴナイツ」の撮影だと思っていたそうです。
情報が漏れることを恐れたマイケルの、「敵をあざむくならまず味方から戦法」にまんまとはまったようですw

有名なアンチ・グラヴィティの動きもジェフリーのアイデアだったそう。
彼は1984年にポール・マッカートニーの映画(Give My regards to Broad Street)に出演していますが、その際映画の中であの傾く動きを取り入れています。

Silly Love Songs - PAUL McCARTNEY


映画の中、懐かしいポールのSilly love Songsにのせて、ジェフリーがアンチ・グラヴィティっぽい動きをするのは、3:41~3:59あたり。(最後らへんで妙につつつつーという感じのバックスライドもやってますw)

アンチ・グラヴィティの動き自体はチャップリンら無声映画時代からある動きだったようですが、ジェフリーはマイケルに「まだ誰もグループでこの動きをやったことはないから試してみようよ、何人かで集まってこの動きをやったら、きっと面白くなると思うよ!」と進言したそうです。
そのアイデアが取り入れられて、今となってはSmooth Criminalの代名詞ともなったアンチ・グラヴィティ。
さすがジェフリー、マイケル以外のダンサーの中では一番深く倒れていますw

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や、どーもどーもごぶさたしてます


SF撮影時はピアノ線を使っていたようですが、あとから実際にライブで行うための、あの靴の仕掛けは紛れもなく本当に誰もやったことがなかった、それこそマイケルの特許ものだったという訳です。


彼らの繋がりは、その後も続きます。
1995年にマイケルのMJJプロダクションのレコードレーベルが発足した際、ジェフリーはコンサルタントとして参加したそうです。
その流れもあり、GhostsのSFでも振付顧問としてクレジットされています。

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同じ顧問には、キャプテンEOでダンサーとして、振付にも参加した、元エレクトリックブガルーズのポッピン・タコことBruno Falconもいますね。
彼もマイケルのダンスに多大な貢献をした一人です。

興味深いのは、そのGhostsのエンドロールでダンサーとして多くの名前がクレジットされていますが、それとは一線を画すかのように一部のダンサーたちは別枠でクレジットされているということ。

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Poppersとしてはポッピングというスタイルを確立させたエレクトリック・ブガルーズのブガルー・サムとポッピン・ピートのソロモン兄弟ら。
Rockersとしては、ロッキングというスタイルの創始者であるドン・キャンベルら。

彼らもGhostsに参加していたのですね。
ユーコさんやトラヴィスでさえ探すのが面倒なのにむずかしいのに、誰がここに出ている、なんてもう絶対無理無理w

このシリーズ(その4)や過去にも何回も書いてることですが、マイケルのダンススタイルには、本当に数多くのダンサーたちの動きが取り入れられていますよね。
当時LAスタイルと呼ばれたポッピング、ロッキング等々の新しい動きをいち早く取り入れた、あるいは創りだしたダンスを愛するダンサーたち。
ジェフリー自身も、昔からある動きとはいえ、新しいスタイルとしてバックスライドを行っていたエレクトリック・ブガルーズにインスパイヤされたと認めていますし、多くのダンサーがそれぞれの動きに触発され、さらに磨きをかけ、切磋琢磨していた時代。

マイケルは元々自分のスタイルとして、アステアはじめとする彼の憧れのエンターテイナー達の踊りを自分の感性やセンスで創りあげた自分流のダンスに融合させていたわけですが、まさに1970年代の後半から新しいダンスの潮流を感じて、それらの達人たちを振付師やダンサーとして招いて一緒に踊ることで、さらに踊りに磨きをかけていったのだと思います。
ThrillerやキャプテンEOを経て、BAD、Smooth Criminal、そのほか数多くの曲を踊る過程の中に、関わってくれた新しいダンスの先人的役割を果たしたダンサーたち。

マイケルは自分のダンスが飛躍するための重要なファクターを、関わりの程度の差こそあれ先人的な彼らから得たことを、きちんと伝えたかったのかもしれません。
だからこそのDancer枠ではなく、彼らはポッピングの達人、ポッパーであり、ロッキングを確立したロッカーだとあえて。
マイケルはダンスに愛情と敬意をいつも持っていた、とタップのドーメシアも語っていました。
このクレジットが、マイケルの彼らへの感謝と敬意の気持ちの表れなのではないかなと感じました。
(たいした意味はなかったかもしれないし、単なる勘なんですが)

これもある意味、マイケルの Study the greats and Become greater を表しているように思えてしまいます。

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専門的な意見を書き込む掲示板で、キャプテンEOの頃はあきらかに後で踊るポッピン・タコたちエレクトリック・ブガルーズのメンバーよりポッピングの技術は劣るのに、数年後には専門的なダンサーに引けを取らないほどすごくなっている、という書き込みを見ました。

そこが高みの追及を決してやめない、彼らしいところではないかと。
研究して学んで、成長したい、そしてさらにはそれ以上の革新を成し遂げたいという強い気持ち。

「彼はそれらの動きを自分のものにし、さらに発展させていったのです」
と、ジェフリーも言っている通り、これこそがマイケルをマイケル・ジャクソンたらしめる理由。

その先の革新へと、限界を設けずに進む。
あるひとつのダンスの動きでは、マイケルよりも素晴らしい技術を持つ人はそれこそごまんといるのでしょうが、なぜかマイケルには「上手い」を通り越して惹きつける「何か」があるんですよね。
理屈ではない「マイケル・ジャクソン」というスタイルだと言わしめるものが。


これまた別のジェフリーのインタビューから一部(source:Bad Choreographer Remembers Michael Jackson

彼は色々な事を、色々な人から取り出すんだ・・
サミー・デイビスJr.から、エルヴィスからほんの少し、ジェームズ・ブラウンからも少々、ボブ・フォッシーからいくつか、フレッド・アステアからも、そしてストリートで起こっていることからもね。
そうしてそれらを組み合わせるんだ。全部を混ぜ合わせるんだよ

-----------------------------

マイケルと接した本当に多くの人たちが同じように言いますね。
スポンジのように吸収して自分のものにしてしまうと。

彼の自然な優美さ、リズム感、そして自分が面白いと感じたところなら誰のものでもどこからでも、その考えや技術を吸収してしまう驚くべき柔軟性が、マイケル・ジャクソンスタイルを創りあげた。

彼はひとり、ネバーランドのダンススタジオで、尊敬すべき先人たちから影響されたものや、彼のアンテナが反応したもの・・それは幼い日に観た憧れの人のステージの記憶から、古いミュージカル映画から、タップから、ジャズから、バレエから、そしてストリートで生まれた新しいダンスからの動きを、黙々と研究し取り入れ、そして統合していったのですね。

学んで研究するまでは、誰でもできそうなことですが、絶妙なバランスで、さまざまなものをうまく調合する、というのは、実はなかなか難しい事ではないでしょうか。

マイケルは脅威的な独創性をもってそれを成し遂げた。
その努力の果てに完成されたものは完全なオリジル、マイケル・ジャクソンスタイルとなりました。

彼のこの、もはや自分の使命かのような信念は、ダンスのみならずマイケル・ジャクソンを物語る全ての分野を網羅するほど多岐にわたって貫かれました。

自然な呼吸と同じ感覚になるまで学び
自分を形作る細胞と同化するまで練習し

そのうえで、その先の境地へと、その先の高みへと手を伸ばし続けた人。

彼のその献身的な情熱は、崇高で美しく、だからこそ、その果てに彼から世に放たれた、彼の全身全霊をかけて創りだされた楽曲たちやパフォーマンス、ステージングや演出、そして映像作品たち・・
それらは、公正に評価されてしかるべきなのです。

BAD25の成功は、曇りのない目で見ればあきらかな、その作品たちの素晴らしさを再び世界中が認めた証なのでしょう。


By the talent given me by God
Training cultivating it.
Studying the greats in my field and becoming greater.
like a scientist searching persistent
confident to be the Best.
Study the greats and become greater.
Reach the Zenith of my ability as an actor singer dancer. M.J.

神から与えられた才能
それを耕すトレーニング
自分の分野の偉人から学んで、より大きくなること
根気よく研究する科学者のように
ベストである自信をもつ
素晴らしい先人から学び、彼らを超えること
俳優・シンガー・ダンサーとしての自分の能力の頂点に達する M.J.


すでにバカみたいに長くなってしまいました
最後はやはりジェフリーのDDDインタビューより抜粋させてもらってお別れします^^

-----------------------------------

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彼はナンバーワンになりたがっていた。
最高のアーティストになりたがっていたのです。
ナンバーワンになることが、彼の使命だとわかっていたのです。
彼は同世代のR&Bシンガーではなく、チャーリー・チャップリンやジェームス・ブラウン、サミー・デイヴィスJr.をリスペクトし、熱心に勉強していました。
彼の世代より前の偉大なエンターテイナー達をです。
彼自身が偉大なエンターテイナーになるためにです。

He studied great entertainer, so that he could become a great entertainer himself.


Study the greats and Become greater 掟破りのその5

本日何をどう間違ったのか、その6なるものが先にUPされちゃいまして、やだもう、その5だけでも掟破りなのに、今回も続きがあるわけ?っていうネタバレがすでになされてしまいました。
つーまーんーなーいーw

でもとにかくまたもや長い記事なんです。
途中でいやになったら、とっとと閉じちゃって風呂入って寝ちゃってくださーい(^_^)v


そもそもこのStudy the greats and Become greaterシリーズは、年末のBAD25ドキュメンタリー(邦題:BADのすべて)で、野心燃え盛るイケイケマイケルのステキお仕事の模様にうっとりしたところからスタートしたわけなのですが、書いている途中で、やっぱり何度も何度も録画を見直しているうちに、ある一人の登場人物のことを「だめじゃん、この人忘れてちゃ!」と思い、彼についてあらためて調べなおしていると、「あらやだ、こんなステキなものが」というのに出くわして、どうしてもこれ書いておかなくちゃ!と思ったのが、ちょうどシリーズその3ぐらいの時だったのですが、内容はすでにその4までできちゃってて、いくらなんでもここから「その書きたい事」を書くには、「長すぎるよなぁ」と思い直し、「ま、いーや、別のエントリーで書こう」と思ったにもかかわらず、どうしても書きたい内容がStudy the greats and Become greaterに絡みまくるもんで、とうとう「終わります」と言っておきながらのまさかの「その5」とあいなりました。
どーだ、この前置きの長さww

忘れちゃなんねえと思った人物とは、この方です。

00_MJ_Jeffrey-Bad2.jpg

Jeffrey Daniel

彼についてはもうご存知の通り。
マイケルにムーンウォークの元となったバックスライドを伝授したと言われる、BAD、Smooth Criminalのコレオグラファーですね。

00_MJ_Jeffrey-Daniels-Bad3.jpg
一番右の端っこにいますいます^^

んが、それだけではなく、彼は1970年代のアフリカンアメリカンの聖地、カリスマソウル番組ソウルトレインの専属ダンサーを経て、ドリカムの原型と言われている(言われてないYO!w)男性2人女性1人(Jody Watleyと Howard Hewett)のファンクでソウルなグループ・Shalamar(シャラマー)の一員にして、ピクサーアニメのカーズの原型と言われ(言われてないKA!w)あの川崎麻世が「新幹線ハシモト」(笑)としてローラースケートでぶいぶいいわせた、人間機関車ミュージカルである「Starlight Express:スターライトエクスプレス」初演に、未来の機関車エレクトラ役で抜擢され、新幹線麻世以上にぶいぶい滑りまくり(おっと、麻世とは競演していませんが)、その華麗なローラースケーティング姿に、あの泣く子も黙るジャニー喜多川が光GENJIに「YOU,滑っちゃいなよ」とローラースケートさせることを思いついたというもっぱらのウワサ(うそw でもジャニーさんとは本当にお友達らしいですw)なぐらい、素晴らしいキャリアの持ち主さんなんですね^^


シャラマーのBIG HITのうちのひとつはこちら。

A Night To Remember / Shalamar


大好きだった歌だよ~も~。
ジェフリーいるの知らなかったけど、当時から赤いバーテンダー好みだったから許してねw
FMでよく流れてて、Gonna make this a night to remember Get ready tonight♪ここだけよく歌ったです^^



ちなみに「Starlight Express」のエレクトラはこちら。
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さ、さすが・・未来の機関車なだけある・・w
この配色ですぐに思い出したわ
アメリカのお化けw
20100127021253697.jpg

こういうのいらない情報っていいますかそうですかw



ちなみのちなみにマイケルはロンドンで行われたこのショーを観に行ってますね。
バックヤードで出演者とも話したというから、DANGEROUSツアーの金フン構想はジェフリーの隣の彼女のハイレグを見てひらめいたというわけですね!(そうであったらなんか嬉しい・・けど違うw多分ww)


で、このエレクトラの子供の塗り絵的カラーセレクトの衣装ですが、でも白黒にするとどうです?

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あれ?ちょっとなんとなく・・似てないっすか?




この方のお召し物にw
00_MJ_Jefrey1.jpg
どうも中央デルタ地帯を盛り上げるのがお好きなようでw

すごーい似てるなぁと思って調べましたらば。
実はStarlight Expressの衣装デザイナーであるJohn Napierさんは、やはしキャプテンEOの衣装デザイナーでもあったのですね。(source:Wikipedia
どうりで似てるわけです^^


BADドキュメンタリーのアテレコではなんとなくちょい悪オヤジっぽく「俺が~だぜ!」と、杉ちゃんより正統派ワイルドさを醸し出していましたが、実際の彼はとても真面目な紳士で本当にいい人なんだそう。
でもわかる。
どうしてかっていうとね。
2010年大阪のスカイビルで行われたネバランコレクション。
わたしがバカみたいに通い詰めた、今から考えたらあれだけのスケールのマイケルゆかりの品々をほぼ3か月も展示し続けてくれた奇跡のようなイベント。

後半は主宰側が予定していた期間も、とてもステキなアイデアも、ことごとく大人の事情の障害にあってどうしても実現できずに、やむなく急に終了してしまいましたが、わたしは今でもとてもとても感謝しています。

夢のような日々でした。

中でも懐かしく思い出されるのは、マイケルのお誕生日に、みんなで祝おうイベントが行われて。
ユーコ・スミダ・ジャクソンさんのステージが目玉で、でも本当はもうひとりゲストが決まっていたのですが、直前にダメになって。
そのことを知って、たまたま主宰側の日本語上手な社長とお話しする機会があった時、わたしたちは自分たちも残念だけど、さぞ彼も残念がっているだろうと思っていたのですが、あにはからんや彼は満面の笑顔でこう言いました。
「ダァイジョ~ブダヨ~!モットexciting(ここはさすがにネイティブ発音w)ナguestガクルンダヨ~!ホントハナイショダケドトクベツニオシエテアゲルヨ~、ナント、Jeffrey Daniel(ここ、さらにネイティブ発音)ダヨ!アノJeffreyダァヨ~!!」
とても興奮している様子で。

わたしは当時そのジェフリーという人が、マイケルの振付師だという認識しかなかったため(勉強不足を今は呪う(/_;))社長の興奮度がストレートに伝わらず「へ、へ~」レベルのリアクションしかできずに若干申し訳なかったのですが、彼は気にせず「スッバラシイコトデショ~!ホントニレキシテキナコトダヨ~!」とひとりテンションはどこまでも高かったのでした。

そして当日、ジェフリーはやってきてくれて、「天国のマイケルにみんなでHappy Birthdayを歌おう!」といって、へぁぴぶぅぁすでぇいとぅうゆぅう♪と歌い出してくれて、そこに集まった何百人かのファンたちが空のマイケルに届けとばかり全員でHappy Birthdayを歌った時の、心震えるような感動は今も忘れません。

Happy Birthday Michael in Neverland Collection 2010


なんだかんだ英語で話していた彼が、急に日本語で、「ジャパン!ジカンハヤイデショ」って話した時、びっくりして、またまた、たまたまそばにいた例の社長に「彼日本語話せるの?」と聞いたら、そんなことも知らないのか?的な顔で「ソリャソ~~ダヨ~~!Jeffreyハオーサカニスンデタンダヨ~」と言われた時の衝撃!
ビリー・ザ・ブートキャンプのビリー隊長が同じ市に住んでいると聞いた時と同じぐらいの衝撃でしたw


その後、イベントでの彼の出番が終わり、例の社長が彼をエスコートするように彼の前を歩き、とても背が高くて長い足、なのに小さなキャリーをごろごろと引いて、足早にその場を去ろうとしているジェフリーを見かけたわたしは、下手くそな英語で「ミスターダニエル、さんきゅーそーまっち」とお声をかけました。
聞こえたのかこちらを見ながら彼は笑って(多分ね、グラサンしてたけど歯が見えたw)、手を振りながらてってけてーと歩いていきました。

その時に思いました。

きっといい人だって^^

おそらく急遽オファーを受けて、でもなんとかしてやってきてくれたんだと思います。

彼は、シャラマーで活躍していた頃、剣道を習うほどの親日家だったらしく、2000年初め頃日本に拠点を移し、その際北海道や大阪に居を構えていたそうで、特に大阪には長くいたそうです。
心斎橋界隈がお気に入りだったそうw
現在はロンドン、アメリカ、日本、アフリカをベースに活動されているということ。

2009年のユニクロ・カラーデニムCM(藤原紀香・大沢たかお出演)ではコレオグラファーとして参加、しかも最後には藤原さんとしっかり2ショットで映っています。

そのCMはこちらでご覧になれます。
0:31~1:01までがそのCM。(見たよこれ・・覚えているもん。知らなかったなー)

おしゃれさんのジェフリーは、1983年にヴィヴィアン・ウェストウッドのパリコレ、1984年には山本寛斎さんの東京コレクション、1985年にはミチコ・(コシノ)ロンドンのコレクションにモデルとして参加したそう。
BADの撮影の時に寛斎Tシャツ着てましたもんね^^

00_MJ_Jeffrey-Daniels-Bad4.jpg
これこれこれでーす

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僕だって負けちゃられないよ!でもジェフリーのと比べると一見韓国のパチもんに見えないでもない、やっつけ感ありありの寛斎ワッペンだね・・


なんだかジェフリーのことやけに詳しいじゃまいかって?
ふっふふふ。
ネタを明かすと、実は2010年に発売されたダンス専門誌「DDD」の10月号が1冊まるごとジェフリー特集で、それ読んでお勉強したからなんですのよ奥様^^

00_MJ_Jefrey_book1.jpg


もちろんマイケルとの話も巻頭から15ページほど割かれていて、なんだか途中で胸が熱くなって。
あのバースデーイベントの日、何にも知らないわたしが、「いい人なんだろうなー」と思ったイメージがそのままやっぱりいい人だったというのが、彼のマイケルに向けられた言葉の数々から感じられ。
なのでぜひそういう部分を知っていただきたいなと思ったので、レビューみたいな形でちょっとご紹介させていただきますね。

00_MJ_Jefrey_book2.jpg
左ページ上の黒いフェドラはマイケルからもらったものだそうです。これをかぶって一緒にダンスレッスンをしているネットでは探せない写真も載っていました。

大人気だったジャクソン5のことは、テレビで見てもちろん知っていて、学校でも「昨日のジャクソン5見た?かっこよかったなー」なんて話題にはしていたそうですが、実際ジェフリーがマイケルと言葉を交わすのは、1979年彼がシャラマーとしてデビューした後も、ダンサーとして出演していたソウルトレインの番組収録の時。
紹介された時マイケルは、シャラマーのヒット曲「Second Time Around」をいきなり歌ったそうで、ジェフリーはすでにマイケルが自分のことを知っていたことに感動したそうです。

マイケルが歌ってくれた「Second Time Around」はこちら
いかにも70年代衣装の、ステキなアフロのジェフリーにご注目^^


その後1980年に、ディズニーランドでシャラマーのライブを行った際、小さいジャネットを連れてマイケルがお忍びで観に来て、舞台袖からガン見されて、その後電話で正式にダンスを教えてとオファーがあったそうです。


※ここでちょっと脱線しますが(またかYOw)

マイケルにムーンウォークの元となるステップ、バックスライドを伝授したのがジェフリーであると言われていますが、調べた限りでは1980年当時ジェフリーと彼の仲間である Geron "Casper" Candidate、Derek "Cooley" Jacksonの3人からというのが正しいようです。
同じ時期に、マイケルのスタッフからキャスパーとデレクに連絡が入り、やはりソウルトレインで観た(ジェフリー・キャスパー・デレクら3人は番組内で1980年に披露しています)バックスライドを教えてくれとオファーがあったということです。
ここらへんは、昔からネット上で知る人ぞ知る論争だったようで、マイケルに教えた最初はキャスパー達だとか、別のダンスグループであるエレクトリック・ブガルーズのメンバーが最初だとか、喧々囂々と。
ああ、それとか、マイケルが真相を話さず「ゲットーで踊っていたkidsからさ」なんて著書やオプラのインタで話していることを非難する意見もありましたねぇ(苦笑)

これはわたしの推測ですが、当時新しいダンスの形であったポッピングやロッキングと呼ばれていたLAスタイルのダンスは、いわゆるレッスンで教えてもらうようなものではなく、ストリートやクラブなどで見様見真似からそれぞれ習得していくもので、それを天下のマイケル・ジャクソンが「ぼくダンス教えてもらってまーす」というのは、当時のMJイメージ戦略からすると、著しくイメージを損なう話に思えます。
それならば、いっそストリートで踊る子供に教えてもらった方が、いかにもマイケルらしいわけで。

バックスライド自体も遡れば、そのルーツとなる動きは1940年代頃からすでにあったわけで、そういう意味ではみんな誰かの真似をして、その動きが進化して、どこで革新的に新しくなるか、爆発的にウケるか、急激に認知されるかというだけの話だと思います。
ですから、実際マイケルは複数のダンサーたちにステップを見せてもらったり教えてもらったりという機会があったのではないかと思います。
ある一人の人物だけではなく、自分と関わる、それぞれの当時のいわゆる「アーバン・コンテンポラリー・ダンス」を踊るダンサー全員から、何かを真似て何かを盗み何かを吸収したのだと思います。

その中で、ジェフリーは長期間マイケルと一緒に過ごしたようですので、特にジェフリーのバックスライドを参考にした、というのが本当のところではないかと思ったりしました。



話を戻して。
マイケルのエンシノのおうちに通うようになったジェフリー。

ここよりDDD(dancedancedance)2010年10月号よりインタビュー部分一部抜粋
------------------------------------------

Q:何故、マイケルはあなたからダンスを学ぼうとしたのですか。

それは彼に聞いてください(笑)
私がその質問に正確に答えることはできませんが、おそらく彼が知らないことを私たちがすでにやっていたからかもしれませんし、バックスライドやボディ・ポッピングの動きに大変な興味を持って、それを覚えたいと思ったからかもしれません。
彼はすでにスターでしたから、気軽にクラブに出かけて行ってそのようなダンスを学ぶことなどできませんでした。
誰かが彼の家に行って教えるしかなかったのです。

彼は当時、私達がやっていたことと同じ事を試していました。
それは、ジェームズ・ブラウンの動きに当時LAで流行っていた違うタイプのダンスを取り入れることです。
マイケルはまだ若かったので、彼なりのやり方でやっていましたね。


Q:マイケルはあなたからどれくらい影響を受けたと思いますか

もちろん、マイケルは私が彼にダンスを教える前からすでに、自分自身のダンススタイルを持っていました。
ですから私が彼に影響を与えたとすれば、彼のダンススタイルを少しばかり開拓したというところでしょうか。
私の踊りを彼に見せ、一緒に踊ることで、彼は自然に次のレベルに進んでいったのです。
彼はすでに「マイケル・ジャクソン」であり、すでに偉大なダンサー、パフォーマー、エンターテイナーでした。
ですので、彼のすでに確立されたスタイルに私の持っている動きが加わっただけというか。

彼は私が持っている様々な動きを具体的に習得しようとしました。
そのため具体的なひとつひとつの動きを私とまったく同じように踊れるまで練習していました。
それで、彼はそれらの動きを自分のものにし、さらに発展させていったのです。

その後、私はシャラマーを脱退し、それらの動きをステージで披露することもなくなったのですが、マイケルが私の動きをステージで披露しているのを見て、周りの人が「ワオ!君は本当に素晴らしい仕事をしたんだね!」と言ってくれました。
この賞賛は私にとって生涯で最高の喜びです。
「昨夜のシャラマーのステージは素晴らしかったよ」と言われるのももちろん嬉しいですが、「君とマイケルとの仕事は本当に素晴らしい」と言われる時の気分というのは、なんと表現したらいいか・・。
でも、マイケルは世界一のエンターテイナーであり、その彼に踊りを教えたことに対して周りの人が私にまで敬意を表してくれるなんて、畏れ多い気持ちになります。
ですので、マイケルが亡くなるまで、私は自分のインタビューで決してマイケルに踊りを教えたことについて語らなかったのです。
マイケルとの仕事は私にとっては特別なものですが、それはただそれだけのことなのです。


Q:レッスン中のマイケルはどんな人でしたか

彼はとにかく笑うことが大好きでした。
私たちはずっとジョークを言い合っていました。
私たちはどちらも冗談を言って周りの人を笑わせることが大好きですが、ダンスに対してはどちらも真剣に取り組んでいました。

あと彼は、私もそうですが、完璧主義者でした。ですから、少しでもわからないことがあるとすぐに質問をしてきました。
それと、とても正直な人ですね。彼には誰も嘘をつくことができません。
なぜなら、彼は嘘をすぐに察知し、またその嘘に気付いていない振りができないのです。
一度、彼に言ったことがあります。
「マイケル、君は今僕が言っていることを真剣に聞いていないね」って。
彼は「What? How did you know that? え?どうしてわかったの?」と答えました。
彼は決して「ううん、ちゃんと聞いているよ」などと誤魔化してみたり、嘘をつくことができないのです。
彼はただ「You noticed that, didn't you? 君は気付いていたんだね」と正直に話します。
誰に対しても正直でした。

また、彼は決して怒りません。
いや、それは間違いですね。どんな人間にも怒りの感情はあります。
ただ彼は決して怒りを態度に表すことはありませんでした。
例えば、彼が何かに対して怒りの感情を覚えたとします。
ダンスのステップが気に入らなかったり、彼がそれは間違っていると感じたり、それでも彼は決して、誰に対しても苛立ちを見せることはありません。
「NO!そうじゃないってば」とか「それは気に入らないね」とか言って、声を荒げることはありません。
そう言う代わりに彼は、「This movement may be a little bit too much, What you think? この動きはちょっと大きすぎるかもしれないね、君はどう思う?」とか「Should I do it like this...What's your idea? こうするべきなのかなぁ、君の意見は?」とか言って、相手に考えさせる時間を与えるのです。
そのような配慮を持った人間を私はマイケル以外に知りません。
彼のような優しさを持つ人間は珍しいと思います。
結局は自分の間違いを正すにしても、「それは気に入らないから、今すぐ変えなさい」と命令口調で言われるより、彼のやり方のほうが誰だって気分はいいものです。

------------------------

この時期のマイケルとの思い出が別のインタビューでも語られています。
いかにも先生と生徒、なんていう風ではなく、集中する時は真剣に、でもあとは、本当に二人の才能あるダンサーがお互い刺激しあいながら楽しんでその時間をすごしたことがよくわかりますので、これも一部抜粋で記しておきます。

Source:TIME誌 REMEMBERING MICHAEL-Jeffrey Daniel

彼は決まって毎週日曜日にダンスレッスンを行っていた。
よく覚えていないけれど、僕とのレッスンは何週間かにわたって週に1度、2時間ぐらい。
それほどキチンとしたものじゃなくて、OK,こんなステップだよ、次はこんなステップ、みたいな感じ。

すごく楽しい感じだったね、おバカに振る舞ったり、チャーリー・チャップリンみたいに歩き回ったり、お互い顔を突き合わせてからかいあったりね。
だいたいそんな感じで、僕らはダンスを通じてとても仲良くなっていった。
特別な動きの時は集中して踊った、でもたいていはダンスを見せ合ってただ楽しんでいる二人の男って感じだった。

そのあとは、フレッド・アステアの映画を見て、ジーン・ケリーを見て、ニコラス・ブラザーズを見て、サミー・デイビス・Jr.を見るんだ、インスピレーションを得るためにね。
知らなかったけど、彼ポップコーン食べるんだ、だから僕も食べることができたよ。
一緒に座って映画を見てると、彼が靴で床をこすって変な音を出すから、爆笑させられちゃうんだ
しかも映画に合わせて一人で歌い出しちゃうし。
僕はこんな感じだった、なんだよもう、どこにでもいるヤツじゃんみたいな。

-----------------------------

出たー!マイケルのお馴染みGREATな先輩たち!
この時期はポジティブシンキングメモをばんばん書いていた時期でもあります。
本当に勉強熱心で納得するまでやりたい完璧主義者なんだからーまいけるー^^

実はジェフリーは8月24日生まれ。
そう、マイケルと同じおとめ座。
ジェフリーも完璧主義で、しかも女性に対してシャイなんだとか(うそだねw)
マイケルと好みやこだわるところがよく似ていたそうです。
例えば、白靴下とか白い下着とか・・ですって。ぷぷぷw


・・て、・・あーあー

またこんなに長くなりました。
まさかの続く、ですw

Still miss you, Michael

2日にフジテレビNEXTで放送されたIMMORTALのドキュメンタリーですが、本来うちでは見れないので「ま、いっかぁ」とあきらめていたところ、仲良くしてもらってるMJ loverのNちゃんちの100インチスクリーンでみんなで観ましょうよとお誘いいただいたので、きゃーっほらんらん♪とご自宅まで押しかけて鑑賞に成功したのです^^
ド迫力!時々出てくるマイケルもおっきい♪ぃやっほぅ♪Nちゃんには感謝感謝です^^

ディレクターのひとり、ジェイミー・キング(JAMIE KING)ってコンサートのThrillerの替え玉だったんですね。
知らなかったなー。
あの狼のマスクがマイケルじゃないのは知ってたけど、そうかーチミだったのかーwみたいな。

とか、HIStoryツアーの、あのひときわ異彩を放ってた怖いのかかわいいのかわかんない強面の兄弟ダンサー、リッチ&トーン・タローガ(RICH AND TONE TALAUEGA)がトラヴィスにスカウトされていきなりバックダンサーになったとか(あの時10代だったとか!あんびりばぼー!)

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デーコーが広いーな、大きーいなー♪

そんな彼らがコレオグラファーとして参加してる、なんてのも知らなかったなー。
今の方が怖くないかもww

お馴染みトラヴィス、ドラムのジョナサン・"Sugarfoot"・モフェットや音楽監督を務める、BADツアーでマイケルとハイタッチ♪のグレッグ・フィリンゲインズはじめ、クリエーター、ダンサー、パフォーマー、スタッフ、このショーに関わる人たちがみんな、各々の心にある大事なマイケルのピースを持ち寄って、大切に大切に、でもただ皆の知っているマイケルを甦らせるだけではなくて、マイケルの大切な核を残しながらも、彼の嫌った月並みではなくいかに革新的なステージを創れるか、ということに全力を注ぎ、もし彼がこのショーを見た時にがっかりさせたくないという一心で取り組んでいるように感じました。

それは、マイケルを過去のレジェンドに絶対にさせないという、今も生き生きと観客にインスピレーションと感動を与える存在であることを、このショーで証明させるという強い決意にも感じられ。

これは観客もファンも、そしてショーを構成するキャスト・スタッフ全員で、彼と彼の作品を祝う旅なのだと。


わたしは大阪公演の初日と最終日に行くのですが、このブログを見て下さる方の中に、その旅をご一緒できる方がいるかもしれませんね。
今からとても楽しみです^^

ぜひこの特番は、公演が近づいた時期に多くの人に見てもらいたいので、フジの地上波で(深夜枠は仕方ないw)放送してもらいたいとリクエストを送りました。

シルク・ド・ソレイユの公演前には必ずサポーター(今回はEXILEですしね)の番宣的番組が流されるから、このドキュメンタリーが地上波で放送されるのだっておそらく可能性低くはないでしょう、多分w

できれば何らかの予備知識があった方がわかりやすくて、より楽しめると思いますもの。
例えばこのブロンズ像みたいなのは彼が心血注いだ癒しの楽園(彼だけのためのものではなく)の象徴であるゲートと、その庭園に置かれていた、子供が子供らしくありますようにという願いを込めた彫刻達をモチーフにしているんですよって・・まぁそこまで説明しないかw

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あー・・だめだだめだ
ネバーランドの話になると泣いちゃうからw


話変わって。


昨日マイケルの夢を見ました。

どこかのロビーのような場所に沢山の人が居て
長い闘病生活(と誰かが言っていた)を終えたマイケルがもうすぐここへ来ると
久しぶりに逢えるんだって、周りの人が言っていて

わたしは大きくて分厚い本を抱えていて
どうしてもこの本をマイケルに手渡さなくてはいけないと思っていて
この本さえ手渡せばわたしの役目は終わると思っていて

ところがマイケルは車ではなくてヘリで来るので
こんな所にいても無駄だよと誰かが言って

急に周りの人たちが走り出して

すごい大群が一斉に走り出して

気後れしたわたしは動けなくて


その本は雑誌ぐらいの大きさで、5cmはあろうかという分厚さで
小豆色の皮張りのカバーで金の縁取りがされていて
タイトルも金文字なのだけれど読めなくて

マイケルに渡さなくてはならないのに
マイケルにどうしても渡さなければならないのに

マイケルがこの本を読みたがっているのに

と焦ってロビーをうろうろ歩き回っている

という夢でした。

本人出ずw


絶対出てこないんだからな~・・


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あの本は何の本だったんだろう。
自分が見ている夢なのに。
夢の中の自分はわかっているみたいだったのに。



それにしても

長い闘病生活が終わったマイケル


夢じゃなかったらどんなに良かったかな。

なーんだ、そうか、よかった!
やっぱりマイケルはちゃんと



・・ってさ。


でもある意味リアルだったのは

マイケルが日本に来てどこかのホテルのロビーで彼を待ってたとして(わたしのことだから警備員に相当びびりつつ、やっぱり迷惑かも・・とかぐずぐず思いつつだろうけどw)
同じようなアナウンスがあって
一斉にその場にいるファンがみんな走りだしたら

きっとわたしは夢の中とおんなじように、沢山の人にもまれながら一緒になって走っていったりできないな・・と思ったりしました。
夢と同じように気後れして。

てかビビッてw

あかんたれだからなぁ。
BADツアーの時、頑張れずに行けなかった自分をまた思い出してしまった・・。

当時の市庁を彼とバブルスが訪れたっていうNHKのニュースを見て、もうとっくにいないのに慌ててベランダに飛び出して市庁の方向を向きながら、「今同じ大阪にいるんだな~♪」ってひとり喜んでた、あまりにささやかすぎた自分も。

夢の中のみならず、実際マイケルに会いたい一心で走り出して、一生懸命大きな声を出して声援を送ったであろう当時のファンの人たちを、心からすごいなぁと思う。
そうして勇気を振り絞った人にのみ、マイケルとの距離を縮めることが許されたのだろうから。


こんなあかんたれのわたしには、「今同じ空気を吸っている♪」ってだけでベランダで喜んでいたぐらいだから、
写真も握手もあんなことやこんなこと(て、どんなことまで妄想してんだw)も、きっとできない
おそれおおくてw


マイケルの面影を感じるだけで十分幸せなので
IMMORTAL観てるのがお似合いなのかも。



仮に、仮に

彼のツアーに行けてたとしても、今より激しいチケット争奪に打ち勝てる自信まるでなしw

奇跡的に一番後ろの席でも行けたら、もうそれ以上は望まないな。
遠くの席でちーさなちーさなマイケルを見て、スクリーンに映る彼を見て、大音響で流れる彼の歌を聴いて
それで十分だったと思う。

きっとそれで十分幸せだと思う。



だから長い闘病生活が終わって、でももう人前には出ないけれども、彼は元気だよ、なんて言われたら
毎日ごはん3杯はおかわりするぐらいこっちも元気になると思うw

空を見上げては同じ空を見ているんだなとか
月を見上げては同じ月を見ているんだなとか
風を感じては同じ風に吹かれているんだなとか

彼もわたしたちと同じように

明日という日を心待ちにしたり恐れたりする、同じ時間の流れの中にいるんだなと想って


あの遠い日に、ベランダでかみしめた幸せの
もっともっと何十倍の幸せを感じて

今よりもっと世界が色づいて鮮やかに感じるかもしれないな。




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マイケルはそんな風に思うことは望まないだろうけど


仕方ないんだ

それが正直な気持ちなんだもん


バカだなって思うけど

心のどこかであなたが帰ってこないかなって



マイケル 


わたしたちはみんな

まだあなたがこんなに恋しいよ



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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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