マイケルの言葉を知りたくて その3
前回心配していたシュガーフットは、無事に名古屋公演から合流いたしました(^_^)v
ええ、宣言通り一生ごはんのおかわりしませんよw
ご飯茶碗を大きいサイズにしたり、最初の一杯をこれでもかと大盛りにしたり、なんて姑息な小細工などするもんですか!
女に二言などございませんの。
ダイエットになるし一石二鳥ですわ、おほほほー(T_T)
そしてしらっと前々回の続きなうえにタイトルもちょびっと変えたりしてますw
その2まで書いたバーニー先生のマイケルの言葉は、あくまでバーニー先生の思い出の中の、記憶の中のマイケルの言葉。
もちろんわたしは彼を信じて記事も書きましたし、きっとマイケルは本当にそういった会話を彼としたんだとも思っています。
でもね。
やっぱり本人の言った言葉に勝るものはなし。
残念なことに、今はもうリアルタイムではかなわないけれど。
どんな事が起ころうと、彼がいつも話していた彼の想いは、彼の信念は、終生ぶれることがなかった。
彼の残した言葉は彼の核となる想いを色々な角度から表現してくれています。
そんなマイケルの言葉を、もっと知りたいわけで。
USファンのブログやFacebook、Tumblrなどに、たまにMJ Quotes(引用)という感じでマイケルの言葉が載せられていることがあります。
Sourceが書かれているものの中に”MJ Tapes”とあるものが結構あります。
それらは、わたしを惹きつけるに十分魅力のある言葉たちでした。
例えばこんな風です。
MJQuotes- (From The Michael Jackson Tapes)
"I am going to say something I have never said before and this is the truth.
I have no reason to lie to you and God knows I am telling the truth.
I think all my success and fame, and I have wanted it, I have wanted it because I wanted to be loved.
That's all. That's the real truth.
I wanted people to love me, truly love me, because I never really felt loved.
I said I know I have an ability. Maybe if I sharpened my craft, maybe people will love me more.
I just wanted to be loved, because I think it is very important to be loved and to tell people that you love them and to look in their eyes and say it."
-Michael Jackson
僕が言おうとしていることは今まで決して話さなかったことだけど、これは真実だよ。
あなたにうそを言う理由はないし、僕が真実を話すことは神様もご存じだ。
僕は成功と名声がずっと欲しかった。欲しかったんだ。愛されたいがゆえに欲したものだ。
それが全てだよ。本当の真実さ。
人々に愛されたかった、本当に。なぜなら本当に僕には愛された実感がなかったから。
僕は自分に才能があるって言った。多分(歌やダンスなどの)その才能の技術を今より磨けば、みんなはもっと僕を好きになるんじゃないかって・・
僕はただ愛されたかっただけなんだ。愛されること、目を見て愛してるってちゃんと口に出して伝えることはとても大切な事だと思うから。
----------------------

ちょっと孤独感を出してみたよ・・Hiromi郷っていいよね・・
ここで終わるとなんだか切ないですね。
この部分だけを抜き書きすると、「やっぱりマイケルは父親から愛情を受けられなかった渇きを、人々に愛されることで癒そうとしていたのね」という感想で終わってしまいそうです。
でも前後の会話を通して読むと、俄然印象が変わってきます。
そう、会話なんですよねこれ。
お察しのとおり、MJ tapesというのは、The Michael Jackson Tapes by Rabbi Shmuley Boteach という本のことで、これは強烈に評判の悪い本ですが、出版された当時、暴露本としてセンセーショナルに報じられて、マイケルがマドンナを好きじゃないって言ったとか、リサが子供を産んでくれないことがショックでお人形抱いてむっちゃ泣いたとか、ま、ゴシップ誌が大喜びするネタ満載な本だという認識の方も多いでしょう。
表紙がこれまた暴露本っぽいっていうね。
暗ーい感じでこわーい感じのw
章ごとにシュムリーの見解が記されていて、それがいちいちお説教臭く(ま、彼はユダヤ教のラビ、キリスト教で言うところの神父であるからして、説教っぽくなるのは性なのかもしれませんが)もちろん見解が違う話題ではMJを批判してもいます。
そういうところ、終始MJ礼賛な内容ではないという事もファンの神経を逆なでしたでしょうし、100歩譲ってMJがこの会話を出版するつもりであったとして、しかしながら途中で彼と決別したことで共著として出せなくなったにも拘らず、シュムリーの独断で世に出したことが大きな反感を買った一番の理由でしょう。
でも確かに彼らには蜜月の時期はあって、わたしの心のオアシスでもあるMJのオックスフォード大学での素晴らしいスピーチは、シュムリーがいなければ実現しなかったでしょうし、彼と共にHeal The Kidsの活動を行ったことは、MJの歴史において重要な側面であることには間違いないと思っているのですが。
彼らが決別したわけは、USファンが言うところの一般論と、シュムリーが書いているものとで、全く異なります。
あたりまえでしょうけれど。
はっきりいってそこはどっちでもいいですし興味ないです。
見解の違う方からお叱りを受けそうですが、そこにとらわれて貴重な宝をみすみす放置しておくなんて贅沢な事ができないんです、わたし。
わたしがこの本に惹かれた理由はひとつ。
マイケル自身が語った言葉の書き起こしだから、この一点です。
シュムリーの見解部分さえすっ飛ばせば、マイケルの貴重なロングインタビューだと思うからです。
一般のインタビューとは異なり、そこで交わされる話題は多岐にわたり、宗教のみならず、哲学にも長け歴史にも詳しいマイケルの豊富なインテリジェンスに基づくさまざまな見解がとても興味深い。
見方を変えれば、おそらく彼と同等の(ま、シュムリー本人はあくまでMJを導こうとする立場を崩しませんから、それ以上だと思っているでしょうけれど)知識を持った聖職者だからこそ、そういった彼の一面を引き出せたともいえると思います。

実は会話だった上記の一文。
どうしてあんな切ない事をマイケルは言ったのか?
知りたいわ・・変な質問したのかしらシュムリー。もしそうなら許しませんことよ!
と言う感じで、全部通して読まなくてはわかりませんから、買おうとしましたらば、親切なUSファンの方がシュムリーのうざい見解部分をすっ飛ばしたドキュメントを提供してくださってましたので、それをダウンロードしましたの^^
実際このマイケルの言葉の前に交わされた会話は、シュムリーの「神は君の祈りにいつも応えてくれた?」という質問から始まります。
「Usually. Absolutely. That's why I believe in it. もちろん、いつもだよ。だから僕は神を信じている」
「君は困難な時に神がそばにいることを感じたかい?」
「There hasn't been one thing that I have asked for that I didn't get. It is not materialistic. 僕がずっと得られなかったもの・・それを求めた事に関してだけはお応えにならなかった。それは物質的なことではないんだ」
神は信じているけれども、いつもご加護があったわけではなく、欲しくて欲しくて、でもどうしても得られないものがあった、すなわち神はこの件に関しては彼に救いの手を差し出すことをなさらなかったわけです。
彼が求めても得られなかったもの。
それが「愛を実感する事」であり、「愛されたかった」という言葉につながるわけですね。
そしてこのあとも会話が続きます。
ここが興味深い展開になるわけですが、通常のインタビューであれば、特に意地の悪いインタビュアーならば「愛情を実感しなかったとは、それはお父さんからの虐待を意味しています?お父さんはあなたに暴力や暴言を常に行っていたということですね?それがあなたのコンプレックスを生む原因にもなったと。つまるところお父さんからの愛情不足があなたを整形に走らせたというわけですね?」みたいな方向に持っていきそうです。
翌日のゴシップ誌の見出しが容易に想像できますよね。
ですがシュムリーはゴシップ誌の編集長ではないので、あ、そう来るか的質問をしています。
「君の話の裏を返すと、もしも君が子供時代にたっぷり愛情を注がれていたならば、成功のために必死に頑張ることはなかっただろうということかい?」
マイケルの答えはこうです。
「That's true. That's why I wouldn't want to change anything because it has all worked out in its many different ways.
そうだね。だから僕は何も変えようとは思わない。たとえ別のやり方でうまくいったとしてもね」
※Special Thanks!しょぼい訳を補強してくれた皆さま(M嬢・E嬢・S嬢 love you!)
シュムリーは、過去を別のやり方でやり直す気はない、と今の自分を肯定する彼に、「神が君に望んだものを与えなかったことが、結果的には君にとって恵みになったということかい?」と問い、マイケルはそうだと答えます。
さらにそんな風に必死で得た名声と成功が、(それによって自滅するロックスターもいるが)自分という人間を壊すとは思わなかったかと問われ、こう答えます。
"Yeah. I have always been kinda determined.
I have always had a vision of things I have wanted to do and goals I have wanted to reach and nothing could stop me getting that.
I am focused and I know what I want and what I want to achieve and I won't get side-tracked.
And even though I get down sometimes, I keep running the race of endurance to achieve those goals.
It keeps me on track. I am dedicated."
「思わない。僕にはずっと覚悟のようなものがあった。
僕には達成したいゴールややりたいことのビジョンがいつもあったから、それを止めるものは何もなかったんだ。
欲しいものも成し遂げたいこともよくわかっていたから集中したよ、わき道にそれたくなかったからね。
時々落ち込んだとしても、ゴールに到達するために僕は耐久レースを走り続ける。
競技場のトラックに居続けるんだ。全力を尽くしてね」
「君は君の子供時代の経験、それが辛いものであったとしても、それが今日の君自身、君の成功に繋がっているから、別のやり方はなかったと言ったね。本当に?」
「No. I am so sensitive to other kids because of my past and I am so happy about that.
ないね。僕は自分のそういう過去があるからこそ、同じ境遇の子供たちの配慮にはとても敏感なんだ。そういう自分で満足しているよ」
ここでこのチャプター(A Painful Blessing: All I Wanted Was to Be Loved)は終わります。
初めに引用されていた箇所だけを読むと、なんとなく「かわいそうなぼくちゃん」的印象を受けますが、会話の流れを追うと全く異なる印象に変わります。
この会話からは、「僕ね、愛されたかったの。頑張ったら愛されると思ったの。だって愛されたって実感なかったんだもん」と女々しく訴えているのではなく、だからこそ「愛」を勝ち得るためにビジョンを明確に持ち、そこに向かって走り続けることに集中できたからこそ、望んだ通りの成功をおさめ、世界中のファンからの愛情も手に入れることができ、さらにはそういった孤独な子供時代を経たからこそ、同じような痛みを抱える子供たちの気持ちを敏感に察知でき、細やかな配慮を彼らに与えることができる自分がいる、そのことに誇りをもっているかのような彼のきっぱりとした姿勢を感じます。
一見自分の過去を嘆いているようにみせて、結局は自分の意志を貫く強い精神を持った人であり、困難から光を見出そうと努力する人であり、決して何ものにも屈せず自分の意識を常に高次の頂きに向かわせる人なのだと。
愛を求めて弱々しく孤独の森を彷徨っているかに見えても、必ず自力で力強く歩を進め太陽の光が降りそそぐ美しい愛の海辺にたどり着く人だと。
そういう意味でもトータルに交わされた会話のなかで、彼の本当に言いたかった真意を拾い読むことが、わたしにはやはり重要な事なんでした。
「神を信じているか」とスタートした会話の終着点は、結局「子供への配慮ができる自分で幸せだ」でした。
こうしてみると、やっぱりマイケルは自分のことは二の次で、いつもいつも子供のことを、子供の健全な精神や幸せを大切に守り育み慈しむことを最優先に考える人だったのだと、あらためて思うんだよね。

シュムリーは、このThe Michael Jackson Tapesの第2弾となる本も出版しています。
Honoring The Child Spirit
これもシュムリーとの会話からの記録です。
前作の暴露本っぽい表紙の反省からか、これは「マイケル研究論文」みたいですw

MJ Tapesが多岐にわたるテーマをまとめたものに対して、タイトル「Honoring The Child Spirit:子供らしさ(子供の精神)を守る」に見られる通り、マイケルの言うところの「子供らしさ」とは何かとか、子供から神を感じるとはどういうことなのか、マイケルが大切にする子供の心とは何かといった子供と彼に関するテーマに特化した会話が中心のもの。
MJ Tapesをダウンロードしたわたしですが、この本はちゃんと購入しましたw
この本に関してのみわたしが感じたことを言わせてもらえれば、シュムリーはとても良い仕事をしたと思っています。
「マイケルと子供の精神」だけに特化したインタビューなんて今までなかったですし、シュムリーがそれこそウザいぐらいこれに関する質問を、角度を変えつつ微に入り細に入り突っ込んで聞く度に、いかに子供が大切な存在であるか、そして大人になっても各々の中に必ず存在する「子供の精神」がどれだけ価値あるものかということを本音で語るマイケルがいるからです。
2009年のあの頃、喪失感で途方に暮れていたわたしに色々お話してくださったUS在住のファンの方が、「ある意味彼は言葉が足りない人」だと教えてくれたことがありました。
それは決して悪い意味ではなく、いつもマイケルは歌の歌詞にしろメッセージにしろ、馬鹿丁寧に解説したり説明したりなどしない。
いわば、それらを聴く人が、ファン一人一人が自分の思うように感じて、何かを考えてくれたらいいという、彼の意図があるせいだと。
まさに Read between the lines 行間を読む
直接的な表現の後ろに目を向けて想像力を働かせてみて
物事を多角的に捉えることも時には大切だよ
とでも言いたげなのだと。
それが極上のエンターテイメントを提供するMJの狙い。
観る者聴く者のイマジネーションに作品をゆだね、どんな風にも楽しんでもらいたいという彼のサービス精神の表れ。
ですがこの本の中では、彼はMJとしてではなく、マイケル個人の意見を語るのです。
それはそれは饒舌で、とても細かく例を出して答えていたりして、「そうか、そういうことだったのか」という、それまでなんとなく理解していたつもりの彼のいわゆる定番フレーズ、それの本来の真意のようなものが透けてみえるような会話もあります。
というよりも、そういう風にあらためて納得できるといいますか。
マイケルの子供の心を理解するのに最適だと思われる、このHonoring The Child Spiritに関しては、ぜひお奨めしたい和訳サイト様がありますのでご紹介します。ご存じの方は多いでしょうけれど。
ここ重要ですが、マイケル自身の言葉は、きちんと翻訳されたものを読みたいじゃないですか。ええ、自分を信用できませんよw
※ Honoring The Child Spiritさま:原文の日本語翻訳を大学の先生でもある著者様が出版レベルで行ってくださっています。毎週土曜日更新です。これが無料で拝読できるなんてすんばらすいことです\(^o^)/
※ 読書日記と着物あれこれさま:MJ Tapesのマイケルが差別や宗教について語る章は必見です。
↑
こちらのサイト主様がHonoring The Child Spiritさまサイト開設にご尽力なさっています。本当にありがたいことです。わたしはこのサイトが開設された時、心から嬉しくて涙が出るほど感謝島倉千代子でした(/_;)
もちろん記事自体も、独自の視点から綿密に組み立てられるMJ考察が論文と言ってもいいレベルで、大変興味深く読みごたえがあります。
そして、もしも興味がおありになって、Honoring The Child Spiritさまサイトへ飛ぼうという方は、どうぞシュムリーの(彼の事をよく思ってなくても、あるいは大嫌いであろうとも)序章からお読みになることを強くお奨めします。
この本が一体何のために存在するのかを、一般によく使われるフレーズ、おなじみの「金の亡者の巧みなMJ利用の典型」なのかどうかを、ご自分で確かめてみてください。
少しでもMJに不都合と思われる言葉や態度だと判断したらば最後、いっさいがっさいを否定するというスタンスでないかぎり、一読の価値はあるとわたしは思います。

わたしにとってずっとよくわからなかった疑問の答えが見つかるような気がしました。
その疑問と言うのは「なぜマイケルはそれほどまでに子供を愛するのか」でした。
子供は純粋だから
人をジャッジしないから
子供の目に神を感じるから
頭では「はぁそうですね」と理解しますが・・。
ただの子供好きをはるかに超越した底知れない愛情。
子供を守り助ける事を使命とした人。
この純粋な強くて深い愛情が、彼を地獄に追いやる冤罪の材料にされたというのに。(悲しい事に今も)
それでも、あの裁判後もその気持ちは変わることなく、ここで例に出すのも切なく哀しいですが、マーレー裁判時に公開されたテープの中で眠りに落ちる寸前なのかろれつも怪しい状態にもかかわらず、「子供たちを助ける」「子供病院を作る」と語った彼。
その信念、その想いを意識下にまで深く強く刻み続けていた人。
彼がなぜそれほどまでに子供という存在を、子供の精神を大切にしていたのか。
その想いがなぜ生まれ、自身を脅かす根源になり得ることも承知の上で、なぜなおその想いをゆるぎなく保ち続けることができたのか。
それらを彼の言葉で知ることは、今だからこそ大切なことだと思っています。
マイケルの心を彼自身の言葉で教えてくれます。
ええ、宣言通り一生ごはんのおかわりしませんよw
ご飯茶碗を大きいサイズにしたり、最初の一杯をこれでもかと大盛りにしたり、なんて姑息な小細工などするもんですか!
女に二言などございませんの。
ダイエットになるし一石二鳥ですわ、おほほほー(T_T)
そしてしらっと前々回の続きなうえにタイトルもちょびっと変えたりしてますw
その2まで書いたバーニー先生のマイケルの言葉は、あくまでバーニー先生の思い出の中の、記憶の中のマイケルの言葉。
もちろんわたしは彼を信じて記事も書きましたし、きっとマイケルは本当にそういった会話を彼としたんだとも思っています。
でもね。
やっぱり本人の言った言葉に勝るものはなし。
残念なことに、今はもうリアルタイムではかなわないけれど。
どんな事が起ころうと、彼がいつも話していた彼の想いは、彼の信念は、終生ぶれることがなかった。
彼の残した言葉は彼の核となる想いを色々な角度から表現してくれています。
そんなマイケルの言葉を、もっと知りたいわけで。
USファンのブログやFacebook、Tumblrなどに、たまにMJ Quotes(引用)という感じでマイケルの言葉が載せられていることがあります。
Sourceが書かれているものの中に”MJ Tapes”とあるものが結構あります。
それらは、わたしを惹きつけるに十分魅力のある言葉たちでした。
例えばこんな風です。
MJQuotes- (From The Michael Jackson Tapes)
"I am going to say something I have never said before and this is the truth.
I have no reason to lie to you and God knows I am telling the truth.
I think all my success and fame, and I have wanted it, I have wanted it because I wanted to be loved.
That's all. That's the real truth.
I wanted people to love me, truly love me, because I never really felt loved.
I said I know I have an ability. Maybe if I sharpened my craft, maybe people will love me more.
I just wanted to be loved, because I think it is very important to be loved and to tell people that you love them and to look in their eyes and say it."
-Michael Jackson
僕が言おうとしていることは今まで決して話さなかったことだけど、これは真実だよ。
あなたにうそを言う理由はないし、僕が真実を話すことは神様もご存じだ。
僕は成功と名声がずっと欲しかった。欲しかったんだ。愛されたいがゆえに欲したものだ。
それが全てだよ。本当の真実さ。
人々に愛されたかった、本当に。なぜなら本当に僕には愛された実感がなかったから。
僕は自分に才能があるって言った。多分(歌やダンスなどの)その才能の技術を今より磨けば、みんなはもっと僕を好きになるんじゃないかって・・
僕はただ愛されたかっただけなんだ。愛されること、目を見て愛してるってちゃんと口に出して伝えることはとても大切な事だと思うから。
----------------------

ちょっと孤独感を出してみたよ・・Hiromi郷っていいよね・・
ここで終わるとなんだか切ないですね。
この部分だけを抜き書きすると、「やっぱりマイケルは父親から愛情を受けられなかった渇きを、人々に愛されることで癒そうとしていたのね」という感想で終わってしまいそうです。
でも前後の会話を通して読むと、俄然印象が変わってきます。
そう、会話なんですよねこれ。
お察しのとおり、MJ tapesというのは、The Michael Jackson Tapes by Rabbi Shmuley Boteach という本のことで、これは強烈に評判の悪い本ですが、出版された当時、暴露本としてセンセーショナルに報じられて、マイケルがマドンナを好きじゃないって言ったとか、リサが子供を産んでくれないことがショックでお人形抱いてむっちゃ泣いたとか、ま、ゴシップ誌が大喜びするネタ満載な本だという認識の方も多いでしょう。
表紙がこれまた暴露本っぽいっていうね。
暗ーい感じでこわーい感じのw
章ごとにシュムリーの見解が記されていて、それがいちいちお説教臭く(ま、彼はユダヤ教のラビ、キリスト教で言うところの神父であるからして、説教っぽくなるのは性なのかもしれませんが)もちろん見解が違う話題ではMJを批判してもいます。
そういうところ、終始MJ礼賛な内容ではないという事もファンの神経を逆なでしたでしょうし、100歩譲ってMJがこの会話を出版するつもりであったとして、しかしながら途中で彼と決別したことで共著として出せなくなったにも拘らず、シュムリーの独断で世に出したことが大きな反感を買った一番の理由でしょう。
でも確かに彼らには蜜月の時期はあって、わたしの心のオアシスでもあるMJのオックスフォード大学での素晴らしいスピーチは、シュムリーがいなければ実現しなかったでしょうし、彼と共にHeal The Kidsの活動を行ったことは、MJの歴史において重要な側面であることには間違いないと思っているのですが。
彼らが決別したわけは、USファンが言うところの一般論と、シュムリーが書いているものとで、全く異なります。
あたりまえでしょうけれど。
はっきりいってそこはどっちでもいいですし興味ないです。
見解の違う方からお叱りを受けそうですが、そこにとらわれて貴重な宝をみすみす放置しておくなんて贅沢な事ができないんです、わたし。
わたしがこの本に惹かれた理由はひとつ。
マイケル自身が語った言葉の書き起こしだから、この一点です。
シュムリーの見解部分さえすっ飛ばせば、マイケルの貴重なロングインタビューだと思うからです。
一般のインタビューとは異なり、そこで交わされる話題は多岐にわたり、宗教のみならず、哲学にも長け歴史にも詳しいマイケルの豊富なインテリジェンスに基づくさまざまな見解がとても興味深い。
見方を変えれば、おそらく彼と同等の(ま、シュムリー本人はあくまでMJを導こうとする立場を崩しませんから、それ以上だと思っているでしょうけれど)知識を持った聖職者だからこそ、そういった彼の一面を引き出せたともいえると思います。

実は会話だった上記の一文。
どうしてあんな切ない事をマイケルは言ったのか?
知りたいわ・・変な質問したのかしらシュムリー。もしそうなら許しませんことよ!
と言う感じで、全部通して読まなくてはわかりませんから、買おうとしましたらば、親切なUSファンの方がシュムリーのうざい見解部分をすっ飛ばしたドキュメントを提供してくださってましたので、それをダウンロードしましたの^^
実際このマイケルの言葉の前に交わされた会話は、シュムリーの「神は君の祈りにいつも応えてくれた?」という質問から始まります。
「Usually. Absolutely. That's why I believe in it. もちろん、いつもだよ。だから僕は神を信じている」
「君は困難な時に神がそばにいることを感じたかい?」
「There hasn't been one thing that I have asked for that I didn't get. It is not materialistic. 僕がずっと得られなかったもの・・それを求めた事に関してだけはお応えにならなかった。それは物質的なことではないんだ」
神は信じているけれども、いつもご加護があったわけではなく、欲しくて欲しくて、でもどうしても得られないものがあった、すなわち神はこの件に関しては彼に救いの手を差し出すことをなさらなかったわけです。
彼が求めても得られなかったもの。
それが「愛を実感する事」であり、「愛されたかった」という言葉につながるわけですね。
そしてこのあとも会話が続きます。
ここが興味深い展開になるわけですが、通常のインタビューであれば、特に意地の悪いインタビュアーならば「愛情を実感しなかったとは、それはお父さんからの虐待を意味しています?お父さんはあなたに暴力や暴言を常に行っていたということですね?それがあなたのコンプレックスを生む原因にもなったと。つまるところお父さんからの愛情不足があなたを整形に走らせたというわけですね?」みたいな方向に持っていきそうです。
翌日のゴシップ誌の見出しが容易に想像できますよね。
ですがシュムリーはゴシップ誌の編集長ではないので、あ、そう来るか的質問をしています。
「君の話の裏を返すと、もしも君が子供時代にたっぷり愛情を注がれていたならば、成功のために必死に頑張ることはなかっただろうということかい?」
マイケルの答えはこうです。
「That's true. That's why I wouldn't want to change anything because it has all worked out in its many different ways.
そうだね。だから僕は何も変えようとは思わない。たとえ別のやり方でうまくいったとしてもね」
※Special Thanks!しょぼい訳を補強してくれた皆さま(M嬢・E嬢・S嬢 love you!)
シュムリーは、過去を別のやり方でやり直す気はない、と今の自分を肯定する彼に、「神が君に望んだものを与えなかったことが、結果的には君にとって恵みになったということかい?」と問い、マイケルはそうだと答えます。
さらにそんな風に必死で得た名声と成功が、(それによって自滅するロックスターもいるが)自分という人間を壊すとは思わなかったかと問われ、こう答えます。
"Yeah. I have always been kinda determined.
I have always had a vision of things I have wanted to do and goals I have wanted to reach and nothing could stop me getting that.
I am focused and I know what I want and what I want to achieve and I won't get side-tracked.
And even though I get down sometimes, I keep running the race of endurance to achieve those goals.
It keeps me on track. I am dedicated."
「思わない。僕にはずっと覚悟のようなものがあった。
僕には達成したいゴールややりたいことのビジョンがいつもあったから、それを止めるものは何もなかったんだ。
欲しいものも成し遂げたいこともよくわかっていたから集中したよ、わき道にそれたくなかったからね。
時々落ち込んだとしても、ゴールに到達するために僕は耐久レースを走り続ける。
競技場のトラックに居続けるんだ。全力を尽くしてね」
「君は君の子供時代の経験、それが辛いものであったとしても、それが今日の君自身、君の成功に繋がっているから、別のやり方はなかったと言ったね。本当に?」
「No. I am so sensitive to other kids because of my past and I am so happy about that.
ないね。僕は自分のそういう過去があるからこそ、同じ境遇の子供たちの配慮にはとても敏感なんだ。そういう自分で満足しているよ」
ここでこのチャプター(A Painful Blessing: All I Wanted Was to Be Loved)は終わります。
初めに引用されていた箇所だけを読むと、なんとなく「かわいそうなぼくちゃん」的印象を受けますが、会話の流れを追うと全く異なる印象に変わります。
この会話からは、「僕ね、愛されたかったの。頑張ったら愛されると思ったの。だって愛されたって実感なかったんだもん」と女々しく訴えているのではなく、だからこそ「愛」を勝ち得るためにビジョンを明確に持ち、そこに向かって走り続けることに集中できたからこそ、望んだ通りの成功をおさめ、世界中のファンからの愛情も手に入れることができ、さらにはそういった孤独な子供時代を経たからこそ、同じような痛みを抱える子供たちの気持ちを敏感に察知でき、細やかな配慮を彼らに与えることができる自分がいる、そのことに誇りをもっているかのような彼のきっぱりとした姿勢を感じます。
一見自分の過去を嘆いているようにみせて、結局は自分の意志を貫く強い精神を持った人であり、困難から光を見出そうと努力する人であり、決して何ものにも屈せず自分の意識を常に高次の頂きに向かわせる人なのだと。
愛を求めて弱々しく孤独の森を彷徨っているかに見えても、必ず自力で力強く歩を進め太陽の光が降りそそぐ美しい愛の海辺にたどり着く人だと。
そういう意味でもトータルに交わされた会話のなかで、彼の本当に言いたかった真意を拾い読むことが、わたしにはやはり重要な事なんでした。
「神を信じているか」とスタートした会話の終着点は、結局「子供への配慮ができる自分で幸せだ」でした。
こうしてみると、やっぱりマイケルは自分のことは二の次で、いつもいつも子供のことを、子供の健全な精神や幸せを大切に守り育み慈しむことを最優先に考える人だったのだと、あらためて思うんだよね。

シュムリーは、このThe Michael Jackson Tapesの第2弾となる本も出版しています。
Honoring The Child Spirit
これもシュムリーとの会話からの記録です。
前作の暴露本っぽい表紙の反省からか、これは「マイケル研究論文」みたいですw

MJ Tapesが多岐にわたるテーマをまとめたものに対して、タイトル「Honoring The Child Spirit:子供らしさ(子供の精神)を守る」に見られる通り、マイケルの言うところの「子供らしさ」とは何かとか、子供から神を感じるとはどういうことなのか、マイケルが大切にする子供の心とは何かといった子供と彼に関するテーマに特化した会話が中心のもの。
MJ Tapesをダウンロードしたわたしですが、この本はちゃんと購入しましたw
この本に関してのみわたしが感じたことを言わせてもらえれば、シュムリーはとても良い仕事をしたと思っています。
「マイケルと子供の精神」だけに特化したインタビューなんて今までなかったですし、シュムリーがそれこそウザいぐらいこれに関する質問を、角度を変えつつ微に入り細に入り突っ込んで聞く度に、いかに子供が大切な存在であるか、そして大人になっても各々の中に必ず存在する「子供の精神」がどれだけ価値あるものかということを本音で語るマイケルがいるからです。
2009年のあの頃、喪失感で途方に暮れていたわたしに色々お話してくださったUS在住のファンの方が、「ある意味彼は言葉が足りない人」だと教えてくれたことがありました。
それは決して悪い意味ではなく、いつもマイケルは歌の歌詞にしろメッセージにしろ、馬鹿丁寧に解説したり説明したりなどしない。
いわば、それらを聴く人が、ファン一人一人が自分の思うように感じて、何かを考えてくれたらいいという、彼の意図があるせいだと。
まさに Read between the lines 行間を読む
直接的な表現の後ろに目を向けて想像力を働かせてみて
物事を多角的に捉えることも時には大切だよ
とでも言いたげなのだと。
それが極上のエンターテイメントを提供するMJの狙い。
観る者聴く者のイマジネーションに作品をゆだね、どんな風にも楽しんでもらいたいという彼のサービス精神の表れ。
ですがこの本の中では、彼はMJとしてではなく、マイケル個人の意見を語るのです。
それはそれは饒舌で、とても細かく例を出して答えていたりして、「そうか、そういうことだったのか」という、それまでなんとなく理解していたつもりの彼のいわゆる定番フレーズ、それの本来の真意のようなものが透けてみえるような会話もあります。
というよりも、そういう風にあらためて納得できるといいますか。
マイケルの子供の心を理解するのに最適だと思われる、このHonoring The Child Spiritに関しては、ぜひお奨めしたい和訳サイト様がありますのでご紹介します。ご存じの方は多いでしょうけれど。
ここ重要ですが、マイケル自身の言葉は、きちんと翻訳されたものを読みたいじゃないですか。ええ、自分を信用できませんよw
※ Honoring The Child Spiritさま:原文の日本語翻訳を大学の先生でもある著者様が出版レベルで行ってくださっています。毎週土曜日更新です。これが無料で拝読できるなんてすんばらすいことです\(^o^)/
※ 読書日記と着物あれこれさま:MJ Tapesのマイケルが差別や宗教について語る章は必見です。
↑
こちらのサイト主様がHonoring The Child Spiritさまサイト開設にご尽力なさっています。本当にありがたいことです。わたしはこのサイトが開設された時、心から嬉しくて涙が出るほど感謝島倉千代子でした(/_;)
もちろん記事自体も、独自の視点から綿密に組み立てられるMJ考察が論文と言ってもいいレベルで、大変興味深く読みごたえがあります。
そして、もしも興味がおありになって、Honoring The Child Spiritさまサイトへ飛ぼうという方は、どうぞシュムリーの(彼の事をよく思ってなくても、あるいは大嫌いであろうとも)序章からお読みになることを強くお奨めします。
この本が一体何のために存在するのかを、一般によく使われるフレーズ、おなじみの「金の亡者の巧みなMJ利用の典型」なのかどうかを、ご自分で確かめてみてください。
少しでもMJに不都合と思われる言葉や態度だと判断したらば最後、いっさいがっさいを否定するというスタンスでないかぎり、一読の価値はあるとわたしは思います。

わたしにとってずっとよくわからなかった疑問の答えが見つかるような気がしました。
その疑問と言うのは「なぜマイケルはそれほどまでに子供を愛するのか」でした。
子供は純粋だから
人をジャッジしないから
子供の目に神を感じるから
頭では「はぁそうですね」と理解しますが・・。
ただの子供好きをはるかに超越した底知れない愛情。
子供を守り助ける事を使命とした人。
この純粋な強くて深い愛情が、彼を地獄に追いやる冤罪の材料にされたというのに。(悲しい事に今も)
それでも、あの裁判後もその気持ちは変わることなく、ここで例に出すのも切なく哀しいですが、マーレー裁判時に公開されたテープの中で眠りに落ちる寸前なのかろれつも怪しい状態にもかかわらず、「子供たちを助ける」「子供病院を作る」と語った彼。
その信念、その想いを意識下にまで深く強く刻み続けていた人。
彼がなぜそれほどまでに子供という存在を、子供の精神を大切にしていたのか。
その想いがなぜ生まれ、自身を脅かす根源になり得ることも承知の上で、なぜなおその想いをゆるぎなく保ち続けることができたのか。
それらを彼の言葉で知ることは、今だからこそ大切なことだと思っています。
マイケルの心を彼自身の言葉で教えてくれます。