M.J. その2
※記事の最後訂正の追記しました。
そろそろあの裁判の結審が近づいてきたようですが、マイペースの内容で進ませてくださいませ^^
前回の続きです。
I will march ahead anew
M.J.として文字通り前へ前へと進む彼の、自分に課すハードルはより高く、成し遂げたいことはより多彩になり、辿り着きたいゴールはさらにはるか前方へと変化していきます。
前述の書籍たちは彼がM.J.になった頃には、もうすでに読破していたのではないかと思われますが、新しいところでは1998年に出版された The 48 Laws of Power 「権力に翻弄されないための48の法則」(ロバート・グリーン著) があります。

マイケルがこの本をいつ手に入れたのか定かではありませんが、おそらく読書家で本屋巡りをかかさなかった彼の事ですから、出版されてすぐに手に入れていたのではないかと思っているのですが。
アンダーラインや書き込みが多数あって、これは必ずやいい本に巡り合った彼が必ずしていたという儀式をしたに違いないと思いました。
この本を読み終わった彼が手を叩いて喜んで、本の四隅にキスをしている姿が目に浮かぶようです。^^
で、彼がどこに興味をひかれたのかとても気になったので、翻訳本を手に入れてみました。
これは歴史上の人物を多く引合いにだし、彼らがいかに才能や権力や権威といった「パワー」をうまく使ったか、あるいは使えなかったかを法則にしたもので、かけひきやイメージ戦略の重要さなども多く例に出されています。
(でも相当シニカルですw)
写真の章:Law37 Create Compelling Spectacles 法則37 壮大なものを見せて人の目を釘づけにしろ
この法則で例に出されているのは、1536年にフランス国王アンリ2世の愛人となったディアーヌ・ド・ポワティエ。

アンリ2世とディアーヌ
彼女はアンリ2世よりも20歳年上でしたが、いつまでも年下の国王に大切にされるために、自らも若さを保つ努力を怠りませんでしたが、際立って素晴らしいのはそのイメージ戦略にあった、と書かれています。
312ページに写っているのは、自分をそばにおくことが国王の権威を高めるのだということを国王にわからせるため、のみならず、宮廷や国民に対しても自分の存在を肯定させるよう考えに考え尽くされた戦術が紹介されているページです。
マイケルがアンダーラインを引いている箇所は、ディアーヌがアンリの愛した狩猟をつかさどる月の女神である女神ディアーナ(ダイアナ)と自分を同一視させるために、自分のシンボルマークに女神を想起させるもの(三日月・雄鹿・猟犬)を取り入れ、自分の住まいのアネ城にローマ神殿を髣髴させる殿堂を造らせ、イメージを常に保つために彼女のシンボルをありとあらゆる場所に配したと記されている部分です。

アネ城の扉には女神ディアーナを象徴する三日月、城門には雄鹿と狩猟犬
単なる年増の愛人ではなく、女神の化身かと思わせるための徹底したイメージ戦略が功を奏し、アンリ国王は彼女を生涯大切に扱い、貴族や国民も女神ディアーナの象徴とされた貞節と純潔のイメージにより、ディアーヌを愛人ではなく国王の大切な女神だと認識させるのに成功したとあります。

城の中に飾られた女神ディアーナ画。でも顔はディアーヌそっくり
このページに書き込まれたマイケルの言葉
Make yourself respected, a God Demands Worship
敬意を払われるように、神には崇拝が必要
313ページでは面白い箇所があります。
「ディアーヌの抜け目のなさは女神ディアーナを利用したことだ」と書かれた文章の 「astute:抜け目のない」という単語にアンダーラインを引き、「Shrewdly:鋭く見抜く」と「Discerning:洞察力がある」という単語を書き出しています。

彼がずっとKing Of PopとしてのM.J.に付随させてきたある種のイメージ戦略と重なったのでしょうか。
ディアーヌ自らのイメージを高めるための戦略に対して、「抜け目ない」と言い表すのはどこか「小狡さ」を感じさせるからでしょうか、それよりも肯定的な言葉を書き出しているところが、マイケルが彼女の徹底したイメージ利用について賛同していることの正当性を表現しているように、わたしには思えてしまって、はい深読みしすぎですか~?きゃはーw
ちなみに同じ文章の「goddess:女神」という単語にもアンダーラインを引いて、「WOW like Lady Diana わお!レディダイアナみたいだ」と書いています。
goddessは女神という意味もありますが、「憧れの的となる婦人」という意味もあるようで、もうお亡くなりになった後でしたがマイケルのダイアナ元妃に対するlove度がわかるというのはご愛嬌^^
話しは戻って、そのあとに続く記述に「LOOK」と書き、興奮して書き込んだんじゃないかと思わせる言葉があります。
そこは、ディアーヌの戦略を解説している箇所で、誰でもがこうしたイメージ戦略をとることができ、特に視覚的に訴えるシンボルマークを確立させればいいとあり、マイケルは以下にアンダーラインを引いています。
「そうしておいてからかけひきをするのだ。自分にぴったりのイメージやシンボルを過去から見つけ出して肩に乗せよう。そうすればあなたは実際よりも大きく見えるはずだ」
さらにこの箇所にこう書きこんでいます。
great 素晴らしい like Me and Military or Arm Band 軍服もしくは腕章・・まるで僕だ

はい、ガッツポーズしたーw
自分の行ってきたことは正しかったと確信しましたよねきっと。
まさにこれらのイメージは、M.J.です。
M.J.と言われてアフロだったりカラフルでファンキーなパンタロンをイメージする人は、まぁいません。
指のテープやあのグローブ、フェドラや黒のきらきらジャケット・・彼をイメージさせるものは数々あれど、中でもミリタリーテイストのジャケットとアームバンドは、M.JというKingにふさわしいカリスマ性を存分に発揮したアイテムですね。
HIStoryのTeaserでそれは確立されたように思います。
まさにこの章のタイトル「Create Compelling Spectacles 壮大なものを見せて人の目を釘づけにしろ」そのものでした。

今となってはグローブはBillie Jeanを象徴するものですが、当時世間からはM.J.を象徴するものとして、The gloved one(手袋の人)と呼ばれていたのですね。
The gloved oneで意味を調べると、ちゃんと「Michael Jacksonの呼び名」で出てきます。
それじゃ全然ぷ~じゃん、(フランク)シナトラは会長、エルビス(プレスリー)はキング、(ブルース)スプリングスティーンはボスってちゃんと敬意ある呼び名があるのに、なにそれ?僕は手袋の人?全然だめだよだめだめだめ!んも今日から僕はキングオブポップ・ロックアンドソウルってことにするかんね!ちょっとMTVとかにそう言っといてよね!・・と、言ったとか言わないとか(笑)
リズが最初に彼をそう呼んだというのが定説ですが、わたしは案外彼から仕掛けたというのは大ありだと思っているのですが。
もちろん自分で吹聴したんじゃ意味がありませんもの、そのあたりはさすが賢いジャクソン先生ですよ^^
自薦にせよ他薦にせよ、彼ほどkingと呼ばれてふさわしい人はいないんじゃないかな。
それはね。
品です。きっぱり。
皇族でもないのに皇族が醸し出すあのなんともいえない優美さ、気品、気高さ、麗しさ、高潔さなんかを、そのまなざしから指先から足さばきから立ち姿から、とにかく彼という存在や立ち居振る舞いからぷんぷんスメるわけです。
ただ思いついて言ってみてるだけなんだから怒っちゃやーよ的お断りをしておきますが、わたしが黒人でイメージする国王は、どちらかというと部族の王って感じで、ま、わかりやすくいうとこんな感じ↓

左のかわいこちゃんじゃなくて、エディの王様のイメージなんですよね。どうしても半裸で裸足的な(笑)
この際断腸の思いでかわいこちゃんに言及せずに進めますよ。
エディの王様からは、王にふさわしい威圧的な威厳や貫禄はびんびん伝わりますが、優雅さや高潔みたいなものはそれほど感じられないの。エディごめん。
でもこれをご覧くださいませよ。

もう見すぎて見すぎていい加減見飽きたっていうふとどき者は皆無っていうぐらい、いつまでも見飽きない有名なこのお姿。
コスチュームイメージはチューダー王朝時代でしょうかね?調べてないけどw
とにかく本来この時代、この様式で国を治めていた黒人の王はおそらくいないと思っているのですが。(いたら速攻で謝ります、ていうか先に謝っておきます。いたらごめんなさい)
日本人以外の国の人々がメイドカフェのコスプレをしているのを見て、好き好きだからおおいに結構!と思いつつ微妙に違和感を感じるわたしですが、これもまさに王様コスプレであるにもかかわらず、何の違和感も感じないというこの不思議。
見よ、この優雅さと気品満ち溢れる美しいKingぶりを!
違和感どころか、そこから漂うこのいかんともしがたい高貴さは練習して身につくもんなんですかジャクソン先生!
・・・
話しを戻します。
本では「パワーを手にする秘訣」という項目で、言葉を駆使することの危険性を説いていて、誰かを説得するのに言葉を使えば、相手も言葉で反論してきたり、こちらの意図が誤って伝わることもある。それよりも視覚的な表現は感情に直接訴えかけることができる、とし、音楽や視覚表現(ビジュアルで示す)は相手に考える隙を与えないといった内容が書かれています。
そこを大きく囲い、以下の書き込みをしています。
No more talking silence is more powerful
もう話す必要はない。沈黙ははるかに強い
さらにアンダーラインを引いた箇所。
「言葉はあなたを守勢に立たせる。自分自身を説明しなければならないとしたら、自分のパワーがすでに問題になっているのだ」
「イメージは人々をまとめる。それは典型的なパワーの道具なのだ」
この本が出版されたのは1998年。
この時までにすでに彼は数々の困難と過酷な経験を余儀なくされていました。
自らのアイデンティティを疑われるほどの肌の変化や、キャリアの崩壊につながりかねない身に覚えのない脅迫。
それらに対してM.J.がとった行動の中に「説明」は極端に少なかった。
肌に関してはオプラのインタビューでただ一度きり。
件のでっち上げに関しては、無実を主張はしてもその後彼が公に説明することはありませんでした。
この本を読む以前にすでに彼は、「言葉」で弁護することが危険だとわかっていたとしか思えません。
最高のエンターテイナーとして見られる前に、同情や憐みといった残酷な好奇心の色眼鏡を通して見られることは何にもまして彼にとっては耐えがたいことだったのではないでしょうか。
それなら、過酷な状況を逆手に取り白い肌をさらに強調させ、一種独特なオーラを演出し、怒りも不平も不満も言いたいことはすべて自身の「音楽」に雄弁に語らせ、ある種のエンターテイメントに昇華させることが、こんな苦しさの中にあってなお、自らを「肯定」する方法だったのかもしれません。

マイケルという普通の一人の黒人男性で生きていくなら、「言葉」を駆使してわかってもらおうと努力したかもしれませんが、最高のエンターテイメントを通して、世界中に喜びとひとときのエスケープシズムを届けるという使命を胸に抱きながら誰よりも高みを目指すKing Of Pop M.J.であったがゆえに。
その強さを支えていたのは、大いなる天上の存在への揺るぎない信頼と、その神の資質を地上において感じさせてくれる子供という存在からのインスピレーション、と同時に彼らを守るという使命、小さきもの弱きものの声なき声の代弁者としての責任、さらにはトレーニングで培った潜在意識の力による肯定的な発想、そしていつでもパイオニアで、革新者で、オリジナルに富んだ音楽や映像を生み出すアーティストとしての誇り・・だったのでしょうか。
■振付師ラヴェル・スミス (2011年ピアーズ・モーガンショーインタビュー)
“僕が思うに彼はこんなふうに思われたかったんじゃないかな
いつだってファンや聴衆へ、彼が送り出したものは
間違いなく誰にもまねできないオリジナルだった
革新的だったとね
彼は人に真似られることは気にしていなかったけれど
いつも自分は最初の人(パイオニア)でいたかったんだ”
--------------------------------------
他のページにも走り書きが多数あったようですが、そのどれもがイメージ戦略に伴う考えを表しているように思えます。
You create your own circumstances even in the manner in which you are treated and looked upon
人からの扱われ方や見なされ方が、自分自身の状況を作る
Deer are special because they hide if they walked the streets like dogs no one would care
鹿は特別優れている。もしも彼らが通りを犬のように歩いたとしたら誰も気にかけなくなるだろう。だから彼らは身を隠しているのだ。
No one would care the moon comes every night so people don’t care to look to the heavens Haleys Comet,the fact it comes once in a lifetime makes it important
人ははるか天空のハレー彗星を見ることなどどうでもいいと思っている。しかしそれが一生に一度だけやってくるという事実がハレー彗星を価値あるものにしている。毎晩やってくる月には誰も注意を払わない。
特に「鹿」と「ハレー彗星」は露出過多が生み出す価値の低下が、どれほど人々の関心を薄くするかを表現しています。
だって彼はM.J.だから
I should be a new, incredible actor/singer/dancer that will shock the world.
世間に驚くべき衝撃を与える素晴らしいエンターテイナー
それがM.J.だから
・・・
これほどイメージを大切にしていたM.J.の戦略でわたしがずっとずっとずっと疑問に思っていたこともついでですから書いておきましょう^^
INVINCIBLEの制作に入った頃から、あのすてきなロングカーリーを切り、ミリタリーは影をひそめたように思います。
次のイメージ作戦を思いついたのですねM.J.!・・て思ったら、アンドレ・キムさんのなんともかともな(すみませんw)お洋服でどこにでもお出かけしてくわけですよ。
あれほどミリタリーとは違う意味で自己主張の激しいお召し物をまとって、もう誰も追いつけないし追いすがってもムダよねムダムダってくらい突き抜けちゃっていいのは、やはりKingしかいませんが、あれはなんだったのでしょうね?(笑)

あ、大丈夫、絶好調だから!
あれも間違いなくM.J.のイメージ戦略の一環なはず・・と思ってはいるんですが、どうでしょうね・・ただいつものように、すごく気に入っちゃったからネバーランドに来て専属で作ってって言ってるのになんで断るの?でも欲しいし着たいんだよー!んも、それだったらとにかく30着作って送って!順番に着ていくから!・・てただそれだけ?まぢですか?
いやいやいや・・やはりなんらかのイメージ作りはなず・・でもそれなら一体どんな?下々の者は何をあのお姿から感じればよかったのでしょうか?お願い答えてKing!!
しかしアンドレ・キムさんがすごいデザイナーだとわかってはいるのですけれど、この人を初めて見た時、大屋政子のおとうちゃん?と思ったのはわたしだけですか?

さあ、どちらがどちらでしょう?
とはいえ、アンドレ・キムのお洋服は、まだある種の雰囲気を醸し出していましたが、エド・ハーディまできちゃうと、あれはもうMJとかイメージ戦略とか関係ないよね(笑)
マイケル君の好きなパジャマと同質のものだよね、単に、いーなこれパジャマに、カラフルでてろてろー♪楽そうだし気に入ったー的な。とわたしは思っているのですがw

「これなんかいかがです?ジャクソンさん」「そだねー赤いしねー」
※追記9/28
すみません。書いてから思い出しました。
ええ、ええ、エド・ハーディに関しては、ビジネスとして2008年にMJファッションラインのお話があったんでした、そうでした。
でも実現しなくてよかったかもね。
個人の好みはどうであれ、あのチープな雰囲気のラインにM.J.の冠がつくなんて、だめだったと思うわ。
プライベートだけで楽しんでくださいまし。たのんますジャクソン先生。
・・・
てことで、まーだ続きます。
そろそろあの裁判の結審が近づいてきたようですが、マイペースの内容で進ませてくださいませ^^
前回の続きです。
I will march ahead anew
M.J.として文字通り前へ前へと進む彼の、自分に課すハードルはより高く、成し遂げたいことはより多彩になり、辿り着きたいゴールはさらにはるか前方へと変化していきます。
前述の書籍たちは彼がM.J.になった頃には、もうすでに読破していたのではないかと思われますが、新しいところでは1998年に出版された The 48 Laws of Power 「権力に翻弄されないための48の法則」(ロバート・グリーン著) があります。

マイケルがこの本をいつ手に入れたのか定かではありませんが、おそらく読書家で本屋巡りをかかさなかった彼の事ですから、出版されてすぐに手に入れていたのではないかと思っているのですが。
アンダーラインや書き込みが多数あって、これは必ずやいい本に巡り合った彼が必ずしていたという儀式をしたに違いないと思いました。
この本を読み終わった彼が手を叩いて喜んで、本の四隅にキスをしている姿が目に浮かぶようです。^^
で、彼がどこに興味をひかれたのかとても気になったので、翻訳本を手に入れてみました。
これは歴史上の人物を多く引合いにだし、彼らがいかに才能や権力や権威といった「パワー」をうまく使ったか、あるいは使えなかったかを法則にしたもので、かけひきやイメージ戦略の重要さなども多く例に出されています。
(でも相当シニカルですw)
写真の章:Law37 Create Compelling Spectacles 法則37 壮大なものを見せて人の目を釘づけにしろ
この法則で例に出されているのは、1536年にフランス国王アンリ2世の愛人となったディアーヌ・ド・ポワティエ。

アンリ2世とディアーヌ
彼女はアンリ2世よりも20歳年上でしたが、いつまでも年下の国王に大切にされるために、自らも若さを保つ努力を怠りませんでしたが、際立って素晴らしいのはそのイメージ戦略にあった、と書かれています。
312ページに写っているのは、自分をそばにおくことが国王の権威を高めるのだということを国王にわからせるため、のみならず、宮廷や国民に対しても自分の存在を肯定させるよう考えに考え尽くされた戦術が紹介されているページです。
マイケルがアンダーラインを引いている箇所は、ディアーヌがアンリの愛した狩猟をつかさどる月の女神である女神ディアーナ(ダイアナ)と自分を同一視させるために、自分のシンボルマークに女神を想起させるもの(三日月・雄鹿・猟犬)を取り入れ、自分の住まいのアネ城にローマ神殿を髣髴させる殿堂を造らせ、イメージを常に保つために彼女のシンボルをありとあらゆる場所に配したと記されている部分です。

アネ城の扉には女神ディアーナを象徴する三日月、城門には雄鹿と狩猟犬
単なる年増の愛人ではなく、女神の化身かと思わせるための徹底したイメージ戦略が功を奏し、アンリ国王は彼女を生涯大切に扱い、貴族や国民も女神ディアーナの象徴とされた貞節と純潔のイメージにより、ディアーヌを愛人ではなく国王の大切な女神だと認識させるのに成功したとあります。

城の中に飾られた女神ディアーナ画。でも顔はディアーヌそっくり
このページに書き込まれたマイケルの言葉
Make yourself respected, a God Demands Worship
敬意を払われるように、神には崇拝が必要
313ページでは面白い箇所があります。
「ディアーヌの抜け目のなさは女神ディアーナを利用したことだ」と書かれた文章の 「astute:抜け目のない」という単語にアンダーラインを引き、「Shrewdly:鋭く見抜く」と「Discerning:洞察力がある」という単語を書き出しています。

彼がずっとKing Of PopとしてのM.J.に付随させてきたある種のイメージ戦略と重なったのでしょうか。
ディアーヌ自らのイメージを高めるための戦略に対して、「抜け目ない」と言い表すのはどこか「小狡さ」を感じさせるからでしょうか、それよりも肯定的な言葉を書き出しているところが、マイケルが彼女の徹底したイメージ利用について賛同していることの正当性を表現しているように、わたしには思えてしまって、はい深読みしすぎですか~?きゃはーw
ちなみに同じ文章の「goddess:女神」という単語にもアンダーラインを引いて、「WOW like Lady Diana わお!レディダイアナみたいだ」と書いています。
goddessは女神という意味もありますが、「憧れの的となる婦人」という意味もあるようで、もうお亡くなりになった後でしたがマイケルのダイアナ元妃に対するlove度がわかるというのはご愛嬌^^
話しは戻って、そのあとに続く記述に「LOOK」と書き、興奮して書き込んだんじゃないかと思わせる言葉があります。
そこは、ディアーヌの戦略を解説している箇所で、誰でもがこうしたイメージ戦略をとることができ、特に視覚的に訴えるシンボルマークを確立させればいいとあり、マイケルは以下にアンダーラインを引いています。
「そうしておいてからかけひきをするのだ。自分にぴったりのイメージやシンボルを過去から見つけ出して肩に乗せよう。そうすればあなたは実際よりも大きく見えるはずだ」
さらにこの箇所にこう書きこんでいます。
great 素晴らしい like Me and Military or Arm Band 軍服もしくは腕章・・まるで僕だ

はい、ガッツポーズしたーw
自分の行ってきたことは正しかったと確信しましたよねきっと。
まさにこれらのイメージは、M.J.です。
M.J.と言われてアフロだったりカラフルでファンキーなパンタロンをイメージする人は、まぁいません。
指のテープやあのグローブ、フェドラや黒のきらきらジャケット・・彼をイメージさせるものは数々あれど、中でもミリタリーテイストのジャケットとアームバンドは、M.JというKingにふさわしいカリスマ性を存分に発揮したアイテムですね。
HIStoryのTeaserでそれは確立されたように思います。
まさにこの章のタイトル「Create Compelling Spectacles 壮大なものを見せて人の目を釘づけにしろ」そのものでした。

今となってはグローブはBillie Jeanを象徴するものですが、当時世間からはM.J.を象徴するものとして、The gloved one(手袋の人)と呼ばれていたのですね。
The gloved oneで意味を調べると、ちゃんと「Michael Jacksonの呼び名」で出てきます。
それじゃ全然ぷ~じゃん、(フランク)シナトラは会長、エルビス(プレスリー)はキング、(ブルース)スプリングスティーンはボスってちゃんと敬意ある呼び名があるのに、なにそれ?僕は手袋の人?全然だめだよだめだめだめ!んも今日から僕はキングオブポップ・ロックアンドソウルってことにするかんね!ちょっとMTVとかにそう言っといてよね!・・と、言ったとか言わないとか(笑)
リズが最初に彼をそう呼んだというのが定説ですが、わたしは案外彼から仕掛けたというのは大ありだと思っているのですが。
もちろん自分で吹聴したんじゃ意味がありませんもの、そのあたりはさすが賢いジャクソン先生ですよ^^
自薦にせよ他薦にせよ、彼ほどkingと呼ばれてふさわしい人はいないんじゃないかな。
それはね。
品です。きっぱり。
皇族でもないのに皇族が醸し出すあのなんともいえない優美さ、気品、気高さ、麗しさ、高潔さなんかを、そのまなざしから指先から足さばきから立ち姿から、とにかく彼という存在や立ち居振る舞いからぷんぷんスメるわけです。
ただ思いついて言ってみてるだけなんだから怒っちゃやーよ的お断りをしておきますが、わたしが黒人でイメージする国王は、どちらかというと部族の王って感じで、ま、わかりやすくいうとこんな感じ↓

左のかわいこちゃんじゃなくて、エディの王様のイメージなんですよね。どうしても半裸で裸足的な(笑)
この際断腸の思いでかわいこちゃんに言及せずに進めますよ。
エディの王様からは、王にふさわしい威圧的な威厳や貫禄はびんびん伝わりますが、優雅さや高潔みたいなものはそれほど感じられないの。エディごめん。
でもこれをご覧くださいませよ。

もう見すぎて見すぎていい加減見飽きたっていうふとどき者は皆無っていうぐらい、いつまでも見飽きない有名なこのお姿。
コスチュームイメージはチューダー王朝時代でしょうかね?調べてないけどw
とにかく本来この時代、この様式で国を治めていた黒人の王はおそらくいないと思っているのですが。(いたら速攻で謝ります、ていうか先に謝っておきます。いたらごめんなさい)
日本人以外の国の人々がメイドカフェのコスプレをしているのを見て、好き好きだからおおいに結構!と思いつつ微妙に違和感を感じるわたしですが、これもまさに王様コスプレであるにもかかわらず、何の違和感も感じないというこの不思議。
見よ、この優雅さと気品満ち溢れる美しいKingぶりを!
違和感どころか、そこから漂うこのいかんともしがたい高貴さは練習して身につくもんなんですかジャクソン先生!
・・・
話しを戻します。
本では「パワーを手にする秘訣」という項目で、言葉を駆使することの危険性を説いていて、誰かを説得するのに言葉を使えば、相手も言葉で反論してきたり、こちらの意図が誤って伝わることもある。それよりも視覚的な表現は感情に直接訴えかけることができる、とし、音楽や視覚表現(ビジュアルで示す)は相手に考える隙を与えないといった内容が書かれています。
そこを大きく囲い、以下の書き込みをしています。
No more talking silence is more powerful
もう話す必要はない。沈黙ははるかに強い
さらにアンダーラインを引いた箇所。
「言葉はあなたを守勢に立たせる。自分自身を説明しなければならないとしたら、自分のパワーがすでに問題になっているのだ」
「イメージは人々をまとめる。それは典型的なパワーの道具なのだ」
この本が出版されたのは1998年。
この時までにすでに彼は数々の困難と過酷な経験を余儀なくされていました。
自らのアイデンティティを疑われるほどの肌の変化や、キャリアの崩壊につながりかねない身に覚えのない脅迫。
それらに対してM.J.がとった行動の中に「説明」は極端に少なかった。
肌に関してはオプラのインタビューでただ一度きり。
件のでっち上げに関しては、無実を主張はしてもその後彼が公に説明することはありませんでした。
この本を読む以前にすでに彼は、「言葉」で弁護することが危険だとわかっていたとしか思えません。
最高のエンターテイナーとして見られる前に、同情や憐みといった残酷な好奇心の色眼鏡を通して見られることは何にもまして彼にとっては耐えがたいことだったのではないでしょうか。
それなら、過酷な状況を逆手に取り白い肌をさらに強調させ、一種独特なオーラを演出し、怒りも不平も不満も言いたいことはすべて自身の「音楽」に雄弁に語らせ、ある種のエンターテイメントに昇華させることが、こんな苦しさの中にあってなお、自らを「肯定」する方法だったのかもしれません。

マイケルという普通の一人の黒人男性で生きていくなら、「言葉」を駆使してわかってもらおうと努力したかもしれませんが、最高のエンターテイメントを通して、世界中に喜びとひとときのエスケープシズムを届けるという使命を胸に抱きながら誰よりも高みを目指すKing Of Pop M.J.であったがゆえに。
その強さを支えていたのは、大いなる天上の存在への揺るぎない信頼と、その神の資質を地上において感じさせてくれる子供という存在からのインスピレーション、と同時に彼らを守るという使命、小さきもの弱きものの声なき声の代弁者としての責任、さらにはトレーニングで培った潜在意識の力による肯定的な発想、そしていつでもパイオニアで、革新者で、オリジナルに富んだ音楽や映像を生み出すアーティストとしての誇り・・だったのでしょうか。
■振付師ラヴェル・スミス (2011年ピアーズ・モーガンショーインタビュー)
“僕が思うに彼はこんなふうに思われたかったんじゃないかな
いつだってファンや聴衆へ、彼が送り出したものは
間違いなく誰にもまねできないオリジナルだった
革新的だったとね
彼は人に真似られることは気にしていなかったけれど
いつも自分は最初の人(パイオニア)でいたかったんだ”
--------------------------------------
他のページにも走り書きが多数あったようですが、そのどれもがイメージ戦略に伴う考えを表しているように思えます。
You create your own circumstances even in the manner in which you are treated and looked upon
人からの扱われ方や見なされ方が、自分自身の状況を作る
Deer are special because they hide if they walked the streets like dogs no one would care
鹿は特別優れている。もしも彼らが通りを犬のように歩いたとしたら誰も気にかけなくなるだろう。だから彼らは身を隠しているのだ。
No one would care the moon comes every night so people don’t care to look to the heavens Haleys Comet,the fact it comes once in a lifetime makes it important
人ははるか天空のハレー彗星を見ることなどどうでもいいと思っている。しかしそれが一生に一度だけやってくるという事実がハレー彗星を価値あるものにしている。毎晩やってくる月には誰も注意を払わない。
特に「鹿」と「ハレー彗星」は露出過多が生み出す価値の低下が、どれほど人々の関心を薄くするかを表現しています。
だって彼はM.J.だから
I should be a new, incredible actor/singer/dancer that will shock the world.
世間に驚くべき衝撃を与える素晴らしいエンターテイナー
それがM.J.だから
・・・
これほどイメージを大切にしていたM.J.の戦略でわたしがずっとずっとずっと疑問に思っていたこともついでですから書いておきましょう^^
INVINCIBLEの制作に入った頃から、あのすてきなロングカーリーを切り、ミリタリーは影をひそめたように思います。
次のイメージ作戦を思いついたのですねM.J.!・・て思ったら、アンドレ・キムさんのなんともかともな(すみませんw)お洋服でどこにでもお出かけしてくわけですよ。
あれほどミリタリーとは違う意味で自己主張の激しいお召し物をまとって、もう誰も追いつけないし追いすがってもムダよねムダムダってくらい突き抜けちゃっていいのは、やはりKingしかいませんが、あれはなんだったのでしょうね?(笑)

あ、大丈夫、絶好調だから!
あれも間違いなくM.J.のイメージ戦略の一環なはず・・と思ってはいるんですが、どうでしょうね・・ただいつものように、すごく気に入っちゃったからネバーランドに来て専属で作ってって言ってるのになんで断るの?でも欲しいし着たいんだよー!んも、それだったらとにかく30着作って送って!順番に着ていくから!・・てただそれだけ?まぢですか?
いやいやいや・・やはりなんらかのイメージ作りはなず・・でもそれなら一体どんな?下々の者は何をあのお姿から感じればよかったのでしょうか?お願い答えてKing!!
しかしアンドレ・キムさんがすごいデザイナーだとわかってはいるのですけれど、この人を初めて見た時、大屋政子のおとうちゃん?と思ったのはわたしだけですか?

さあ、どちらがどちらでしょう?
とはいえ、アンドレ・キムのお洋服は、まだある種の雰囲気を醸し出していましたが、エド・ハーディまできちゃうと、あれはもうMJとかイメージ戦略とか関係ないよね(笑)
マイケル君の好きなパジャマと同質のものだよね、単に、いーなこれパジャマに、カラフルでてろてろー♪楽そうだし気に入ったー的な。とわたしは思っているのですがw

「これなんかいかがです?ジャクソンさん」「そだねー赤いしねー」
※追記9/28
すみません。書いてから思い出しました。
ええ、ええ、エド・ハーディに関しては、ビジネスとして2008年にMJファッションラインのお話があったんでした、そうでした。
でも実現しなくてよかったかもね。
個人の好みはどうであれ、あのチープな雰囲気のラインにM.J.の冠がつくなんて、だめだったと思うわ。
プライベートだけで楽しんでくださいまし。たのんますジャクソン先生。
・・・
てことで、まーだ続きます。