MJ Quotes
Happy New Year!2014!
今年もジャクソン先生へのマグマのような愛を、キモち悪くお届けしていきます~♪
どうぞよろしくおねがいしまーす!
・・・
とはいえ、もう2014年もすでに9日だよ?しかもあと10分ぐらいで10日じゃんw
さすがにお正月気分なんてきれいさっぱりぶっ飛んでますよね?
じゃあ、ハロウィンのお話ししてもいい?w
今年も季節感、タイムリー感、History感全くないですYO!\(^o^)/
あ、それと
ごっつ長いよ(笑)
さていきなりですが
“The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers.. It brings the world together.”- Michael Jackson
これね・・
MJ Quotesとしていろんなところで見かける(主にSNSね)んだけれど、いつも「これってどこで言った言葉なのかなぁ」と疑問に思う癖があるわたしなので、すぐ調べちゃうんですけど、そうしたらば、ちょっと奥さん!
半分本当で半分大間違いなのよこれ。
どこがどうおかしいかをお話ししますわ、もちろん!でもあとでねw
まずはマイケルがハロウィンをどう思っているか、彼のインタビューでおさらいしましょう^^
■Getmusic.com Online Audio-Chat インタビュー(October, 26th, 2001)
Q: ハロウィンが近づいてきました。仮装やパーティの計画はありますか?
Uh, no. I was going to just go trick or treating.
Go out, knock on some doors and get some candy.
I love trick or treat. It’s one of my favorite ones.
I love dressing up like some kind of monster or something and knocking on the doors.
No body knows it’s me, and I get candy.
いや、ないよ。でもトリック・オア・トリートには行くつもりだよ。
外へ出かけて、何軒かドアをノックして、キャンディをもらうんだよ。
トリック・オア・トリートは大好きさ。僕の一番の気に入りの一つなんだ。
モンスターか何かの格好をして、ドアをノックするのは最高だね。
誰も僕だってわからないし、そのうえキャンディももらえるしね!

以前ご紹介したマイケルの主治医のバーニー先生の本。
今現在、日本のAmazonではKindle版しか扱ってないみたい・・USではペーパーバックもありますけれどねぇ。
でも同じ読むなら、そら日本語がいいよねw
去年日本語訳が出版される予定だと、Twitterかなんかで見て興奮し、FBでバーニー先生を見つけちゃって、またもや「日本語のぉ本の出版がぁ、まちどうしーでぇす」とメッセージを送ってしまったらば、律儀に「今最初の草稿の翻訳をやっていますよ^^」とお返事をいただきました。
んもう、お座りをしてお行儀よく待っちゃうかんね!\(^o^)/
日本語の正しい翻訳本を待つ間に、ハロウィンの思い出の章を、ちらっと、相当大雑把にかいつまんで、しかも怪しい訳でご紹介しましょうかね(どうせやるならちゃんとしろ?ごもっともよねw)
前回同様、かっちりときっちりとした正確な訳では毛頭ございませんので、そこんとこ夜露詩句!
翻訳が出たら相当違っている内容だった場合も、笑って許して和田アキコ!
---------------------------------
■Private conversations in Neverland with Michael Jackson / William B. Van Valin II著
TRICK OR TREATING WITH MICHAEL AND THE KIDS P43 より要約
ある年のハロウィンに、マイケル一家はトリック・オア・トリートを一緒に行うべくバーニーのおうちへやってきます。

んが、その時のKingのいでたちがもう・・ww
スパイダーマンのTシャツにシューズカバー、手にはお医者さんや雪国まいたけ工場長とかがかぶる(多分ね)サージカルキャップとマスク、首に聴診器をかけて(意味がわからないw)、お約束の黒のオシャレジャケット羽織って、それは一目見て「あ、マイケル・ジャクソンだ」ってわかる格好でやってきたらしく。
バーニー曰く、マイケルは自分だって全く気付かれないのは面白くないと思っていたんじゃないかと感じたそう。
うん、たぶんそうだと思うよバーニー(笑)
「あなたMJに似てるわね」みたいなぎりぎりリスクがある方が彼は燃えるんだと思う(何に)。
しかも目立たない小さな青のバンで来てね、とバーニーはマイケルに言っておいたのに、さすがKing、バーニーが知ってる中でも一番大きな白のリムジンで乗り付けたらしいw
子供たちはひとまずバーニーのおうちに入り、リムジンに乗り込んだバーニーはマイケルに言います。
「てっきり青いバンで来ると思ってたよ」
He laughed and said , "Oh I thought you said bring the white limo , " and laughed again.
彼は笑ってこう言いました。「あれぇ?君が白のリモで来てって言ったからだよ」言い終わるとまた笑いました。
ワザとだねw
でもマイケルがこの巨大な白いリムジンを選んだのには、理由があったようで・・
そうこうしているうちに、目立ちまくる白のリモは近所の子供たちに取り囲まれてしまいます。
スモークされて室内がわからないから、余計みんな興味津々な様子。
バーニーが「このままでいるつもり?」と聞くと、マイケルは余裕ぶっこきつつ「I have a plan. 僕に考えがあるよ」と言いながら、キャップやマスク、聴診器はつけずに外に出ます。
何人かの子供に「あなたはマイケル・ジャクソンなの?」と聞かれた彼はこう答えます。
「No. I just dressed up like him for Halloween. 違うよ。ハロウィンだから、マイケルっぽい仮装にしたんだ」
子供たちは一瞬がっかりしたような、でもどこかホッとしたような感じになって、すぐに「わお!!すごい!完璧な変装だよ!」と異常に盛り上がり、さらに白いリムジンがどれだけクールかということを口々に大騒ぎ。
ここでジャクソン先生の目がきらーんと光り、(原文にはこんな記述はありません念のため)子供たちにこう言います。
「Do you want to see what it can do? この車で何ができるか見たい?」
そして返事を待たずに「Watch this! Shut the doors! 見てごらん!ドアを閉めて!」と子供たちをリムジンに乗り込ませ、なにやらボタンを押しまくるKing!
すると、たちまち車内はスモークがたちこめ、ステレオの音量は最大に!さらにフラッシュライトがぴかぴかきらきら点灯し、車内は完璧にディスコ状態!w
子供たちに「どう、これ?いいと思う?好き?」みたいな事を何度も聞いているマイケルを見ながら、バーニーは「なるほどね・・これしたくてこのリモにした訳ね・・」と確信したそう。
なぜなら、King所有の4台のリムジンでこんな仕掛けがあるのは、この白いリモだけだったからです。
おそらくマイケルは、バーニーの子供たちに見せてあげようとして、あるいはハロウィンだから近所の子供たちに会ってこんなシチュエーションもあったりしてな~なんて予想して、わざわざ秘密兵器で参上したんですねw
やっぱやるねKing!\(^o^)/
その後、ふたりはマイケルの変装を完璧にするべく、バーニーのおうちへ戻ります。
バーニー曰く、マイケルがトリック・オア・トリートに出かけるのを、プリンス・パリスと同じくらい、いえそれ以上に興奮を押さえられない程楽しみにしてた様子は忘れられないんだとか。
バーニーの奥さんのクリスは、できるだけマイケルだとバレないように、キャップやマスクをしっかり装着させ、よれっとした襟やずれずれの靴カバーをきちんと整えたりしてあげてるのに、そんな間も、Kingは何度もドアから飛び出そうとして奥さんに止められる始末w
ようやく(バーニー曰くお粗末なw)仮装(?)が完成したKingにクリスは聞きます。
「・・で?いったいあなたは誰なのかしらマイケル?」(こういう質問の仕方ってアメリカンだよね!^^)
マイケルは首から下げた聴診器をもぞもぞ触りつつ答えました。
「I'm Spiderman・・with a twist 僕はスパイダーマンだよ・・ひねりの効いたね」
バーニー一家と共に地域を回ってトリック・オア・トリーティングを楽しんだマイケル親子。
バーニーはマイケルの気持ちを尊重して、ネバーランドランチでも自分の家でさえも写真を撮ることをしなかったそう。
彼が持つ唯一の写真は、Kingが彼にくれた1枚だとか。
そんな風なので、この日もバーニーが写真を撮ることなどなかったのですが、彼の近所の人たちは自分のホームムービーで、自分のうちにやってきた子供たちを自分の楽しみのために撮影していたようで、運が悪いんだかいいんだか、お菓子をねだりに来たプリンスたちも写されてしまいます。
それに気がついたマイケルは、ほとんどつまづいてすっころびそうな勢いで、プリンスたちをひっぱってフレームアウトさせたのですが、バーニーは多分がっつり映っちゃったな~・・と思うのです。
でも、彼のご近所、ロスオリボスの住民はわかってくれていたようで、バーニーが尋ねるまでもなく誰一人としてマイケル親子の写真やムービーを公表する人などいませんでした。
ちゃんちゃん。
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ひねりの効いたスパイダーマン!!
あーもー笑かすぜ、Kingさんよ!\(^o^)/
さて、今回このお話を書いている理由は、もちろん子供以上に、このtrick or treatingを好きだったマイケルの、超絶キュートで愛しすぎる天然かわいさをシェアすることではありますが、特にこういったエピソードはMichael loverの大好物だしね!
でも冒頭に書いた名言の真偽も含めて、実は本題はここからで・・。(でたー!2014年も前振り長いぞー!)
もともとハロウィンは、紀元前アイルランドに住んでいた古代ケルト人の儀式が起源なんだとか。
ケルト族の暦では10月31日が大晦日にあたるらしく、新しい年を迎えるにあたりその年の収穫を祝ったそうな。
でもそのお祭りの日に、収穫された食べ物を求めて死者の魂や魔性の者たちが地上へ降りてくると考えられていて、そういう邪悪なものを追い出す宗教的な意味合いのある行事だったそうです。
ハロウィンでお馴染みの仮装は、彷徨い歩く邪悪なものと遭遇しても、「わたしも同じ悪霊ですよ♪」的に同じ装いをして難をのがれようとしたのだとか。
Trick or treatは、邪悪なものをもてなして(treat)、災い=いたずら(trick)を回避するという意味らしい。
現在は宗教色は薄くなり、日本におけるクリスマス的イベントになりつつあるとはいえ、厳格なキリスト教徒は悪魔と同じ装いをするこの行事を教育上有害だとして認めていませんので、誰でも彼でも行う行事ではないようです。
もちろんユダヤやイスラムなど、戒律の厳しい教義を重んじる人々においては、さらに関係ない異教徒の行事といえるでしょうね。
もちろんノーバースデー、ノークリスマスの幼かったマイケルにとっても「そんなの関係ねぇ」だったわけで。
過去記事でも触れましたユダヤ教のラビ、シュムリーとの会話集「MJ Tapes」で、このハロウィンに対する大変興味深い彼らの見解を読むことができます。
前述のインタビューやエピソードのマイケルは、誰にも気兼ねなく変装をして、自分が何者なのか詮索されることなく、普通の人と同じように外出できるこの機会を存分に楽しんでいるという、お茶目なかわいさが深く印象に残りますが。
もちろん本当に楽しんでいたでしょうが、同時に彼はこの子供が喜ぶ行事の中に、宗教的意味合いではない、人が成長する過程で体験するべき大いなる価値を見出していました。
わたしがマイケルに「やられてしまう」ポイントは、もちろん話し声も歌もダンスもダサかっこいいKingセンスも立っているだけで匂い立つほどの気品も思いやり深く優しい心も、ああ数えればきりがないほどありますが、一番であり最大のポイントは
好奇心と無邪気さ、真っ白な純粋さに満ちた子供の感性と、冷静な洞察力に長け、理知に富む大人の知性とを同時に併せ持つという離れ業が彼のパーソナリティなのだという点なのです。
子供の心を持つ大人。
それに近い人はたくさん存在しますが、どこかわざとらしかったり、その人なりの都合のいい解釈での子供だったり、単なる稚拙な子供っぽさだったり、そういう人は得てして感情だけで動きやすく、そこに理性や信念などは実は介在しておらず、逆に理知的なのだけれど面白みに欠けたり・・といった風で、なかなかどうして、この事をパーフェクトに体現できる人は少ないと思います。

それをね。
本当にやっちゃってるでしょこの人^^
100歩譲ってその割合がフィフティ・フィフティってなら、まぁいるかもしれません。
でも彼は100:100なんだよね。MAX:MAX!
どちらか一方に傾いても仕方ない究極に危ういバランスが、これ以上にないぐらい奇跡のような1点で見事に調和している人。
宇宙が太陽と月を抱いて存在するように、1日が夜と昼で成り立つように、直感を信じ感性を重んじながら、熟考を重ねる思考の人・・
あーしびれるーー!\(^o^)/
それにやられちゃうんですよ、はいー^^
MJTapesで、わたしがやられちゃったマイケルのハロウィンのお話しの元々は、マイケルが属していたエホバの規律と、彼のアーティストとしての表現が相容れなくなり、それに悩み苦しんだ経験の話でスタートしています。
わたしの持っている資料には、シュムリーの独白や解説部分がごっそり抜けてますんで、基本会話部分しかわからないのですが、MJ Tapes「Rejection by the Jehovah's Witnesses Church」の章から一部抜粋・要約します。
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「宗教が持つ一種の傲慢さに対する君の嫌悪は、君の人格形成時に受けた宗教的教育の名残りだと思うかい?」
「It hurt me a lot and it helped me a lot. それは僕を大いに傷つけもし、大いに助けてもくれたよ」
「君をどんな風に傷つけたんだい?」
「When I did certain things in the past that I didn't realize were against the religion and I was reprimanded for it, it almost destroyed me.
過去に僕がやった特定のこと・・僕はそれが宗旨に背いているだなんて思いもしなかったのに、そのせいで教会から厳しく咎められたんだ・・危うくダメになりそうだった。
Certain things that I did as an artist in my music I didn't realize I was crossing a line with them and when they chastised me, it really hurt me.
僕の音楽の中でアーティストとしてやったことが、彼らの宗教的に引いた許容ラインを逸脱しているなんて気づかなかったのに、それをひどく非難された時、僕は本当に傷ついたんだ。
It almost destroyed it. My mother saw it.
打ちのめされそうだった・・母は知っているよ」
マイケルのいう特定のこととは、ムーンウォークなどのダンスムーブが、腰を強調する動きだからいけないとか、スリラーのSFが悪魔崇拝だからいけない、といったことで、これは今となっては有名な話ですね。
マイケルは教会に対して「I said 90.9 percent of dancing is moving the waist. ダンスの90.9%は腰の動きなんですと僕は言った」と反論しますが、聞き入れてもらえるはずもなかった、しばらくはできるだけ腰を動かさずに踊ろうと試みたこともあったと話しています。
一瞬、ダンスの90.9%は腰で決まり!このフレーズに「そうよね!Kingから腰を取ったら何が残るの!いやそりゃいろいろ残るけど!腰を動かさずに踊るって!だめよだめだめそんなこと!しかし90.9%ってどっから叩き出した数字なの!?教えてジャクソン先生!!」と、おおいに盛り上がってしまった不埒なわたしをお許しくださいw

気を取り直して、この会話では出てきませんが、スムースクリミナルの撮影時、マシンガンをぶっ放すシーンを巡ってついに教会と決裂するに至るほど、アーティストとして表現したいことが確たる理由なしに咎められ非難されることは、彼からすれば想像を絶するジレンマだったことでしょう。
わたしの勝手な解釈ですが、彼にとって大いなる神を信じることと、特定の宗教が独自にもつ規律、しかも納得できない教義に従うこととに、もはや何の整合性も感じられなくなっていたのではないかと思います。
シュムリーの言う「宗教が持つ一種の傲慢さ」とは、多くの宗教がもつ、教えに対して悪とみなす事柄は絶対的であるとする部分ではないかと推察するのですが、そういう意味ではシュムリーはラビという立場でありながら、ここではマイケルの意見と対立することは避けています。
そういった宗教的に何が善で何が悪か、といった議論を、こんなヘタレブログでするつもりは毛頭ありませんが、この章では、というよりマイケルとシュムリーの会話の中では、頻繁にこういった深いお話が展開されます。
このような会話の流れがあって、いよいよ本題と言いますか、教義上禁止されていたハロウィンのトリック・オア・トリートに関するマイケルの見解へとつながっていくわけです。
「They can discriminate sometimes in the wrong way. I don't think God meant it in that way.
彼ら(宗教)は時として、間違ったやり方でえり好みすることがある。でも僕は神がそういったことを意図されたとは思えないんだ。
Like Halloween, I missed out on Halloween for years and now I do it.
例えばハロウィンさ、僕は長い間ハロウィンの機会を逃してきたけれど、今は祝っているよ
It's sweet to go door to door and people give you candy. We need more of that in the world. It brings the world together.
ドアからドアへ一軒一軒回ってキャンディをもらうなんて素敵なことだ。世界中でもっとそういう行事をすべきだよ。そういうことが世界をひとつにまとめるんだ」
「君はトリック・オア・トリートにプリンスやパリスを連れて行くのかい?」
「Absolutely, we have a family that we go with in the area and we give them the candy.
もちろん!僕たちは一緒に近所を回る仲のいい家族がいるし、キャンディをあげたりもするよ。
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ。
We get it in a bag and then [whispering] I exchange their candy for candy eyeballs.
僕たちはバッグにキャンディをいれて、それから・・(ささやき声で)僕らが人にあげるためのキャンディは目玉キャンディと取り換えるんだよ」
(中略)
「“ハロウィンの本質”についての洞察だね、マイケル。君はそのようなことをもっと公表すべきだよ。
「The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers. ハロウィンの本質とは、子供たちが見知らぬ者からの優しさを目にすることだ」とね。
気に入ったよ。とてもいい考えだ。それはトリック・オア・トリートが、キャンディをたかる行為から、もっと意味のあるものになるね」
「I cry behind my mask. I really do when I go with them and people say, "Open your bag," and I think, look what I have been missing. I didn't know that this....
仮装の仮面の裏で僕は泣いてしまうんだ。子供たちと一緒に行って、人々が「キャンディをあげましょう、さぁバッグを開けて」と言うとき、僕は、ずっと失っていたものを見たような気がして本当に涙が出るんだ。僕はこのようなことを知らなかったから・・・。
I look at their face and they are giving you a gift. It's sweet.
The kids come and they open their bags and then they go, "Oh look at this little one," and it is just sweet the way they respond.
玄関をノックして、その家の人の顔を見てギフトをもらう。素敵なことだよね。
子供たちが家に来て、自分たちのバッグを開けて、そして帰っていく・・「わぁ、このかわいいの見て!」と言いながらね。彼らの反応は本当に愛らしくてかわいいよ。
I think that's very kind. That part of America I am proud of.
僕はトリック・オア・トリートはとても思いやりのある行事だと思う。アメリカのこういうところは誇りに思うよ」
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ついつい泣いてしまう全くもって愛おしいKingですが、こういった会話を知らなければ、マイケルがハロウィンに、特にトリック・オア・トリートにおいて、単に仮装を楽しんで自分が知らなかった童心を満たす素晴らしい機会だと捉えている、としか思わなかったと思うのです。
彼は自分自身を満たすことよりも、親として世界人として、地球上の大切な子供たちに、肌の色や宗教などさまざまな違いはあれど、見知らぬ誰かの優しさ、人が持つ本来の善良さにふれる体験をすることで、彼らの心には温かな光が灯され、いずれ大人になって猜疑心が生まれようとも、一度灯ったその灯りは決して消えずに必ず彼らを助けるだろうことを、トリック・オア・トリートという行事を通じて教えてあげたいと願っていたのではないでしょうか。
It's sweet to go door to door and people give you candy. We need more of that in the world. It brings the world together.
ドアからドアへ一軒一軒回ってキャンディをもらうなんて素敵なことだ。世界中でもっとそういう行事をすべきだよ。そういうことが世界をひとつにまとめるんだ
なぜそういったことが、世界をひとつにし得るのか。
それは、ドアをノックして出てきた住人が、何の見返りも求めず、ただ笑顔で「お菓子をあげましょうね。あなたのバッグを開けてちょうだい」と、甘くておいしいキャンディをくれる・・そういった無償の優しさに触れることだから。
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ
人の持つ善良な優しさを信じること

自分もいずれ大人になったら、やってくる子供たちに自分がしてもらったように優しくしてあげる・・
どんな子供であっても。
目の色や肌の色が自分と違っても、住んでいる場所が違っても、通う教会や学校が違っても・・
そしてそんな思いやり深く優しいまなざしを、いつしか子供にだけではなく色々な人に向けられますように。
そんなことを願う行事になっていければ
世界の至る所で、子供は人の優しさを知り、心に善なる灯りを点し
大人は子供の純粋な愛らしさをあらためて慈しみ、そのあどけない瞳を曇らせまいと誓う
そんな願いをこの行事に託したいと、もしも彼が思っていたなら
本来傲慢さを憎み謙虚であれと教える宗教が、そんな本質を考えようとせず、ただうわべの仮装が教義に背くという理由でこの行事を忌み嫌う、そういった姿勢にマイケルは賛同できなかったのではないかと思います。
お断りしておきますが、その教義に忠実に忠誠を誓う方々に意見を申し上げているのではありません。
そのような見解もあるということで、ご理解くださいませ。
とにかく
わたしがやられちゃうのは、彼のこういうところ^^
純粋にトリック・オア・トリートを楽しむ彼の無邪気さと、一方でその行事の宗教的意味合いをもはるかに超越した、人間の善良さを信じるという小さな種を、幼い頃に撒くまたとない機会だとするその深い洞察力が、彼の中では奇跡のバランスを保ってこんなに美しく整然と共存しているのです。
あー、やられる!!
素敵すぎる!
なんてステキなKingなんだろうか、まったくもう!\(^o^)/

上記のやられポイントをヴィジュアル化しましたw
マイケルの素敵さを認めるのはわたしだけではなく、シュムリーも「ハロウィンの本質」と言う言葉を使って、「それがキャンディをたかる行為から、もっと意味のあるものになる」と賛同していますが、ユダヤ教のラビである彼ににとっても、Trick or treating自体「キャンディをたかる行為」だと揶揄する行事なわけですよね。
お互い意見が一致して有意義な時間を過ごしているように見えますが、この時だけに限らず二人の間には、どうしても教義に忠実なる者と、それに疑いを抱いた者との微妙な隔たりが常に見え隠れするのです。
それを承知であえてギリギリの話題を選ぶ聖職者も大したものだと思うと同時に、時に自分のことを涙ながらに語り、聖職者に懺悔をしているかのようにみえても、その実彼に真っ向勝負を仕掛けるごとく誤魔化さずに自分の信念を、ストレートにぶつけるマイケルが一枚も二枚も上手だなぁと感じます。
そのくせ、一瞬で幼子の感性が顔をのぞかすという、それは決して表と裏のように単純な作りではなく、くるくると変化する多面体的な魅力が炸裂しちゃうといいますか。
そういう彼のステキオーラをこれでもか!と浴びてしまって、興味深いというよりも単にやられちゃうのです、たぶん^^
はい、ではここで、ようやく冒頭のMJ Quotesのお話しに戻りましょう。
よい子の皆さんは気付かれたと思いますが
“The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers... It brings the world together.”- Michael Jackson
これは、シュムリーが言った言葉「The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers. ハロウィンの本質とは、子供たちが見知らぬ者からの優しさを目にすることだ」と、マイケルの話した言葉「It brings the world together. そういうことが世界をひとつにまとめるんだ」が合体されているんですね。
半分本当で半分大間違いでしょう?
Quotesとは本来は引用という意味なので、その人が言ったというのが前提で、その上で「記憶に残る意味のあるステキな言葉」として引用されるもの。
だから、全部がマイケルの言葉だと思った人は多いと思います。
こういうところがいわゆるMJ Quotesと呼ばれるものの、ちょっと信用できないところではあります。
遠足のバスの中でやった伝言ゲームのごとく、どこかで間違っても訂正されることなく伝言し続けられてしまう。
一番最初に誰かがMJの言葉としてTumblrだかなんかに載せて、それを次の人は頭から信じて自分のSNSでも載せて・・って、簡単に広まっていったのね。
自分の言った言葉が、誰かの手で色を付けられ、あるいは意味を変えられ、大切なところは端折られ、そうしてインタビューを受けなくなったマイケル。
そのことを思うと、SNSも、もちろんこういったブログも含め、便利なようでいて、危うい怖さと背中合わせなんだと再認識してちょっと考えさせられた1件でした。
なので、わたしもマイケルの言葉を引用する際には、自分なりに注意を払ってはいるつもりですが、いつそういった間違いをしでかすやもしれず。
時にはちょっと端折ってしまったり要約してしまうことがありますので、その際には出典元を明記することや、あくまで概要です的なお断りを、必ず入れるようにしていますけれどね・・
ですので、ここの内容も100%確実ではないこと、あくまでわたし個人の見解だということも重ねてお断りしておきます。
てことで、MJ Quotesとしてあの一文をどこかで見かけても誰かに伝言しないでね^^
あ、シュムリーとの合作だよ!って添え書きするなら大丈夫!多分w
同じハロウィンにおけるMJ名言をわたしがチョイスするなら、迷わずこの言葉です。
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ。
わたしのこれまた勝手な解釈ですが、トリック・オア・トリーティングを通じて見せたいと言った「人間の善なる優しさを信じる」的な見方は、彼のコンサートにおいて「Earth Song」の演出で使われる「兵士に花を差し出す少女」にも投影されているんじゃないかと思います。

自分の街をずたずたに破壊する敵である兵士に、その理不尽な被害を一番こうむっているはずの小さな少女が、荒れ果てたその地にたくましく生き残った大いなる命の象徴である黄色い花を渡すのです。
兵士を憎み、石を投げつけてもいいはずの少女の中の善
その花を受け取った途端、それまでの自分を悔いて泣き崩れる兵士の中の善
人は時に冷酷で非情な生き物ではあるけれども、同時に優しく善良な心をもその身の内に持っているんだ、と
その曇りのない純粋な善の心は、凍てつきかたくなになってしまった人の気持ちを溶かすこともできる
そんな優しさは誰の心にでもあることをわかってほしい・・と
白状すると、昔はこの演出が、いかにも品行方正すぎて苦手だったわたし・・
なんだか、ざーとらしーく思えて・・ふっふふ・・おのれの黒さがそうさせてたのね(遠い目)
でも今は、この演出の核となった彼の想いがようやくなんだかちょっとだけ・・遅くてすんませんジャクソン先生(/_;)
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ。
無知からくる偏見により、いわれのない非難を常に浴びた彼の口から出るこの言葉は、とても重くて、なんだか胸をゆすぶられてしまう。
空より高い理想を目指し、海より深い思慮を持ち、季節を問わずサンタのように喜びを配る優しいピーターパン・・
そらやられるよね!!\(^o^)/
てことで、2014年しょっぱなから、なにこのだらだらな長文地獄!って思いつつもここまでお読みいただいたみなさんの、その我慢強い忍耐力と長旅をも厭わないチャレンジ精神と、MJばりの慈悲深さに心から感謝!m(__)m
最後にわたしがこれを書きながら「やられた」新たなMJ名言を発表してようやくお別れです^^
90.9 percent of dancing is moving the waist.
ダンスの90.9%は腰の動きなんです
腰の動き大爆発!!
やっぱこれでしょ!King万歳!きゃっほー!!\(^o^)/
今年もジャクソン先生へのマグマのような愛を、キモち悪くお届けしていきます~♪
どうぞよろしくおねがいしまーす!
・・・
とはいえ、もう2014年もすでに9日だよ?しかもあと10分ぐらいで10日じゃんw
さすがにお正月気分なんてきれいさっぱりぶっ飛んでますよね?
じゃあ、ハロウィンのお話ししてもいい?w
今年も季節感、タイムリー感、History感全くないですYO!\(^o^)/
あ、それと
ごっつ長いよ(笑)
さていきなりですが
“The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers.. It brings the world together.”- Michael Jackson
これね・・
MJ Quotesとしていろんなところで見かける(主にSNSね)んだけれど、いつも「これってどこで言った言葉なのかなぁ」と疑問に思う癖があるわたしなので、すぐ調べちゃうんですけど、そうしたらば、ちょっと奥さん!
半分本当で半分大間違いなのよこれ。
どこがどうおかしいかをお話ししますわ、もちろん!でもあとでねw
まずはマイケルがハロウィンをどう思っているか、彼のインタビューでおさらいしましょう^^
■Getmusic.com Online Audio-Chat インタビュー(October, 26th, 2001)
Q: ハロウィンが近づいてきました。仮装やパーティの計画はありますか?
Uh, no. I was going to just go trick or treating.
Go out, knock on some doors and get some candy.
I love trick or treat. It’s one of my favorite ones.
I love dressing up like some kind of monster or something and knocking on the doors.
No body knows it’s me, and I get candy.
いや、ないよ。でもトリック・オア・トリートには行くつもりだよ。
外へ出かけて、何軒かドアをノックして、キャンディをもらうんだよ。
トリック・オア・トリートは大好きさ。僕の一番の気に入りの一つなんだ。
モンスターか何かの格好をして、ドアをノックするのは最高だね。
誰も僕だってわからないし、そのうえキャンディももらえるしね!

以前ご紹介したマイケルの主治医のバーニー先生の本。
今現在、日本のAmazonではKindle版しか扱ってないみたい・・USではペーパーバックもありますけれどねぇ。
でも同じ読むなら、そら日本語がいいよねw
去年日本語訳が出版される予定だと、Twitterかなんかで見て興奮し、FBでバーニー先生を見つけちゃって、またもや「日本語のぉ本の出版がぁ、まちどうしーでぇす」とメッセージを送ってしまったらば、律儀に「今最初の草稿の翻訳をやっていますよ^^」とお返事をいただきました。
んもう、お座りをしてお行儀よく待っちゃうかんね!\(^o^)/
日本語の正しい翻訳本を待つ間に、ハロウィンの思い出の章を、ちらっと、相当大雑把にかいつまんで、しかも怪しい訳でご紹介しましょうかね(どうせやるならちゃんとしろ?ごもっともよねw)
前回同様、かっちりときっちりとした正確な訳では毛頭ございませんので、そこんとこ夜露詩句!
翻訳が出たら相当違っている内容だった場合も、笑って許して和田アキコ!
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■Private conversations in Neverland with Michael Jackson / William B. Van Valin II著
TRICK OR TREATING WITH MICHAEL AND THE KIDS P43 より要約
ある年のハロウィンに、マイケル一家はトリック・オア・トリートを一緒に行うべくバーニーのおうちへやってきます。

んが、その時のKingのいでたちがもう・・ww
スパイダーマンのTシャツにシューズカバー、手にはお医者さんや雪国まいたけ工場長とかがかぶる(多分ね)サージカルキャップとマスク、首に聴診器をかけて(意味がわからないw)、お約束の黒のオシャレジャケット羽織って、それは一目見て「あ、マイケル・ジャクソンだ」ってわかる格好でやってきたらしく。
バーニー曰く、マイケルは自分だって全く気付かれないのは面白くないと思っていたんじゃないかと感じたそう。
うん、たぶんそうだと思うよバーニー(笑)
「あなたMJに似てるわね」みたいなぎりぎりリスクがある方が彼は燃えるんだと思う(何に)。
しかも目立たない小さな青のバンで来てね、とバーニーはマイケルに言っておいたのに、さすがKing、バーニーが知ってる中でも一番大きな白のリムジンで乗り付けたらしいw
子供たちはひとまずバーニーのおうちに入り、リムジンに乗り込んだバーニーはマイケルに言います。
「てっきり青いバンで来ると思ってたよ」
He laughed and said , "Oh I thought you said bring the white limo , " and laughed again.
彼は笑ってこう言いました。「あれぇ?君が白のリモで来てって言ったからだよ」言い終わるとまた笑いました。
ワザとだねw
でもマイケルがこの巨大な白いリムジンを選んだのには、理由があったようで・・
そうこうしているうちに、目立ちまくる白のリモは近所の子供たちに取り囲まれてしまいます。
スモークされて室内がわからないから、余計みんな興味津々な様子。
バーニーが「このままでいるつもり?」と聞くと、マイケルは余裕ぶっこきつつ「I have a plan. 僕に考えがあるよ」と言いながら、キャップやマスク、聴診器はつけずに外に出ます。
何人かの子供に「あなたはマイケル・ジャクソンなの?」と聞かれた彼はこう答えます。
「No. I just dressed up like him for Halloween. 違うよ。ハロウィンだから、マイケルっぽい仮装にしたんだ」
子供たちは一瞬がっかりしたような、でもどこかホッとしたような感じになって、すぐに「わお!!すごい!完璧な変装だよ!」と異常に盛り上がり、さらに白いリムジンがどれだけクールかということを口々に大騒ぎ。
ここでジャクソン先生の目がきらーんと光り、(原文にはこんな記述はありません念のため)子供たちにこう言います。
「Do you want to see what it can do? この車で何ができるか見たい?」
そして返事を待たずに「Watch this! Shut the doors! 見てごらん!ドアを閉めて!」と子供たちをリムジンに乗り込ませ、なにやらボタンを押しまくるKing!
すると、たちまち車内はスモークがたちこめ、ステレオの音量は最大に!さらにフラッシュライトがぴかぴかきらきら点灯し、車内は完璧にディスコ状態!w
子供たちに「どう、これ?いいと思う?好き?」みたいな事を何度も聞いているマイケルを見ながら、バーニーは「なるほどね・・これしたくてこのリモにした訳ね・・」と確信したそう。
なぜなら、King所有の4台のリムジンでこんな仕掛けがあるのは、この白いリモだけだったからです。
おそらくマイケルは、バーニーの子供たちに見せてあげようとして、あるいはハロウィンだから近所の子供たちに会ってこんなシチュエーションもあったりしてな~なんて予想して、わざわざ秘密兵器で参上したんですねw
やっぱやるねKing!\(^o^)/
その後、ふたりはマイケルの変装を完璧にするべく、バーニーのおうちへ戻ります。
バーニー曰く、マイケルがトリック・オア・トリートに出かけるのを、プリンス・パリスと同じくらい、いえそれ以上に興奮を押さえられない程楽しみにしてた様子は忘れられないんだとか。
バーニーの奥さんのクリスは、できるだけマイケルだとバレないように、キャップやマスクをしっかり装着させ、よれっとした襟やずれずれの靴カバーをきちんと整えたりしてあげてるのに、そんな間も、Kingは何度もドアから飛び出そうとして奥さんに止められる始末w
ようやく(バーニー曰くお粗末なw)仮装(?)が完成したKingにクリスは聞きます。
「・・で?いったいあなたは誰なのかしらマイケル?」(こういう質問の仕方ってアメリカンだよね!^^)
マイケルは首から下げた聴診器をもぞもぞ触りつつ答えました。
「I'm Spiderman・・with a twist 僕はスパイダーマンだよ・・ひねりの効いたね」
バーニー一家と共に地域を回ってトリック・オア・トリーティングを楽しんだマイケル親子。
バーニーはマイケルの気持ちを尊重して、ネバーランドランチでも自分の家でさえも写真を撮ることをしなかったそう。
彼が持つ唯一の写真は、Kingが彼にくれた1枚だとか。
そんな風なので、この日もバーニーが写真を撮ることなどなかったのですが、彼の近所の人たちは自分のホームムービーで、自分のうちにやってきた子供たちを自分の楽しみのために撮影していたようで、運が悪いんだかいいんだか、お菓子をねだりに来たプリンスたちも写されてしまいます。
それに気がついたマイケルは、ほとんどつまづいてすっころびそうな勢いで、プリンスたちをひっぱってフレームアウトさせたのですが、バーニーは多分がっつり映っちゃったな~・・と思うのです。
でも、彼のご近所、ロスオリボスの住民はわかってくれていたようで、バーニーが尋ねるまでもなく誰一人としてマイケル親子の写真やムービーを公表する人などいませんでした。
ちゃんちゃん。
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ひねりの効いたスパイダーマン!!
あーもー笑かすぜ、Kingさんよ!\(^o^)/
さて、今回このお話を書いている理由は、もちろん子供以上に、このtrick or treatingを好きだったマイケルの、超絶キュートで愛しすぎる天然かわいさをシェアすることではありますが、特にこういったエピソードはMichael loverの大好物だしね!
でも冒頭に書いた名言の真偽も含めて、実は本題はここからで・・。(でたー!2014年も前振り長いぞー!)
もともとハロウィンは、紀元前アイルランドに住んでいた古代ケルト人の儀式が起源なんだとか。
ケルト族の暦では10月31日が大晦日にあたるらしく、新しい年を迎えるにあたりその年の収穫を祝ったそうな。
でもそのお祭りの日に、収穫された食べ物を求めて死者の魂や魔性の者たちが地上へ降りてくると考えられていて、そういう邪悪なものを追い出す宗教的な意味合いのある行事だったそうです。
ハロウィンでお馴染みの仮装は、彷徨い歩く邪悪なものと遭遇しても、「わたしも同じ悪霊ですよ♪」的に同じ装いをして難をのがれようとしたのだとか。
Trick or treatは、邪悪なものをもてなして(treat)、災い=いたずら(trick)を回避するという意味らしい。
現在は宗教色は薄くなり、日本におけるクリスマス的イベントになりつつあるとはいえ、厳格なキリスト教徒は悪魔と同じ装いをするこの行事を教育上有害だとして認めていませんので、誰でも彼でも行う行事ではないようです。
もちろんユダヤやイスラムなど、戒律の厳しい教義を重んじる人々においては、さらに関係ない異教徒の行事といえるでしょうね。
もちろんノーバースデー、ノークリスマスの幼かったマイケルにとっても「そんなの関係ねぇ」だったわけで。
過去記事でも触れましたユダヤ教のラビ、シュムリーとの会話集「MJ Tapes」で、このハロウィンに対する大変興味深い彼らの見解を読むことができます。
前述のインタビューやエピソードのマイケルは、誰にも気兼ねなく変装をして、自分が何者なのか詮索されることなく、普通の人と同じように外出できるこの機会を存分に楽しんでいるという、お茶目なかわいさが深く印象に残りますが。
もちろん本当に楽しんでいたでしょうが、同時に彼はこの子供が喜ぶ行事の中に、宗教的意味合いではない、人が成長する過程で体験するべき大いなる価値を見出していました。
わたしがマイケルに「やられてしまう」ポイントは、もちろん話し声も歌もダンスもダサかっこいいKingセンスも立っているだけで匂い立つほどの気品も思いやり深く優しい心も、ああ数えればきりがないほどありますが、一番であり最大のポイントは
好奇心と無邪気さ、真っ白な純粋さに満ちた子供の感性と、冷静な洞察力に長け、理知に富む大人の知性とを同時に併せ持つという離れ業が彼のパーソナリティなのだという点なのです。
子供の心を持つ大人。
それに近い人はたくさん存在しますが、どこかわざとらしかったり、その人なりの都合のいい解釈での子供だったり、単なる稚拙な子供っぽさだったり、そういう人は得てして感情だけで動きやすく、そこに理性や信念などは実は介在しておらず、逆に理知的なのだけれど面白みに欠けたり・・といった風で、なかなかどうして、この事をパーフェクトに体現できる人は少ないと思います。

それをね。
本当にやっちゃってるでしょこの人^^
100歩譲ってその割合がフィフティ・フィフティってなら、まぁいるかもしれません。
でも彼は100:100なんだよね。MAX:MAX!
どちらか一方に傾いても仕方ない究極に危ういバランスが、これ以上にないぐらい奇跡のような1点で見事に調和している人。
宇宙が太陽と月を抱いて存在するように、1日が夜と昼で成り立つように、直感を信じ感性を重んじながら、熟考を重ねる思考の人・・
あーしびれるーー!\(^o^)/
それにやられちゃうんですよ、はいー^^
MJTapesで、わたしがやられちゃったマイケルのハロウィンのお話しの元々は、マイケルが属していたエホバの規律と、彼のアーティストとしての表現が相容れなくなり、それに悩み苦しんだ経験の話でスタートしています。
わたしの持っている資料には、シュムリーの独白や解説部分がごっそり抜けてますんで、基本会話部分しかわからないのですが、MJ Tapes「Rejection by the Jehovah's Witnesses Church」の章から一部抜粋・要約します。
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「宗教が持つ一種の傲慢さに対する君の嫌悪は、君の人格形成時に受けた宗教的教育の名残りだと思うかい?」
「It hurt me a lot and it helped me a lot. それは僕を大いに傷つけもし、大いに助けてもくれたよ」
「君をどんな風に傷つけたんだい?」
「When I did certain things in the past that I didn't realize were against the religion and I was reprimanded for it, it almost destroyed me.
過去に僕がやった特定のこと・・僕はそれが宗旨に背いているだなんて思いもしなかったのに、そのせいで教会から厳しく咎められたんだ・・危うくダメになりそうだった。
Certain things that I did as an artist in my music I didn't realize I was crossing a line with them and when they chastised me, it really hurt me.
僕の音楽の中でアーティストとしてやったことが、彼らの宗教的に引いた許容ラインを逸脱しているなんて気づかなかったのに、それをひどく非難された時、僕は本当に傷ついたんだ。
It almost destroyed it. My mother saw it.
打ちのめされそうだった・・母は知っているよ」
マイケルのいう特定のこととは、ムーンウォークなどのダンスムーブが、腰を強調する動きだからいけないとか、スリラーのSFが悪魔崇拝だからいけない、といったことで、これは今となっては有名な話ですね。
マイケルは教会に対して「I said 90.9 percent of dancing is moving the waist. ダンスの90.9%は腰の動きなんですと僕は言った」と反論しますが、聞き入れてもらえるはずもなかった、しばらくはできるだけ腰を動かさずに踊ろうと試みたこともあったと話しています。
一瞬、ダンスの90.9%は腰で決まり!このフレーズに「そうよね!Kingから腰を取ったら何が残るの!いやそりゃいろいろ残るけど!腰を動かさずに踊るって!だめよだめだめそんなこと!しかし90.9%ってどっから叩き出した数字なの!?教えてジャクソン先生!!」と、おおいに盛り上がってしまった不埒なわたしをお許しくださいw

気を取り直して、この会話では出てきませんが、スムースクリミナルの撮影時、マシンガンをぶっ放すシーンを巡ってついに教会と決裂するに至るほど、アーティストとして表現したいことが確たる理由なしに咎められ非難されることは、彼からすれば想像を絶するジレンマだったことでしょう。
わたしの勝手な解釈ですが、彼にとって大いなる神を信じることと、特定の宗教が独自にもつ規律、しかも納得できない教義に従うこととに、もはや何の整合性も感じられなくなっていたのではないかと思います。
シュムリーの言う「宗教が持つ一種の傲慢さ」とは、多くの宗教がもつ、教えに対して悪とみなす事柄は絶対的であるとする部分ではないかと推察するのですが、そういう意味ではシュムリーはラビという立場でありながら、ここではマイケルの意見と対立することは避けています。
そういった宗教的に何が善で何が悪か、といった議論を、こんなヘタレブログでするつもりは毛頭ありませんが、この章では、というよりマイケルとシュムリーの会話の中では、頻繁にこういった深いお話が展開されます。
このような会話の流れがあって、いよいよ本題と言いますか、教義上禁止されていたハロウィンのトリック・オア・トリートに関するマイケルの見解へとつながっていくわけです。
「They can discriminate sometimes in the wrong way. I don't think God meant it in that way.
彼ら(宗教)は時として、間違ったやり方でえり好みすることがある。でも僕は神がそういったことを意図されたとは思えないんだ。
Like Halloween, I missed out on Halloween for years and now I do it.
例えばハロウィンさ、僕は長い間ハロウィンの機会を逃してきたけれど、今は祝っているよ
It's sweet to go door to door and people give you candy. We need more of that in the world. It brings the world together.
ドアからドアへ一軒一軒回ってキャンディをもらうなんて素敵なことだ。世界中でもっとそういう行事をすべきだよ。そういうことが世界をひとつにまとめるんだ」
「君はトリック・オア・トリートにプリンスやパリスを連れて行くのかい?」
「Absolutely, we have a family that we go with in the area and we give them the candy.
もちろん!僕たちは一緒に近所を回る仲のいい家族がいるし、キャンディをあげたりもするよ。
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ。
We get it in a bag and then [whispering] I exchange their candy for candy eyeballs.
僕たちはバッグにキャンディをいれて、それから・・(ささやき声で)僕らが人にあげるためのキャンディは目玉キャンディと取り換えるんだよ」
(中略)
「“ハロウィンの本質”についての洞察だね、マイケル。君はそのようなことをもっと公表すべきだよ。
「The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers. ハロウィンの本質とは、子供たちが見知らぬ者からの優しさを目にすることだ」とね。
気に入ったよ。とてもいい考えだ。それはトリック・オア・トリートが、キャンディをたかる行為から、もっと意味のあるものになるね」
「I cry behind my mask. I really do when I go with them and people say, "Open your bag," and I think, look what I have been missing. I didn't know that this....
仮装の仮面の裏で僕は泣いてしまうんだ。子供たちと一緒に行って、人々が「キャンディをあげましょう、さぁバッグを開けて」と言うとき、僕は、ずっと失っていたものを見たような気がして本当に涙が出るんだ。僕はこのようなことを知らなかったから・・・。
I look at their face and they are giving you a gift. It's sweet.
The kids come and they open their bags and then they go, "Oh look at this little one," and it is just sweet the way they respond.
玄関をノックして、その家の人の顔を見てギフトをもらう。素敵なことだよね。
子供たちが家に来て、自分たちのバッグを開けて、そして帰っていく・・「わぁ、このかわいいの見て!」と言いながらね。彼らの反応は本当に愛らしくてかわいいよ。
I think that's very kind. That part of America I am proud of.
僕はトリック・オア・トリートはとても思いやりのある行事だと思う。アメリカのこういうところは誇りに思うよ」
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ついつい泣いてしまう全くもって愛おしいKingですが、こういった会話を知らなければ、マイケルがハロウィンに、特にトリック・オア・トリートにおいて、単に仮装を楽しんで自分が知らなかった童心を満たす素晴らしい機会だと捉えている、としか思わなかったと思うのです。
彼は自分自身を満たすことよりも、親として世界人として、地球上の大切な子供たちに、肌の色や宗教などさまざまな違いはあれど、見知らぬ誰かの優しさ、人が持つ本来の善良さにふれる体験をすることで、彼らの心には温かな光が灯され、いずれ大人になって猜疑心が生まれようとも、一度灯ったその灯りは決して消えずに必ず彼らを助けるだろうことを、トリック・オア・トリートという行事を通じて教えてあげたいと願っていたのではないでしょうか。
It's sweet to go door to door and people give you candy. We need more of that in the world. It brings the world together.
ドアからドアへ一軒一軒回ってキャンディをもらうなんて素敵なことだ。世界中でもっとそういう行事をすべきだよ。そういうことが世界をひとつにまとめるんだ
なぜそういったことが、世界をひとつにし得るのか。
それは、ドアをノックして出てきた住人が、何の見返りも求めず、ただ笑顔で「お菓子をあげましょうね。あなたのバッグを開けてちょうだい」と、甘くておいしいキャンディをくれる・・そういった無償の優しさに触れることだから。
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ
人の持つ善良な優しさを信じること

自分もいずれ大人になったら、やってくる子供たちに自分がしてもらったように優しくしてあげる・・
どんな子供であっても。
目の色や肌の色が自分と違っても、住んでいる場所が違っても、通う教会や学校が違っても・・
そしてそんな思いやり深く優しいまなざしを、いつしか子供にだけではなく色々な人に向けられますように。
そんなことを願う行事になっていければ
世界の至る所で、子供は人の優しさを知り、心に善なる灯りを点し
大人は子供の純粋な愛らしさをあらためて慈しみ、そのあどけない瞳を曇らせまいと誓う
そんな願いをこの行事に託したいと、もしも彼が思っていたなら
本来傲慢さを憎み謙虚であれと教える宗教が、そんな本質を考えようとせず、ただうわべの仮装が教義に背くという理由でこの行事を忌み嫌う、そういった姿勢にマイケルは賛同できなかったのではないかと思います。
お断りしておきますが、その教義に忠実に忠誠を誓う方々に意見を申し上げているのではありません。
そのような見解もあるということで、ご理解くださいませ。
とにかく
わたしがやられちゃうのは、彼のこういうところ^^
純粋にトリック・オア・トリートを楽しむ彼の無邪気さと、一方でその行事の宗教的意味合いをもはるかに超越した、人間の善良さを信じるという小さな種を、幼い頃に撒くまたとない機会だとするその深い洞察力が、彼の中では奇跡のバランスを保ってこんなに美しく整然と共存しているのです。
あー、やられる!!
素敵すぎる!
なんてステキなKingなんだろうか、まったくもう!\(^o^)/

上記のやられポイントをヴィジュアル化しましたw
マイケルの素敵さを認めるのはわたしだけではなく、シュムリーも「ハロウィンの本質」と言う言葉を使って、「それがキャンディをたかる行為から、もっと意味のあるものになる」と賛同していますが、ユダヤ教のラビである彼ににとっても、Trick or treating自体「キャンディをたかる行為」だと揶揄する行事なわけですよね。
お互い意見が一致して有意義な時間を過ごしているように見えますが、この時だけに限らず二人の間には、どうしても教義に忠実なる者と、それに疑いを抱いた者との微妙な隔たりが常に見え隠れするのです。
それを承知であえてギリギリの話題を選ぶ聖職者も大したものだと思うと同時に、時に自分のことを涙ながらに語り、聖職者に懺悔をしているかのようにみえても、その実彼に真っ向勝負を仕掛けるごとく誤魔化さずに自分の信念を、ストレートにぶつけるマイケルが一枚も二枚も上手だなぁと感じます。
そのくせ、一瞬で幼子の感性が顔をのぞかすという、それは決して表と裏のように単純な作りではなく、くるくると変化する多面体的な魅力が炸裂しちゃうといいますか。
そういう彼のステキオーラをこれでもか!と浴びてしまって、興味深いというよりも単にやられちゃうのです、たぶん^^
はい、ではここで、ようやく冒頭のMJ Quotesのお話しに戻りましょう。
よい子の皆さんは気付かれたと思いますが
“The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers... It brings the world together.”- Michael Jackson
これは、シュムリーが言った言葉「The essence of Halloween is for children to witness the kindness of strangers. ハロウィンの本質とは、子供たちが見知らぬ者からの優しさを目にすることだ」と、マイケルの話した言葉「It brings the world together. そういうことが世界をひとつにまとめるんだ」が合体されているんですね。
半分本当で半分大間違いでしょう?
Quotesとは本来は引用という意味なので、その人が言ったというのが前提で、その上で「記憶に残る意味のあるステキな言葉」として引用されるもの。
だから、全部がマイケルの言葉だと思った人は多いと思います。
こういうところがいわゆるMJ Quotesと呼ばれるものの、ちょっと信用できないところではあります。
遠足のバスの中でやった伝言ゲームのごとく、どこかで間違っても訂正されることなく伝言し続けられてしまう。
一番最初に誰かがMJの言葉としてTumblrだかなんかに載せて、それを次の人は頭から信じて自分のSNSでも載せて・・って、簡単に広まっていったのね。
自分の言った言葉が、誰かの手で色を付けられ、あるいは意味を変えられ、大切なところは端折られ、そうしてインタビューを受けなくなったマイケル。
そのことを思うと、SNSも、もちろんこういったブログも含め、便利なようでいて、危うい怖さと背中合わせなんだと再認識してちょっと考えさせられた1件でした。
なので、わたしもマイケルの言葉を引用する際には、自分なりに注意を払ってはいるつもりですが、いつそういった間違いをしでかすやもしれず。
時にはちょっと端折ってしまったり要約してしまうことがありますので、その際には出典元を明記することや、あくまで概要です的なお断りを、必ず入れるようにしていますけれどね・・
ですので、ここの内容も100%確実ではないこと、あくまでわたし個人の見解だということも重ねてお断りしておきます。
てことで、MJ Quotesとしてあの一文をどこかで見かけても誰かに伝言しないでね^^
あ、シュムリーとの合作だよ!って添え書きするなら大丈夫!多分w
同じハロウィンにおけるMJ名言をわたしがチョイスするなら、迷わずこの言葉です。
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ。
わたしのこれまた勝手な解釈ですが、トリック・オア・トリーティングを通じて見せたいと言った「人間の善なる優しさを信じる」的な見方は、彼のコンサートにおいて「Earth Song」の演出で使われる「兵士に花を差し出す少女」にも投影されているんじゃないかと思います。

自分の街をずたずたに破壊する敵である兵士に、その理不尽な被害を一番こうむっているはずの小さな少女が、荒れ果てたその地にたくましく生き残った大いなる命の象徴である黄色い花を渡すのです。
兵士を憎み、石を投げつけてもいいはずの少女の中の善
その花を受け取った途端、それまでの自分を悔いて泣き崩れる兵士の中の善
人は時に冷酷で非情な生き物ではあるけれども、同時に優しく善良な心をもその身の内に持っているんだ、と
その曇りのない純粋な善の心は、凍てつきかたくなになってしまった人の気持ちを溶かすこともできる
そんな優しさは誰の心にでもあることをわかってほしい・・と
白状すると、昔はこの演出が、いかにも品行方正すぎて苦手だったわたし・・
なんだか、ざーとらしーく思えて・・ふっふふ・・おのれの黒さがそうさせてたのね(遠い目)
でも今は、この演出の核となった彼の想いがようやくなんだかちょっとだけ・・遅くてすんませんジャクソン先生(/_;)
I want them to see that people can be kind.
僕は子供たちに、人は時にこんなに優しくなり得るんだということをわかってほしいんだ。
無知からくる偏見により、いわれのない非難を常に浴びた彼の口から出るこの言葉は、とても重くて、なんだか胸をゆすぶられてしまう。
空より高い理想を目指し、海より深い思慮を持ち、季節を問わずサンタのように喜びを配る優しいピーターパン・・
そらやられるよね!!\(^o^)/
てことで、2014年しょっぱなから、なにこのだらだらな長文地獄!って思いつつもここまでお読みいただいたみなさんの、その我慢強い忍耐力と長旅をも厭わないチャレンジ精神と、MJばりの慈悲深さに心から感謝!m(__)m
最後にわたしがこれを書きながら「やられた」新たなMJ名言を発表してようやくお別れです^^
90.9 percent of dancing is moving the waist.
ダンスの90.9%は腰の動きなんです
腰の動き大爆発!!
やっぱこれでしょ!King万歳!きゃっほー!!\(^o^)/