London here we come ~MichaelとSugar foot その1
ジュリアンズ・オークションまたあったようです。
マイケルゆかりの品々がこうしていろんなところへ散り散りになっていきますね。
オークションを通じて病院など公共施設に展示されることもありますので
いちがいに批判するつもりは毛頭ないのですけれど。
できれば
MJミュージアムのような場所で常設展示されればなぁ・・とか。
ラスヴェガスのマンダレー・ベイホテルでは、シルク・ド・ソレイユ「THE IMMORTAL World Tour」開催と同時に期間限定でマイケル・ジャクソン・ファン・フェストを12月3日から14日まで行うそうです。
(こちらのMJFC公式ブログで詳細をご覧になれます)
一部抜粋させていただきました。
24カラットのゴールドで飾られた、マイケル自身がデザインした1999年製ロールス・ロイス・セラフ・リムジンの内装を覗いてみよう。それから、HIStoryツアー用に製作された10フィート(約3メートル)の像も要チェックです。「Scream」で使用された宇宙船の中を歩きながら、マイケルの音楽を感じよう。エジプトをテーマとした「Remember the Time」のセットで使われた本物の王座に腰掛け、そして「Earth Song」のライブ・パフォーマンスで使われた敵の戦車の前に立ってみよう。

展示写真はロンドンO2アリーナのエキスビションでのものです。



こーらまてまてまて
(中略)
彼のキャリアとネバーランドからの多岐にわたる個人的所有物が展示されます。マイケルのキャリアにおけるメモラビアとしては、80年代のファンタジーなグローブ・コレクションや、各種トロフィー、チケット、ビデオ「Leave Me Alone」で使われた有名なロケット、ネバーランドのリビングに飾られていたお城などが展示されます。展示されるアイテムのフォト・ギャラリーはこちらをクリックしてください。
------------------------
ここで見ることが出来るものの、おそらくほとんど一足先に見れたのだなと感無量。
去年の東京タワーや大阪スカイビルでのコレクション。
(あー、でも「Scream」の宇宙船の中を歩くとか、「Remember the Time」の王座とか「Earth Song」の戦車はさすがになかったな~><)
あの規模と点数のものが日本で見れた事は、本当に素晴らしい事だったなぁとあらためて感じます。
わたしはたまたまどちらも見に行けましたし、大阪ではバカみたいに通いつめましたが、ご覧になれなかった方も大勢いるでしょうから、できればまたそういう機会を、オリンピックとかドリカムのライブみたく4年に一度でもいいから再度開催して欲しいですね・・本当にお一人でも多くご覧いただきたいですし、みせて差し上げあげたいです(/_;)
人によってはそういう彼の品々を見るのが辛いという人もいるでしょうけれど・・
でもわたしにはあの展示はとてもとてもよかったのですね。
彼の想いや息吹の感じられる品を、1点1点ゆっくりと彼に想いを馳せながら、じっくりと見る・・
大げさに言ってしまえば、石庭や絵画を見るのと同じで、その品から彼の表情やその時の写真や映像や音楽がよみがえって、(一緒に体験していなくともw)あるいはどんな事を思いながらこれをつけたのかな、これを手にしたのかなとか想像したりして、BGMとしてマイケルの曲ががんがんにかかっているのに、いつしか自分とマイケルしかいないかのような静寂が訪れて、涙も流れるのに今から考えると精神的には癒されていたというか、本当に忘れられない思い出なのです。
でもやっぱり見るのが辛いものもまだあって
今回既に落札されたものですが、これは堪えます・・

2009年5月~
ステイプルズセンターリハで使用されたドラムのシンバルにサインしていたマイケル(カタログ・ロット詳細はこちら)
Peace Always
Me & A.E.G. 2009 is it!
London here we come
大文字小文字が入り混じる愛しい筆跡
ウィンクしているスマイル顔文字!
London here we come
いよいよロンドンだ
これの何が堪えるの?とお思いの方もいらっしゃるでしょうね。
解釈はいろいろ、というかわたしの乏しい英語力で勝手に自分で思っているのは、この言葉になんていうか「ロンドン!待ってて、もうすぐ行くよ!イエーィ!」みたいな雰囲気は感じられなくて、もちろん絵文字まであって、(しかし何故か切なく・・(/_;))これを書いたときのマイケルはきっとご機嫌だったと思われ・・
るんですけどね・・
じゃ何を感じるかというのは、最後にとっておきましょうかw
このシンバルはTIIでのドラマー、ジョナサン・モフェットが使用していたのと同じシンバルで、400年の歴史を持つジルジャンというブランドのものです。
オークションに出されたものはおそらくジョナサンが所有するものではないでしょう。
彼ならオークションに出すというようなことは絶対しないと思いますから。
なぜなら。
もうご存知の方も多いでしょうが、裁判の証拠品としてマイケルのテープが公開されました。
彼がやっぱりどれだけ世界中の子供たちの事を気にかけ愛情を注ぎたいと願っているかが痛いほど伝わってくるものでした。
自分の出来ることは病気を始め、さまざまな事情で傷ついた子供たちの助けになることと語るマイケルの悲痛な決意がそこにはありましたよね・・
(過去にその一部分、リンクなしでマイケルの言葉のみこちらにも書きましたが、今回はごめんなさい><)
法廷でこのマイケルの声の録音が流された後、ジョナサンはメッセージを出しました。
(source:MJJFC公式ブログより一部引用させていただきました)
--------------------------------------
"Angel Of Care"
Monday, October 10th 2011
今、理解してもらえるだろうか?
彼を疑ったあなた、彼を糾弾したあなた・・・あれほど思いやりのなかったあなた。理解しなかったし理解できなかったあなた。
あなたは嘲笑い、判決を下し、迫害し、そしてしつこくつきまとった。
あなたが彼を倒れるまで追い立てたのだ!
昨日の録音を聞いた後、彼の魂から湧き出したあの録音を聞いた今、あなたは理解するだろうか?
彼を助け、彼をそそのかし、そして悪い状況を作り出した取り巻きたちのコントロール下、影響下にある時でさえ、彼は心配することに目が向いていた。他者を心配することに。
苦しみに放置され、それを必要とする人々に、彼の未来を、彼の一生を、彼の心を、彼の精神を、そして彼の魂を奉げていたのだ。
彼が取り組んでいたことを前にしてもそうであったことは、あの裏切られた録音テープで明らかだ。
「僕のベイビーたち!」「僕の子供たち!」「彼らを助けなくちゃ!」「彼らは助けを必要としている!」「僕は彼らを助けたい!」「僕はみんなを愛してる!」・・・・
生まれながらの愛情溢れる男から、このような感情が流れ出ていたのだ。なんて天使のような!
私たちとともにあって力を尽くしていた愛情溢れる男。
他者への思いやりをいつも心に抱いていた。
あなたは結局この美しい男がわかるだろうか?素晴らしい人を。本当に、心から美しい!
「私たちの中にあって神の仕事をする天使」だ。神の意思。公にはされない裏側でこっそりと録音された希望と夢・・・裏切りによる録音だけれど。
疑っていたあなた・・・あなたは今、助けを必要としているたくさんの人々への深い同情を示し抱いていたあの人に対して思いやる心を持つはずだ。
決して知ろうとしないあなた、彼の心という恩恵は彼らを助けることを切に願っている。
これまで行われたことのために決して実現しない手助け。
今、彼が語りかけ、心を痛めた人々の元へは決して届かない手助け。彼を必要としていた世界中の子供たち。
希望のない人々・・・彼の手助けや心配りがもうすぐ届くところだった。
今、決して実現されない。
彼らは苦しみ続け、彼らの精神、心、魂は落ち込んだまま抜け出すことができないだろう。
彼らにとっての「エンジェル・オブ・ケア」は不注意のために連れて行かれてしまったのだ・・
Jonathan Moffett
---------------------------------
マイケルへの愛情あふれるジョナサンのメッセージに涙・・
本来は世に出すべきではなかった彼の言葉たち・・
でもそれは、今なおマイケルに向けられる一部の、マスコミに刷り込まれた事実無根のイメージによって彼を理解しようとしない、あるいは根拠のない推測でもって歪んだマイケル像を信じている人たちに、マイケルが心底気にかけ愛情をそそいだ子供たちを「守る」という使命を刻んだ彼の美しい心を、結果的に知らしめることになりました。
皮肉なことですけれど・・
ジョナサンは、彼を愛する人たちを代表してこのメッセージを出してくれたのだと思います。
ジョナサン・モフェット

彼はマイケルのもっともお気に入りのドラマーと言っていいでしょう。
マイケルは彼のドラムは芸術だと言い切っていましたが、特にバス・ドラムの(足でフットペダルをキックして音を出します)名手としてミュージシャン内ではとても有名。
得意のバス技を繰り出す素晴らしい足、という意味なのか、マイケルはジョナサンを愛情こめて「シュガーフット」と呼んでいました。
フットとマイケルの出会いは、まだマイケルがジャクソンズの一員だった1979年にさかのぼります。
Destiny Tourのドラマーとしてバンドメンバーに選ばれたフットの初めてのライブは、1979年4月14日オハイオ州クリーヴランドのステージでした。

1979 Destiny Tour
ステージが終わった後、彼はマイケルの楽屋に呼ばれます。
自分が何か重大なミスを犯したのではないかと心配しながら楽屋へ行くと、マイケルは不思議そうにこう尋ねたそうです。
「ねぇ、どうして僕の次の動きがあんなにわかるの?」
きょとんとしてしまうフット。
「ほら、僕がスピンして止まる所。どうしてあれをやるって思ったの?
あのときの君の音はあの動きに合う完璧な音だったよ。どうしてあの音だってわかったの?」
「どうしてかはわからないけど、そう感じたんだよ。
まるでケーブルで直結しているような感じで、君のすべての動きが瞬時にわかるし、即座に反応できるし・・
とにかく注意深く見ていたんだ。あの肩の動きを見るときには、あの動きがどんなふうに終わるのかがわかるし、自分がどんな音でどんなふうにプレイしたのかがわかる。理由は謎なんだけど」
「今まであんな音であんなプレイをした人はいないよ。1人もね。だから君がどうして僕の動きが全部わかって、あんなプレイをしたのか不思議だった。最初から終わりまで本当にコンサート全部、君のプレイも音も僕の動きに完璧に合っていたから、どうしてか知りたかったんだ。
今夜は素晴らしかったし、いつもそんなふうに叩いてね。ほんと、すごい。
君は僕のドラマーだよ。君は僕のドラマーだからね」
You are my drummer
クビを覚悟していたフットは、このマイケルの言葉に興奮し、鳥肌が立つ思いだったそうです。
自分の想像をはるかに超えた賛辞をマイケルからもらったこの瞬間、彼は思いました。
僕たちは一緒にプレイする運命だったんだ
そして僕は
マイケルのドラマーになるために生まれてきたんだ、と。
※上記のお話はRhythm&Drums magazine 2010年4月号「マイケル・ジャクソンを巡るドラマーたち」のフットのインタビューに掲載されています。

ドラムプレイの専門的な話も多くて、そこはさっぱりわかりませんがw、それでもとても興味深いです。
わたしはフットが「Angel Of Care」メッセージを出したことはそれほど不思議ではありませんでした。
彼はインタビューでこんなお話もしていましたから。
----------------------
みんなが知らないことは、彼がどれだけの犠牲を払い、どれだけの金銭や時間を人に対して費やしていたかということ。
彼は密かに何度も病院を訪問して、死に瀕した子供や障害を持つ子供と時間を過ごしていた。
老人ホームや傷ついた軍人などにもたくさん訪問していたけど、すべてが密かに行なわれ、世間の注目を集めることを嫌ったんだ。
彼が寄付した額は膨大なもので、自分の収入から3億ドル寄付したことがあった。さらにビクトリー・ツアーでの彼の取り分の500万ドルを全部寄付した。
毎晩ステージに立って、汗まみれで歌い、踊り、クルクル回り、自分のヒザを痛め、熱い照明の下でクタクタになったのに、それを無料でやっていたんだよ。
どこの企業のCEOが自ら進んで外に出て、無料でヒザや腰を痛めるくらい必死に仕事をするだろうか?
マイケルは本当に特別で、誤解され、まともな扱いを受けられなかった人間だった。
彼を誤解して非難した人達というのは、自分が住んでいる世界に良い人間がいないからマイケルの純粋な人間性を信じられなかったんだよ。
彼には何百万というファンがいたけど、世界中の人々は彼のそういう面を見落としていたと思う。
彼は生まれてきた目的を果たし、役割を終えた。彼はやるべきことをしっかりとやったと思う。
だって彼の死を悲しむ人が世界中のあちこちに何百万といたし、敵対している国にすら悲しむ人がたくさんいたんだから。
私も今でも深い悲しみが癒えない。
事実だとわかっていても、未だに理解できないし、信じられない。
-------------------------
・・(/_;)
またもや長くなる予感です
なので続きます
マイケルゆかりの品々がこうしていろんなところへ散り散りになっていきますね。
オークションを通じて病院など公共施設に展示されることもありますので
いちがいに批判するつもりは毛頭ないのですけれど。
できれば
MJミュージアムのような場所で常設展示されればなぁ・・とか。
ラスヴェガスのマンダレー・ベイホテルでは、シルク・ド・ソレイユ「THE IMMORTAL World Tour」開催と同時に期間限定でマイケル・ジャクソン・ファン・フェストを12月3日から14日まで行うそうです。
(こちらのMJFC公式ブログで詳細をご覧になれます)
一部抜粋させていただきました。
24カラットのゴールドで飾られた、マイケル自身がデザインした1999年製ロールス・ロイス・セラフ・リムジンの内装を覗いてみよう。それから、HIStoryツアー用に製作された10フィート(約3メートル)の像も要チェックです。「Scream」で使用された宇宙船の中を歩きながら、マイケルの音楽を感じよう。エジプトをテーマとした「Remember the Time」のセットで使われた本物の王座に腰掛け、そして「Earth Song」のライブ・パフォーマンスで使われた敵の戦車の前に立ってみよう。

展示写真はロンドンO2アリーナのエキスビションでのものです。



こーらまてまてまて
(中略)
彼のキャリアとネバーランドからの多岐にわたる個人的所有物が展示されます。マイケルのキャリアにおけるメモラビアとしては、80年代のファンタジーなグローブ・コレクションや、各種トロフィー、チケット、ビデオ「Leave Me Alone」で使われた有名なロケット、ネバーランドのリビングに飾られていたお城などが展示されます。展示されるアイテムのフォト・ギャラリーはこちらをクリックしてください。
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ここで見ることが出来るものの、おそらくほとんど一足先に見れたのだなと感無量。
去年の東京タワーや大阪スカイビルでのコレクション。
(あー、でも「Scream」の宇宙船の中を歩くとか、「Remember the Time」の王座とか「Earth Song」の戦車はさすがになかったな~><)
あの規模と点数のものが日本で見れた事は、本当に素晴らしい事だったなぁとあらためて感じます。
わたしはたまたまどちらも見に行けましたし、大阪ではバカみたいに通いつめましたが、ご覧になれなかった方も大勢いるでしょうから、できればまたそういう機会を、オリンピックとかドリカムのライブみたく4年に一度でもいいから再度開催して欲しいですね・・本当にお一人でも多くご覧いただきたいですし、みせて差し上げあげたいです(/_;)
人によってはそういう彼の品々を見るのが辛いという人もいるでしょうけれど・・
でもわたしにはあの展示はとてもとてもよかったのですね。
彼の想いや息吹の感じられる品を、1点1点ゆっくりと彼に想いを馳せながら、じっくりと見る・・
大げさに言ってしまえば、石庭や絵画を見るのと同じで、その品から彼の表情やその時の写真や映像や音楽がよみがえって、(一緒に体験していなくともw)あるいはどんな事を思いながらこれをつけたのかな、これを手にしたのかなとか想像したりして、BGMとしてマイケルの曲ががんがんにかかっているのに、いつしか自分とマイケルしかいないかのような静寂が訪れて、涙も流れるのに今から考えると精神的には癒されていたというか、本当に忘れられない思い出なのです。
でもやっぱり見るのが辛いものもまだあって
今回既に落札されたものですが、これは堪えます・・

2009年5月~
ステイプルズセンターリハで使用されたドラムのシンバルにサインしていたマイケル(カタログ・ロット詳細はこちら)
Peace Always
Me & A.E.G. 2009 is it!
London here we come
大文字小文字が入り混じる愛しい筆跡
ウィンクしているスマイル顔文字!
London here we come
いよいよロンドンだ
これの何が堪えるの?とお思いの方もいらっしゃるでしょうね。
解釈はいろいろ、というかわたしの乏しい英語力で勝手に自分で思っているのは、この言葉になんていうか「ロンドン!待ってて、もうすぐ行くよ!イエーィ!」みたいな雰囲気は感じられなくて、もちろん絵文字まであって、(しかし何故か切なく・・(/_;))これを書いたときのマイケルはきっとご機嫌だったと思われ・・
るんですけどね・・
じゃ何を感じるかというのは、最後にとっておきましょうかw
このシンバルはTIIでのドラマー、ジョナサン・モフェットが使用していたのと同じシンバルで、400年の歴史を持つジルジャンというブランドのものです。
オークションに出されたものはおそらくジョナサンが所有するものではないでしょう。
彼ならオークションに出すというようなことは絶対しないと思いますから。
なぜなら。
もうご存知の方も多いでしょうが、裁判の証拠品としてマイケルのテープが公開されました。
彼がやっぱりどれだけ世界中の子供たちの事を気にかけ愛情を注ぎたいと願っているかが痛いほど伝わってくるものでした。
自分の出来ることは病気を始め、さまざまな事情で傷ついた子供たちの助けになることと語るマイケルの悲痛な決意がそこにはありましたよね・・
(過去にその一部分、リンクなしでマイケルの言葉のみこちらにも書きましたが、今回はごめんなさい><)
法廷でこのマイケルの声の録音が流された後、ジョナサンはメッセージを出しました。
(source:MJJFC公式ブログより一部引用させていただきました)
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"Angel Of Care"
Monday, October 10th 2011
今、理解してもらえるだろうか?
彼を疑ったあなた、彼を糾弾したあなた・・・あれほど思いやりのなかったあなた。理解しなかったし理解できなかったあなた。
あなたは嘲笑い、判決を下し、迫害し、そしてしつこくつきまとった。
あなたが彼を倒れるまで追い立てたのだ!
昨日の録音を聞いた後、彼の魂から湧き出したあの録音を聞いた今、あなたは理解するだろうか?
彼を助け、彼をそそのかし、そして悪い状況を作り出した取り巻きたちのコントロール下、影響下にある時でさえ、彼は心配することに目が向いていた。他者を心配することに。
苦しみに放置され、それを必要とする人々に、彼の未来を、彼の一生を、彼の心を、彼の精神を、そして彼の魂を奉げていたのだ。
彼が取り組んでいたことを前にしてもそうであったことは、あの裏切られた録音テープで明らかだ。
「僕のベイビーたち!」「僕の子供たち!」「彼らを助けなくちゃ!」「彼らは助けを必要としている!」「僕は彼らを助けたい!」「僕はみんなを愛してる!」・・・・
生まれながらの愛情溢れる男から、このような感情が流れ出ていたのだ。なんて天使のような!
私たちとともにあって力を尽くしていた愛情溢れる男。
他者への思いやりをいつも心に抱いていた。
あなたは結局この美しい男がわかるだろうか?素晴らしい人を。本当に、心から美しい!
「私たちの中にあって神の仕事をする天使」だ。神の意思。公にはされない裏側でこっそりと録音された希望と夢・・・裏切りによる録音だけれど。
疑っていたあなた・・・あなたは今、助けを必要としているたくさんの人々への深い同情を示し抱いていたあの人に対して思いやる心を持つはずだ。
決して知ろうとしないあなた、彼の心という恩恵は彼らを助けることを切に願っている。
これまで行われたことのために決して実現しない手助け。
今、彼が語りかけ、心を痛めた人々の元へは決して届かない手助け。彼を必要としていた世界中の子供たち。
希望のない人々・・・彼の手助けや心配りがもうすぐ届くところだった。
今、決して実現されない。
彼らは苦しみ続け、彼らの精神、心、魂は落ち込んだまま抜け出すことができないだろう。
彼らにとっての「エンジェル・オブ・ケア」は不注意のために連れて行かれてしまったのだ・・
Jonathan Moffett
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マイケルへの愛情あふれるジョナサンのメッセージに涙・・
本来は世に出すべきではなかった彼の言葉たち・・
でもそれは、今なおマイケルに向けられる一部の、マスコミに刷り込まれた事実無根のイメージによって彼を理解しようとしない、あるいは根拠のない推測でもって歪んだマイケル像を信じている人たちに、マイケルが心底気にかけ愛情をそそいだ子供たちを「守る」という使命を刻んだ彼の美しい心を、結果的に知らしめることになりました。
皮肉なことですけれど・・
ジョナサンは、彼を愛する人たちを代表してこのメッセージを出してくれたのだと思います。
ジョナサン・モフェット

彼はマイケルのもっともお気に入りのドラマーと言っていいでしょう。
マイケルは彼のドラムは芸術だと言い切っていましたが、特にバス・ドラムの(足でフットペダルをキックして音を出します)名手としてミュージシャン内ではとても有名。
得意のバス技を繰り出す素晴らしい足、という意味なのか、マイケルはジョナサンを愛情こめて「シュガーフット」と呼んでいました。
フットとマイケルの出会いは、まだマイケルがジャクソンズの一員だった1979年にさかのぼります。
Destiny Tourのドラマーとしてバンドメンバーに選ばれたフットの初めてのライブは、1979年4月14日オハイオ州クリーヴランドのステージでした。

1979 Destiny Tour
ステージが終わった後、彼はマイケルの楽屋に呼ばれます。
自分が何か重大なミスを犯したのではないかと心配しながら楽屋へ行くと、マイケルは不思議そうにこう尋ねたそうです。
「ねぇ、どうして僕の次の動きがあんなにわかるの?」
きょとんとしてしまうフット。
「ほら、僕がスピンして止まる所。どうしてあれをやるって思ったの?
あのときの君の音はあの動きに合う完璧な音だったよ。どうしてあの音だってわかったの?」
「どうしてかはわからないけど、そう感じたんだよ。
まるでケーブルで直結しているような感じで、君のすべての動きが瞬時にわかるし、即座に反応できるし・・
とにかく注意深く見ていたんだ。あの肩の動きを見るときには、あの動きがどんなふうに終わるのかがわかるし、自分がどんな音でどんなふうにプレイしたのかがわかる。理由は謎なんだけど」
「今まであんな音であんなプレイをした人はいないよ。1人もね。だから君がどうして僕の動きが全部わかって、あんなプレイをしたのか不思議だった。最初から終わりまで本当にコンサート全部、君のプレイも音も僕の動きに完璧に合っていたから、どうしてか知りたかったんだ。
今夜は素晴らしかったし、いつもそんなふうに叩いてね。ほんと、すごい。
君は僕のドラマーだよ。君は僕のドラマーだからね」
You are my drummer
クビを覚悟していたフットは、このマイケルの言葉に興奮し、鳥肌が立つ思いだったそうです。
自分の想像をはるかに超えた賛辞をマイケルからもらったこの瞬間、彼は思いました。
僕たちは一緒にプレイする運命だったんだ
そして僕は
マイケルのドラマーになるために生まれてきたんだ、と。
※上記のお話はRhythm&Drums magazine 2010年4月号「マイケル・ジャクソンを巡るドラマーたち」のフットのインタビューに掲載されています。

ドラムプレイの専門的な話も多くて、そこはさっぱりわかりませんがw、それでもとても興味深いです。
わたしはフットが「Angel Of Care」メッセージを出したことはそれほど不思議ではありませんでした。
彼はインタビューでこんなお話もしていましたから。
----------------------
みんなが知らないことは、彼がどれだけの犠牲を払い、どれだけの金銭や時間を人に対して費やしていたかということ。
彼は密かに何度も病院を訪問して、死に瀕した子供や障害を持つ子供と時間を過ごしていた。
老人ホームや傷ついた軍人などにもたくさん訪問していたけど、すべてが密かに行なわれ、世間の注目を集めることを嫌ったんだ。
彼が寄付した額は膨大なもので、自分の収入から3億ドル寄付したことがあった。さらにビクトリー・ツアーでの彼の取り分の500万ドルを全部寄付した。
毎晩ステージに立って、汗まみれで歌い、踊り、クルクル回り、自分のヒザを痛め、熱い照明の下でクタクタになったのに、それを無料でやっていたんだよ。
どこの企業のCEOが自ら進んで外に出て、無料でヒザや腰を痛めるくらい必死に仕事をするだろうか?
マイケルは本当に特別で、誤解され、まともな扱いを受けられなかった人間だった。
彼を誤解して非難した人達というのは、自分が住んでいる世界に良い人間がいないからマイケルの純粋な人間性を信じられなかったんだよ。
彼には何百万というファンがいたけど、世界中の人々は彼のそういう面を見落としていたと思う。
彼は生まれてきた目的を果たし、役割を終えた。彼はやるべきことをしっかりとやったと思う。
だって彼の死を悲しむ人が世界中のあちこちに何百万といたし、敵対している国にすら悲しむ人がたくさんいたんだから。
私も今でも深い悲しみが癒えない。
事実だとわかっていても、未だに理解できないし、信じられない。
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・・(/_;)
またもや長くなる予感です
なので続きます
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