London here we come ~MichaelとSugar foot その2
TIIのバンドメンバーを決定する際、音楽監督であるマイケル・ベアデンも話していますが、ドラマーはすでにフットに決定していて、マイケルにその理由を聞くと「ジョナサンが叩くと僕は踊りたくなるんだよ」と答えたそうです。
フットはマイケルの独特な「間」を完全に理解していた数少ないドラマーだったのではないでしょうか。
マイケルは譜面はおこせなかったけれど、オーケストラでいう指揮者のごとく、絶対音感を持ち様々な楽器に精通したミュージシャンでしたよね。
彼がピアノを弾くことは有名ですし、「Blood on the dance floor」に収められてる「Morphine」には、スラッシュと共にギター、そしてドラムにマイケルの名前がクレジットされています。
INVINCIBLEのクレジットにいたっては、プロデュース、ヴォーカル、バッキングヴォーカルはMJ、これは当たり前として、All Musical Instruments Performed: Michael Jackson、Rodney Jerkinsとなっていて、すべての楽器担当:マイケルと(プロデューサーの)ロドニー・ジェーキンスです、終わり!状態です(笑)
すべての楽器担当!
これがマエストロ(Ghostのではなくw)といわずしてなんというのでしょう、ですw
過去記事でちょこっとだけ触れましたが、2006年にアイルランドでの静かな暮らしの中でも音楽活動を続けていた彼は、当時借りていた一軒家の大家さんと、一緒にレコーディングをしていたNeff-Uの3人で、Billie Jeanをセッションするのですが、その時のマイケル担当がドラムだったという素敵な話が残っています^^sourceはこちら
TIIでも音の強さやコード、テンポ、など細部にわたってベアデンに指示をしていましたし、ベースのアレックス・アルに「物足りないな、もっとファンキーに」と注文を出していましたよね。
以前ロドニーのインタビューで、マイケルから出る注文が「中音部が高すぎる」といった、とてもテクニカルなものだったというのを読んだ記憶があります。
(今思い出せませんが、いずれきちんとソースを出しますね。とても印象に残っているので・・)
以上を踏まえても、マイケルがいろいろな楽器をプレイできる人であった、さらにジャクソン5時代はボンゴ担当でもあった彼が、ドラムにも精通していたと考えるのは難しい事ではありません。
前回エントリーのドラム専門誌インタビューでフットも話していますが、マイケルはフット専用に作られたドラムセットを欲しがって、「これと同じキット僕にも作って。手配できるかな?」と言っている場面がTII特典映像にあるそうです。(あ、でも音声は聞こえないとのこと)
ドラムを叩ける人だからこそ、同じものが欲しかったのでしょうね。
「え?そんな場面あったの?」という方は今すぐ特典映像をチェケラ!w
ちゃんと見てみたかったなぁ・・ドラマーマイケル^^
常にメロディを重視していたマイケルでしたが、踊るとなるとやはりビート。
その彼が自分だけのドラマーだと認め、フットが繰り出すビートが自分を自然に踊りにいざなうのだと言わしめたというのは、フットが技術にも長け、なおかつマイケルに対してまさにあ・うんの呼吸で素晴らしいパフォーマンスができるようなビートを叩きだせるという証明。
マイケルにとってフットは自身のダンスに必要で、もっとも重要なピースを提供してくれるドラマーだったのでしょうね。
特に余計なセットや過多な演出のない彼のダンスパフォーマンスの真骨頂であるBillie Jeanはドラムの音でスタートしますしね。
上記のインタビューでフットは、彼だけが知るBillie Jeanでの彼とマイケルの幸せな時間について語ってくれています。
-----------------
「Billie Jean」の出だしはドラムと彼のダンスだ
帽子、ジャケット、手袋、ブリーフケースという小物と一緒に彼が踊る
さらに曲の終わりでも、彼と私の2人だけで、2分、3分、彼の気分が乗っていると4分間、2拍と4拍のビートだけをプレイする
そのときは全身全霊を傾けてビートを叩き、彼がそのときに踊りたいと思う最も素晴らしく、息を呑むほどのリズミックなダンスやパフォーマンスをするようにしかけるんだ
「Billie Jean」の終わりもマイケルと私の2人きり
世の中の他のことなんて一切関係なくなるんだよ

マイケルでなくても、というか(笑)わたしも彼のドラムが大好きで、Beliie Jeanは言わずもがなですが、特にTIIのJAM!
ベアデンのシンセアレンジも好きなのですがここでのフットのドラムが最高で。
ダンサーがトースターで飛び出すあたりから始まりますよね。
Michael Jackson - JAM - This is It
一番好きなところが最初のサビが終わってドリアン・ホリーのラップが始まるまでのドラムプレイ。

動画でいうと1:29から

1:56あたりまで
文章で書くの難しいですが、(だってドンドコドンという表現しちゃうとダサすぎるw)マイケル、ダンサー達が人指し指を立ててその場でステップするところ、フットの優しくもずんと響くバスドラ炸裂ですよね!
素人のわたしでさえ、ビートにあわせて思わず体が動いてしまうのですから、マイケルも気持ちよく踊ってたんだろうなぁと^^
ちなみにフットもJAMはプレイしてても思わず顔がほころぶ程お気に入りだったと話していました。
フットはマイケルの厚い信頼を得て、前述の1979年のDestiny Tour、1981年のTriumph Tour、そしてジャクソンズとしては最後のVictory Tour(1984)のドラマーとしてツアーを同行します。
ソロとなったマイケルとは、History Tour(1996-97)、30th Anniversary Celebration(この時はベアデン、アレックス、バシリ・ジョンソン、フットとTIIのメンバーがほぼ参加)、United we stand~What More Can I Giveのチャリティコンサートに参加しています。

'96~97 History Tour

2001 United we stand~What More Can I Give
そしてTIIでふたりは再会しますが、この時のこともフットが話してくれていますので、引用しますね。
-------------------
私が召集されたのが4月15日で、翌日16日にはセンター・ステージングに私のドラムが配達された。
マイケルはまだ姿を現していなかったけど、死ぬほど彼に会いたかったね。
ドラムをセットアップしたのはそれから5日後で、セットアップ後にダンスのリハーサル室に行ったんだ。
そしたらマイケルがリハーサル室から出てきたところで、携帯電話で話していた。
彼がふっと目を上げて、そこに私がいるのを見つけると、目をまん丸にして満面の笑みを浮かべ、ペコっとお辞儀をして、手を振った。
そして電話を中断して、私に近づき抱きしめたんだ。それだけで私は元気いっぱいになったね。
だって彼とは何年も会っていなかったし、彼は大好きな友達だから。
長年彼をサポートしてきて、あらゆることを一緒に経験し、何年も経った今でも私を信じていてくれる。
そして今やっと彼と再会できたわけだ。
彼は「フット、元気かい?」と言った。私は「元気だよ」と応えた。
その後、私の子供の様子も聞いてきたので、「みんな元気さ。私を信用してもう一度迎え入れてくれてありがとう」と彼に伝えた。
彼は「こちらこそありがとう、フット」と応えてくれた。
----------------------
彼は目をまん丸にして満面の笑みを浮かべ、ペコっとお辞儀をして、手を振った
ここで何故だかいつも涙腺崩壊
だって
ペコっとお辞儀・・
なんてかわいい50歳
嬉しくて照れくさかったのかな・・
だめだ・・涙が><
カナダのモントリオールからスタートしたシルク・ド・ソレイユ「THE IMMORTAL World Tour」。
もうここで何も言わずとも多くの方がトレイラーをご覧になったと思います。
一部ではマイケルを商業的に利用して、と批判するファンもいらっしゃるようですが、考え方の違いでしょうけれど、わたしはこのショウはマイケルのライブの延長線にあるとは思っていなくて、全く別物のショウ、でも最高のTributeだと理解しています。
日本公演はまだ予定されていませんが、TDLのZed(ゼッド)が残念ながらこの年末で終了してしまうので、ぜひ来てくれたらどれだけいいか・・と思いますが、やっぱりベガスへ行く事になりそうですねw
マイケルの音楽からインスパイアされた極上のエンターテイメント。
シルクの厳選されたパフォーマーたちが、マイケルへの敬意と愛をこめて表現する魔法の時間。
これはこのショウの振付師の一人として参加したトラヴィスとショウのパフォーマー、シルクの本部で働く従業員、そして全世界で興行中のシルクのほとんどの常設公演、移動公演の演目に出演するパフォーマーたちのマイケルTribute「They Don’t Care About Us」です。
参加している演目(動画の出演順)
La Nouba(ラ・ヌーバ)
Quidam(キダム)
Mystère(ミスティア)
Alegría(アレグリア)
Criss Angel Believe(クリス・エンジェル・ビリーブ)
O(オー)
Koozå(クーザ)
Lasvegas Offices(シルクの本部)
Ovo(オヴォ)
Saltimbanco(サルティンバンコ)
Totem(トーテム)
Kà(カー)
Zumanity(ズーマニティ)
Dralion(ドラリオン)
Corteo(コルテオ)
Love(ラヴ)ビートルズをテーマにした演目
Iris(アイリス)
Varekai(バレカイ)
これ知ってる!とか観たことある!という演目が^^
わたしは2000年にサルティンバンコへ。度肝を抜かれましたw
しかしこれは本当にすごい事・・
いかにシルクが「Michael Jackson THE IMMORTAL World Tour」を大切な公演として位置づけているか、そしてパフォームする演者たちがマイケルをリスペクトしているかがわかりますよね・・
トラヴィス先生いつもご苦労様です^^
2004年からスタートしていたこの構想。
マイケルも大好きだったシルクが始めたこの演目を彼が見たらどれだけ喜んだでしょう。
「僕を利用している」なんて思わないんじゃないかな・・。
そして何より重要な事は、このショウを構成する音楽が生バンドだという事。
フットは別のインタビューでこう語っていました。(sourceはこちら)
マイケルは僕にとって家族みたいなものだ
僕は人生の半分以上を彼と過ごした
彼が逝った前の夜のリハーサルで彼に会って・・彼は素晴らしかった
僕は彼がどれほど幸せだったか覚えている
その後、僕には悲しむ時間が必要だった
彼が恋しいよ、とてもね
でも今は、僕は彼の音楽をずっと演奏したい、そのことが沢山の喜びと沢山の思い出を僕にもたらしてくれるってわかっているんだ
(中略)
一時、僕はそれを(マイケルの不在を)現実として受けとれずにいた
どうして彼がいないなんてありえる?
He is invincible to me 彼は僕にとって、どんなことにも打ち負けない無敵そのものだ
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
僕は彼の音楽をずっと演奏したい、そのことが沢山の喜びと沢山の思い出を僕にもたらしてくれるってわかっているんだ
この言葉を裏付けるように、フットはこの「THE IMMORTAL World Tour」ツアーでドラムを叩いています。
埋め込み無効なのでこちらから
マイケルが信頼して愛したSugar footは今もマイケルに捧げるドラムを叩き続けてくれているのですね
彼の叩き出すビートでみんなマイケルを思い浮かべ
そのビートにあわせて彼はきっとステップを踏んでいるんだと
今も伏目がちに笑みを浮かべて

最後のツアーから12年の空白がふたりにはあって、それを埋めるはずだったTII。
自分の預かり知しらぬまに着せられた汚名と、その影響のために空いてしまった長いブランク・・
小さな時から数え切れないほど踏んできたステージでしたけれど、そのブランクを感じさせないほどのパフォーマンスを要求されるであろうことは彼にも良くわかっていたはずで。
きっとなみなみならぬ決意で。
このライブにたどり着くまで、どれほどの葛藤や不安や恐れを感じただろうかと。
それと共ににケーブルで繋がったかのようなとても信頼するドラマーを始めとする自分を支えてくれるスタッフと、また一緒に最高のエンターテイメントを創り上げる喜びと高揚感・・
それらが変わりばんこに顔を覗かせながら過ぎていったリハーサルの日々だったのでしょうか・・
London here we come
いよいよロンドンだ
彼が思い描いていた理想と夢を現実のものとする為の新たなスタート地点になるはずだったロンドン。
前半書かなかったわたしの解釈。
今となっては、この言葉に「ついにロンドンへ行くんだ。いろいろあったけれどようやくここまで来た・・」という彼の想いが表れているような気が(勝手に)して胸が締め付けられるのです。
時を戻して、タイムリミットなしに彼が何にも頼らずに眠れる危険を伴わないケアと身体・メンタル両方のケアをきちんとできたなら
アイルランドでの穏やかで平和な日々と同じような牧歌的な環境と
消耗した体力を無理なくリカバリーできる日程で
ロンドンの初日を迎えることが出来ていたなら・・
その日O2から出てくる人はみんな
今までの人生でこんな素晴らしいショウは観たことない!って
マイケルは世界一のエンターテイナーだよ!って
そう言って・・
きっとそう言っていたはずだったのに
あと数時間で長かった裁判が結審します。
But now it’s time to celebrate his life, legacy, and contribution to music.
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
- Jonathan "Sugarfoot" Moffett-
フットはマイケルの独特な「間」を完全に理解していた数少ないドラマーだったのではないでしょうか。
マイケルは譜面はおこせなかったけれど、オーケストラでいう指揮者のごとく、絶対音感を持ち様々な楽器に精通したミュージシャンでしたよね。
彼がピアノを弾くことは有名ですし、「Blood on the dance floor」に収められてる「Morphine」には、スラッシュと共にギター、そしてドラムにマイケルの名前がクレジットされています。
INVINCIBLEのクレジットにいたっては、プロデュース、ヴォーカル、バッキングヴォーカルはMJ、これは当たり前として、All Musical Instruments Performed: Michael Jackson、Rodney Jerkinsとなっていて、すべての楽器担当:マイケルと(プロデューサーの)ロドニー・ジェーキンスです、終わり!状態です(笑)
すべての楽器担当!
これがマエストロ(Ghostのではなくw)といわずしてなんというのでしょう、ですw
過去記事でちょこっとだけ触れましたが、2006年にアイルランドでの静かな暮らしの中でも音楽活動を続けていた彼は、当時借りていた一軒家の大家さんと、一緒にレコーディングをしていたNeff-Uの3人で、Billie Jeanをセッションするのですが、その時のマイケル担当がドラムだったという素敵な話が残っています^^sourceはこちら
TIIでも音の強さやコード、テンポ、など細部にわたってベアデンに指示をしていましたし、ベースのアレックス・アルに「物足りないな、もっとファンキーに」と注文を出していましたよね。
以前ロドニーのインタビューで、マイケルから出る注文が「中音部が高すぎる」といった、とてもテクニカルなものだったというのを読んだ記憶があります。
(今思い出せませんが、いずれきちんとソースを出しますね。とても印象に残っているので・・)
以上を踏まえても、マイケルがいろいろな楽器をプレイできる人であった、さらにジャクソン5時代はボンゴ担当でもあった彼が、ドラムにも精通していたと考えるのは難しい事ではありません。
前回エントリーのドラム専門誌インタビューでフットも話していますが、マイケルはフット専用に作られたドラムセットを欲しがって、「これと同じキット僕にも作って。手配できるかな?」と言っている場面がTII特典映像にあるそうです。(あ、でも音声は聞こえないとのこと)
ドラムを叩ける人だからこそ、同じものが欲しかったのでしょうね。
「え?そんな場面あったの?」という方は今すぐ特典映像をチェケラ!w
ちゃんと見てみたかったなぁ・・ドラマーマイケル^^
常にメロディを重視していたマイケルでしたが、踊るとなるとやはりビート。
その彼が自分だけのドラマーだと認め、フットが繰り出すビートが自分を自然に踊りにいざなうのだと言わしめたというのは、フットが技術にも長け、なおかつマイケルに対してまさにあ・うんの呼吸で素晴らしいパフォーマンスができるようなビートを叩きだせるという証明。
マイケルにとってフットは自身のダンスに必要で、もっとも重要なピースを提供してくれるドラマーだったのでしょうね。
特に余計なセットや過多な演出のない彼のダンスパフォーマンスの真骨頂であるBillie Jeanはドラムの音でスタートしますしね。
上記のインタビューでフットは、彼だけが知るBillie Jeanでの彼とマイケルの幸せな時間について語ってくれています。
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「Billie Jean」の出だしはドラムと彼のダンスだ
帽子、ジャケット、手袋、ブリーフケースという小物と一緒に彼が踊る
さらに曲の終わりでも、彼と私の2人だけで、2分、3分、彼の気分が乗っていると4分間、2拍と4拍のビートだけをプレイする
そのときは全身全霊を傾けてビートを叩き、彼がそのときに踊りたいと思う最も素晴らしく、息を呑むほどのリズミックなダンスやパフォーマンスをするようにしかけるんだ
「Billie Jean」の終わりもマイケルと私の2人きり
世の中の他のことなんて一切関係なくなるんだよ

マイケルでなくても、というか(笑)わたしも彼のドラムが大好きで、Beliie Jeanは言わずもがなですが、特にTIIのJAM!
ベアデンのシンセアレンジも好きなのですがここでのフットのドラムが最高で。
ダンサーがトースターで飛び出すあたりから始まりますよね。
Michael Jackson - JAM - This is It
一番好きなところが最初のサビが終わってドリアン・ホリーのラップが始まるまでのドラムプレイ。

動画でいうと1:29から

1:56あたりまで
文章で書くの難しいですが、(だってドンドコドンという表現しちゃうとダサすぎるw)マイケル、ダンサー達が人指し指を立ててその場でステップするところ、フットの優しくもずんと響くバスドラ炸裂ですよね!
素人のわたしでさえ、ビートにあわせて思わず体が動いてしまうのですから、マイケルも気持ちよく踊ってたんだろうなぁと^^
ちなみにフットもJAMはプレイしてても思わず顔がほころぶ程お気に入りだったと話していました。
フットはマイケルの厚い信頼を得て、前述の1979年のDestiny Tour、1981年のTriumph Tour、そしてジャクソンズとしては最後のVictory Tour(1984)のドラマーとしてツアーを同行します。
ソロとなったマイケルとは、History Tour(1996-97)、30th Anniversary Celebration(この時はベアデン、アレックス、バシリ・ジョンソン、フットとTIIのメンバーがほぼ参加)、United we stand~What More Can I Giveのチャリティコンサートに参加しています。

'96~97 History Tour

2001 United we stand~What More Can I Give
そしてTIIでふたりは再会しますが、この時のこともフットが話してくれていますので、引用しますね。
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私が召集されたのが4月15日で、翌日16日にはセンター・ステージングに私のドラムが配達された。
マイケルはまだ姿を現していなかったけど、死ぬほど彼に会いたかったね。
ドラムをセットアップしたのはそれから5日後で、セットアップ後にダンスのリハーサル室に行ったんだ。
そしたらマイケルがリハーサル室から出てきたところで、携帯電話で話していた。
彼がふっと目を上げて、そこに私がいるのを見つけると、目をまん丸にして満面の笑みを浮かべ、ペコっとお辞儀をして、手を振った。
そして電話を中断して、私に近づき抱きしめたんだ。それだけで私は元気いっぱいになったね。
だって彼とは何年も会っていなかったし、彼は大好きな友達だから。
長年彼をサポートしてきて、あらゆることを一緒に経験し、何年も経った今でも私を信じていてくれる。
そして今やっと彼と再会できたわけだ。
彼は「フット、元気かい?」と言った。私は「元気だよ」と応えた。
その後、私の子供の様子も聞いてきたので、「みんな元気さ。私を信用してもう一度迎え入れてくれてありがとう」と彼に伝えた。
彼は「こちらこそありがとう、フット」と応えてくれた。
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彼は目をまん丸にして満面の笑みを浮かべ、ペコっとお辞儀をして、手を振った
ここで何故だかいつも涙腺崩壊
だって
ペコっとお辞儀・・
なんてかわいい50歳
嬉しくて照れくさかったのかな・・
だめだ・・涙が><
カナダのモントリオールからスタートしたシルク・ド・ソレイユ「THE IMMORTAL World Tour」。
もうここで何も言わずとも多くの方がトレイラーをご覧になったと思います。
一部ではマイケルを商業的に利用して、と批判するファンもいらっしゃるようですが、考え方の違いでしょうけれど、わたしはこのショウはマイケルのライブの延長線にあるとは思っていなくて、全く別物のショウ、でも最高のTributeだと理解しています。
日本公演はまだ予定されていませんが、TDLのZed(ゼッド)が残念ながらこの年末で終了してしまうので、ぜひ来てくれたらどれだけいいか・・と思いますが、やっぱりベガスへ行く事になりそうですねw
マイケルの音楽からインスパイアされた極上のエンターテイメント。
シルクの厳選されたパフォーマーたちが、マイケルへの敬意と愛をこめて表現する魔法の時間。
これはこのショウの振付師の一人として参加したトラヴィスとショウのパフォーマー、シルクの本部で働く従業員、そして全世界で興行中のシルクのほとんどの常設公演、移動公演の演目に出演するパフォーマーたちのマイケルTribute「They Don’t Care About Us」です。
参加している演目(動画の出演順)
La Nouba(ラ・ヌーバ)
Quidam(キダム)
Mystère(ミスティア)
Alegría(アレグリア)
Criss Angel Believe(クリス・エンジェル・ビリーブ)
O(オー)
Koozå(クーザ)
Lasvegas Offices(シルクの本部)
Ovo(オヴォ)
Saltimbanco(サルティンバンコ)
Totem(トーテム)
Kà(カー)
Zumanity(ズーマニティ)
Dralion(ドラリオン)
Corteo(コルテオ)
Love(ラヴ)ビートルズをテーマにした演目
Iris(アイリス)
Varekai(バレカイ)
これ知ってる!とか観たことある!という演目が^^
わたしは2000年にサルティンバンコへ。度肝を抜かれましたw
しかしこれは本当にすごい事・・
いかにシルクが「Michael Jackson THE IMMORTAL World Tour」を大切な公演として位置づけているか、そしてパフォームする演者たちがマイケルをリスペクトしているかがわかりますよね・・
トラヴィス先生いつもご苦労様です^^
2004年からスタートしていたこの構想。
マイケルも大好きだったシルクが始めたこの演目を彼が見たらどれだけ喜んだでしょう。
「僕を利用している」なんて思わないんじゃないかな・・。
そして何より重要な事は、このショウを構成する音楽が生バンドだという事。
フットは別のインタビューでこう語っていました。(sourceはこちら)
マイケルは僕にとって家族みたいなものだ
僕は人生の半分以上を彼と過ごした
彼が逝った前の夜のリハーサルで彼に会って・・彼は素晴らしかった
僕は彼がどれほど幸せだったか覚えている
その後、僕には悲しむ時間が必要だった
彼が恋しいよ、とてもね
でも今は、僕は彼の音楽をずっと演奏したい、そのことが沢山の喜びと沢山の思い出を僕にもたらしてくれるってわかっているんだ
(中略)
一時、僕はそれを(マイケルの不在を)現実として受けとれずにいた
どうして彼がいないなんてありえる?
He is invincible to me 彼は僕にとって、どんなことにも打ち負けない無敵そのものだ
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
僕は彼の音楽をずっと演奏したい、そのことが沢山の喜びと沢山の思い出を僕にもたらしてくれるってわかっているんだ
この言葉を裏付けるように、フットはこの「THE IMMORTAL World Tour」ツアーでドラムを叩いています。
埋め込み無効なのでこちらから
マイケルが信頼して愛したSugar footは今もマイケルに捧げるドラムを叩き続けてくれているのですね
彼の叩き出すビートでみんなマイケルを思い浮かべ
そのビートにあわせて彼はきっとステップを踏んでいるんだと
今も伏目がちに笑みを浮かべて

最後のツアーから12年の空白がふたりにはあって、それを埋めるはずだったTII。
自分の預かり知しらぬまに着せられた汚名と、その影響のために空いてしまった長いブランク・・
小さな時から数え切れないほど踏んできたステージでしたけれど、そのブランクを感じさせないほどのパフォーマンスを要求されるであろうことは彼にも良くわかっていたはずで。
きっとなみなみならぬ決意で。
このライブにたどり着くまで、どれほどの葛藤や不安や恐れを感じただろうかと。
それと共ににケーブルで繋がったかのようなとても信頼するドラマーを始めとする自分を支えてくれるスタッフと、また一緒に最高のエンターテイメントを創り上げる喜びと高揚感・・
それらが変わりばんこに顔を覗かせながら過ぎていったリハーサルの日々だったのでしょうか・・
London here we come
いよいよロンドンだ
彼が思い描いていた理想と夢を現実のものとする為の新たなスタート地点になるはずだったロンドン。
前半書かなかったわたしの解釈。
今となっては、この言葉に「ついにロンドンへ行くんだ。いろいろあったけれどようやくここまで来た・・」という彼の想いが表れているような気が(勝手に)して胸が締め付けられるのです。
時を戻して、タイムリミットなしに彼が何にも頼らずに眠れる危険を伴わないケアと身体・メンタル両方のケアをきちんとできたなら
アイルランドでの穏やかで平和な日々と同じような牧歌的な環境と
消耗した体力を無理なくリカバリーできる日程で
ロンドンの初日を迎えることが出来ていたなら・・
その日O2から出てくる人はみんな
今までの人生でこんな素晴らしいショウは観たことない!って
マイケルは世界一のエンターテイナーだよ!って
そう言って・・
きっとそう言っていたはずだったのに
あと数時間で長かった裁判が結審します。
But now it’s time to celebrate his life, legacy, and contribution to music.
でも今は、彼の人生や彼のレガシー、彼の音楽への貢献を称賛する時なんだよ
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