Michael's next plan その1
去年の今頃、ひとつの記事を見つけました。
マイケルが2009年6月頃に書いたとされるメモが見つかり、それがネットオークションのe-Bayで落札されたというものでした。(Sourceはこちら)

飲み物がこぼれたくしゃくしゃの用紙は、マイケルが頻繁に通っていたアーノルド・クライン・クリニックのもの。
特徴のある彼の「D」
One year in London 3G?
International # 1 2 3 4 5 albums and single
Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
Who's doing sculpture for Halloween special
でもほとんど暗号のような感じで、どう解釈していいやらだったので記録だけしていたのです。
でも今月の初めに、マイケルとは旧知の間柄であるふたりのブレーンがトークショーに出て、マイケルがTII後に何を計画していたかを話してくれました。
それを聞いて、このメモがまんざら適当な殴り書きではないことと、もうひとつ気になっていた記事があって、それらの点がきれいに線に繋がったので、ここに書き記しておく事にします。
11月1日(日本時間2日)ジャメインがこんなツイートを
Shout out4 Michael Prince & Lavelle Smith Jnr on @PiersTonight 9pm EST. Two valued allies of my brother & integral part of his second family
マイケル・プリンスとラヴェル・スミスJrが9時からのピアーズ・モーガン・Tonightに出演するお知らせだよ。ふたりは僕の弟の重要な盟友で、なくてはならない彼の第2の家族なんだ

ラヴェル・スミスJrはバッドツアー(1986)からマイケルと仕事をしてきたダンサーであり、振付師。
バッドツアーでもデンジャラスツアーでもヒストリーツアーでもいつもマイケルの右にいますよね^^
TIIは2008年、マイケルがベガスにいる頃(ツアーの名前も決まっていない頃)すでに大まかな振り付け練習がスタートしてたらしく、彼はその時点から関わっていたそうです。

プリンス・マイケルはマイケルのレコーディング・エンジニア。
TIIで、The Way You Make Me Feelのサウンドチェック時に、「まだだよプリンス!」と音のタイミングをマイケルとベアデンから注意されていた人w
マイケルが「もっと間をとって、余韻が必要だよ」と指示し、ベアデンが「オーライ、プリンス!アチャ・ウーのあと2小節追加だ。最低1小節」と言ったとき、小さく「got it」と聞こえる(空耳?錯覚?w)声がプリンスなんだと思うのですが。
彼も2008年のベガスからマイケルと一緒だったそうです。
ピアーズ・モーガン・Tonightに出演した二人がマイケルの思い出と共に、彼がTIIと共にあたためていた様々なプランを話してくれました。Sourceはこちら。
わたしはヒアリングがからきしダメなのですが、幸運にもTranscriptを見つけましたので内容がわかりました^^ そちらのSourceはこちらで。
全訳ではなく今回のお話に必要な部分だけ抜粋させてもらいます。
いつもどおり怪しい意訳なので(笑)そのおつもりでお願いしますねw
--------------------------------
ホストのモーガン: マイケルの次の計画については多くの説がありましたが、彼は何を計画していたのですか?
スミス: 僕らはショートフィルムを作るつもりでした。ご存知の通り、マイケルはショートフィルムを愛していました。僕らは、カウボーイの映画に取り組んでいたんです。
プリンス: Legs Diamond・・
スミス: Legs Diamond.
プリンス: 彼は「Legs Diamond」の現代版ミュージカルみたいなものを作りたがっていました。 マイケルは既にいくつかギャング風なものを作っていましたからね、「Smooth Criminal」のような。
スミス: そう、Dangerousや(Smooth) Criminalね
モーガン: 私は、彼は数ヵ月ごとにシングルをリリースしたがっていたとも聞いていました。
そうやっていって最終的にアルバムを出すと。すごく奇抜なやり方であったね。
プリンス: その通り。そんなやり方なら「スリラー」と比較されません。 彼はツアーを行っている間、多分8週ごとにシングルを出そうとしていました。そうして一旦10曲を出して、新しく2曲を追加したアルバムを出そうと。
さらに彼は子供向けアルバムを作りたかったのです。子供のための美しく純粋な歌・・ご存知の通り、彼はそういうものを書くことが好きだったから。
彼は言葉を入れたくないメロディも沢山かかえていたので、クラシックのアルバムも作りたかったのです。
----------------------------------
ロンドンにいる間、2ヶ月ごとにシングルをリリースして、最後にアルバムを出す・・
例のメモ、少しだけわかったような気がしました。
One year in London 3G?
ロンドンに1年(3のあとがGなのかなんなのか不明なのでここはわかりません><)
International # 1 2 3 4 5 albums and single
(その間)世界的に 1~5枚シングルと、アルバムを
※あくまでわたしの勝手な妄想に近い推測です。アルバムじゃなくシングルが本来は複数形にならないとだめですけど、マイケルならアリかな、とかw 5回シングルを出すと合計10曲になりますものね。
メモでは上記をひっくるめて、的なかっこのような印がありますから、それらの斬新なやり方でのリリース案を「Talk to」って感じに思えるんですよね。
Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
(この案を)digital people, Universal, Warnerに話す 大きな収益になる
デジタル・ピープルは企業名なのか固有名詞なのか良くわかりませんが、ユニバーサル、ワーナーとなると初めは映画の話?と思いますが、前々回のシュガー・フットのドラム雑誌インタビューで、彼がこんな風に言っています。
「最後の3年間彼は秘密裏に楽曲作りを行っていて、アルバム制作を見据えていたし、ソニーとの再契約するか、他のレーベルにするか、それとも自分のレーベルから出すかということを考えていたんだ」
なので、複数のレーベルに話をしてみるという気になっていてもおかしくないなと。
TIIコンサート期間中に新曲を出しながら、おそらくそれらもセットリストに加わったりして話題を途切れさせないようにして、コンサートが終わる頃にアルバム発売って感じかな。
マイケル・ジャクソン子供病院のためにも・・コンサートとアルバムとでHugeな利益を出したかったのでしょうか・・ね・・。
とにかくふたりのインタビューで、このメモがひょっとしたらきちんとしたプラン内容の覚書かもしれない、と感じました。
そのあとの Who's doing sculpture for Halloween special(誰がハロウィン・スペシャルの彫刻をするのか」は、やはり謎ですが、2009年のハロウィン、マイケルになんらかのアイデアがあったことを匂わせますけれどね・・
そしてミュージカル映画。
Legs Diamond というのは、ジャック・ノーランという禁酒法時代の実在のギャングのこと。
アメリカでは有名なギャングだったようで、彼のエピソードはドラマ「アンタッチャブル」の元ネタになったり、映画になったりしています。


日本でも1960年に「暗黒街の帝王 レッグス・ダイヤモンド」という邦題で公開されていました。
そういえばオルテガもちょうどTII公開時期に答えたインタビューで
「マイケルとわたしは複数の映画を企画していた。 TIIが決まる前から、ミュージカルのLegs Diamond、それに長編のThriller3-D映画を製作する話し合いは始まっていたんだ」と語っていました。
Legs Diamondのミュージカル映画・・やる気まんまんだったんだなぁ・・
マイケルは本当にいわゆるギャングものが好きだなぁ・・
きっとダンスをふんだんに取り入れたミュージカルになったはずですね。
それにカウボーイの物語のSF・・
何の曲のSFだったのかな
見てみたかったな
カウボーイと言えば西部劇。
ラテン、悲しい口笛・・ときたらすぐに思い浮かぶのが「Whatever Happens」
アルバムINVINCIBLE収録、カルロス・サンタナの泣きのギターが印象的な、これを思い出してしまいます^^
口笛もサンタナに吹いてもらったんですね。
マイケルがもしこの曲のSFを作ったなら、絶対カウボーイが登場したんじゃないかしらとか思ったりしました。
マイケルは有名な1960年の「荒野の7人」 という西部劇のテーマ曲も好きだったみたい^^

この映画は、日本の黒澤明監督の「七人の侍」(1954年)に影響されたジョン・スタージェス監督が、あんまりにもこの映画が好きすぎてついには設定をすべてメキシコに置き換えて作ってしまった「七人の侍」のリメイク映画です。
音楽はエルマー・バーンスタイン。
マイケルは彼の音楽が大好きだったとか。
同じく彼のお気に入りでBeat Itの群舞に影響を及ぼしたとされる「ウェストサイド・ストーリー」の作曲を手がけたレナード・バーンスタインと間違えそうですが、あの泣く子も黙るThrillerのSF監督、ジョン・ランディスの「狼男アメリカン」の音楽担当がエルマーでした。
マイケルはこの「狼男アメリカン」からヒントを得て狼になっちゃったわけですし、当然音楽も聴いていたでしょうし、そりゃ好きな作曲家にもなりますよね。
どうしてそんなことがわかるのかというと、前述した「もうひとつ気になる記事」からね。
これがとても興味深いのです。
この記事も読んだ時は「そうなんだ~」と感激したのですが、なんとなくお蔵入りしてしまっていたもので、でも実はそこにマイケル・プリンスが関わっていて、今回のインタビューでぴたりと繋がったのでご紹介させていただきます。
とはいえ、記事自体は昨年のものなので、結構ご存知の方も多いかもしれませんけれど^^
2009年2月ごろ、TVの刑事コロンボシリーズやスティーブン・セガールの映画音楽の作曲家であり指揮者のデイビッド・マイケル・フランクさんは、冒頭インタビューに出てくるプリンス・マイケルから1本の電話を受け取ります。
それがマイケルの美しいインストゥルメンタル・アルバム(いわゆるクラシックアルバム)が具体的に始動するきっかけとなったのです。
フランク氏は、'96年スミソニアン航空宇宙博物館の20周年を記念して上映された宇宙を扱った教育映画、Cosmic Voyage(IMAXシアター専用3D映画)の音楽も担当されています。(この映画のナレーションはモーガン・フリーマン)
彼の公式HPにもマイケルとのプロジェクトの事がきちんと記されています。
インタビュー記事のSourceはこちら
-----------------------------
4~5ヵ月前、私は、マイケル・ジャクソンの長年のレコーディングエンジニアであるマイケル・プリンスから電話を受けました。マイケルがオーケストラ用音楽をアレンジできる人を探しているのだと。
私はそれがマイケルが準備していたツアーのためのものだろうと思いました。
その1~2ヶ月後また彼(マイケル・プリンス)から連絡があり、「マイケルが直接あなたに連絡をすると言っている」と言われました。
4月の末に、もう一人のマイケル(マイケル・ジャクソンの個人秘書)から電話があり、翌日の午前10時に来てくれないかと言われました。その時私の車のメーカーとモデルを尋ねられました。
私は、彼のホルムビーヒルズ邸まで車で行きました。
玄関のドア前に乗りつけると、彼のアシスタントに中に入るように言われました。
そこで頭に白いターバンを巻いているけれど、家政婦のようないでたちの女性に「マイケル・ジャクソンはまもなく参ります」と言われました。およそ2分後、マイケルが階段を下りてきました。
私は彼が細菌による感染症を心配していると聞いていたので、握手をためらいましたが、彼はすぐに手を差し出して、とても固い握手をしてくれました。
彼は非常に痩せてはいましたが、少しも弱々しくはありませんでした。
スーツ姿で帽子をかぶっていた彼は、この後ツアーのリハーサルに行くつもりにしていました。
彼が「あなたとどこかでお会いしたような気がするのですが」と言ったので、大昔にシュライン・オーディトリアムで行われたサミー・デイビス, Jr.の(彼も参加した)トリビュート番組で働いていて、そこでちょっとの間、あなたにお会いしましたと彼に話しました。すると彼は「僕は、人の顔を決して忘れないんですよ」と言いました。
彼は、私に言いました。「僕には同時進行している3つのプロジェクトがあるんです」
ひとつは全世界が知っていたツアーでした。
私が誰も知らなかったと思っている他のふたつのうちひとつはポップスのアルバム。
それから、彼は言いました、「あとひとつはクラシック音楽のアルバムを録音したいんです」と。彼が言うところのクラシック音楽。
彼は、常にクラシック音楽を聞いているのだと言いました。それが本当に大好きなのだと。
私は彼が挙げた音楽に強い印象を受けました。
アーロン・コープランドの「ロデオ」
「市民のためのファンファーレ」
「リンカーンの肖像」
レナード・バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」。
私はレナード・バーンスタインの「波止場(若き日のマーロン・ブランドの主演映画)」について語りました。
するとマイケルは、エルマー・バーンスタインの映画音楽も好きだと言い、特に「アラバマ物語(ローマの休日でおなじみグレゴリー・ペックの主演映画) 」について語りました。
私は彼の語るクラシックのほとんどが、とても子供らしくシンプルでかわいらしいことに気づきました。
そう、プロコフィエフの「ピーターと狼」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」のような。
彼はまた、ドビュッシーの、特に「アラベスク1番」「月の光」については何度も語りました。
音楽について話す時、彼はとても穏やかな声なのですが、何かに活気づけられると、別人のように変わりました。
彼は自分がどれほどエルマー・バーンスタインを愛しているかを語っていて、私が「荒野の7人」が好きだと言った途端、マイケルはそのテーマ曲をほとんど叫び声に近い大声で歌い始めたのです。
彼は「僕はCDを作っているんです」と言いました。
息子さんのプリンスが入ってきたので、マイケルは彼にCDプレーヤーを探すよう頼みましたが、お嬢ちゃんのパリスがそれを見つけて、プリンスと一緒に持ってきてくれました。
マイケルは、CDを再生しました。
それはとてもチャーミングで心地の良い音楽でした。
「でも未完成なんです」と彼は言いました。二つ目の作品を再生した後、彼は言いました「これもまだ完成していないんです。でもハミングで歌えますよ」と。
私が家にピアノがあるかと尋ねると、彼は「プール・ハウスに1台ね」と言いました。
我々はそこへ向かおうとしましたが、犬がプールの傍でずぶぬれになっているのを見て、マイケルは立ち止まりました。
彼は、犬がブルブルッとしてこちらに飛び散る水がかかるのが嫌だったのでしょう。おかしな話でした。
我々が彼のプール・ハウスに行く間、マイケルはもう一人のアシスタントに犬を押さえさせていました。

マイケルのプールハウス
私はピアノに座って、マイケルは欠落していたパートをハミングしました。
私は、小さなデジタル・レコーダーを持ってきていたので、録音が可能かどうか尋ねました。
彼は絶対音感の持ち主でした。
私が彼のハミングに合うコードを出すと、「あなたのコードに関する直感は全く完璧だね」と、彼は言いました。
我々は、さらにクラシック音楽について話をし、私は、ドビュッシーを何曲か弾きました。
マイケルはとても幸せそうで、私に安心感を感じてくれていると思いました。
彼は再びレナード・バーンスタインについて語り、私は「ウエスト・サイドストーリー」から何曲かを弾いたのです。

BADだ~♪
マイケルは、かつてバーンスタインに会った際、彼から「僕は君の大ファンだ」と言われたという話もしてくれました。

Qとマイケルとバーンスタイン
プールハウスから戻って、彼が部屋から部屋へ移る時に、そこかしこで聞こえてくる声。
「大好きよ、パパ」「パパもだよ、パリス」・・彼らは全くもって普通で幸せそうでした。
マイケルは、曲を調整し大きいオーケストラとともにレコーディングすることを切望していました。
私はフォックス、ソニーまたはワーナー・ブラザーズなどでレコーディングしてはと提案しました。
私が、誰か予算を検討することができる人間から連絡をもらいたいと言うと、彼は取り図ると言いました。
私が家を出た時、数人のファンが門の外にいました。
その後、私は電話でマイケルと話しました。
彼がプロジェクトがどのように行われているかについて尋ね、私は我々が契約をセットできる担当者からの連絡を待っていたと答えました。
彼がロンドンでショーをやる間に、かの地でのレコーディングを私は提案しました。
彼はそのアイデアが気に入り、またもや「アラベスク」について語りだしました。
私はコンピュータにすべて音楽を入力し、オーケストラアレンジに着手しました。
ついに、マイケルが逝く一週間前に、彼のマネージャー(フランク・ディレオ)が私に電話をしてきて、予算と音楽ファイルをメールするよう求められました。
現在、私は、何がこれで起こるのか全くわかりません。
私は、ジャクソン家がこれをどうにか形にできる何かをしてくれる事を望んでいますし、適切な時期までこれを持ち出すつもりはありません。
私の推測では、各々の曲が長さ7~10分であるということです。
それぞれが歌よりも内容が充実した、とても愛らしい音楽です。
中にはアイルランド風のものもあります。私は、アイルランドのケルト民族のハープを使うことができるように提案しました。
それらは、とても伝統的に調和がとれていて、また、とても力強いメロディーで、綺麗な映画音楽のように聞こえます。
そのうちの1曲は少しジョン・バリーっぽく、「愛と哀しみの果て(メリル・ストリープの映画)」のようです。
私の頭の中で、ゆったりと広がりを感じさせる弦楽器とフレンチホルンとが調和して響いていました。
私はマイケルに、このレコーディングをするときは、オークションで買ったレナード・バーンスタインのタクトを使うつもりだと言ってました。
彼はきっとおおいに面白がったでしょうね。
もし私が指揮する事があるのなら、このタクトを使うと思います。
--------------------------
長くなりました。
続きます。
マイケルが2009年6月頃に書いたとされるメモが見つかり、それがネットオークションのe-Bayで落札されたというものでした。(Sourceはこちら)

飲み物がこぼれたくしゃくしゃの用紙は、マイケルが頻繁に通っていたアーノルド・クライン・クリニックのもの。
特徴のある彼の「D」
One year in London 3G?
International # 1 2 3 4 5 albums and single
Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
Who's doing sculpture for Halloween special
でもほとんど暗号のような感じで、どう解釈していいやらだったので記録だけしていたのです。
でも今月の初めに、マイケルとは旧知の間柄であるふたりのブレーンがトークショーに出て、マイケルがTII後に何を計画していたかを話してくれました。
それを聞いて、このメモがまんざら適当な殴り書きではないことと、もうひとつ気になっていた記事があって、それらの点がきれいに線に繋がったので、ここに書き記しておく事にします。
11月1日(日本時間2日)ジャメインがこんなツイートを
Shout out4 Michael Prince & Lavelle Smith Jnr on @PiersTonight 9pm EST. Two valued allies of my brother & integral part of his second family
マイケル・プリンスとラヴェル・スミスJrが9時からのピアーズ・モーガン・Tonightに出演するお知らせだよ。ふたりは僕の弟の重要な盟友で、なくてはならない彼の第2の家族なんだ

ラヴェル・スミスJrはバッドツアー(1986)からマイケルと仕事をしてきたダンサーであり、振付師。
バッドツアーでもデンジャラスツアーでもヒストリーツアーでもいつもマイケルの右にいますよね^^
TIIは2008年、マイケルがベガスにいる頃(ツアーの名前も決まっていない頃)すでに大まかな振り付け練習がスタートしてたらしく、彼はその時点から関わっていたそうです。

プリンス・マイケルはマイケルのレコーディング・エンジニア。
TIIで、The Way You Make Me Feelのサウンドチェック時に、「まだだよプリンス!」と音のタイミングをマイケルとベアデンから注意されていた人w
マイケルが「もっと間をとって、余韻が必要だよ」と指示し、ベアデンが「オーライ、プリンス!アチャ・ウーのあと2小節追加だ。最低1小節」と言ったとき、小さく「got it」と聞こえる(空耳?錯覚?w)声がプリンスなんだと思うのですが。
彼も2008年のベガスからマイケルと一緒だったそうです。
ピアーズ・モーガン・Tonightに出演した二人がマイケルの思い出と共に、彼がTIIと共にあたためていた様々なプランを話してくれました。Sourceはこちら。
わたしはヒアリングがからきしダメなのですが、幸運にもTranscriptを見つけましたので内容がわかりました^^ そちらのSourceはこちらで。
全訳ではなく今回のお話に必要な部分だけ抜粋させてもらいます。
いつもどおり怪しい意訳なので(笑)そのおつもりでお願いしますねw
--------------------------------
ホストのモーガン: マイケルの次の計画については多くの説がありましたが、彼は何を計画していたのですか?
スミス: 僕らはショートフィルムを作るつもりでした。ご存知の通り、マイケルはショートフィルムを愛していました。僕らは、カウボーイの映画に取り組んでいたんです。
プリンス: Legs Diamond・・
スミス: Legs Diamond.
プリンス: 彼は「Legs Diamond」の現代版ミュージカルみたいなものを作りたがっていました。 マイケルは既にいくつかギャング風なものを作っていましたからね、「Smooth Criminal」のような。
スミス: そう、Dangerousや(Smooth) Criminalね
モーガン: 私は、彼は数ヵ月ごとにシングルをリリースしたがっていたとも聞いていました。
そうやっていって最終的にアルバムを出すと。すごく奇抜なやり方であったね。
プリンス: その通り。そんなやり方なら「スリラー」と比較されません。 彼はツアーを行っている間、多分8週ごとにシングルを出そうとしていました。そうして一旦10曲を出して、新しく2曲を追加したアルバムを出そうと。
さらに彼は子供向けアルバムを作りたかったのです。子供のための美しく純粋な歌・・ご存知の通り、彼はそういうものを書くことが好きだったから。
彼は言葉を入れたくないメロディも沢山かかえていたので、クラシックのアルバムも作りたかったのです。
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ロンドンにいる間、2ヶ月ごとにシングルをリリースして、最後にアルバムを出す・・
例のメモ、少しだけわかったような気がしました。
One year in London 3G?
ロンドンに1年(3のあとがGなのかなんなのか不明なのでここはわかりません><)
International # 1 2 3 4 5 albums and single
(その間)世界的に 1~5枚シングルと、アルバムを
※あくまでわたしの勝手な妄想に近い推測です。アルバムじゃなくシングルが本来は複数形にならないとだめですけど、マイケルならアリかな、とかw 5回シングルを出すと合計10曲になりますものね。
メモでは上記をひっくるめて、的なかっこのような印がありますから、それらの斬新なやり方でのリリース案を「Talk to」って感じに思えるんですよね。
Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
(この案を)digital people, Universal, Warnerに話す 大きな収益になる
デジタル・ピープルは企業名なのか固有名詞なのか良くわかりませんが、ユニバーサル、ワーナーとなると初めは映画の話?と思いますが、前々回のシュガー・フットのドラム雑誌インタビューで、彼がこんな風に言っています。
「最後の3年間彼は秘密裏に楽曲作りを行っていて、アルバム制作を見据えていたし、ソニーとの再契約するか、他のレーベルにするか、それとも自分のレーベルから出すかということを考えていたんだ」
なので、複数のレーベルに話をしてみるという気になっていてもおかしくないなと。
TIIコンサート期間中に新曲を出しながら、おそらくそれらもセットリストに加わったりして話題を途切れさせないようにして、コンサートが終わる頃にアルバム発売って感じかな。
マイケル・ジャクソン子供病院のためにも・・コンサートとアルバムとでHugeな利益を出したかったのでしょうか・・ね・・。
とにかくふたりのインタビューで、このメモがひょっとしたらきちんとしたプラン内容の覚書かもしれない、と感じました。
そのあとの Who's doing sculpture for Halloween special(誰がハロウィン・スペシャルの彫刻をするのか」は、やはり謎ですが、2009年のハロウィン、マイケルになんらかのアイデアがあったことを匂わせますけれどね・・
そしてミュージカル映画。
Legs Diamond というのは、ジャック・ノーランという禁酒法時代の実在のギャングのこと。
アメリカでは有名なギャングだったようで、彼のエピソードはドラマ「アンタッチャブル」の元ネタになったり、映画になったりしています。


日本でも1960年に「暗黒街の帝王 レッグス・ダイヤモンド」という邦題で公開されていました。
そういえばオルテガもちょうどTII公開時期に答えたインタビューで
「マイケルとわたしは複数の映画を企画していた。 TIIが決まる前から、ミュージカルのLegs Diamond、それに長編のThriller3-D映画を製作する話し合いは始まっていたんだ」と語っていました。
Legs Diamondのミュージカル映画・・やる気まんまんだったんだなぁ・・
マイケルは本当にいわゆるギャングものが好きだなぁ・・
きっとダンスをふんだんに取り入れたミュージカルになったはずですね。
それにカウボーイの物語のSF・・
何の曲のSFだったのかな
見てみたかったな
カウボーイと言えば西部劇。
ラテン、悲しい口笛・・ときたらすぐに思い浮かぶのが「Whatever Happens」
アルバムINVINCIBLE収録、カルロス・サンタナの泣きのギターが印象的な、これを思い出してしまいます^^
口笛もサンタナに吹いてもらったんですね。
マイケルがもしこの曲のSFを作ったなら、絶対カウボーイが登場したんじゃないかしらとか思ったりしました。
マイケルは有名な1960年の「荒野の7人」 という西部劇のテーマ曲も好きだったみたい^^

この映画は、日本の黒澤明監督の「七人の侍」(1954年)に影響されたジョン・スタージェス監督が、あんまりにもこの映画が好きすぎてついには設定をすべてメキシコに置き換えて作ってしまった「七人の侍」のリメイク映画です。
音楽はエルマー・バーンスタイン。
マイケルは彼の音楽が大好きだったとか。
同じく彼のお気に入りでBeat Itの群舞に影響を及ぼしたとされる「ウェストサイド・ストーリー」の作曲を手がけたレナード・バーンスタインと間違えそうですが、あの泣く子も黙るThrillerのSF監督、ジョン・ランディスの「狼男アメリカン」の音楽担当がエルマーでした。
マイケルはこの「狼男アメリカン」からヒントを得て狼になっちゃったわけですし、当然音楽も聴いていたでしょうし、そりゃ好きな作曲家にもなりますよね。
どうしてそんなことがわかるのかというと、前述した「もうひとつ気になる記事」からね。
これがとても興味深いのです。
この記事も読んだ時は「そうなんだ~」と感激したのですが、なんとなくお蔵入りしてしまっていたもので、でも実はそこにマイケル・プリンスが関わっていて、今回のインタビューでぴたりと繋がったのでご紹介させていただきます。
とはいえ、記事自体は昨年のものなので、結構ご存知の方も多いかもしれませんけれど^^
2009年2月ごろ、TVの刑事コロンボシリーズやスティーブン・セガールの映画音楽の作曲家であり指揮者のデイビッド・マイケル・フランクさんは、冒頭インタビューに出てくるプリンス・マイケルから1本の電話を受け取ります。
それがマイケルの美しいインストゥルメンタル・アルバム(いわゆるクラシックアルバム)が具体的に始動するきっかけとなったのです。
フランク氏は、'96年スミソニアン航空宇宙博物館の20周年を記念して上映された宇宙を扱った教育映画、Cosmic Voyage(IMAXシアター専用3D映画)の音楽も担当されています。(この映画のナレーションはモーガン・フリーマン)
彼の公式HPにもマイケルとのプロジェクトの事がきちんと記されています。
インタビュー記事のSourceはこちら
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4~5ヵ月前、私は、マイケル・ジャクソンの長年のレコーディングエンジニアであるマイケル・プリンスから電話を受けました。マイケルがオーケストラ用音楽をアレンジできる人を探しているのだと。
私はそれがマイケルが準備していたツアーのためのものだろうと思いました。
その1~2ヶ月後また彼(マイケル・プリンス)から連絡があり、「マイケルが直接あなたに連絡をすると言っている」と言われました。
4月の末に、もう一人のマイケル(マイケル・ジャクソンの個人秘書)から電話があり、翌日の午前10時に来てくれないかと言われました。その時私の車のメーカーとモデルを尋ねられました。
私は、彼のホルムビーヒルズ邸まで車で行きました。
玄関のドア前に乗りつけると、彼のアシスタントに中に入るように言われました。
そこで頭に白いターバンを巻いているけれど、家政婦のようないでたちの女性に「マイケル・ジャクソンはまもなく参ります」と言われました。およそ2分後、マイケルが階段を下りてきました。
私は彼が細菌による感染症を心配していると聞いていたので、握手をためらいましたが、彼はすぐに手を差し出して、とても固い握手をしてくれました。
彼は非常に痩せてはいましたが、少しも弱々しくはありませんでした。
スーツ姿で帽子をかぶっていた彼は、この後ツアーのリハーサルに行くつもりにしていました。
彼が「あなたとどこかでお会いしたような気がするのですが」と言ったので、大昔にシュライン・オーディトリアムで行われたサミー・デイビス, Jr.の(彼も参加した)トリビュート番組で働いていて、そこでちょっとの間、あなたにお会いしましたと彼に話しました。すると彼は「僕は、人の顔を決して忘れないんですよ」と言いました。
彼は、私に言いました。「僕には同時進行している3つのプロジェクトがあるんです」
ひとつは全世界が知っていたツアーでした。
私が誰も知らなかったと思っている他のふたつのうちひとつはポップスのアルバム。
それから、彼は言いました、「あとひとつはクラシック音楽のアルバムを録音したいんです」と。彼が言うところのクラシック音楽。
彼は、常にクラシック音楽を聞いているのだと言いました。それが本当に大好きなのだと。
私は彼が挙げた音楽に強い印象を受けました。
アーロン・コープランドの「ロデオ」
「市民のためのファンファーレ」
「リンカーンの肖像」
レナード・バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」。
私はレナード・バーンスタインの「波止場(若き日のマーロン・ブランドの主演映画)」について語りました。
するとマイケルは、エルマー・バーンスタインの映画音楽も好きだと言い、特に「アラバマ物語(ローマの休日でおなじみグレゴリー・ペックの主演映画) 」について語りました。
私は彼の語るクラシックのほとんどが、とても子供らしくシンプルでかわいらしいことに気づきました。
そう、プロコフィエフの「ピーターと狼」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」のような。
彼はまた、ドビュッシーの、特に「アラベスク1番」「月の光」については何度も語りました。
音楽について話す時、彼はとても穏やかな声なのですが、何かに活気づけられると、別人のように変わりました。
彼は自分がどれほどエルマー・バーンスタインを愛しているかを語っていて、私が「荒野の7人」が好きだと言った途端、マイケルはそのテーマ曲をほとんど叫び声に近い大声で歌い始めたのです。
彼は「僕はCDを作っているんです」と言いました。
息子さんのプリンスが入ってきたので、マイケルは彼にCDプレーヤーを探すよう頼みましたが、お嬢ちゃんのパリスがそれを見つけて、プリンスと一緒に持ってきてくれました。
マイケルは、CDを再生しました。
それはとてもチャーミングで心地の良い音楽でした。
「でも未完成なんです」と彼は言いました。二つ目の作品を再生した後、彼は言いました「これもまだ完成していないんです。でもハミングで歌えますよ」と。
私が家にピアノがあるかと尋ねると、彼は「プール・ハウスに1台ね」と言いました。
我々はそこへ向かおうとしましたが、犬がプールの傍でずぶぬれになっているのを見て、マイケルは立ち止まりました。
彼は、犬がブルブルッとしてこちらに飛び散る水がかかるのが嫌だったのでしょう。おかしな話でした。
我々が彼のプール・ハウスに行く間、マイケルはもう一人のアシスタントに犬を押さえさせていました。

マイケルのプールハウス
私はピアノに座って、マイケルは欠落していたパートをハミングしました。
私は、小さなデジタル・レコーダーを持ってきていたので、録音が可能かどうか尋ねました。
彼は絶対音感の持ち主でした。
私が彼のハミングに合うコードを出すと、「あなたのコードに関する直感は全く完璧だね」と、彼は言いました。
我々は、さらにクラシック音楽について話をし、私は、ドビュッシーを何曲か弾きました。
マイケルはとても幸せそうで、私に安心感を感じてくれていると思いました。
彼は再びレナード・バーンスタインについて語り、私は「ウエスト・サイドストーリー」から何曲かを弾いたのです。

BADだ~♪
マイケルは、かつてバーンスタインに会った際、彼から「僕は君の大ファンだ」と言われたという話もしてくれました。

Qとマイケルとバーンスタイン
プールハウスから戻って、彼が部屋から部屋へ移る時に、そこかしこで聞こえてくる声。
「大好きよ、パパ」「パパもだよ、パリス」・・彼らは全くもって普通で幸せそうでした。
マイケルは、曲を調整し大きいオーケストラとともにレコーディングすることを切望していました。
私はフォックス、ソニーまたはワーナー・ブラザーズなどでレコーディングしてはと提案しました。
私が、誰か予算を検討することができる人間から連絡をもらいたいと言うと、彼は取り図ると言いました。
私が家を出た時、数人のファンが門の外にいました。
その後、私は電話でマイケルと話しました。
彼がプロジェクトがどのように行われているかについて尋ね、私は我々が契約をセットできる担当者からの連絡を待っていたと答えました。
彼がロンドンでショーをやる間に、かの地でのレコーディングを私は提案しました。
彼はそのアイデアが気に入り、またもや「アラベスク」について語りだしました。
私はコンピュータにすべて音楽を入力し、オーケストラアレンジに着手しました。
ついに、マイケルが逝く一週間前に、彼のマネージャー(フランク・ディレオ)が私に電話をしてきて、予算と音楽ファイルをメールするよう求められました。
現在、私は、何がこれで起こるのか全くわかりません。
私は、ジャクソン家がこれをどうにか形にできる何かをしてくれる事を望んでいますし、適切な時期までこれを持ち出すつもりはありません。
私の推測では、各々の曲が長さ7~10分であるということです。
それぞれが歌よりも内容が充実した、とても愛らしい音楽です。
中にはアイルランド風のものもあります。私は、アイルランドのケルト民族のハープを使うことができるように提案しました。
それらは、とても伝統的に調和がとれていて、また、とても力強いメロディーで、綺麗な映画音楽のように聞こえます。
そのうちの1曲は少しジョン・バリーっぽく、「愛と哀しみの果て(メリル・ストリープの映画)」のようです。
私の頭の中で、ゆったりと広がりを感じさせる弦楽器とフレンチホルンとが調和して響いていました。
私はマイケルに、このレコーディングをするときは、オークションで買ったレナード・バーンスタインのタクトを使うつもりだと言ってました。
彼はきっとおおいに面白がったでしょうね。
もし私が指揮する事があるのなら、このタクトを使うと思います。
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長くなりました。
続きます。
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