わたくしごととMJオックスフォードスピーチ
更新が滞っているにもかかわらず、ここを訪れてくださる奇特な方がたに心からお礼を申し上げます。
大好きなマイケルのお誕生日をお祝いする集まりにも行けず
こちらを更新することもできず
たるんどる!
はい、おっしゃる通りで(/_;)
今わたしは仕事をStopして
抗がん剤を中止した父親の在宅看護に明け暮れています。
GW明けにステージ4の肺ガンが発覚し、一時は治療に踏み切りましたが
副作用とその効果を秤にかけた結果、1クール終わった段階で彼が自身で治療の中止を決断。
自宅で過ごすことを選択したのは7月の終わりでした。
長期の入院と副作用の影響で食欲をなくし、さらにがんが食道を圧迫していることによる誤嚥により
通常の食事を摂れない父はわたしと同じくらいの体重になりました。
訪問看護師さんと定期的に往診して下さるお医者様と介護サービスを駆使しながら
何が彼にとって本当にいいのだろうと自問自答しながら
このブログ同様へたれのわたしにとっては、あまりに重すぎるテーマの中、日々を過ごしています。
わたしは父とながらく、ていうかずーっとそりが合わず
マイケルの訃報でさめざめと喫茶店で泣くわたしを見た母が(この母親がわたしにマイケルのOff The Wallをプレゼントしてくれたのですがねw)「きっとあんた、お父さんの時はそんなに泣いてあげられないわね」と当時は冗談で苦笑しつつ言ったぐらいでw
わたしも「おそらく」とか思ったものです(ひどw)
幼少時から厳しかった父でした。
彼から十分に愛情を感じることができなかったわたしは、父を嫌悪し背き反発することでバランスを取っていました。
思春期どころか「ええ年の大人」になってもわたしは父を避けていましたし、理解するとか受け入れるとか赦すとかありえないぐらい距離を置いていたわけなのですが
マイケルがわたしを変えました。
マイケルのオックスフォードのスピーチが。
マイケルが父、ジョーへの確執と葛藤しながら彼が出した答え。
それは
Forgiveness 赦すこと
父親が自分に向き合ってくれなかった
愛情を示してくれなかった
満たしてくれなかった
などという「してくれなかった」事に占められた過去の(子供時代の)幻影にとらわれる事に終止符を打ち、わずかでも「してくれた」事に目を向け、親を非難したり憎んだりすることをやめ、赦してはじめて自分が本当の意味で癒されるのだと。
赦すとは、「してくれなかった」親の罪(それを罪と呼ぶのなら)を忘れるというよりも、そうとしかできなかった親を受け入れ、認める事だとわたしは解釈します。
マイケルはたった一人しかいない「お父さん」と新たな関係を築きたいから赦すのだと言いました。

あーすだれ状態の髪の毛をかきわけてあげたいw
このスピーチの草稿をマイケルと共に作成したスピーチライターでありジャーナリストでもあるJonathan Margolisが興味深い記事を書いています。
ジョーは、マイケルたちがいいステージをした時の感想を「まあまあ」と言い、そうでなければ何も言わなかった、というくだり部分を作成していた時、胸ポケットにミッキーマウスのついた、ストライプのグレーのパジャマ姿のマイケルは、はじめは「そうでない時はひどかったと言った」と言っていたのですが、あとから「そこは僕が間違ってた。父さんはひどかったなんて言ったことはない。何も言わなかったんだ、そういう時は。ここでは正直にならなくちゃいけない」」と涙ぐんだとありました。
そしてスピーチ当日、大学へ向かう車の中でマイケルはジョーに電話をします。
「もしもしジョセフ?」
父さんと呼ばせなかったジョー。
ですがこの記事の内容が嘘でなければ、マイケルは「お父さん」を心の中で取り戻したのです。
It's me, Michael. I'm in London.
I'm OK, I've broken my foot and it hurts a lot, but I wanted you to know.
I'm on my way to Oxford University to make a speech, and you're mentioned in it.
...no, no, don't worry, it's very positive. . sure.
How are you keeping? Uh-huh. . .sure, of course I will.
I love you, Dad, bye.
僕だよ。マイケルだ。ロンドンにいるんだよ。
僕は元気だよ。足を骨折して、すごく痛むけど、でも知っていて欲しいことがあるんだ。
僕は講演をするためにオックスフォード大に向かっている途中なんだ、それでその中であなたについて触れるんだ。
いや、違うよ。心配しないで、とてもポジティヴな内容だから・・本当だよ。
元気にしてた?そう・・もちろんそうするよ。
愛してるよ、父さん。またね
電話を切って、マイケルは長い間窓の外を見つめていたそうです。
そして彼は「That's the first time I've ever, ever said that. I can't believe it. 今までで初めてだよ。あんなこと言ったことない。信じられないよ」と微笑んだそうです。
あんなこと
自分から近況報告をしたことなのか
父の体調を気遣ったことなのか
それとも
ジョセフではなく「父さん」と呼んだことなのか

この記事はいずれきちんと紹介したいなぁと思っていたのですが、今はそれに取り組む時間と余裕がないので、詳しく知りたい方にリンクだけ貼らせていただきますね。
source:MY FRIEND MICHAEL; THE REAL MANCHILD BEHIND THE MASK/JONATHAN MARGOLIS
マイケルが自分の辛い子供時代の記憶の亡霊に長く苦しんで辿り着いた答えが、わたしの答えでもありました。
彼のスピーチをきちんと知ったのは、3年前。
その時にわたしは、自分の父親に抱いていた負の感情にとらわれることに終止符を打とうと決めました。
父を、父の生き方、父としての在り方すべてを
受け入れて認めて、赦そうと。
マイケルのおかげで
マイケルが教えてくれたから
わたしは今父親の看護をしているわけです。
もちろんわたしはマイケルでもマザーテレサでもありませんので
自分が相容れなかった、嫌いだった父の気質をプラスに変えるような高等テクニックなど持ち合わせていませんので
心の中で「てんめぇ~」とか「あー、やだやだ」とか思ってしまいますがw
ですが今わたしがここにこうしているのは間違いなく父と母のおかげ。
父が今感じているであろう辛さ、悲しさ、怖さ、悔しさ
それらを本当の意味で解ってあげられはしませんが、必ず旅立たねばならない道程
できるだけ彼が納得して穏やかに苦しまずに
それを見届けることが娘としてできる最低の孝行だと思って
そういうわけで更新はままならない日々が続くと思います。
でも心はいつもマイケルとともに^^
彼に導かれ助けられながら、この光の見えにくい暗闇の道を何とか歩ききろうと思います。
いよいよakimはブログやめおったかとお思いの方もいらっしゃるかと思いますが(笑)そんな中最後まで読んでくださってありがとうございます。
ありがとう みなさん
ありがとう マイケル
大好きなマイケルのお誕生日をお祝いする集まりにも行けず
こちらを更新することもできず
たるんどる!
はい、おっしゃる通りで(/_;)
今わたしは仕事をStopして
抗がん剤を中止した父親の在宅看護に明け暮れています。
GW明けにステージ4の肺ガンが発覚し、一時は治療に踏み切りましたが
副作用とその効果を秤にかけた結果、1クール終わった段階で彼が自身で治療の中止を決断。
自宅で過ごすことを選択したのは7月の終わりでした。
長期の入院と副作用の影響で食欲をなくし、さらにがんが食道を圧迫していることによる誤嚥により
通常の食事を摂れない父はわたしと同じくらいの体重になりました。
訪問看護師さんと定期的に往診して下さるお医者様と介護サービスを駆使しながら
何が彼にとって本当にいいのだろうと自問自答しながら
このブログ同様へたれのわたしにとっては、あまりに重すぎるテーマの中、日々を過ごしています。
わたしは父とながらく、ていうかずーっとそりが合わず
マイケルの訃報でさめざめと喫茶店で泣くわたしを見た母が(この母親がわたしにマイケルのOff The Wallをプレゼントしてくれたのですがねw)「きっとあんた、お父さんの時はそんなに泣いてあげられないわね」と当時は冗談で苦笑しつつ言ったぐらいでw
わたしも「おそらく」とか思ったものです(ひどw)
幼少時から厳しかった父でした。
彼から十分に愛情を感じることができなかったわたしは、父を嫌悪し背き反発することでバランスを取っていました。
思春期どころか「ええ年の大人」になってもわたしは父を避けていましたし、理解するとか受け入れるとか赦すとかありえないぐらい距離を置いていたわけなのですが
マイケルがわたしを変えました。
マイケルのオックスフォードのスピーチが。
マイケルが父、ジョーへの確執と葛藤しながら彼が出した答え。
それは
Forgiveness 赦すこと
父親が自分に向き合ってくれなかった
愛情を示してくれなかった
満たしてくれなかった
などという「してくれなかった」事に占められた過去の(子供時代の)幻影にとらわれる事に終止符を打ち、わずかでも「してくれた」事に目を向け、親を非難したり憎んだりすることをやめ、赦してはじめて自分が本当の意味で癒されるのだと。
赦すとは、「してくれなかった」親の罪(それを罪と呼ぶのなら)を忘れるというよりも、そうとしかできなかった親を受け入れ、認める事だとわたしは解釈します。
マイケルはたった一人しかいない「お父さん」と新たな関係を築きたいから赦すのだと言いました。

あーすだれ状態の髪の毛をかきわけてあげたいw
このスピーチの草稿をマイケルと共に作成したスピーチライターでありジャーナリストでもあるJonathan Margolisが興味深い記事を書いています。
ジョーは、マイケルたちがいいステージをした時の感想を「まあまあ」と言い、そうでなければ何も言わなかった、というくだり部分を作成していた時、胸ポケットにミッキーマウスのついた、ストライプのグレーのパジャマ姿のマイケルは、はじめは「そうでない時はひどかったと言った」と言っていたのですが、あとから「そこは僕が間違ってた。父さんはひどかったなんて言ったことはない。何も言わなかったんだ、そういう時は。ここでは正直にならなくちゃいけない」」と涙ぐんだとありました。
そしてスピーチ当日、大学へ向かう車の中でマイケルはジョーに電話をします。
「もしもしジョセフ?」
父さんと呼ばせなかったジョー。
ですがこの記事の内容が嘘でなければ、マイケルは「お父さん」を心の中で取り戻したのです。
It's me, Michael. I'm in London.
I'm OK, I've broken my foot and it hurts a lot, but I wanted you to know.
I'm on my way to Oxford University to make a speech, and you're mentioned in it.
...no, no, don't worry, it's very positive. . sure.
How are you keeping? Uh-huh. . .sure, of course I will.
I love you, Dad, bye.
僕だよ。マイケルだ。ロンドンにいるんだよ。
僕は元気だよ。足を骨折して、すごく痛むけど、でも知っていて欲しいことがあるんだ。
僕は講演をするためにオックスフォード大に向かっている途中なんだ、それでその中であなたについて触れるんだ。
いや、違うよ。心配しないで、とてもポジティヴな内容だから・・本当だよ。
元気にしてた?そう・・もちろんそうするよ。
愛してるよ、父さん。またね
電話を切って、マイケルは長い間窓の外を見つめていたそうです。
そして彼は「That's the first time I've ever, ever said that. I can't believe it. 今までで初めてだよ。あんなこと言ったことない。信じられないよ」と微笑んだそうです。
あんなこと
自分から近況報告をしたことなのか
父の体調を気遣ったことなのか
それとも
ジョセフではなく「父さん」と呼んだことなのか

この記事はいずれきちんと紹介したいなぁと思っていたのですが、今はそれに取り組む時間と余裕がないので、詳しく知りたい方にリンクだけ貼らせていただきますね。
source:MY FRIEND MICHAEL; THE REAL MANCHILD BEHIND THE MASK/JONATHAN MARGOLIS
マイケルが自分の辛い子供時代の記憶の亡霊に長く苦しんで辿り着いた答えが、わたしの答えでもありました。
彼のスピーチをきちんと知ったのは、3年前。
その時にわたしは、自分の父親に抱いていた負の感情にとらわれることに終止符を打とうと決めました。
父を、父の生き方、父としての在り方すべてを
受け入れて認めて、赦そうと。
マイケルのおかげで
マイケルが教えてくれたから
わたしは今父親の看護をしているわけです。
もちろんわたしはマイケルでもマザーテレサでもありませんので
自分が相容れなかった、嫌いだった父の気質をプラスに変えるような高等テクニックなど持ち合わせていませんので
心の中で「てんめぇ~」とか「あー、やだやだ」とか思ってしまいますがw
ですが今わたしがここにこうしているのは間違いなく父と母のおかげ。
父が今感じているであろう辛さ、悲しさ、怖さ、悔しさ
それらを本当の意味で解ってあげられはしませんが、必ず旅立たねばならない道程
できるだけ彼が納得して穏やかに苦しまずに
それを見届けることが娘としてできる最低の孝行だと思って
そういうわけで更新はままならない日々が続くと思います。
でも心はいつもマイケルとともに^^
彼に導かれ助けられながら、この光の見えにくい暗闇の道を何とか歩ききろうと思います。
いよいよakimはブログやめおったかとお思いの方もいらっしゃるかと思いますが(笑)そんな中最後まで読んでくださってありがとうございます。
ありがとう みなさん
ありがとう マイケル
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