Michael and Joe そして父を想う
アテンション、プリーズ!\(^o^)/
今回はもう「続き」とかしませんでしたけれど、んもう、いつにも増してそれはそれはダラダラと長いっすw
忙しい時や余裕のない時はお読みにならないことをお奨めします、いやほんま。
怖いもの見たさのさらに暇で暇でしかたなかったの♪という場合のみ、読み進めていただけたら嬉しいです^^
前回、前々回の私事記事に沢山の「拍手」とコメントをありがとうございました。
前にも書きましたが、FC2拍手コメントで非表示コメントをくださった方々には、お返事ができなくて大変申し訳ありませんでした(/_;)
全部きちんと読まさせていただきました。
大変力づけられましたし、嬉しくありがたく思っています。
本当にありがとうございましたm(__)m
おかげさまでもうすぐ49日。
短いようで、遠い遠い昔のようで、現実なのにどこか夢のようで、いまだに父は入院でもしているかのように感じる時があります。
しょっちゅう怒っていた父ですが、遺影ではいつ見ても優しく笑っているので調子が狂いますw
父は本当にきっぱりと決めて想いを残すことなく旅立ったようで、あれから一度も、家族の誰の枕元にもやってきません。
でもそれでいいとわたしは思っていて。
変にわたしの枕元に立たれて「akimよ・・わしはほんまはなぁ・・」みたいなこと言われた日にゃもうどうしていいやらわかりませんからw

父のために自分の仕事も都合も旦那も(笑)何もかも投げうって、ひたすら父を中心に、父のことだけ考えた半年でしたが、それができたことは娘としては本当に幸せだったと感じています。
どれだけそばにいてあげたくても、なにくれとなく看護してあげたくても、独立して自分の人生を生きるような年代になれば、自分自身の家族の都合や距離やいろいろな諸事情で、どうしてもそれはかなわないという人がほとんどだと思うから。
もう父の薬のために病院へ行くこともなく、時間を気にして父の元へ通うこともなく、不慣れな痰吸引や点滴の着脱などの処置にあたふたしたり、不手際ゆえ怒られて辛い気持ちになることもなく、ああだこうだと時たま理不尽にも思えるじいさんの要求に必死で駆けずり回ることもなく、さまざまな電話連絡や訪問に対処することもなく、母からの電話にびくびくすることもない・・
ある意味、そんな非日常は、この世で「おとうさん」と呼べるたったひとりの存在を失うことで終わりをつげ、わたしに日常がかえってきました。
以前の日常と少し違うのは、淋しさというおまけがついたことですね。
でもそれもいつしか、その淋しさも込みの日常となっていくのでしょう。
人は誰でも、遅かれ早かれ、立場は様々でしょうけれど、当たり前のようにそこにいてくれた存在を失う痛みを味わうことが宿命。
それも織り込み済みの人生なのですものね。
マイケルを想うのと同じように。
わたしと父との確執は、というか父はどう思っていたかわかりませんが、わたしは父が苦手で嫌いで、できるだけ近づかないようにしていたほどだったのですが、幸いなことにわたしの主人がそれはそれはできた人で(笑)
わたしのかわりに父と沢山おしゃべりしてくれて、一緒に出掛けてくれて、旅行も連れてってくれて、お酒もつきあってくれて、趣味も共有してくれて、父は本当の息子のように彼を信頼し大切に思って、要は大好きだったと思うのですが、そういう人がいてくれたおかげで父に淋しい思いはさせずにすんでいました。
最期の日々によく父はわたしに、「お前の一番の功績は、あの旦那をつかまえたことだ」と言っていましたからw
そう
そうよね
本当は娘であるわたしがすることだよね
でもわたしにはできないよ
しょうがないんだよ
できないんだもん
心の中でそうつぶやいていました。
わたしはどうしても父とそんな風に接することができなかったから。
わたしは父に甘えたことがなく、父も甘えさせてはくれず、いつしか大人になる頃にはたまに父が優しい言葉をわたしにかけても、「今さら」と素直に受け取れず、それどころかその優しい言葉も胡散臭くさえ思えて拒絶するありさまでした。
子どもだった頃、父にとても迷惑をかけたことがあり、わたしはさんざん父からお説教されたのですが、最後に父に抱きついて泣いて許しを乞おうとしたのですが、その時父に簡単に突き返されたことがありました。
それが決定打だったように思います。
あたし
おとうさんに嫌われてるんだな
という。
求めても得ることがかなわないものは、あきらめて、そうしていつしかそれ自体を拒絶する。
そんな感じだったように思います。
まだ若い父が笑顔で赤ちゃんのわたしを抱いているものと、3歳のわたしと父がどじょうすくいの真似をしている(海苔のちょび髭をふたりともつけてw)写真。
この2枚の写真だけが「父に可愛がられた」と思える唯一のものでした。
抱っこされたことも二人で踊ったことも覚えていませんでしたけれど。
マイケルがオックスフォードスピーチで語った言葉。
マイケルが「カーニバルでポニーに乗せてくれるために自分を抱き上げてくれたこと」と「大好きだったドーナツをこっそり買ってきてくれたこと」のたったふたつの出来事を、父であるジョーと自分を親子として繋ぐ数少ない「良い思い出」として挙げていることが、どうしたって自分とかぶりました。
ジョーが幼い自分に「あの契約書にサインしたのか?」などと言わず、「今日は映画にでも行くか?」と言ってくれさえすれば、父と自分はもっと違う関係になれたのに、というマイケルの言葉は、そっくりそのままわたしにもいえる言葉でした。
「おまえのここが至らない」とか「お父さんの子なのにどうしてこんなことができない」とお説教されることよりも、泣いて抱きついたわたしを受け止めてくれさえすればよかったのに、と。
前回も書きましたが、父が自分で旅立つことを決めて「さよなら」をわたしに告げた時に、父はわたしの頭を「いいこいいこ」するように撫でてくれました。
わたしはその瞬間に小さな子供にかえっていました。
何十年もの間、ほしくてほしくて、でもどうしてももらえないと思っていたものをついに手に入れたような気がして。
わたしの中の小さな女の子がわんわん泣きながら叫んでいました。
わたしはおとうさんにこうしてほしかったんだよー
ずっとずっとずーっと
ただこうやって
いいこだいいこだって
かわいがってもらいたかっただけだったんだよー
わたしの中で叫んだ小さなわたし。
マイケルが話した言葉。
But it all begins with forgiveness, because to heal the world, we first have to heal ourselves.
And to heal the kids, we first have to heal the child within, each and every one of us.
As an adult, and as a parent, I realize that I cannot be a whole human being, nor a parent capable of unconditional love, until I put to rest the ghosts of my own childhood.
すべては赦すことから始まります。なぜなら世界を癒すためには、まずはじめに自分自身を癒さなければならないからです。
そして子どもたちを癒すためには、まず私たち一人一人が、自身の内なる子供を癒さなければなりません。
大人として、そして親として・・私は自分の幼少時代の幻影に終止符をうつまでは、調和のとれた人間にも無償の愛を与えることのできる親にもなれないと悟ったのです。

マイケルの言う内なる子供とは、わたしの中にも存在した、「傷ついた幼い自分の心」のことだったのかもしれません。
その心は、父親と離れさえすれば癒されるというものではありませんでした。
マイケルのスピーチに心を動かされたことで、父を責める事に支配される人生をやめて、そうとしか接することができなかった父を認め、受け入れ、赦そうと決めたからこそ、わたしは父親と向き合う覚悟ができきました。
がっつり向き合ったからこそ、幼いわたしを傷つけた(父は何の自覚もなかったと思いますが)、まさにその人の手で、その傷ついた小さな子供は癒されたのでした。
もしも父を拒絶してそこから逃げていたなら、今わたしは結局相容れなかった父を思ってきっと後悔していたでしょう。
さらに、もうどうやっても癒されることのない小さな心は、相変わらず苦しんだままだったかもしれません。
この話を友人にしたところ、彼はこう言ってくれました。
「akimちゃんがずっとそうして欲しかったんと同じように、おとうちゃんもずーっとakimちゃんにそうしたかったんやなぁ」
おとうちゃんも、ずーっとそうしたかったんやなぁ
そうかもしれないと思える自分がいました。
いちいち未熟なところばかり目立つ娘に、先行きを心配するあまりつい小言ばかり口を突いて出てまう
でも外人じゃあるまいし、なんかあると抱きしめるなんちゅー恥ずかしい事できるかい
・・みたいなw
昭和一桁の人でしたから・・。
父との雪解け、つまりわたしの中の内なる子供の心が癒された結果、愛された赤ん坊だった時に純粋に感じていたであろう父親に対する掛け値なしの信頼と愛情というものを、大人になってしまった自分が本当に心から実感できたというこの奇跡にも似た経験は、父の死が刻々と迫る最後の日々という「非日常」の中だったから得られたのかもしれないと思います。
それはとても残念ではあるけれど。
でもこのことはよほどわたしの精神に影響を及ぼしたようで、先日前述の友人夫妻の紹介で110本のカラーボトルの中から直感で4本を選び、それをもとに自分の性格、心理状態、才能、未来の可能性などを知ることができるという「オーラソーマ」と呼ばれるカラーセラピーを受けに行ったのですが。
和歌山にあるサロン(オーラソーマサロン・ダルカマーヤ)で、とても綺麗なセラピストさんでした^^
そこで直感でわたしが選んだカラーボトルから読み解かれたメッセージは、ちょっと驚くものでした。
もちろんセラピストの方とは初対面ですし、事前にいちいち「えっと~あたし最近父を亡くしまして~長い間仲が良くなかったんですけど~」みたいな話などするわけもなく、生年月日を答えたらすぐに「ではボトルをお選び下さいね」で始まったわけで。
セラピストさんの口からこぼれる癒しのお言葉の中に、「インナーチャイルドを癒す」というのがあって。
どっひー!まさにわたしの中で、それ旬なんですけど!みたいなw
わたしがそのメッセージを表しているボトルを選んだようなのですね。

サロンのHPに載っていましたw わたしの選んだボトル^^
「ご自分や周囲を赦し、受け入れたことで大きな浄化が起こり、あなたのインナーチャイルドが癒されています。
"あなたはすべてのものに護られている"とボトルがメッセージをくれています。
大きな変化を楽しみ、沢山の喜びを感じることで新しく生まれ変わります。
自己価値を信頼し、あるがままに自分を愛してあげてください」
とセラピストさんにリーディングしていただきました。
父からはお説教や小言、叱られることが多かったわたしは、父から愛されていないと思い込み、それが大きな要因だったのかもしれませんが、長い間、自分に自信が持てない人間でもありました。
人から認められたい、好かれたい、優しくされたい、愛されたいと願いながら、少しでも好意的な言葉をかけられるとどぎまぎしてあたふたして、「ひー、そんな、あたしなんか、とんでもございません!」と全力で否定することに精力を注ぎ、かと思えば自分に否定的なジャッジが下される事を極端に怖がり、少しでもそんな気配がありそうな人には絶対に近寄らない、無意味なプライドの高さだけはいっちょまえという、何とも面倒くさいやつでした。
自己価値を信頼する・・
まさに自分に欠けていた要素。
それが、あの時父が「いいこいいこ」と頭をなでた瞬間、「わたしがわたしのままでも父は愛してくれていたのだ」と実感できたことで、父のみならず自分自身をも赦すことができ、「価値のない自分」から「愛されるに値する自分」をようやく受け入れることができたのではないかと。
セッションの途中なのに、泣き虫のわたしの目からぼたぼたと涙がこぼれました。
そして言わずにはいられなくなり、優しいセラピストさんにそこでようやく、父のことを話しました。
そして自分が父への接し方を改めようとしたきっかけとなった、マイケルのスピーチを話したところ、ドン引きもせず彼女は真摯に耳を傾けてくださって、「マイケル、素晴らしい方ですね」と。
そうなんです
マイケルのおかげなんです
It all begins with forgiveness, because to heal the world, we first have to heal ourselves.
And to heal the kids, we first have to heal the child within, each and every one of us.
すべては赦すことから始まります。なぜなら世界を癒すためには、まずはじめに自分自身を癒さなければならないからです。
そして子どもたちを癒すためには、まず私たち一人一人が、自身の内なる子供を癒さなければなりません。
今自分の心が驚くほど静かで、湖畔の凪ぎのように平穏な理由は、父との何十年にもわたる確執が浄化されたことにほかならず、その恩恵は心から父を誇らしく思え、彼の全てを懐かしく恋しく思うことができて、そして他者からの好意を素直に受け入れて感謝することができ、今まで以上に何気ない日常を慈しめるようになり、そうしてほんのちょっぴり自分のことが好きになったことでしょうか・・。
スピーチの中でおとうさんが欲しいから父を赦したいと語ったマイケルですが、実際には頭ではそうしたいと願って、いえそうしたはずだったでしょうけれど、スピーチから1年後の2002年に収録された忌まわしいバシールのインタビューではまだジョーへのわだかまりを感じていたようです。
He didn't allow us to call him ‘Daddy’ and I wanted to call him 'Daddy' so bad.
He said "I’m not Daddy I'm Joseph to you!"
And I totally forgive him for all of it, you know, you have to・・but・・
I don’t allow my children to call me 'Michael'. I say "I’m Daddy!"
It’s just the opposite.
父は僕らが「ダディ」と呼ぶのを許さなかったけど、僕は「ダディ」って呼びたかったんだ・・すごく。
彼は言ったよ「お前たちにとってわたしはダディじゃない。ジョセフだ!」って。
まあ、知ってのとおり、僕はおおむね彼のそういう多くのことは赦してる。・・そうしなきゃ・・でも・・
僕は自分の子供たちが僕のことを「マイケル」なんて呼ぶのは許さないよ。「僕はダディだ!」って言う。
父とは全く正反対だよ。
(Living with Michael Jacksonより)
ご自身が親となり、愛する子供たちと日々を過ごしてなお消えない父への反発心と哀しみ。
このインタビュー番組(2003年2月)の2か月後に放送された、マイケル自らナビゲーションを務めた「Michael Jackson's Private Home Movies」では、1991年に撮影されたジョーのためのJoe Jackson Dayの様子を流し、ジョーが映ると

The guy who taught me everything on stage.
ステージ上のあらゆることを教えてくれた人だ
と笑顔で語り、チンパンジーと一緒に座るジョーが映ると

See, my father loves animals.
I think that's where I get my love for animals from.
見て、僕の父は動物が大好きなんだ
僕の動物好きは父から受け継いだんだと思うね
と穏やかに語ってみせるマイケルですが。
(via YouTube 「Michael Jackson's Private Home Movies Part 6」)
父が元気な頃、父と似ているなんて言われるのが一番嫌だったわたしからすれば、わだかまりがあればとても言えないセリフです。
でも、マイケル・ジャクソンとしては、ここは穏やかに父とのいい関係性をアピールしたかったのかどうか・・。
人間マイケルとしては、ジョーとの問題はそう簡単には解決できなかったかもしれず、もしもそうならば、わたしだけではなく沢山の方がそんなやっぱり聖人君子的ではない人間臭いマイケルに、さらなる親しみと共感を感じてしまうところではないでしょうか。
でも最終的にはたしてマイケルが本当にジョーを赦すことができ、自らの内なる子供を癒すことができたのかどうか。
それはわたしなんかには到底わかるはずもないわけですが・・
ただ人はなかなか普段通りの日常の中では、たとえ家族といえど、いえ、家族だからこそあらたまってその関係性を見つめなおしたり、熟考したりすることは難しいのではないかと思います。
逆を言えば先に書いたとおり、「非日常」の中でなら、自分の気持ちが180度変わるような大どんでん返しもありうると。
普段頼りないお父さんが、台風とかの停電時に頼もしく家族を守ったことで見直した、みたいな事をよく聞きますものね。
マイケルでいうと、2005年の裁判。
これは本当に彼にとっては必然でもなんでもなく、人生の中で最も無駄で馬鹿馬鹿しくおぞましい出来事でしたが、その期間中、出廷時にジョーと一緒に歩くマイケルの姿は何枚も写真に撮られていますね。
そこにあるマイケルの笑顔。
心身ともに疲弊する毎日の中でジョーと一緒に並んで歩く彼は、心からジョーを頼もしく思い信頼し、そして安心しているように見えたりもします。




2004年に始まった予審のさなかの8月30日、マイケルの46歳のお誕生日を祝おうと(表向きはエホバの信者であるママや長姉リビーの手前、単なるファミリーデイとしての集まり)家族が集まります。
苦難を背負いながらそれでも毅然と戦うマイケルに、つかの間のリラックスと家族がそばにいる安心感を与えるためのディナーでした。
この時のことを、姉ラトーヤが自身の著作(Starting Over)で綴っているのですが。
---------------------------------
ここからはちょっと脱線します。
はなはだこの本は賛否両論評価が分かれ、といいますか、ジャメインもそうですが家族の書いたものは必ず賛否が分かれるのです。
特にジョー・ラトーヤ・ジャメインのものは、批判が多い。
かつてマイケルを少なからず傷つけた、とされる過去を持っている3人だからでしょう。
わたしはマイケルが大好きですから、もちろんマイケル側で物事を見がちです。
マイケルを中心に考えれば、家族は誰であっても脇役でしかないと感じてしまいがちです。
ですが、ジョーにしてもラトーヤにしても、ジャメインにしても、彼らの立場になって考えると、主役はあくまで自分であって、確かにマイケルは自分の人生に多大な影響を及ぼしたかもしれないけれど、いくらマイケルといえども彼ら自身からすれば脇役の一人です。
彼らは彼らの人生を生きているのですから、マイケル自身の身になって考えるというより、あくまでラトーヤ達の目に映ったマイケルですし、ラトーヤ達の思うマイケルの心情です。
マイケルがこう言った、ああ言った、それは確かにそうかもしれず、でもその時のマイケルの本心はどうだったかはマイケルにしかわからないことです。
ですが、家族に限らずマイケルとの思い出を語る人は皆、「~と彼は思っていただろう」という、自分好みの主観を書きます。
彼らからすればそれはあたりまえの描写です。
そこが、マイケル中心のファンの気持ちを逆なでる場合もあり、賛同できない部分として批判の的となる時もあるのですね。
でもわたしは以前にも書きましたが、そういうストーリーは書き手や話し手の主観に基づくという大前提でいつも見ているので、それらの膨大な情報に気持ちを引っ張られることはないのです。
そういう見方もあるのだなとか、そういう事があったのだなという、どこか歴史書や伝記を読むのに似ています。
例えば、織田信長中心で書かれた記述は、明智光秀寄りの人たちにすれば反論したいことが山ほどあるでしょうし、逆もしかりでしょう。
わたしごとで言えば、わたしは今回このように父との事を、わたしの視点で書いていますが、父からすればまた違う意見があったであろうと思うのです。
そういう意味では、一つの物事を多角的な視点から見るという、時には冷静な見方も自分には必要だと思っているのですね。
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ずいぶん脱線してしまいましたが、そういうわけで、Amazonのラトーヤ本のレビューは辛口が多く、「本当は星なんかつけたくないんだけど」的な人が結構いらっしゃって。
その中に「くだらない。あなたのお金を使うことはないわ。沢山のタブロイドの焼き直しよ」というレビューを書いた方が、お金を払わずにいいように(笑)チャプターごとにどんなことが書かれているかをかいつまんで紹介してくれています(苦笑)
そこに、「あれ?・・やっぱりひょっとして・・」という記述があったので、それをご紹介します。
Chapter 29: The Trial of a Lifetime
(中略)
August 2004 family get together for Michael's birthday. First time Latoya saw Michael since pretrial in January.
Michael calls Joe to sit next to him, Latoya says Joe was a special force of power for Michael and Michael felt Joe protected him.
2004年8月 マイケルのお誕生日に家族は集まります。ラトーヤがマイケルに会うのは1月の予審以来でした。
マイケルは自分の隣に座るようにジョーを呼びます。ラトーヤは、マイケルにとってジョーは、自分の中の力の元となる特別な存在だったと言います。そしてマイケルはジョーに護られていると感じていたとも。
(引用終わり)http://www.amazon.com/gp/cdp/member-reviews/AKTKUZ1SQ4KI8?ie=UTF8&display=public&page=2&sort_by=MostRecentReview
マイケルがその時ジョーをどのように思っていたか、どう感じていたかは、あくまでラトーヤの主観でしょうけれど、そんな風にみてとれたということは、少なからずマイケルはジョーにおびえていたかつての彼ではなかったのではないでしょうか。
マイケルが自分の隣に座ってとジョーを呼ぶ・・
自分がジョーの隣に行くならまだしも、隣に座ってもらうために声をかける・・積極的ですマイケル!
これがラトーヤの見た幻でなければ(笑)、彼らの確執を知る人たちの目にはどれだけすてきな瞬間にうつったでしょうか。
ジョセフ!こっちこっち!僕の隣に座ってよ!
・・とか?w
Michael calls Joe to sit next to him
たった1行のこの記述が、わたしをあたたかい気持ちにさせてくれました。
(この本・・買っちゃおうかな・・ここんとこの詳細見たいしなー・・でも全文英語って絶対吐くよな~w
とかいって全然違ってたらどうしょう、本当にラトーヤの幻覚だったらどうしょうw)
このようなことがあっての、翌年の裁判中のマイケルとジョーだったのなら、ジョーに向けたマイケルの笑顔は、やはり本物であったのではないかと思えますし、わたしとしては、裁判という「非日常」の中でマイケルもジョーを父親として、頭だけではなく心から受け入れることができたと思いたいのです。

少なくとも、彼から多くの人が離れたあの裁判中に(ファンは別)、ジョーもラトーヤもジャメインも、マイケルを支えようと常にそばにいたことは事実。
過去にいろいろあったかもしれないけれど、マイケルの生涯で一番最悪なその時に、そばにいて励ましてくれる兄や姉、そして特に父を、丸ごと心から赦し受け入れたとしても不思議ではなく。
辛い時期であったけれど、その中で数少ない「得るもの」があったとするならば、そのうちのひとつに自分を護ろうとする「おとうさん」の愛情が本物だと感じることが、できていたことを願わずにはいられず。
長い間寂しかったわたしの中の小さなわたしがようやく癒された、そのきっかけを作ってくれたマイケルご自身も、いえ、わたしだけではなく沢山の人がきっと救われたり学べたり幸せを感じたりしたであろう珠玉の言葉を贈ってくれたマイケルこそ、彼の内なる子供がどこかできちんと癒されていますようにと、心から祈らずにはいられないのです。

今頃父もマイケルも
勝手なこと言って・・と苦笑いしているでしょうか
もううんざりするほど長くて、しかも今回もどことなく湿っぽくなっちゃって
ホントすみませんw
ここまで我慢して読んでくださった方に今日も感謝を^^
今回はもう「続き」とかしませんでしたけれど、んもう、いつにも増してそれはそれはダラダラと長いっすw
忙しい時や余裕のない時はお読みにならないことをお奨めします、いやほんま。
怖いもの見たさのさらに暇で暇でしかたなかったの♪という場合のみ、読み進めていただけたら嬉しいです^^
前回、前々回の私事記事に沢山の「拍手」とコメントをありがとうございました。
前にも書きましたが、FC2拍手コメントで非表示コメントをくださった方々には、お返事ができなくて大変申し訳ありませんでした(/_;)
全部きちんと読まさせていただきました。
大変力づけられましたし、嬉しくありがたく思っています。
本当にありがとうございましたm(__)m
おかげさまでもうすぐ49日。
短いようで、遠い遠い昔のようで、現実なのにどこか夢のようで、いまだに父は入院でもしているかのように感じる時があります。
しょっちゅう怒っていた父ですが、遺影ではいつ見ても優しく笑っているので調子が狂いますw
父は本当にきっぱりと決めて想いを残すことなく旅立ったようで、あれから一度も、家族の誰の枕元にもやってきません。
でもそれでいいとわたしは思っていて。
変にわたしの枕元に立たれて「akimよ・・わしはほんまはなぁ・・」みたいなこと言われた日にゃもうどうしていいやらわかりませんからw

父のために自分の仕事も都合も旦那も(笑)何もかも投げうって、ひたすら父を中心に、父のことだけ考えた半年でしたが、それができたことは娘としては本当に幸せだったと感じています。
どれだけそばにいてあげたくても、なにくれとなく看護してあげたくても、独立して自分の人生を生きるような年代になれば、自分自身の家族の都合や距離やいろいろな諸事情で、どうしてもそれはかなわないという人がほとんどだと思うから。
もう父の薬のために病院へ行くこともなく、時間を気にして父の元へ通うこともなく、不慣れな痰吸引や点滴の着脱などの処置にあたふたしたり、不手際ゆえ怒られて辛い気持ちになることもなく、ああだこうだと時たま理不尽にも思えるじいさんの要求に必死で駆けずり回ることもなく、さまざまな電話連絡や訪問に対処することもなく、母からの電話にびくびくすることもない・・
ある意味、そんな非日常は、この世で「おとうさん」と呼べるたったひとりの存在を失うことで終わりをつげ、わたしに日常がかえってきました。
以前の日常と少し違うのは、淋しさというおまけがついたことですね。
でもそれもいつしか、その淋しさも込みの日常となっていくのでしょう。
人は誰でも、遅かれ早かれ、立場は様々でしょうけれど、当たり前のようにそこにいてくれた存在を失う痛みを味わうことが宿命。
それも織り込み済みの人生なのですものね。
マイケルを想うのと同じように。
わたしと父との確執は、というか父はどう思っていたかわかりませんが、わたしは父が苦手で嫌いで、できるだけ近づかないようにしていたほどだったのですが、幸いなことにわたしの主人がそれはそれはできた人で(笑)
わたしのかわりに父と沢山おしゃべりしてくれて、一緒に出掛けてくれて、旅行も連れてってくれて、お酒もつきあってくれて、趣味も共有してくれて、父は本当の息子のように彼を信頼し大切に思って、要は大好きだったと思うのですが、そういう人がいてくれたおかげで父に淋しい思いはさせずにすんでいました。
最期の日々によく父はわたしに、「お前の一番の功績は、あの旦那をつかまえたことだ」と言っていましたからw
そう
そうよね
本当は娘であるわたしがすることだよね
でもわたしにはできないよ
しょうがないんだよ
できないんだもん
心の中でそうつぶやいていました。
わたしはどうしても父とそんな風に接することができなかったから。
わたしは父に甘えたことがなく、父も甘えさせてはくれず、いつしか大人になる頃にはたまに父が優しい言葉をわたしにかけても、「今さら」と素直に受け取れず、それどころかその優しい言葉も胡散臭くさえ思えて拒絶するありさまでした。
子どもだった頃、父にとても迷惑をかけたことがあり、わたしはさんざん父からお説教されたのですが、最後に父に抱きついて泣いて許しを乞おうとしたのですが、その時父に簡単に突き返されたことがありました。
それが決定打だったように思います。
あたし
おとうさんに嫌われてるんだな
という。
求めても得ることがかなわないものは、あきらめて、そうしていつしかそれ自体を拒絶する。
そんな感じだったように思います。
まだ若い父が笑顔で赤ちゃんのわたしを抱いているものと、3歳のわたしと父がどじょうすくいの真似をしている(海苔のちょび髭をふたりともつけてw)写真。
この2枚の写真だけが「父に可愛がられた」と思える唯一のものでした。
抱っこされたことも二人で踊ったことも覚えていませんでしたけれど。
マイケルがオックスフォードスピーチで語った言葉。
マイケルが「カーニバルでポニーに乗せてくれるために自分を抱き上げてくれたこと」と「大好きだったドーナツをこっそり買ってきてくれたこと」のたったふたつの出来事を、父であるジョーと自分を親子として繋ぐ数少ない「良い思い出」として挙げていることが、どうしたって自分とかぶりました。
ジョーが幼い自分に「あの契約書にサインしたのか?」などと言わず、「今日は映画にでも行くか?」と言ってくれさえすれば、父と自分はもっと違う関係になれたのに、というマイケルの言葉は、そっくりそのままわたしにもいえる言葉でした。
「おまえのここが至らない」とか「お父さんの子なのにどうしてこんなことができない」とお説教されることよりも、泣いて抱きついたわたしを受け止めてくれさえすればよかったのに、と。
前回も書きましたが、父が自分で旅立つことを決めて「さよなら」をわたしに告げた時に、父はわたしの頭を「いいこいいこ」するように撫でてくれました。
わたしはその瞬間に小さな子供にかえっていました。
何十年もの間、ほしくてほしくて、でもどうしてももらえないと思っていたものをついに手に入れたような気がして。
わたしの中の小さな女の子がわんわん泣きながら叫んでいました。
わたしはおとうさんにこうしてほしかったんだよー
ずっとずっとずーっと
ただこうやって
いいこだいいこだって
かわいがってもらいたかっただけだったんだよー
わたしの中で叫んだ小さなわたし。
マイケルが話した言葉。
But it all begins with forgiveness, because to heal the world, we first have to heal ourselves.
And to heal the kids, we first have to heal the child within, each and every one of us.
As an adult, and as a parent, I realize that I cannot be a whole human being, nor a parent capable of unconditional love, until I put to rest the ghosts of my own childhood.
すべては赦すことから始まります。なぜなら世界を癒すためには、まずはじめに自分自身を癒さなければならないからです。
そして子どもたちを癒すためには、まず私たち一人一人が、自身の内なる子供を癒さなければなりません。
大人として、そして親として・・私は自分の幼少時代の幻影に終止符をうつまでは、調和のとれた人間にも無償の愛を与えることのできる親にもなれないと悟ったのです。

マイケルの言う内なる子供とは、わたしの中にも存在した、「傷ついた幼い自分の心」のことだったのかもしれません。
その心は、父親と離れさえすれば癒されるというものではありませんでした。
マイケルのスピーチに心を動かされたことで、父を責める事に支配される人生をやめて、そうとしか接することができなかった父を認め、受け入れ、赦そうと決めたからこそ、わたしは父親と向き合う覚悟ができきました。
がっつり向き合ったからこそ、幼いわたしを傷つけた(父は何の自覚もなかったと思いますが)、まさにその人の手で、その傷ついた小さな子供は癒されたのでした。
もしも父を拒絶してそこから逃げていたなら、今わたしは結局相容れなかった父を思ってきっと後悔していたでしょう。
さらに、もうどうやっても癒されることのない小さな心は、相変わらず苦しんだままだったかもしれません。
この話を友人にしたところ、彼はこう言ってくれました。
「akimちゃんがずっとそうして欲しかったんと同じように、おとうちゃんもずーっとakimちゃんにそうしたかったんやなぁ」
おとうちゃんも、ずーっとそうしたかったんやなぁ
そうかもしれないと思える自分がいました。
いちいち未熟なところばかり目立つ娘に、先行きを心配するあまりつい小言ばかり口を突いて出てまう
でも外人じゃあるまいし、なんかあると抱きしめるなんちゅー恥ずかしい事できるかい
・・みたいなw
昭和一桁の人でしたから・・。
父との雪解け、つまりわたしの中の内なる子供の心が癒された結果、愛された赤ん坊だった時に純粋に感じていたであろう父親に対する掛け値なしの信頼と愛情というものを、大人になってしまった自分が本当に心から実感できたというこの奇跡にも似た経験は、父の死が刻々と迫る最後の日々という「非日常」の中だったから得られたのかもしれないと思います。
それはとても残念ではあるけれど。
でもこのことはよほどわたしの精神に影響を及ぼしたようで、先日前述の友人夫妻の紹介で110本のカラーボトルの中から直感で4本を選び、それをもとに自分の性格、心理状態、才能、未来の可能性などを知ることができるという「オーラソーマ」と呼ばれるカラーセラピーを受けに行ったのですが。
和歌山にあるサロン(オーラソーマサロン・ダルカマーヤ)で、とても綺麗なセラピストさんでした^^
そこで直感でわたしが選んだカラーボトルから読み解かれたメッセージは、ちょっと驚くものでした。
もちろんセラピストの方とは初対面ですし、事前にいちいち「えっと~あたし最近父を亡くしまして~長い間仲が良くなかったんですけど~」みたいな話などするわけもなく、生年月日を答えたらすぐに「ではボトルをお選び下さいね」で始まったわけで。
セラピストさんの口からこぼれる癒しのお言葉の中に、「インナーチャイルドを癒す」というのがあって。
どっひー!まさにわたしの中で、それ旬なんですけど!みたいなw
わたしがそのメッセージを表しているボトルを選んだようなのですね。

サロンのHPに載っていましたw わたしの選んだボトル^^
「ご自分や周囲を赦し、受け入れたことで大きな浄化が起こり、あなたのインナーチャイルドが癒されています。
"あなたはすべてのものに護られている"とボトルがメッセージをくれています。
大きな変化を楽しみ、沢山の喜びを感じることで新しく生まれ変わります。
自己価値を信頼し、あるがままに自分を愛してあげてください」
とセラピストさんにリーディングしていただきました。
父からはお説教や小言、叱られることが多かったわたしは、父から愛されていないと思い込み、それが大きな要因だったのかもしれませんが、長い間、自分に自信が持てない人間でもありました。
人から認められたい、好かれたい、優しくされたい、愛されたいと願いながら、少しでも好意的な言葉をかけられるとどぎまぎしてあたふたして、「ひー、そんな、あたしなんか、とんでもございません!」と全力で否定することに精力を注ぎ、かと思えば自分に否定的なジャッジが下される事を極端に怖がり、少しでもそんな気配がありそうな人には絶対に近寄らない、無意味なプライドの高さだけはいっちょまえという、何とも面倒くさいやつでした。
自己価値を信頼する・・
まさに自分に欠けていた要素。
それが、あの時父が「いいこいいこ」と頭をなでた瞬間、「わたしがわたしのままでも父は愛してくれていたのだ」と実感できたことで、父のみならず自分自身をも赦すことができ、「価値のない自分」から「愛されるに値する自分」をようやく受け入れることができたのではないかと。
セッションの途中なのに、泣き虫のわたしの目からぼたぼたと涙がこぼれました。
そして言わずにはいられなくなり、優しいセラピストさんにそこでようやく、父のことを話しました。
そして自分が父への接し方を改めようとしたきっかけとなった、マイケルのスピーチを話したところ、ドン引きもせず彼女は真摯に耳を傾けてくださって、「マイケル、素晴らしい方ですね」と。
そうなんです
マイケルのおかげなんです
It all begins with forgiveness, because to heal the world, we first have to heal ourselves.
And to heal the kids, we first have to heal the child within, each and every one of us.
すべては赦すことから始まります。なぜなら世界を癒すためには、まずはじめに自分自身を癒さなければならないからです。
そして子どもたちを癒すためには、まず私たち一人一人が、自身の内なる子供を癒さなければなりません。
今自分の心が驚くほど静かで、湖畔の凪ぎのように平穏な理由は、父との何十年にもわたる確執が浄化されたことにほかならず、その恩恵は心から父を誇らしく思え、彼の全てを懐かしく恋しく思うことができて、そして他者からの好意を素直に受け入れて感謝することができ、今まで以上に何気ない日常を慈しめるようになり、そうしてほんのちょっぴり自分のことが好きになったことでしょうか・・。
スピーチの中でおとうさんが欲しいから父を赦したいと語ったマイケルですが、実際には頭ではそうしたいと願って、いえそうしたはずだったでしょうけれど、スピーチから1年後の2002年に収録された忌まわしいバシールのインタビューではまだジョーへのわだかまりを感じていたようです。
He didn't allow us to call him ‘Daddy’ and I wanted to call him 'Daddy' so bad.
He said "I’m not Daddy I'm Joseph to you!"
And I totally forgive him for all of it, you know, you have to・・but・・
I don’t allow my children to call me 'Michael'. I say "I’m Daddy!"
It’s just the opposite.
父は僕らが「ダディ」と呼ぶのを許さなかったけど、僕は「ダディ」って呼びたかったんだ・・すごく。
彼は言ったよ「お前たちにとってわたしはダディじゃない。ジョセフだ!」って。
まあ、知ってのとおり、僕はおおむね彼のそういう多くのことは赦してる。・・そうしなきゃ・・でも・・
僕は自分の子供たちが僕のことを「マイケル」なんて呼ぶのは許さないよ。「僕はダディだ!」って言う。
父とは全く正反対だよ。
(Living with Michael Jacksonより)
ご自身が親となり、愛する子供たちと日々を過ごしてなお消えない父への反発心と哀しみ。
このインタビュー番組(2003年2月)の2か月後に放送された、マイケル自らナビゲーションを務めた「Michael Jackson's Private Home Movies」では、1991年に撮影されたジョーのためのJoe Jackson Dayの様子を流し、ジョーが映ると

The guy who taught me everything on stage.
ステージ上のあらゆることを教えてくれた人だ
と笑顔で語り、チンパンジーと一緒に座るジョーが映ると

See, my father loves animals.
I think that's where I get my love for animals from.
見て、僕の父は動物が大好きなんだ
僕の動物好きは父から受け継いだんだと思うね
と穏やかに語ってみせるマイケルですが。
(via YouTube 「Michael Jackson's Private Home Movies Part 6」)
父が元気な頃、父と似ているなんて言われるのが一番嫌だったわたしからすれば、わだかまりがあればとても言えないセリフです。
でも、マイケル・ジャクソンとしては、ここは穏やかに父とのいい関係性をアピールしたかったのかどうか・・。
人間マイケルとしては、ジョーとの問題はそう簡単には解決できなかったかもしれず、もしもそうならば、わたしだけではなく沢山の方がそんなやっぱり聖人君子的ではない人間臭いマイケルに、さらなる親しみと共感を感じてしまうところではないでしょうか。
でも最終的にはたしてマイケルが本当にジョーを赦すことができ、自らの内なる子供を癒すことができたのかどうか。
それはわたしなんかには到底わかるはずもないわけですが・・
ただ人はなかなか普段通りの日常の中では、たとえ家族といえど、いえ、家族だからこそあらたまってその関係性を見つめなおしたり、熟考したりすることは難しいのではないかと思います。
逆を言えば先に書いたとおり、「非日常」の中でなら、自分の気持ちが180度変わるような大どんでん返しもありうると。
普段頼りないお父さんが、台風とかの停電時に頼もしく家族を守ったことで見直した、みたいな事をよく聞きますものね。
マイケルでいうと、2005年の裁判。
これは本当に彼にとっては必然でもなんでもなく、人生の中で最も無駄で馬鹿馬鹿しくおぞましい出来事でしたが、その期間中、出廷時にジョーと一緒に歩くマイケルの姿は何枚も写真に撮られていますね。
そこにあるマイケルの笑顔。
心身ともに疲弊する毎日の中でジョーと一緒に並んで歩く彼は、心からジョーを頼もしく思い信頼し、そして安心しているように見えたりもします。




2004年に始まった予審のさなかの8月30日、マイケルの46歳のお誕生日を祝おうと(表向きはエホバの信者であるママや長姉リビーの手前、単なるファミリーデイとしての集まり)家族が集まります。
苦難を背負いながらそれでも毅然と戦うマイケルに、つかの間のリラックスと家族がそばにいる安心感を与えるためのディナーでした。
この時のことを、姉ラトーヤが自身の著作(Starting Over)で綴っているのですが。
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ここからはちょっと脱線します。
はなはだこの本は賛否両論評価が分かれ、といいますか、ジャメインもそうですが家族の書いたものは必ず賛否が分かれるのです。
特にジョー・ラトーヤ・ジャメインのものは、批判が多い。
かつてマイケルを少なからず傷つけた、とされる過去を持っている3人だからでしょう。
わたしはマイケルが大好きですから、もちろんマイケル側で物事を見がちです。
マイケルを中心に考えれば、家族は誰であっても脇役でしかないと感じてしまいがちです。
ですが、ジョーにしてもラトーヤにしても、ジャメインにしても、彼らの立場になって考えると、主役はあくまで自分であって、確かにマイケルは自分の人生に多大な影響を及ぼしたかもしれないけれど、いくらマイケルといえども彼ら自身からすれば脇役の一人です。
彼らは彼らの人生を生きているのですから、マイケル自身の身になって考えるというより、あくまでラトーヤ達の目に映ったマイケルですし、ラトーヤ達の思うマイケルの心情です。
マイケルがこう言った、ああ言った、それは確かにそうかもしれず、でもその時のマイケルの本心はどうだったかはマイケルにしかわからないことです。
ですが、家族に限らずマイケルとの思い出を語る人は皆、「~と彼は思っていただろう」という、自分好みの主観を書きます。
彼らからすればそれはあたりまえの描写です。
そこが、マイケル中心のファンの気持ちを逆なでる場合もあり、賛同できない部分として批判の的となる時もあるのですね。
でもわたしは以前にも書きましたが、そういうストーリーは書き手や話し手の主観に基づくという大前提でいつも見ているので、それらの膨大な情報に気持ちを引っ張られることはないのです。
そういう見方もあるのだなとか、そういう事があったのだなという、どこか歴史書や伝記を読むのに似ています。
例えば、織田信長中心で書かれた記述は、明智光秀寄りの人たちにすれば反論したいことが山ほどあるでしょうし、逆もしかりでしょう。
わたしごとで言えば、わたしは今回このように父との事を、わたしの視点で書いていますが、父からすればまた違う意見があったであろうと思うのです。
そういう意味では、一つの物事を多角的な視点から見るという、時には冷静な見方も自分には必要だと思っているのですね。
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ずいぶん脱線してしまいましたが、そういうわけで、Amazonのラトーヤ本のレビューは辛口が多く、「本当は星なんかつけたくないんだけど」的な人が結構いらっしゃって。
その中に「くだらない。あなたのお金を使うことはないわ。沢山のタブロイドの焼き直しよ」というレビューを書いた方が、お金を払わずにいいように(笑)チャプターごとにどんなことが書かれているかをかいつまんで紹介してくれています(苦笑)
そこに、「あれ?・・やっぱりひょっとして・・」という記述があったので、それをご紹介します。
Chapter 29: The Trial of a Lifetime
(中略)
August 2004 family get together for Michael's birthday. First time Latoya saw Michael since pretrial in January.
Michael calls Joe to sit next to him, Latoya says Joe was a special force of power for Michael and Michael felt Joe protected him.
2004年8月 マイケルのお誕生日に家族は集まります。ラトーヤがマイケルに会うのは1月の予審以来でした。
マイケルは自分の隣に座るようにジョーを呼びます。ラトーヤは、マイケルにとってジョーは、自分の中の力の元となる特別な存在だったと言います。そしてマイケルはジョーに護られていると感じていたとも。
(引用終わり)http://www.amazon.com/gp/cdp/member-reviews/AKTKUZ1SQ4KI8?ie=UTF8&display=public&page=2&sort_by=MostRecentReview
マイケルがその時ジョーをどのように思っていたか、どう感じていたかは、あくまでラトーヤの主観でしょうけれど、そんな風にみてとれたということは、少なからずマイケルはジョーにおびえていたかつての彼ではなかったのではないでしょうか。
マイケルが自分の隣に座ってとジョーを呼ぶ・・
自分がジョーの隣に行くならまだしも、隣に座ってもらうために声をかける・・積極的ですマイケル!
これがラトーヤの見た幻でなければ(笑)、彼らの確執を知る人たちの目にはどれだけすてきな瞬間にうつったでしょうか。
ジョセフ!こっちこっち!僕の隣に座ってよ!
・・とか?w
Michael calls Joe to sit next to him
たった1行のこの記述が、わたしをあたたかい気持ちにさせてくれました。
(この本・・買っちゃおうかな・・ここんとこの詳細見たいしなー・・でも全文英語って絶対吐くよな~w
とかいって全然違ってたらどうしょう、本当にラトーヤの幻覚だったらどうしょうw)
このようなことがあっての、翌年の裁判中のマイケルとジョーだったのなら、ジョーに向けたマイケルの笑顔は、やはり本物であったのではないかと思えますし、わたしとしては、裁判という「非日常」の中でマイケルもジョーを父親として、頭だけではなく心から受け入れることができたと思いたいのです。

少なくとも、彼から多くの人が離れたあの裁判中に(ファンは別)、ジョーもラトーヤもジャメインも、マイケルを支えようと常にそばにいたことは事実。
過去にいろいろあったかもしれないけれど、マイケルの生涯で一番最悪なその時に、そばにいて励ましてくれる兄や姉、そして特に父を、丸ごと心から赦し受け入れたとしても不思議ではなく。
辛い時期であったけれど、その中で数少ない「得るもの」があったとするならば、そのうちのひとつに自分を護ろうとする「おとうさん」の愛情が本物だと感じることが、できていたことを願わずにはいられず。
長い間寂しかったわたしの中の小さなわたしがようやく癒された、そのきっかけを作ってくれたマイケルご自身も、いえ、わたしだけではなく沢山の人がきっと救われたり学べたり幸せを感じたりしたであろう珠玉の言葉を贈ってくれたマイケルこそ、彼の内なる子供がどこかできちんと癒されていますようにと、心から祈らずにはいられないのです。

今頃父もマイケルも
勝手なこと言って・・と苦笑いしているでしょうか
もううんざりするほど長くて、しかも今回もどことなく湿っぽくなっちゃって
ホントすみませんw
ここまで我慢して読んでくださった方に今日も感謝を^^
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