Study the greats & Become greater その2
MJはあらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった
Study the greats and become greater 成長するために学ぶんだと言ってね -Travis Payne
マイケルのKenny Shoesなるものを探す放浪の旅の途中、見つけたのは1足のタップシューズでした。

sourceはやはりのこちら。
そこには「マイケル・ジャクソンのタップシューズ。このCapezioの黒革タップシューズは、マイケル・ジャクソンが自身のThis Is Itツアーの準備中に着用したもの。ジャクソンは数多くのダンスを練習した、優秀なタップダンサーだった」と記されています。
オークションで出されるものの中には、まゆつば的なものもやはりあるのだとお勉強した2012年w
マイケルがTIIのためにタップを練習していた時に着用した~?
いやいや、そう簡単には信じられないなぁ・・なんて思っていたのです。
でも優秀なタップダンサーというのは頷ける。
まだドでかいアフロで毎週毎週、兄弟姉妹と一緒に、歌と踊りとドリフのコント、もとい楽しいミニお芝居なんかを披露していたThe Jacksons Variety Show(1976~77)で、タップは何度も踊っていたし、一番印象的なのは、Black Or White のSF、いわゆるパンサーバージョンで、ひとり路地裏で怒りを解放するように踊る一連のルーティンに、何度も出てくるタップステップ。
↓

ですが、やっぱり気になって調べていくうちに、本当にTIIのステージで、彼がタップルーティンを取り入れようとしていたという記事を見つけました。
彼の敬愛するフレッド・アステアと、アステアも絶賛した、やはり彼の大好きなニコラス・ブラザーズのタップスタイルを。
アステアに関しては、ご存じのとおりタップの世界に初めて洗練さと気品をもたらしたと言われているほど、そのスタイルは優雅そのもの。
(そのあたりのことを、嫌って言うほど書いた過去記事はこちら)
対してフェイヤードとハロルド兄弟のタップデュオ、ニコラス・ブラザーズは、アクロバットタップと評されるエネルギッシュなスタイル。

ストリート系ダンスに見られるスプリット(足を180度開脚する技。スプリットジャンプは今やもはや珍しくもなんともない動き)の元祖ともいえる技を組み入れたものですね。
アステアも絶賛した彼らのタップをどうぞこちらから。
1:06~から始まる神タップと2:28あたりから炸裂するスプリットは必見です!
マイケルが魅了されないわけがない^^
ああ、そうそう。
マイケルは先述のドリフコント込みのバラエティ・ショーで、大先輩のニコラス・ブラザーズとタップ競演もしています^^
この時も「わかいもんにはまだ負けんぞ」的にスプリットを披露してくれています。
興味深いのは、この時まだ小さかったジャネットも出演していますが、後に彼女は自身のミュージックヴィデオAlrightで、彼らと再共演しているのです。
ニコラス御大達は4:58あたりから登場
前回も書きましたフレッド・アステアの映画、BAND WAGONのGIRL HUNTでアステアの相手役として踊ったCyd Charisse(シド・チャリース)も登場する(2:54~)このヴィデオは当時大好きでした!
が、そんなすごい人たちがカメオ出演しているなんて、全然知らなかったのですけれどw

この時代のジャネットはマイケルにガチで似ています^^
マイケルのみならず、ジャクソンさんちの兄妹たちは、こぞって幼い時に感銘を受けた偉大なアーティストたちを、いつまでもリスペクトし続けていたのですね。
あー、また脱線しましたw
話を戻して。
というわけで、アステアとニコラス・ブラザーズ、両者のタップスタイルは全く違うのですが、そこは吸収上手なスポンジマイケル。
当然彼らのエッセンスをうまく融合させたもの、しかもそれをMJスタイルに昇華させたものだったのでしょうね。
それが推測の域を出ないガセネタと言い切れないのは、実はみっちりとタップダンスの個人レッスンを受けていたことがわかったからで、そうした努力を続けていた彼ならば、きちんとした彼自身のタップ技術に裏打ちされたアイデアだったのではないかと思えるのです。
驚くべきことはその個人レッスンが、パンサータップ(えへへ、勝手に命名w)以降にスタートしているということ。
そしてなんと11年間にも及び続けられたということでした。
パンサータップは完璧主義者マイケルからすると、「だめだこりゃbyいかりや長介」的、満足のいくレベルでなかったということで。
この時すでに「マイケル・ジャクソン」というダンススタイルは確立されたと思っていたのが、聴衆や彼以外の人々の間でだけで、当の彼は、自身のダンス技術をさらに向上させるべく、人に教えを乞うたのです。
そのどこまでも謙虚な姿勢と、あくなき探究心には本当に驚かされます。
冒頭のトラヴィスの言葉にある通り、「あらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった」マイケル。
これは、どこまでも自己を高める努力を惜しまなかった才能豊かな研究魔が、常に Study the great and become greater を怠らなかったというお話です。
マイケルが旧知の間柄で、女優であり振付師でもあったDebbie Allen(デビー・アレン)に「タップを習いたいから先生を紹介してほしい」と頼んだのが、1997年のこと。
デビー・アレンといえば、1994年 26th NAACP Image Awardsの授賞式で、彼女がBest choreographer賞を受賞し、そのプレゼンターにマイケルが登場したことが思い出されます。
前年、同じNAACP Image Awardsで、マイケルはBlack Or WhiteでBest music video賞、及びEntertainer of the year賞を受賞しました。
喜びを感謝の言葉に変えて誇らしく立ったステージ。
ですが、その7か月後、エヴァン・チャンドラーによる単なる恐喝を巧みに虐待訴訟に見せかけた申し立てが起こされます。
その身に覚えのない身の毛もよだつような容疑は心身ともにマイケルを疲弊させ、DANGEROUSツアー中断という辛い決断をも強いられました。
栄光と賛辞に彩られた授賞式から一転、試練と呼ぶにはあまりにも理不尽で過酷な日々。
ですが、94年の同じステージに戻ってきたマイケルは、プレゼンターとして壇上に登った際のスピーチで、オーディエンスに自身の潔白を訴えます。
マイケルを信じて支持するオーディエンスの声援と万乗の拍手の中、彼はデビー・アレンに受賞トロフィーを渡すのです。

その時に、デビーはマイケルに向かってこう言いました。
God bless you Michael, we're all on your side.
マイケル、あなたに神のご加護を。わたしたちはみんなあなたの味方よ
マイケルにとって、デビーのこの言葉は、辛い彼の心を思いやる心強くも嬉しい言葉だったでしょう。
そんなマイケルの味方であるデビーは、彼の頼みごとを快諾し、信頼のおけるタップの第一人者、ポール・ケネディ氏をマイケルに紹介します。
彼女の自宅のダンススタジオが彼らの教室となりました。
デビーはこの時のことをこんな風に語っています。
「私はマイケルが自身の専門外の事を訓練しようとしていることには最大の敬意を払っていましたが、実際のところ彼には「専門外」などなかったのです。
彼が上達していくさまは、素晴らしいクリエイティヴな旅の道のりを眺めるようでした。
マイケルはとても優秀でした。
彼はサミー・デービスJr.と同じ世界の出身だから、なんでも吸収することができたのです。
うちのダンススタジオの床には、まだ彼の靴がつけた痕跡が残っています。
私は彼がレッスンをしている間、彼の小さな長男、プリンスの世話をしました。
私たちはしょちゅうキッチンに入って、コーンブレッドを食べたものです。
マイケルはフレッド・アステアのファンで、アステアもマイケルのファンでした。
彼らはお互いに賞賛しあい尊敬しあう仲でした。
ですから彼のタップがすぐに上達したことは、思いがけないことではありませんでした」



余談ですが(またかよw)アステアはずっとミュージカルダンサーだと思っていましたが、素晴らしい演技派俳優だったのですね。
タワーリングインフェルノという映画をご存知でしょうか?
1974年に封切られたスティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンが共演したパニック映画の金字塔とも呼べる作品です。
絶対安全といわれていた超高層ビルで、いとも簡単に火災が発生し、その消火活動を行う消防士とビル内に取り残された人々の人間ドラマ。
ここでアステアは年老いた結婚詐欺師を演じていたのです。
わたしは今回アステアを調べなおしていて、初めて気が付きました。
詐欺師である自分を丸ごと受け止めてくれる老婦人と、人生をやり直そうとしていたにもかかわらず、赤の他人の子供を助けるために老婦人は亡くなります。
離れ離れでようやく生還したアステアに、老婦人がかわいがっていた猫だけが手渡され、それで何もかも察した彼の、何とも言えない哀しい表情は、わたしでなくとも号泣ものだと思います。
実は、このシーンがかわいそうすぎて、わたしはこの映画が嫌いでしたw
その迫真の演技をしていた老紳士がアステアだったなんて。

あー、ここ、思い出しただけで泣けちゃう(/_;)
ただミュージカルダンサーとだけ括っては失礼だと今さらながら肝に銘じた次第です。
だからこそ、偉大なるダンサーで、シンガーで、素晴らしいアクターだったアステアは、同じようにそれぞれの分野でNO.1を目指していたマイケルの、文字通りGreatsだったのですね。
で、えーと・・どこまでいきましたっけw
そうそう、デビー・アレンの自宅のスタジオで、タップのプライベートレッスンを始めたマイケル。
マイケルのスケジュールがあまりに複雑になるまで、しばらくの間、そのプライベートレッスンは通常週1~2回夜に開催されました。
ところがあろうことかケネディ先生が病気になってしまい、マイケルのレッスンにもはや出席することができなくなったとき、責任感の強い先生は自分の弟子である女性に電話をかけ、「ジャクソンがタップのインストラクターを探しているから、君に会うように薦めておいたよ」と告げたのです。
その女性が、それから以降11年の間、マイケルのプライベートインストラクターとなるわけですが・・
続きます。
Study the greats and become greater 成長するために学ぶんだと言ってね -Travis Payne
マイケルのKenny Shoesなるものを探す放浪の旅の途中、見つけたのは1足のタップシューズでした。

sourceはやはりのこちら。
そこには「マイケル・ジャクソンのタップシューズ。このCapezioの黒革タップシューズは、マイケル・ジャクソンが自身のThis Is Itツアーの準備中に着用したもの。ジャクソンは数多くのダンスを練習した、優秀なタップダンサーだった」と記されています。
オークションで出されるものの中には、まゆつば的なものもやはりあるのだとお勉強した2012年w
マイケルがTIIのためにタップを練習していた時に着用した~?
いやいや、そう簡単には信じられないなぁ・・なんて思っていたのです。
でも優秀なタップダンサーというのは頷ける。
まだドでかいアフロで毎週毎週、兄弟姉妹と一緒に、歌と踊りとドリフのコント、もとい楽しいミニお芝居なんかを披露していたThe Jacksons Variety Show(1976~77)で、タップは何度も踊っていたし、一番印象的なのは、Black Or White のSF、いわゆるパンサーバージョンで、ひとり路地裏で怒りを解放するように踊る一連のルーティンに、何度も出てくるタップステップ。
↓

ですが、やっぱり気になって調べていくうちに、本当にTIIのステージで、彼がタップルーティンを取り入れようとしていたという記事を見つけました。
彼の敬愛するフレッド・アステアと、アステアも絶賛した、やはり彼の大好きなニコラス・ブラザーズのタップスタイルを。
アステアに関しては、ご存じのとおりタップの世界に初めて洗練さと気品をもたらしたと言われているほど、そのスタイルは優雅そのもの。
(そのあたりのことを、嫌って言うほど書いた過去記事はこちら)
対してフェイヤードとハロルド兄弟のタップデュオ、ニコラス・ブラザーズは、アクロバットタップと評されるエネルギッシュなスタイル。

ストリート系ダンスに見られるスプリット(足を180度開脚する技。スプリットジャンプは今やもはや珍しくもなんともない動き)の元祖ともいえる技を組み入れたものですね。
アステアも絶賛した彼らのタップをどうぞこちらから。
1:06~から始まる神タップと2:28あたりから炸裂するスプリットは必見です!
マイケルが魅了されないわけがない^^
ああ、そうそう。
マイケルは先述のドリフコント込みのバラエティ・ショーで、大先輩のニコラス・ブラザーズとタップ競演もしています^^
この時も「わかいもんにはまだ負けんぞ」的にスプリットを披露してくれています。
興味深いのは、この時まだ小さかったジャネットも出演していますが、後に彼女は自身のミュージックヴィデオAlrightで、彼らと再共演しているのです。
ニコラス御大達は4:58あたりから登場
前回も書きましたフレッド・アステアの映画、BAND WAGONのGIRL HUNTでアステアの相手役として踊ったCyd Charisse(シド・チャリース)も登場する(2:54~)このヴィデオは当時大好きでした!
が、そんなすごい人たちがカメオ出演しているなんて、全然知らなかったのですけれどw

この時代のジャネットはマイケルにガチで似ています^^
マイケルのみならず、ジャクソンさんちの兄妹たちは、こぞって幼い時に感銘を受けた偉大なアーティストたちを、いつまでもリスペクトし続けていたのですね。
あー、また脱線しましたw
話を戻して。
というわけで、アステアとニコラス・ブラザーズ、両者のタップスタイルは全く違うのですが、そこは吸収上手なスポンジマイケル。
当然彼らのエッセンスをうまく融合させたもの、しかもそれをMJスタイルに昇華させたものだったのでしょうね。
それが推測の域を出ないガセネタと言い切れないのは、実はみっちりとタップダンスの個人レッスンを受けていたことがわかったからで、そうした努力を続けていた彼ならば、きちんとした彼自身のタップ技術に裏打ちされたアイデアだったのではないかと思えるのです。
驚くべきことはその個人レッスンが、パンサータップ(えへへ、勝手に命名w)以降にスタートしているということ。
そしてなんと11年間にも及び続けられたということでした。
パンサータップは完璧主義者マイケルからすると、「だめだこりゃbyいかりや長介」的、満足のいくレベルでなかったということで。
この時すでに「マイケル・ジャクソン」というダンススタイルは確立されたと思っていたのが、聴衆や彼以外の人々の間でだけで、当の彼は、自身のダンス技術をさらに向上させるべく、人に教えを乞うたのです。
そのどこまでも謙虚な姿勢と、あくなき探究心には本当に驚かされます。
冒頭のトラヴィスの言葉にある通り、「あらゆるダンスを学んで、自分のやり方でものにしていった」マイケル。
これは、どこまでも自己を高める努力を惜しまなかった才能豊かな研究魔が、常に Study the great and become greater を怠らなかったというお話です。
マイケルが旧知の間柄で、女優であり振付師でもあったDebbie Allen(デビー・アレン)に「タップを習いたいから先生を紹介してほしい」と頼んだのが、1997年のこと。
デビー・アレンといえば、1994年 26th NAACP Image Awardsの授賞式で、彼女がBest choreographer賞を受賞し、そのプレゼンターにマイケルが登場したことが思い出されます。
前年、同じNAACP Image Awardsで、マイケルはBlack Or WhiteでBest music video賞、及びEntertainer of the year賞を受賞しました。
喜びを感謝の言葉に変えて誇らしく立ったステージ。
ですが、その7か月後、エヴァン・チャンドラーによる単なる恐喝を巧みに虐待訴訟に見せかけた申し立てが起こされます。
その身に覚えのない身の毛もよだつような容疑は心身ともにマイケルを疲弊させ、DANGEROUSツアー中断という辛い決断をも強いられました。
栄光と賛辞に彩られた授賞式から一転、試練と呼ぶにはあまりにも理不尽で過酷な日々。
ですが、94年の同じステージに戻ってきたマイケルは、プレゼンターとして壇上に登った際のスピーチで、オーディエンスに自身の潔白を訴えます。
マイケルを信じて支持するオーディエンスの声援と万乗の拍手の中、彼はデビー・アレンに受賞トロフィーを渡すのです。

その時に、デビーはマイケルに向かってこう言いました。
God bless you Michael, we're all on your side.
マイケル、あなたに神のご加護を。わたしたちはみんなあなたの味方よ
マイケルにとって、デビーのこの言葉は、辛い彼の心を思いやる心強くも嬉しい言葉だったでしょう。
そんなマイケルの味方であるデビーは、彼の頼みごとを快諾し、信頼のおけるタップの第一人者、ポール・ケネディ氏をマイケルに紹介します。
彼女の自宅のダンススタジオが彼らの教室となりました。
デビーはこの時のことをこんな風に語っています。
「私はマイケルが自身の専門外の事を訓練しようとしていることには最大の敬意を払っていましたが、実際のところ彼には「専門外」などなかったのです。
彼が上達していくさまは、素晴らしいクリエイティヴな旅の道のりを眺めるようでした。
マイケルはとても優秀でした。
彼はサミー・デービスJr.と同じ世界の出身だから、なんでも吸収することができたのです。
うちのダンススタジオの床には、まだ彼の靴がつけた痕跡が残っています。
私は彼がレッスンをしている間、彼の小さな長男、プリンスの世話をしました。
私たちはしょちゅうキッチンに入って、コーンブレッドを食べたものです。
マイケルはフレッド・アステアのファンで、アステアもマイケルのファンでした。
彼らはお互いに賞賛しあい尊敬しあう仲でした。
ですから彼のタップがすぐに上達したことは、思いがけないことではありませんでした」



余談ですが(またかよw)アステアはずっとミュージカルダンサーだと思っていましたが、素晴らしい演技派俳優だったのですね。
タワーリングインフェルノという映画をご存知でしょうか?
1974年に封切られたスティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンが共演したパニック映画の金字塔とも呼べる作品です。
絶対安全といわれていた超高層ビルで、いとも簡単に火災が発生し、その消火活動を行う消防士とビル内に取り残された人々の人間ドラマ。
ここでアステアは年老いた結婚詐欺師を演じていたのです。
わたしは今回アステアを調べなおしていて、初めて気が付きました。
詐欺師である自分を丸ごと受け止めてくれる老婦人と、人生をやり直そうとしていたにもかかわらず、赤の他人の子供を助けるために老婦人は亡くなります。
離れ離れでようやく生還したアステアに、老婦人がかわいがっていた猫だけが手渡され、それで何もかも察した彼の、何とも言えない哀しい表情は、わたしでなくとも号泣ものだと思います。
実は、このシーンがかわいそうすぎて、わたしはこの映画が嫌いでしたw
その迫真の演技をしていた老紳士がアステアだったなんて。

あー、ここ、思い出しただけで泣けちゃう(/_;)
ただミュージカルダンサーとだけ括っては失礼だと今さらながら肝に銘じた次第です。
だからこそ、偉大なるダンサーで、シンガーで、素晴らしいアクターだったアステアは、同じようにそれぞれの分野でNO.1を目指していたマイケルの、文字通りGreatsだったのですね。
で、えーと・・どこまでいきましたっけw
そうそう、デビー・アレンの自宅のスタジオで、タップのプライベートレッスンを始めたマイケル。
マイケルのスケジュールがあまりに複雑になるまで、しばらくの間、そのプライベートレッスンは通常週1~2回夜に開催されました。
ところがあろうことかケネディ先生が病気になってしまい、マイケルのレッスンにもはや出席することができなくなったとき、責任感の強い先生は自分の弟子である女性に電話をかけ、「ジャクソンがタップのインストラクターを探しているから、君に会うように薦めておいたよ」と告げたのです。
その女性が、それから以降11年の間、マイケルのプライベートインストラクターとなるわけですが・・
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