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Study the greats & Become greater 掟破りのその5

本日何をどう間違ったのか、その6なるものが先にUPされちゃいまして、やだもう、その5だけでも掟破りなのに、今回も続きがあるわけ?っていうネタバレがすでになされてしまいました。
つーまーんーなーいーw

でもとにかくまたもや長い記事なんです。
途中でいやになったら、とっとと閉じちゃって風呂入って寝ちゃってくださーい(^_^)v


そもそもこのStudy the greats and Become greaterシリーズは、年末のBAD25ドキュメンタリー(邦題:BADのすべて)で、野心燃え盛るイケイケマイケルのステキお仕事の模様にうっとりしたところからスタートしたわけなのですが、書いている途中で、やっぱり何度も何度も録画を見直しているうちに、ある一人の登場人物のことを「だめじゃん、この人忘れてちゃ!」と思い、彼についてあらためて調べなおしていると、「あらやだ、こんなステキなものが」というのに出くわして、どうしてもこれ書いておかなくちゃ!と思ったのが、ちょうどシリーズその3ぐらいの時だったのですが、内容はすでにその4までできちゃってて、いくらなんでもここから「その書きたい事」を書くには、「長すぎるよなぁ」と思い直し、「ま、いーや、別のエントリーで書こう」と思ったにもかかわらず、どうしても書きたい内容がStudy the greats and Become greaterに絡みまくるもんで、とうとう「終わります」と言っておきながらのまさかの「その5」とあいなりました。
どーだ、この前置きの長さww

忘れちゃなんねえと思った人物とは、この方です。

00_MJ_Jeffrey-Bad2.jpg

Jeffrey Daniel

彼についてはもうご存知の通り。
マイケルにムーンウォークの元となったバックスライドを伝授したと言われる、BAD、Smooth Criminalのコレオグラファーですね。

00_MJ_Jeffrey-Daniels-Bad3.jpg
一番右の端っこにいますいます^^

んが、それだけではなく、彼は1970年代のアフリカンアメリカンの聖地、カリスマソウル番組ソウルトレインの専属ダンサーを経て、ドリカムの原型と言われている(言われてないYO!w)男性2人女性1人(Jody Watleyと Howard Hewett)のファンクでソウルなグループ・Shalamar(シャラマー)の一員にして、ピクサーアニメのカーズの原型と言われ(言われてないKA!w)あの川崎麻世が「新幹線ハシモト」(笑)としてローラースケートでぶいぶいいわせた、人間機関車ミュージカルである「Starlight Express:スターライトエクスプレス」初演に、未来の機関車エレクトラ役で抜擢され、新幹線麻世以上にぶいぶい滑りまくり(おっと、麻世とは競演していませんが)、その華麗なローラースケーティング姿に、あの泣く子も黙るジャニー喜多川が光GENJIに「YOU,滑っちゃいなよ」とローラースケートさせることを思いついたというもっぱらのウワサ(うそw でもジャニーさんとは本当にお友達らしいですw)なぐらい、素晴らしいキャリアの持ち主さんなんですね^^


シャラマーのBIG HITのうちのひとつはこちら。

A Night To Remember / Shalamar


大好きだった歌だよ~も~。
ジェフリーいるの知らなかったけど、当時から赤いバーテンダー好みだったから許してねw
FMでよく流れてて、Gonna make this a night to remember Get ready tonight♪ここだけよく歌ったです^^



ちなみに「Starlight Express」のエレクトラはこちら。
00_MJ_Jefrey_book4.jpg

さ、さすが・・未来の機関車なだけある・・w
この配色ですぐに思い出したわ
アメリカのお化けw
20100127021253697.jpg

こういうのいらない情報っていいますかそうですかw



ちなみのちなみにマイケルはロンドンで行われたこのショーを観に行ってますね。
バックヤードで出演者とも話したというから、DANGEROUSツアーの金フン構想はジェフリーの隣の彼女のハイレグを見てひらめいたというわけですね!(そうであったらなんか嬉しい・・けど違うw多分ww)


で、このエレクトラの子供の塗り絵的カラーセレクトの衣装ですが、でも白黒にするとどうです?

00_MJ_Jefrey_book3.jpg

あれ?ちょっとなんとなく・・似てないっすか?




この方のお召し物にw
00_MJ_Jefrey1.jpg
どうも中央デルタ地帯を盛り上げるのがお好きなようでw

すごーい似てるなぁと思って調べましたらば。
実はStarlight Expressの衣装デザイナーであるJohn Napierさんは、やはしキャプテンEOの衣装デザイナーでもあったのですね。(source:Wikipedia
どうりで似てるわけです^^


BADドキュメンタリーのアテレコではなんとなくちょい悪オヤジっぽく「俺が~だぜ!」と、杉ちゃんより正統派ワイルドさを醸し出していましたが、実際の彼はとても真面目な紳士で本当にいい人なんだそう。
でもわかる。
どうしてかっていうとね。
2010年大阪のスカイビルで行われたネバランコレクション。
わたしがバカみたいに通い詰めた、今から考えたらあれだけのスケールのマイケルゆかりの品々をほぼ3か月も展示し続けてくれた奇跡のようなイベント。

後半は主宰側が予定していた期間も、とてもステキなアイデアも、ことごとく大人の事情の障害にあってどうしても実現できずに、やむなく急に終了してしまいましたが、わたしは今でもとてもとても感謝しています。

夢のような日々でした。

中でも懐かしく思い出されるのは、マイケルのお誕生日に、みんなで祝おうイベントが行われて。
ユーコ・スミダ・ジャクソンさんのステージが目玉で、でも本当はもうひとりゲストが決まっていたのですが、直前にダメになって。
そのことを知って、たまたま主宰側の日本語上手な社長とお話しする機会があった時、わたしたちは自分たちも残念だけど、さぞ彼も残念がっているだろうと思っていたのですが、あにはからんや彼は満面の笑顔でこう言いました。
「ダァイジョ~ブダヨ~!モットexciting(ここはさすがにネイティブ発音w)ナguestガクルンダヨ~!ホントハナイショダケドトクベツニオシエテアゲルヨ~、ナント、Jeffrey Daniel(ここ、さらにネイティブ発音)ダヨ!アノJeffreyダァヨ~!!」
とても興奮している様子で。

わたしは当時そのジェフリーという人が、マイケルの振付師だという認識しかなかったため(勉強不足を今は呪う(/_;))社長の興奮度がストレートに伝わらず「へ、へ~」レベルのリアクションしかできずに若干申し訳なかったのですが、彼は気にせず「スッバラシイコトデショ~!ホントニレキシテキナコトダヨ~!」とひとりテンションはどこまでも高かったのでした。

そして当日、ジェフリーはやってきてくれて、「天国のマイケルにみんなでHappy Birthdayを歌おう!」といって、へぁぴぶぅぁすでぇいとぅうゆぅう♪と歌い出してくれて、そこに集まった何百人かのファンたちが空のマイケルに届けとばかり全員でHappy Birthdayを歌った時の、心震えるような感動は今も忘れません。

Happy Birthday Michael in Neverland Collection 2010


なんだかんだ英語で話していた彼が、急に日本語で、「ジャパン!ジカンハヤイデショ」って話した時、びっくりして、またまた、たまたまそばにいた例の社長に「彼日本語話せるの?」と聞いたら、そんなことも知らないのか?的な顔で「ソリャソ~~ダヨ~~!Jeffreyハオーサカニスンデタンダヨ~」と言われた時の衝撃!
ビリー・ザ・ブートキャンプのビリー隊長が同じ市に住んでいると聞いた時と同じぐらいの衝撃でしたw


その後、イベントでの彼の出番が終わり、例の社長が彼をエスコートするように彼の前を歩き、とても背が高くて長い足、なのに小さなキャリーをごろごろと引いて、足早にその場を去ろうとしているジェフリーを見かけたわたしは、下手くそな英語で「ミスターダニエル、さんきゅーそーまっち」とお声をかけました。
聞こえたのかこちらを見ながら彼は笑って(多分ね、グラサンしてたけど歯が見えたw)、手を振りながらてってけてーと歩いていきました。

その時に思いました。

きっといい人だって^^

おそらく急遽オファーを受けて、でもなんとかしてやってきてくれたんだと思います。

彼は、シャラマーで活躍していた頃、剣道を習うほどの親日家だったらしく、2000年初め頃日本に拠点を移し、その際北海道や大阪に居を構えていたそうで、特に大阪には長くいたそうです。
心斎橋界隈がお気に入りだったそうw
現在はロンドン、アメリカ、日本、アフリカをベースに活動されているということ。

2009年のユニクロ・カラーデニムCM(藤原紀香・大沢たかお出演)ではコレオグラファーとして参加、しかも最後には藤原さんとしっかり2ショットで映っています。

そのCMはこちらでご覧になれます。
0:31~1:01までがそのCM。(見たよこれ・・覚えているもん。知らなかったなー)

おしゃれさんのジェフリーは、1983年にヴィヴィアン・ウェストウッドのパリコレ、1984年には山本寛斎さんの東京コレクション、1985年にはミチコ・(コシノ)ロンドンのコレクションにモデルとして参加したそう。
BADの撮影の時に寛斎Tシャツ着てましたもんね^^

なんだかジェフリーのことやけに詳しいじゃまいかって?
ふっふふふ。
ネタを明かすと、実は2010年に発売されたダンス専門誌「DDD」の10月号が1冊まるごとジェフリー特集で、それ読んでお勉強したからなんですのよ奥様^^

00_MJ_Jefrey_book1.jpg


もちろんマイケルとの話も巻頭から15ページほど割かれていて、なんだか途中で胸が熱くなって。
あのバースデーイベントの日、何にも知らないわたしが、「いい人なんだろうなー」と思ったイメージがそのままやっぱりいい人だったというのが、彼のマイケルに向けられた言葉の数々から感じられ。
なのでぜひそういう部分を知っていただきたいなと思ったので、レビューみたいな形でちょっとご紹介させていただきますね。

00_MJ_Jefrey_book2.jpg


大人気だったジャクソン5のことは、テレビで見てもちろん知っていて、学校でも「昨日のジャクソン5見た?かっこよかったなー」なんて話題にはしていたそうですが、実際ジェフリーがマイケルと言葉を交わすのは、1979年彼がシャラマーとしてデビューした後も、ダンサーとして出演していたソウルトレインの番組収録の時。
紹介された時マイケルは、シャラマーのヒット曲「Second Time Around」をいきなり歌ったそうで、ジェフリーはすでにマイケルが自分のことを知っていたことに感動したそうです。

マイケルが歌ってくれた「Second Time Around」はこちら
いかにも70年代衣装の、ステキなアフロのジェフリーにご注目^^


その後1980年に、ディズニーランドでシャラマーのライブを行った際、小さいジャネットを連れてマイケルがお忍びで観に来て、舞台袖からガン見されて、その後電話で正式にダンスを教えてとオファーがあったそうです。


※ここでちょっと脱線しますが(またかYOw)

マイケルにムーンウォークの元となるステップ、バックスライドを伝授したのがジェフリーであると言われていますが、調べた限りでは1980年当時ジェフリーと彼の仲間である Geron "Casper" Candidate、Derek "Cooley" Jacksonの3人からというのが正しいようです。
同じ時期に、マイケルのスタッフからキャスパーとデレクに連絡が入り、やはりソウルトレインで観た(ジェフリー・キャスパー・デレクら3人は番組内で1980年に披露しています)バックスライドを教えてくれとオファーがあったということです。
ここらへんは、昔からネット上で知る人ぞ知る論争だったようで、マイケルに教えた最初はキャスパー達だとか、別のダンスグループであるエレクトリック・ブガルーズのメンバーが最初だとか、喧々囂々と。
ああ、それとか、マイケルが真相を話さず「ゲットーで踊っていたkidsからさ」なんて著書やオプラのインタで話していることを非難する意見もありましたねぇ(苦笑)

これはわたしの推測ですが、当時新しいダンスの形であったポッピングやロッキングと呼ばれていたLAスタイルのダンスは、いわゆるレッスンで教えてもらうようなものではなく、ストリートやクラブなどで見様見真似からそれぞれ習得していくもので、それを天下のマイケル・ジャクソンが「ぼくダンス教えてもらってまーす」というのは、当時のMJイメージ戦略からすると、著しくイメージを損なう話に思えます。
それならば、いっそストリートで踊る子供に教えてもらった方が、いかにもマイケルらしいわけで。

バックスライド自体も遡れば、そのルーツとなる動きは1940年代頃からすでにあったわけで、そういう意味ではみんな誰かの真似をして、その動きが進化して、どこで革新的に新しくなるか、爆発的にウケるか、急激に認知されるかというだけの話だと思います。
ですから、実際マイケルは複数のダンサーたちにステップを見せてもらったり教えてもらったりという機会があったのではないかと思います。
ある一人の人物だけではなく、自分と関わる、それぞれの当時のいわゆる「アーバン・コンテンポラリー・ダンス」を踊るダンサー全員から、何かを真似て何かを盗み何かを吸収したのだと思います。

その中で、ジェフリーは長期間マイケルと一緒に過ごしたようですので、特にジェフリーのバックスライドを参考にした、というのが本当のところではないかと思ったりしました。



話を戻して。
マイケルのエンシノのおうちに通うようになったジェフリー。

ここよりDDD(dancedancedance)2010年10月号よりインタビュー部分一部抜粋
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Q:何故、マイケルはあなたからダンスを学ぼうとしたのですか。

それは彼に聞いてください(笑)
私がその質問に正確に答えることはできませんが、おそらく彼が知らないことを私たちがすでにやっていたからかもしれませんし、バックスライドやボディ・ポッピングの動きに大変な興味を持って、それを覚えたいと思ったからかもしれません。
彼はすでにスターでしたから、気軽にクラブに出かけて行ってそのようなダンスを学ぶことなどできませんでした。
誰かが彼の家に行って教えるしかなかったのです。

彼は当時、私達がやっていたことと同じ事を試していました。
それは、ジェームズ・ブラウンの動きに当時LAで流行っていた違うタイプのダンスを取り入れることです。
マイケルはまだ若かったので、彼なりのやり方でやっていましたね。


Q:マイケルはあなたからどれくらい影響を受けたと思いますか

もちろん、マイケルは私が彼にダンスを教える前からすでに、自分自身のダンススタイルを持っていました。
ですから私が彼に影響を与えたとすれば、彼のダンススタイルを少しばかり開拓したというところでしょうか。
私の踊りを彼に見せ、一緒に踊ることで、彼は自然に次のレベルに進んでいったのです。
彼はすでに「マイケル・ジャクソン」であり、すでに偉大なダンサー、パフォーマー、エンターテイナーでした。
ですので、彼のすでに確立されたスタイルに私の持っている動きが加わっただけというか。

彼は私が持っている様々な動きを具体的に習得しようとしました。
そのため具体的なひとつひとつの動きを私とまったく同じように踊れるまで練習していました。
それで、彼はそれらの動きを自分のものにし、さらに発展させていったのです。

その後、私はシャラマーを脱退し、それらの動きをステージで披露することもなくなったのですが、マイケルが私の動きをステージで披露しているのを見て、周りの人が「ワオ!君は本当に素晴らしい仕事をしたんだね!」と言ってくれました。
この賞賛は私にとって生涯で最高の喜びです。
「昨夜のシャラマーのステージは素晴らしかったよ」と言われるのももちろん嬉しいですが、「君とマイケルとの仕事は本当に素晴らしい」と言われる時の気分というのは、なんと表現したらいいか・・。
でも、マイケルは世界一のエンターテイナーであり、その彼に踊りを教えたことに対して周りの人が私にまで敬意を表してくれるなんて、畏れ多い気持ちになります。
ですので、マイケルが亡くなるまで、私は自分のインタビューで決してマイケルに踊りを教えたことについて語らなかったのです。
マイケルとの仕事は私にとっては特別なものですが、それはただそれだけのことなのです。


Q:レッスン中のマイケルはどんな人でしたか

彼はとにかく笑うことが大好きでした。
私たちはずっとジョークを言い合っていました。
私たちはどちらも冗談を言って周りの人を笑わせることが大好きですが、ダンスに対してはどちらも真剣に取り組んでいました。

あと彼は、私もそうですが、完璧主義者でした。ですから、少しでもわからないことがあるとすぐに質問をしてきました。
それと、とても正直な人ですね。彼には誰も嘘をつくことができません。
なぜなら、彼は嘘をすぐに察知し、またその嘘に気付いていない振りができないのです。
一度、彼に言ったことがあります。
「マイケル、君は今僕が言っていることを真剣に聞いていないね」って。
彼は「What? How did you know that? え?どうしてわかったの?」と答えました。
彼は決して「ううん、ちゃんと聞いているよ」などと誤魔化してみたり、嘘をつくことができないのです。
彼はただ「You noticed that, didn't you? 君は気付いていたんだね」と正直に話します。
誰に対しても正直でした。

また、彼は決して怒りません。
いや、それは間違いですね。どんな人間にも怒りの感情はあります。
ただ彼は決して怒りを態度に表すことはありませんでした。
例えば、彼が何かに対して怒りの感情を覚えたとします。
ダンスのステップが気に入らなかったり、彼がそれは間違っていると感じたり、それでも彼は決して、誰に対しても苛立ちを見せることはありません。
「NO!そうじゃないってば」とか「それは気に入らないね」とか言って、声を荒げることはありません。
そう言う代わりに彼は、「This movement may be a little bit too much, What you think? この動きはちょっと大きすぎるかもしれないね、君はどう思う?」とか「Should I do it like this...What's your idea? こうするべきなのかなぁ、君の意見は?」とか言って、相手に考えさせる時間を与えるのです。
そのような配慮を持った人間を私はマイケル以外に知りません。
彼のような優しさを持つ人間は珍しいと思います。
結局は自分の間違いを正すにしても、「それは気に入らないから、今すぐ変えなさい」と命令口調で言われるより、彼のやり方のほうが誰だって気分はいいものです。

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この時期のマイケルとの思い出が別のインタビューでも語られています。
いかにも先生と生徒、なんていう風ではなく、集中する時は真剣に、でもあとは、本当に二人の才能あるダンサーがお互い刺激しあいながら楽しんでその時間をすごしたことがよくわかりますので、これも一部抜粋で記しておきます。

Source:TIME誌 REMEMBERING MICHAEL-Jeffrey Daniel

彼は決まって毎週日曜日にダンスレッスンを行っていた。
よく覚えていないけれど、僕とのレッスンは何週間かにわたって週に1度、2時間ぐらい。
それほどキチンとしたものじゃなくて、OK,こんなステップだよ、次はこんなステップ、みたいな感じ。

すごく楽しい感じだったね、おバカに振る舞ったり、チャーリー・チャップリンみたいに歩き回ったり、お互い顔を突き合わせてからかいあったりね。
だいたいそんな感じで、僕らはダンスを通じてとても仲良くなっていった。
特別な動きの時は集中して踊った、でもたいていはダンスを見せ合ってただ楽しんでいる二人の男って感じだった。

そのあとは、フレッド・アステアの映画を見て、ジーン・ケリーを見て、ニコラス・ブラザーズを見て、サミー・デイビス・Jr.を見るんだ、インスピレーションを得るためにね。
知らなかったけど、彼ポップコーン食べるんだ、だから僕も食べることができたよ。
一緒に座って映画を見てると、彼が靴で床をこすって変な音を出すから、爆笑させられちゃうんだ
しかも映画に合わせて一人で歌い出しちゃうし。
僕はこんな感じだった、なんだよもう、どこにでもいるヤツじゃんみたいな。

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出たー!マイケルのお馴染みGREATな先輩たち!
この時期はポジティブシンキングメモをばんばん書いていた時期でもあります。
本当に勉強熱心で納得するまでやりたい完璧主義者なんだからーまいけるー^^

実はジェフリーは8月24日生まれ。
そう、マイケルと同じおとめ座。
ジェフリーも完璧主義で、しかも女性に対してシャイなんだとか(うそだねw)
マイケルと好みやこだわるところがよく似ていたそうです。
例えば、白靴下とか白い下着とか・・ですって。ぷぷぷw


・・て、・・あーあー

またこんなに長くなりました。
まさかの続く、ですw

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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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