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M.J. その3

メンタルマネージメントという人生の秘訣を胸に、理想の自分を追求し続け、到達したいゴールを見据えつづけ、やりたいことを成し遂げるためにはどんな努力も厭わなかった人。

一度でも共に仕事をした人は、その人の落ち着いた穏やかな人柄の奥に、赤々と燃えさかる情熱を感じ、その一途なひたむきさと決して妥協しない頑固さに、共感しながら翻弄されながら、最終的にここまでだと思っていたさらに先の次元まで到達しうることを、彼と共に創りだしたものの完成度の高さではっきりと認識し、それほどの天才と仕事ができた喜びを感謝と誇りに変えて、敬意を込めてかの人をこう呼びました。

M.J.と。


00_1988_MJ_moonwalk.jpg

I believe in wishes and in a person's ability to make a wish come true.
I really do.

Whenever I saw a sunset, I would quietly make my secret wish right before the sun tucked under the western horizon and disappeared.
It would seem as if the sun had taken my wish with it.
I'd make it right before that last speck of light vanished.
And a wish is more than a wish, it's a goal.
It's something your conscious and subconscious can help make reality.


I remember being in the studio once with Quincy and Rod Temperton while we were working on Thriller .
I was playing a pinball machine and one of them asked me,
"If this album doesn't do as well as Off the Wall , will you be disappointed?"
I remember feeling upset-hurt that the question was even raised.
I told them Thriller had to do better than Off the Wall .
I admitted that I wanted this album to be the biggest-selling album of all time.
They started laughing. It was a seemingly unrealistic thing to want.
...
They have too much doubt. You can't do your best when you're doubting yourself.
If you don't believe in yourself, who will? Just doing as well as you did last time is not good enough.
I think of it as the "Try to get what you can" mentality.
source:Chapter Five The Moonwalk

僕は願いを、そして願いを現実のものにしていく人間の能力を信じています。
本当に信じているのです。

僕は日が沈むのを見る時にはきまって、太陽が西の水平線に隠れて消えてしまう前に、静かに自分の秘密の願い事をするようにしていました。
太陽が僕の願い事を受けとめてくれるように思えたのです。
最後の光の一片が消えてしまう前に、僕は願いをかけました。
その願いは、ただの夢ではなく、目標に姿を変えます。
自分の意識や無意識の力で、それを現実のものにすることができるのです。


以前、「スリラー」を作っていた最中、クインシーやロッド・テンパートンと一緒にスタジオにいた時のことを僕は思い出します。
僕がピンボールで遊んでいると、誰かが言ったのです。
「もし、このアルバムが「オフ・ザ・ウォール」のようにうまくいかなかったら、がっかりしてしまうかい?」
僕はそんな質問をされて気が動転して、傷ついてしまったのを覚えています。
「スリラー」は「オフ・ザ・ウォール」以上のものじゃなきゃいけないんだ、と僕は彼らに言いました。
このアルバムを史上最高の売り上げを記録するアルバムにしたいんだって、自分から認めたのです。
彼らは笑っていました。多分、非現実的な望みに聞こえたのでしょうね。

(中略)

みんな自分の能力を疑いすぎるのです。
自分で自分を疑っていては、最善を尽くすことなどできないんです。
自分が信じなかったとしたら、誰が信じてくれるのでしょう?
前と同じことをするだけでは不十分なのです。
“手に入れられるものは何でも手に入れる”よう心がけることだと思います。
引用文献:Michael Jackson著 MOONWALK P196~197


その1で、彼が愛読していたであろうと思われるメンタルマネージメント的著作を何冊かご紹介しましたが、この種のものに共通しているメソッドに、「自分が成し遂げたいことを書き、常に自分の目に触れる場所におく」というのがあります。

1979年に日程表の裏に書きだした「M.J.のマニフェスト」もそうでしょう。
後年、「This was written before thriller years ago これはスリラーの年のずっと前に書かれたもの」と書き足すことができたのは、1979年からずっと保管していたからですよね。
書いた紙を小さくたたんで、もしかしたら本に挟んで、あるいは当時のエンシノの寝室に貼っていたのかもしれません。
これは推測にすぎませんが、彼はこのマニフェストを事あるごとに読み返しては、新たに決意し奮起していたのではないでしょうか。


I should be a new, incredible actor/singer/dancer that will shock the world.
僕は新しくて驚くほど素晴らしい俳優、歌手、ダンサーになって、世界に衝撃を与えるんだ。




マイケルがアルバムThrillerを「史上最高の売り上げを記録するアルバムにする」と宣言したのは有名なお話ですよね。
ジャッキー曰く、彼は毎日覗く鏡に消えないように油性ペンでそう書いたのだとか。
毎日毎日鏡を見るたびに彼はその言葉と向き合い、その言葉を噛みしめ自分に言い聞かせ意識下に刻み付け、その願いは目標へと、さらには決意へと形を変えていったのでしょう。

そして結果はご存じのとおり。
ダブルミリオンを達成していながら、Off The Wallではたったひとつしかとることができなかったグラミー賞。

M.J.は、Thrillerを宣言通り「史上最高の売り上げを記録するアルバム」にして、その手で8つのグラミー賞をつかみ、小さなころの夢であったギネスにその名前を刻むという現実さえ手に入れました。

img_349959_4148453_0s.jpg


I have learned that it is what you put in your mind mentally
What you think and do, that makes your person.
and you can put any mental object in this mind and it will bring it to reality.
So this means,
We can program ourselves to be the people we want to be,

僕は何事も精神的な思考から始まる事を学んだ
何を考えどう行動するかでその人は決まる
心に浮かぶどんなことでもそれを強く頭でイメージすれば現実に至るんだ
つまりこういうことだ
僕らはなりたい自分になるように自分でプログラムできる




できないことなど何もない

自分が「できない」と思わない限り

神から与えられた才能を耕し、自分の可能性を閉ざすことなく、能力を最大限に引き出し発揮させることは、世界の人々を通して神にその感謝をお返しすることだとし、自らはもとより、創造を共にする仲間には特にそれを伝えていた人だったと思います。

彼にとって、仕事のすべてにおいて完璧を目指す、最高にこだわるということは、神から享受された才能をいかんなく発揮させることと同義語だったからで、そうして成し遂げたことへの正当な評価と対価は常に整合性をもって彼の中にあったのだと思います。

黒人アーティストであるがゆえに、正当に評価されなかったOff The Wallのグラミー賞、白人のロック以外は鼻にもかけなかったRolling Stone誌にカバーストーリー(表紙と巻頭特集記事)の依頼を慇懃無礼に断られた経験などが、彼を審査員だの編集者だのの「差別思想」の入り込む余地などない、明快な支持の証として、誰にも文句をいわせないほどの売上や記録という「数字」にこだわらせた原因の一つのように思えるのです。

それは対価に対しても同様で。

「正しい行い」と「冨」は別物として語られることが多いですが、わたし個人は共存するものとしてとらえていますし、M.J.ほどそれらが優雅に調和する人はいないとも思っていて。

ですので「いい音楽さえやれたら金や名誉なんていらないのさ」的な、この手のタイプでは絶対にないと。
「いい音楽にはそれ相当の評価と対価は必要」派だと(笑)

これは1994年6月に書かれたメモです。
イメージを目標に設定し、常時意識するために書くというメソッドの典型です。

1994_6_MJ_handwritten.jpg

To M.J. June 94
Present job titles is songwriter, entertainer, recording artist, actor, dancer, director
Present weekly income Million a week
Job title 45 weeks from now:Same….
Weekly income 45 weeks from now 15 Million a week

M.J.へ、 94年6月
現在の肩書:ソングライター、エンターテイナー、レコーディングアーティスト、俳優、ダンサー、監督
現在の週収入:100万ドル
45週後(およそ1年後)の肩書:同じ
45週後の週収入:1500万ドル



つい最近、マイケルが2008年12月からあの日まで過ごしたキャロルウッドの自宅に残された、彼が書いたメモや書類の一部が、MJJC、The Michael Jackson Communityにて共有されましたね。
ご覧になった方も多いと思います。

これは、今月初めに結審したご家族の裁判の証人として7月に召喚された甥っ子Tajが、2009年の7月から保管していたものを、裁判資料としてジャクソン家側弁護士に提出したものです。

前々回、前回からの続き、という流れに沿ったわたしの個人的見解に対して参考になると判断したメモのみ、ここではとりあげたいと思います。

94年の自分に対してその1年後の自分を宣言したのと同じようなメモです。

2009MJ_handwritten _notes12


Weekly in come 20 Million a week
First multi billionair entertainer actor director
100 billion
Better than Kelly & Astair
the greatest ever
in the likes of Chaplin Michelangelo Disney - these men demanded perfection innovation always

週の収入2000万ドル
初のマルチビリオネア・エンターテイナー、俳優、監督
100 billion(1000億ドル)
ケリーとアステアを超える
史上最高に
チャップリン・ミケランジェロ・ディズニーといった人々-彼らは、完全なる革新を常に追い求めた



2008年から2009年の間に書かれたのではと思われますが、94年から考えると収入の桁はどかーんと上がって、それだけの価値のある仕事をすると決意したのですね。

病院や施設や福祉団体の子供たちを招いて、思い切り楽しんでもらうというかつてネバーランドで行っていたサービスだって再開したいし、ネバーランドをもっとスケールアップさせたテーマパーク構想だってあきらめちゃいないし、それには新しくて前より大きな動物園も遊園地も必要だし、それらの維持費も必要だし、あ、マイケル・ジャクソン子供病院は絶対建てるし、あー、やりたいこと一杯だよー。そらビリオネアにならなきゃって当然でしょこれー。
みたいな・・て、みたいななじゃない、軽すぎる、すみませんホントすみませんw



興味深いのは、このメモを書いた時点でのM.J.である彼の中にソングライター、レコーディングアーティストとダンサーは、もうないってこと。
M.J.のキャリアが目指す方向は、ステージパフォーマンス主体ではない事を表しているように思えます。
もちろん音楽と彼は切り離せませんから、それはもう歯磨きと同じ感覚で終生「終わる」ことはないと思いますが、あらためて本腰を入れようとしていたのは、やはりかねてから、というかそれこそWIZ以降ずっとずっとずっと折に触れ言い続けていた映画製作なんですね。

2年前の過去記事でもMJのTII以降の様々なプランの話を書きましたが、その時にわかっていたのは

●ツアーの間2か月ごとにシングルを出して、新曲とパフォーマンスの相乗効果で盛り上げてロンドンでの公演が終わる頃にそれらをまとめたアルバムを出す予定で、そのレコーディング準備を行っていたこと。
●子供向けインストゥルメンタルアルバムの制作
●クラシックアルバムの制作
●「Legs Diamond」の現代版ミュージカル映画
●長編のThriller3-D映画

でした。

このメモで彼が手がけようとしていた映像作品は、上記だけではないことがわかりました。

2009MJ_handwritten _notes5

Jack the giant killer
sinbad = oman
AEG -- > demand development of these movies
Aladin Cameron <-- start franchise now
3D Film
2 hour movie
Sinbad's Seventh Voyage
101 nights part 2
alibaba
alibaba and 40 thieves like Indiana Jones pits
mysterious isla
nd
Legs Diamond
Tut
More than huma
n
Cab Callaway [判読不能]
20,000 Leagues Under The Sea
AEG develop Now
※黒フォントはわたしの推測です。

巨人退治のジャック(イギリス民話)
シンドバッド=オマーン(シンドバッドの冒険でシンドバッドが航海の旅に出たのがオマーン港といわれている)
AEGに対してこれらの映画の展開を要求
アラジン キャメロン ←今すぐ*フランチャイズ開始
3D映像
2時間映画  
シンドバッド7回目の航海(1958年公開のファンタジー映画)
百一夜物語 パート2(千夜一夜物語と同種のアラビア物語・1994年に同名のフランス映画あり)
アリババ
インディ・ジョーンズの洞窟の壁穴のようなアリババと40人の盗賊 (MJはインディ・ジョーンズの大ファンだったらしい)
神秘の島(1961年にレイ・ハリーハウゼンの特撮で作られた映画。「SF巨大生物の島」のタイトルで日本でも公開)
レッグス・ダイアモンド
ツタンカーメン王
人間以上(1953年セオドア・スタージョン著 超能力を持ったミュータントを描いたSFファンタジー)
キャブ・キャロウェイ(伝説のジャズバンドを率いたシンガーで俳優。ジャネットのAlrightのPVにカメオ出演。最後に出てて来る黄色いスーツの方^^)
海底2万マイル(1954年ウォルト・ディズニーが映画化したSFアドベンチャー)
AEG 進展させる 今すぐ



*印のフランチャイズですが、一般的にはコンビニのフランチャイズ的な一手販売権という意味です。
ですが、このキャメロンと言うのはおそらくタイタニック、アバターの監督であるジェームズ・キャメロンではないかと思うのですが、彼の名前に矢印があるでしょう?
キャメロンにアラジンをテーマにした3D映画を監督してもらおうという意味なのかなぁと思ったら、それの商業的配給権ともとれるし、でもアーバンディクショナリー(スラング専門のオンライン辞書)では映画などのオリジナル、あるいは続編なども含むシリーズを指す言葉とあって、ひょっとしたらその映画のシリーズ化も検討させるという意味かも・・とか、わたしなんかが考えても答えが出なかったので、フランチャイズそのままにしてしまいました。

キャメロンは2008年4月にアバターの撮影を開始し、2009年1月にクランクアップさせています。
マイケルが3Dで映画を創ろうとした時、この人を何らかの形で巻き込みたいって思っても不思議じゃないですよね。

アラジンといえば、海外のサイトで「アラジンとタイタニックの基本プロットは全く同じだった!」というのがあって、自由な風来坊が見知らぬ美女を助け、二人は恋に落ちて、ライバルの嫌がらせや二人を阻む困難がありつつも、協力する味方も現れて、かたや魔法のじゅうたんに乗って空を飛びまわり、かたや船の甲板の先っちょでフライングごっこをし、どちらもうっとりと二人の世界に酔いしれ、大きな試練に見舞われ・・るところまでそっくりだと(笑)
唯一の違いはアラジンはハッピーエンドで、タイタニックのジャックは・・うう(T_T)
興味ある方はこちらからどうぞ(笑)

てことで、もちろん推測ですが、キャメロンがアラジンを参考にタイタニックのストーリーを作ったならば、アラジン3D制作のマイケルからのオファーがあれば、やるやるー♪ってなったかなーなんて^^


あれ?これっていわゆる脱線ですか?w


気を取り直して、しかし、なんて面白そうで魅力的なラインアップでしょうかこれ!\(^o^)/
なーんかChildhood思い出しちゃうな~

MJ_childhoodshot.jpg
嬉しそう・・たまらんのぅw

Like pirates in adventurous dreams,
Of conquest and kings on the throne...

海賊だとか冒険が詰まった夢
冠をつけた王様や征服の物語・・

Like fantastical stories to share
The dreams I would dare, watch me fly...

皆で分かち合えるような素晴らしい物語を
冒険心に満ちて、空を飛ぶような夢を・・


対訳:HUTZ FUJIBAYASHI氏(HIStoryブックレットより)

※大好きな大西さんのサイトは現在JASRACと著作権問題があり一時閉鎖中とのことです。
冷静で賢明な方ですので、こちらはサイト再開を願いつつ見守るしかありませんが、この事はわたしのような吹けば飛ぶようなブログであっても、著作権はもとより引用、転載に関して自覚を持たねばならないと肝に銘じさせられた一件でありました。


てことで、海賊の冒険とか冠を戴く王様の征服物語とか空を飛んだりするファンタジーとか・・
本当に彼はこういったアドベンチャーやファンタジー作品が好きだったんですね。
「我は海の子」「アラバマ物語」といった人間ドラマも好きだったしホラーも好きだったかもしれないけれど、ここに書かれているものに冒険ものが多いっていうのが、本当にねぇ・・しみじみ・・


脱線しますけれど、(いいよね、慣れてるよねw)

Jack the giant killer「巨人退治のジャック」というのも、アーサー王伝説の中のひとつの騎士道ストーリーで、空腹になると村で強奪を繰り返す巨人を、村人のために落とし穴に落として退治するジャックくんの物語です。
ジャック君はその働きを認められてアーサー王の騎士団に入れてもらえました的な。
王様の征服の物語であり、シンドバッドやアリババに代表される冒険ものでもあるという、ね。

More than human(人間以上)は、石ノ森章太郎が影響を受けサイボーグ009の元ネタになったといわれているそうです。
知能のべらぼうに高い赤ん坊が出てくるらしく、それってまんま001のコンセプトなんだなぁと楽しくなっちゃいましたが、超能力を持った人たちが集まってどうしたこうした的展開は、今日のX-MENにも通じますね。
マイケルはX-MENが好きだったと聞いたことあったような。
ですが実際の小説で超能力を持った登場人物は、知能が低い、親から虐待を受け育った、施設で馴染めない、等々の孤独で虐げられた子供たちです。
彼らが実はテレキネスやテレポーションといった力をそれぞれが持っていて、ひとりひとりは社会不適合者と烙印を押されかねない弱者なのだけれど、集団になることで「人間以上」の存在になっていくといった物語だそう。
この小説にマイケルが惹かれないはずないかなぁと思わせる内容ですね。
いつか読んでみようと思っています。

今年亡くなられたレイ・ハリーハウゼンはThe 7th Voyage of Sinbad、Mysterious Islandの監督ですが、今日のSFやファンタジー映画の作り手方は全員この方の影響を受けたと言っても過言ではないほどで、マイケルもおそらく彼の作った映画が大好きだったのではないかと思います。
今はCGがありますが、アナログな時代にストップアニメーションという一コマ一コマ模型を撮り人物と合成させる技術がなければ、本当にファンタジー映画など観れなかったでしょう。
そういった意味でも、レイはパイオニア(先駆者)でこそありませんでしたが、その技術の完成度を高めたイノベーター(革新者)であったことは間違いないようです。
そういう人好きだもんねジャクソン先生^^

とにかくマイケルがこれらの古典映画をリメイク、あるいは面白いコンセプトを元にした映画を制作する気があったと。
それは実際監督したい作品もあったでしょうし、プロデュースと言う形で関わる物もあったでしょうし、あるいは配給権を持とうとしていたのかもしれませんし。

でも一言映画製作と言ってもちょっとしたメモでもアイデアはこれだけあったわけですね。

First multi billionair entertainer actor director
初のマルチビリオネア・エンターテイナー、俳優、監督

として、新しいイメージの新たなステージへ進化したM.J.で、前へ前へ。

彼は決して下を向いてなどいず、その眼ははるか前方の、また少し遠くなったかもしれない自らが辿り着きたいゴールをまっすぐに見据えていたと。



だからこそ、その前にやるべき大切なことがあった。

レコーディングアーティスト、ダンサーとしてのM.J.のひとつの区切りがThis Is It、そして同時に進行していたアルバム制作と考えていたのならば、彼にとってそれらがどれだけ重要であったかは想像に難くありません。


When people leave this show, when people leave my show, I want them to say,
I've never seen nothing like this in my life. Go. Go
I've never seen nothing like this. Go.
It's amazing. He's the greatest entertainer in the world.

皆がショーから帰る時、皆が僕のショーから帰る時、みんなに言ってもらいたいんだ・・
「今までの人生でこんなショーは観たことがない。すごい、すごいよ
こんなの今まで観たことないよ
素晴らしいよ、彼は世界最高のエンターテイナーだ」って・・

source :Radar online.com

それだけの覚悟を決めて臨もうとしてくれたのだと。

できないことなど何もない
自分が「できない」と思わない限り

確かに思い通りにならない事は数多く存在していたでしょう。
でもわたしが思うに、彼は、M.J.には

「できない」はない

「できない」はなかったのだと思わずにいられないのです。

それは「ショーは必ずやり遂げなければならない」という父の教えもあるのかもしれないけれど、自らが願い心に浮かんださまざまな事を、まず自分が肯定し、そして誰が信じなくても自分だけは自分を信じて自らの力でそれらを現実にしてきた人なのです。
どれだけ困難で過酷なことにもひるまずに毅然と果敢に立ち向かってきた人なのです。

ならば「できない」という選択肢がない以上「できる」にはどうすればよいかという方向に、自分のベクトルを合わす人なのではないかと思わずにいられないのです。

ですからわたしは、彼が取捨選択したものの是非ではなく、それがM.J.としてあり続けるために必要な事だったのだとまるごと受け入れています。


TIIは世界中の人を魅了しました。
あの映画がきっかけでM.J.のファンになった人がどれだけいるでしょう。
長い長いブランクの後の、しかも舞台裏のM.J.だったのに。
スクリーンのM.J.が本来の数パーセントの力しか出していないことを解っていても。
時折痛々しいほどの繊細さが見え隠れしていても。

舞台裏のそのまた舞台裏で、彼が本当はどうだったのか、それを知らなければ前に進むことができないという想いも理解できます。

それを知ったうえであの映画を観ることがどれほど辛い事かもわかります。

ですが、あのスクリーンの中で動き回り、指示を出し、提案をし、仲間を励まし、微笑み、時に大声で笑い、どれだけ息の上がる激しい踊りだったとしても、若いダンサーの誰よりも軽やかに踊り、そして、のびやかに美しく力強く歌う人が、M.J.という唯一無二の稀代なエンターテイナーとして沢山の人に記憶されたのは紛れもない事実なのだと思うのです。

M.J.がM.J.として
M.J.というアーティストを人々にどのように見せることが一番なのかを常に考えていた人、であったとするならば
常に最高にこだわる完璧主義者ならば
プロ中のプロとして
「彼は世界最高のエンターテイナーだ」と思ってもらうことを目指したはずだと。


わたし個人の見解と想いです。


オルテガはそういうM.J.を守りたかったのだと思っています。
そういうM.J.をフィルムに残そうとしたのだと思います。

それはいつまでも残るのです。

50年後も、100年後もそれは厳然と存在し、その時代にそれを見る人に、2009年の10月、世界中を駆け巡った驚きと感動と賞賛、それらと同じものをもたらすためです。


Michael-michael-jackson-10552086-1920-1440s.jpg



わたしは今は、舞台裏でマイケルがどれほど色々なものと戦っていたか、そのつらい状況にいた彼の気持ちを想う事に自分のベクトルを向けることをやめました。

M.J.がどのような自分で人々の記憶に残りたいと思っていたのか。

あのマニフェストを書いた時から
眠りに落ちる寸前なのか、滑舌のはっきりしない口調で自分の想いを話した時まで
それはずっと変わらなかったのだと。


M.J.が望んだM.J.が、わたしのM.J.です。



久しぶりに最初から最後までTIIを見ました。

Man In The Mirrorが流れる中、彼がブルーの照明に照らされながら

手を広げ目を閉じ天を仰ぐその横顔は

50歳という年齢のひとのものではなく

20代のそれのようでした。

00_2009TII.jpg


M.J.という名前の新しい自分になることを誓った時の

21歳の青年のようでした。




あのシーンのまま

あなたはわたしがこの世からいなくなっても

愛され続けて語り継がれて、そして聴き継がれていくのね。


M.J.として


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マイケルのことを知れば知るほど、「This Is It」を観るの辛いよなぁ。とか、だのに何でこの映画の公開後は何度も飽きることなく映画館に通えたのか、今回のながーいながーいお話を読ませて頂いて、やっと分かった気がしました。
称賛されたいから、成功したいから、自分を認めて欲しいから、マイケルは孤高の高みを目指していた訳では決してなくて、(もちろんそこへ辿り着いた上で)その遥かもっと先を見据えて、自分がどこにいるのかどうすべきなのかってことをずい分若い頃から俯瞰出来ていたということに改めて驚愕します。
マイケルはよく、自分には子供時代がなくて、ショーと移動ばかりの日々だったみたいなことを嘆きますが、でもあの時代あのタイミングでマイケルのあの年でショー・ビジネスの世界に彼がいなければ、マイケルはマイケルたり得なかったということもすごく思いました。
それはもうホントに神様がすべて分かっていてマイケルを1958年の8月、インディアナ州のあの小さな町にポン、と置いたとしか考えられません。そしてマイケルもそのことをじゅうぶん過ぎるほど理解していたんだろうなぁ、とそんなことをすごく思いました。
「不時着」だなんてとんでもない!
あたしには全ての話がストンと胸に落ち、マイケルの色んな楽しみ方を教えて貰えた幸福で胸がいっぱいです。
…つか、TII後のマイケルのやる気モリモリ前のめりプラン、やばいすね!

マチコさん

コメントありがとうございます!
あたしが書きながらうまく伝わるかな~と危惧しまくっていたことをくみ取ってもらえたようで、こんな嬉しいことはありません(/_;)
100人いれば100通りのマイケル像があることなんて百も承知の助で、一つの意見に仮に共感できなかったり理解できなかったりしたとしても、それは残り99人それぞれの大切なマイケルがいるからこそのことだとも理解していて、それでもあえて書きたかったことでした。
わたしはTIIの彼が世界に再び衝撃を与えた事実に重きを置きたかったの。
MJとしてね。
実際色々な軋轢も葛藤も諸々もごちゃごちゃもあっただろうけれど、それらを踏まえて感情移入したとしても、あえて冷静に見れば、そんなもろもろたちには、彼がどれだけ素晴らしいかということを、これっぽっちも汚させやしないことがわかる。そこにいるのはどこまでも凛として前を向くMJなんだもん、と思っているからなんです。わたしはね^^
そこを着地点にしたことに賛同してもらえたことが嬉しかったです^^

それとその1から3までを通して読んでくれたこともありがとうございました!
そうなの、これはくそ長いけれど1から3まででひとつだから・・
我慢して読んでくれてありがとう!\(^o^)/
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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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