本当に書きたかったことを (2)
ものすごく簡単な検定がありました。
「マイケルジャクソン検定」(笑)
初級編と、上級編とありましたので上級編をやってみたら、MJ Wikipediaレベルの知識があればよさそうで、わたしでも合格しました。はは、よかった(笑)

きっと超ファンの人はやらないでしょうねー。
ま、でもちょっとうれしかったりして(笑)
お暇な方は話の種にいかがでしょう?
さて、本題です。
マイケルの誤解と言うか偏見の元になっている情報というのは
本当にいろいろあって、何だかきりがないぐらいです。
ですが、前回の記事にも書きましたが
2005年の裁判で彼が無罪となっている事実を、いまだ独自の憶測だけで否定する情報だけはほっておけないのです。
それと、2005年の刑事裁判のきっかけになった(実際はあるドキュメンタリーの放送ですが、後に詳しく触れます)1993年の民事裁判。
これが彼の人生において、後々までも尾を引くものとなったと思っています。
これとは別に必要以上に騒ぎ立てられた肌の色の事。
彼の生前からしょっちゅうワイドショーなんかで、コメンテーターが「白人願望から漂白した」という意味の発言をしていました。
テレビで発言する立場の人が、それこそWikipediaを見ればわかる事実を、自分の推測で捻じ曲げる。
一番正したいのは、漂白云々よりも「白人になりたかった願望」という点です。
そして、ネバーランド。
あの広大なテーマパークを自宅にした彼の真意と、そこでの出来事。
それを知っていただきたい。
以上の事柄を中心に書いていきたいと思います。
ですが、自分の思いのたけをつらつらと書くだけでは、結局甘ったるい感傷めいた記事で終わりそうで、(本当はかわゆいマイケルとか優しいマイケルとかのエピソードをキャピキャピ書きたいっす)それはそれでそういう時があってもいいと思ってますが、今回に関しては客観的に書きたい。
とはいえ、自分のつたない筆力では順序だてたり、きちんと整理された内容をわかりやすく書く自信がない。
そこで、これまでわたしが色々自分なりに調べた過程で、冷静に上記の事実やそれ以外の事柄をしっかり調べ上げた上で、とてもわかりやすい記事にされている方のブログを多く発見しました。
その多くがありがたいリンクフリーだということで、そのきちんとした情報へリンクを貼らせて頂きながら進めていこうと思います。
その前に一般的なMJ基礎知識はぜひWikipediaで。(検定もこれを読めばクリアです 笑)
<白人願望>
1984年、アルバム「スリラー」によって彼がグラミー賞で8部門を制覇し、世界最高の売上げ枚数アルバムとしてギネスに認定された頃より、マイケルの評価は大きくわかれていきます。
次々とミュージックシーンの常識を覆し、記録を塗り替えていくエンターティナーという評価の半面、Wacko Jacko(変人ジャクソン)などと揶揄されマスコミの恰好のターゲットとされていきます。
しかしそれ以前からジャクソンズ(ジャクソン5)のスターであったマイケルには、噂やゴシップの類は日常茶飯事でした。
動物好きなマイケルはニシキヘビのマッスルや、ラマといった珍しい動物を飼い、85年にはガン治療の研究用としてテキサスの病院にいたチンパンジーのバブルス君を引き取り、わが子のように可愛がります。
そんなマイケルを動物にしか心を開かない変人と決めつけ、インタビューでも「僕は子供たちが大好きだから何とかしたいと思っている。いつかインドへ行って飢餓状態にある子供たちに会いたい」と答えたところ、実際の記事には「マイケルは飢えた人を見るのが何よりの楽しみだそうだ」と書かれたりしたことで不信感を強めたマイケルはマスコミを嫌い、82年以降インタビューにも答えなくなります。
それがかえってマスコミのバッシングにつながるわけで、85年にビートルズの251曲もの版権を管理する出版社ATVを購入(これは現在ソニーレコードと共同管理をしており、楽曲数は30万にものぼります)したことで、さらにマスコミのもはや単なる噂やゴシップと言うよりも、笑えない攻撃が激しくなっていくのです。
それをマイケルはどう感じていたのかがわかる彼のスピーチがあります。
Michael Jacksons speech against racism in Harlem July,9,2002
マイケルの追悼式にも出演し、マイケルの子供たちに向けて「君たちのお父さんは変でもなんでもない。変だったのはお父さんの周りのほうだ」というスピーチをしたアル・シャープトン牧師が関係する、National Action Network本部で人種差別に関するスピーチを2002年に行っています。
実際は複雑なMJとレコード会社との問題も見え隠れする集会なのですが、その話はここでは省きます。
彼はこのスピーチで、こう語っています。
「私がレコードセールスで過去の記録を全て破った次の瞬間から、つまり、私がエルビスの記録を、ビートルズの記録を破った瞬間から、ギネスブックの歴史上、史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。
私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。
彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、ありとあらゆる全てのことをしようとした。
これは全て完全な陰謀だ。」
「私は自分の人種をわかっている。鏡を見れば、自分は黒人であることがわかっている。」
黒人マイケルジャクソンとして、肌の色での差別に対して(暗に自分の成功が白人のものであったなら、同じようなバッシングがおこったかどうか疑問を持っているわけです)断固戦わなければならないといった旨の内容です。
「白人のポップスターであるエルビス・プレスリーの曲の多くは黒人が作ったのに、エルビスだけが評価され、本の表紙を飾るのに、作曲者には何の評価も与えられないどころか、今でもたった一人の黒人さえも本の表紙になってはいない!」という内容の話もしています。
彼のこのような思いは早くからあったようで、1981年に音楽評論家の湯川れい子さんのインタビューでも、プレスリーについて、「エルビスは黒人の音楽を盗んだ」「黒人のスーパーマンなどいない」などとかなり辛らつに語っています。
若い時から一貫してブレていない彼の思い。
黒人である事を恥じるどころか、むしろ誇りに思い、差別に立ち向かい変革(CHANGE)をしようとしていたマイケル。
肌の色にこだわる世界などばかげていると、曲にもメッセージを込めています。
「Black Or White」(埋め込み不可なのでURLをリンクしてあります)
キミが僕の彼女の事を知りたいなら、白とか黒とか関係ないのさ
これでどうして「白人願望がある」などといえるのか?ということです。
わたしにはこの人種問題は複雑でむずかしく、簡単に何かを言う事はできません。
ここで言いたかったのは、このような思い(その是非はともかく)を持っていたマイケルが、「白人になりたくて肌を白くした」という話は間違っているという事です。
彼の名誉のためにもう一度言います。
彼は黒人でした。
生まれてから亡くなるその日まで、身も心も。
実際の肌の変色は病気によるものです。
そのお話は次回に。
■参考にさせていただいた記事及び書籍
●マイケルジャクソンWikipedia
●THE ONE & Only
●シンコーミュージジック・ムック「Michael Jackson Who's BAD?」
●「Michael Jackson ポップ・レジェンドに捧ぐ」
「マイケルジャクソン検定」(笑)
初級編と、上級編とありましたので上級編をやってみたら、MJ Wikipediaレベルの知識があればよさそうで、わたしでも合格しました。はは、よかった(笑)

きっと超ファンの人はやらないでしょうねー。
ま、でもちょっとうれしかったりして(笑)
お暇な方は話の種にいかがでしょう?
さて、本題です。
マイケルの誤解と言うか偏見の元になっている情報というのは
本当にいろいろあって、何だかきりがないぐらいです。
ですが、前回の記事にも書きましたが
2005年の裁判で彼が無罪となっている事実を、いまだ独自の憶測だけで否定する情報だけはほっておけないのです。
それと、2005年の刑事裁判のきっかけになった(実際はあるドキュメンタリーの放送ですが、後に詳しく触れます)1993年の民事裁判。
これが彼の人生において、後々までも尾を引くものとなったと思っています。
これとは別に必要以上に騒ぎ立てられた肌の色の事。
彼の生前からしょっちゅうワイドショーなんかで、コメンテーターが「白人願望から漂白した」という意味の発言をしていました。
テレビで発言する立場の人が、それこそWikipediaを見ればわかる事実を、自分の推測で捻じ曲げる。
一番正したいのは、漂白云々よりも「白人になりたかった願望」という点です。
そして、ネバーランド。
あの広大なテーマパークを自宅にした彼の真意と、そこでの出来事。
それを知っていただきたい。
以上の事柄を中心に書いていきたいと思います。
ですが、自分の思いのたけをつらつらと書くだけでは、結局甘ったるい感傷めいた記事で終わりそうで、(本当はかわゆいマイケルとか優しいマイケルとかのエピソードをキャピキャピ書きたいっす)それはそれでそういう時があってもいいと思ってますが、今回に関しては客観的に書きたい。
とはいえ、自分のつたない筆力では順序だてたり、きちんと整理された内容をわかりやすく書く自信がない。
そこで、これまでわたしが色々自分なりに調べた過程で、冷静に上記の事実やそれ以外の事柄をしっかり調べ上げた上で、とてもわかりやすい記事にされている方のブログを多く発見しました。
その多くがありがたいリンクフリーだということで、そのきちんとした情報へリンクを貼らせて頂きながら進めていこうと思います。
その前に一般的なMJ基礎知識はぜひWikipediaで。(検定もこれを読めばクリアです 笑)
<白人願望>
1984年、アルバム「スリラー」によって彼がグラミー賞で8部門を制覇し、世界最高の売上げ枚数アルバムとしてギネスに認定された頃より、マイケルの評価は大きくわかれていきます。
次々とミュージックシーンの常識を覆し、記録を塗り替えていくエンターティナーという評価の半面、Wacko Jacko(変人ジャクソン)などと揶揄されマスコミの恰好のターゲットとされていきます。
しかしそれ以前からジャクソンズ(ジャクソン5)のスターであったマイケルには、噂やゴシップの類は日常茶飯事でした。
動物好きなマイケルはニシキヘビのマッスルや、ラマといった珍しい動物を飼い、85年にはガン治療の研究用としてテキサスの病院にいたチンパンジーのバブルス君を引き取り、わが子のように可愛がります。
そんなマイケルを動物にしか心を開かない変人と決めつけ、インタビューでも「僕は子供たちが大好きだから何とかしたいと思っている。いつかインドへ行って飢餓状態にある子供たちに会いたい」と答えたところ、実際の記事には「マイケルは飢えた人を見るのが何よりの楽しみだそうだ」と書かれたりしたことで不信感を強めたマイケルはマスコミを嫌い、82年以降インタビューにも答えなくなります。
それがかえってマスコミのバッシングにつながるわけで、85年にビートルズの251曲もの版権を管理する出版社ATVを購入(これは現在ソニーレコードと共同管理をしており、楽曲数は30万にものぼります)したことで、さらにマスコミのもはや単なる噂やゴシップと言うよりも、笑えない攻撃が激しくなっていくのです。
それをマイケルはどう感じていたのかがわかる彼のスピーチがあります。
Michael Jacksons speech against racism in Harlem July,9,2002
マイケルの追悼式にも出演し、マイケルの子供たちに向けて「君たちのお父さんは変でもなんでもない。変だったのはお父さんの周りのほうだ」というスピーチをしたアル・シャープトン牧師が関係する、National Action Network本部で人種差別に関するスピーチを2002年に行っています。
実際は複雑なMJとレコード会社との問題も見え隠れする集会なのですが、その話はここでは省きます。
彼はこのスピーチで、こう語っています。
「私がレコードセールスで過去の記録を全て破った次の瞬間から、つまり、私がエルビスの記録を、ビートルズの記録を破った瞬間から、ギネスブックの歴史上、史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。
私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。
彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、ありとあらゆる全てのことをしようとした。
これは全て完全な陰謀だ。」
「私は自分の人種をわかっている。鏡を見れば、自分は黒人であることがわかっている。」
黒人マイケルジャクソンとして、肌の色での差別に対して(暗に自分の成功が白人のものであったなら、同じようなバッシングがおこったかどうか疑問を持っているわけです)断固戦わなければならないといった旨の内容です。
「白人のポップスターであるエルビス・プレスリーの曲の多くは黒人が作ったのに、エルビスだけが評価され、本の表紙を飾るのに、作曲者には何の評価も与えられないどころか、今でもたった一人の黒人さえも本の表紙になってはいない!」という内容の話もしています。
彼のこのような思いは早くからあったようで、1981年に音楽評論家の湯川れい子さんのインタビューでも、プレスリーについて、「エルビスは黒人の音楽を盗んだ」「黒人のスーパーマンなどいない」などとかなり辛らつに語っています。
若い時から一貫してブレていない彼の思い。
黒人である事を恥じるどころか、むしろ誇りに思い、差別に立ち向かい変革(CHANGE)をしようとしていたマイケル。
肌の色にこだわる世界などばかげていると、曲にもメッセージを込めています。
「Black Or White」(埋め込み不可なのでURLをリンクしてあります)
キミが僕の彼女の事を知りたいなら、白とか黒とか関係ないのさ
これでどうして「白人願望がある」などといえるのか?ということです。
わたしにはこの人種問題は複雑でむずかしく、簡単に何かを言う事はできません。
ここで言いたかったのは、このような思い(その是非はともかく)を持っていたマイケルが、「白人になりたくて肌を白くした」という話は間違っているという事です。
彼の名誉のためにもう一度言います。
彼は黒人でした。
生まれてから亡くなるその日まで、身も心も。
実際の肌の変色は病気によるものです。
そのお話は次回に。
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