本当に書きたかったことを (5)
ステイプルセンターでの「THIS IS IT」リハーサルの新たな写真が公開されました。

バックダンサーのフリ、「The Way You Make Me Feel」っぽいけど違うかな?
わかんないけど、ま、いっか。
マイコー足長ーい♪
後ろの若いゴリマッチョダンサーなんかよりずっとステキ♪あー、うっとり。
映画、楽しみではありますが、どうせばば泣きして、しっかり見れないような予感がしてて
何となく嬉しいけれど憂鬱な気もするという複雑な気分です。
さて本題です。
むかしむかし。
マイケル・ジャクソンととても仲がよかった少年がいました。
ふたりはともだちでした。
でも少年のパパとママは、マイケルにともだちではなく、色んなことのめんどうをみてくれる足長おじさんになってほしかったのです。
マイケルはパパから「お家をかって」といわれましたが、ことわりました。
おこったパパは、マイケルにしかえししてやろうと思いつきました。
すでにママとパパはおわかれしていましたが、少年にとってパパはパパでした。
だから少年はパパの命令に、はむかえませんでした。
その命令とはウソをつくことでした。
パパは歯のおいしゃさんだったので、ますいを少年にかけながら「ウソ」を本当のようにおしえました。
少年は、パパの言うなりになりました。
そして、大すきだったマイケルに、ついてはならないウソをつくのです。
「ぼくはマイケル・ジャクソンにいたずらされた」
<1993年の悲劇>
今から16年前の事です。
わたしはこの年の6月、アメリカのサンディエゴを訪れていて、地元のモールでうろうろしていた時、MJの「Billie Jean」が流れてきて「おおー、さすが本場」と妙に盛り上がった事を今思い出しました。
MJの1993年は華々しく幕を開けました。
クリントン大統領の祝賀会に招かれ、パフォーマンスを披露し、1月31日には、カリフォルニアでのNFL第27回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演します。
試合よりもハーフタイムの視聴率が上回るほどで、このときの彼のパフォーマンスを見てアルバムを買いに走った人が多かったのでしょうか、「Dangerous」は売上が一気に伸びたといわれています。
その後2月に前回の記事で触れた「オプラ・ウィンフリーショー」で、妙な編集ができないようネバーランドからの生中継と言う形で、自ら「尋常性白斑症」を告白し、噂やゴシップを払拭するためインタビューに答えます。
そこでオプラの「あなたは今幸せなの?」という問いに「いろいろあったけど今は幸せです」とはっきり答えました。
しかし、その幸せは突如乱されることになります。
13歳のジョーディ・チャンドラーと言う少年が実父によって、MJを「児童性的虐待」で告訴します。
最初この父親は、離婚した元妻・息子と自分が疎遠になった理由がMJだとし、その賠償として2,000万ドルを要求しますが、MJ側がこれを拒否すると即座に行動に移りました。
8月、ネバーランドで大掛かりな家宅捜索が行われますが、その時点でMJはツアーの為に海外にいました。
自分がいないときに、自分の大切な場所が、多くの他人にかき回され荒らされた事を知ったマイケルは、怒りの感情を爆発させたといいます。
この問題は、今までのような単なるゴシップなどではなく、彼の人生やキャリアに恐ろしく傷を残すことになりかねませんでした。
しかも告訴した相手が、マイケルが日頃から大切に思っていた子供(友達)。
彼の精神的なダメージは、肉体的ダメージとなっていきます。
1984年にペプシのCM撮影で、頭に大やけどを負った彼は、その後も頭皮の再生手術を受け、そのたびに激痛を抑える鎮痛剤を処方されていましたが、度重なるひどい状況の報告に頭皮の手術痕の痛みに加え、激しい偏頭痛にも見舞われ、徐々に鎮痛剤の服用が処方箋の量を超え始めていくのです。
ですがその間も、彼は自分を奮い立たせ、自分を待っている多くのファンに会う為ツアーを続行させています。
日本には9月7日~12日まで滞在し、福岡ドームで2回公演を行っています。
もう当時忌まわしい報道はなされていたため、ファンの不安を払拭するように素晴らしいパフォーマンスをおこなったマイケル。
有名なライブインブカレストと同じ構成のツアーですから、オープニングの爆発音と共に飛び出して、しばらくじっと微動だにしない演出とか、生で見れた人は本当に忘れないでしょうね。
しかし、問題の事態は悪くなる一方で、それに伴いマイケルの鎮痛剤への依存は高くなり、ついに11月、鎮痛剤中毒を認めたマイケルはこれ以上のツアー続行は不可能とし、DANGEROUSツアーは中止されてしまいます。
結局本国では一度も公演を行うことができなかったわけですが、そんな地獄の渦中に不安定な精神で帰れるはずもなく、しばらくイギリスの専門病院で薬物治療を受ける事となるのです。
驚くべき事は、こんな大変な時でも彼は人への思いやりを忘れていない人でした。
MJは今は亡きSONYの盛田会長をとても慕っていたようで、BADツアーで初来日した時に盛田さんのお宅を訪問し、それから親交を深め、92年の東京公演へも盛田会長夫妻を招待しています。
盛田さんの奥様がマイケルの思い出として綴られた記事がありますので、こちらからどうぞ。
マイケルがこのでっちあげ恐喝事件に巻き込まれているさなか、10月に盛田さんも体調を崩されます。
すると盛田家にマイケルから1本のカセットテープが送られてきます。
テープは、マイケル自身の声で「あなたは必ずよくなる」という、ヒーリングメッセージが何度も繰り返されるものでした。
これを朝・昼・晩と必ず聴いてくださいという伝言と共に。
テープはマイケルの優しい声で「Mr.Morita・・」という呼びかけではじまります。
Mr. Morita・・・Mr. Morita・・Mr. Morita・・
This is Michael Jackson speaking・・・This is Michael Jackson speaking.
Please, get better…Please, get better now.
You are our visionary. You are our teacher. You are our leader.
You are our world.
You’ve taught me so much.
You are a very, very strong man, Mr. Morita. I believe in you.
Every day, in every way, I am healing better and better. Repeat these words in your deep subconscious mind.
I love you, Mr. Morita, and know that the whole world loves you and needs you, especially me.
I believe in miracles, and you have the courage and determination and the will-power.
I believe in you, Mr. Morita, so get better now.
盛田さん・・盛田さん・・盛田さん・・
マイケル・ジャクソンです・・マイケル・ジャクソンが話しています・・
どうぞ良くなってください・・ どうぞすぐに良くなってください
あなたは素晴らしい人です あなたは僕たちの先生です あなたは僕たちのリーダーです
あなたは僕たちの世界そのものです
あなたは沢山のことを僕に教えてくださいました
盛田さん、あなたはとても強い人だと僕は信じています
毎日、毎日自分はどんどん回復している 深い潜在意識でこの言葉を繰り返してください
僕は盛田さんを愛しています そして全世界があなたを愛し、あなたを必要としています 特に必要としているのはこの僕です
僕は奇跡を信じています そしてあなたは勇気と情熱と強い意志力を持っています
盛田さん だから必ずあなたは回復します 僕は信じています
わたしが泣いてしまったのは、最後に「あなたを特に必要としているのは、この僕です」というマイケルの言葉でした。
このときのマイケルが置かれていた状況を考えると、洪水のように悪いことが押し寄せる中、ただその波にもまれながらも、一方ではエンターティナーとしての役割を果たさなくてはならず、しかし自身では、いったい何を信じたらいいのか、どうしたらいいのか、どうしてこんな事になってしまったのか、誰か助けて欲しいという切実な思いを感じずにはいられません。
盛田さんの奥様は、このテープを盛田さんが亡くなるまで、毎日聴かせ続けられたそうです。
わたしが思うに、このようなヒーリングプログラムはおそらくネバーランドにやってくる重病の子供たちへも行われているプログラムのひとつなのでしょう。
常日頃から重病の子供たちに向けて行われていることを、自分が敬愛する盛田さんにも「治ってほしい。元気になってほしい」その一心で。
「あなたは必ず回復します。僕は信じています」
マイケルと子供たちとの関わりは、盛田さんへの想いとなんら変わらず、そこには純粋な庇護しかありませんでした。
しかし、マイケルの富みに目がくらんだ大人は、どうにかして彼からお金を引き出そうと画策します。
それは、著作権に絡むものだったり、雇用や契約に絡む事だったりと、わけのわからない無意味な訴えが後を絶たなくなっていきます。
(そのどれもがほとんど判事により棄却されて終わる程度でしたが、裁判になったものも全てマイケルは勝訴しています)
そんな中で、93年のジョーディ少年の父親は、「マイケルが大切に想う子供」を手段に使うという、最も最悪で、最も卑劣な訴えをおこして彼からお金を奪おうとしました。
仮に息子が本当にそんな被害にあっているのなら、民事で賠償請求するよりも先に刑事事件として追求するのが親として当然なはずですが、告訴人サイドは、1日でも早く民事訴訟に勝利して、お金を請求したかったのが本音です。
全くの陰謀だったわけです。
(この後、法律が改正され、子供の虐待容疑では民事の訴えを先にする事はできなくなりました)
実は自分の子供を、父親が最も踏みにじって虐待したわけで、実際2005年に少年はこの父親を虐待で訴えています。(おせーよ。おっと失礼)
次回へ続きます。

バックダンサーのフリ、「The Way You Make Me Feel」っぽいけど違うかな?
わかんないけど、ま、いっか。
マイコー足長ーい♪
後ろの若いゴリマッチョダンサーなんかよりずっとステキ♪あー、うっとり。
映画、楽しみではありますが、どうせばば泣きして、しっかり見れないような予感がしてて
何となく嬉しいけれど憂鬱な気もするという複雑な気分です。
さて本題です。
むかしむかし。
マイケル・ジャクソンととても仲がよかった少年がいました。
ふたりはともだちでした。
でも少年のパパとママは、マイケルにともだちではなく、色んなことのめんどうをみてくれる足長おじさんになってほしかったのです。
マイケルはパパから「お家をかって」といわれましたが、ことわりました。
おこったパパは、マイケルにしかえししてやろうと思いつきました。
すでにママとパパはおわかれしていましたが、少年にとってパパはパパでした。
だから少年はパパの命令に、はむかえませんでした。
その命令とはウソをつくことでした。
パパは歯のおいしゃさんだったので、ますいを少年にかけながら「ウソ」を本当のようにおしえました。
少年は、パパの言うなりになりました。
そして、大すきだったマイケルに、ついてはならないウソをつくのです。
「ぼくはマイケル・ジャクソンにいたずらされた」
<1993年の悲劇>
今から16年前の事です。
わたしはこの年の6月、アメリカのサンディエゴを訪れていて、地元のモールでうろうろしていた時、MJの「Billie Jean」が流れてきて「おおー、さすが本場」と妙に盛り上がった事を今思い出しました。
MJの1993年は華々しく幕を開けました。
クリントン大統領の祝賀会に招かれ、パフォーマンスを披露し、1月31日には、カリフォルニアでのNFL第27回スーパーボウルのハーフタイムショーに出演します。
試合よりもハーフタイムの視聴率が上回るほどで、このときの彼のパフォーマンスを見てアルバムを買いに走った人が多かったのでしょうか、「Dangerous」は売上が一気に伸びたといわれています。
その後2月に前回の記事で触れた「オプラ・ウィンフリーショー」で、妙な編集ができないようネバーランドからの生中継と言う形で、自ら「尋常性白斑症」を告白し、噂やゴシップを払拭するためインタビューに答えます。
そこでオプラの「あなたは今幸せなの?」という問いに「いろいろあったけど今は幸せです」とはっきり答えました。
しかし、その幸せは突如乱されることになります。
13歳のジョーディ・チャンドラーと言う少年が実父によって、MJを「児童性的虐待」で告訴します。
最初この父親は、離婚した元妻・息子と自分が疎遠になった理由がMJだとし、その賠償として2,000万ドルを要求しますが、MJ側がこれを拒否すると即座に行動に移りました。
8月、ネバーランドで大掛かりな家宅捜索が行われますが、その時点でMJはツアーの為に海外にいました。
自分がいないときに、自分の大切な場所が、多くの他人にかき回され荒らされた事を知ったマイケルは、怒りの感情を爆発させたといいます。
この問題は、今までのような単なるゴシップなどではなく、彼の人生やキャリアに恐ろしく傷を残すことになりかねませんでした。
しかも告訴した相手が、マイケルが日頃から大切に思っていた子供(友達)。
彼の精神的なダメージは、肉体的ダメージとなっていきます。
1984年にペプシのCM撮影で、頭に大やけどを負った彼は、その後も頭皮の再生手術を受け、そのたびに激痛を抑える鎮痛剤を処方されていましたが、度重なるひどい状況の報告に頭皮の手術痕の痛みに加え、激しい偏頭痛にも見舞われ、徐々に鎮痛剤の服用が処方箋の量を超え始めていくのです。
ですがその間も、彼は自分を奮い立たせ、自分を待っている多くのファンに会う為ツアーを続行させています。
日本には9月7日~12日まで滞在し、福岡ドームで2回公演を行っています。
もう当時忌まわしい報道はなされていたため、ファンの不安を払拭するように素晴らしいパフォーマンスをおこなったマイケル。
有名なライブインブカレストと同じ構成のツアーですから、オープニングの爆発音と共に飛び出して、しばらくじっと微動だにしない演出とか、生で見れた人は本当に忘れないでしょうね。
しかし、問題の事態は悪くなる一方で、それに伴いマイケルの鎮痛剤への依存は高くなり、ついに11月、鎮痛剤中毒を認めたマイケルはこれ以上のツアー続行は不可能とし、DANGEROUSツアーは中止されてしまいます。
結局本国では一度も公演を行うことができなかったわけですが、そんな地獄の渦中に不安定な精神で帰れるはずもなく、しばらくイギリスの専門病院で薬物治療を受ける事となるのです。
驚くべき事は、こんな大変な時でも彼は人への思いやりを忘れていない人でした。
MJは今は亡きSONYの盛田会長をとても慕っていたようで、BADツアーで初来日した時に盛田さんのお宅を訪問し、それから親交を深め、92年の東京公演へも盛田会長夫妻を招待しています。
盛田さんの奥様がマイケルの思い出として綴られた記事がありますので、こちらからどうぞ。
マイケルがこのでっちあげ恐喝事件に巻き込まれているさなか、10月に盛田さんも体調を崩されます。
すると盛田家にマイケルから1本のカセットテープが送られてきます。
テープは、マイケル自身の声で「あなたは必ずよくなる」という、ヒーリングメッセージが何度も繰り返されるものでした。
これを朝・昼・晩と必ず聴いてくださいという伝言と共に。
テープはマイケルの優しい声で「Mr.Morita・・」という呼びかけではじまります。
Mr. Morita・・・Mr. Morita・・Mr. Morita・・
This is Michael Jackson speaking・・・This is Michael Jackson speaking.
Please, get better…Please, get better now.
You are our visionary. You are our teacher. You are our leader.
You are our world.
You’ve taught me so much.
You are a very, very strong man, Mr. Morita. I believe in you.
Every day, in every way, I am healing better and better. Repeat these words in your deep subconscious mind.
I love you, Mr. Morita, and know that the whole world loves you and needs you, especially me.
I believe in miracles, and you have the courage and determination and the will-power.
I believe in you, Mr. Morita, so get better now.
盛田さん・・盛田さん・・盛田さん・・
マイケル・ジャクソンです・・マイケル・ジャクソンが話しています・・
どうぞ良くなってください・・ どうぞすぐに良くなってください
あなたは素晴らしい人です あなたは僕たちの先生です あなたは僕たちのリーダーです
あなたは僕たちの世界そのものです
あなたは沢山のことを僕に教えてくださいました
盛田さん、あなたはとても強い人だと僕は信じています
毎日、毎日自分はどんどん回復している 深い潜在意識でこの言葉を繰り返してください
僕は盛田さんを愛しています そして全世界があなたを愛し、あなたを必要としています 特に必要としているのはこの僕です
僕は奇跡を信じています そしてあなたは勇気と情熱と強い意志力を持っています
盛田さん だから必ずあなたは回復します 僕は信じています
わたしが泣いてしまったのは、最後に「あなたを特に必要としているのは、この僕です」というマイケルの言葉でした。
このときのマイケルが置かれていた状況を考えると、洪水のように悪いことが押し寄せる中、ただその波にもまれながらも、一方ではエンターティナーとしての役割を果たさなくてはならず、しかし自身では、いったい何を信じたらいいのか、どうしたらいいのか、どうしてこんな事になってしまったのか、誰か助けて欲しいという切実な思いを感じずにはいられません。
盛田さんの奥様は、このテープを盛田さんが亡くなるまで、毎日聴かせ続けられたそうです。
わたしが思うに、このようなヒーリングプログラムはおそらくネバーランドにやってくる重病の子供たちへも行われているプログラムのひとつなのでしょう。
常日頃から重病の子供たちに向けて行われていることを、自分が敬愛する盛田さんにも「治ってほしい。元気になってほしい」その一心で。
「あなたは必ず回復します。僕は信じています」
マイケルと子供たちとの関わりは、盛田さんへの想いとなんら変わらず、そこには純粋な庇護しかありませんでした。
しかし、マイケルの富みに目がくらんだ大人は、どうにかして彼からお金を引き出そうと画策します。
それは、著作権に絡むものだったり、雇用や契約に絡む事だったりと、わけのわからない無意味な訴えが後を絶たなくなっていきます。
(そのどれもがほとんど判事により棄却されて終わる程度でしたが、裁判になったものも全てマイケルは勝訴しています)
そんな中で、93年のジョーディ少年の父親は、「マイケルが大切に想う子供」を手段に使うという、最も最悪で、最も卑劣な訴えをおこして彼からお金を奪おうとしました。
仮に息子が本当にそんな被害にあっているのなら、民事で賠償請求するよりも先に刑事事件として追求するのが親として当然なはずですが、告訴人サイドは、1日でも早く民事訴訟に勝利して、お金を請求したかったのが本音です。
全くの陰謀だったわけです。
(この後、法律が改正され、子供の虐待容疑では民事の訴えを先にする事はできなくなりました)
実は自分の子供を、父親が最も踏みにじって虐待したわけで、実際2005年に少年はこの父親を虐待で訴えています。(おせーよ。おっと失礼)
次回へ続きます。
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