本当に書きたかったことを (6)
ここんところ、書きたかったことを書いているにもかかわらず、ものすんごく気が滅入ります。
そりゃそーだ・・
MJの名誉を汚した事件について書いているのですからね。
でも、何だかもうとりつかれてるみたいに、書かないではおれない感じで。
今書いている事柄はその後のMJの、最も最悪な事件につながっている事ですから、ここは絶対はずせないところ。
そして、本来の目的である、事実を知ってもらうこと。
これしかもうないんでね。
<この訴訟の結末>
心身ともにぼろぼろになりながら、MJは93年12月にアメリカに帰国します。
その直後に彼は警察に連れて行かれます。
告発の内容が内容だけに、告発人の供述と彼の身体的特徴が一致するかを調べるための身体検査を受けるという憂き目にあいます。
見に覚えのない疑いをかけられ、散々傷ついた彼に追い討ちをかけるような悪夢。
この強制検査にたいしてマイケルの拒否権は認められず、もしも拒否をすれば、裁判時に有罪の証拠にすると脅された彼は、その屈辱的な検査を受け入れるしかありませんでした。
その12日後の12月22日、マイケルはネバーランドから、やはり生中継で自身の声明を出しました。
悲痛な表情で彼は
Don't treat me as a criminal, because I am innocent.
「僕を罪人のように扱わないで下さい。僕は無実なのですから」
と訴えています。
強制的に受けねばならなかった検査(写真撮影)が、どれだけ屈辱的なものだったか。
「あれは最もひどい悪夢でした」と語っています。
また彼にとって子供たちと関わることは
It is of enjoying, through them, the childhood that I missed myself.
「僕自身には無かった子供時代を、子供たちを通して楽しんでいるのです」
とも語っています。
マイケルにとって、子供でありながら子供らしいことができなかった自分の子供時代を、普通の子供たちを通して一緒に楽しみたい、そんな彼らを力を尽くして守りたいという気持ちは、ずっとずっと消えることはありませんでした。
ネバーランドを作った理由も同じでした。
失われた子供時代を取り戻すため。そして同時に世界中の子供たちと分かち合うため。
彼はいつも一貫しています。
その時々で発言がブレる事など一切ありません。
こんな風に記事を書くまでに、わたしも色々と(まだ足りないかもしれませんが)自分なりに調べました。
そこで、MJの過去の発言、インタビュー記事、インタビュー動画など、英語オンリーなものは途切れ途切れしかわかりませんから厳しいですが、日本語になっているものを読み進めてはっきりとわかったのは、いつの時代でも彼は同じ事しか語っていないのです。
人間その場その場で適当な事はいくらでも言えて、あるいは台本があるなら時が過ぎれば何を言ったかすら忘れます。
しかし、これだけ主張がかわらないなら、それは間違いなく彼の本心、彼の信念、深い決意なのです。
それを、変っているだのWacko Jacko(変人ジャクソン)だのと面白おかしく書きたてたマスコミは、今また、まだ裁判にならないうちから有罪の如く書きたて、犯罪者扱いをし、彼を窮地に追い込もうとしていたわけです。
MJはこの悪夢を早く終わらせようとしました。
裁判ともなれば、長い争いの果て、自分も含め少年も証言をしなくてはならず、そんな場面は彼には耐えられなかったのではないでしょうか。
94年1月に2,000万ドルの和解金を支払う事に同意します。
(誤解されていますが、この金額はMJではなく保険会社が支払いました。訴訟の多いUSではこれは珍しい事ではありません)
告訴側に目論見どおり大金が転がり込んだわけです。
しかし、和解に応じた=罪を認めた ではないことをここではっきりと書きたいと思います。
マイケルに非があるのなら、一番最初の段階、つまり少年の実父がお金を要求してきた時に、どうせ保険会社が支払うならとっとと支払って口止めしておけばいい話です。
しかし、彼は要求を即座に断り、そのおかげで名声に深いキズをつけ、プライドも粉々になり、精神的肉体的苦痛を受けました。
なぜそんなリスクを負わねばならなかったのでしょう。
彼はInnocentだったからです。
無実であり、潔白であり、そしてここまで恐ろしい状況になることを予測できないほど、あまりに無垢だったのです。
この民事訴訟は和解成立により終了し、刑事裁判の調査へと移りましたが、あのマイケルに生涯を通じて最大の屈辱と言わしめた身体検査の写真は、少年の供述と全く一致しませんでした。
しかも示談金を受け取った少年側は、刑事裁判での証言を拒否するという、通常ではありえない展開となりました。
これを見ても、本当に少年に被害があったのではなく、実父により引き起こされたこの訴えが、お金のみ目的にしていたことがよくわかるというものです。
そして検察は、この問題に関してのその他の証拠を何一つ見つけられぬまま、刑事裁判として起訴に至ることはありませんでした。
この事件のさらに詳しい解説をこちらでお読みいただけます。
興味のある方は、ぜひ全文お読みいただくと、このでっちあげ恐喝事件(と、わたしは思っています)の全貌がお分かりいただけると思います。
こうして悪夢のような日々は終わりを告げた・・
かと思われましたが・・。
さらに続きます。
■参考にさせていただいた記事及び書籍
●Wikipedia 1993年性的虐待疑惑
●The One&Only
●Legend Of MOONWALK
●マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著
そりゃそーだ・・
MJの名誉を汚した事件について書いているのですからね。
でも、何だかもうとりつかれてるみたいに、書かないではおれない感じで。
今書いている事柄はその後のMJの、最も最悪な事件につながっている事ですから、ここは絶対はずせないところ。
そして、本来の目的である、事実を知ってもらうこと。
これしかもうないんでね。
<この訴訟の結末>
心身ともにぼろぼろになりながら、MJは93年12月にアメリカに帰国します。
その直後に彼は警察に連れて行かれます。
告発の内容が内容だけに、告発人の供述と彼の身体的特徴が一致するかを調べるための身体検査を受けるという憂き目にあいます。
見に覚えのない疑いをかけられ、散々傷ついた彼に追い討ちをかけるような悪夢。
この強制検査にたいしてマイケルの拒否権は認められず、もしも拒否をすれば、裁判時に有罪の証拠にすると脅された彼は、その屈辱的な検査を受け入れるしかありませんでした。
その12日後の12月22日、マイケルはネバーランドから、やはり生中継で自身の声明を出しました。
悲痛な表情で彼は
Don't treat me as a criminal, because I am innocent.
「僕を罪人のように扱わないで下さい。僕は無実なのですから」
と訴えています。
強制的に受けねばならなかった検査(写真撮影)が、どれだけ屈辱的なものだったか。
「あれは最もひどい悪夢でした」と語っています。
また彼にとって子供たちと関わることは
It is of enjoying, through them, the childhood that I missed myself.
「僕自身には無かった子供時代を、子供たちを通して楽しんでいるのです」
とも語っています。
マイケルにとって、子供でありながら子供らしいことができなかった自分の子供時代を、普通の子供たちを通して一緒に楽しみたい、そんな彼らを力を尽くして守りたいという気持ちは、ずっとずっと消えることはありませんでした。
ネバーランドを作った理由も同じでした。
失われた子供時代を取り戻すため。そして同時に世界中の子供たちと分かち合うため。
彼はいつも一貫しています。
その時々で発言がブレる事など一切ありません。
こんな風に記事を書くまでに、わたしも色々と(まだ足りないかもしれませんが)自分なりに調べました。
そこで、MJの過去の発言、インタビュー記事、インタビュー動画など、英語オンリーなものは途切れ途切れしかわかりませんから厳しいですが、日本語になっているものを読み進めてはっきりとわかったのは、いつの時代でも彼は同じ事しか語っていないのです。
人間その場その場で適当な事はいくらでも言えて、あるいは台本があるなら時が過ぎれば何を言ったかすら忘れます。
しかし、これだけ主張がかわらないなら、それは間違いなく彼の本心、彼の信念、深い決意なのです。
それを、変っているだのWacko Jacko(変人ジャクソン)だのと面白おかしく書きたてたマスコミは、今また、まだ裁判にならないうちから有罪の如く書きたて、犯罪者扱いをし、彼を窮地に追い込もうとしていたわけです。
MJはこの悪夢を早く終わらせようとしました。
裁判ともなれば、長い争いの果て、自分も含め少年も証言をしなくてはならず、そんな場面は彼には耐えられなかったのではないでしょうか。
94年1月に2,000万ドルの和解金を支払う事に同意します。
(誤解されていますが、この金額はMJではなく保険会社が支払いました。訴訟の多いUSではこれは珍しい事ではありません)
告訴側に目論見どおり大金が転がり込んだわけです。
しかし、和解に応じた=罪を認めた ではないことをここではっきりと書きたいと思います。
マイケルに非があるのなら、一番最初の段階、つまり少年の実父がお金を要求してきた時に、どうせ保険会社が支払うならとっとと支払って口止めしておけばいい話です。
しかし、彼は要求を即座に断り、そのおかげで名声に深いキズをつけ、プライドも粉々になり、精神的肉体的苦痛を受けました。
なぜそんなリスクを負わねばならなかったのでしょう。
彼はInnocentだったからです。
無実であり、潔白であり、そしてここまで恐ろしい状況になることを予測できないほど、あまりに無垢だったのです。
この民事訴訟は和解成立により終了し、刑事裁判の調査へと移りましたが、あのマイケルに生涯を通じて最大の屈辱と言わしめた身体検査の写真は、少年の供述と全く一致しませんでした。
しかも示談金を受け取った少年側は、刑事裁判での証言を拒否するという、通常ではありえない展開となりました。
これを見ても、本当に少年に被害があったのではなく、実父により引き起こされたこの訴えが、お金のみ目的にしていたことがよくわかるというものです。
そして検察は、この問題に関してのその他の証拠を何一つ見つけられぬまま、刑事裁判として起訴に至ることはありませんでした。
この事件のさらに詳しい解説をこちらでお読みいただけます。
興味のある方は、ぜひ全文お読みいただくと、このでっちあげ恐喝事件(と、わたしは思っています)の全貌がお分かりいただけると思います。
こうして悪夢のような日々は終わりを告げた・・
かと思われましたが・・。
さらに続きます。
■参考にさせていただいた記事及び書籍
●Wikipedia 1993年性的虐待疑惑
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●マイケル・ジャクソン裁判~あなたは彼を裁けますか アフロダイテ・ジョーンズ著
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