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マイケルの言葉を知りたくて その1

ここのところまた、反論もできない彼に対しての冒涜が、モラルも品位も全くないメディアによって行われて、TwitterやFBで相手のメンションに「彼を侮辱するのはやめていただきたい」的メッセージを書きながら、心底このようなことが普通におこるアメリカのタブロイドの姿勢に失望しました。
これからは裁判の証言も始まりますし。

また彼の名前がゴシップ誌によくないイメージで載るのかな・・

さらに今回は当事者にPPBが入っているので、それこそ外野(わたし)は静観するしかない。
ただ、これ以上マイケルの尊厳が傷つくことないように、とそれだけ祈ります。


こんな時はマイケルの言葉が聞きたくなりますね。
見るんでもいいです。
歌やダンスももちろんいいのだけれど、マイケルが発した言葉の方が、こんな時には特に。

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彼自身の言葉に飢えていたわたし。

過去記事でNYの日本レストランのオーナーの方のマイケルの思い出話のことを書いて、その時のわたしの食いつきポイントはタイトルにあった(「お寿司大好きだったマイケル・ジャクソン」)「お寿司」ではなくて、彼が歌った「さくらさくら」まっしぐらで、すっかり寿司は放置して桜のお話になったのですが、今頃まっとうに「寿司」に目がいき、よくある外国の人が食べるカリフォルニアロール、とかでなくて、「トロとサーモンと鉄火」という至極まっとうな注文にむらむらしてきてw

マイケルお寿司好きだったのか~(ってだからお寿司大好きだったって言ってるじゃん!w)
それもなんちゃって寿司じゃないお寿司~、と急にお寿司とマイケルのつながりが気になりだしまして。
それからSushi関連でなんか面白い話ないかな~と調べるうちに、出くわしたWord。

「Susi at Michael's」

マイケルんちで寿司
マイケルんち=ネバーランド、そこで寿司・・
なにそれなにそれ!!!\(^o^)/

で、行きついたのが1冊の本。

Private Conversations in Neverland with Michael Jackson

2001年10月~2005年6月までマイケルの主治医だったWilliam Barney Van Valin医学博士が書いたもので、医師としてでなく友人となったマイケルの思い出を綴っているもの。(日本未発売、つまり洋書(/_;))
2011年の初版は自費出版だったようで表紙もカラー写真ではなく、モノクロのイラストでした。(写真は権利が難しいからね・・MJ関係って)
売上は(全てかどうかは未確認ですが)LAのNPO(Children of the Night 児童買春防止活動の団体)へ寄付されます。詳細はこちらへ。

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それにしても著者のお名前・・William Barney Van Valin・・?
うーん、どっかで・・

このオババは日常の大切なことは忘れても、MJ関連の事はうすらとんかちなりに結構覚えているので、この名前にどうしても見覚えがありました。
調べるとやっぱり・・

マーレー裁判時に、マイケルに処方箋を出した医者が9名ほどリストに上り、当時のタブロイドはマイケルの処方薬中毒に協力した医者たち、みたいに報道していました。
そのリストにはマイケルと懇意だったアーノルド・クライン医師(でもなー・・この人マイケルがいなくなってから印象悪い事ばっかしてたからな~><)、フランク・カシオの著書で出てくる再生医療のエキスパートであるファーシュキアン医師(Dr. Alimorad "Alex" Farschchian)、2003年にマイケルがルーパス患者への貢献者に与えられるMedical Visionary Awardメディカル・ヴィジョナリー・アワードを授与した、アラン・メッツガー博士(Dr. Allan Metzger)等々、もちろんマーレーも。
その中にこのバーニー医師(彼は甲状腺疾患が専門の内科医)の名前もあったので見覚えがあったのでした。


わたしの性格上、「あ、そうなんだー」で終らすことがたいがいできないので、当然当時の記事はもとより、関連情報、背後関係、調べなくてもいいかもしれないと思う事までお勉強。

わたしね
第1次MJファンの頃って本当に無知だったから。
なんも知らなかったから。
それを後悔してるから、今は知ることも大事だと思っていて。

だいたいこういうことって、よりセンセーショナルで、よりネガティブな部分のみクローズアップされがちだけれど、実際流れる情報の中にはたまーに小さいながらも事実もあって、でもその事実も他に声高に報じられるゴミ情報にまぎれたりかき消されたりしてしまう。

わたしはその小さな事実が、ぱっと見、ネガティブな扱いをされそうに見えても、その奥に、「これのどこがおかしいというのでせうか?」という、普通にまともなことであるという結論に至ったことがこれまで何度もあるので、「まずは知る」→「多方面から自分のできる範囲で情報を集めて分析する」→「①多方面から見れるほど情報が集まらなくて途中で挫折したり、結局のところ結論が出ないことに関しては、一旦忘れてしばらく放置」or「②納得する」というのがいつものやり方です。
なんか偉そうですが、そういう性分なのですね。

で、②納得できた事柄で、その中でも特にわたしの中のステキマイケルセンサーが著しく反応したことをここに書くわけです。(書きたくても筆力の問題で書けない事は多しw)


この本の著者の事を調べた段階ではまだ結論がでなかった。
ので、ブログで書く気もさらさらナッシン。

でも結論が出ないということは、そりゃそうだわ、だってこの本を読んでないんだもんという思考回路が働いてしまってw
それにどうしても「Susi at Michael's」が気になる。
軽すぎるといわれようがミーハーと言われようが、気になるものは気になる。

なので悩んでしまったの。そーねー10分ぐらいw

本は最初の何ページかは閲覧可能だったので、まずはとにかく読んでみましょうと思い。(ふふふ、カッコよく「とにかく読んでみましょう」なんてよく書いたなw 読んだところですぐにわかんないくせに)

でもまぁ、必死のパッチでどうにかわかったことは、だいたいこんな感じでした↓


マイケルがバーニー医師のところを初めて訪れた日のいでたちが、すでにウケますw
一応医者を訪ねるわけなのに、本当にKingの「普段はどーでもいーんだよ~~ん♪」ぶりにほのぼのするっていうか。
そのいでたちは、白いVネックTシャツに、左の胸ポケットに金のエンブレムのついた青いブレザーを着て、白いソックスと黒いローファー、ボトムは栗色のシルクのパジャマ、(出たよパジャマーw)もちろん傘持参。

ほらぁ、彼の好きなようにさせたら色も素材もコーディネートも、何もかもKING級!\(^o^)/
いわゆるパジャマのズボンとステキなジャケットの合わせ技ってやつですね!

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そのとんがりばっかり着ないで、明日は私の着てる赤のジャケットを着て、Thrillerの3Dセグメント撮りに臨んでね、マイケル!
あ、ハイわかってます


そう思うと、急にプレタ着て小奇麗になったのは、どう考えてもTIIプロモートの関係上、あの怖いスタイリストの入れ知恵アドバイスに沿っただけだとやはり思える・・よかった^^

とにかくその日のうちに彼らはやけに打ち解けあって(お互いのアンティーク趣味の話で盛り上がって)マイケルはバーニーをネバーランドの夕食に招待します。
9歳になるメイソンという息子を連れて行ってもいいかなと尋ねたバーニーに、マイケルは「もちろん!」と言ってから、テーブルの上にあったPeopleという雑誌を指さして言いました。

You shouldn’t buy that. It’s a terrible magazine
こんなの買わないほうがいいよ、ひどい雑誌さ


バーニーは笑って「OK、そうするよ」と言いました。(P3~P5)


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あら・・もっと読みたいかも・・と先を読みますと。

バーニーと息子のメイソンがネバーランドの中に入ってもマイケルの母屋へ行くまで遠い遠いw
その辺の説明をしてくれていて、そのあたりも興味深くて楽しかったです(そこを書けw)
が、実際にマイケルがバーニー親子を出迎えてくれた時の描写の中に、わたしのハートをまたもやわし掴みにするWordが!

当時プリンスかぞえの4歳、パリス満3歳。(本書では3歳と2歳となっていますが2001年10月ということで)
プリンスは4歳にしてすでに紳士的に、笑顔で自己紹介をきちんとして「おあいできてうれしいです」と握手までしちゃうかしこぶり。
それに対してパリスはと言えば、マイケルの左足にしがみついて前に出ることもできず、マイケルは何とかしてパリスに「こんにちは」を言わせようとするのですが、人見知りを大爆発させるパリスはパパのパジャマの足にしがみついて隠れるだけ。(やっぱりパジャマのままだよーw)

This made Michael laugh a little and he said
“Paris , you applehead . ”
これにはマイケルも少し笑ってしまって、そしてパリスに言いました。
「パリスはAppleheadだねぇ」

出たよ、Applehead!

このあとバーニーはこんな風に書いていました。

”結局この言葉をそれからたびたび聞くことになるのですが、マイケルはちょっとおバカな事をした人を誰でもAppleheadと呼びました。実はそれは彼特有の親愛を示す呼び名だったのです。
マイケルは私の息子のメイソンにも何度かその呼び名で呼んでくれました。”(P9)

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ミニカーを持つお手手には

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僕だってAppleheadさ!\(^o^)/


やっぱり・・読もう・・

読もう!絶対読もう!とそこで決断。
ああ、あんなに悩んだはずなのに、わたしのためらいはいずこへ。

もちろん「Susi at Michael's」も「Applehead」も魅力的ではありましたが、MJの歴史の中でどうしてもネガティブに言われやすくて、情報も少ない2001年~2005年の間に、バーニー医師と一緒に居た彼がどんな顔を見せていたのかが、やっぱりどうしても知りたかったのでした。
色々な背景も踏まえたうえで、それでも。


実際の感想としては、わたしにとっては大正解。

バーニー医師は、マイケルの医学問題に関しては守秘義務を守って一切書いていません。
彼は医者という立場でマイケルと知り合ったけれど、あくまでこの本は自分がネバーランド、そしてバーニー自身の家で彼と交わされた信じられないほどの素晴らしい5年にわたる会話の思い出を通して、友人マイケルのひととなりを読者と共有することをゴールと思って書いたのだと記しています。

ここには、マイケルが「第2の家族」と呼んだカシオ家同様、バーニー家(彼の妻クリス、息子のメイソン、娘のビアンカ)の人々とマイケルの家族との、温かくて思いやりあふれる交流が綴られていました。

どの章にも沢山のマイケルとバーニーとの会話が綴られています。
もちろんバーニーの思い出と記憶の中のマイケルの言葉ですから、完全に彼が言った通りではないと思います。
それでもこの本の中で読むことができる、この時期に彼が語ったとされる言葉の数々は、彼の信念や信条がささいな日常のシーンの中でも垣間見ることができ、常にぶれずに変わらずに貫かれていることをわたしに再認識させてくれるに十分値するものでした。
そしてなにより口先だけではない本当の愛をしっかりと心に抱いた彼、優しさを忘れない彼、気遣いあふれる彼、天然で笑うのも笑わすことも大好きなおちゃめさん、絶対に忘れなかった子供の心、素晴らしいお父さんぶり、そんな沢山の彼に出会えました。

バーニー医師がマイケルに処方箋を出したのは事実だけれど、そのことで「マイケルを本当に思うならもっと違う方法で云々かんぬん」と責めたりすべてを判断することをわたしはよしとしませんでした。
この著者が描き出すマイケルから、わたしが大好きなマイケルの愛すべき人柄と尊敬すべき信念を確かに感じることができたから。

それは書き手が持つマイケルへの愛情がそうさせたのだと。


という訳でわたしは自分の中で納得して、例のセンサーはもう、ビービービービー反応してましたから、なので今ここでつらつらと書いているという訳です。

ここまで書いたのですから、せっかくなのでバーニーの本の中に意外に出てくるお寿司エピソードを、がっつり書きたいところですが、それには英語能力が著しく不足してますし、一応書籍なのですべて転載はさすがにできませんので、かいつまんでご紹介しますね(ええ、いいわけですw)

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バーニーはしょっちゅうマイケルに呼び出されてランチ(ネバーランド)を訪れたようです。
ふたりは夜遅くまでなんだかんだと遊び(すみませんね適当でw)気が付くともう夜中の3時を回っていて、お腹がすいたと感じたバーニーは、マイケルに笑いながら「お寿司食べない?」と聞くと、マイケルも「OK、行こう!」とキッチンへ直行します。
マイケルんちの冷蔵庫はバカでかく、おそらくコンビニなんかにあるショーケースみたいなものかな?ガラスのドアが5つある冷蔵庫ったら、そうでしょ?w
その中に、こんな時間でもいつでもなにかしら食べ物が、宵っ張りのマイケルのために用意されていて、お寿司もトレイに並べられているわけで。
でもお寿司の入ってるトレイは、棚に専用の場所が設けられてるわけではなく、なぜか冷蔵庫にある、ありとあらゆる種類の飲み物の中の、ソーダ缶の上にいつも置かれていたそうです。
マイケルはリンゴジュースを、バーニーはペリエを持って、お寿司を食べ始めた時。

”Michael picked up an ebi (shrimp sushi) and asked, “Barney, is it true that shrimp have a little line of…” he paused looking for the word, then said, doo doo across their backs?” He ran his finger along the shrimp.

マイケルは海老をつまみ上げて私に尋ねました。
「バーニー、これって本当のことなのかな・・海老のこのラインが・・」
彼は言葉を探すように一瞬ためらったあと、海老の背ワタのラインを指でなぞってこう言いました。
「この背中のラインって、海老のうんちなの?」


バーニーは大爆笑したあと、「本当だよマイケル、でも君のシェフは握る前にきちんと下処理をしてるから安心していいよ」と言ったらしいですww (P51)

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出たよ、DooDoo!!!

ああ、買ってよかったこの本!\(^o^)/(そこ?)

こんな風にマイケルがお寿司好きでなかったら、彼がいつでも食べられるようにって、お寿司をセットしているわけないですものね。
いつも海老を食べるのビビッていたのかKing!!かわいすぎるぞもう!(´∀`)


この章には、マイケルの運転が一体どのようなものであったか、なんて記述もあって。
ご多分に漏れず、バーニーもマイケルは「いいドライバーとは言えない」と評していてw
マイケルは、顎がハンドルの上に乗るぐらいにシートを一番前にセットして、ハンドルを午前10時と午後2時の位置できっちり握り(教習所で教えられますよねw)、ひじょーにゆっくりと走らせるのだけど、絶えずブレーキを踏んじゃ加速、すぐブレーキといった感じで、まっすぐの道でもよろよろ曲がっちゃ持ち直し、の連続で、一番恐ろしいのは運転中も会話をしたがって、ついついバーニーの方を向いて話す・・とかw

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右よし、左よし!


こわーいww
でもかわいいーww
乗りたくないー、けど乗りたいーw
マイケルはSpeed Demonのイメージや、ランチの中のゴーカートでやたらめったらスピード出すって聞いていたから、結構スピード狂だと思っていたけれど、さすがにカートじゃなくて実際の運転にはブレーキしょっちゅう踏むって慎重すぎるじゃんねw
顎がハンドルに乗りそうなぐらい前に出て・・正しいハンドルの握り方をして・・ちょっと走ってすぐブレーキ・・ウケるし萌える~^^


もう一つお寿司エピソードがあるのですが、ここでマイケルは間違いなくお寿司のツウぶりを発揮します。
また長い記事になりそうw

なので

まさかの続く!\(^o^)/

Michael and Joe そして父を想う

アテンション、プリーズ!\(^o^)/
今回はもう「続き」とかしませんでしたけれど、んもう、いつにも増してそれはそれはダラダラと長いっすw
忙しい時や余裕のない時はお読みにならないことをお奨めします、いやほんま。
怖いもの見たさのさらに暇で暇でしかたなかったの♪という場合のみ、読み進めていただけたら嬉しいです^^



前回、前々回の私事記事に沢山の「拍手」とコメントをありがとうございました。
前にも書きましたが、FC2拍手コメントで非表示コメントをくださった方々には、お返事ができなくて大変申し訳ありませんでした(/_;)
全部きちんと読まさせていただきました。
大変力づけられましたし、嬉しくありがたく思っています。
本当にありがとうございましたm(__)m



おかげさまでもうすぐ49日。
短いようで、遠い遠い昔のようで、現実なのにどこか夢のようで、いまだに父は入院でもしているかのように感じる時があります。
しょっちゅう怒っていた父ですが、遺影ではいつ見ても優しく笑っているので調子が狂いますw

父は本当にきっぱりと決めて想いを残すことなく旅立ったようで、あれから一度も、家族の誰の枕元にもやってきません。
でもそれでいいとわたしは思っていて。
変にわたしの枕元に立たれて「akimよ・・わしはほんまはなぁ・・」みたいなこと言われた日にゃもうどうしていいやらわかりませんからw


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父のために自分の仕事も都合も旦那も(笑)何もかも投げうって、ひたすら父を中心に、父のことだけ考えた半年でしたが、それができたことは娘としては本当に幸せだったと感じています。
どれだけそばにいてあげたくても、なにくれとなく看護してあげたくても、独立して自分の人生を生きるような年代になれば、自分自身の家族の都合や距離やいろいろな諸事情で、どうしてもそれはかなわないという人がほとんどだと思うから。


もう父の薬のために病院へ行くこともなく、時間を気にして父の元へ通うこともなく、不慣れな痰吸引や点滴の着脱などの処置にあたふたしたり、不手際ゆえ怒られて辛い気持ちになることもなく、ああだこうだと時たま理不尽にも思えるじいさんの要求に必死で駆けずり回ることもなく、さまざまな電話連絡や訪問に対処することもなく、母からの電話にびくびくすることもない・・
ある意味、そんな非日常は、この世で「おとうさん」と呼べるたったひとりの存在を失うことで終わりをつげ、わたしに日常がかえってきました。

以前の日常と少し違うのは、淋しさというおまけがついたことですね。


でもそれもいつしか、その淋しさも込みの日常となっていくのでしょう。
人は誰でも、遅かれ早かれ、立場は様々でしょうけれど、当たり前のようにそこにいてくれた存在を失う痛みを味わうことが宿命。
それも織り込み済みの人生なのですものね。

マイケルを想うのと同じように。



わたしと父との確執は、というか父はどう思っていたかわかりませんが、わたしは父が苦手で嫌いで、できるだけ近づかないようにしていたほどだったのですが、幸いなことにわたしの主人がそれはそれはできた人で(笑)
わたしのかわりに父と沢山おしゃべりしてくれて、一緒に出掛けてくれて、旅行も連れてってくれて、お酒もつきあってくれて、趣味も共有してくれて、父は本当の息子のように彼を信頼し大切に思って、要は大好きだったと思うのですが、そういう人がいてくれたおかげで父に淋しい思いはさせずにすんでいました。
最期の日々によく父はわたしに、「お前の一番の功績は、あの旦那をつかまえたことだ」と言っていましたからw

そう
そうよね
本当は娘であるわたしがすることだよね
でもわたしにはできないよ
しょうがないんだよ
できないんだもん

心の中でそうつぶやいていました。
わたしはどうしても父とそんな風に接することができなかったから。


わたしは父に甘えたことがなく、父も甘えさせてはくれず、いつしか大人になる頃にはたまに父が優しい言葉をわたしにかけても、「今さら」と素直に受け取れず、それどころかその優しい言葉も胡散臭くさえ思えて拒絶するありさまでした。

子どもだった頃、父にとても迷惑をかけたことがあり、わたしはさんざん父からお説教されたのですが、最後に父に抱きついて泣いて許しを乞おうとしたのですが、その時父に簡単に突き返されたことがありました。
それが決定打だったように思います。



あたし

おとうさんに嫌われてるんだな



という。

求めても得ることがかなわないものは、あきらめて、そうしていつしかそれ自体を拒絶する。
そんな感じだったように思います。

まだ若い父が笑顔で赤ちゃんのわたしを抱いているものと、3歳のわたしと父がどじょうすくいの真似をしている(海苔のちょび髭をふたりともつけてw)写真。
この2枚の写真だけが「父に可愛がられた」と思える唯一のものでした。
抱っこされたことも二人で踊ったことも覚えていませんでしたけれど。

マイケルがオックスフォードスピーチで語った言葉。
マイケルが「カーニバルでポニーに乗せてくれるために自分を抱き上げてくれたこと」と「大好きだったドーナツをこっそり買ってきてくれたこと」のたったふたつの出来事を、父であるジョーと自分を親子として繋ぐ数少ない「良い思い出」として挙げていることが、どうしたって自分とかぶりました。

ジョーが幼い自分に「あの契約書にサインしたのか?」などと言わず、「今日は映画にでも行くか?」と言ってくれさえすれば、父と自分はもっと違う関係になれたのに、というマイケルの言葉は、そっくりそのままわたしにもいえる言葉でした。

「おまえのここが至らない」とか「お父さんの子なのにどうしてこんなことができない」とお説教されることよりも、泣いて抱きついたわたしを受け止めてくれさえすればよかったのに、と。



前回も書きましたが、父が自分で旅立つことを決めて「さよなら」をわたしに告げた時に、父はわたしの頭を「いいこいいこ」するように撫でてくれました。

わたしはその瞬間に小さな子供にかえっていました。
何十年もの間、ほしくてほしくて、でもどうしてももらえないと思っていたものをついに手に入れたような気がして。
わたしの中の小さな女の子がわんわん泣きながら叫んでいました。



わたしはおとうさんにこうしてほしかったんだよー
ずっとずっとずーっと

ただこうやって

いいこだいいこだって

かわいがってもらいたかっただけだったんだよー




わたしの中で叫んだ小さなわたし。

マイケルが話した言葉。

But it all begins with forgiveness, because to heal the world, we first have to heal ourselves.
And to heal the kids, we first have to heal the child within, each and every one of us.
As an adult, and as a parent, I realize that I cannot be a whole human being, nor a parent capable of unconditional love, until I put to rest the ghosts of my own childhood.

すべては赦すことから始まります。なぜなら世界を癒すためには、まずはじめに自分自身を癒さなければならないからです。
そして子どもたちを癒すためには、まず私たち一人一人が、自身の内なる子供を癒さなければなりません。
大人として、そして親として・・私は自分の幼少時代の幻影に終止符をうつまでは、調和のとれた人間にも無償の愛を与えることのできる親にもなれないと悟ったのです。


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マイケルの言う内なる子供とは、わたしの中にも存在した、「傷ついた幼い自分の心」のことだったのかもしれません。
その心は、父親と離れさえすれば癒されるというものではありませんでした。
マイケルのスピーチに心を動かされたことで、父を責める事に支配される人生をやめて、そうとしか接することができなかった父を認め、受け入れ、赦そうと決めたからこそ、わたしは父親と向き合う覚悟ができきました。
がっつり向き合ったからこそ、幼いわたしを傷つけた(父は何の自覚もなかったと思いますが)、まさにその人の手で、その傷ついた小さな子供は癒されたのでした。
もしも父を拒絶してそこから逃げていたなら、今わたしは結局相容れなかった父を思ってきっと後悔していたでしょう。
さらに、もうどうやっても癒されることのない小さな心は、相変わらず苦しんだままだったかもしれません。


この話を友人にしたところ、彼はこう言ってくれました。
「akimちゃんがずっとそうして欲しかったんと同じように、おとうちゃんもずーっとakimちゃんにそうしたかったんやなぁ」


おとうちゃんも、ずーっとそうしたかったんやなぁ



そうかもしれないと思える自分がいました。


いちいち未熟なところばかり目立つ娘に、先行きを心配するあまりつい小言ばかり口を突いて出てまう
でも外人じゃあるまいし、なんかあると抱きしめるなんちゅー恥ずかしい事できるかい

・・みたいなw
昭和一桁の人でしたから・・。


父との雪解け、つまりわたしの中の内なる子供の心が癒された結果、愛された赤ん坊だった時に純粋に感じていたであろう父親に対する掛け値なしの信頼と愛情というものを、大人になってしまった自分が本当に心から実感できたというこの奇跡にも似た経験は、父の死が刻々と迫る最後の日々という「非日常」の中だったから得られたのかもしれないと思います。
それはとても残念ではあるけれど。


でもこのことはよほどわたしの精神に影響を及ぼしたようで、先日前述の友人夫妻の紹介で110本のカラーボトルの中から直感で4本を選び、それをもとに自分の性格、心理状態、才能、未来の可能性などを知ることができるという「オーラソーマ」と呼ばれるカラーセラピーを受けに行ったのですが。
和歌山にあるサロン(オーラソーマサロン・ダルカマーヤ)で、とても綺麗なセラピストさんでした^^

そこで直感でわたしが選んだカラーボトルから読み解かれたメッセージは、ちょっと驚くものでした。
もちろんセラピストの方とは初対面ですし、事前にいちいち「えっと~あたし最近父を亡くしまして~長い間仲が良くなかったんですけど~」みたいな話などするわけもなく、生年月日を答えたらすぐに「ではボトルをお選び下さいね」で始まったわけで。

セラピストさんの口からこぼれる癒しのお言葉の中に、「インナーチャイルドを癒す」というのがあって。
どっひー!まさにわたしの中で、それ旬なんですけど!みたいなw
わたしがそのメッセージを表しているボトルを選んだようなのですね。

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サロンのHPに載っていましたw わたしの選んだボトル^^


ご自分や周囲を赦し、受け入れたことで大きな浄化が起こり、あなたのインナーチャイルドが癒されています。
"あなたはすべてのものに護られている"とボトルがメッセージをくれています。
大きな変化を楽しみ、沢山の喜びを感じることで新しく生まれ変わります。
自己価値を信頼し、あるがままに自分を愛してあげてください」
とセラピストさんにリーディングしていただきました。

父からはお説教や小言、叱られることが多かったわたしは、父から愛されていないと思い込み、それが大きな要因だったのかもしれませんが、長い間、自分に自信が持てない人間でもありました。
人から認められたい、好かれたい、優しくされたい、愛されたいと願いながら、少しでも好意的な言葉をかけられるとどぎまぎしてあたふたして、「ひー、そんな、あたしなんか、とんでもございません!」と全力で否定することに精力を注ぎ、かと思えば自分に否定的なジャッジが下される事を極端に怖がり、少しでもそんな気配がありそうな人には絶対に近寄らない、無意味なプライドの高さだけはいっちょまえという、何とも面倒くさいやつでした。

自己価値を信頼する・・

まさに自分に欠けていた要素。

それが、あの時父が「いいこいいこ」と頭をなでた瞬間、「わたしがわたしのままでも父は愛してくれていたのだ」と実感できたことで、父のみならず自分自身をも赦すことができ、「価値のない自分」から「愛されるに値する自分」をようやく受け入れることができたのではないかと。

セッションの途中なのに、泣き虫のわたしの目からぼたぼたと涙がこぼれました。
そして言わずにはいられなくなり、優しいセラピストさんにそこでようやく、父のことを話しました。
そして自分が父への接し方を改めようとしたきっかけとなった、マイケルのスピーチを話したところ、ドン引きもせず彼女は真摯に耳を傾けてくださって、「マイケル、素晴らしい方ですね」と。

そうなんです
マイケルのおかげなんです


It all begins with forgiveness, because to heal the world, we first have to heal ourselves.
And to heal the kids, we first have to heal the child within, each and every one of us.

すべては赦すことから始まります。なぜなら世界を癒すためには、まずはじめに自分自身を癒さなければならないからです。
そして子どもたちを癒すためには、まず私たち一人一人が、自身の内なる子供を癒さなければなりません。



今自分の心が驚くほど静かで、湖畔の凪ぎのように平穏な理由は、父との何十年にもわたる確執が浄化されたことにほかならず、その恩恵は心から父を誇らしく思え、彼の全てを懐かしく恋しく思うことができて、そして他者からの好意を素直に受け入れて感謝することができ、今まで以上に何気ない日常を慈しめるようになり、そうしてほんのちょっぴり自分のことが好きになったことでしょうか・・。




スピーチの中でおとうさんが欲しいから父を赦したいと語ったマイケルですが、実際には頭ではそうしたいと願って、いえそうしたはずだったでしょうけれど、スピーチから1年後の2002年に収録された忌まわしいバシールのインタビューではまだジョーへのわだかまりを感じていたようです。


He didn't allow us to call him ‘Daddy’ and I wanted to call him 'Daddy' so bad.
He said "I’m not Daddy I'm Joseph to you!"
And I totally forgive him for all of it, you know, you have to・・but・・
I don’t allow my children to call me 'Michael'. I say "I’m Daddy!"
It’s just the opposite.

父は僕らが「ダディ」と呼ぶのを許さなかったけど、僕は「ダディ」って呼びたかったんだ・・すごく。
彼は言ったよ「お前たちにとってわたしはダディじゃない。ジョセフだ!」って。
まあ、知ってのとおり、僕はおおむね彼のそういう多くのことは赦してる。・・そうしなきゃ・・でも・・
僕は自分の子供たちが僕のことを「マイケル」なんて呼ぶのは許さないよ。「僕はダディだ!」って言う。
父とは全く正反対だよ。


(Living with Michael Jacksonより)



ご自身が親となり、愛する子供たちと日々を過ごしてなお消えない父への反発心と哀しみ。
このインタビュー番組(2003年2月)の2か月後に放送された、マイケル自らナビゲーションを務めた「Michael Jackson's Private Home Movies」では、1991年に撮影されたジョーのためのJoe Jackson Dayの様子を流し、ジョーが映ると

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The guy who taught me everything on stage.
ステージ上のあらゆることを教えてくれた人だ


と笑顔で語り、チンパンジーと一緒に座るジョーが映ると


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See, my father loves animals.
I think that's where I get my love for animals from.
見て、僕の父は動物が大好きなんだ
僕の動物好きは父から受け継いだんだと思うね


と穏やかに語ってみせるマイケルですが。
(via YouTube 「Michael Jackson's Private Home Movies Part 6」

父が元気な頃、父と似ているなんて言われるのが一番嫌だったわたしからすれば、わだかまりがあればとても言えないセリフです。
でも、マイケル・ジャクソンとしては、ここは穏やかに父とのいい関係性をアピールしたかったのかどうか・・。

人間マイケルとしては、ジョーとの問題はそう簡単には解決できなかったかもしれず、もしもそうならば、わたしだけではなく沢山の方がそんなやっぱり聖人君子的ではない人間臭いマイケルに、さらなる親しみと共感を感じてしまうところではないでしょうか。

でも最終的にはたしてマイケルが本当にジョーを赦すことができ、自らの内なる子供を癒すことができたのかどうか。

それはわたしなんかには到底わかるはずもないわけですが・・


ただ人はなかなか普段通りの日常の中では、たとえ家族といえど、いえ、家族だからこそあらたまってその関係性を見つめなおしたり、熟考したりすることは難しいのではないかと思います。
逆を言えば先に書いたとおり、「非日常」の中でなら、自分の気持ちが180度変わるような大どんでん返しもありうると。
普段頼りないお父さんが、台風とかの停電時に頼もしく家族を守ったことで見直した、みたいな事をよく聞きますものね。


マイケルでいうと、2005年の裁判。
これは本当に彼にとっては必然でもなんでもなく、人生の中で最も無駄で馬鹿馬鹿しくおぞましい出来事でしたが、その期間中、出廷時にジョーと一緒に歩くマイケルの姿は何枚も写真に撮られていますね。
そこにあるマイケルの笑顔。
心身ともに疲弊する毎日の中でジョーと一緒に並んで歩く彼は、心からジョーを頼もしく思い信頼し、そして安心しているように見えたりもします。

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2004年に始まった予審のさなかの8月30日、マイケルの46歳のお誕生日を祝おうと(表向きはエホバの信者であるママや長姉リビーの手前、単なるファミリーデイとしての集まり)家族が集まります。
苦難を背負いながらそれでも毅然と戦うマイケルに、つかの間のリラックスと家族がそばにいる安心感を与えるためのディナーでした。

この時のことを、姉ラトーヤが自身の著作(Starting Over)で綴っているのですが。

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ここからはちょっと脱線します。
はなはだこの本は賛否両論評価が分かれ、といいますか、ジャメインもそうですが家族の書いたものは必ず賛否が分かれるのです。
特にジョー・ラトーヤ・ジャメインのものは、批判が多い。
かつてマイケルを少なからず傷つけた、とされる過去を持っている3人だからでしょう。

わたしはマイケルが大好きですから、もちろんマイケル側で物事を見がちです。
マイケルを中心に考えれば、家族は誰であっても脇役でしかないと感じてしまいがちです。
ですが、ジョーにしてもラトーヤにしても、ジャメインにしても、彼らの立場になって考えると、主役はあくまで自分であって、確かにマイケルは自分の人生に多大な影響を及ぼしたかもしれないけれど、いくらマイケルといえども彼ら自身からすれば脇役の一人です。
彼らは彼らの人生を生きているのですから、マイケル自身の身になって考えるというより、あくまでラトーヤ達の目に映ったマイケルですし、ラトーヤ達の思うマイケルの心情です。
マイケルがこう言った、ああ言った、それは確かにそうかもしれず、でもその時のマイケルの本心はどうだったかはマイケルにしかわからないことです。
ですが、家族に限らずマイケルとの思い出を語る人は皆、「~と彼は思っていただろう」という、自分好みの主観を書きます。
彼らからすればそれはあたりまえの描写です。
そこが、マイケル中心のファンの気持ちを逆なでる場合もあり、賛同できない部分として批判の的となる時もあるのですね。

でもわたしは以前にも書きましたが、そういうストーリーは書き手や話し手の主観に基づくという大前提でいつも見ているので、それらの膨大な情報に気持ちを引っ張られることはないのです。
そういう見方もあるのだなとか、そういう事があったのだなという、どこか歴史書や伝記を読むのに似ています。

例えば、織田信長中心で書かれた記述は、明智光秀寄りの人たちにすれば反論したいことが山ほどあるでしょうし、逆もしかりでしょう。
わたしごとで言えば、わたしは今回このように父との事を、わたしの視点で書いていますが、父からすればまた違う意見があったであろうと思うのです。
そういう意味では、一つの物事を多角的な視点から見るという、時には冷静な見方も自分には必要だと思っているのですね。


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ずいぶん脱線してしまいましたが、そういうわけで、Amazonのラトーヤ本のレビューは辛口が多く、「本当は星なんかつけたくないんだけど」的な人が結構いらっしゃって。
その中に「くだらない。あなたのお金を使うことはないわ。沢山のタブロイドの焼き直しよ」というレビューを書いた方が、お金を払わずにいいように(笑)チャプターごとにどんなことが書かれているかをかいつまんで紹介してくれています(苦笑)
そこに、「あれ?・・やっぱりひょっとして・・」という記述があったので、それをご紹介します。

Chapter 29: The Trial of a Lifetime
(中略)
August 2004 family get together for Michael's birthday. First time Latoya saw Michael since pretrial in January.
Michael calls Joe to sit next to him, Latoya says Joe was a special force of power for Michael and Michael felt Joe protected him.
2004年8月 マイケルのお誕生日に家族は集まります。ラトーヤがマイケルに会うのは1月の予審以来でした。
マイケルは自分の隣に座るようにジョーを呼びます。ラトーヤは、マイケルにとってジョーは、自分の中の力の元となる特別な存在だったと言います。そしてマイケルはジョーに護られていると感じていたとも。

(引用終わり)http://www.amazon.com/gp/cdp/member-reviews/AKTKUZ1SQ4KI8?ie=UTF8&display=public&page=2&sort_by=MostRecentReview


マイケルがその時ジョーをどのように思っていたか、どう感じていたかは、あくまでラトーヤの主観でしょうけれど、そんな風にみてとれたということは、少なからずマイケルはジョーにおびえていたかつての彼ではなかったのではないでしょうか。
マイケルが自分の隣に座ってとジョーを呼ぶ・・
自分がジョーの隣に行くならまだしも、隣に座ってもらうために声をかける・・積極的ですマイケル!
これがラトーヤの見た幻でなければ(笑)、彼らの確執を知る人たちの目にはどれだけすてきな瞬間にうつったでしょうか。


ジョセフ!こっちこっち!僕の隣に座ってよ!


・・とか?w
Michael calls Joe to sit next to him
たった1行のこの記述が、わたしをあたたかい気持ちにさせてくれました。
(この本・・買っちゃおうかな・・ここんとこの詳細見たいしなー・・でも全文英語って絶対吐くよな~w
とかいって全然違ってたらどうしょう、本当にラトーヤの幻覚だったらどうしょうw)


このようなことがあっての、翌年の裁判中のマイケルとジョーだったのなら、ジョーに向けたマイケルの笑顔は、やはり本物であったのではないかと思えますし、わたしとしては、裁判という「非日常」の中でマイケルもジョーを父親として、頭だけではなく心から受け入れることができたと思いたいのです。

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少なくとも、彼から多くの人が離れたあの裁判中に(ファンは別)、ジョーもラトーヤもジャメインも、マイケルを支えようと常にそばにいたことは事実。
過去にいろいろあったかもしれないけれど、マイケルの生涯で一番最悪なその時に、そばにいて励ましてくれる兄や姉、そして特に父を、丸ごと心から赦し受け入れたとしても不思議ではなく。

辛い時期であったけれど、その中で数少ない「得るもの」があったとするならば、そのうちのひとつに自分を護ろうとする「おとうさん」の愛情が本物だと感じることが、できていたことを願わずにはいられず。


長い間寂しかったわたしの中の小さなわたしがようやく癒された、そのきっかけを作ってくれたマイケルご自身も、いえ、わたしだけではなく沢山の人がきっと救われたり学べたり幸せを感じたりしたであろう珠玉の言葉を贈ってくれたマイケルこそ、彼の内なる子供がどこかできちんと癒されていますようにと、心から祈らずにはいられないのです。


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今頃父もマイケルも

勝手なこと言って・・と苦笑いしているでしょうか


もううんざりするほど長くて、しかも今回もどことなく湿っぽくなっちゃって
ホントすみませんw

ここまで我慢して読んでくださった方に今日も感謝を^^


わたくしごととMJオックスフォードスピーチ

更新が滞っているにもかかわらず、ここを訪れてくださる奇特な方がたに心からお礼を申し上げます。

大好きなマイケルのお誕生日をお祝いする集まりにも行けず
こちらを更新することもできず

たるんどる!


はい、おっしゃる通りで(/_;)



今わたしは仕事をStopして
抗がん剤を中止した父親の在宅看護に明け暮れています。
GW明けにステージ4の肺ガンが発覚し、一時は治療に踏み切りましたが
副作用とその効果を秤にかけた結果、1クール終わった段階で彼が自身で治療の中止を決断。
自宅で過ごすことを選択したのは7月の終わりでした。


長期の入院と副作用の影響で食欲をなくし、さらにがんが食道を圧迫していることによる誤嚥により
通常の食事を摂れない父はわたしと同じくらいの体重になりました。

訪問看護師さんと定期的に往診して下さるお医者様と介護サービスを駆使しながら
何が彼にとって本当にいいのだろうと自問自答しながら
このブログ同様へたれのわたしにとっては、あまりに重すぎるテーマの中、日々を過ごしています。


わたしは父とながらく、ていうかずーっとそりが合わず
マイケルの訃報でさめざめと喫茶店で泣くわたしを見た母が(この母親がわたしにマイケルのOff The Wallをプレゼントしてくれたのですがねw)「きっとあんた、お父さんの時はそんなに泣いてあげられないわね」と当時は冗談で苦笑しつつ言ったぐらいでw

わたしも「おそらく」とか思ったものです(ひどw)


幼少時から厳しかった父でした。
彼から十分に愛情を感じることができなかったわたしは、父を嫌悪し背き反発することでバランスを取っていました。
思春期どころか「ええ年の大人」になってもわたしは父を避けていましたし、理解するとか受け入れるとか赦すとかありえないぐらい距離を置いていたわけなのですが

マイケルがわたしを変えました。


マイケルのオックスフォードのスピーチが。


マイケルが父、ジョーへの確執と葛藤しながら彼が出した答え。
それは

Forgiveness 赦すこと


父親が自分に向き合ってくれなかった
愛情を示してくれなかった
満たしてくれなかった
などという「してくれなかった」事に占められた過去の(子供時代の)幻影にとらわれる事に終止符を打ち、わずかでも「してくれた」事に目を向け、親を非難したり憎んだりすることをやめ、赦してはじめて自分が本当の意味で癒されるのだと。

赦すとは、「してくれなかった」親の罪(それを罪と呼ぶのなら)を忘れるというよりも、そうとしかできなかった親を受け入れ、認める事だとわたしは解釈します。

マイケルはたった一人しかいない「お父さん」と新たな関係を築きたいから赦すのだと言いました。


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あーすだれ状態の髪の毛をかきわけてあげたいw

このスピーチの草稿をマイケルと共に作成したスピーチライターでありジャーナリストでもあるJonathan Margolisが興味深い記事を書いています。
ジョーは、マイケルたちがいいステージをした時の感想を「まあまあ」と言い、そうでなければ何も言わなかった、というくだり部分を作成していた時、胸ポケットにミッキーマウスのついた、ストライプのグレーのパジャマ姿のマイケルは、はじめは「そうでない時はひどかったと言った」と言っていたのですが、あとから「そこは僕が間違ってた。父さんはひどかったなんて言ったことはない。何も言わなかったんだ、そういう時は。ここでは正直にならなくちゃいけない」」と涙ぐんだとありました。
そしてスピーチ当日、大学へ向かう車の中でマイケルはジョーに電話をします。

「もしもしジョセフ?」
父さんと呼ばせなかったジョー。

ですがこの記事の内容が嘘でなければ、マイケルは「お父さん」を心の中で取り戻したのです。

It's me, Michael. I'm in London.
I'm OK, I've broken my foot and it hurts a lot, but I wanted you to know.
I'm on my way to Oxford University to make a speech, and you're mentioned in it.
...no, no, don't worry, it's very positive. . sure.
How are you keeping? Uh-huh. . .sure, of course I will.
I love you, Dad, bye.

僕だよ。マイケルだ。ロンドンにいるんだよ。
僕は元気だよ。足を骨折して、すごく痛むけど、でも知っていて欲しいことがあるんだ。
僕は講演をするためにオックスフォード大に向かっている途中なんだ、それでその中であなたについて触れるんだ。
いや、違うよ。心配しないで、とてもポジティヴな内容だから・・本当だよ。
元気にしてた?そう・・もちろんそうするよ。
愛してるよ、父さん。またね


電話を切って、マイケルは長い間窓の外を見つめていたそうです。
そして彼は「That's the first time I've ever, ever said that. I can't believe it. 今までで初めてだよ。あんなこと言ったことない。信じられないよ」と微笑んだそうです。


あんなこと


自分から近況報告をしたことなのか
父の体調を気遣ったことなのか


それとも



ジョセフではなく「父さん」と呼んだことなのか



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この記事はいずれきちんと紹介したいなぁと思っていたのですが、今はそれに取り組む時間と余裕がないので、詳しく知りたい方にリンクだけ貼らせていただきますね。
source:MY FRIEND MICHAEL; THE REAL MANCHILD BEHIND THE MASK/JONATHAN MARGOLIS


マイケルが自分の辛い子供時代の記憶の亡霊に長く苦しんで辿り着いた答えが、わたしの答えでもありました。
彼のスピーチをきちんと知ったのは、3年前。

その時にわたしは、自分の父親に抱いていた負の感情にとらわれることに終止符を打とうと決めました。
父を、父の生き方、父としての在り方すべてを
受け入れて認めて、赦そうと。


マイケルのおかげで

マイケルが教えてくれたから




わたしは今父親の看護をしているわけです。



もちろんわたしはマイケルでもマザーテレサでもありませんので
自分が相容れなかった、嫌いだった父の気質をプラスに変えるような高等テクニックなど持ち合わせていませんので
心の中で「てんめぇ~」とか「あー、やだやだ」とか思ってしまいますがw


ですが今わたしがここにこうしているのは間違いなく父と母のおかげ。

父が今感じているであろう辛さ、悲しさ、怖さ、悔しさ
それらを本当の意味で解ってあげられはしませんが、必ず旅立たねばならない道程
できるだけ彼が納得して穏やかに苦しまずに

それを見届けることが娘としてできる最低の孝行だと思って



そういうわけで更新はままならない日々が続くと思います。


でも心はいつもマイケルとともに^^



彼に導かれ助けられながら、この光の見えにくい暗闇の道を何とか歩ききろうと思います。

いよいよakimはブログやめおったかとお思いの方もいらっしゃるかと思いますが(笑)そんな中最後まで読んでくださってありがとうございます。


ありがとう みなさん

ありがとう マイケル



愛されたことを誇りに Paris's tweet

母の日にパリスちゃんは、母であるデビーが赤ちゃんの自分を抱いた写真をあげて、「Happy mother's day」というTweetをし、さらにこんなtweetを。

#iLoveMyMomBecause she gave my father love(: <3


わたしはお母さんを愛しています。だって彼女は私の父に愛をくれたから。


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涙が出そうになりました。
彼女は「母親」という存在をきちんと受け入れ認めている・・

物事の本質をきちんとわかっているのだなぁ・・


デビーがマイケルに差し出した「愛」は、かけがえのない子供たち。
彼にとって最高の贈り物。



She said you need to be a daddy.
She wanted to do that for me as a present.
Because I wanted children so badly.

彼女は「あなたはパパになる必要があるのよ」と言ったんだ
僕のためのプレゼントとして産みたいって
僕は本当に本当に子供が欲しかったから


Living with Michael Jacksonより



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TO PRINCE AND PARIS...
You give me the greatest joy I have ever known in my entire life.
I love you both from the bottom of my heart...now and forever...

プリンスとパリスへ・・
僕のこれまでの人生すべてで知りえた最も素晴らしい喜びを君たちは与えてくれた
ふたりを心の底から愛しているよ・・これからもずっと・・


INVINCIBLEクレジットより


パリスちゃんは、時には両親のことで心無い言葉をネット上で見たり、時には直接投げられたりしているでしょうけれど、決して世間が思うようにはそのことで傷ついたりしないのだと。

なぜなら、彼女は知っているから。


自分たちはパパに望まれて望まれて生まれてきたことを
そして生まれた日からずっとずっとパパに愛されてきたことを


マイケルは子供たちが成長すれば、いやでも彼らの出生について、あるいは不在の母親について疑問に思ったりするだろうことはわかっていたでしょうが、無責任な人づてに、あるいはタブロイドから、もしくはネットの情報網から、間違った情報が彼らに伝わることを一番恐れ心配したのではないかと思うのです。
確かに未だに下衆な憶測は飛び交い、あろうことか生物学的な父親を名乗る輩は後を絶たず、つい最近もブランケットに関して恥ずかしげもなくタブロイドに語ったりしていましたね。

だからこそ、マイケルは折に触れ子供たちに、自分の言葉できちんと話していたのじゃないかと。

君たちのママはパパに愛をくれたんだよと
君たちという贈り物をね
パパは君たちがパパのもとにやって来てくれるのをとても望んでいたから
ママはそれをかなえてくれたんだよ

パパがどれほど嬉しかったかわかるかい?
パパがどれだけ君たちを愛しているかわかる?
君たちはパパの命そのものなんだよ
とても大切な宝物なんだ

心から愛しているよ
3人ともね
大好きだ



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こんな風に言ったかどうかはわかりませんが、少なくともママはいなくても、ママという存在がパパを愛して自分たちが生まれたのだと。
それをパパが心から望んでくれたのだと。
そして心から愛されているのだと。
自分は愛される価値があるのだと。


そう実感して育ったからこそ、あんなTweetができるのだと思うのです。
彼女は愛されて育ったことを誇りに思うからこそ、父であるマイケルの(おそらく)教えを大切にできたのだろうし、だからこそ母親という存在に対して決してネガティブな考えに傾かない強さを持てたのではないでしょうか。

マイケルのオックスフォードスピーチを思い出します。


どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです
髪の色が赤か茶色かを知る以 前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならな いのです

愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている 実感をもってこの世から去るなら、生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです


愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません
自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからです

Oxford Speech (2001)より抜粋・引用
全文はこちらからどうぞ



ご存じのとおり、このスピーチはここから愛情を実感できない子供と親の悲劇を語り、さらにはマイケル自身、親を本当の意味で赦すことで自分が癒され、初めて自分以外を癒すことができるのだという感動的なお話へ続くわけですが。

子供が親から、本当に必要とされ慈しまれ可愛がられて育つということが、そして自分がそのように愛される価値のある人間だと実感しながら育つということが、どれだけその人を優しく強くするかを、パリスちゃんのTweetが証明したかのようです。
マイケルがこれを、単なるお飾りのスピーチではなく、どれほど強い信念から一つ一つの言葉を紡いでいるかが、その信念のもとに育った彼女を通してあらためてよくわかったような気がします。



今年の1月から2月の間、3人の子供たちの専属家庭教師だったフィリピン人の女性が、素晴らしい父親だったマイケルの側面を伝えるために開設したブログがありました。
彼女は裁判以降、ネバーランドを離れたマイケルたちと共にバーレーン、アイルランド、ある時はフランスへ日本へと「旅」をしながら、寛容で思いやり深い雇い主(ボス)としてのマイケルや子供たちを心から慈しみ愛する父親としてのマイケルの思い出を綴ってくれていました。

ですが、何らかの事情があったのでしょう。
3月にはもうクローズされてしまってました(/_;)
記事のコピーなどとっていなかったため、もう二度と読めないなぁと残念に思っていたところ、最近そのブログのいくつかの記事を転載という形で残されているサイトを見つけましたので、そこからパパとしてのマイケルの記述を一部ご紹介しますね。

もちろんソースとしてそのサイトのリンクと、そしてもうなくなってしまってますが、家庭教師の方のもともとのURLもソースとして記載することにします。
思い出をシェアしてくださって本当に感謝^^

マイケルの3人の子供たちの専属教師である彼女はアイリーン。
ある時、マイケル一行たちより遅れて、彼女は憧れのフランス、シャルル・ド・ゴール空港に降り立ちます。
空港にはお迎えが来ていて、ステキなホテルへ。
子供たちのナニーであるグレース(ブログではミスG)に「ようこそフランスへ!」と出迎えられ、初めての花の都についに来たんだという期待と喜びで感無量^^
さて翌日、マイケルがお勉強室として用意してくれたスイートルームで子供たちに再会します。

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■Travels with Michael Jackson(マイケル・ジャクソンと旅をして)

"Any man can be a Father but it takes someone special to be a Dad."- Anne Geddes
どんな男性でも父親になれるが、誰かの特別なパパになるには時間がかかる アン・ゲデス
(有名な赤ちゃん写真家)

Me: "Good morning Mr. Jackson. Good morning PPB." おはようございます、ジャクソンさん。おはよう、プリンス、パリス、ブランケット

Mr. Jackson: "Good morning. I'm happy you're here with us. Do you like France?" おはよう。君が一緒にここにいるのを嬉しく思うよ。フランスは好きかい?

Me: "I haven't been around yet but so far YES I do. " まだ何も見ていないので・・でもおそらく「はい」とお答えするのにそうかからないと思います^^

Mr. Jackson: "You should go out and explore. This is a beautiful place." ぜひ探検しに出かけるべきだね。ここは美しい場所だよ。

Me: "I will. Thanks." はい、そうします。ありがとう。

Mr: Jackson: "So I will now leave you here and children behave okay. ?" それで・・と、今から僕はここから出ていくけど、子供たちはお行儀よくしていられる?

PPB: "Okay. Love you Daddy." 大丈夫だよ。パパ、大好き。

Mr: Jackson : "I love you more." パパはもっと大好きだよ。

PBB: "Miss you." 寂しいな。

Mr. Jackson : " I miss you more." パパだってもっと寂しいよ。


子供たちは彼をとても慕っていました。
彼はかけがえのない存在でしたし、子供たちが彼に愛情と尊敬を抱いていることはすぐにわかります。
パパのことを話すたびに彼らの目は輝くのです。

忙しいスケジュールにもかかわらず、ジャクソンさんは子供たちひとりひとりの事を気づかい、すべて必要な世話をしていました。
彼はとても実践的な父親-指図するだけではなく何でも一緒にやるお父さんでした。

子供たちと一緒に遊び、子供たちの食事の用意をし、彼らに本を読んであげて、一緒に映画を観て、一緒に買い物に行って・・実際のところ、子供たちの学校がない間はずっと一緒でした。

彼が子供たちをとても愛する素晴らしいパパだということは、わたしにはかなり明らかでした。
彼は何もなくても生きていけたでしょうが、子供たちなしではいられませんでした。
プリンス・パリス・ブランケットは彼の命でした。

彼が父親としてどのように素晴らしいか、などという質問は愚問のうちの一つです。


引用ここまで

source:http://www.travelswithmichaeljackson.com/blogs.html
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わたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。
自分を愛してくれる父親がほしかったんです。
父は愛情を示してくれたことがありませんでした。
目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。
肩車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。
でも、4歳のころ、小さなカーニ バルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。
それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、父は忘れてしまったことでしょう。
しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。
子どもとはそんなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。
わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。
たった一回の 経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。


Oxford Speech (2001)より抜粋・引用


子供たちを自分と同じような出口の見えない貧しい生活から救い出し、さらには彼らの才能を世間に知らしめ、日の当たる道を胸を張って歩かせることができるかもしれない唯一の方法・・それが父がマイケルたちに課したエンターテイメントでの成功という道でした。
そのために父は息子たちの「お父さん」であることよりも、彼らを芸に集中させ、訓練し、精進させるマネージャーとしての立場を選択しました。
貧しさからの決別と子供たちが貧しさゆえに道を外す可能性を絶つ、それは父の夢であるとともに父の使命でもあったのかもしれません。
「お父さん」でありながらそれを達成することは、不器用な彼にとっては不可能なことだったのかもしれません。

後にマイケルは前述したようにオックスフォードスピーチで、「お父さん」からの愛を心から欲しながら、結局かなわなかったつらく悲しい幼い頃の記憶の呪縛から、何とか自分を解き放とうとジョーと自分の関係を見つめなおし、「それでも彼は彼のやり方で自分を愛してくれたのだ」と気持ちに区切りをつけ、父を赦し、新しい関係を築いていこうとします。


だからこそ、マイケルはわが子たちには自分が感じた寂しさや孤独感、求めても与えられない虚しさなど絶対に感じさせたくなかったのでしょう。
いつも子供たちの目をまっすぐに見て「愛してるよ」と言ってあげたかったのでしょう。
抱き寄せて髪をなで、手をつないだり肩車をしたりして、慈しんであげたかったのでしょう。
家庭教師アイリーン嬢が彼を評して言ったHe was a very "hands-on" father、言葉だけではなく何でも一緒に経験する、実践する父親・・
「何がしたい?」と子供らに聞き、「映画に行こうか、それとも買い物に行きたいかい?」と彼らと一緒にどこへでも行き「本を読んであげよう、それとも外でウォーターバルーンファイト(水風船ゲーム)をしようか?」と一緒に遊び、本を読み聞かせ、たくさんおしゃべりをする・・

幼かった自分が「お父さん」にしてほしかったこと、言ってほしかったこと、それが彼にとって大きな意味を持つ幸せの種であったことを彼は経験で分かっていたから。
その種がすくすくと育つことが心に平穏をもたらすのだと、飢えたように何かを探し求めるような切ない気持ちには絶対にならないのだと。

だからマイケルは全身全霊で彼らを愛して守り続けたのだと。



子供たちはそんな風に彼らの大好きなDaddyから、(礼儀には厳しかったけれど)沢山の愛情を受けて育ったからこそ、自分たちが置かれた特別で普通じゃない立場や環境も、尊敬し、愛する父親であるマイケルの偉大さゆえの産物だと幼いながらも自分なりに理解し順応しようとしているのだと信じます。


パリスちゃんの母の日のTweetは、こんな風に思いを巡らすほどにわたしを感動させました。
彼女の真意はわかりませんし、もちろんまだ14歳、それなりの葛藤も悩みもあるはずでしょうが、マイケルが彼女たちを一生懸命愛して育てたことが、こんなつぶやきひとつから透けて見えたような気がして。

彼女が大好きなパパに愛されたことを誇りに思っている証に思えて。



思い入れと思い込みが千路に乱れるエントリーになりましたけれどw
そうであったらいいなという想いも込めて^^



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Paris
You are so sweet like Michael.
If your daddy read your tweet, he really would be proud of you.
I believe so...


ベースはギターの従兄弟なんだよ

マイケルの夢を見ました。
といってもご本人はそう簡単にお出ましにはなりませんよw


わたしはどこか屋上みたいなところから夕陽を見ていました。
薄い水色と薄い紫とオレンジと薄桃色が混ざったような色の空で、それはそれはきれいで。
同時に月が空の中に透けて見えていて。


誰かの声がして


「きれいだね。こんな空は好き?」


わたしは多分「うん」とか「はい」とかとにかくYES的な返事をしたのかな
そしたら姿の見えない声がまた


「太陽と月が交代するんだ」



「そのことを空が祝福しているみたいだね」



「だから朝焼けと夕焼けは美しいのかな」



朝起きてこのフレーズがはっきりと耳に。


なになになあに?ステキなセリフ~
なんだかすごくマイケルっぽい~
てか、これマイケルじゃね?
マイケルだよね?
よし、マイケルだってことで!\(^o^)/

と勝手に思ってうっとりんこw

でもがっつり日本語ww


夢ですから実際はわたしの脳内の妄想が勝手にこんな映像や言葉を生んだのでしょうけれど、我ながら詩的なセリフです。


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詩的といえば。

過去に書いたものですがポール・マッカートニーが言った言葉をすぐに思い出しました。

His advice to musicians are not technical but poetic.
Things like:
"When you take this note on the piano, do not be hard, play as if you had the most beautiful sunset in front of you.
You'll see it will sound totally different."


マイケルのミュージシャンへのアドバイスは技術的ではなく、詩的なんだ。
こんな感じだよ。
「ピアノでこの音符を弾くときは強く弾かないで、きみの目の前にとても美しい夕やけが広がっていると思って弾いてみて。
全く違うのがわかるから」



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そこはピアニッシモで、なんて言わないんだな^^


この過去記事でも書いてありますが、このようなマイケルの詩的な、あるいは映像や情景が思い浮かぶような表現をするアーティストは珍しいのかもしれませんね。
それは時にとても抒情的で繊細な表現と言いますか。

TIIでベアデンに指示をする、わたしの大好きな彼の表現。

Just bathe in the moonlight. You have to let it simmer a bit, you know?
月光を浴びて・・かすかにきらきら光る感じを出さなきゃ・・わかる?


Simmerは映画では「余韻」、この部分では「静寂が染み渡る」でしたよね。
それで全然いいのですが、わたしの大好きなUS在住のMJファンの方が、映画公開後すぐに「ここはこんなニュアンスのことを言っててね。Simmerを使う表現がとても彼らしい」と教えてくれて、それ以来このマイケルの表現が大好きで。

The way you make me feel の最初のとぅる~というコーラスが終わって、イントロが始まるまでの短い間(ま)。
コーラスが創りあげる情景が目に見えるよう。
雲一つない夜空にくっきりと浮かび上がる月。
長い影を落として歩いている一人の主人公。
コーラスが終わった後の静寂。
そこにはかすかに月の光を受けて輝く主人公しか存在しない・・


きらきら、きら・・


で、



ぱん!ぱん!ぱぱぱん!

て、わかります?(笑)
ここでも何拍おいて、じゃないのですね。

ベアデンがインタビューでこんなことも教えてくれていました。
(source:Movies Online_Michael Beardon Interview, This Is it)
マイケルらしいって印象に残った言葉はありますか?と聞かれて。

There were a lot of MJisms that we just “simmer,” “bathe in the moonlight,” “I’m sizzling.”
That is my favorite, “I’m sizzling.” I can’t think of it. There’s so many.
There’s so many and we would just talk.
There’s one moment in I Wanna Be Starting Something. You can see him talking to me.
“I don’t hear that [beat boxing].” And he would talk to me like that.
So one day he and I were in his room and he said, “Yeah, so you know that part? It needs to be louder.”
And he said, “You know, that’s like his cousin. It goes through the guitar and his cousin is there.
His cousin is running up right next to him. So you got to heavy him and then you have a cousin.”

He would talk to me like that. That’s a Michael Jacksonism.
Just regular, you know, nothing big, just something simple that everybody’s able to understand.

MJイズムは沢山あったよ、“simmer” “bathe in the moonlight” “I’m sizzling”このあたりが好きだね。 I'm sizzlingなんて考えたことないよ。沢山あったね。※SimmerとSizzlingに関する過去記事「Michael's sizzle」
沢山あったし、ちょうどそういう会話もしたよ。
Wanna Be Starting Somethingでそんな瞬間があった。(映画で)僕に話している彼を見れるよ。
「聞こえないよ、ここ(ドゥドゥドゥドゥンドゥドゥンとビートボックス)」こんな風に僕に言うところ。
※実際はI'm not feeling that part enough (このパートまだ物足りないな)

Its funkier


ある日彼の部屋に一緒にいて、彼が言ったんだ。
「そう、あのパートわかってる?あそこはもっと大きい音がほしいよ」 とね。
「(ベースは)ギターの従兄弟みたいなものなんだよ。わかるかな?ギターがいて、従兄弟がいて。
従兄弟はギターのすぐ隣に駆け寄ってくるんだ。だからギターをヘビーにすれば、自然に従兄弟もそうなるんだよ」

こんな風に言うんだよ。まさにマイケル・ジャクソンイズムさ。
ただ普通に、おおげさじゃなく、誰もがわかるようにシンプルに。

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ベースはギターの従兄弟!
ギターが走れば同じように従兄弟が駆け寄ってくる。
同じことを従兄弟はしたがるって感じ?
ギター兄ちゃんのまねっこしたがる従兄弟のベースくんってw
なんてかわいい表現するんだろう^^

実際映画ではその会話の後だったのかわかりませんが、おそらくそうじゃないかしら、ベアデンがちゃんと「駆け寄ってくる」という表現をしているのですよね。

MJ:It's funkier. I'm not feeling that part enough.
もっとファンキーに このパートまだ物足りないな

[BASS GUITAR Beat boxing]
BEARDEN: As in running next to him.
彼(ギター)の隣に走ってくるみたいに、だね
MJ: It's not there.
まだ来てないね

BEARDEN: Okay, it should be.
オーケー、そうしなきゃね
MJ: It should be. I know, it's all for love.
そのほうがいい わかるよね、もっとよくなるためだから

BEARDEN: It's coming there.
よくなるね
MJ: We'll get it there.
うまくいくよ




ここではマイケルのIt's all for loveがどどーんとクローズアップされてたので全く気が付かなかったw
英語わかる人ならとっくの昔に知っているやりとりってことかぁ。
うへ~今さら~でも面白い~ww
実はこんな裏話があった場面だったんですね^^


まぁとにかく、マイケルのこういった表現をベアデンはMJイズムというぐらいですから、本来はただベースの音をもっと大きくとかもっと強く、ていうことなんでしょうけれど、感覚的な表現をするという意味で、やっぱり彼は特別だったのでしょうね。

よく言われることですが、腕や指の組み方で右脳的か左脳的かがわかるといいますね。
血液型占いに近い感じで、そういわれればそうかなっていう感じではありますが、ことマイケルに関しては「はぁはぁ確かにね」なんて思ったのです。

指を組む(お祈りするように指を組む)だとか腕組みする時に、左右どちらの親指や腕が上になるかをみます。
指組みはその人の物事の捉え方を示し、腕組みは表現方法を表すとされているらしい。
例えば、指組みも腕組みも左親指、左腕が上になる人は、直感的に物事を捉え、感覚的に表現する人なんですって。
マイケルはこのパターンの人。


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左の親指が上~

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お行儀よく左の親指が上~

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麗しく左の親指が上~


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左腕が上~

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楽しそうに左腕が上~

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リラックスして左腕が上~

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真剣に左腕が上~



ちなみにわたしはどちらも右(/_;)

右親指+右腕:論理的に考え、文章などで伝える人
右親指+左腕:論理的に考え、映像や音など感覚的に伝える人
左親指+左腕:直感的に考え、イメージや音など感覚的に伝える人
左親指+右腕:直感的に考え、言葉で論理的に伝える人


面白いのは、こちらで「カラダ心理学」という記事を見つけたのですが、ここに書かれている腕組みの際、左腕が上になる人の特徴、というのがマイケルにぴったんこでw

一部だけ引用させていただきますとね。


相手に名前で呼びかけることが多く、言葉以上に、相槌やうなづきなどをうまく使います。感情表現が豊かで、基本的に相手の役に立ちたいと思っているので、自然、会話は盛り上がります。

会議や商談の場では、参加者の気持ちや状況の推移を注意深く見守っています。たとえ腕を組んでいても、相手の主張を出来る限り聞くようにつとめています。

会議や商談が全体的にうまくまとまるように、どのように自分の態度を効果的に作用させるべきかを考えています。その場に合わせて発言できるので、次第にその場をリードする存在になります。

親しみやすく、社交的な人が多く、「やさしい人ですね」と言われるとうれしいです。ただ、表面的な態度や言葉遣いがソフトであっても、自分の主張や意見には絶対的な自信を持っています。

話題がどうあれ、この場をまとめ、最後に主役になるのは自分だという強い自負を持っていたりします。

その場をうまくまとめたいがゆえに「ウソも方便」となることがあります。また自分の個人的な話には、驚くほど頑な態度を見せることがあります。

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うんうん

ね?ね?


もちろんわたしが知る限りの勝手なマイケル像ですから、実際はわかりませんけれどね^^

ちょっと脱線しましたが、マイケルが完璧に右脳型である=直感的に物事を捉え、感覚的に表現する人だというのは、あながち当たらずとも遠からずだなと。
彼は実際相当量の読書家で、読書から多くのことを学び、知性も教養も備えた人ですから、言葉を操ることが不得手とは思えないし、どちらかというと使い古されたような言葉たちであっても、彼の高い感性にかかるととたんに心に響く詩に姿を変えてしまう。

そういう意味では彼は本当は、右脳も左脳もバランスよく使うことができる全脳の人ともいえるかな。

だけれども、結局彼が小説家にならなかったのは、最終的にはイメージや映像的な表現を好む人であったからかもしれなくて、理論立てて文字や言葉で表現することよりも、目で見て耳で聞いて感情を呼び覚ませて心で感じてもらう方法、つまり歌とダンスで表現することを選んだのは必然だったのかしらとも思ったり。

そして誰でもが幼い子供の頃は、右脳が左脳よりも発達傾向にあるらしいのです。
確かに子供は、直感的に物事をとらえますし、それを表現するための言葉を豊富に使えないのだからおのずと感覚的な表現になりますよね。
論理立てるという技術がないのですから、いうなれば無意識の直感による発想とでもいいますか。

だからこそマイケルは子供の持つ創造性にインスピレーションを感じ、その感性を大切にしたのでしょう。
子供はたとえ歌詞がわからなくても、メロディやリズムなら理解できますし、子供が直感で受け入れるものは、しちめんどくさい評論家がしのごの理屈をつけて評価するよりも、きっといいものだと確信していたのでしょうね。

マイケルが使う表現がどことなく詩的なのは、感覚や感性が優先される右脳人間の特徴なのかもしれません。

でもそれだけではなくて、例えば「そこはピアニッシモで」とか「そこで3拍おいて」とかいう、ただ弱く弾くとか、ただ機械的に3カウントしたら音を出すとかいう無味乾燥な印象を受ける言葉ではなく、美しい夕陽を目の前にした静かな感動や、月の光のみが存在している静寂・・なんかを、相手にイメージさせることで、本来の技術にプラスアルファの力が引き出されることをわかっていたのでしょうね、きっと。


マイケルはずっとベースとギターは従兄弟のような間柄だって思ってたのかな?
どちらも弾けないけれどなんだか妙に納得してしまったw



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こんな風にマイケルのことを想ったりしているから

詩的なフレーズの声が聞こえたのかな



その人の姿は見えなかったけれど


あの声はきっと マイケル あなただって



えへへ


そう思えたら



ほらこんなに幸せ


Original Innovative Timeless マイケルが創りだしたもの

いきなりですがアテンションプリーズw
今日のお話は、んもういつも以上に長くて「いつ終わるんだ」とちゃぶ台ひっくり返しそうになりますよ^^
なのでお時間に余裕のない方は、また今度暇で暇で仕方ない時に来てくださったら嬉しいです。
念のため最初にお知らせしておきますねw
今日はヒマなの♪というお方はごゆっくりどぞー^^


フランシス・コッポラ監督の「ドラキュラ」(1992)でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞し、北京オリンピック(北京五輪)開会式の衣装なども手掛けたアートディレクターでありデザイナーでもある石岡瑛子さん。
彼女を初めて見たのは、お恥ずかしながら昨年のNHKの「プロフェッショナル」というドキュメンタリー番組ででした。
彼女はNYでのとてつもない製作費を投じられたミュージカル「スパイダーマン」のキャラクターや衣装をすべて任されていて、おそらく彼女の生き方にも通じるその妥協を許さない仕事っぷりとこだわりからは、アートに携わる人に共通する一種の頑固さや意志の強さを感じました。
現実的な問題に頭を使うより、いかに高みへたどりつくかにすべての感性と知力を使う彼女の横顔は、とても70歳を過ぎているとは思えず、まるで少女のように可憐で愛らしく、けれどもその眼には、気の遠くなるような経験を積んだ大人にしか持てない深みのある気品が満ちていたのでした。

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昨年の9月から病気療養中だったらしく、大変残念なことにこの1月にお亡くなりになられて、(ああ、それにしても尊い仕事を成し遂げた珠玉の才能の喪失が、ここのところ続いていて本当に残念でなりません(/_;))追悼としてその番組「時代を超えろ、革命を起こせ デザイナー・石岡瑛子」の回が再放送され、録画してたのに長い間見ることができなかったのですが、ようやくじっくり鑑賞することができました。

おそらく誰しもが強く印象に残ったであろう、彼女が決して譲らないみっつの流儀。

Original
Revolutionary
Timeless

「誰にもまねできない、革命的な、時代を超える」デザインを生み出したい、そんな仕事がしたい、と広告の仕事から40代で渡米して映画美術の世界へ飛び込み、30年以上このキーワードをいつも念頭に置いてクリエイトする彼女の姿。


誰にもまねできない
革命的な
時代を超える


模倣ではなく、先駆者で、それまでの常識やありかたを、そっくりそのままひっくり返すような斬新さを持ちつつ、いっときの流行などではなく、ましてや古さなど感じることなく、何年たっても何百年経っても受け入れられるような



なにかを




創造者は夢見て求めて、そこにありったけの情熱をかたむけるのですね。

彼女の番組を見終わる頃には、そう、完全にわたしたちのマイケルも同じことを常に追い求め続けていたなぁと想いを馳せていました。


マイケルが「Thriller」を、「聴く」楽しさに加えて「見せる(魅せる)」要素を重視し、歌唱シーンをメインにするのではなく、ミュージックビデオにストーリー性をもたせたことで、短編映画(Short Film)としても楽しめるエンターテイメント作品に仕上げたことは、まさにそれまでのただ歌っている場面、演奏している場面だけのミュージックビデオの概念をひっくり返したということで、まさに革命的であったと言えるでしょう。

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でも彼がインタビューなどでよく使っていた言葉は、innovator。

To be an innovator
革新者であれ

革命が既存の概念をひっくり返すような、全く違うものを作る事ならば、革新は、今あるものをもっといいものに新しく改良すること。

今あるものの、さらなる高みを、さらなる向上を、もっと新しく、もっと面白く、Greatのその先へ。


INVINCIBLE制作におけるサウンドについて(2001 Online-audio-chat

Ummm, yes. Yes. I remember having the guys go back in and create more innovative...
'Cause we don't... um, this is our thing, we don't, uh, a lot of sounds on the album that aren't sounds from keyboards, uh, that are, you know, pretty much programmed into the machines.
We go out and make our own sounds.
We hit on things, we beat on things, so nobody can duplicate what we do.
We make them with our own hands, we find things and we create things.
And uh, that's the most important thing to me, to be a pioneer.
To be an innovator.

うーん・・そう、そうだね。(スタッフの)みんなに戻ってもっと革新的なものを作らせようとしたのを覚えているよ。
なぜなら、僕らはそうしないんだ・・僕らのやり方の話だけど、アルバム(INVINCIBLE)の音の多くは、キーボードから出した音ではなくて、ほらご存じのとおり、(最近は)ほとんど機械でプログラムされているでしょう?
(マシンが創る音ではなく)僕らは外に出て、自分たちの音を作るんだよ。
物を叩いたり、打ったりしてね、だから僕らがそうして作った音は誰も再現することはできないのさ。
僕らは自分たちの手で音を作って、探し出して、創造する。
それが、僕にとって一番大切なことなんだ、パイオニアであることが。
革新者であることがね。


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同じインタビューで、アルバムを頻繁に出さない結果、聴衆が離れるということを不安に思うかと聞かれて

I'm, I'm ... No, the answer to your question is that has never concerned me once and I've never thought of it.
Because I've always known if music is truly great or if a movie is truly great, people want to see it or hear it.
No matter where you, how long you've been away, or whatever the situation is. You know, greatness is greatness and if you really do a great job on what you're doing, people want to hear it. Or they want to see it.
You know, it doesn't matter, It really doesn't. Long as you're an innovator and a pioneer, you know.
And that's the most important thing.
Give them what they want to hear.

僕、僕は・・それはないね。君の質問に対する答えとして、僕は決してそのような事を心配したことがないし、考えた事さえないよ。
なぜなら、もしその音楽や映画が本当に素晴らしければ、人はそれを観たいし聴きたいと思う事を、僕は常に知っているから。
アーティストがどこにいようと、どれだけ長く離れていても、どんな状況だとしても、それは問題じゃないんだ。
そうでしょう?素晴らしいものは素晴らしいんだし、もし自分が本当にそんな素晴らしい仕事をしているなら、人は必ず聴きたいし観たいと思うはずなんです。
状況なんて関係ない。本当に関係ないんだよ。革新者、そしてパイオニアでいさえすればね。わかるよね。
最も重要なこと、それは
みんなが聴きたいと思う音楽をだすことなんだ。


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マイケルはこの言葉を自分に課していただけでなく、アートに携わる自分の仲間にも贈っています。
過去にもご紹介したマイケルからトラヴィス・ペインへの手紙です。

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To TRAVIS
Remember
THe sky is the limit,
Climb every Mountain,
pioneer
innovate

Believe in your ideals
Because you are GOD sent
thank love

トラヴィスへ
覚えておいて
可能性は無限だ
あらゆる山を登るんだ
開拓すること
革新すること

自分の理想を信じて
なぜなら君は神から遣わされたのだから
愛に感謝を




過去記事にも書きましたが、トラヴィスと同じく長年マイケルのよきパートナーであった振付師のラヴェル・スミスもインタビューでこんな風に語っていました。

マイケルはどんな風に人々の記憶に残りたいと思っていたでしょうかと聞かれて

I think he would like to be remembered as someone that was always, you know, making sure that what he delivered to his fans and to his audience was original.
It was innovative.
And he didn't mind if people copy it, but he would always wanted to be the one that did it first.

おわかりだろうけれど、僕が思うに彼はこんなふうに思われたかったんじゃないかな。
いつだってファンや聴衆へ、彼が送り出したものは間違いなく誰にもまねできないオリジナルだった、と。
革新的だったとね。
彼は人に真似られることは気にしていなかったけれど、いつも自分はそれをする最初の人(パイオニア)でいたかったのです。

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003Michael Jackson dangerous Billie Jean



彼がわたしたちに贈り続けてくれるものは、誰にも真似することができないほどの発想とアイデアの産物。
それら全てがマイケルを、マイケルたらしめる、まさにオリジナルなもの。


ところが不思議なことに、誰にもまねできないほどの独創性をもって彼から生み出されたものたちは
誰もが自然に口ずさめることができるメロディで
誰もが喜んでやりたくなるステップで
何だか簡単に真似をしたくなるようなものばかり

マイケルを特別好き、というわけではない友人(+主人w)何人かに「マイケル・ジャクソンと聞いて一番に何が思い浮かぶ?」と聞いたところ、7人中5人が「ムーンウォーク」と答えました。
そしてその5人が5人とも「ムーンウォークできるならやりたい♪」と答え、そのうち男性陣は「やってみて挫折した」と言ってましたw

1983年5月16日、パサディナ・シヴィック・オーディトリウムで収録された「モータウン 25」がNBCで放送されました。
その、音楽を取り巻く世界の歴史をある意味変えたに違いない番組内での、マイケルの初めてのBillie Jeanパフォのお披露目。
曲の間奏で、突然マイケルが軽やかに流れるようにいとも簡単そうに床を滑っていく姿を見た4500万人の視聴者の、そのほとんどの人々が「マイケルのあのステップ」を話題にし、実際に練習したというムーンウォーク。
遠い日本の、マイケルのファンでもなんでもない男子でも、一度は練習してしまいたくなる魔法のステップ。


008Michael Jackson Mortown25 Billie Jean


もともとあったバックスライドというステップに、マイケルエッセンスが入った途端に、それは新しいステップとなり、一夜にして彼のオリジナルとして認知されたという、革新者マイケルを物語るひとつの例ですよね。


例えばウィットニーを真似るというのは、相当な歌唱力を持っていないとはなから相手にされない感じですが、マイケルの場合はフェドラを目深にかぶるとか、一目見れば「マイケルだ!」と思われるコスプレという奥の手を使うことができますし、パッと見、誰もが知っている楽曲にはそれほど歌唱力を要求されないように思えますし、彼の有名なダンスムーブを少しでもできれば何とか恰好がつきます。
それだけとっつきやすく、ハードルが高そうに思われないのですよね。


でも。

それら簡単に真似できそうに見えるステップも
なじみやすく誰でも口ずさめるメロディも
実際に踊ったり歌ったりするととてつもなく難しいことに気づきます。


ダンスはもちろん素人の手に負えませんが、プロのダンサーであってもマイケルと同じように踊ることのできる人
は、本当に少数ですよね。
振りは同じでも、ぶれない上半身だとか、しなやかだけどキレッキレでしかも品のある動きだとか、どの瞬間を切り取ってもさまになる目線、姿勢、角度、そういうものが、圧倒的に違う。
誰でもできそうなダンスムーブを披露しつつ、結局マイケル本人でなければ美しく踊れないという、究極に(意地悪で)難しいダンスなわけです。

歌に至っては、素人でもなんとか歌えるのは、実はサビ部分のほんの1フレーズだけだった、という歌がとても多い。
マイケルの持つ多種多様な歌唱テクニックがあるからこそ、名曲たちは人々の記憶に残ったのだと思います。
たおやかでのびやかな彼の声だからこそ心に響く歌もあれば、魂を振り絞り聞き手の魂をも揺り動かすような、パンチ力にあふれる歌い方だからこそ、感情をゆさぶられる歌もある。
その歌の持つメッセージを表現する感情を、難なく自分の声に乗せて、しかもその感情に一番しっくりおさまる声質で、一番しっくりくる歌い方で、生まれ持った絶対音感に基づく少しのピッチのずれもない美しい音程を、時にせつなく、時に激しく、時に穏やかに響かせることができる人。
そんな彼が歌うから感動する楽曲たち。
それがどんなに歌の上手い歌手が彼の歌を歌ったとしても、聴いてる側からすればどこか物足りない、と思う所以ではないでしょうか。

誰もが口ずさめるけれども、聴かせる歌にはならない。
それができるのは、やはりマイケル本人しかいないという。



063Michael Jackson 30thAnniversary Billie Jean


でも「真似る」ことが悪いこととも思えない。

「マイケルみたいに踊りたい」
「マイケルのように歌いたい」

実は決して簡単に真似ることができない彼の創りだしたものたち。
それをやりたいと、やってのけたいと思う気持ちには、彼に対する深い愛情と敬意があると思うからです。

マイケルは、若いアーティストたちが自分を真似ることが、自分に対する敬意の表れなのだということをよくわかっていました。
なぜならば、マイケルこそ「真似る」ことからスタートした人だったから。


I have no problem with them imitating(me).
It’s a compliment.
Everybody has to start out looking up to someone.
For me it was James Brown, Sammy Davis Jr., Jackie Wilson, Fred Astaire, Gene Kelly.

(若いアーティストたちが)僕の真似をしていることは、何の問題もないよ。
それは僕への敬意からくるものなんだ。
誰でも誰かを目標にスタートするものだよ。
僕にとってはそれが、ジェームス・ブラウン、サミー・デイヴィスJr.、ジャッキー・ウィルソン、フレッド・アステア、ジーン・ケリーだったんだから。


TV-Guide interview (2001)より


ゲーリーの小さなおうちのリビングで。
テレビに映る憧れの人を見つめて。
大好きな彼らの歌を真似て、踊りを真似て。
いつしか見つめる先はテレビではなく、ステージへと変わっていったれども。

幼くして様々なステージに立った彼は、自分の出番が終わっても楽屋に帰らず、次から次に出てくる尊敬する偉大な先輩たちのステージを、そのステップや仕草、足さばき、観客ののせ方、いろいろなエッセンスを、全て吸収すべくステージの袖から食い入るように見つめていたといわれています。


彼が幼いころ、おそらくビデオはまだなかったでしょうから、今のようにスロー再生でコマ送り・・みたいなことはできないのですから、彼がどれだけ集中して目に焼き付けて、体で感じて、イメージを叩き込んだか。

彼らはなんて素敵ですごいんだろう、彼らのようになりたい、そしていつか彼らを超えたい
そんな強い情熱が、彼の持つ天性の才能を花開かせ、さらに伸ばし、さらに磨かせたのでしょうね。

若い時期、メモ魔の彼がいたるところに書いていた言葉。

Study the great of your field and become Greater.
自分の分野における偉人から学び、更に大きくなる

studying all the greats in the field and becoming greater.
その分野におけるすべての偉人から学びそしてより大きくなるんだ

Studying the greats in my field and becoming greater.
自分の分野の偉人から学んで、より大きくなること


(過去記事:The Giving Tree -最上級に自分を高め与える事を喜びとした人


憧れのすごい人たちを注意深く観察し、分析し、彼らの持っているものを自分のものにするために真似て練習して、その先に彼らを超えるような自分だけのオリジナルな域に到達する・・

彼はそれをやってのけましたよね。
かつてはフレッド・アステアやジーン・ケリー、サミー・デイビスJr.のものだったなめらかで軽やかで品のある動き、もしくはジェームズ・ブラウンのものだったゴージャスでファンキーなステップ。
その他にもアーティストとして彼が憧れた無数の先輩たちの持っていた一級品を、ことごとく。

それらは今はもうマイケルのものとなり、それはすでに彼のオリジナルになり、しかも新たに生み出される彼のスタイルはとても革新的で、とっつきやすいのに実践は至難の業で、なのにそれらに魅了される人々は世代を選ばない。
土曜日のスマステの「日本人が好きな洋楽TOP20」でも10代~60代までの幅広い層で支持されて3位でしたね^^

まさにTimeless。


彼がそこへ到達するために自分に課した"Studying the greats in my field and becoming greater."

先人に学びさらなる高みを目指す


その精神みたいなものは、クリエイティブな世界に携わる人だけではなく、どんな分野でも当てはまると思うのですが、なんだかこのマイケルのスピリットに、まさにどんぴしゃ(死語?w)な動画に出会いました。


シルク・ド・ソレイユの " MICHAEL JACKSON THE IMMORTAL WORLD TOUR" 公式HPに振付師としてクレジットされているのは、おなじみのトラヴィス以外に7人。
いずれもそれぞれマドンナやブリトニー・スピアーズ、クリス・ブラウン、セリーヌ・ディオンその他そうそうたる顔ぶれのアーティストたちや、人気番組アメリカン・アイドルなどのパフォーマンスを手掛けてるなど、数多くの実績を積んだ人たちです。

その中にDANIEL “CLOUD” CAMPOS(ダニエル・クラウド・カンポス)がいます。

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彼はマドンナのバックダンサーとしてブレイクし、昨年はマイケルの甥っ子、オギーでおなじみのAustin Brownの、おそらく今年発売される(はず)のデビューアルバム85のプロモビデオにも出演しています。
さあ、彼を見つけられるかな?w(Doo Dooおじさんも登場しています♪)

Austin Brown 85




それにしてもオギーのダンスは、本当にマイケル並みのセンスの良さ!

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小っちゃかったAuggyが


Austin Brownh0zdj3x9
こんなに立派に^^


むちゃくちゃ楽しみなジャクソンDNAの若き担い手ですよね。
彼は今年85とHighway To The Skyという2アルバムのリリースを予定していて、バレンタインデーには新曲Menage A Troisをリリースしました。
どことなく懐かしのモータウンサウンドが感じられる楽曲。
ダンスだけではなく彼の、ほんの一瞬感じられるMJライクなボーカルも魅力的な1曲です^^



で、そのダニエルさんですが。

彼はダンサーや振付師という枠にとどまらず、自身で総監督も主演も務めた映像作品を沢山Youtubeで公開しています。
実は彼を調べている途中で、彼に関する、さらにこれからわたしがお話ししたいことを、大変詳しく緻密にわかりやすく解説してくださっている記事を見つけました。
もうこれ見てください!っていう感じなんですけれどw
コメントを受け付けておられないので、リンクの了解を得ていないのですが(汗)、MJのことも素晴らしすぎる記事を書かれていますので、興味のある方はぜひこちらから


で、そのYoutubeですがw


本編の前に4本も予告編があるのですが、ダニエル本人が、ある日自分のアパートのエレベーターで見慣れないスーツケースを見つけるところから物語は始まります。
鍵がかかっていて中身はわからず、誰かの忘れ物かとアパートに「スーツケース預かってます」というお知らせの紙を貼って、とりあえず部屋に保管することにしたダニエル。
不思議なスーツケースはいったい誰のもので中には何が入っているのか?そしていよいよ本編でその謎が明かされる!というちょっとサスペンス風な展開。

Like Mike - Daniel Cloud Campos


貸しスタジオに例のスーツケースを下げて入ってくるダニエルですが、なんだかすでに普段の彼じゃない感じ。
あきらかに「MOONWALKER」の雰囲気w
スタジオBを借りたいと受付で話す声は、あの甘くてか細いハイトーンボイス!
7時からレッスンで使うので40分しか使えないと言われても、Bスタジオになぜかこだわるダニエルは、そのままBスタジオを借りるのです。

スタジオに入ると、ああ、こつこつと靴音を鳴らす足のズーム!
スーツケースを静かにあけると、中からはスモークとともに黒いスパンコールのジャケットが!
そして光り輝くスパンコールの手袋が!
最後は黒のフェドラ帽が!

ああ、なんていうこと!
このスーツケースの持ち主はMJ!
中身は正真正銘のMJ変身グッズだった!!!

Video-Like-Mike-Daniel-Cloud-Campos-michael-jackson.jpg
シャキーーンw

3点セットを身に着けたダニエルは、もはや完璧にMJになりきって踊ること踊ることww
これがまた・・なんていうか、顔はマイケルと似ても似つかないのに、あごもしゃくれてるしねw
なのに、体型が似ているせいかいちいちなんだか似ているわけで。
MJのSFに似たカメラワーク、カット割りで、彼がとても研究してこの映像を作っているということがわかります。
そして、ダンスはさすがにほぼ完ぺき。
わたしはもともと誰がMJのダンスを踊っても斜めから見ることはないのですが、ダニエルのダンスはわたしの目にはかなり完璧に見えました。

そう、彼はここでMJになりきらなければならなかったのです。
なぜなら、この短編映画でこのシーンはとても重要、なぜかMJのスーツケースにめぐりあった人間が、魔法のMJ3点セットを手に入れると、まるでMJのように踊ることができるというシーンだからです。


LIKE MIKE

マイクのように


おそらくこのタイトルとコンセプトのヒントとして、マイクはマイクでも、マイケル・ジョーダンのマイクで、日本では未公開の映画(DVDは発売されています)からきているのでは?と思えてならないのですが。

LIKE MIKE 邦題「ロスト・キッズ」(2002)
孤児院暮らしのカルヴィン(バウ・ワウ)少年は、ある日「MJ」のイニシャル入りのスニーカーを手に入れました

これを履いたカルヴィンは、まるでマイケル・ジョーダンのように軽々とダンクを決めたり、シュートが笑ってしまうぐらい決まってしまうバスケ名人になっちゃいます。
この魔法のスニーカーを履いてなんとNBAのナイツに入団しちゃって、なんと彼の活躍でチームは大躍進を遂げていくのですが・・といった内容。

like mike bowwow

主人公を演じた当時12歳のバウ・ワウは、実はマイケル以来の大ヒットを繰り出した最年少ソロラッパーとしてギネスブックに登録されているそうで、しかも当時のインタビューで好きな歌手はマイケル・ジャクソンと答えているステキBOY。今はラッパーとして活躍中だとか。(知らなかった、ごめんね)


この映画でキーとなる「MJ」イニシャル入りのスニーカー。
マイケル・ジョーダンになれちゃう魔法のスニーカー。
これが、ダニエルの映画では、スーツケースの中の魔法のMJ3点セットというわけで、これをつけると、まさにマイクのようになれちゃう、LIKE MIKE、なわけで。
だから、このシーンでは絶対に、ダニエルのダンスの才能をいかんなく発揮させて、完璧にMJになりきる必要があったのですね。

大成功!わたしは思わず拍手してしまいましたもの^^

ですけれど、ここからがこの短編映画の本質へとつながります。
MJのように次々と「いかにもMJ」と呼ぶにふさわしいダンスムーブをすらすらとやってのけるダニエル。
「マイクのように踊っている!」とでも言いたげな生き生きとしたダニエルの姿。
ところが、MJの、やはり代名詞ともいえるキックを華麗に決めようとした時に、なんということ!
ダニエルは足を骨折!(爆笑w)
NOOOOO!
叫んだ拍子に反対の足も骨折!(なんでw)
ダニエルが床に倒れこむ瞬間に、これ以上ないぐらいのタイミングで聞こえるマイケルの「Who's Baaaad(フズベー!)」(腹を抱えてワロタww)

その時に映し出される文字が。

DON'T IMITATE... ORIGINATE
模倣するな・・創りだせ


完璧にMJになりきれるダンスの才能がありながら、ダニエルはこれをただMJのダンスムーブを踊るだけの作品にはしていません。

この短編の最後は大笑いの、でもちょっとシュールな終り方をしますが、ダニエルがこの映画に込めたマイケルに対する熱くて深いリスペクトと、そしてマイケルが大切にしていた精神、「先人に学びさらなる高みを目指す」ことが根底に流れているように感じてなりませんでした。
目標にしたい憧れの人を初めは真似ても、最後にはその人を超えて自分独自の高みを目指すのだと。

この「LIKE MIKE」に書かれたダニエルのメッセージ。(訳は先ほどご紹介したブログ様よりお借りしましたm(__)m)

Some things should never be found... some things should never be opened.... and some things should never be stolen. There will never be another... Like Mike. Be true to yourself and there will never be another like YOU...

This is a short film dedicated to the KING himself!! Michael Jackson we miss the magic that you continue to spread around the world with your music, the power of change that you have planted into our hearts with your message, the energy you projected into all of our souls through your moves and the tears of joy and inspiration you have given us through your voice. We are forever grateful for your gifts :)) We love you MJ!!!

決して拾ってはいけないものがある。決して開けてはいけないものがある。・・そして、決して盗んではいけないものがある。比類なき人がいる・・マイクのように。自分自身に忠実であれ。そうすれば“自分”という比類なき存在になれる・・。

 これは“キング”その人に捧げるショート・フィルムです。マイケル・ジャクソン、あなたが音楽を通じて世界中に広め続けた魔法、メッセージを通じて僕たちの心に根付かせてくれた変化する力、ダンスを通じて僕たちの魂に注ぎ込んでくれたエネルギー、歌声を通じて僕たちに与えてくれた歓喜と感動の涙が忘れられません。あなたの贈り物に永遠に感謝します。MJ、僕たちはあなたを愛しています!!!

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001Michael Jackson Heal the world



涙でてきた(/_;)

「全ての創造は模倣から始まる」という言葉がありますが、模倣で終わってしまえばそれは創造ではないのですね。
ただマイケルを模倣しても、それはただのイミテーション。
創造者は、比類なきこの人から多くのことを学び、そして自分に向き合い自分しか創れないものに心血を注げ。
模倣の先の境地に手を伸ばしてはじめて、「マイケルのもの」から、自分だけのオリジナルにたどり着けるのだから。

そんな風に伝わってきて。


そしてダニエルがどれだけマイケルを敬愛し、彼から贈られたものを大切にしようとしているかが、しみじみと感じられて、すくなくともマイケルイズムのような精神は、本当の才能を持ち、高みを目指す人たちに確実に受け継がれているのだと。
ダニエルはおそらく、IMMORTALでの振り付けを通じてマイケルの素晴らしさを目の当たりにし、彼のすごさを再認識したことで、自身の最新作は、これこそトリビュートというにふさわしいものに仕上げたかったのではないかと思います。
ダニエル自身が、ダンスだけではなくマイケルも魅了された映像の世界でも独自の感性をこうして表現し続ける人だということを知ったら、マイケルはきっと喜んだのではないかなと。

ダニエルの「LIKE MIKE」は、うまく言えませんが、あのダンスシーンがこのファンタジー作品のストーリーの重要な核だったから、完全にひとつの短編映画として独立して観ることができた。
だからでしょう、何回も観て爆笑して、ダニエルがスーツケースを開けるシーンとかから本当にわくわくして、完璧なMJダンスを踊るシーンを純粋に心から楽しめたのです、わたしはね^^

マイケルは一度も出てこないのに、小道具ひとつで、指先の動作ひとつで、「おおMJ!」と誰もに思わせてしまうとは、マイケルの創りだしたものたちが、いかに底知れないパワーでもってわたしたちの記憶に深く濃く刻まれたかがあらためて。


その記憶はこれからもずっと。


I always want to do music that inspires or influences another generation.
You want what you create to live, be it sculpture or painting or music.
Like Michelangelo, he said, “I know the creator will go, but his work survives.
That is why to escape death, I attempt to bind my soul to my work.’
And that’s how I feel.
I give my all to my work. I want it to just live.

僕はいつも、自分とは違う世代を動かしたり影響を与える音楽をやりたいと思っているんだ
自分が創造するものには、彫刻か絵画か音楽か、何にしても、長く生きていて欲しいと思うものさ
ミケランジェロのようにね、彼はこう言った
「私は、創作者はいなくなっても、その作品は永く生き続けることを知っている
それゆえ、私は死から逃げるために、自分の魂を作品に縛りつけようと試みる」とね
僕も、そんなふうに感じている
僕の魂のすべてを自分の作品に与えているよ、その作品が永く生き続けてほしいから




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だいじょうぶ

永く生き続けるよ マイケル


だってあなたの魂を注ぎ込んだ音楽やダンスや
あなたを象徴するシンボルたちは


Original
Innovative
Timeless

誰にもまねできない
革新的な
時代を超えたものなのだから


だから、ずっとずっと生き続けるから


ミケランジェロが誰なのかなんて知らない小さな子供が
あなたの曲では踊るのよ



だいじょうぶ

今この瞬間も
世界のどこかで誰かが


あなたの曲をくちずさみ
あなたの曲で踊り
あなたのダンスで心躍らせ
あなたの生き方に胸を熱くしているから


あなたの生み出したものすべては


わたしたちとともにずっと



ずっと

マイケルの天使たちを想うつれづれ

今日、徹子の部屋に少年隊のヒガシがゲストで出ていました。
生涯独身なのかなと思われたCoolな彼ですが、結婚されて女の子も授かったことがさらに自分の芸能の奥行きにつながると思う、みたいなことを話されてました。

そこで思いもかけない言葉を聞くことができました^^

彼のかわいい生後3か月のBabyちゃんですが、「うちでは1日中音楽がかかっていて、マイケル・ジャクソンの曲に合わせてリズムをとったりして踊ってますよ」と!
ナイスベイベー!\(^o^)/

パパもマイケルファンだからこの子もマイケル好きになるんだろうな、てか、なって^^


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マイケルと同じぐらい小顔

今日はじめてわかったことですが、ヒガシも手が大きいのですね。
マイケルのおっきい手は有名ですが、彼もなかなか大きな手をもってらっしゃる。
というか、小顔だから手が大きく見えるのかも。
彼らの顔がもっとデカかったら、手の大きさがあまり目立たなかったのかも、なんて思ったりw

とりあえず、ヒガシのベビちゃんが元気ですくすく育ちますように^^


と、くれば思い出すのは1997年の20/20でのインタビューですね。
(インタビュー全文はLegendさんのページへどうぞ)

ヒガシのベビちゃんもノリノリにさせてしまうマイケルの音楽ですが、この時は歌ではなく、わが子を泣き止ますために、ダンスをするんだと話しているシーン^^
この時のアメリカの徹子(バーバラ・ウォルターズ)は、日本の徹子ちゃんみたいに優しくなくて、いちいち意地悪な質問が多かったこのインタビューですが。
とはいえ、HiStoryにおけるティーザーのマイケルの見解はとても興味深く、彼の啓蒙的戦略などがこのインタビューでよくわかるので、結果的にはうまく質問していると言えますけれどね。

後半の親ばか大爆発のKingの嬉しそうな笑顔がたまりません、という理由でGirlの好きなインタビューTOP1ですが(調べてないけどきっとそうだよねw)
そこだけ抜粋してみますね^^

<20/20 Interview with Barbra Walters (1997):Text source >

Michael Jackson - Interview with Barbara Walters 1997 Pt2 of 2


以下のマイケルの言葉は3:51~

Well, I’ll tell you this much … when he’s crying … to keep him from crying, I have to do one thing.
そうですね、これだけお教えしましょうか。彼が泣いている時に、泣き止ますために僕がやらなければいけないことはひとつ。


何?

I have to stand in front of him … and dance.
彼の前に立って・・踊るんです。


本当に?

Yes. And he stops crying. His tears turn to laughter … and he’s happy, he smiles.
ええ、そうしたら彼は泣き止むんです。涙が笑顔に変わって・・ハッピーで笑顔にね。


一緒にムーンウォークもするの?

Yeah … I do all kind of movements.
ええ・・あらゆる動きをしますよ
(椅子に座ったまま踊るそぶり^^)

彼は泣き止むの?

And then he stops crying.
泣き止みますね


沢山踊らなくてはならないわね

I do a lot of dancing, yes.
(大笑いしながら)ええ、沢山踊りますよ

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このあと最後に、もしも坊やがエンターテイナーの世界に入りたいと言い出したらどうするかと聞かれたマイケルは、いろいろなことを予想するように熟考したうえでやりたいのなら、という前置きをしてこう答えました。

Go! and do it better than I did.
やりなさい。そして同じやるならパパを超えなさい





その坊や、Prince Michael Joseph Jackson Jr.くんがマイケルのもとへ舞い降りたのは1997年2月13日です。
つい先日15歳のお誕生日を迎えましたね。

パリスちゃんが大好きなお兄ちゃんへ微笑ましいTweetをしていました。

@ParisJackson
Happy Birthday to my almost-twin-brother, Prince!!<3 LOVE YOU!!!!! xoxox
わたしのほぼ双子みたいなおにいちゃん・プリンス、お誕生日おめでとう!!大好きよ!!!!!(hug&kiss)


彼女は翌年の4月生まれですからいわゆる年子。
確かにほぼ双子みたいなものです^^


もう15歳なんですね。

1997 July


Baby Michael 4 months old.
How do you like the world so far?
Baby Michael 4 months old.
What a lucky lucky boy you are.

ベイビーマイケルは4ヶ月
ここまで過ごしたこの世界は気に入ったかい?
ベイビーマイケルは4ヶ月
なんてステキな幸せを連れてきてくれたんだ君は



こんなだったのに^^


King Of Daddyはプリンス2歳のお誕生日パーティで愛するわが子にこんな言葉を贈っています。

Prince, that was for you.
To learn about perseverance and confidence and the true meaning of success - which is love.
And to know that you can reach any goal that your heart desires.
It is totally up to you.
You can do anything that you want to do and I love you.

プリンス、これを君に
粘り強さと自信を身につけて、そして、成功の本当の意味を学んでおくれ・・それは愛だよ
そして、君が心から強く願えばどんなゴールにだってたどり着けるということをわかっておくれ
本当に君次第だ
君がやりたいことは何だってできるんだよ
愛しているからね



プリンス4歳、パリス3歳の時だと思われるMovieです。
さすがKing、子供相手に教えるゲームはチェスですw
かわいらしすぎて愛しすぎる親子。どぞー^^



Are you ready for this? Here we go~♪
準備はできたかい?よし、いこ~♪
Good move.
いい手だねぇ


Daddy!
うふ(嬉しげw)パパ!

Yes?
なあに?


This is a fun game.
これ面白いね~

Now you move that. Your tuuurn
そうきたか、はい、きみの番だよ~
Good move, Applehead! Very good.
いい手だね~Applehead!上手だね~
(でた、Applehead!自分も息子も娘も甥も姪もみんなApplehead!呼ばれたい~w)

Daddy, we should live in a castle like this!
パパ、ぼくたちこんなお城に住まなきゃね

I know, I love that castle. Could we all fit in there?
そうだね、パパもそんなお城大好きだよ 僕らみんなそこに入れるかな?


Nuh-uh, we can’t!
うーうん、入れない

Could I fit in there?
パパは入れるかな?


Nuh-uh, you can’t! See.
うーうん、だめ。見て(お城の駒をおでこにあてて無理をアピールw)

That castle’s too small.
そのお城は小さすぎるね


yeah,too small
うん、小さすぎるね

We need a bigger castle than that.
もっとおっきなお城がいいね


Yeah, we need it
うん、いいね

yeah, that's a beautifull castle
そう、もっときれいなお城だ


Dad, I see a baby!
パパ、赤ちゃんだよ!

Where?
どこに?


Right here
ほらここ(赤ちゃんには到底見えない駒を取り出す)

Oooh, who’s baby is that?
Oooh, 誰の赤ちゃんだい?


I don’t know…He want to swim
わかんない・・この子泳ぎたいんだ・・(子供特有のごっこ突入)

Now,let me see. I gonna move of here
さぁ、どうしようかな、ここに動かすよ
(めずらしくDaddyのっからずw)

Prince, what do you think you want to, uh, do today?
プリンス、今日は何をしようと思ってるの?


I don’t know, I’m going to go to school today.
わかんない・・今日は学校にいくの

You’re going to go to school? What do you learn in school?
学校に行くの?学校で何を習うの?


I learned my ABC’s
ABC習ったの

Really! Can you say your ABC’s?
本当に?ABC言えるかな?


A B C F D~!
えーびーしーえーふで~い♪

That's GOOOOD!!! Ilike that!
よくできたね~!!!(拍手)上手だよ~!


手放しで褒めるマイケルの声が、満面の笑みを想像させてこちらも嬉しくなってしまう^^


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この後、学校でほかに何を習うの?とパパが聞きますが、なんにもとすげない坊ちゃんw
パパはあきらめず東西南北がどうのこうのと問いかけ、坊ちゃんもお日様はぁひがしにいって~それから西にいくの・・と(まだ4歳なのに賢い!)答えたりするのですが、適当に話題を変えて学校のお話をstopさせちゃいますw

その後つまらなそうにしているパリスにパパは、「Paris, what do you want to do?パリスは何がしたいの?言ってごらん?」と促しますがだんまりのパリス。
坊ちゃんはパリスもゲームしたいよね?とw
そんな微笑ましい父と子のひとこま^^

パリスちゃんはおにいちゃんができることは何でもしたいし、でもチェスがいまひとつわからなくてつまらなかったのか、ただおにいちゃんにパパをとられて面白くなかったのか、「何がしたいの?」ってパパは簡単に聞くけど、素直になれない時もあるよね。
なんか幼いころを思い出しますw
わかる、なんかw


2003年9月10日、マイケルはチャリティ基金を集めるためにネバーランドを解放しました。
その宣伝も兼ねてリック・ディーズのラジオ番組に電話出演した際のコメント。
(sourceはこちら
「プリンスとパリスはどういったのものが好きでどう違う?」と聞かれて。

Well they like, in truth, they like the same things.
Prince, he doesn't like girl toys.
I always wanted a daughter, and through all the years I've toured, I bought all these dolls, and I filled the whole room up full of dolls for when I have a daughter....and that would be her bedroom.
And the first time I brought her in there, when she was old enough to walk, she just walked right passed it. (laughs)...she likes boy toys !
She likes trucks, cars...whatever Prince wants, she wants.

うーん、彼らが好きなのは、実のところ、彼らは同じものが好きなんだ。
プリンス、彼は女の子のおもちゃは好きじゃない。
僕はずっと娘が欲しかったから、ツアーをしていた何年もの間、僕に娘ができた時のために、たくさんお人形を買って、部屋を丸ごとお人形でいっぱいにしていたんだ・・いずれその娘の寝室にしようとしてね。
それで、はじめて彼女をそこに連れて行ったら、彼女はすでに歩ける年齢になっていたんだけど、彼女はただまっすぐ歩いてお人形たちを通り過ぎてしまったんだよ(笑)・・・彼女は男の子のおもちゃが好きなんだ!
あの子が好きなのはトラックや車とかで・・・プリンスが欲しいものは、それが何であっても彼女も欲しいんだ



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おにいちゃんが持っているものは何でも欲しくて、おにいちゃんがやっていることはなんでもやりたい妹。
そのまま大きくなった彼女は、プリンスが所属していたクラブ活動の、フラッグフットボールで昨年の兄と同じポジションを守ったりするほど、おにいちゃんが好きで快活な少女に育っているよう。


最近メディアに出る頻度が増えてきた3人のマイケルの天使たち。

マイケルはかつて子供たちが15、6才ぐらいにならないとMTVを見せるわけにはいかない、というコメントをしましたが、MTVどころか今はYoutubeやTwitterなどのSNSも容易に利用できるネット社会の中、彼らも例外ではありません。
彼らだけが温室の中で過ごすことはありえなく、仮にマイケルがそばにいたとしてもその行動を規制することはもはや難しかったでしょう。
きっと「僕らには僕らのやり方も世界もあるんだよ、ダディ」と。

マイケルが築き上げた巨大な名声。
それらを純粋に称え賞賛する人もいれば、それらの傘に何とかして入りたがる人もいれば、それらをただ忌み嫌う人もいる。
賞賛する人であっても、時として群集心理は平常心を失う。
良いにつけ悪いにつけ、名声に引き寄せられる人や、それらに付随する、あるいはそれらから生まれ出る危険で邪悪な何かからわが子を守るためのベール。
でもそれも、子供たちが幼い間だけしか通用しなかったでしょう。

Twitter上では、先に書いたような微笑ましい身内同士のやり取りだけが存在するわけではなく。

彼らの大好きな父親に対する中傷、ただ傷つける事だけが目的のような下品で心無い誹謗、それらも歴然と同じ時間軸に現れる世界。


知らなくてよいことや聞きたくないこと。
どれだけのネガティブな言葉を目にしたのだろうと思うと、普通のティーンではないだけに「ネットを楽しむ自由」も大切ですが、その代償を払うにはあまりにまだ幼いと胸が痛くなる時もあります。

老婆心ながら、本当にできるだけ、マイケルの大切な3人の天使たちが
不必要に傷つくことがないように
自分たちの人生を生きる上での困難なら誰もが通る道

でも

マイケルが一番嫌って嘆いた「嫉妬が生み出す不毛な憎悪」の対象にだけはならないで歩めますように



ですが彼らは驚くほど冷静。
特にパリスちゃんは見事に上手く対処しているようにみえます。
不思議なほど。
13歳とは思えない落ち着いた姿勢を崩さずに。

まるで

パパがそばにいて対処の仕方やアドバイスをしているかのよう


いや・・


そばにいる


3人のそばにはいるんだね



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やっと15歳になったプリンス
4月に14歳になるパリス
そしてこの21日には10歳になるブランケットことPrince Michael Jackson II (パリスちゃんに言わせるとちょっと過保護くん^^)

マイケルは彼らが自分と同じでなくても、自分の可能性を信じて本気でやりたいことならば、きっと何であってもやらせたでしょうし、やるなら一生懸命努力をして憧れの人が誰であっても、その人を凌ぐほど大きくなれと言ったでしょうね。

彼らはこれからやりたいことを探していくのでしょうが。
もう決めていて、すでに歩き出した子も。

3歳の頃、おにいちゃんとパパだけがゲームに興じていて、少しすねていたパリスちゃん

Paris, what do you want to do?
パリス、何がしたいんだい?


今ならはっきりと答えるのでしょう


そしてあのころ、チェスを始めるときにダディがおにいちゃんにかけた言葉を、彼女は聞きたいんじゃないかな

Are you ready for this? Here we go!
準備はできたかい?よし、いこう!



マイケルの「E」

過去記事にも書いたわたしの大好きなエピソード。
ケニー・オルテガがTIMEのインタビューで、コンサートの準備期間中にあなたがこれを撮影しておけばよかったと思った瞬間があったら教えてくださいと聞かれて。

I don't know if you want it on film, but it's something I'll run through my head for the rest of my life.
I was in his dressing room one night going over some artwork,
and Michael was behind me saying my name, at first very softly: "Kenny, Kenny."
I said, "What are you doing?"
He said, "I'm saying your name. Am I saying it right?"
Michael was from Indiana, and the way he said my name wasn't quite like anyone else.
I guess the reason he questioned it was because I always smiled when he said it.
I said, "Of course you're saying my name right.
I love the way you say it.
When you say my name, it makes me smile."
And he said, "Good... when I say Kenny, it means 'friend.' "
He was a special man.

あなたにとってはどうかわかりませんが、僕の残りの人生でずっとそれが頭を駆け巡るだろうという出来事ならあります。
ある夜、彼の控室でアートワークの話なんかしていたんです。
そしたら、背後にいたマイケルが僕の名前を呼び始めて、最初はとてもそっと「ケニー、ケニー」って。
「いったい何してるの?」と僕は言いました。
彼は「きみの名前を言ってるんだよ。僕ちゃんと言えてるかな?」って言うんです。
マイケルはインディアナ出身で、僕の名前を言うときの彼の発音は、他の人とまるで違っていたんですね。
彼にそう呼ばれるといつも僕が笑顔になるから、それで尋ねたんだと思うんです。
僕は言いました。「もちろんだよ、きみは僕の名前をちゃんと言ってるよ。
僕は、君の言い方が好きなんだ。
君が僕の名前を呼ぶとき、つい僕は微笑んでしまうのさ」
するとマイケルは「よかった・・僕が「ケニー」っていうとき、それは「友達」っていう意味だからね」って言ってくれたんです。
彼は本当にスペシャルな人だったんです。・・

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これを最初に読んだときと今では受ける印象もずいぶん変わってきました。
オルテガ目線で始めは読んで、さぞ嬉しかっただろうな、オルテガ・・みたいに思ったりしていましたが、今は、全力で魂を注ぐプロジェクトを一緒に創り上げる、いわば同志でもあるオルテガに対して、「君は仕事で繋がっているスタッフではなくて僕の大切な友達なんだよ」と伝えたマイケルの、オルテガへの厚い信頼と「だから絶対僕から離れていかないでね」という心情が透けて見える気がして、素朴な親愛の言葉だけに切なさで胸が痛みます。


(ノ_-。) くすん・・


っと今回はそっちの方向じゃなかったw


マイケルが話すケニーの名前の発音が人とは違う、という記述部分(マイケルの「E」の発音を言ってるのでしょう)は、おそらくオルテガには、ケニーではなくキニーに近い感じで聞こえていたんじゃないかと。
わたしは最初はオルテガが言っているとおり、ゲーリーの方言というか、なまりのようなものなのかなと思っていました。

でも今思うのは、それはなまりではなく、マイケルがブラックアメリカンだという証拠とでもいいましょうか。
黒人が話す英語には、彼ら独特の決まりや言い回しや文法があるらしく、よく言われるところでは三人称単数を無視した言い方ですか(Does'ntではなくDon'tですます)。
わたしは英語が得意ではありませんので、ちょっと聞いたぐらいではその違いは全くわかりませんし、知ったかぶりは到底出来ませんが、確かにそれはよく聞くお話ではあります。
もともと奴隷として故郷からつれてこられた歴史を持つ人種ですから、英語は完全に外国語。
生きる上で徐々に習得していき、何代にもわたっていつしかそれらは彼らの母国語となっていくわけですが、もともとのふるさと、アフリカの母国語の特徴や癖が何十年経っても、実は彼らに色濃く影響を残しているということらしいのです。

それらの際立つ特徴のひとつに発音に関して「[ɪ]と[ɛ]の中和。例えばpinとpen、binとBenの[ɪ]と[ɛ]は、それぞれ中間の発音になる」ということがWikipediaに記載されています。

要するに「エ」と「イ」の区別がつきにくいということですかね。
まさに「ケニー」が「キニー」に聞こえてもおかしくない発音の特徴ですね。

わたしはヒアリングがダメダメなので、マイケルのスピーチや会話で「お!」と思う経験は恥ずかしながら全然ないのですが、彼の「BEN」を聞いた時、確かに「お!」と思いました。

Michael Jackson - Ben (lyrics)  



しょっぱなの♪Ben~も、若干怪しいといえば怪しいですが、完璧に「おお!」とわかるのは最後の
If they had a friend like Ben

このfriend like Benがフリン ライク ビンに聞こえますよね。
でも最後の♪like Benはちゃんと(?)ベンと聞こえます。

彼の「E」が常に「I」になるのなら「それがマイケルなんだ」でいいですけれど、おそらく「たまにそういう風に聴こえる時がある」というところが気になるといいますかw

マイケルはモータウンでジャクソン5としてデビューする際、マナーはもとよりいわゆる標準英語の発音も徹底的に教育されたと聞きます。
方言やなまり矯正という意味もあったでしょうが、当時のモータウンの狙いは黒人だからと言って黒人にウケるだけではなく、白人にも受け入れられるようにという意図があったのかもしれません。

幼かったマイケルはおそらく難なくそれらを習得したでしょう。
マイケルでなくても、子供の順応性と吸収力は眼を見張るものがありますものね。
ただ、単に歌がうまい子供ではなく、大人も舌を巻くほど歌に感情を込める事が容易に出来た彼でしたから、この「BEN」という歌の中に、体が弱くて友達のいない孤独な少年が、初めて自分の友達だと思えたねずみ、ベンに持つ愛情と信頼、そして自分たちのことを理解してもらえない寂しさ・・それらの感情を精一杯込めて歌った時、ひょっとしたら当時14歳の彼の中にすでにあった孤独と、自身にもある動物に対する愛情があいまって、つい素の自分がでてしまった瞬間だったのではないかと。

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基本の発音は矯正されたはずだったけれど、こみあげる自分の気持ちを歌に込めた瞬間、本来の黒人特有の発音が口をついて出たのかなと。

関西出身のアナウンサーは始めに徹底的にイントネーションを強制させられますが、地元の友達と話したりしてリラックスするとついつい自然に関西イントネーションになる・・それに近い感覚なのかもしれません。


マイケルがアルバムDANGEROUSをレコーディングしている時に一緒に仕事をした、おそらくレコーディングエンジニアじゃないかと思うのですが、Sam L. Parityさんがご自身のブログに(2007年)マイケルのアーティストとしてのすごさや愛すべき人となりを断片的に綴っています。

その中からいくつか。

「スタジオでのマイケルは信じられないぐらいすごかった。彼は音楽に対して正確な記憶力を持っていた。
ひとつの歌を40通りに歌い分けることができて、しかも2週間後に6番目と27番目のテイクがベストだと思い出せるんだ。
Dangerousのために僕らは相当数の曲を録音したので、最終的にアルバムの選曲はMJにとって至難の業だった。
彼がリリース用に選んだ曲が2時間を越えてしまったので、いっときは二枚組みにしようとした。
ソニーがCD一枚分で、と決定した時、マイケルは曲の最終リストを持ってまた戻ってきたけれど、たいていは74分(ディスク1枚の許容時間)以上になってしまった。
そんなことを数週間ひたすら繰り返したことを思い出す。」

「一度、昼食のためにマクドナルドに行ってきてくれないかとマイケルは僕に頼んだことがあった。
彼は通常パーソナルシェフに毎日食事の準備をさせていたので、これはかなり珍しい要請だった。
とにかく、何がお望みなんだい?と尋ねたら、何があるのかもわからないんだ、でもみんなが美味しいって言うからさ、ときた。
結局僕はメニューから彼のためにほとんど全種類をひとつずつ買った。
彼はそれぞれをちょこっとずつかじっては、何が好きで何がそうじゃないかを教えてくれた。
僕の記憶が正しければ、彼はフィッシュサンドイッチがとても好きだったね」

「彼は僕を彼のクレジットカードを持って、彼のバカでかいシボレー・ブレイザー(※)のガソリンを満タンにする、というような午後のお使いに出すようになった。

※運転するしないに関わらずマイケルが使った車はSUVがほとんど。このブレイザーは ゼネラル・モータースの大型SUV、K5 Blazerだと思われます。いかにもガソリンをよく食うアメ車って感じですw

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1990年モデルのK5 Blazer。でもマイケルのはもっと年式古かったかも。

(中略)
でもここで僕はマイケルがひどくへたくそなドライバーだと言わねばならない。
僕の車はもちろんスタジオに停めてあるみんなの車は、少なくとも一回は彼に当てられたんだから。
1度、彼は101Freewayで人の車に追突したこともある。
結局、彼は運転をあきらめて、毎日彼のために働いてくれる運転手を雇ったよ」

「ある日マイケルは、特別なお願いを聞いてくれない?とはにかんで尋ねてきた。
彼が運転するのを止めたあとだからまず間違いないけれど、僕が思うに、彼には日中にちょっと買い物をするための手段が本当になかったから。
彼は全く唐突に、下着をきらしたって言うもんだから、もちろん僕は承知した。
僕が彼と働いたずばぬけて素晴らしい2年間、マイケルは黒いパンツと赤いボタンダウン・シャツを着て、毎日スタジオに来た。
彼のオフィスにはラックがあってね、着た後ちゃんとクリーニングに出しているのか着捨ててるのかはわからないけれど、とにかくこの2つのアイテムで埋まってるラックがあったんだ。
でもこの(特別な)日、彼の引き出しの中身は底をつきかけていたってわけさ。
最初彼はとにかく下着が欲しいんだって。
僕がどんなタイプの?って聞いても「下着!とにかく下着だよ」としか言わないから、僕は君のお母さんじゃないんだから、どんなのがいいかわかんないよと言ったら、マイケルはちょっと笑って、「ヘインズのサイズ30をお願い」って。
でも僕が外に出た時、彼は走って来て、「やっぱり32!タイト過ぎるの嫌なんだ!」って叫んだんだ。
そんなわけで皆さん、キングオブポップは白ブリーフをお召しでしたw」

※サムさん自身がこの件の脚注として、白いブリーフは子供が穿くもの、というわけでもなくて、ほとんどはある時点でボクサーショーツに変えるけれど、成人男性で白ブリーフを穿き続ける人は多い、と当時30歳を過ぎていたマイケルに気を使ってるのかどうかわかりませんが、そう書いておられます(笑)


多作で有名な彼の、特にDANGEROUS期の多くのアウトテイクは、泣く泣く彼が振り落としたものだということがよくわかりますし、何度も何度もテイクをとり、様々な歌唱法を試し、もちろん音もアレンジも気が遠くなるほどのチャレンジを超えて、そうして残った、まるで泥水を何度もゆすぎ、ようやく見つけ出される宝石のような曲たち。
だからこそアルバムDANGEROUSがあれだけの完成度の高さを誇るのも無理はないということ、まさにアーティストマイケルの真骨頂が、しみじみ実感できるエピソードですよね。


あと、リズム感もダンスも高いレベルにあるマイケルをもってしても、運転の技術って比例しないんだな・・とかw
ああ、一晩でCDを1,500$(およそ15万円w)分買ったっていう話もあって、さすがKingっつー(笑)

赤のボタンダウンと黒のパンツ、確かによく着ていましたね。
まさかそればっかのラックがあったとはw
DAGEROUSレコーディングは'90~'91。
その間ちょっと調べただけでも、確かに普段こればっかの写真が多いですw

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彼のBenといえばバブルス^^

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さ~買っちゃうぞ~♪

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10 red button-down shirt

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これはまさにDANGEROUSのレコーディングスタジオでのショット



でも今回一番大事なのはこのエピソードなのでした。


「彼は周りの誰をも不用意に混乱させる事のないように、何をするにも気を使っていた。
マイケルはスタジオ使用料には1日5000ドル使ってるにもかかわらず、僕の机にはこんなメモを残すような人なんだ」

Inkpin.jpg


from M.J.
I took one ink pin 

MJです
ペンを1本とりました



ink pin・・
ペンなんだろうけれど、ついピンって書いちゃった感が。
おじいちゃんが「ディズニー」を「デズニー」と言ってて、それを書くときももちろん「デズニー」と書きますよ的なw

創作中や音作り、歌いれなんかはピンと緊張感が漂っていただろうけれど、四六時中スタジオで顔を合わせてものづくりをする仲間は、彼とっては家族同様に気を許せる相手だったのでしょう。
自分のクレジットカードを託したり、とてもプライベートな買い物を頼んだり、本当にこのサムさんに心許してたんだな・・と。
そういう気のおけない人と話す時、きっとマイケルの「E」は、オルテガに「ケニー」と呼んだときと同じ、あるいは「BEN」を歌った時と同じだったのではないでしょうか。


彼はモータウンから受けた教育だけではなく、普段から乱暴な言葉や汚い言葉を使いたくない人でしたし、英語のわかる友人は「彼の話し方はとてもきれいで品がある」と皆声をそろえて言うほど、きちんとした英語を話す人ですけれど、いわゆる標準のよそいきのきれいな発音やアクセントが身についていてもなお、ふとしたときや素の自分でいるときには、自分のルーツのDNAが覚えている特有の発音で自然に話していたのだなぁと。

そう思うと、それは単なる癖とかいわゆる方言的に片付けられずに、なんともあいくるしく思えます。

彼は手が届きっこないほど崇高で凛とした気高さを持つ人ですけれど
同時にくるおしいほどのかわいさを併せ持つ人でもあって

もしも別の人生を歩めるとしたら、そんなマイケルの友達になって
彼のへたくそな運転でスリルを味わったり
「パシリ」となってマクドナルドに行ったりヘインズの下着を買いに行ったり
1時間閉店を早めてもらったタワーレコードへお忍びで一緒に出かけてCDを選んだり

ポップコーンの投げあいもいいな


そして何より

彼から「きみは僕の大切な友達だよ」という気持ちを込めて名前を呼ばれたい



その時には必ず「E」が含まれる名前でいなくちゃ


・・ね


Michael's next plan その2

前回の続きです。


フランク氏のインタビューからは、マイケルの名声を利用しようとする気持ちなど微塵も感じられず、ただただ、彼が残した、おそらく世界が予想もしていなかったマイケルのクラシック楽曲たちを、大切に、そしていつか日の目を見る日が来れば喜んで協力しようというフランク氏の誠実さがあらわれているように思えて、だからこそそこで語られているマイケルの、自分のやりたかったことの協力者に対して素の自分を出している様が、ほほえましく愛おしく感じられます。

犬が苦手なマイケルが、ずぶぬれのワンちゃんのぶるぶる!を警戒するところは「あーあ、かわいいんだからなぁ、もう!」みたいな感じになりません?w
そして、自分が好きなエルマー・バーンスタインの話題をしていて、自分の好きな「荒野の7人」をフランクさんも好きだと知って、嬉しくなって子供のようにその歌を大声で歌うところも。
なんて無邪気なんだろう・・かわいすぎ^^

そしてパリスちゃんとのやりとり。
マイケルを笑顔で見上げるパリスちゃんの澄んだ大きな瞳と、彼女を見やるマイケルの伏目がちな優しい視線がイメージできて、ここで涙腺は完全に決壊です。
こんな時いつも思うことは、こんな何気ない、普通の幸せな家族の会話は、本当ならもっともっと続くはずだったのに・・ということ。
穏やかでゆるやかに流れる素朴で幸せな時間・・それらが確実にマイケルたち家族のもとにあったことを、このインタビューで確認できて安堵すると同時に、それはあまりに切なすぎてあらたな涙を誘ってしまいますけれど。


マイケルがクラシック好きだというのは、彼の著作「Moon Walker」でも書いてらしたし、過去記事で少し書いたブレット・ラトナーとのインタビューごっこでも語られていますし、他のインタビューでもチャイコフスキーのアルバムのような完成度を目指して「Dangerous」を作った、とか話していますし、昔から結構どこでも話していますから、ファンの中では周知の事実であったけれど、自身でアルバムを出すつもりだったとは。


ここでは出てきませんが、「HIStory」の冒頭に流れるのもクラシック、モデスト・ムソルグスキーの「キエフの大門」ですしね。
La grande porte de Kiev / Modest Petrovich Mussorgsky


前回出てきたアーロン・コープランドの「市民のためのファンファーレ」もそうですけれど、マイケルはこういう壮大で荘厳な曲を使うのがうまかったですね。
彼は「King」という自身がアイコンであることを充分理解したうえで、あえてその気高さを象徴する演出をしていたのでしょうが、ある意味本当に「愛」で世界を統治する君主(独裁者と言う意味ではなく)として様々な愛のメッセージを込めた曲を創っていたのかもしれません。


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わたしはもともとチャイコフスキーは好きだったのですが、この記事のおかげでさらに多くのマイケルお気に入りの曲を聴けて、新たに教養が深まったような気がします。
彼に影響され、それまで縁がなかった種類の音楽や美術、いわゆる芸術の扉を開けた、あるいはさらに深く興味を持つようになった人は多いでしょうね。
ドビュッシーの月の光、アラベスク1番はわたしも大好き。
マイケルのおかげでドビュッシーが好きになり、彼を足がかりに同じ印象派の、こちらは絵画ですがクロード・モネが好きになり、みたいに自分の内面が豊かになっていくのはとても幸せな事です。

マイケルのクラシックアルバム。
きっときれいな曲たちなんだろうな・・


「The Lost Children」「Child hood」「You Are My Life」
書きながら思い浮かんだのですが、わたしはこれらの曲の美しさが本当に好きで、子供のためのアルバムって、これらの曲よりも可憐で無邪気で美しいメロディなんだろうなと思えば思うほど、絶対に聴きたい!と思うのですが。
そういえば、プリンス君が2歳ごろ、まだINVINCIBLEが出る前に、「The Lost Children」を子守唄のように歌って聴かせていたというのをどこかで読んだような気がしたのですが・・
ま、それはわたしの妄想の思い込みだったとしても、「The Lost Children」の歌詞は切ないものですがメロディは十分子供のためのエチュードとして通用する曲だと思うのですが^^
本当にマイケルの創るメロディは、心の琴線に触れ、様々な感情を呼び起こす魔法です。



でもあの時期に同時進行でこんなに計画があったとは驚きました。
と、同時に、やっぱり彼の目は未来に、決して後ろを向くことなく下を向くでもなく、前に前に向いていたのだと。


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彼が50回と言う回数を自分から望んだとはやっぱり思えませんが、少なくともロンドンをやり遂げる事は、彼が意図せず取り上げられたさまざまなもの・・たとえば

みんなに与えたくても、与える場を奪われ
大切にしていたささやかな安住の城も奪われ
何よりも勝手に着せられた汚名によって、子供たちに手を差し伸べる機会を奪われ

そしてはたき落とされたkingの王冠・・



それらを取り戻すためのチャンス



だと思ったのでしょうか。


仮に逃れられない苦痛や重圧、苦しみを取り除くために何かの助けが必要だったとして
でもその方法は本来ならとるべき方法ではないとおそらく彼もわかっていて
でもそうまでしても、そこまでしてでも、やり遂げたかった事

つい先日ジュリアンズ・オークションが、またもやキャロルウッドのホルムビーヒルズのマイケル邸に置かれていた家具などのオークション開催を発表し、室内の写真がニュースで流れました。
幸いな事に彼のベッドがオークションのリストに入ることはないとのことで、少し安心しましたが。

寝室のアンティークキャビネットの鏡に彼が(多分リップで)書いた文字が。

TRAIN, perfection, March April. FULL OUT May
練習、完璧に、3月4月 全力で、5月


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練習、完璧に、全力で


絶対やり遂げる
絶対成功させる

全力で
完璧に
最高の


だからそこへ到達するために


ゆっくり時間をかけていられない
今は日が迫って来ているから仕方ないんだ、でも
これを成功させれれば
無事にやりおおせれば

きっと自分の決めたある一定のゴール地点までくれば
もう頼る必要もない
そしてUnbreakableでInvincibleな自分にまた



そんな風にあの日々をひとりで戦っていたのだろうか



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などとふと思ったりしてしまいます。
もちろんいつもの勝手な妄想ですが。


あの日の1週間前、シュガーフットを始めとするミュージシャンたちは、(おそらくダンサーも)マイケルとの契約を3年延長したそうです。
それは、マイケルとのグレート・アドベンチャーがロンドンで終わるのではなく、さらに未来へ長く続く事を指していたのです。

マイケルの目は前を向いていたから
奪われたものを取り戻し、新しくて斬新な何かをパイオニアとして何の憂いもなく思いきり創りだそうとしていたから



プリンス・マイケルとラヴェル・スミスのインタビューはこんな風に終わっています。

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マイケルはどんな風に人々の記憶に残りたいと思っていたのでしょうと聞かれて

スミス: おわかりだろうけれど、いつだって彼がファンや聴衆に送り出したものは間違いなく独創的だった、と。革新的だったとね。彼は人に真似られることは気にしていなかったけれど、いつも自分はそれをする最初の人(先駆者)でいたかったのです。

プリンス: 僕は彼がやりたいことなら何でも賛成するつもりでした。彼は最高でありたかった。彼自身はもちろん、バックダンサーたちも、ミュージシャンたちも、照明だって、機材の部品にいたるまで、全部が最上でなければってね。

スミス: カメラもね。あらゆるものにふさわしい動きというものがある。僕は彼がこの言葉を使うのが好きで。正しいカメラの動き。正しい光の当て方。僕が彼から教わったのはこういうことなんです。

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誰もやっていない新しいものを
誰も成し遂げていないなにかを

最高の自分が
最高のできばえで


カウボーイのSFを作り、ギャングスタ映画を作り、POPアルバムだけではなく子供のための曲を書き、新しいインストゥルメンタルのアルバムを作り、わが子らと一緒に世界を回り、子供病院を作り、子供たちに手をさし伸ばし、それからもっとファンをびっくりさせてもっともっと喜ばせて、現実を忘れる最高な夢の時間を沢山作ってあげて、そしてそして・・



そして




彼は天使に抱かれていってしまった


それはさながら

やりたい事だらけで時間も忘れて遊びに没頭し
まだまだ遊びたいけれど疲れてしまって首をこくこくしはじめて
それでも積み木を手から離さずうつらうつらする子供を
ベッドでぐっすり寝かせようとママが優しく抱きあげるように



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そのとき


彼の手からこぼれおちた積み木



そのひとつがオーケストラ編成されたマイケルのクラシックなのだとしたら
いつか完成されて聴けることをただ祈って待とうと思います。

彼の手によってその積み木がきちんとした大きなお城や車に積み上げられ形作られることはないけれど

マイケルが握っていた積み木なのであれば
やっぱりわたしはその積み木を見てみたいと思います。


先に書いたオルテガのお話。
マイケルと企画していたLegs Diamond、それに長編のThriller3-D映画。
昨年、Thriller3-D映画の監督にオルテガが決定した、というニュースが流れました。
当時は少しオルテガに対しても若干懐疑的になっていたので完全にスルーしていたのですが、今はマイケルのやりたかった企画を、同じするならやはりオルテガ以外いないなと思えてきました。
インタビュー内で彼はまだほんの初期段階のプロジェクトだし、どうなるかまだ全然わからないとした上で、こう言ってくれているから。

「僕はマイケルの思い出や作品を台無しにするようなことは断じてしないよ」


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これもある意味、マイケルの積み木。
どうなるかはわからないけれど、オルテガを信じて待とうと思っています。


いろいろな人が彼の思い出を口にして、彼にまつわる本や映像を出してくるけれど、そのどれもがマイケルのすべてを投影したものではなく、あくまでその人の目に映ったマイケルであり、その人が記憶しているマイケルで。
それは嘘ではなくて、でもすべてでもなくて。
嘘ではないけれど真実ではないことなんて、この世には山ほどあるわけで。
そして本当のことであっても知らせるべきではないことだって。

そんな中から、わたしはあくまでわたしの感受性やセンサーにその人のマイケル愛を(決して誉めそやす事ではなくて)感じるものだけをこれからも選んで、受け入れていくしかないわけで。


それでもこれから何があろうとも

どれほど傷つけられても決してぶれることのない毅然とした信念を支えた、彼の気高く美しく、そしてどこまでも純粋で優しい慈しみ深い心

それはいくら泥にまみれようが絶対にくもらないことを

わたしたちは知っているのですから。


それだけはまぎれもない真実なのですから。

Michael's next plan その1

去年の今頃、ひとつの記事を見つけました。
マイケルが2009年6月頃に書いたとされるメモが見つかり、それがネットオークションのe-Bayで落札されたというものでした。(Sourceはこちら

Michael Jackson handwritten note

飲み物がこぼれたくしゃくしゃの用紙は、マイケルが頻繁に通っていたアーノルド・クライン・クリニックのもの。
特徴のある彼の「D」

One year in London 3G?
International # 1 2 3 4 5 albums and single
Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
Who's doing sculpture for Halloween special

でもほとんど暗号のような感じで、どう解釈していいやらだったので記録だけしていたのです。

でも今月の初めに、マイケルとは旧知の間柄であるふたりのブレーンがトークショーに出て、マイケルがTII後に何を計画していたかを話してくれました。
それを聞いて、このメモがまんざら適当な殴り書きではないことと、もうひとつ気になっていた記事があって、それらの点がきれいに線に繋がったので、ここに書き記しておく事にします。


11月1日(日本時間2日)ジャメインがこんなツイートを

Shout out4 Michael Prince & Lavelle Smith Jnr on @PiersTonight 9pm EST. Two valued allies of my brother & integral part of his second family
マイケル・プリンスとラヴェル・スミスJrが9時からのピアーズ・モーガン・Tonightに出演するお知らせだよ。ふたりは僕の弟の重要な盟友で、なくてはならない彼の第2の家族なんだ


Lavelle  MJ

ラヴェル・スミスJrはバッドツアー(1986)からマイケルと仕事をしてきたダンサーであり、振付師。
バッドツアーでもデンジャラスツアーでもヒストリーツアーでもいつもマイケルの右にいますよね^^
TIIは2008年、マイケルがベガスにいる頃(ツアーの名前も決まっていない頃)すでに大まかな振り付け練習がスタートしてたらしく、彼はその時点から関わっていたそうです。

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プリンス・マイケルはマイケルのレコーディング・エンジニア。
TIIで、The Way You Make Me Feelのサウンドチェック時に、「まだだよプリンス!」と音のタイミングをマイケルとベアデンから注意されていた人w
マイケルが「もっと間をとって、余韻が必要だよ」と指示し、ベアデンが「オーライ、プリンス!アチャ・ウーのあと2小節追加だ。最低1小節」と言ったとき、小さく「got it」と聞こえる(空耳?錯覚?w)声がプリンスなんだと思うのですが。
彼も2008年のベガスからマイケルと一緒だったそうです。


ピアーズ・モーガン・Tonightに出演した二人がマイケルの思い出と共に、彼がTIIと共にあたためていた様々なプランを話してくれました。Sourceはこちら

わたしはヒアリングがからきしダメなのですが、幸運にもTranscriptを見つけましたので内容がわかりました^^ そちらのSourceはこちらで。
全訳ではなく今回のお話に必要な部分だけ抜粋させてもらいます。
いつもどおり怪しい意訳なので(笑)そのおつもりでお願いしますねw

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ホストのモーガン: マイケルの次の計画については多くの説がありましたが、彼は何を計画していたのですか?

スミス: 僕らはショートフィルムを作るつもりでした。ご存知の通り、マイケルはショートフィルムを愛していました。僕らは、カウボーイの映画に取り組んでいたんです。

プリンス: Legs Diamond・・

スミス: Legs Diamond.

プリンス: 彼は「Legs Diamond」の現代版ミュージカルみたいなものを作りたがっていました。 マイケルは既にいくつかギャング風なものを作っていましたからね、「Smooth Criminal」のような。

スミス: そう、Dangerousや(Smooth) Criminalね

モーガン: 私は、彼は数ヵ月ごとにシングルをリリースしたがっていたとも聞いていました。
そうやっていって最終的にアルバムを出すと。すごく奇抜なやり方であったね。

プリンス: その通り。そんなやり方なら「スリラー」と比較されません。 彼はツアーを行っている間、多分8週ごとにシングルを出そうとしていました。そうして一旦10曲を出して、新しく2曲を追加したアルバムを出そうと。
さらに彼は子供向けアルバムを作りたかったのです。子供のための美しく純粋な歌・・ご存知の通り、彼はそういうものを書くことが好きだったから。
彼は言葉を入れたくないメロディも沢山かかえていたので、クラシックのアルバムも作りたかったのです

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ロンドンにいる間、2ヶ月ごとにシングルをリリースして、最後にアルバムを出す・・
例のメモ、少しだけわかったような気がしました。

One year in London 3G?
ロンドンに1年(3のあとがGなのかなんなのか不明なのでここはわかりません><)

International # 1 2 3 4 5 albums and single
(その間)世界的に 1~5枚シングルと、アルバムを

※あくまでわたしの勝手な妄想に近い推測です。アルバムじゃなくシングルが本来は複数形にならないとだめですけど、マイケルならアリかな、とかw 5回シングルを出すと合計10曲になりますものね。
メモでは上記をひっくるめて、的なかっこのような印がありますから、それらの斬新なやり方でのリリース案を「Talk to」って感じに思えるんですよね。

Talk to digital people, Universal, Warner make huge $
(この案を)digital people, Universal, Warnerに話す 大きな収益になる

デジタル・ピープルは企業名なのか固有名詞なのか良くわかりませんが、ユニバーサル、ワーナーとなると初めは映画の話?と思いますが、前々回のシュガー・フットのドラム雑誌インタビューで、彼がこんな風に言っています。

「最後の3年間彼は秘密裏に楽曲作りを行っていて、アルバム制作を見据えていたし、ソニーとの再契約するか、他のレーベルにするか、それとも自分のレーベルから出すかということを考えていたんだ」

なので、複数のレーベルに話をしてみるという気になっていてもおかしくないなと。
TIIコンサート期間中に新曲を出しながら、おそらくそれらもセットリストに加わったりして話題を途切れさせないようにして、コンサートが終わる頃にアルバム発売って感じかな。

マイケル・ジャクソン子供病院のためにも・・コンサートとアルバムとでHugeな利益を出したかったのでしょうか・・ね・・。


とにかくふたりのインタビューで、このメモがひょっとしたらきちんとしたプラン内容の覚書かもしれない、と感じました。
そのあとの Who's doing sculpture for Halloween special(誰がハロウィン・スペシャルの彫刻をするのか」は、やはり謎ですが、2009年のハロウィン、マイケルになんらかのアイデアがあったことを匂わせますけれどね・・


そしてミュージカル映画。
Legs Diamond というのは、ジャック・ノーランという禁酒法時代の実在のギャングのこと。
アメリカでは有名なギャングだったようで、彼のエピソードはドラマ「アンタッチャブル」の元ネタになったり、映画になったりしています。

Rise and Fall of Legs Diamond

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日本でも1960年に「暗黒街の帝王 レッグス・ダイヤモンド」という邦題で公開されていました。

そういえばオルテガもちょうどTII公開時期に答えたインタビュー
「マイケルとわたしは複数の映画を企画していた。 TIIが決まる前から、ミュージカルのLegs Diamond、それに長編のThriller3-D映画を製作する話し合いは始まっていたんだ」と語っていました。

Legs Diamondのミュージカル映画・・やる気まんまんだったんだなぁ・・
マイケルは本当にいわゆるギャングものが好きだなぁ・・
きっとダンスをふんだんに取り入れたミュージカルになったはずですね。


それにカウボーイの物語のSF・・
何の曲のSFだったのかな
見てみたかったな

カウボーイと言えば西部劇。
ラテン、悲しい口笛・・ときたらすぐに思い浮かぶのが「Whatever Happens」
アルバムINVINCIBLE収録、カルロス・サンタナの泣きのギターが印象的な、これを思い出してしまいます^^
口笛もサンタナに吹いてもらったんですね。

Michael Jackson - Whatever Happens


何があってもわたしの手を離さないで・・っていう、ね。
マイケルがもしこの曲のSFを作ったなら、絶対カウボーイが登場したんじゃないかしらとか思ったりしました。

そういえば、DangerousのパフォーマンスにSmooth Criminalの一部が挿入されるようになったのは1995年以降だと記憶しているのですが、違ったらごめんなさい。
そのSmooth Criminalの一部のパフォ中に挿入される聞き覚えのある「ぴろりろり~♪」という音楽w
あれは有名な西部劇映画のテーマですよね。
「続・荒野の用心棒」(The Good, The Bad & The Ugly Theme)1966年の映画です。マイケル8歳。
冒頭すぐにわかりますよ!
ね?とても有名だから結構ベタなのもアリなんですね、ジャクソン先生w

Dangerous Michael Jackson - ( Live MTV Music Awards 1995 )


Michael Jackson - Dangerous Live 2002

いつ見てもほれぼれ^^


マイケルはこの西部劇のテーマ曲も好きだったみたい^^
これまたベタで誰もが知っている有名な曲なんですね。
1960年の「荒野の7人」
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Elmer Bernstein -The Magnificent Seven(「荒野の7人」)


この映画は、日本の黒澤明監督の「七人の侍」(1954年)に影響されたジョン・スタージェス監督が、あんまりにもこの映画が好きすぎてついには設定をすべてメキシコに置き換えて作ってしまった「七人の侍」のリメイク映画です。
音楽はエルマー・バーンスタイン。
マイケルは彼の音楽が大好きだったとか。
同じく彼のお気に入りでBeat Itの群舞に影響を及ぼしたとされる「ウェストサイド・ストーリー」の作曲を手がけたレナード・バーンスタインと間違えそうですが、あの泣く子も黙るThrillerのSF監督、ジョン・ランディスの「狼男アメリカン」の音楽担当がエルマーでした。
マイケルはこの「狼男アメリカン」からヒントを得て狼になっちゃったわけですし、当然音楽も聴いていたでしょうし、そりゃ好きな作曲家にもなりますよね。


どうしてそんなことがわかるのかというと、前述した「もうひとつ気になる記事」からね。
これがとても興味深いのです。
この記事も読んだ時は「そうなんだ~」と感激したのですが、なんとなくお蔵入りしてしまっていたもので、でも実はそこにマイケル・プリンスが関わっていて、今回のインタビューでぴたりと繋がったのでご紹介させていただきます。
とはいえ、記事自体は昨年のものなので、結構ご存知の方も多いかもしれませんけれど^^

2009年2月ごろ、TVの刑事コロンボシリーズやスティーブン・セガールの映画音楽の作曲家であり指揮者のデイビッド・マイケル・フランクさんは、冒頭インタビューに出てくるプリンス・マイケルから1本の電話を受け取ります。
それがマイケルの美しいインストゥルメンタル・アルバム(いわゆるクラシックアルバム)が具体的に始動するきっかけとなったのです。

フランク氏は、'96年スミソニアン航空宇宙博物館の20周年を記念して上映された宇宙を扱った教育映画、Cosmic Voyage(IMAXシアター専用3D映画)の音楽も担当されています。(この映画のナレーションはモーガン・フリーマン)
彼の公式HPにもマイケルとのプロジェクトの事がきちんと記されています。

インタビュー記事のSourceはこちら

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4~5ヵ月前、私は、マイケル・ジャクソンの長年のレコーディングエンジニアであるマイケル・プリンスから電話を受けました。マイケルがオーケストラ用音楽をアレンジできる人を探しているのだと。
私はそれがマイケルが準備していたツアーのためのものだろうと思いました。
その1~2ヶ月後また彼(マイケル・プリンス)から連絡があり、「マイケルが直接あなたに連絡をすると言っている」と言われました。

4月の末に、もう一人のマイケル(マイケル・ジャクソンの個人秘書)から電話があり、翌日の午前10時に来てくれないかと言われました。その時私の車のメーカーとモデルを尋ねられました。
私は、彼のホルムビーヒルズ邸まで車で行きました。
玄関のドア前に乗りつけると、彼のアシスタントに中に入るように言われました。
そこで頭に白いターバンを巻いているけれど、家政婦のようないでたちの女性に「マイケル・ジャクソンはまもなく参ります」と言われました。およそ2分後、マイケルが階段を下りてきました。

私は彼が細菌による感染症を心配していると聞いていたので、握手をためらいましたが、彼はすぐに手を差し出して、とても固い握手をしてくれました。
彼は非常に痩せてはいましたが、少しも弱々しくはありませんでした。
スーツ姿で帽子をかぶっていた彼は、この後ツアーのリハーサルに行くつもりにしていました。

彼が「あなたとどこかでお会いしたような気がするのですが」と言ったので、大昔にシュライン・オーディトリアムで行われたサミー・デイビス, Jr.の(彼も参加した)トリビュート番組で働いていて、そこでちょっとの間、あなたにお会いしましたと彼に話しました。すると彼は「僕は、人の顔を決して忘れないんですよ」と言いました。

彼は、私に言いました。「僕には同時進行している3つのプロジェクトがあるんです」
ひとつは全世界が知っていたツアーでした。
私が誰も知らなかったと思っている他のふたつのうちひとつはポップスのアルバム。
それから、彼は言いました、「あとひとつはクラシック音楽のアルバムを録音したいんです」と。彼が言うところのクラシック音楽。

彼は、常にクラシック音楽を聞いているのだと言いました。それが本当に大好きなのだと。
私は彼が挙げた音楽に強い印象を受けました。

アーロン・コープランドの「ロデオ」

古きよき時代のテキサスって感じです♪

「市民のためのファンファーレ」

MJ30TH アニバーサリーJacksonメドレーのオープニングで使われた曲でもありますね!

「リンカーンの肖像」

あっこの曲か!って恥ずかしながらここで知ったというw

レナード・バーンスタインの「ウエストサイドストーリー」。


私はレナード・バーンスタインの「波止場」について語りました。

若き日のマーロン・ブランドの主演映画

するとマイケルは、エルマー・バーンスタインの映画音楽も好きだと言い、特に「アラバマ物語 」について語りました。

ローマの休日でおなじみグレゴリー・ペックの主演映画、これ絶対マイケル好み!ね♪

私は彼の語るクラシックのほとんどが、とても子供らしくシンプルでかわいらしいことに気づきました。
そう、プロコフィエフの「ピーターと狼」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」のような。
彼はまた、ドビュッシーの、特に「アラベスク1番」「月の光」については何度も語りました。


ピーターと狼


くるみ割り人形・・白戸家のおとうさんw


ドヴュッシーのアラベスク1番


ドヴュッシーの月の光 大好きな1曲 

音楽について話す時、彼はとても穏やかな声なのですが、何かに活気づけられると、別人のように変わりました。
彼は自分がどれほどエルマー・バーンスタインを愛しているかを語っていて、私が「荒野の7人」が好きだと言った途端、マイケルはそのテーマ曲をほとんど叫び声に近い大声で歌い始めたのです。

彼は「僕はCDを作っているんです」と言いました。
息子さんのプリンスが入ってきたので、マイケルは彼にCDプレーヤーを探すよう頼みましたが、お嬢ちゃんのパリスがそれを見つけて、プリンスと一緒に持ってきてくれました。
マイケルは、CDを再生しました。
それはとてもチャーミングで心地の良い音楽でした。
「でも未完成なんです」と彼は言いました。二つ目の作品を再生した後、彼は言いました「これもまだ完成していないんです。でもハミングで歌えますよ」と。
私が家にピアノがあるかと尋ねると、彼は「プール・ハウスに1台ね」と言いました。

我々はそこへ向かおうとしましたが、犬がプールの傍でずぶぬれになっているのを見て、マイケルは立ち止まりました。
彼は、犬がブルブルッとしてこちらに飛び散る水がかかるのが嫌だったのでしょう。おかしな話でした。
我々が彼のプール・ハウスに行く間、マイケルはもう一人のアシスタントに犬を押さえさせていました。

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マイケルのプールハウス

私はピアノに座って、マイケルは欠落していたパートをハミングしました。
私は、小さなデジタル・レコーダーを持ってきていたので、録音が可能かどうか尋ねました。
彼は絶対音感の持ち主でした。
私が彼のハミングに合うコードを出すと、「あなたのコードに関する直感は全く完璧だね」と、彼は言いました。

我々は、さらにクラシック音楽について話をし、私は、ドビュッシーを何曲か弾きました。
マイケルはとても幸せそうで、私に安心感を感じてくれていると思いました。
彼は再びレナード・バーンスタインについて語り、私は「ウエスト・サイドストーリー」から何曲かを弾いたのです。
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BADだ~♪

マイケルは、かつてバーンスタインに会った際、彼から「僕は君の大ファンだ」と言われたという話もしてくれました。
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Qとマイケルとバーンスタイン

プールハウスから戻って、彼が部屋から部屋へ移る時に、そこかしこで聞こえてくる声。
「大好きよ、パパ」「パパもだよ、パリス」・・彼らは全くもって普通で幸せそうでした。

マイケルは、曲を調整し大きいオーケストラとともにレコーディングすることを切望していました。
私はフォックス、ソニーまたはワーナー・ブラザーズなどでレコーディングしてはと提案しました。
私が、誰か予算を検討することができる人間から連絡をもらいたいと言うと、彼は取り図ると言いました。
私が家を出た時、数人のファンが門の外にいました。

その後、私は電話でマイケルと話しました。
彼がプロジェクトがどのように行われているかについて尋ね、私は我々が契約をセットできる担当者からの連絡を待っていたと答えました。
彼がロンドンでショーをやる間に、かの地でのレコーディングを私は提案しました。
彼はそのアイデアが気に入り、またもや「アラベスク」について語りだしました。

私はコンピュータにすべて音楽を入力し、オーケストラアレンジに着手しました。
ついに、マイケルが逝く一週間前に、彼のマネージャー(フランク・ディレオ)が私に電話をしてきて、予算と音楽ファイルをメールするよう求められました。


現在、私は、何がこれで起こるのか全くわかりません。
私は、ジャクソン家がこれをどうにか形にできる何かをしてくれる事を望んでいますし、適切な時期までこれを持ち出すつもりはありません。
私の推測では、各々の曲が長さ7~10分であるということです。
それぞれが歌よりも内容が充実した、とても愛らしい音楽です。
中にはアイルランド風のものもあります。私は、アイルランドのケルト民族のハープを使うことができるように提案しました。
それらは、とても伝統的に調和がとれていて、また、とても力強いメロディーで、綺麗な映画音楽のように聞こえます。
そのうちの1曲は少しジョン・バリーっぽく、「愛と哀しみの果て」のようです。


愛と哀しみの果て メリル・ストリープの映画ですね

私の頭の中で、ゆったりと広がりを感じさせる弦楽器とフレンチホルンとが調和して響いていました。

私はマイケルに、このレコーディングをするときは、オークションで買ったレナード・バーンスタインのタクトを使うつもりだと言ってました。
彼はきっとおおいに面白がったでしょうね。
もし私が指揮する事があるのなら、このタクトを使うと思います。

--------------------------


長くなりました。

続きます。
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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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