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最後まで現役

Happy Birthday, KING OF POP!\(^o^)/


今日はマイケルの58才のお誕生日

どんな58才になっていたのだろう
想像つかないけれど、きっとステキに違いないw

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かつて若い頃、彼はステージ上が一番落ち着くと語った

マイケルは逝く前日までステージにいた
その日Thrillerのセグメントで、はじめてダンサーたちは本番用の衣装を身につけて踊り
彼は歌いながらも曲がThreatenedに移った後のダンサーの動きをせり上がるセットの上から指をくるくる回して指示していた
大好きな場面のひとつ

Michael Jackson - This is it (the Thriller- Threatened mix)


彼がショウをコントロールしているシーンだからね



ここにきて想う

マイケルはぎりぎりまでステージにいて

それまでの周囲の心配も
自分自身の調子の悪さも
さまざまな問題も
不満も
不安も

全て吹っ飛ぶリハーサルをやってのけたんだ

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稀代のエンターテイナーとして
ファンを行った事のない場所へエスケープさせるため
King Of Popの一度ははたき落された王冠を再び戴くべく威風堂々と

唯一無二で不世出な音楽の神の申し子、MJとしてステージの上にいたんだ

ぎりぎりまで現役でステージに立っていたんだ



彼の歌声は未だ色あせず
誰にもまねできない踊りは今なお美しく
ステージ上で天を仰ぐその姿に魅了される人は後を絶たない

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あたしはステージを降りたマイケルが
どんなことを考えて
どんな風に物事を感じたり見たりしているのかを知りたかった

ブログに書くのだから単なる妄想や願望だけではまずかろうと
できるだけ出典を明らかにしつつ、自分が知れた彼の横顔をほんの一部だけ拾っては書いた

古くからこのブログを読んでくださっていた方が、非公開のコメントで
「akimさん、一周まわられたんですね」と書いてくださったのだけど、自分でも驚くほど腑に落ちたw Pさん、ありがとう!

歌や踊り、アーティストMJとしての彼だけではなく
マイケル・ジョセフ・ジャクソンさんをもっと知りたくて
そうして

7年かけて

一周して

今、あたしはただ唯一無二の素晴らしいエンターテイナー、MJの

はかなげなのに力強い歌声に聴きほれ
360度どこから見ても絵になる美しい踊りに酔いしれ
一瞬にして幸せを運んでくれる笑顔に魅了されている、という

振出しに戻っただけなんだなぁと



沢山のことを教えてくれてありがとう マイケル

あなたのことを解ったなんて、これっぽっちも思ってないけど

別にわからなくてもいいかなって思ったんだよね

MJとしてのあなたが残してくれたものを大切に楽しめばそれでいいかなって

「そうそう、楽しんでくれればそれでいいんだよ」って言ってくれたような気もしてさぁ (幻聴


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ということで

このブログは本当は今日をもってきれいさっぱり記事を消そうと思ってたのですが
ちょっともったいない気もするので(笑)
しばらくはおいときますw


このブログを更新するのは終わりますが
akimはずっとMJファンですんで、そこんところ夜露詩句!

ここを訪れてくれた方にも心からの感謝を


7年

先日、カニエ・ウェストの最新曲がビルボードチャートのトップ40入りし、男性アーティストのトップ40入り曲数ランキングで、39曲の記録を持つマイケルを超えました。
そんなランキングがあったことも知らなかったし、実際「あー、そうなんですか」的感想しかなかったのだけれど、ファンの中にはそれについてどえらく怒った人もいて、自身のインスタグラムで「カニエ腹立つわー!」的なことを書いたら、パリスちゃんがその人に向けてこう綴ったんです。


The first time I ever heard Kanye's Heartbreak album was from my dad, he played it for me all the time. He liked him.
He never saw music as a competition or a game, never had a motive to talk shit about other artist.
It was always about the love and respect and appreciation for music.

私がはじめてカニエのアルバム Heartbreak (808s&Heartbreak/2008年)を聴いたのは、パパがかけてくれたからよ。いつも私のためにかけてくれたの。カニエはパパのお気に入りだった。
パパは音楽を競争やゲームだなんて思ってなかったし、他のアーティストの悪口なんか言ったことないわ。
いつも音楽に対して愛をもって敬意をはらって感謝していたの。

So if someone breaks a new record, be happy for them. They worked hard for it and they earned it.
Don’t be angry or jealous or bias. Music is music and if it’s good it deserves recognition.

だから、もし誰かが自分の記録を抜いたら、きっと彼らのために喜ぶわ。だって彼らはそこへ辿り着くためにとても頑張ったんだもの。それは彼らの努力に値する結果なのよ。
怒ったり嫉妬したり偏見をもったりしないで。音楽は音楽だし、いい音楽にはいいと認める価値があるのよ。


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パリスちゃん、しっかりマイケルイズムが根付いてますー^^

生まれた時からそばにいてくれたパパ。
人として大切なことを時に厳しく、時に愛情深く教えてくれたパパ。

彼女の中でマイケルがしっかり息づいているのがよくわかってとても嬉しい。


時にファンは、好きなアーティストのことが好きすぎて、少しの批判にも敏感に反応して必要以上に激昂したりすることがある。
その人の記録や実績をおびやかすアーティストを敵対視したりすることがある。
その人を想うがゆえに誰かを屈服させたがることがある。
同じファンでもその人への忠誠心がどれぐらいかをはかり、優劣をつけたがることがある。

そのアーティストを愛するがゆえ、守りたいがゆえのこと、と彼らはいうだろう。


古今東西、今も昔も、ファンというのはそういうものなんだろう。




あたしもそんな時期があった。

自分の無知が悲しくて、彼の事を深く知りたかった。
知ることで彼との空白を埋めたかった。

彼に対する偏向報道が許せなかった。
彼への誤解をときたかった。

いてもたってもいられずにキーを叩いて
ブログを書いて書いて書きまくった。

自己満足に浸り、自己中心的な文章を綴り、時に自分で書いた記事に酔った時もあったと思う。
きっと自分の中で勝手な正義を振りかざしたこともあったかもしれないし
自分が一番よくわかってるなんて、恥ずかしくて死にそうなこと思った時もあったかもしれないし
自分の中でMJのため、MJを守るため、なんて大馬鹿野郎の勘違い野郎になり果ててた時もあったかもしれない。

ばーかばかばか、akimのばーか
恥かしー!ひー!><


そのうち、知れば知るほど、もう自分の筆力では書ききれないと思うことが増えた。
書いては消し、書ききってもお蔵入りになる記事が多くなってきた。

マイケルは本当に驚異的な人。

アーティストとしてもダンサーとしてもシンガーとしてもクリエイターとしても
人としても親としても

そしてなんて複雑で深くて面倒くさくてかわいらしくて人間味あふれる人だろう。


マイケルブログみたいになって7年経った。
7年前の7月7日が、本当の意味でマイケルのところへ出戻った日だった。
出戻りの自分がちまちまとでもよく続けてこれたと思う。
出戻りのくせに偉そうに、何様だって自分に突っ込みいれながら書いた7年だった。

ブログを書いたからこそ、マイケルにいろんなことを教わることができた。
彼からいろんなものを与えてもらった。
自分の一生の指針となるものを伝えてもらった。

こんな風に思えるアーティストは、後にも先にもマイケルだけだと思う。


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そんな風に綴ってきた別館akimですが
彼の誕生日を区切りとして、更新の終了を決めました。
書けない状態でずるずる引っ張るのは、自分の性格上我慢できませんし
あたしは別れを切り出せない男が一番嫌いですし(て、知るか
そうです。自然消滅が嫌いなんですw


こんなヘタレブログに訪れてくださった方に心から感謝します。
長い間、読んでくださって本当にありがとうございました。


さあ、もうすぐ彼の誕生日。

世界中が彼を称え祝う日がやってきます。

ではその日にまた^^


7回目の7月7日

7年前

7月7日

衛星中継

高速道路を走る黒塗りの車

ステープルズセンター

薔薇で飾られた棺

Heal The World

子供たち


この日、初めてこれは現実で、夢でもどっきりでもないと思い知らされた

7月に逢おうと言ったそのひとはあの棺の中で眠っているのだ
棺はもう開かない
彼はもう歌わない
もうもどってこない

もう いない


中継終って泣いた わんわん泣いた



今日はあの時から数えて7回目の7月7日


あの時生まれた赤ちゃんが、この春からランドセル背負って、七夕様のお願いごとに「ユーチューバーになれますように」なんて書いちゃったりするんすよ奥さん

昨日のことのように思い出せるけど
遠い昔のことのような気もする



7年ぶりにこの曲を聴いてみた

エイコンが7年前にMJに捧げた曲

Akon - Cry out of Joy - Michael Jackson Tribute

素敵な日本語訳つきはこちらから


7年前はCry Out Of Joy が「喜びの涙を流すんだ」と訳されてて、そんな無茶な・・この涙のどこに喜びを混ぜろというの?そんなん絶対無理やがな・・と思った


7年経ってあらためて聴いたら
涙もいいけどあえて「喜びの声を上げるんだ」という気持ちになった

MJが残してくれたもの
MJが届けてくれたもの
MJが同じ時代を生きてくれたこと

それを大切にできること
それを受けとることができたこと
そんな奇跡を味わうことができたこと

その喜びを

その喜びを声に出そう 彼に向けて 彼のために 

世界一の笑顔 やすらげる歌声 誰にもまねできない優雅でしなやかな踊り
聴くだけで 見るだけで 幸せになれる

その幸せを叫ぼう 彼に向けて 彼のために 彼に届くように

彼はわたしたちに沢山与えてくれた
個人個人で違うだろうけど、とにかくたくさんいーろいろ

その感謝を叫ぶんだ 彼に向けて 彼のために 彼に届きますように


7年前もエイコンは歌っていた

One word for the media, please help the people see the love
Stop this garbage you're feeding us


変わんないんだ 相変わらず 
そんなに閲覧数を伸ばしたいか、あんなソースも不明で裏取りもしていないゲス記事を
タイミングよくメモリアルにぶつけるなんて
もはや自分で抗議もできない人の名誉を今さらまた汚そうとするなんて むきー!

っていうゴミがまた出回ったけれども


MJファンなら「あー、くだらない」ってわかっているけど
家族たちにはたまらなく辛い話だ
パリス、タジ、ジャメ兄の抗議に胸が痛む

と思っていたら

USA TODAY紙がきちんと擁護の記事を出してくれた
そして日本も週刊新潮が「しょうもない情報が出てもうて、マイケルほんまに災難ですなぁ」的記事を書いてくれてた

至極まっとう
こういうのをGood Jobと人は言う



てことで、エイコン
ゴミをまき散らすメディアがあれば、ゴミを「これはゴミですよ」と教えてくれるメディアもあったよ(笑)


One word for the media, please help the people see the love
Stop this garbage you're feeding us, show him for what he really was
Remember there was more to come, remember he's the chosen one, remember he's the wisest one

メディアにひとこと みんなが愛を見出すことに力を貸してくれないか
餌みたいにゴミを撒くようなまねはもうやめてくれ 本当の彼の姿をつたえてくれよ
どうか覚えていてほしい
もっとすごいことが起こるはずだったことを 彼が選ばれし人だということを どれほど思慮深い人だったかを

Remember him for what he's done

彼のしてくれたことを 忘れないでくれ




MJがわたしたちにしてくれたこと

それを忘れないで


この曲を聴いたらやっぱりでてしまった涙

でもね

7年前の涙とは違うんだ

あの時の後悔の気持ち
懺悔の気持ち

そういう感情は7年という月日によっていつの間にか浄化されて

今は彼のファンでいられている喜びと誇りの涙に変わったんよ

In this lifetime I wonna thank you
We cry out of joy for you
There's so much joy in our heart

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涙に喜びがまじるのに7年かかったけど

生きてる限りありがとうというよ

ほんまありがとう マイケル




優しい、けど厳しい、でもやっぱり優しい

あたしは実は常々思っていた。

マイケルって昭和だな~って。

1958年って昭和33年なのよね奥様、ご存じ?


基本あの方のお国は日本ではないので、昭和と言う年号のついた時期にお生まれになっていても、本人にしたら「は?なんですて?」ってなもんでしょう、そうでしょう、そうでしょうけれども!

それを激しく感じるのは、彼とパジャマの関係。

パジャマ



パジャマ・・・

てさ、



着る?


あたしはもう記憶にないぐらいパジャマ着て寝ていない。

あたしが言うところのパジャマって言うのは、コットンのほら、きちんとした前ボタンの。

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2006年にマイケルが滞在したアイルランドのコテージに置き土産として置いて行ったパジャマ

そうそう、こういう形ね、コットンの・・て、これつるっつるやん、シルクやん!
男でシルクのパジャマ着る奴なんて信用できないっていう持論を、これ見てかなぐり捨てたわ、捨てましたとも!

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でもさ、やっぱりマイケルはコットンのパジャマがよくお似合いよ、こういう・・て、あーあ・・んもう、いろんなところをぴっぴって直したい!そしてアイロンかけたい!いろんなところを丁寧にかけたい!\(^o^)/


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コットン推しのあたしでも、お仕事ならよそ行きの素材も許す!
ちなみにパジャマに「よそ行き」という概念を持ち込んだのはジャクソン先生が初めてですよ!
うかうかしていると試験に出ますよ!
問1 外出する際は、どんな色柄のパジャマでも配色素材一切無視して○○○○○羽織ります。
はい、穴埋め問題!
そう!正解は「ジャケット」!ここ5点ですよ!



今ってスエットとかTシャツで寝る人多いと思うんですけど
こういう感じのザ・パジャマ!っていうパジャマをマイケルはいつもきちんと着ていたでしょう?
子供たちもパパと同じにちゃんとしたこういうパジャマを着ていたよね。

寝るときはきちんとパジャマに着替えて寝なさい、的な。

ここが昭和に育ってそういう古き良き教育を受けた人っていう印象を与えるのだわ。
(ま、ジャクソン先生本人は「寝るとき」も「外出するとき」も「人をお招きするとき」も分け隔てなしにパジャマLOVEだったんだけどw)

親が持つ、こうあるべきという規範のある一線を我が子が逸脱したら、きちんと指摘して反省を促すとか。
きちんと挨拶をしたり、きちんとお礼が言えたり、きちんと謝れたりとかといった基本とか。
そういう礼儀や作法を子供に教えるといった、いわゆる「しつけ」。
親の怒りや八つ当たりといった感情から放たれる怒号や体罰で子供を威圧したり屈服させるのではなく、きちんと言葉で納得させながら教える「しつけ」。

なかなかにむずかしいことではあるけれど。

マイケルのお父ちゃんジョーは1928年、昭和3年生まれだよ~(@_@;)
そんな昭和一桁の考える当時の躾って、星一徹に間違いないじゃんね。
しつけ=体罰って思ってますけれど何か?っていうタイプ。
怒鳴って子供を委縮させ、なんかっつったら平手が飛んで、ちゃぶ台もひっくり返す(アメリカだからそれはないか)、何でも根性と気合でどうにかしろって無茶を言う、みたいな。

あたくし事で申し訳ないが、うちの父親もそれに近いタイプだった。
子供心に理不尽な平手打ちをくらったこともあったし、夜9時の門限やぶって3時間正座させられて怒鳴られて延々お説教とか普通にあった。
3時間の正座が傷心のあたしにもたらしたものは、反省でも忍耐力でも悟りでもなく、完全白目丸出しの痺れだけだった。

あと、小学校1年の時、算数を教えてくれたのはいいのだが、12-7=?みたいなのをね。
でもその威圧感たるや・・

父 「2から7は引けるか引けないかどっちや!?」 すでに声でかくて怖ぇ
akim 「・・引けない・・」
父 「そやろ!!ほなどうすんねん、え!?」 どうするねんて言われても・・
akim 「・・・」
父 「どうするねん!!」 イライラメーター順調に上昇中
akim 「・・・」
父 「なんでわからんねん!隣から10借りてくればええんやないか!!」
akim 「・・・え・・となりって・・まつおかのおばちゃん(当時の隣家のおばちゃん)から・・?」
父 「アホかおまえは!!!」 机バンバン!!
akim 「う・・う・・ごめんなさ・・」
父 「こら!こんなことぐらいで泣くな!!」
akim 「うっだって、だって、うっ、うわーーーーーん!!」

ああ、今思い出してもかわいそうで泣けてくるw
おかげで今でも引き算キライよね、どうしてくれる\(^o^)/


マイケルがそういう父(一緒にしたよもうw)、ジョーを反面教師として、「絶対あーはなるまい」と心に決めてたっていうのは、有名な話。
ここで何回かご紹介しているバーニー先生の本(これとかこれとかこれとか)の中でも、そういうことについて触れています。
マイケルとバーニー先生が話しているそばで、プリンスとパリスがおもちゃで遊んでいます。
だんだんその声の大きさはエスカレート。
たまらずマイケルは子供たちに注意をします。

“Prince! Paris! Barney and I are talking and we can barely hear each other over all your noise.
Try to keep it down.”
「プリンス!パリス!バーニーと僕はお話ししているんだよ、でも君たちの大きな声でお互いの声が聞こえない。
もっと小さい声で遊んで」


子供たちは素直に「ごめんなさい、ダディ」としおらしいのだけど、すぐにその声は大きくなってしまいます。
再び注意するマイケル。素直に謝るふたり。しばらくは静かになるものの、二人の遊び声はまたまたでかくなって。
マイケルは頭を振ってバーニー先生に苦笑しつつ、ふたりに向き直って目を見ながら言います。

“you know you guys, I would’ve been spanked by now.”
「ふたりともわかってる?僕が子供の頃、君たちのようなことをしたら、今頃とっくにぶたれているよ」


バーニー先生は「ぶたれるって本当に?」とマイケルに尋ねます。

“Absolutely. My dad used to beat us a lot.
When we were kids I remember when he’d come through the gate after work, all of us would run and hide. We were so scared of him.
I made a promise to myself years ago that I would never spank my children or make them afraid of me the way I was afraid of my father.”
「もちろん。僕の父は僕らをよくぶったよ。
子供の頃、父が仕事を終えて玄関に入ってくると、僕たちみんな走って隠れたことを覚えている。すごく父が怖ったんだ。
僕は随分前に誓った。絶対に子供たちをぶったり、僕が父を恐れたようなこと、子供たちを怖がらせることなんて、絶対にしないってね」

Private Conversations in Neverland with Michael Jackson 「Prince and Paris」より一部抜粋

とはいえ、マイケルが子供に甘々でやりたい放題させてたかっていうと、そうじゃない。
同じバーニー本からですが、バーニー先生とマイケルが初めて会った時、プリンスは4歳でした。
でもマイケル父さんはびしっと言う時は言うのですw

バーニー先生が初めてネバーランドを訪れ、みんなでディナーを囲んでいた時。
マイケルとバーニー先生が話をしている途中で、プリンスがバーニー先生に話しかけます。
「ねぇ、バーニー!このあとゲームが沢山あるアーケードに行くって知ってた?」
するとマイケルがすぐさま

“Prince, what did you do?”
「 プリンス、今何をしたの?」


プリンスは少し戸惑っていたものの、すぐに気付いて「あ・・ お話の横入りしちゃった・・」

“That’s right you did. Now what happens?”
「そうだね、 パパたちの会話に割って入ったんだね。さあ、どうするの?」


そこでプリンスはバーニー先生に向かって「横入りしちゃってごめんなさい、バーニー」と謝ったのだそう。
マイケルはバーニー先生にこう言いました。

“He’s excited because he gets to go to the arcade tonight.
The arcade was off limits except for special occasions.
If I don’t do that they’ll get bored with it and not see it as special anymore.
It keeps them from taking it for granted. ”
「彼は今夜アーケードへ行けるから興奮しているんだよ。
アーケードは特別な時を除いては、子供たちを入れないんだ。
もしそうしなければ、子供たちは飽きてしまって、アーケードを特別なものとはもう思わなくなってしまう。
当たり前だなんて思わないようにそうしているんだよ」

Private Conversations in Neverland with Michael Jackson 「The Arcade」より一部抜粋

昔、友達の家へ遊びに行った時、同じような事がありました。
3つか4つぐらいだった友達の息子ちゃんが、わたし達の会話にガンガン割って入ってくる。
彼女は「もう、うるさい!あっちで遊んどきー!」と怒っていたけど、わたしもこれぐらいの子供って、こんなんだよなぁって思っていたから、別に何とも思わなかった。
逆に彼女が「今何をしたの?そんな時はどうするの?きちんとママのお友達にあやまってちょうだい」なんて言ったら、どっひー!きびしー!って驚いて、「いーよいーよ」なんて言っただろうなぁ・・


それではここからマイケルが子育てツンデレ・・じゃない、彼が子供を育てる上で大切にしていた信条がわかる、数々の証言を集めてみましょう。

■証言者:ジャメ兄 自書の中で語る

His performance as a father was an example of what fatherhood should be. He instilled in them the love Mother gave us, and he provided the kind of emotional fathering that our father, through no fault of his own, could not. Michael was father and mother rolled into one and he took that dual role very seriously.
That didn’t mean he was a pushover, though: his discipline was authoritative without being physical.
父親としてのマイケルの行いは、父親がどうあるべきかの良い例だった。彼は、母が僕たちに与えた愛を自分の子供らに注ぎ、父にはなかった(父自身の過ちではないにしろ)情け深い父親としての愛情を与えていた。マイケルは父親であり母親だった。彼はそのふたつの役割をとても真剣に果たしていた。
それは、子供の言いなりになるという意味ではない。彼の躾は、体罰とは無縁だったが有無を言わさず厳しいものだった。

I remember once when both Prince and Paris were acting up and I was visiting with my children, Michael’s voice was no whisper in the wind that day:
“I’m so ashamed of you acting like this!” he told them. “Now go to your room!”
一度僕が自分の子供たちを連れて彼の家を訪ねた時、プリンスとパリスがふざけて騒いでいるとマイケルは言った。彼の声は決して囁くようなものではなかった。
「君らのこんなふるまいを恥ずかしく思うよ。今すぐ自分の部屋へ行きなさい!」

He was huge on teaching them manners, respect and kindness, and he would insist that they spoke when someone walked into the room.
He would tell them: “Introduce yourself….Say hello…..Say your name.” When an adult walked in, it was no excuse to be distracted by toys.
彼は子供たちにマナーや人に対して敬意を払う事、人に親切にすることを熱心に教えていた。彼は、誰かが部屋に入ってきた時にはきちんと挨拶をするように、と子供たちに強く教えていた。
彼はよく言っていた。「自己紹介をしなさい。ハローは?。名前をちゃんと言って」大人が入ってきた時に、おもちゃに気をとられていたなどという言い訳は通用しなかった。

His directness was part of the honest communication that he felt was paramount in raising a child: always tell them, every single day, that you love them, hold them and be with them when they fall asleep so that they trust you will be there for them―as he always was.
彼のこの率直さは、子供を育てる上で最も重要だと感じていた誠実なコミュニケーションの一部だった。それは、いつも子供たちに伝える事・・毎日欠かさずに。彼らを愛していると。彼らを抱きしめ、彼らが眠りに落ちる時にそばにいてあげる事。親がそうしてくれる事で彼らは安心し、親を信頼することになるのだから。彼はそうしていた。いつも。
You Are Not Alone-Michael-Through A Brother's Eyes P.370 チャプター 19 UNBREAKABLEより一部抜粋


アメリカではしつけの一環として「Time Out」というものがあります。
何か間違ったことをした子供に反省を促すために、一定時間自室へ行かせるというやり方。
昔の学校であったような、「廊下で立ってなさい!」的な感じで、部屋の壁の前に立たせるというタイプもあるそう。
しかし、これは普段からきちんと子供に教えていないと、ただ「部屋に行きなさい、見たい番組がある?んなもの却下!」というのだけでは、何の効果も意味もなさそう。
マイケルの子供たちは「部屋へ行く」事の意味、すなわち「部屋へ行きなさい」=ダディ怒ってる=何かやってしもた=そりはよくない事なのだ=振り返って反省せねばならぬ、という事を、よく理解していたようです。
それにまつわるのが次のお話。

■証言者:テディ・ライリー、インタビューで語る source:MTV.com

I felt so nervous meeting his children. He brought them in and he said, ‘I want you to meet Paris and I want you to meet Prince.’ And they walk in, playful. And then he was like, ‘This is Theodore’. He didn’t say Teddy. They were like, ‘Hi, Theodore!’ And it was just the greatest feeling.
マイケルの子供たちに会うのはとても緊張した。彼は子供たちを(スタジオに)連れて来てた。で、「パリスとプリンスを君に会わせたいんだ」って言ってくれたんだ。
そして子供たちがやって来た。お茶目な感じでね。彼が子供たちに僕のことを「こちらはセオドアだよ」って、愛称のテディじゃなくてちゃんとした名前で紹介してくれた。子供たちときたら「こんにちは、セオドア!」ってね。ホント最高の気分だったね。

He read them a book every day. When we were in Virginia during the Invincible [sessions], there was not one day missed reading the children something. So that showed me right there that he was an incredible father.
彼は子供たちに毎日本の読み聞かせをしていたよ。その時、僕らインビンシブルのアルバム作業でバージニアに居たんだけど、子供たちに読み聞かせをしない日は1日たりともなかったね。だから彼が素晴らしい父親だってことがわかったよ。

He was like, ‘I would never have them go through the same things ever in their lives. I think the best scolding for children was a time-out. The best scolding for children was, Let’s read a book.’
He sent them to the bunks with no TV. For me, that’s a good time-out. But the kids, they knew what it was.
彼はこんな風だった。「僕は子供たちに、自分と同じような目には絶対合わさせない。僕が思う、子供を叱るのにいい方法は「タイムアウト」だと思う。一番いい叱り方は、部屋に行って本を読みなさいっていうのだよ」
彼は子供たちをテレビの無い寝室へ行かせるんだ。僕からしたら最高のタイムアウトだと思うよ。でも子供たちは、そのタイムアウトの意味するところをちゃんと分かっていたね。


■証言者:フランク・カシオ 自書で語る

He loved his children deeply. He fed them, changed their diapers, held them, spoke to them.
Michael didn't believe in baby talk.
Speak to children as if they're adults, he said. Trust me, they understand. And it's better to train them to speak properly from the start.
マイケルはわが子を心から愛していた。子供たちに食事を与えておむつを替えて、抱っこしながら話しかけていた。
彼は赤ちゃん言葉で語りかけることを、よしとしていなかった。
「子供であっても大人に話すようにちゃんと話すべきだよ。間違いない。この子たちはちゃんとわかるんだから。それに最初からちゃんとした言葉で話すことを教えたほうがいいんだ」とマイケルは言った。
My Friend Michael CHAPTER 9 「A NEW FATHER」より一部抜粋 

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最後の証言はご本人^^ はからずもジャメ兄証言の裏がとれた感じのw

To make them hold their hands and look them in the eyes and tell them, "I love you." That would be remembered forever. I do it to Prince and Paris every day.
あの子たちの手を握って、ちゃんと目を見て「大好きだよ」って言う。そういったことはいつまでも記憶に残るんだ。僕はプリンスとパリスに毎日そうしてる。


Loved, truly loved... to touch their hand, because kids go a lot by touch, and they need to be held, and people know those kinds of things. But they don't know the power.
自分は愛されているって、本当に愛されているんだって・・子供たちの手に触れてあげれば彼らはわかるんだよ、触れあいが大事なんだ。それと、抱きしめてあげることもね。そういうことを、人はわかっているんだろうけど、そのパワーを理解していないんだ。

MJ Tapes Part8 「Being Dad Prince and Paris」より一部抜粋


小さな頃から、理解できると信じて大人に話すように様々な事を教えてきたんだろうな。
つくづくすごい人だと思う。

譲れないところは厳しく
同時にこれでもかってぐらい抱きしめて、あふれんばかりの愛情をそそぐ

自分がもらったものはその何倍も
もらえなかったものはその何百倍も

子供たちに与えたかったんだろうなぁ。


マイケルの棒読みっぽい本の読み聞かせ

多分いつもあんなんだったんじゃないかな(笑)


もうずいぶん大きくなった子供たち。

MJの子供というバックグラウンドは生涯ついてまわるだろう。

でも、自分のお父さんがどれだけ自分たちを愛していたか、このことだけは胸の奥に絶対消えない灯として、いつも大切にできていたらば、彼らは自分たちの部屋へ行かなくてはいけないことがあっても、どこかで迷子になりそうになっても、その灯りを道しるべに自分の人生を精一杯歩けるんじゃないかな。
マイケルに似て賢いお子達だから。


最後にあたしの大好きなエピソードをもうひとつ。
何気ない一言に「思いやりを忘れんじゃないよ」的指導と愛情がたっぷり詰まってる、愛くるしいパパと子供の会話です。

Prince: Daddy. I want to see Peter Pan.
MJ: Me too.
Prince: I want to go fishing.
MJ: I'll take you fishing one day as long as we throw the fish back after we catch it.
MJ Tapes Part8 「Being Dad Prince and Paris」より一部抜粋

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ダディ、ピーターパンにあいたいよ

ダディもだよ

おさかなつりにいきたい

釣った魚を逃がしてあげるなら近いうちに連れていってあげようね



マイケルの読み聞かせ

去年書いた記事は「続く」となっていて、当然それの続きがあるよね~って思わせといて、そっからうんともすんとも更新がなく、やっと更新したと思ったら「全然続きじゃないじゃん!ジャネ子の話しじゃん!」ってなって、「次は必ず続きを書きます」とか言っておきながら、そっからまたもやなしのつぶてで、ようやく更新しよったわい、と思いきや、「二つ続けてプリンスかいな!」っていうね。

もはや「書く書く詐欺」だといわれても頭を垂れるしかない。
いやはや、申し訳ない。

ボウイの時もショックではあったけれど、いかんせん彼に関してはLet's Dance と「戦場のメリークリスマス」しか思い出がなかったから、正直マイケルがカルピスの原液だとして、ボウイは10,000倍に希釈されてたっつうか・・

でもプリンスはね。
彼のTwitterとかたまにタイムラインに入ってきてて、「元気でやってるな~」とか思ってたし、最近の彼はうまいぐあいに年齢を重ねてる感じで、アフロも原点回帰っぽくてレジェンドの風格漂ってるな~とか思ってたし、ピアノの弾き語りツアーとかしてて、何ていうか、彼のファンを羨ましいな~て思ってて、プリンスは楽器何でもできるミュージシャンだから、ステージを所狭しと動くパフォーマンスがなくても、ギター1本、ピアノOnlyの弾き語りスタイルでもこの先何年も現役続行できるわけで、そういう彼をファンはいつまでも見てられるんだからいーなー・・て、思ってたから。

そのショックはあたしとプリンスの薄すぎる関係の割にはとっても濃くて・・(/_;)
マイケルがカルピスの原液ならば、プリンスは、そうだなー、ちょうどいいぐらいの薄さっていうか(例えわかりずらいよねすんません)


で、肝心なマイケルのお話に戻ると。
実はこっちも、「続く」ってしたはいいけれど、いざ書く段になると、「あれ?え~と・・何を書きたかったのかな」みたいになって自分の着地点を完全に見失っていてですね。

なので、続きの雰囲気は残しつつあんまそれにこだわらない記事になると思いますw
タイトルも違うし、えへ。


あの時に書いた「ステキな動画」というのは、マイケルが子供たちに絵本を読み聞かせる短いもの。(ええ、ええ、今となってはいつの話だよっていうね、いまさらですよ~^^)
おそらく2000~2001年頃のものだと思われます。

00_2001_invincible era

一番ウケたのは、読み終わるちょっと前から、パパの言葉を聞いているのかいないのか、パリスちゃんがプリンス君に何やら文句を言って、プリンス君が、えーなにー?的なやり取りをしだします。
最後のページを読み終わったマイケルが普通に、なのか、ちょっとプチってきたのか真相はわかりませんが、ぱたん!と本を閉じるところ(笑)

あ~、風邪ひいて鼻出てしんどいところを頑張って読んでるのに、全然聞いてないんだもんな~、んもう!みたいな風にも見えるw

これを見てすぐにINVINCIBLEのプロモート的インタビューに答えた彼のお話を思い出しました。

■Michael Jackson Interview with GetMusic.com - Part 2


1:15~あたり
質問:このアルバムのレコーディング中で、最も思い出深い瞬間は?

Most memorable moments were, it was… of all my albums I would say this one was the toughest.'Cause I was hardest on myself.
Uh, I wrote so many songs, I don’t want to say the number, just to get to uh, how many are on there, 16?
Just to get to the 16 that I think are acceptable.
And, um, it’s the album where… I didn’t have children before other albums, so I caught a lot of colds; I was sick a lot.
Cause my children got. So we had to stop and start again and stop and start and… constantly.
But I enjoyed it very, very much.

最も思い出深い瞬間ね・・それについて答えるのは難しいな。僕は自分に厳しかったからね。
ものすごく沢山曲を書いたよ、数は言いたくないけど、このアルバムに入れるための、あぁ、何曲だった?16曲?
僕がアルバムに収めるのに納得できる16曲を選ぶためにね。
それに、このアルバムでは・・前のアルバムまでは僕には子どもたちがいなかったから、でもこのアルバムを作っている間、僕はよく風邪をひいてしまって、しょっちゅう寝込んでいたんだ。
子どもたちが風邪をもらってきてしまうからね。それで、僕らは作業をストップせざるを得なくて、治ったら再開して、またストップして再開してっていうのを・・しょっちゅうね。
でも楽しかったよ、本当にとっても。


あの動画はひょっとして、風邪にやられちゃっていたある日を切り取ったものなのかな?
などと想像するのも楽しかったりするよね^^

さて、マイケルが読み聞かせをしたこの本。
「My Brother Sammy」(現在タイトルはMy Brother Sammy is Special)

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実は少しデリケートなもの。
子供に読み聞かせる本としては、なかなか選べないタイプのものではないかと思います。

主人公の男の子の弟は自閉症。
魅力的なイラストと言葉で彩られた、特別な弟を持ったあるお兄ちゃんの葛藤と愛情の物語です。

では、マイケルに読んでいただきましょうね^^

・・って言っても、この動画は埋め込み禁止になってますので、ここからYoutubeへGO!

We're gonna find out what's special about his brother, There's something special about his brother. Okey?
彼の弟の何が特別なのか見つけ出そう、彼の弟には特別なものがあるんだ、いいかい?

Now Sammy sometimes get a lift to his school in the car with us and even though he still can't say my name, when I wave goodbye in a sad sort of way he waves back to me.
And sometimes we go to the park, I don't play with my friends I just lie in the green grass with Sammy instead and we watch the sunshine shimmering on the leaves of the trees and we both smile because its beautiful, in a shimmering sort of way.
And sometimes when Sammy and I are in the sandbox, I don't build castles or dig long, long tunnels.
I just sit next to Sammy and let the silky sand trickle through my fingers instead.
It feels so soft and smooth and it makes us laugh. ズズッ(鼻をすする音)
And when we feels happy in this special sort of way sometimes I think I'm lucky to have a special brother because that makes me special too.
 ぱたん!!


わたしもこの本がとても気になって、購入し読みました。
色んな意味で美しい絵本です。
この本は日本語訳がまだないようなので、せっかくですから内容をここでシェアしたいと思います。
彼が選んだ絵本の中身、知りたい人手ぇあげて~^^

・・とはいえ、もしも著作権的なクレームがどっかから来たら以下の文章は速攻消します。
はい、akimには信念もへったくれも何もありませんよ~^^

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My Brother Sammy by Becky Edwards

僕の弟のサミーは、僕と一緒のおっきなバスで学校に行かない
そのかわり、違う学校のバスが迎えに来るのを待つんだ
ママは言うんだ 「サミーは特別だからよ。みんなとは違うやり方で学ぶの」って
それが、サミーが僕の学校に来れない理由だ
でも時々、僕はちょっと悲しい感じで思うんだ
サミーが僕とおんなじバスに乗れればいいのにって

僕の弟のサミーは、公園で僕や僕の友達と一緒に遊ぶのが好きじゃない
そのかわり、緑の芝生に寝っころがって、木に茂る葉っぱにお日様の光がゆらゆらしているを見るのが好きなんだ
ママは言うんだ 「サミーは特別だからよ。みんなとは違うやり方で遊ぶのが好きなの」って
それが、サミーがひとりで寝っころがって、僕らと遊ばない理由だ
でも時々、僕はちょっと気まり悪い感じで思うんだ
サミーが僕らの遊びに加わればいいのにって

砂場にいる時、僕の弟のサミーは、僕と一緒に砂のお城を作ったり、長い長いトンネルを掘るのは好きじゃない
そのかわり、さらさらの砂をつかみあげて、その砂が指の間からこぼれ落ちるのを眺めるのが好きなんだ
ママは言うんだ 「サミーは特別だからよ」
それが、サミーが砂で遊ばないで、砂を感じるのが好きな理由だ
でも時々、僕はちょっとさみしい感じで思うんだ
サミーが僕と一緒に砂のお城を作れればいいのにって

僕の弟のサミーは、まだ僕にHelloをどう言えばいいかわからない
僕が「Hello、サミー」って言うと、彼はすぐ「Hello、サミー」って返事をする
ママは言うんだ 「サミーは特別だからよ」
それが、サミーが僕とおんなじことを言う前に、ちょっと時間がかかる理由だ
でも時々、僕はちょっといらいらした感じで思うんだ
サミーが僕の名前を言えればいいのにって

時々、特別な弟がいるのって楽じゃない

ある日、僕は僕の部屋に建てた世界一高いブロックのタワーをママに見せていたんだ
そこへ突然、僕の弟サミーが部屋に入って来て僕のタワーを倒してしまった
僕は怒ってサミーに向かって叫んだ
それから僕は泣き出してしまった
ママは僕を抱きしめてくれたけど、こう言った 「怒らないで。サミーは特別だから」
それが、タワーは積み上げるもので、叩いて壊すものじゃないということを、サミーが知らなかった理由だ
けど僕はママに言った

僕は、僕と一緒のバスで学校に行く弟が欲しいんだ
僕や友達と一緒に遊ぶ弟が欲しいんだ
僕と一緒に砂のお城を作る弟が欲しいんだ
僕の名前を言える弟が欲しいんだ
そして、タワーは積み上げるもので叩いて壊すものじゃないということを、ちゃんと知ってる弟が欲しいんだよ!

僕は特別な弟なんかいらないんだ!
I don't want a Special Brother!

突然サミーはブロックを壊すことをやめた。
そして僕を指さして僕が言った通りに言ったんだ。
「Special Brother」

ママは言った
「サミーはただあなたが言った事を真似ているんじゃないと思うわ
サミーはあなたが彼のSpecial Brotherだって言ったのよ」

僕が?サミーのSpecial Brother?

サミーと僕は、その午後ずっとブロックでタワーを作った
高い高いタワーを作って、そしてそれを一気に壊した
そんなことをくりかえして過ごしたんだ
多分、タワーっていうのは積み上げるのと同じくらい、叩いて壊すものでもあるんだ
だって、積み上げる時とは違う楽しさがあったから

※マイケルが読んだのはここから
時々、ママは僕たち二人をそれぞれの学校に車で送ってくれる
たとえ彼がまだ僕の名前を言えなくても、僕がバイバイって手を振ると、サミーはちょっと悲しげな感じで、手を振りかえしてくれるんだ

時々、僕は公園に行っても友達と遊ばない
そのかわり、サミーと一緒に芝生に寝っころがって、木に茂る葉っぱにお日様の光がゆらゆらしているのを一緒に眺めるんだ
それから僕らは一緒に微笑むんだ
ちょっとちらちら光る感じで、とてもきれいだから

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時々、サミーと一緒に砂場にいても、僕は砂でお城を作ったり長いトンネルを掘ったりしない
そのかわり、サミーの横に座って、さらさらの砂が僕の指からこぼれ落ちるままにさせるんだ
砂は柔らかくて、さらさらと落ちる様子がとても楽しい
そして僕らはちょっと特別って感じで幸せな気分になるんだ

時々、僕は、特別な弟がいてラッキーだなって思うんだ
なぜなら、そのことが僕のことも特別にしてくれるから

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これはイギリス人の絵本作家で、自閉症の子供のスペシャリストの教師でもあるベッキー・エドワードさんの絵本です。
自閉症を含む発達障害児をテーマにした優れた本に贈られる児童文学賞を2002年に受賞しています。

000_1_My brother sammy won the award

この本の背表紙には推薦の言葉として
「兄弟姉妹、教師、セラピスト、そして特別なサポートを必要とする子供を愛するすべての人の必読書」
と書かれています。

special needs 特別なサポート。

何らかのサポートを必要とする子供、というと一般的には、何らかの障害を持った子供という意味にとりがちですが、マイケルは、
障害があるなしに関わらず、ひとりひとりの子供が特別な何かを持っていて、それぞれにサポートは必要だと考えていたのではないかと思います。
だから特別、この本がそういったテーマのものだったから選んだのではないような気がします。
この本から彼が子供たちに何を伝えたかったのか。
彼がこの本から読むべきと選んだ箇所は、自閉症のサムがどれぐらいお兄ちゃんと違っているか、その違いに何かしら不満をもっていたお兄ちゃんを表した前半部などはすっ飛ばし、弟との違いを受け入れ、それを学びそれを楽しむことで、自らも成長している終盤部分でした。

公園の芝生に寝ころび、木に茂る葉っぱにお日様の光がゆらゆらしているのを眺める
砂場で砂をつかみ、さらさらと指の間からこぼれる感覚を楽しむ

このような感性をマイケルは大切にしていたように思います。
成熟した大人であり、且つ、決して子供の純粋な感性を失わないこと。

2003年にファンクラブが主宰した彼の誕生日パーティーで行われた彼のスピーチの中でも、その事について触れています。

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45th Birthday Festivity – September 3, 2003

This is a time when a person reflects on the child that will always live inside him, but more importantly, the grown man that continues to emerge intellectually, but never lost his child-like innocence.
A lot of what you'll be seeing from me in the future will celebrate the youthful imagination that has always been a part of who I am, but also the adult perspective of a father and artist and member of our community.

今こそ、或る一人の人間が、その心の中にいつも生き続けるであろう"子供"に関して深く考える時だと思います。
しかし、それ以上に重要なことには、知的であろうと努力し続ける成長した大人でありながら、決して自身の、その"子供のような無邪気さ、純粋さ"を失わなかった"或る一人の大人の男"に関して深く考える時だと思います。

これからの未来には、僕が今まで自分自身であるためにいつも自分の一部であった若々しい想像力を持ち続けると同時に、 父として、アーティストとして、我々の社会の一員として、大人としての視野を 謳歌するような僕の姿を、皆さんは頻繁に見ることになるでしょう。

※現在は閉鎖されていますが、この訳はこれしかないというぐらい素晴らしいMJ Latest News様のサイトでの訳を引用させていただきました。


こういう人ですものね。

マイケルからは色々な知的好奇心の種を頂いています。
音楽、芸術、映画、そして本。

今回もこの絵本を彼から教えてもらって、自分の何かが豊かになる気がします。



さて、彼の読み聞かせを聞いて、こんな感想を持った人はいらっしゃるでしょうか?

「あら・・案外マイケルって雑に読んでたわね・・もっとゆーっくり、やさしーく、Kidsたちの反応を確かめながら読み聞かせていると思ってたけど、わりと早口でしかも棒読みっぽ・・」

みたいな。

さあ、どうなんでしょう。

彼はこの時風邪ひいていたので、とってもしんどかったから、この1回だけついつい雑になっただけなのか?

いつもは「は~い、ふたりとも~、「ぼくのとくべつなおとうと」のごほんをよもうねぇ、いいかなぁ?いくよ~、ときどきぃ、まみーはぁ、ぼくたちをぉ」みたいに読んでいたのか?

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はい。


それはまた別のお話し(笑)


PrinceとMichael 音楽の神の寵愛を受けたふたり

時に音楽の神様はわがままな子供のようだ

目をかけ慈しむように豊潤に恩恵を与えたお気に入りは
やはり手元に置いておきたくなるらしい
どうにも待てなくなるらしい

そうしてあの日、わたしたちの大切な彼を連れて行ってしまわれた

そして今また
誰もが思いもよらないくらい急に

彼と同じ年にこの世に落とし給うたもうひとりの天才を

嵐のごとく連れ去ってしまわれた


Prince

世界はその日、彼への敬意を表すために紫に染まった

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あの日を嫌でも思い出す
彼を殿下と呼び慕い、彼の音楽を心から愛するファンたちの衝撃を
わたしたちは痛いほどよくわかる
どんなに悲しくて悔しくて心もとなくてさみしいか

ファンにとっては、愛するその人から贈られる音楽はいつも何かを与えてくれていた
生きていることの喜びだとか楽しみだとか
時にはうちひしがれている自分にひとときのやすらぎをくれたり
上手くいかないもろもろを忘れさせてくれたり
あるいは勇気だったりやる気だったり

日常を忙しくすごしている中で
街角で、ラジオから、テレビ番組のBGM
ふとした時に聞こえる大好きなイントロだったりメロディだったり
それだけでもいいことがあったと思える

アーティストから何かしらのギフトをいつももらって生きてきた
ずっと続くと思っていたもの
ずっとそばにあると信じて疑わなかったもの
それが突然になくなる
その人の創りあげる音もメロディもビートも歌声も笑顔も何もかも一瞬にして失う
そしてもう二度と新しいギフトが贈られることはない

すでにもらったものを繰り返し繰り返し
大切に大切に慈しむしかなくなる

大好きな味の大きな飴玉
ゆっくりゆっくり味わわなければならない
もっと沢山味わいたいからといって、せっかちに噛んでしまってはいけない
もう次のご褒美はないのだから

そのことがどれほど悲しいか、辛いか、虚しいか
誰に、どこにぶつければいいかわからない怒りにも似たくやしさ
そのひとが満たしてくれていた心の泉が、急激に干上がっていくような恐怖にも似たさみしさ

Princeのファンの置かれた今の状況
せつなさ、やるせなさ
それは7年前のわたしたちにも突きつけられた現実で
いやと言う程味わった感情だったから



プリンスは一時期、彼の楽曲権利や創作の自由を侵害する所属レコード会社への抗議の意味として自らの名前を封印し、レーベルから搾取されるアーティストの権利を主張する表現として、自分の顔にSLAVE(奴隷)とメイクし、自らの音楽の配信を模索し、当時としては斬新なやり方をいくつも試みました。
でもファンはもとより、彼自身も早く封印した名前を取り戻したかったのではないかと思います。
その機会は2000年にようやく訪れます。前年に件のレーベルとの一部契約が失効したのを機に、名前をprinceに戻すと宣言した彼の記者会見。


June 7th - Prince changed his name to a symbol


On Dec 31, 1999, my publishing contract with Warner expired, thus emancipating the name I was given before birth, Prince, from all long-term restrictive documents.
I will now go back to using my name instead of the symbol that I adopted as a means to free myself from all undesirable relationships.

And as long as middlemen control the means by which the consumer consumes, this will never change. The problem is not a complex one, and the solution is simple. Let the baker make the bread.
I'm a Musician, I make a music.

1999年12月31日に、ワーナーと僕の出版契約は終了しました。
従って、僕が生まれる前から与えられた名前であるPrince は、長きにわたる出版物上の制限から解放されます。
僕は、レーベルとの好ましくない関係から自分自身を解放する手段として決めたシンボルの代わりに、自分の名前を再び使うことにします。

そして、作り手と聞き手の間にいる仲介者(レーベル)が、聞き手に与える音楽をコントロールする限り、この状況は決して変わりません。 問題は複雑なものではありません。解決するのは簡単な事です。 パン屋にはパンを作らせればいいんです。
僕はミュージシャンだから、音楽を作ります。


↑の動画にはありませんが、やっぱり嬉しかったのかこんなお話もしていました。

It was interesting the other day. A friend of mine said 'So what shall I call you now?' and I said 'You can call me Prince' and it just felt good to say that again because I hadn't in so long, so I'm really curious to see what happens next.

この間面白い事があってね。友達が「君のこと、今はなんて呼べばいいんだ?」って言うから「Princeって呼んでいいよ」って言ったんだ。またこの名前を自分でも言えてとても気分がよかった。長らくそうしてなかったからね。だから、これからのことがとても楽しみだよ


マイケルのところへ出戻って彼の断片を追い求めていた時期に、この記者会見での様子を知りました。
長らく記事にすることなく自分のアーカイブに残してあったものですが、マイケルとの関わりについて最後まで多くを語らなかった彼の、マイケルへの静かなリスペクトを表現してくれた(とわたしは信じてるw)数少ない言葉をこの記者会見で残してくれていました。

記者との質疑応答の時、主題とは関係のない、全くもってくだらない質問をされるプリンス。
「仮に、あなたとマイケル・ジャクソンが殴り合いをしたらどちらが勝つでしょうね?」
本来ならば無視してもいいような質問ですが、彼はうまくかわそうとします。

Michael is not a fighter he is a lover
マイケルは博愛主義者だよ(争う人ではなく愛する人だ)


これはマイケルの Girl is mine の中でのポールとの掛け合いにある、”Paul, I think I told you. I'm a lover not a fighter” を引用してるものと思われます。
とっさにこんな答えが出るなんて、おしゃれ~^^なんですけれど、記者たちは、"he is a lover" を言葉通りに受け取らず下品にウケまくります。

薄々察しはつきますが、93年の疑惑が払しょくされぬまま、マイケルの音楽はもちろんその人間性についての評価も高くはなく、日本で言うお騒がせ芸能人扱いをされていたことは否めない。
2000年・・まだあの忌まわしい出来事が起こる前なのに。
マイケルは INVINCIBLE 制作に取りかかっていたとはいえ、公には露出が少なかった時期・・。
ここに集まっていた音楽関係者たちのマイケルに対する露骨なあざけり笑いは、当時の彼に対する風評を如実に表しているようです。

Princeは自分のいった事が違う風に捉えられ、下品な方向に持って行かれることを察したのでしょうか。
彼の顔からすっと笑みが消え、静かな口調で記者たちを諭すように話し始めます。

Can I just say something?
I’ve never really spoken publicly about Michael, but we should all just kind of like chill, because he may know something none of us really know. Just like, well.. let's wait and see. Let's wait it out, you know, just wait it out. You never know, right?
You just never know.
Ultimately, we all gotta come back home, so let's just make a home for everybody.

ちょっといいかな?
僕は公にはあまりマイケルのことを話さなかったけれど、僕ら少し落ち着かなきゃ。彼には僕らが知らない事情があるんだと思う。だから・・静観しよう。見守るのさ。ただ待つんだ。君らだって何も知らないだろう?なんにも知らないんだから。
最後には、僕らみんな家に帰らなきゃならない。だから誰にとってもそういう帰るべき場所を作ってあげないとね。


優しげで静かな口調。でもきっぱりと言ってくれたよね。

You never know, right?
You just never know.



・・・ありがたや。

何かと比べられていた二人。
何かにつけて不仲説が取り上げられていましたね。
もちろんとっても親しく付き合っていた訳ではない、それは確かだw

でも彼らはお互いに敬意を払っていたんだと思います。
お互いの表現のテリトリーを絶対侵さない程度の距離をおき、マイケルはマイケルの、プリンスはプリンスのやりたいように、自分から湧き出る音楽を追及していたんだと思います。
考え方も見せ方も方法も方向性も違うだけで、ただただ自分の創りたい音楽を、ただただ無心に追及してただけ。
その1点のみ共通していれば、同じ創造主同士として敬意を払っていてもおかしくないと思う。
わたしはプリンスの素人だけど、あれだけの膨大な数の作品を生み出せる人だから、その創作意欲がハンパないことぐらいは素人でもわかる。


そして少なくともマイケルにとってプリンスは・・
実際はわからないけれど、羨ましい存在だったかもしれません。

あんな冤罪で無駄な裁判に貴重な時間を奪われ、精神的にも肉体的にも辛い状況に置かれ、満足な曲作りも、練っていた色々なプランも、何もかもストップせざるを得ない過酷な時期・・そんな時でもプリンスは音楽シーンで活躍を続けていました。
そりゃなんだかんだあったでしょうけれど、アーティスト生命を脅かすようなスキャンダルには無縁なその人の、配信の手法や音楽の方向性にその時々では賛否はあれど、その創造性、天才性には誰もが一目を置くまさに生きるレジェンド。
次々に作品を発表し、高く評価されるその人を、羨ましいと感じていたかもしれません。

マイケルとプリンス、ふたりの影響をもろに受けて育ち、どちらも「神」として敬愛するアーティストは少なくありません。
Will.I.Am(Black Eyed Peas)もそのうちの一人。
2008年、マイケルのレコーディングを共にしていた彼がベガスのプリンスのショーに誘われます。
おりしもその日、マイケルからも連絡が入り、彼は敬愛する二人を引合すことを思いつきます。

-----------------------------

2008年に、プリンスからパームホテルのショウに一緒に出ないかって誘われたんだ。
ショウの前にマイケルに電話して言った。「ヘイ、マイク!僕は今ヴェガスだよ!」って。
僕はパームホテルでプリンスと一緒にパフォームするってことを彼に伝えて、そしてよければ来ないかって言ったんだ。
最初彼は自分が行ってもいいものかと少し心配していたから、「プリンスに問題ないか聞くよ。彼がOKって言えば大丈夫でしょ?」って言ったんだ。
で、その晩、僕はプリンスとのパフォームを終えてマイケルと一緒のテーブルにいた。
そしたらプリンスがステージから降りてきて、僕らのテーブルにやってきた。
ベースを弾きながらね!少しの間僕らの前でドゥンドゥドゥン・・てベースプレイをしてくれた!
それは今までの中でホントに最高にクールな経験だったよ!なんてったって、二人はずっと僕のヒーローだったんだから!

僕はMJの新しいアルバムの音を彼と一緒に作っていたんだけれど、その時MJが僕にこんなことを言ったんだ。
「どうして人は僕のことを、プリンスのような本格的なソングライターだと思ってくれないんだろう」
僕はこんなすごい人からそんなこと聞くなんて思いもよらなかったからびっくりしたんだ。
※2010年雑誌vibeのインタビューにて(sourceは無くなっていました)


ベースで挨拶をしたプリンス・・何だからしいなー^^

マイケルってこういうことをぽろって言える人なんですよね。
虚勢をはらないっていうか、本当に素直っていうか。
言われた方は返答に困っただろうけれど、彼の言葉はどうしても受け入れてもらえないその時の現状を如実に物語っていて切ないことこの上ないですが。

でもマイケルにとって彼は、どうやったって無視できない存在であったでしょうし、純粋に彼の音楽も好きだったんでしょう。
それを物語るオルテガの言葉です。
これももうネット上でsourceを探すことはできませんでしたが、おそらく2009年TII公開時のインタビューだと記憶しています。

It was less about competing with Prince and more about respect.
Michael felt God was going to give ideas to the next deserving artist who he felt was Prince.
That’s a true respect, true admiration for Prince.
He mentioned several times how he loved the song “Purple Rain.”

プリンスに対しては競い合うというより、敬意を払っていたよ。
マイケルは、神が素晴らしいアイデアを与えて下さるにふさわしいアーティストは、自分でなければそれはプリンスだって思っていたからね。
それはプリンスに対する本物の敬意、本物の賞賛なんだよ。
彼は何度も言っていた。自分がプリンスの曲、Purple Rainをどれだけ好きかってことをね。




素晴らしいアイデアは選ばれし者だけに贈られる
そうした音楽の神の寵愛をこのふたりはともに受けて
ともに時代を変え、音楽の常識を変え、国境も人種も性別も超えて
多くの人に影響を与え、そのDNAは、彼らが敬愛し尊敬し影響を受けた先人たちと同じように、今のアーティストに脈々と引き継がれ、今の時代の音楽のそこかしこに息づいている
そのエッセンスは、今のアーティストのパフォーマンスの基礎を作っている

だからこそ神はもうふたりの役目が終わったと考えたのだろうか
そんなのは神様の勝手な考えでしかないけれど
大切な人を取り上げられた側としては納得なんてできやしないけど


それでも受け入れるしかないのなら



いまごろ


プリンスは自分の小さな息子にあっただろうか
その手に抱いてkissをしただろうか

マイケルにも会っただろうか
また言葉を交わさずギターで挨拶しただろうか

シャイなふたりはお互いに目を合わさず

でも彼のギターの音に合わせてマイケルはメロディを口ずさんで・・


それがPurple Rainであればいいなと思う

Purple-Rain.jpg


I never meant to cause you any sorrow
I never meant to cause you any pain
I only wanted to one time to see you laughing
I only wanted to see you
Laughing in the purple rain

Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
Purple rain, purple rain
I only wanted to see you
Bathing in the purple rain

きみを悲しませたり
痛みを与えたりするつもりはなかった
ただ一度だけ君の笑顔を見たかっただけ
紫の雨の中で笑っている君を
紫の雨にうたれる君を
ただ見たかっただけなんだ


R.I.P. Prince

あの時マイケルをかばってくれてありがとう


Janet Jackson World Tour In Osaka

※どうしてもはずせないエピソードが抜けていることに気付いたので、追記して再投稿しました。
追記部分はわかるようにフォントの色を変えてあります。




今年の夏は最悪の夏で
本当に最悪で

このブログもちーとも書けずにダーリンのお誕生日までばっくれて
前回「続きます」とか言ってもう11月ですよ奥さん

しかも今回「続き」じゃないですエヘ


とにかく史上最悪の夏を経て
ハレホレヒレハレに疲弊したあたしの心を再び奮い立たせてくれた出来事・・って言えばもう「あれ」しかありません。
あれですがなあれ。

待ちに待ったジャネの、そう、Unbreakable Tourでんがな
っつーことでJAPANツアー初日の大阪公演に行ってきました。

あ、埼玉スーパーアリーナへ行かれる方は、予習したいの!っていう人以外は読まないでねw



インテックス大阪ってドームとかと違って床がフラットだから、チビのあたしにとって相当ヘビーな環境になるはずだったのですけど、奇跡的に前から3列目のチケットが取れて(取ってくれたお友達には一生足を向けて寝られないわ、でもひょっとして方角的に考えて、割と簡単に足向けて寝てるかも。その場合は笑って許して和田アキコねw)、オペラグラスに頼ることなく肉眼と心にジャネの雄姿を刻みつけることができました。

事前に何にも調べてなかったので、ジャネットの衣装やアワードなどの展示「My Music VIP Museum」を見るために「Unbreakable」のCDが必要だってことも前日知ったぐらいで、あぶないのあぶなくないのってあーた。
知ったおかげで(教えてくれたお友達には一生足を向けて寝られないわ、でもひょっとして方角的に考えて、割と簡単に足向けて寝てるかも。その場合は・・て、もういいよねw)、無事に見ることができて本当に幸せでした^^

だってこんなのとか
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スクリームのとげとげトップスとツヤツヤパンツ

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写真はこん時の

こんなのも
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これはヤバいっす
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I love you forever
your brother always Michael

ずっと愛してるよ
いつだってキミのお兄ちゃんのマイケルより

うかつでした・・
こんなところでまさかの涙腺崩壊ポイントがあるとは・・

あと多分マイケルが作らせてジャネに贈ったと思われる、リズムネイションのジャネを描いたタペストリーつかラグもありました。



いつだってキミのお兄ちゃん・・か

これを見て思い出しました。
あの時の4日後のBET AWARDでジャネットはこう言ってましたね。

To you, Michael is an icon,. To us, Michael is family. He will forever live in all of our hearts.
皆さんにとってはマイケルはアイコンです。でもわたし達にとってマイケルは家族なんです。彼は私達の心にずっと生き続けます。


2009年に彼女が初めて公のインタビューに答えたものから抜粋します。
彼女にとって、いつだってお兄ちゃんだった彼の事をここでも語っています。

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JANET JACKSON TAKES CONTROL抜粋 (source:harpersbazaar.com

The last time Janet saw Michael was on May 14, two days before her 43rd birthday. It was a family celebration, the Jackson kids were running around, and she and her big brother hung out, ate Thai food, and tormented each other.
"We had so much fun that day," she says, her soft voice almost inaudible. "We kept calling each other after and saying how great it was."

最後にマイケルに会ったのは、5月14日、ジャネット43歳の誕生日の2日前だった。家族のお祝いで集まった時で、子供たちはそこらを走り回り、ジャネットと兄マイケルは一緒に遊び、タイ料理を食べ、お互いをからかっていじめあったりした。
「あの日は最高に楽しかったの」 ほとんど聞きとれないソフトな声で彼女は語る。「その後もお互いに連絡しあって、どれだけ楽しかったかって話をしていたのよ」


In 1995's futuristic "Scream" video, for which she collaborated with Michael, there is a telling scene where the space-age siblings are elbowing each other for the remote control. "Yeah," she says, smiling. "We had so much fun back then. We would organize our days together and go out for vegetarian lunch at the Golden Temple in L.A. We were so busy, but we'd make time."

1995年、2人が共演した未来的なビデオ「スクリーム」では、宇宙時代の兄妹がリモコンを持ってお互いを肘で押しのけあうシーンがある。「ええ」彼女は微笑んだ。「あの時は本当に楽しかったわ。お互いのスケジュールをうまく手配して、LAのゴールデン・テンプルへベジタリアン・ランチをしに出かけたわ。わたし達すごく忙しかったけど、何とか時間を作ったの」

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Janet made a poignant point about family and celebrity at June's BET Awards.
("To you, Michael is an icon. To us, Michael is family.")
"You know, people see this of you,"
she says, gesturing to the television.
"They have a fantasy in their mind, and to really get to know the true person, it's different.
Michael was a big brother. He was always very protective of me."


ジャネットは6月のBET Awardsで、家族と有名人について心が痛む主張をした。
「皆さんにとってマイケルはアイコンです。でも私達にとってマイケルは家族なのです」

「ねえ、人ってこれを見てわかった気になるのよ」
と彼女はテレビを指して言う。
「彼らは頭の中でその人のことを想像して知った気になるの。でもそれは本当にその人をわかるってことではないのよ
マイケルは私にとってお兄ちゃんだった。彼はいつも私を守ってくれるお兄ちゃんだったの。」



There are other things Janet would like the world to know about Michael.
"He loved to laugh. The last time we were together, he'd laugh so hard, he would just start crying. Sometimes his humor would be corny, sometimes dry. He loved the Three Stooges, he loved slapstick, he loved Eddie Murphy in his silly comedies. He loved to have fun. He loved to play."

ジャネットは、他にも世界中の人にマイケルについて知ってほしいことがある。
「彼は笑うのが大好きだったの。私たちが一緒だった最後のあの日も彼は笑いすぎて涙を流してた。時々彼のユーモアは古臭かったり、時には皮肉だったりしたわ。Three Stoogesが大好きで、ドタバタが大好きで、エディー・マーフィーのバカバカしいコメディが大好きだった。面白いことが大好きで、遊ぶことが大好きだったのよ」

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If Janet had one more day with her brother (whose nickname for her, incidentally, was Dunk), she would "relive that moment we had when we were kids, do our little run: We'd wake up, feed the animals, spend the entire day together."

もしまた(彼女にダンクというあだ名をつけた)兄さんと1日一緒に居られるなら、という問いに彼女はこう言った。
「私達が子供だった頃に戻るわ、走って。起きたらふたりで動物に餌をあげて、1日中一緒に過ごすの」

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追記ここから

He loved to laugh. The last time we were together, he'd laugh so hard, he would just start crying.
彼は笑うのが大好きだったの 私たちが一緒だった最後のあの日も彼は笑いすぎて涙を流してた


彼女の新しいアルバム Unbreakableに収録されている Broken Hearts Heal にこんな歌詞があります。

We can't laugh together till we cry
もう涙が出るまで一緒に笑うことはできないのね


ティーネイジャーだったジャネットはすでにスーパースターになっていたマイケルの部屋の掃除や洗濯をし、学校から帰るときまって、気軽に買い物もできなくなったお兄ちゃんの好きなものを代わりに買いにいき、一緒に歌ってダンスして、時にはマイケルのインタビューに付き添い、インタビュアーの言葉を彼に伝える役目もし、そして、お互いを愛情込めてからかいあって涙が出るまで笑い転げて・・
それはどこにでもある家族との思い出
大好きなお兄ちゃんとのたわいもない、でもかけがえのない日々

このアルバムを手掛けた彼女の長年のプロデューサー、ジミー・ジャム&テリー・ルイスのインタビューから、 Broken Hearts Heal についてのコメントを載せておきます。
もうとっくにご存じでしょうが、彼女がこの曲のレコーディング時にどれほど胸迫る想いがあったか、そしてそれはいつだって彼女のおにいちゃんである彼にとっても同様で、おもわずそばに降りてきたのだと思わせる大変興味深いコメントですので・・

ジャム&ルイス ロング・インタビュー/bmr 抜粋転載(source:bmr.jp


“Broken Hearts Heal”は言う通り、マイケルのことを歌った曲だ。子供の頃からの彼女と彼との関係・・
実はマイケルが亡くなった時、追悼式(お葬式)でジャネットと話をしたんだけど、彼女が、『世界中の人たちにとってマイケルはスーパースターだけど、自分にとってはお兄ちゃんなんだ』って言ってたんだ。この曲はそんなふたりの関係を描いた曲。
追悼という気持ちが強い反面、さっきと同じように、命を祝福するという気持ちも込められている。そして、また会う日が来る、という気持ちがね。

そしてサウンド的には、この曲はマイケルの曲にもなりえるような曲に仕上がってると思うんだ。ジャネットが歌っているけど、マイケルのフィーリングも感じる曲。
実はレコーディングの時の話なんだけど、マイケルとレコーディングをしていると、彼は歌いながら指を鳴らしたり、手を叩いたりしてたんだよ。でもジャネットは絶対にそれをしないんだ。ジャネットはただ歌うだけで、そういう“悪い癖”(笑)がないんだけど、この曲の歌録りをしているとき、セカンド・ヴァース(2番Aメロ)に入る度に、なぜかジャネットが指を鳴らし始めるんだ。そして歌うのをやめて、『ごめんなさい。指を鳴らすつもりじゃないのに、どうして私こんなことしちゃってるのかしら』って言うんだよ。だから僕が言ったんだ、『だって、キミの兄さんならそうしてるから。キミのお兄さんはいつも歌いながら指を鳴らしてたんだよ。だから気にしないでやってていいよ。キミがそう感じて自然にやってるはずなんだから、感じるままにやってごらん』ってね。
あの時、彼女のお兄さんの魂が彼女の中に宿っていたと信じてるんだ。この曲を聴いてもらえれば、それがどういう意味かわかってもらえると思うよ。みんなも感じるはずだ。


Janet Jackson - Broken Hearts Heal


今回のライブにこの曲やられてたら、もうだめだったw
あたし的にはやらなくてよかった
だってこれ聴くと泣いちゃうんだもんな~><


We can't laugh together till we cry
But our love's ain't no material thing
Inshaallah, see you in the next life
もう涙が出るまで一緒に笑うことはできないのね
でもわたし達の愛は形のないもの
すべて神の思し召し
来世で逢いましょう



6年の間に彼女にも多くの変化があった。
また歌を届けたいという彼女の純粋な想いを込めたこのアルバムにこの曲を選んだこと・・
それは世界にとってはBIG ICONであっても、自分にとっては大好きなお兄にいちゃんへの想いを、彼女なりにきちんと昇華できたことを物語っているように思えます。

追記終わり


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さて、いよいよライブ会場へ。

チケットを見せて中に入る前に、スタッフの人が「ジャネットからのプレゼントです」って言いながら、ひとりひとりにカーネーションが一本ずつ渡されるのです。
いつの間にあたしゃジャネ子のママになったのか?って、思わないよね普通。うん、あたしも思わなかったw
粋な計らいってことなんですけど、これがライブの最後の最後で思わぬ効果を生むんです^^

ラッパーのミッシー・エリオットがスクリーンに映り、ニャムニャムニャム!いうてスタートしたオープニングは、newアルバム「Unbreakable」からのBurnitup!

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「オオキニ!オーサカー!」

っていうスタイリッシュなジャネットのちっともスタイリッシュじゃない第1声!
ああ、懐かしいジャネの大阪弁・・
遠い昔に今はなきツーカーホン関西という携帯のCMに、若くて何でも頑張ってたジャネ子ちゃんはうっかり出演して、それはもう色んな大阪弁をしゃべらされてたよなぁ・・(遠い目)

こんなのとか


こんなのとか


むっちゃナチュラルでっしゃろ?w

それゆえある意味、ジャネットにとって大阪弁なんかすでに習得済み言語であり、こんなご挨拶程度のフレーズは楽勝であるからして、気恥ずかしい、といった躊躇などあるわけなく(てホンマか?)、しかしこの効果は絶大で、乗せられやすい関西人は海外アーティストが使う関西弁が大好物なもんだから、一気にヒートアップ、バーニラップ!

そこからは、怒濤のヒットメドレー!
ジャネ子、2人の12歳ダンサーを含むバックダンサー達となんら見劣りしないダンスでノンストップで走り抜ける!

あたしはといえば


目の前の動くジャネット
目の前でキレよくパワフルに踊るジャネット
目の前でほんの少し迫力も出てきた声で歌うジャネット

夢と違うか?
本当に生きて動いて歌ってる彼女の姿を目の当たりにできてるんだ

彼女の歌を歌いながら踊りながら
時々こみあげてくるものを飲み込んで、もうめちゃめちゃ嬉しかった

大好きな彼によく似た面差しで
彼とよく似た歌声で
彼と同じルーツを持って
彼のように人知れず人のために尽くしながら

彼とはまた違う重荷を背負って
彼とは違う葛藤と闘い
彼と自分は違うという事を証明するために必死で自分だけの道を切り開いた人

そして今は

彼と一緒に歌った曲を自分のステージで、彼に捧げようとしてる

スクリームのイントロが鳴り響いて
マイケルの歌声が彼女をリードしていく

彼女は右手を上げ人差し指を天にかざす

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VIP席のお友達のお写真お借りしました。事後報告すまない><


いくわよ、マイク!

と言ったような気がした、と思った途端自分のパートをシャウトするジャネット

その流れからのカウントダウン

そのままリズムネイションへ

鳥肌がたった



全速力で駆け抜けたステージが終わる間際
彼女は「わたしがどれほどこの国を、この街を、あなたたちを愛してるか知らないでしょう?」と言ってくれた
どこの国でも、どこの街でも言ってくれるんだろうけど
こうして忘れないで来てくれて
全力でみんなを楽しませるために、ノンストップで歌って踊って素晴らしいエスケーピズムをもたらしてくれた

まぎれもないQueen Of Popである彼女に

観客は誰ともなく、感謝を込めて初めにもらったカーネーションをお返しとばかりステージに向かって投げ始める
沢山のカーネーションが弧を描いてステージに向かって飛んで行く

紹介を受けたダンサーたちやジャネットがそれらを拾って笑顔を向けた

こうして彼女のJapanツアーの初日は無事に終わったのです。

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これがそのカーネーション。エヘ。あたしのはライブの途中で振りすぎて頭もげちゃったw

この土日、運よくチケットを手に入れた方は、存分に楽しんで彼女を堪能してください。

でも行きたくても行けなかった方も多いでしょうね。
この記事で行った気分に少しでもなってもらえたら嬉しいけれど・・



さて、次回こそ前回の「続き」を書きますw
ひとまずここで、さようなら^^

I have to play two different roles

こないだ地上波でMen In BlackⅡしてましたね~・・て、普通に書いてますけど、ごぶさたしてますakimです^^

真剣にMIBの正社員、もとい正式なエージェントになりたい今はパートの(笑)エイリアンが、ボスのエージェントZに雇用を訴えるこのシーンは、これまたマイケルが真面目に演じるもんだから、萌えるポイントがありすぎてこりゃたまらんわい、というGirlも多いでしょうw

Michael Jackson in Men in Black 2

音読にも最適ですw

MJ:Zed, the Drolecks are gone and the treaty is signed. ゼット、条約は調印されてドロックス星人は去ったよ

Zed:ご苦労だった

MJ:Zed, what about that position you promised me in Men In Black? ゼット、君が僕に約束したメンインブラックのポストの件は?

Zed:このままエイリアン差別撤廃プログラムに取り組んでくれたまえ。また連絡する

MJ:Wait a minute! That's not what you promised me! ちょっと待って、約束がちがうよ!

Zed:電波が悪いな。よく聞こえん

MJ:Zed! Hello? Zed? ちょ、ゼット!聞こえてる?ゼーット!

Zed:またな

MJ:Zed! I could be Agent M! ゼットってば!僕ちゃんとエージェントMできるよ!

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このシーンは1分にも満たない、本当にちょっとしたカメオ出演でした。(もう一か所は電話の音声のみだもんね~)
でも映画をこよなく愛するジャクソン先生ですし、MIBは前作を見てとっても気にいってたし、残念ながらちょこっとの出演ではありましたけど、俳優としてきっちりお仕事がしたかったらしく、この短いシーンに何時間もかけていたんです。

監督のバリー・ソネンフェルドが取材で語っていたのを、ちょっと抜粋してご紹介します。(source:BARKS NEWS)
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Jacksonはこの夏の映画『Men In Black II』にカメオ出演している。監督のBarry Sonnenfeldは、次のようにLAUNCHに話している。

「彼はこの映画にすごく出たがっていた。Michaelと僕は、お互いに電話で何度も話し合って、どんな役がいいか議論した。彼がこの映画でどんなことができるか、判断できなかったからね。でも、Will (Smith) は彼の出演をクールだと思っていたらしいよ」

Jacksonは監督のSonnenfeldに全編を通じて出演させてほしいと話し、なるべく多くのシーンに出たいと頼んだ。
しかし、SonnenfeldはJacksonにこう言ったという。

「“分かってると思うけど、脚本がすでに出来上がってるし、全編は無理だよ。映画には是非とも出てもらいたいが、全部は無理だ”って。そう言うと彼は、なるべく多くのシーンに出演したいって言うんで、それも無理だと答えた。そしたら“スーツは着られるかい?”って訊くんだ。僕は“いいよ”って答えた。彼は映画に出られるってことで、すごくはしゃいでたよ」

『Men In Black II』の中にはJacksonの台詞は数行しかなく、シーンは数分でおわっってしまう。
撮影は簡単で時間もかからなかったはずだが、SonnenfeldはJacksonは何でもないその役にも真剣に取り組んでいたとLAUNCHに話している。

「Michaelが入って来ると僕はこう言った。“Michael、ここに立って。照明のチェックをしたいんだ。台本は持ってるし・・台詞も覚えてるね。これはブルー・スクリーンだ。あとで何か入れるんだけど、こうしたら・・。これはすごい。Greg、これでいいだろ?”僕はカメラマンにそう言ったんだ。“OK、これはすばらしい。35分くらい入れようか? なあ?”って。Michaelは“えぇと、そのシーンについて話をしないと”って言うから、“そうか。台本は持ってるだろう”って言うと、彼は“いや、Barry。お願いだから、話をしよう”。それで、“OK”ってことになったんだ」

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・・記事はここで終わっていて、「ちょ、その先はどうなったんすか?何の話したんすか?ジャクソン先輩は監督と役作りについてのディスカッションをしたいって言ったんすよね?こっからが肝心な話じゃないっすか!」って思うよね?普通。
そこで、探しまくったんですけど、この記事の原文はもうなくて、あきらめかけていたら、MJファンのコミュニティサイトの掲示板に続きらしい文言を発見。
残念ながら、元記事は見つからなかったんですけど、同じ内容を複数のMJファンサイトで確認したので、当時そういう発言を監督がしたのは間違いないと思いますんで、えーい、もういいやってことで続きとしてまたもや抜粋します。んがしかし、これ以降はまたもや怪しげなわたしの訳ですんで、どうか慎重にお読みくださいませ(笑)

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source:Positively Michael - A Michael Jackson Fan Club (The Michael At Work Thread)

「我々は火曜日に(※正式には2001年10月16日です)マイケルと一緒に短いシーンを撮ったんだ」と映画の監督(Barry Sonnenfeld)は言った。

「マイケルは、魅力的で面白くて、一緒に仕事をするには最高だよ」

ほんの数分のマイケルのシーンだったが、撮影はおよそ5時間ほどかかった。Sonnenfeldによると、マイケルは彼の役柄について多くの質問をしたという。彼は自分のシーンの中で、自分の背景となる特殊効果のすべてを知りたがったため、Sonnenfeldは氷山があると話したが、マイケルはより多くの詳細を求めた。

_000_MIB2_AgentM_Barry Sonnenfeld
真剣なお仕事モードのマイケルとソネンフェルド監督

He said, ‘Can I see the icebergs?
‘No we don’t have the photos yet.’
Is there anything else behind me?
‘Penguins.’ I’m making this up! I don’t know if there are going to be penguins,” Sonnenfeld said.
“‘Can I see the penguins?
‘No I don’t have the pictures of the penguins yet.’
Are they king penguins?

マイケルは言った。
「その氷山を見れる?」
「いや、まだ写真を用意できていないんだ」
「僕の背景にはほかに何がある?」
「ペンギンだ。実際そこにペンギンがいるかどうかわからないけど、いるってことにしたんだ」
「そのペンギンは見れる?」
「いや、ペンギンの写真もまだなんだ」
「それはキングペンギン?」

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そうだよ、と答えて監督は心で「もういいっしょ?君の背後の風景にそれほど特別意味なんかないんだよぅ、忙しんだからさぁ、わかってよ」的な気持ちでいたのかどうだかわかりませんが・・(笑)
さすが完璧主義のジャクソン先生、素晴らしい役作りへの姿勢!いやー頭が下がります^^

有名人によくある「ちょっとしたお遊び」でのカメオ出演ではなく、ほんの数分でも真剣に役を演じるのは、仕事にはいつも完璧を望む自分の流儀と、映画を愛してやまない彼の、映画への礼儀でもあったかもしれません。
と同時に、この時期5年ぶりのアルバムINVINCIBLEをリリースし、メディアの露出を増やしていた彼の、音楽面のみならず、「今までとは違う新しいMJ」を披露する意図もあったでしょう。
インタビューでもこう答えています。(source:Gold Magazine interview 2002

「メン・イン・ブラック2」のカメオ出演は楽しかったですか?と聞かれて

The Men In Black project really was a lot of fun because I introduced myself as the new guy.
メン・イン・ブラックのプロジェクトはすごく楽しかったな。自分を新しい男として紹介できたからね。



確かに、ファン以外の人がこんなコミカルなMJを見る事は、今までになかったでしょうから。
彼がまじめにZに訴えれば訴えるほどおかしさが増しました。

でも当時わたしは、離れていたにもかかわらず、「やっぱりマイケルは宇宙人だった」とか言われるのすごく嫌だったなぁ・・
はい、個人的な感想でした。

とはいえ、その新しいMJについては、主演のウィル・スミスがその面白さを語ってくれています。(source:BARKS NEWS)

彼がスクリーンに登場すると、観客は本当に幸せになるんだ。
まるで Michaelが世界に向けて“OK, いいんだよ。僕もみんなと同じ人間なんだ。みんなと同じように、グッド・ジョークが好きさ”って言ってるみたいだ。
でも俺が本当に好きなのは、彼がそれを真剣に演じたがっていたこと。彼は“いいかい、僕こそMan In Blackだ。本当にまじめにそうなりたいんだ”って感じだった。
観客はとても衝撃を受けると思うし、驚くと思うよ。映画の中で、それにこんな見方でMichaelを見られるのは楽しいよ

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たった1日のお仕事でしたが、お父さんでもあるマイケルは、坊ちゃん嬢ちゃんも撮影現場に同行させていました。



エージェントMのまま、帰宅の途につくマイケル。
あれ?スーツそのまま?さすがKing、自由だな~・・て、うっかり着たまま帰ったんじゃなくて、ちゃんともらったんですよ、この方^^

この撮影日のことを、とても微笑ましいエピソード付きでお話ししてくれた方がいましてね。
Men In BlackⅡのコスチュームデザイナー、メアリー・ヴォグトさん。
彼女のインタビューもお届けします。いやんだ、もうマイケルったらぁってクネクネしちゃう注意報発令!

source:Frocktalk.com
こちらはエンターテインメント業界で働く衣装関係者のお話を載せているサイトです。

メアリーさんはマイケルがカメオ出演することを残念に思っていたそう。もちろん全編に出るべき!って思っていたから(嬉)
マイケル着用のスーツを作るにあたって、超スーパー忙しいスターが仮縫いとかに来れるわけない・・と思い、仕方なくマイケルのエージェントに彼の寸法を聞くのですけれど、どうにもこうにも要領を得ない。
彼女は必死のパッチで専属デザイナーのブッシュに連絡をとり、ようやくあのブラックスーツを仕上げます。

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その当日、わたしはスーツにシャツに靴、といったいっさいがっさいを持って行ったの。
彼はソニーの撮影所にある、特別でもなんでもない普通のスターワゴンのようなトレイラーにいましたから。
彼のセキュリティはわたしが一人で来るのを知っていて、だってわたしは彼のトレイラーに多くの人が群がるようにはしたくなかったから、ひとりで彼の衣装を持って行ったの。それで、そのセキュリティが中に入れてくれたんです。

マイケルは中にいたわ。スエットパンツとローブ姿で・・
それで、この手のモーターハウスのキッチンがどれだけ小さいかご存知?なんと彼はキッチンテーブルにいてサンドイッチを作っていたのよ!
そこには二人の子供たちが、彼の小さな子供たちが塗り絵をしていたの。

それは想像もしなかった、非の打ちどころのない普通の家族の一場面だった。
彼の働く場所に子供たちがいるなんて考えもしなかった・・しかもマイケルが子供のためにサンドイッチを作っているなんて、全く予想していなかったから・・。
わたしが予想していた出来事があるなら、それは少し複雑か・・あるいは少しばかり奇妙なものじゃないかと・・。

彼はちょうどこんな感じで、「Oh, hi! Oh, you have my suit? Oh, I’ll put it on! やあ!こんにちは!ああ、それ僕のスーツだね?すぐ着るよ!」と言って、トレイラーの後部で着替えたの。
わたしはあらかじめ結ばれているネクタイを用意していたの。首の後ろでマジックテープでつけるタイプの。
そう、マイケルは、そういうすでに出来上がった形状の衣装を使うことに慣れていたのね、おそらくステージとかで・・だから全てうまくいったわ。
彼がそのスーツを欲しがったので、(それは予想通り)わたしは「もちろん!」と答えたわ。

彼が本当に穏やかで、他の何よりも子供たちの昼食に関心を持っていたというのがとても興味深かった。
そこへ着メロが鳴って、それは仕事の電話だったのだけど、マイケルは突然完璧に変身したの!
仕事一筋といった感じのデキる人の声で、まるでウォール街の株トレーダーのような、とても有能な人物に。
本当に彼がどれだけビジネスマンだったか、お見せしたかったわ。本当に興味深かった。

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子供たちの世話をきちんとこなす優しいパパの顔から一転、高いプロ意識を持って自分のするべき仕事に打ち込む。
ああ、これぞ世の育メンの鏡!見習ってほしいものだね、シトワイヤン!てか、あたしが見習わないとだわ!子供いないけど!がはは!\(^o^)/

source:Interview USA TODAY 2001

あなたは父親になってどんなふうに変わりましたか?と聞かれて

In a huge way.
You have to value your time differently, no doubt about it.
It’s your responsibility to make sure they’re taken care of and raised properly with good manners.
But I refuse to let any of it get in the way of the music or the dance or the performing.
I have to play two different roles.
大きく変わったね。
間違いなく、今までとは違う時間の使い方をしなければならないってこと。
子供達の世話をしっかりやって、正しいマナーを教えて、きちんと育てるのが親としての責任だ。
だからといって、それを自分の音楽やダンスやパフォーマンスの妨げにはさせたくない。
だから僕は、二つの違う役割をそれぞれ務めなくてはならないんだ


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さて、このインタビュー時期も含めてINVINCIBLE制作期間は、曲の創造に取り組むアーティストと、ちょうど手のかかる幼児を育てるパパの役割をしっかり使い分けねばならない時期でもありました。

つい最近、その頃の彼の姿をとらえた動画がお目見えしましたね。
それは何かと尋ねたら・・

続きますw


We love you, Michael

June 25, 2009


5 years ago we lost the most beautiful soul.

But his music with his soul lives on forever.



Michael Jackson



You still give a brilliant light and happy escapism to the world.

Thank you for bringing us a lot of joy, happiness and love.


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We still miss you, so never say good bye.

No matter how many years go by, our love to you never dies.


We love you

We love you

We love you

We love you, Michael


ジャスティンとファレルのMJ愛

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はいはいはい、どーもどーも、「Love Never Felt So Good」歌わせてもろてますJTでーす!(漫才師風に)
あ、でもJTっつっても日本たばこ産業じゃないよ!
あ、じゃジャスティンって呼んで!
えっと、でもビーバーの方じゃないからね!
なんならティンバーレイクって呼んでもらっても、つか、なんぼレイクついてるからって「湖あるある」じゃないから!
ついでに言っておくとティンバランドとは別人だから!ww
彼は僕の素晴らしいプロデューサーだけど、ほら顔は全然違うからね、どっちがいいとか悪いとかっていうんじゃないけど!ww

もうね、大好きなMJとビデオ上とはいえデュエットできて嬉しくて、「あなたのムーブ見せて見せて」ってしょっちゅう聞こえてウザい?ごめんごめん!
でも特に僕が「マイコ!」って彼に振ったら彼が僕にウィンクするとこね、あれ自分でもイー感じで決まったな~って思うんだけどどうです?

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みなさんも当然一緒に振ってるでしょ?
あ、でもあれね、ぼやぼやしてるとタイミングずれるから気をつけてね!
朝一番にうまく決まったらその日は最高の1日になること請け合いだよ!ではよい1日を!


・・・ていうアテレコ入れたくて仕方なくなる(結局入れたけどw)ティンバーレイクの嬉しそうな様子と、「いーよねマイコーホント最高最高!」みたいな雰囲気爆発してる映像、曲調も曲の内容も、幸せな明るさに満ちている デュエットLove Never Felt So Good。

Michael Jackson, Justin Timberlake - Love Never Felt So Good



ジャスティン・ティンバーレイクといえば、インシンク時代のマイケルの30thアニバーサリーライブがわたしには印象深い。
マンミラ歌うけどあとから来るアッシャーになんだか押され気味で、あげくに大御所のルーサー・バンドロスが来ちゃってからは、アッシャーとルーサーが「Hey, brotha!」「YO, brotha!」のノリでがんがんかけあったりするその後ろで全員なんとも影が薄くなって不憫この上なかったの。(あくまで個人の感想ですw)

当時バックストリートボーイズってのもいてたような気がするから、同じようなアイドルって感じで、誰が誰やらだったしねw
今でいうとワンダイレクションみたいな?この人たちも誰が誰やらだけど。きゃはは!w

ま、結局は兄ちゃんたちとダンシングマシーンも歌って、この時は無事マイケルともからめて(張り切ったマーロンに自分たちの前を何度も横切られてたけどw)全体としてはよかったね♪的な感想を持った記憶がある。

この30thの前日(MTV Video Music Awards)でも飛び入りしたMJと絡んだ彼ら。
この時のティンバーレイクの、この嬉しそうなこと^^

000_2001_MTV Video Music Awards
「ママ!マーマー!ちょ、見てる?キングだよ!キングと一緒なんだよ僕!」「・・あれ?ティッシュ忘れちった・・」

000_2001_MTV Video Music Awards2
「ティ、ティッシュすか?ありますあります!袋ごとだと目立つんでまずは2、3枚ど、どうぞ!」「助かったよあらびゅー」

みたいな?(違

このぼんずのおぼっちゃんが、おそらくこの時期に、憧れのマイケルとのデュエット話を棒に振ったと思われます。
ご存じの方も多いかもしれないけど、一応情報ソースはGLAMとかbmrとかABC NEWSとかです。

簡単にまとめていい?(笑)
ティンバーレイク(長いから以下JT)はINVINCIBLE製作中のマイケル陣営に、1曲渾身の楽曲を提供したらしいですが、あえなくボツに。
JTはKingの為に作ったから自分でいうのもなんだけど、めちゃくちゃいい出来だと思ったので、んも、もったいない、せっかくだから自分達のアルバムにいーれよって思ったそうです(実際はおそらくこんなに軽くありません念のためw)。
それがこの曲「Gone」。30thの2か月前、2001年7月にインシンクの3rdアルバムCelebrityに収録され発売されました。

N Sync - Gone

チャップリンはKingの十八番なの知っててやったね・・いい線いってたけど坊主ってのがそもそもアウトよ・・でもこれマイケル好きかも(/_;)

その後マイケルから1本の電話が。

"He said he wanted to cut the record, but he wanted it to be a duet between himself and I,"
And I said, 'Well, it's already out, we've already cut the song as an 'N SYNC record.' I'm on the phone and I'm literally punching myself in the face.
I said, 'I can't do that. Can we do, like, 'N SYNC featuring Michael Jackson, or Michael Jackson featuring 'N SYNC?'"And he was very absolute about the fact that he wanted it to be a duet between himself and I."
「彼はこの曲をレコードにしたいって言ってくれた。でもそれは彼と僕とのデュエットでそうしたいって・・。
僕は言ったんだ。「えっと・・あの・・もうあの曲は出ちゃったんです。もうインシンクのレコードとして・・」僕は電話口で文字通り自分の顔を殴っていた。
僕は彼に言ってみた。「だからデュエットはできません・・でもこんなのどうでしょうか、インシンク featuring Michael Jacksonか、もしくは、Michael Jackson featuring インシンクって感じでは?」
でもあの曲を彼と僕とのデュエットにしたいということは彼にとって絶対だったんだ」

こうしてお話は完全に流れてしまうわけですが、JTにはこの事がどえらい自信につながって、「僕・・ひとりでやっていけるかも・・あのKingが僕の作った曲を認めてくれたんだもん・・よーし、ソロアルバム作っちゃおう!」ということになり、インシンクは事実上の活動休止になりました(実際はこんなに軽くありません念のため)。

そして運命のいたずらか、才能は才能を呼び寄せるのか、JTがGoneをMJから却下されたと思い込み、がっくりしつつも気を取り直してアルバム作りに精を出していた頃、そのアルバムのプロデューサーであるもうひとりのMJを愛してやまない男も、同じく自分の渾身の自信作をMJに提供し、すべて却下されるという憂き目にあっていました。


000_2014_Pharrell Williams_s

あ・・どうも・・ファレルです。
はい・・えっと・・初めて買ったレコードは「Thriller」です。
僕はネプチューンズとして、あ・・ネプチューンズはプロデュースユニット名です。
じゅんじゅわ~?・・ネプチューンではありません。違います。ズがつきます。ネプチューンズです。
巷では僕をオシャレ番長と呼んでいるそうですが、番長とはいったいなんなのでしょうか。


ということで、先日来日してくれた、C1000ビタミンレモンとまい泉のカツサンドが大好きなファレル・ウィリアムスその人です。
上のアテレコはね、すごく物静かな人だな~っていうね。
SMAP×SMAPはまだ彼がメインできちんとしたセットで歌ってたからまだしも、Mステでは、ジャニーズのボンたちと同じひな壇に座らされて・・普通に出番を待つ彼の雰囲気が、なんだかマイケルみたいに謙虚というか、グラミー4冠とった人なのにひな壇にちょこんと座って大人しく順番待ってさぁ・・
そういうイメージ(笑)

ソースはABC NEWS/MJ-Upbeat.comhuffingtonpost.comです。


ネプチューンズとしてプロデューサーの頭角をめきめき表してきていたファレルは、インシンクのCelebrityで何曲かプロデュースを担当していました。
Girlfriendという曲のレコーディング中に、マイケルから電話がかかるも、多くのアーティストが「んなアホな」と本気にしないで電話を切る事件に遭遇していますが、彼もご多聞に漏れず、2度電話を切りますが3回目に電話からポップコーンをボリボリ食べる音が聞こえ、それで初めて本物のKingからの電話だ!と気づきます。

ファレルはあわあわあわとなりつつ、大好きで大ファンだということをアピールしますが、その時Kingの興味は、そのスタジオでレコーディングをしているJTにあったようです。

Michael: How's it going with Justin, is he good? ジャスティンと一緒にやるのはどう?彼いい感じかな?
Pharrell: Yes sir! はいであります!
Michael: That's good, that's amazing. Cool. Well, have a good time, see you later. それはよかった、素晴らしいね。すごいよ。じゃあ楽しんでね。またね。

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彼は"That was the king, the king eating popcorn in my ear! キングだった!あのキングが僕の耳元でポップコーン食べてた!!"と舞い上がったそうです。わっかるわ~^^

しかしその頃ファレルはすでにMJの当時のジャーマネに「マイケルさんのために曲を作りました」と何曲か提示していたようですが、ジャーマネに「マイケルは"Superthug"(1988年にネプチューンズプロデュースでヒットしたノリエガの曲)みたいなのが欲しいんだ」と言われ、提供曲は全てボツります。
でもこの曲ってジャーマネ誰だかわかりませんが、「ほんまか?ほんまにジャクソン先生がそういったのか?」と詰め寄りたくなるぐらい???なんだよね。
リンク先に飛んだ人は多分全員「ないない」って言うと思うよ(笑)

奇しくも同じ時期にJTと同じくがっかりするファレルでしたが、気を取りなおしたJTが取り組む初のソロアルバムに、ボツった曲をすべてスライドさせることにしました。
彼にとっても自信作だったからでしょう。
この時のJTのソロアルバム「Justified」から、あのティンバランドもプロデューサーとして参加します。

2002年にアルバムが発売された後、ファレルはMJ本人から驚愕の言葉を聞くことになります。

I'll never forget the day that me and Michael met up.
And he sang me those songs, sounding like Justin.
And he said, "You should've gave those songs to me."
僕はマイケルと会ったその日のことは絶対に忘れませんよ。
彼はアルバムに収録された本当は彼のための楽曲を、ジャスティンみたいに歌ってみせて
それからこう言ったんです。「君はこういう曲を僕にくれたらよかったのに」って。

あるある(笑)

その後、ファレルは2003年の6月、あのアンディ・ウォーホルが創刊した雑誌「Interview」の、マイケルが若きトッププロデューサーへインタビューをする企画で電話対談を行います。
前年の年末、ファンの要望に応えてブランケット君をお披露目したことで、暇なメディアが騒ぎ立てた疲れも癒えぬうちに、この年の2月に最低最悪なドキュメンタリーが放送され、ただでさえ忙しいKingの身辺はさらにあわただしかったこの時期。

ファレルはこの雑誌の対談を、MJへのエールを送るまたとない機会だと思ったようです。
それを証拠に、後半はもう自分のことよりひたすらMJ(笑)
「んーと。その例えはどうなんだろか」とも思ったりすることを言いつつ、必死で敬愛するKingにエールを送ります。
先述の会話でも使われていましたが、マイケルに対する心からの尊敬からくるのか「sir」を頻繁に使って。
ファレルの必死さが伝わる最後らへんを抜粋してみます。

このインタビューの日本語訳全文はMOONWALKERさんのサイトでご覧いただけます。

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Interview magazine 2003 8月号 (source:interviewmagazine.com)より抜粋

WILLIAMS: もしも僕があなたと仕事することがなければ、あなたのことは誰にも止められない人としか思わなかったかもしれません。だからさっきも言いましたけど、あなたが100歳になった時に、あなたが全身をクロムメッキに浸す決断をしたら、今と同じように色々いう人は多いでしょうけれど-そういう人達ががあなたについて何を言おうが、僕は気にしませんよ-みんなあなたに会いにそこへ行くに決まってます。

JACKSON: There's a lot of jealousy there. I love all races, I love all people, but sometimes there's a devil in people, and they get jealous. Every time there's a luminary that goes beyond the heights of his field of endeavor, people tend to get jealous and try to bring him down. But they can't with me because I'm very, very, very strong. [laughs] They don't know that, though.
世の中には嫉妬は沢山あるからね。僕は全ての人種、全ての人々が大好きだ。でも、時々人々の中に悪魔が潜んでいて、それが嫉妬心を引き起こすんだ。自分の分野を極めようと努力する優れた人が現れるといつも、人は嫉妬してその人を引きずり降ろそうとする。でも僕にそれは通用しない、だって僕はとてもとても、とても強いからね(笑)。みんなそれを知らないだろうけれど。


WILLIAMS: みんな知ってます!お願いです、僕を信じて、みんなわかっています!

JACKSON: Anybody else would've cracked by now; they can't crack me. I'm very strong.
他の人だったらとっくに壊されてたろうね。でも僕は彼らに壊されやしない。僕は強いから。


WILLIAMS: もちろんです。彼らはあなたが10歳だった時ですら、あなたを壊すことなどできなかった。あなたはその声と才能で大人たちを打ち負かしてきたんです。20歳の時だって、すでに20年・30年と続けていた人たちよりあなたは優っていました。そして今、今だにみんなあなたに会えそうな場所で、あなたを見るために待っている。みんなあなたの子供たちを見たくて、あなた自身が持つ世界を見たいんです。あなたは本当に驚くほどすごい人です。僕はとにかくあなたにそれを言いたかったんです。この話が全部きちんと活字になることを望んでいます。僕にとって大切な事だから。僕もいつか、あなたの半分くらいにでもなれたら、と願っています。

JACKSON: Oh, God bless you. You're wonderful, too . . . Have a lovely day.
君に神のご加護を。君も素晴らしいよ・・素敵な1日をね。


WILLIAMS: You too, sir. はい、どうかあなたも。

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このインタビューから11年後の今年、ファレルはグラミーで4冠を達成したけれど、マイケルの8冠のちょうど半分(笑)
「Happy」 はBillboard HOT100で10週連続1位を記録し、世界中のファンが「Happy」のダンス動画を作って、少しググるともうHappyだらけw

JTは「ソーシャルネットワーク」(わたしが観たのはこれだけなんだけど)やら出演して、俳優業一本で行くのかと思いきや、去年7年ぶりのアルバムを出して、これまたバカ売れってんだから、素晴らしい^^
13年かかってマイケルとのデュエットを果たした訳だけれど、おそらくJTが誰よりもスクリーン上ではなく、隣で指を鳴らす彼と歌いたかったことだろう。

間違いなく今のアメリカにおいてトップスターとなったふたり。
奇しくも共通する素晴らしくもどこかほろ苦い経験。
そんなマイケルとの思い出を話すことは、彼らにとって話題集めや売名目的ではもはやありえない。
純粋に思い出を語りたいのだ。


ただ好きだから


大好きだから



思い出があるっていいよね

うらやましいな


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gonpee2008

Author:gonpee2008
名前はakim
家族は主人と猫のゴン&ピー
いたってノーマル・・だけどMJバカw

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